バカロードその26北米大陸横断レースLA-NY 2011ステージ前日〜ステージ20

公開日 2011年08月04日

■6月18日、レース24時間前

大陸横断レーススタートまであと一日。
昨日大会開幕セレモニーがあり、五大陸横断のセルジュ・ジラールはじめヨーロッパ大陸横断の王者ら世界中から超長距離走のスーパースターや冒険家が顔を揃えました。日本人ランナーも、ぼく以外は日本のこの世界を創りあげてきた伝説的な人ばかり。17人のチャレンジャーをサポートするために25台ほどの車がキャラバンの列をなす予定。昔の冒険活劇映画の開幕シーンみたいな世界になりそうです。
ぼくはもちろん世界のトップに互する力はないので「脚が折れても完走」狙いです。
今深夜2時なんですが興奮やらなんやらが入りまじって眠れてません。このままスタートラインにつきそうだけど、まあ問題なし。自分の力を全部出して燃え尽きてもまだ魂で前進する。覚悟完了しています。

■6月19日、ステージ1
距離/73.5キロ
ついに大陸横断レースがはじまりました。全大陸横断を決意し4年目にして、その入口に立ったわけです。
レース会場に向かう車中で身体が熱く小刻みに揺れています。武者震いなんて自分でもするんだと驚きました。
スタート直後からトランスヨーロッパ(欧州横断5000キロレース)王者のドイツ人、ライナーが抜け出しました。誰も追い掛けようとしないので、なぜかぼくが追いはじめます。
完全に立場を見失っています。ライナーはキロ4分台でサクサク逃げていきます。今から5300キロ走るのに何考えとんな。でも、あきらめず追い掛けます。20キロ近くまで追走しましたが、ごく当たり前のようにチギられました。
しかし100キロ7時間台のスピード選手がゴロゴロ出てるのに、なんでぼくが2位におるん?長いこと生きてると、たまにはいいことが用意されてるのかな。結果的には3位に落ちたが、あー超楽しすぎるんですけどコレ!
あしたは900メートルの登り、泥道ぬかるみ道の78.7キロ。コケなきゃいいけど。

記録/8時間12分
ステージ順位/3位
総合順位/3位

■6月20日、ステージ2
距離/78.6キロ

今日も王者のライナー選手に挑戦しました。スタートから逃げるだけ逃げて、どこまでトップでいけるかやってみましたが、あっさり10キロで笑いながら抜かれました。
30キロからは、標高1200メートル以上まで登るきつい坂が延々つづきます。最後の20キロはトレイルと呼ばれる山道ですが、乾燥しきったハゲ山の砂地を果てしなく登ります。
すでに街はなく完全な荒野です。直射日光が肌を痛いほど焼きます。
残り15キロあたりで意識が朦朧としてきました。激しい嘔吐がはじまり、胃の中の物を30回くらいかけてすべて吐きだしました。
走るどころか、立っているのも難しくなりました。最後の10キロは意識がありません。ゴールであるホテルの玄関で倒れました。
たった二日走っただけでこのありさま。情けない気分です。
腹の周りについていた脂肪がきれいに無くなりました。人間って一日でこんな痩せるもんなのね。

記録/13時間12分

■6月21日、ステージ3
距離/76.3キロ

ステージ2で脚を痛めたフランス人選手がリタイヤすると主催者から説明がありました。世界中の超長距離の大会を転戦している著名ランナーです。あっけない終わりです。
今日は、焼けただれた砂漠のような荒野のなかを走ります。アスファルトの表明温度は60度にもなり、熱したフライパンの上を走るようです。風は吹いても熱風で、身体の水分を全部奪い去ろうとするかのようです。
昨日はじまった嘔吐は更に悪化し、道ばたに50度以上吐きました。といっても何も食べてないので、大半がカラゲロです。吐く度に時間を使うと制限時間に間に合わなくなるので、走りながらゲロします。コーラなど飲んでないのに真っ黒な胃液がでました。胃壁から出血してるんでしょうか。
中間地点まで行かないうちに、座りこんで嘔吐しつづけ、もう完走なんて絶対無理なのかなと思いました。
日本チームのサポートをしてくれている方が、熱中症は身体を冷やすしかないと、全身を氷で冷やします。帽子の中、首筋に氷を巻いたタオル、アームカバー…、さらに頭から氷水を間断なくぶっかけます。
どんなびしょ濡れにしても一瞬て渇きます。
氷が効いたのか、何とか意識を正常に戻しました。制限時間の8分前ゴールです。
日本人ランナーの石原さんは数々の砂漠やジャングルなどのアドベンチャーレースに参戦するウルトラランナーです。
体調悪く、どう考えても制限時間に間に合わない位置を走っていましたが、全力でゴールに駆け込み1分前にクリアしました。が、ゴール後にそのままアスファルトに倒れ動けなくなってしまいました。

