バカロードその28 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ41〜ステージ45

公開日 2011年08月04日

■7月29日、ステージ41
距離/71.6キロ

この大会は「オールド66」と呼ばれる旧ハイウェイ66号線をコースの多くに採用しています。
街道沿いには家具や服などのアンティークショップや「66」グッズの店、最終的には商品だかゴミだかわからないような骨董品を売っています。
ここには、アメリカ懐古派というか20世紀中盤のカントリーポップのヒットランキングがそのまま全米チャートだった時代そのままの生活様式を営んでいる人が少なからずいます。彼らは時間が過ぎるのををゆっくり愉しんでいるように見えます。大会の噂を聞きつけ私設エイドを出してくれたりして、選手に興味津々な対応をしてくれます。
ルート66はLAからシカゴまでの弾丸ルートだったので、ぼくたちはあとしばらくこの懐古派たちが夢うつつに暮らす街々を楽しめそうです。

ワールドツアーを計画中のセルジュ選手に、四国遍路が培った沿道の文化について説明しているとすごく興味を持ってくれました。セルジュ・ジラールが四国を走る絵柄を想像すると大興奮です(ぼくだけ)。ぜひ来てくれないかな。

走りながらアイスクリームを買うことを覚えました。てか、自分では買ってなくて他の選手におごってもらってます。明日からは小銭を持ち自腹で買い食いしたいと思います。ちなみにぼく同様甘党のジェームス選手(英国)は、マクドナルドが現れるたびにバニラミルク味のシェイクを買っています。

右脚のスネを傷めました。40日目を経てはじめて右脚の故障です。今までよく耐えてくれました。
左脚は下から足首、アキレス腱、ふくらはぎ、膝、大腿と、すべて故障してきました。この左脚くんを支えてきてくれたのが頑丈な右脚くんです。
右脚くん今までホントにありがとう。明日からは劣等生だった左脚くんが君を支えるよ。

記録/12時間14分


■7月30日、ステージ42
距離/83.1キロ

朝から足が軽く快調に飛ばしました。午前中にはロサンゼルスから3000キロ地点を越えました。
今日は久々に上位に食い込めるなと気分よく走っていると、快晴だった空を、ものの一時間で真っ黒い雨雲が覆い尽くしました。
稲妻が地上へと光の筋を走らせ、その先では巨木が真っ二つに裂けるような音がします。あるいは爆弾が落ちたような衝撃音が鳴り響きます。
小犬がひっくり返り、鳥が地面に落ちてくるほどの横殴りの風、そしてシャワー全開レベルの雨。まさに嵐です。それでも雨宿りせず走りつづけました。嵐は一時間くらいで収まりましたが、雨雲が去っても未舗装道には濁流が残っています。
雨に濡れた服で走り擦れたのか、股ズレの症状がでました。まったく(ため息)3000キロも走って何ともなかったのになぜ今頃?と腹立ちます。股ズレは馬鹿にできません。ひどい場合は皮膚を失い生肉が露出した状態、つまりひどい火傷のようになり、走るのが困難になります。ワセリンをたっぷり塗りましたが、悪化しないことを祈りたい。
レースはそのまま頑張って5位に食い込みました。ホテルに入りバスタブに横たわると全身に紅い湿疹ができていました。何か食べ物が悪かったんだろうか。明日までに治ればいいけど。


記録/13時間14分

■7月31日、ステージ43
距離/66.5キロ

まさか今日、完走が途切れる寸前の深刻な事態に陥るとは想像もしていませんでした。コースは66キロと短距離であり、80キロ以上が続いた数日の疲労を抜く日だとランナーはみな考えている軽い日のはずなんです。

十数キロ走った頃に異変に気づきました。今朝いったん消えたはずの紅い湿疹が、脚に腹に顔にと全身に現れています。それから2時間ほどで、正常な皮膚が見えなくなるほど広がりました。
厄介なのは股間です。脚を前に繰り出すたびに、湿疹を発症した皮膚とウエアが擦れ、激しいに痛みに変わっていきます。中間点を過ぎる頃には、燃え盛った焼印を押し当てられる激烈な痛みになりました。
いわゆる股ズレというヤツとは違います。内腿には紅い湿疹の塊が30センチ以上の幅で皮膚を厚く盛り上げ、象皮病のような模様を刻んでいます。数百の突起が合体したもので、ひとつひとつが神経の痛点をむきだしにしたかのごとく。触ると痛みで気が遠くなります。
皮膚表面はひどく熱を持ち、体温を上昇させ、頭痛と吐き気を呼び起こします。
もはゆ走りたくても走れません。後半30キロを歩き通しました。制限時間まで10分を切るスレスレのゴールでした。
ゴールしてから風呂場に直行しました。水風呂に浸かっているのに皮膚は熱い。内股の皮膚はモンスターのようです。見ているだけで気持ち悪くなり、風呂からはい出てベッドに横になっていると、半死にのぼくより更にゴールが遅かったフィリップ選手(フランス)が、アタッシュケースくらいある巨大なプラスチックケースを持って現れました。彼がおもむろにケースを開くと中には50種類以上の薬が詰め込まれています。
そうです。お調子者でオカマっぽいフィリップですが、母国フランスでは大きな薬局チェーンの経営者なのです。彼はぼくの股間をしげしげと見つめた後、ケースから飲み薬と塗り薬を出し提供してくれました。
ああ、この薬が効きますように。明日のスタートラインに立てるかどうかはオカマのフィリップに委ねられた!

