バカロードその163 アフリカ幻影編4「おくのほそみちみたいに」

公開日 2023年03月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発し、タンザニア、ルワンダ、ザイールと、サバンナやジャングル地帯を踏破する。中央アフリカ共和国の首都バンギでは、永遠の宿敵であり登山家の「ヒグマ」と偶然の再会を果たし、自分たちの「旅」について無限のような対話を繰り返す。四千五百キロ余りを歩き、「最後の国」カメルーンの国境に達する)

 中央アフリカ共和国とカメルーンの国境検問所があるケンゾウでは、たくさんの貨物トラックが積み荷のチェックを受けている。入国管理局でぼくは、シュガー・レイ・レナードに似た国境役人の、いつ果てるとも知らない長々とした質問攻勢に「アー」とか「ウー」とかいう生返事でこたえる。必要な答えを聞き出せない役人は業を煮やし、結果どうでも良くなったのだろう、パスポートにカメルーン入国スタンプを押す。
 検問所を後にしようとしたとき、ザックの中からカメラが消えていることに気づく。いつ抜き取られたのだろう。なんてこったい。大して値の張るカメラじゃない。ヨドバシカメラで買った型落ちの古いコンパクトカメラだ。それでも三年間放浪をともにした愛着あるカメラだった。もう二度と出てこないだろうなと思いながらも、あたり構わず「ぼくのカメラが失くなった」と大声で訴える。すると、そこいらへんにいたトラックドライバーが皆集まってきて、積み荷のドラム缶や麻袋を全部外に出そうとするので、面倒くさくなって「もういいですよ、ストップストップ!」とあきらめる。
 暑い。そして頭が割れるように痛い。路傍に呆然と座り込んだぼくの前に、一人の警官が泥まみれになったカメラを持って現れる。
 「この男が、きみの物を盗んだのだよ」
 と言いながら、後ろ手に拘束したその男のスネを蹴りあげ、地面に転ばせる。警官は棍棒のようなもので、男をガツン、ガツンと殴りはじめる。男は、うめき声ひとつ上げずに、赤土にまみれながら耐えている。ぼくは、無感動にその光景を眺めている。ぼくのカメラが原因で、この男は暴力を振るわれている。「殴らないでください」と間に割って入れば、この仕打ちは終わるだろう。しかし、ぼくはダラダラと汗を流しながら、遠くの映像を見るように、ただぼんやりと焦点の合わない視線を送るだけだ。人が殴られるのを平然と眺めていられる自分って何だろう?
              □
 国境の街の穴蔵のような暗いホテルで、ぼくは三日間昏々と眠り、熱帯熱マラリアのぶり返しからの回復を待つ。ときどき目が覚めると、入口のドアの横にパパイヤやバナナが置かれている。誰の好意かはわからない。こんな汚れ乞食のことを心配してくれる人がいるのだな。
 光の挿さない部屋で、ベニヤ板やポスターでつぎはぎした壁と天井を睨みながら、終わりが近づきつつある旅のことを思う。
 この旅の結末はどんなだろうと。何か変わることができたのだろうかと。高校生の頃、教室の窓辺で鼻クソをほじくりながら突如こみあげてきた「熱い何か」は、無限の可能性を秘めた何かであった。そして旅に出た。そこに絶対の真理が見つかるはずだった。
 大西洋岸まであと八百キロ。ゴールに何かがあるとは思えなくなっている。終わりが見え、プレッシャーが消え、精神的に楽になり、同時にこの旅への憧れや執着がなくなった。
 イライラ、そして不完全燃焼。
 こんなことでは満足できない。あと三十日も歩けば、旅は終わってしまう。ゴールのない海へと「実体のない自分」という貧相なイカダで漕ぎはじめるのか。
              □
 徒歩再開。
 ドウメという街の大学に通っていると名乗る学生が英語で話しかけてくる。