記録/13時間22分

■6月22日、ステージ4
距離/81.9キロ

連続ステージレースの厳しいとこは、走り終わったあとから翌日のスタート時刻まで極めて時間がないこと。3時間くらいの仮眠がやっとです。
今日はレース序盤の山場、81.9キロの長丁場のうえ、完全な砂漠気候になります。
前日までのダメージは仮眠では抜くことができず、宿の部屋では四つん這いで移動しています。
歩くのもままならないのに、よく走れるなと自分でも思いますが、スタートのコールがあると、よたよた走れるから不思議です。
今日もまた上に戻しながらです。この3日間、固形物は何も食べていません。ジュースやコーラも受け付けないので、吸収カロリーほぼゼロで、毎日6000キロカロリー分の運動をしています。ぼくの身体はどうなってるんでしょうか。
序盤のペースをあげられなかったため、残り30キロて、どう考えてもゴール閉鎖時間に間に合わない状況になりました。
あきらめはしたくないので、一切の停止をせず、走り続けます。氷水を全身にぶっかけながら、必死に前を目指します。
残り20キロで「こんな苦しいこと初めてだ」と実感しました。残り10キロで意識が飛びはじめました。ゴールまでは失神しないように必死に意識を保ちました。
制限の4分前にたどりついたゴールで倒れました。
まだ4日目なのに、弱すぎるとがっかりです。
今日、日本人ランナー2人がリタイアしました。日本のウルトラマラソンの歴史を作りあげてきた尊敬すべきお2人です。無念です。

記録/14時間56分

■6月23日、ステージ5
距離/45.6キロ

ずっとメシを食べられてなかったが、昨晩ようやくインスタントラーメンを一個食べられた。
今日も気温の上昇著しく50度近い。地面からの輻射熱がひどく、脚を火鉢であぶられているよう。唇は日焼けでタラコ状に腫れボロボロです。
今日は比較的距離の短い日だが、休火山がはきだした溶岩地帯では、岩つぶてまで運ぶ熱風が正面から吹きつけるそうだ。
短い距離でも苦闘はかわらない。火事の現場の中にいるような熱風のなか、脚にできた5センチ大のマメの激痛に泣きながら、またもや制限時間をギリキリでクリアした。
本日、オランダ人の女性ランナーが時間内完走できなかった。欧州横断3000キロなど走る強いランナー。時間内にはたどりつかなかったものの、ゴールラインまで歩いた。ゴールすると周囲の人にささえられなければならないほど衰弱していた。

記録/7時間56分

■6月24日、ステージ6
距離/64.0キロ

今日は自分では考えられないほど精神の浮き沈みが激しかったです。残り10キロを走っているあたりで、連日同様に嘔吐を繰り返し、ぐじゃぐじゃになった脚裏の痛み(マメが合体してき超巨大マメになった)に堪えかねて、ついに「ここから逃げ出したい」と心から思いました。ずっと失神しないよう、氷水をかぶっていたけど、もう意識不明で倒れた方がよほど人間として賢明ではないかと思い、倒れやすい場所がないか探しましたが、どの岩も砂も火であぶったように熱く、倒れることも叶いません。
昨日まではキツくても前向きに走っていましたが、ついにヘタレ根性があらわになってきました。自分にがっかりしながら、今日もまた最終ランナーとして、大会スタッフの大声援を受けてゴールしました。
15人いたランナーですが、一週間も経たないうちに全ステージクリア者が10人に減っています。サバイバルレースは過酷を極めています。
走り終えるとその地域の安いホテルに泊まります。部屋の中では、脚の痛みて歩くことも大変。四つん這いも厳しく、逆四つん這い(腹が上)で移動しています。こんなんで明日、スタートラインに立てるんだろうか?