記録/11時間35分


■8月1日、ステージ44
距離/46.8キロ

朝起きたら大半の湿疹が消えていました。フランスの薬局王フィリップ選手がくれた謎の薬が効いたのです!すごい効き目!
ところが走り始めてみると、普通ではない精神状態に混乱がはじまります。
まったくやる気が起こらないんです。やる気どころか、正反対の「やらない気」が異常に強い。
木陰に居心地よさそうなベンチが置かれてるのを見かけると「あそこで昼過ぎまでうたた寝して、今日で失格になってやろうかコノヤロー」
牧場で乳牛がのんびり草をはんでいる姿を見て「今から牛の世話でもして牧場主と友達になり、夕方まで忙しくなって走るどころじゃなくしてやろうか!」
とにかく、やる気のない行動への強烈な指向が脳を支配して拭い去れません。薬局王フィリップ、いったいぼくに何の薬を盛ったのか!
しかし人間の意識なんて、薬物ひとつでこんな簡単にコントロールされちゃうのかよ。おもしろいけどね。
その後、真夏日和にガーガー汗を流したら、次第に薬物の影響も薄れていき、ゴールする頃にはまっとうな人物に戻っていました。

今日から8月に入りました。6月中旬に始まったこのレースも最後の月に突入したわけです。
ぼちぼちニューヨークへの完走の確信も掴めそうなもんですが、そうは問屋が卸しません。
8月、行程はゴールが近づくほどに厳しさを増し、80キロ台、90キロ台が連続する地獄のシリーズが始まります。最後の最後まで完走を阻むサディスティックなコース設定がこの大会の特徴です。
よおし、受けて立ってやろうじゃないの。厳しけりゃ厳しいほど、得る物は多いってもんだ。ぐちゃぐちゃにしてみやがれ。どんと来いコノヤロー!
…って寝る前にして、異常にやる気が出てきました。はたしてこれは、本来のぼくに由来したやる気なのか、あるいは薬局王フィリップの薬物の副作用の再反動か。なんか相当怪しくてややこしいね。

記録/7時間47分


■8月2日、ステージ45
距離/48.1キロ

朝起きると吐き気がして胃の中の物をぜんぶ吐瀉戻しました。まったく何なんだ?いつまで虚弱体質かよ。少しは環境に慣れろっつーの!
自分にイライラして走りだせばゲロ吐きなど嘘のように脚が軽い。走る前は「今日は500メートルも走れん」と思っていても、いざ走れば平気。そんな経験を何度もしました。いったい疲労感とか体調不良って何だろね。ほとんどが精神状態の影響下にある気がします。
そういえば全身に現れた紅い湿疹ですが、ランナーのうち少なくとも6人に同様の症状が出ています。3日前の嵐に打たれてからです。あの嵐は何を運んできたのだろう。ちょっとしたミステリーです。スティーブン・キングの小説みたいね。モダンホラーの巨匠キングの物語にはよくトウモロコシ畑が登場するんだけど、日本で本読んでてもピンと来なかったけど、アメリカ走ってわかった。その場所こそがアメリカのリアリティなんね。日本でいう田んぼに揺れる人魂の世界観なんです。どこにでもあって、昼は明るく、夜は影に覆われている。ザワザワ揺れる奥中に何かが潜んでいる…万人が恐怖を感じる家の隣の世界。紅い湿疹が、ぼくたちが怪物に化ける前兆でないことを祈ります。

で、快調に走りつづけました。
マルカス選手(ドイツ)はオーストラリア大陸横断レースの完走者であり、ぼくなど足元に及ばぬ実力者なのですが、当レースでは序盤に体調を崩しリタイアを余儀なくされました。それでもランキング外で懸命にレースを続ける姿勢に心打たれます。
今日は彼に質問を受け、ぼくねアフリカ徒歩横断の体験をずいぶん長時間話しながら走りました。ハイペースな彼に並走して話すのは大変でしたが、すごく楽しかったです。日本では誰からも質問されたり、興味を持たれるない冒険紀行だけど、ここでは興味津々、目を輝かせて聞いてくる連中がいます。同じ次元で難易度や攻略方法、体験談を話し合えるのは嬉しいです。
あっという間に今日のレースは終わり、明日から続く地獄の25連戦に備え昼から安宿で寝ています。
こっちのテレビでは地上波でWWE(プロレス)やUFC(総合格闘技)が毎日観られます。派手な演出、ドラマチックな物語と煽り映像、レベルの高い攻防…それに比べて日本のプロレス界の凋落ぶりはどうだ。いい選手はいるのに仕掛け人が不在なんです。遠い国のリングの復興を夢見ながら、浅い眠りに誘われます。

記録/6時間24分