 「あなた日本人ですか? ヒュー! ぼくたちの国で日本人に会うことなんてめったにないですよ。一緒に歩きましょう」
 とやたら明るい。
 「日本の文学は素晴らしいです。ユキオ・ミシマはファンタスティックだし、ゲンジモノガタリはとても興奮します」
 「日本人の多くは特定の信仰を持たないんでしょう? でも日本人は穏やかでルールをきちんと守る。国民の間で宗教観が一致していないのに、平和な国が成立するなんて不思議です」
 「友達が何人か日本に留学しています。でも日本の人たちは、われわれの黒い肌があまり好きではないようですね。でもね、カメルーンの人たちは、あなたが旅の途中でなにかトラブルに遭ったときは、いつでも力を貸しますよ。きっとね」
 彼は二十キロほどを一緒に歩き、最後に道端に咲いた黄色い花を一輪摘んで、ぼくのザックの脇っちょに挟む。そして来た道を引き返していく。壊れたサンダルを両手でブラブラさせながら、裸足のままで。
 よりよい生活環境、高度な教育、豊かな老後…そんなものは本当につまらないことだと思う。彼らのほうが人間として何倍も大きい。ぼくは国境検問所で暴力を見過ごした自分を思い出し、ナイフで心臓をえぐり取られるような気持ちになる。
              □
 適当な野宿ポイントが見つからないまま、深夜になってしまう。遠くに懐中電灯の明かりが見える。近づいてみると、トヨタのランドクルーザーが故障し、ドライバーがトンカチで機械を叩いている。振り返った彼に「夜歩いたら危ないよ。明日まで修理は終わらないから、荷台で寝ていっていいよ」と諭される。
 空はギンギンの満天の夜。星が目に痛くて、なかなか眠れない。眠れないから、また考え込んでしまう。
 ぼくがやっているのは「冒険」なのだろうか。ジャーナリストであり探検家の本多勝一は、冒険についてこう定義した。
 一、生命の危険がなければならない。
 二、自主的でなければならない。
 三、人類にとって最初のできごとでなければならない。
 地理上の冒険なんて、もはやこの地球上には存在しない。マルコ・ポーロやアムンゼン、ヒラリー卿にラインホルト・メスナー。超人たちは、今世紀中盤までにあらゆる海を渡り、高山を制し、極地と未開の地を踏破した。残されているのは、バリエーションルートと、他人が思いつかないような奇抜な方法を用いてのトレース作業だ。
 たとえば後ろ向きに歩いて北極点に立てば、間違いなく世界初だろうが、ドン・キホーテ的な滑稽感を残す以外に、何の意味もないだろう。現代の「冒険」なんて、多かれ少なかれそんなものだ。
 ぼくの旅は、まぎれもなく「冒険」ではない。人類史上に残るオピニオン性もなければ、生命を賭けて挑戦する危険なクレバス越えや、犬ぞりの犬を食うほどの食糧難もない。
 ぼくの旅は何なのだろう。
 日本から中央アフリカの大使館宛に送ってもらった松尾芭蕉の「奥の細道」や「笈の小文」を読み、三百年も前に流浪の旅に出たオッサンに強烈に憧れはじめている。芭蕉の旅は風雅を極めるための手段であり、創作の場であった。
 「今日、何をした。何という街をとおり、何々という川を越えた、などという紀行文はつまらぬだけ」と彼は考え、「旅は人生の集約であり、人生はまた旅そのものである」と言い切る。
 芭蕉のような卓抜した人生観は、ぼくには得るべくもない。でも「物」の無意味さと、常識や既成概念の不確かさを、少しずつだけど旅から学んでいる。
 寒さから身を守る衣類、飢えないだけの水と食料、幾ばくかの薬、それさえあれば人は生きていけるのだ。
 旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る 芭蕉が死の数日前に詠んだ最後の吟を、ぼくは何度もノートに書き写してみる。
(つづく)