記録/11時間22分

■6月25日、ステージ7
距離/63.7キロ

歩けないのに走れるのか? 答えは否だ、ではない。
明日のことを考えるのはやめよう。今日をいかに生きるかだ。
両足の巨大なマメは毒々しく化膿し、血と膿が混ざりあって吹き出す。足の裏を地面につけば、針の上に押しつけるよう。一歩ごとにウゥと叫ぶ。
こんな足で63キロも走れるのか。と疑問をていしていても状況は変わらない。やれること、ぜんぶやろう。
マメをぐるぐる巻に固くテーピングした。
スタートから全力で走り、呼吸の苦しさで痛みを飛ばそう。制限時間までの時間を稼ごう。
スタート前。何人かのランナーは疲労の極限か、あるいは怪我で立っていられない。ぼくは座ったままだ。スタートとともに走りだす。一歩ごとに痛みで叫ぶ。
だが走れている。つま先がダメなら踵で走ろう。脚がダメなら腕を振ろう。今使えるものを全部動員して今日を生き延びよう。
脚を止めると二度と走れだせない気がして、30キロ過ぎまでハイピッチで飛ばした。総合2位のパトリック(フランス)をリードした。だが30キロで身体が動かなくなる。今日も酷暑と熱風は尋常ではない。
一度立ち止まると足裏のの痛みが目覚め、もう歩くこともままならない。ゴールまでの長い長い30キロを足を引きずりなんとか完走する。今日もラストランナーである。ラストだから毎日大声援を受ける。走れもしないランナーがゴールラインを歩いて越える。
主催者はフランス人で、スタッフもみなフランス人。フランス語で称賛してくれるが、もちろん意味はわからない。けど、何となく相通じている。

記録/11時間18分

■6月26日、ステージ8
距離/82.0キロ

前半戦最難関のステージです。距離が長いだけでなく、標高1200メートルの峠までの登り降りを含んだ、ほぼ全ルート坂道です。
スタート時点から最初の平坦な15キロを飛ばすだけ飛ばし、時間稼ぎするつもりです。
時間かせぎとは、当大会で設定された「制限時間=距離×時速5.6キロ」に対してのことです。時速5.6キロなんて大したこてないと考えていましたが、このクリアは大変難しいんです。
走っている最中でも、少なくとも栄養補給のための食事やトイレをしなくてはなりません。その間は停止したりスピードが落ちたりします。その要素含みで時速6キロ=1キロ10分で押し切っていくことを完走の目安とします。1キロを10分より速く走れた分が終盤への貯金となるのです。
今日はスタートからキロ5分台で入ります。15キロ以降の急激な登りに備えて前半で貯金します。
峠道に入った30キロまで王者ライナーに続く2番手ですすみました。貯金も1時間以上でき、やっと自分の思いどおりのレースができるかなと感じていたとき異変がおこりました。
最初は小さな違和感です。左脚のフトモモ前部に紙をカッターで切り裂くような痛みが走りました。走っていたらアチコチ傷めるのが普通です。走っているうちに治るだろうと気にせずいましたが、時が経つごとに痛みが大きくなり、最初の違和感から30分もしないうちに、激痛に変わりました。
痛いだけなら我慢すればいいんだけど、力を入れることができなくなりました。フトモモ前部の筋肉がまったく動かないのです。つまり左脚を前に出せない。
「終わったのか?」と思いました。今日の残り距離数は50キロもあり、激しい登りです。この脚でゴールに届くのか?
しかしあきらめる選択肢はありません。今やれること全部やろう。
サポートクルーの車まで片脚ケンケンでいき、大量の氷で患部を冷やしました。走ってみました。ダメでした。テーピングもダメでした。
最後に考えたのは固定してしまうことです。ふくらはぎ用の細い着圧タイツをフトモモまであげ、筋肉をガチガチに固めるのです。
動いてみました。筋肉が収縮ができないレベルまで締めたので、左脚はただの「棒」としての機能しか果たさなくなりました。しかし歩けなくはありません。
残り45キロ、歩き通すしかないんです。
左脚を前に振り出せない、という前提でどうやってゴールに向かうか?
いろんな動きを試しました。いちばんマシなのは、左脚を単なる杖として考え右脚の力で進んでいくことです。ロクな方法ではありませんが、悩んでいる暇があれば一歩でもゴールに近づく必要があります。前半に作った1時間半の余裕時間を切り崩しながら絶対にゴールにいく!
マカロニウエスタンの映画の背景にぴったりの、赤い岩峰が林立する広漠たる世界。蝿の羽音以外は無音。そこで息使いも荒々しく、ぼくは片脚で走る作業を繰り返します。

10時間近く続けました。
山麓は再び気温45度。途中、手違いから水の補給を受けそこね脱水で意識失いかけました。何もかもが焼けただれた砂漠なのに、寒気がして全身に鳥肌が立ち、地面が顔のすぐ横にある気がしました。

スタートから15時間という長い一日が終わるころ、ぼくはゴールにたどりつきました。失格9分前でした。精も根も尽き果て、ゴールラインでへなへなと崩れ落ちました。9時間後には翌日のレースがはじまります。明日、自力で立てるのだろうか?

記録/14時間51分

■6月27日、ステージ9
距離/68.0キロ

ひどい朝です。一人ではホテルの階段を降りられないので、人に支えてもらいます。
両足のいずれかを地面につくたびに悲鳴がでるるほど痛いため、結局ずっと悲鳴をあげています。

また完走の夢が砕かれたランナーが一人。ドイツ人のマルカス選手は、ぼくと走るペースがほぼ同じだったので、何十回となく励ましあいました。おとといのレース中、下痢の症状が悪化し大幅タイムオーバーし完走しました。主催者と全選手協議のうえ「どんな選手でも不慮の事故な体調不良は一度はある。タイムオーバーは一度限り認める」という特例で残りましたが、今日はスタートすることも叶いませんでした。
9日目、リタイアした選手は6名、残った選手は9名。

今日は最初から最後まで激しい痛みとの戦いでした。
また、左脚の膝関節が真っ直ぐのまま曲がらないので、当然スピードも出ません。
ただ「まだ終わりじゃない」と信じて走り続けました。よたよたでも前進できるのなら可能性はゼロとはいえない。
途中あまりの痛さに「この痛みは自分の痛みではない。他人の痛みである。ぼくは他人の痛みを自分の痛みとして受けとめられる素晴らしい人物である」という作戦を立てましたが、まるで効き目はありませんでした。

地平線までつづく長い長い一直線の道を走りつづけ、遠くに今日のゴールが見えてきたとき、ふいに喉がつまり、グエグエと泣きはじめました。今日を生き延びた安堵と、12時間つづいた脚の激痛への何かよくわからない感情です。
ゴールの広場にたくさんのスタッフや選手が待ってくれているのが見えます。何人かは手前まて走りだして迎えてくれようとしています。
主催者のロールさんがぼくを支えてくれながらゴールラインをこえました。
それから用意された一人がけの椅子に座って泣き続けました。
一人ひとりやってきては「よくやった」「最後まであきらめなかった。お前は強い」と誉めてくれました。
ただ単に痛いのが嫌で泣いているだけの人物を、よい方向に捉えてくれて嬉しいです。
最終的には、あまりに泣き続けていて、みなもゴール設備の撤収もあり誰もその場にいなくなりました。
誰もいなくなった夕焼けの広場で気の済むまで泣きつづけました。

記録/11時間54分

■6月28日、ステージ10
距離/74.0キロ

またもやリタイア者が出ました。フランス人のジェラード選手は欧州やアフリカ各地で開催されるレースで幾度も優勝しているトップ選手です。序盤、実力どおり総合2位につけていましたが、スネを怪我してからは、ステッキをついて走る痛々しい姿を見せていました。チャンピオンのプライドを捨て、何がなんでもゴールするという気迫が凄かったが…。ついに歩くことすらままならなくなったようです。
現在、生き残り選手8人。
「今日さえ乗り越えればなんとかなる」と毎日思います。明日のことなど考える余裕もないです。
一日のスタート。ランナーがゴールに向かって走り去っていきます。走れないぼくは必死に歩きます。歩きではどだいゴールの時間に間に合わないのですが、それしかできないから歩きます。
封印していた痛み止め薬を飲む決断をしました。誰に聞いても、飲んではダメだと言います。一瞬痛みを忘れられても、その後もっと深刻なダメージを背負うからです。
でももうほかに手がありません。走れなくては今日でぼくのレースが終わってしまうのです。鎮痛剤をのむと10分くらいで皮膚の表面全体に弱い麻酔がかかったような感覚がしはずめます。1キロ10分というペースで走ります。ゆっくり走ってケガを治癒させるのです。
マラソンの瀬古利彦選手が現役時代、ケガで走れなくなったとき、一日に10時間も歩きつづけてケガを治したというエピソードがあります。それを自分もやってみるのです。
標高1700メートルへと一人静かに登ります。時間ぎりぎりのペースだから、大会スタッフが車で頻繁に見回りにやってきます。「ゆっくりいけ。必ずゴールできる。周りは関係ない。自分に勝てばいい」などといろんな声をかけてくれます。
60キロまでほとんど誤差なくキロ10分で走りました。そこからは潰れてペースを落としましたが、8分前にゴールに間に合いました。
世界で初の五大陸ランニング横断を達成したセルジュ・ジラール選手(フランス)が自ら出迎えてくれました。連日潰れきって、砂漠で道に迷った旅人のようにゴールにたどり着く変なランナーを励ましに来てくれたのです。
しかし映画スターみたいに男前な顔してるなぁとセルジュ・ジラールを見て思い、ボロ雑巾のようにグチャグチャな自分を省みて悲しみが増幅しました。

記録/12時間52分

■6月29日、ステージ11
距離/49.4キロ

スタート前から何やら人気です。どのランナーからも各国サポートクルーからも声がかかります。「調子はどうだ」「君はタフだよ」「ドーナツあげよか」など。どうやら2日前にゴールした際に号泣したことがウケている理由のようです。
まぁもうどうしようもありません。人前で意気地なしをさらけ出してしまったのだから、何とでも、どうとでも捉えてちょうだい。

今日もまたケガの治癒を最優先としたキロ10分ペースで進みます。激烈な痛みは2割くらいはマシになっているのが若干の救いです。
他の選手たちはスタート地点から数百メートル背中を見ただけで、二度とその姿を見ることはありません。ひたすら孤独な作業です。
休憩を入れたら時間がなくなるので、一切ストップしません。汚い話しですが小便も走りながらします。ツール・ド・フランスの自転車選手なども自転車に乗ったまま用を足すことが知られていますが。まあそんなとこです、

今日もまた制限時間いっぱいです。ゴールが見えてくると、何やら盛り上がっいます。「BANDO!BANDO!」。うわー名前を連呼されています。恥ずかしいので一瞬ゴールに行くのをためらいましたが、迷っているうちに失格になっては元もこもありません。
するとゴールから人が走りだしてきました。手前200メートルあたりまで、あちこちの国のクルーや大会スタッフがワーッと出迎えてくれ、両手を握られ捕まえられたお猿のような感じでゴールしました。相変わらず周囲は「BANDO!BANDO!」と全盛期の猪木コール並の盛り上がりです。ぼくの手を握りしめてくれたのはもちろん美女ではなく、ヒゲがぼうぼうのおじさんや、体重100キロくらいある大男です。
ただ今、ぼくの意図とは大きく掛け離れ、男に人気急上昇中です。

記録/8時間32分

■6月30日、ステージ12
距離/48.8キロ

神様というものがいるのだとしたら、ときには心優しき施しをもたらしてくれるのだろうか。

今日の行程は48.8キロと短いものの、標高2100メートルまで高低差600メートルを登る。うち40キロが不整地の林道です。この地域のトレイルは砂と小石が混じった乾燥したやわ道で、アスファルト道のようにスピードは出せません。

スタート直後、走ってみました。痛いけど昨日までと違い絶対に走れないって感じはしません。ちょっと前のランナーについていってみよう。つけるぞ。集団の中にいる。何日ぶりだ?
走れる!走れる!嬉しさで飛び上がりそうになるのを抑え、前の選手を追いかけます。1人、1人と追い越すたびに、顔を見合わせます。「ケガよくなったのかい?」「よかったな。ミラクルが起こったな」と声をかけられます。

キロ7分台で急峻な登りと下りが連続する林道を駆け抜けます。7分台といえば、体調万全な状態ならいくぶんスローなジョグペースですが、今は背中に羽が生えて地面すれすれに滑空させてくれているようです。
景色が前から後ろへと流れ去っていきます。ロッキー山脈の核心部へとつづくこの気持ちいいトレイルロードを、ぼくは夢うつつで駆けています。
ペースは後半になるほど上がり、全力疾走ができることも確認しました。
あっという間に今日のレースが終わりました。
ゴールには先着のランナーたちが椅子に座って帰ってくるランナーを眺めています。みな、その脚はボロボロです。包帯にテーピングぐるぐる巻きに杖に。ちょっとした野戦病院です。

フランスで発行している女性向けランニング情報誌の取材を受けました。記者は見たことないくらいの大変な美人で、取材姿勢もていねいだったので、まじめに答えました。それで、「いつまで取材するんですか?」と尋ねたら「明日には帰ります」というので「おや、短いですね」と感想もらしたら、「たぶんあなたは気づいてなかったと思うけど、私は最初から取材してたのよ。あなたが山の中で絶望している所や、ゴールで泣き崩れた時もそばにいたわ」
見たこともないほどの美女の存在に、何日間も気付かないなんて、どうかしてるぜ!

記録/6時間39分

■7月1日、ステージ13
距離/65.5キロ(プラス4キロ)

スタートから30キロまで調子が出ず、眠くて眠くて仕方がなくて、うたた寝しながら走りました。当然びりです。野グソも2回しました。さすがにウンコを走りながらするテクニックはありませんが、強者になるとできます。技としては「そのままもらして、ペットボトルの水をぶっかけて終わり」と「一瞬立ち止まり半中腰の体勢から後方にぶっ飛ばす」という二種に大別できます。今度やってみます。
30キロ過ぎてようやく目が覚めてきました。ウォームアップに30キロもかかるとは、だんだん異常体質になりつつあるようです。
今日も後半ほとんどが山林の登山道や林道をゆきます。尖った小石だらけの道は、足の裏の巨大マメに突き刺さり、脳みそにバリッと電流が流れるくらい痛みます。1000回くらい「ギャア!」と叫びました。
ゴール地点のフラッグスタッフという街はこの地域最大の都市で、街路も入り組んでおり、大会側から指定されたルート図は曲がり角が10ヶ所もあって複雑を極めました。
ラスト5キロまで来て、曲がり角を一本間違え、道に迷ってしまいました。街の人にさんざん道を尋ね、間違えた地点を把握するまで結構な距離を走ってしまいました。しかも大会ルールでは間違えた場所まで一旦戻らなければなりません。ショートカット予防の措置です。
正規ルート上に戻り、間違えポイントまで逆走していると、前方から来た大会車両が停まります。勢いよく車を降りたスタッフのオッチャン(いいフランス人)が目を丸くして「おいBANDO!そっちはゴールじゃない、スタートの方向だ!お前はどこに走っていくんだ?」と大騒ぎするので「ぼくは道を間違えたんだ。だからミスした交差点まで戻っている」と説明すると、オッチャンは「お前何キロも余分に走ってるんだからもういいよ。ここからゴールに行けよ」と実にフランス人的な柔軟な判断を述べるのですが、ぼくはズルしたくないのと、この親切で心配症のオッチャンにいつまでも関わっていると時間がどんどん過ぎ、制限時間が近づいてくるので「イッツ・ルール!」と叫んでオッチャンを振り切りました。
間違え地点に戻り、再びゴールを目指します。親切な大会スタッフのオッチャン車両が、残り3キロを併走してくれましたが、実は立ちションがしたくて仕方ないのに、オッチャンたちが車の窓全開で「ガンバレ!ガンバレ!」と応援し続けるために立ちションできず困りました。
で結局余分に4キロ走ってゴールすると、「お前はこんだけ走って、まだ走り足りないのか?」とスタッフたちに呆れかえられました。
「いや、ぼくは道を間違えてはいない。この街をマーケティングしていたんだ」などの小粋なジョークも用意していましたが、不発に終わりました。

記録/11時間12分

■7月2日、ステージ14
距離/85.5キロ

大会はじまって以来の最長距離です。
スタートからやけに調子よく、5キロほどで先頭をいく王者・ライナー選手の背中が見えてきました。これは挑戦するしかない!
一気にスパートをかけライナーをかわすと、15キロまで先頭を独走しました。ところが背後に足音がしたかと思うとライナー笑顔で「またあとでね」と余裕のそぶりで置き去りにされました。こっちはキロ5分ジャストで走っているのに、どんなスピード? 連日80キロ近く走ってるステージレースでキロ4分のスピードなんてあり?
結局、25キロ手前で潰れたため、あとの60キロの長いこと。13時間近くかかり、へろへろでゴールしました。
主催者ロールさんには「クレイジーBANDO!今朝のあなたは何?あなたの目的は10キロレースでトップになることじゃないてしょ!ニューヨークがゴールってこと忘れないで!」」ときつく叱られました。他の選手たちには「今度はいつライナーに挑戦するんだい?」と笑いながら聞かれました。
今夜ね宿泊地は小さな集落なため、選手、サポートクルー、大会スタッフ全員での合同キャンプです。といっても公民館の床で雑魚寝です。
シャワーは水が入った袋を簡易テントの上に吊して浴びる即席仕立てタイプ。
晩ごはんはパスタ、オリーブの実ライス、鶏の素焼きなどを大会スタッフが作ってくれました。ビールも飲み放題、最高です。

記録/12時間49分


■7月3日、ステージ15
距離/66.5キロ

距離は短いものの、600メートルの高低差を一日じゅう登ります。
昨日85キロ走ったダメージか体調すぐれず、足もまったく動きません。こんなキツい日に、どううまく走りをまとめ、制限時間をクリアするか。その技が大陸横断を達成できるかどうかの鍵を握ります。
大事なのは、ゆっくりでいいので走りつづけること。急坂も歩かず走る。決して止まらない。
今日の42キロ地点で、スタートからの通産距離が1000キロを突破しました。1000キロ地点に近づくと、どこからともなく大会スタッフが現れました。1000キロの看板を掲げ、記念撮影が行われました。
これで全工程の五分の一をやっつけたことになります。たった五分の一なのに、既に満身創痍です。
2週間止まらない鼻血。
火傷してケロイド状になった唇。
左脚は「く」の字の状態から動かなくなっています。真っすぐ延ばせず、曲げられずです。しかし脚一本ダメにしてでもニューヨークまで完走したいです。
ここらへんの居住者はアングロサクソンではなく、もともと大陸に住んでいた部族がルーツの人々です。
みな親切で優しい感じがします。農家のトラックを運転するオッチャンが、「ニューヨークまで行くって?何てこったい。君に何かあげなくては」とごそごそ辺りを探し、ドル紙幣を二枚つかんで「これ使って」とくれようとしました。もちろん気持ちだけもらいましたが、日本の田舎と変わらず、アメリカの田舎も人は朴訥でおせっかい焼きの多い、いい場所です。
ゴールを前にして1キロほど彼方に竜巻が現れました。砂漠の竜巻は黄土色の砂を天空まで運びます。竜巻はみるみるうちに成長し、巨大な柱を文字どおり竜の身体のようによじらせます。
危ないなと思いつつゴールし、足の裏を氷水でアイシングしていると、竜巻本体が連れてきた砂嵐に襲われました。砂粒が横殴りにバチバチ叩きつけられます。滅多にない経験です。面白いのでそのまま外にいたら、全身まっ茶色の泥人間ができあがりました。

記録/11時間29分


■7月4日、ステージ16
距離/77.2キロ

ショックです。左足首を傷めました。着地するたびにアキレス腱に激痛が走ります。
今日は30キロまで飛ばしたため、制限時間には間に合いましたが、最後7キロは一歩も走れませんでした。いや、走ろうとしましたが、あまりの痛さに走るのをやめ、歩きました。
明日までに治さなくては、明日でチャレンジが終わってしまいます。今、安モーテルのベッドに横たわって、氷嚢で患部を冷やしまくっています。
ふと見ると、右足の親指の爪がぐらぐらして取れかかっています。ふだんなら激痛なんだろうけど、他に痛い部位が多過ぎて痛みを感じませんでした。しかし気づいた後は、ズキズキ痛みだしました。発見するんじゃなかったと後悔しても時遅し。

記録/12時間29分

■7月5日、ステージ17
距離/71.7キロ

レースを続けられるか、終わりの日となるか、山場の一日。
左足首に走る痛みで歩行も困難です。だめかもしれない。でも、可能性がゼロではないのなら、やれること全部やる。
患部はテーピングと圧着タイツでガチガチに固めました。そして強い鎮痛剤を飲みました。
スタートから20キロは路肩のない悪路です。砂利や草、動物の糞だらけの土の斜面です。
歩くようなスピードですが走れています。走れる限り光が射しています。
道ゆく車の多くが手をあげたり、クラクションを鳴らして応援してくれます。街道沿いにはヒッチハイクをする若者が多く、みな気さくに声をかけてくれます。「ニューヨークまで走っていくってぇ!」と映画の中のアメリカ人のように大袈裟に驚き、姿が見えなくなるまで見送ってくれます。
よぼよぼにしか走れませんが、とにかく前進しています。
大きな雲が夕立を運んできます。大粒の雨が道を叩きます。通り過ぎた雨雲が大きな虹をかけています。ゴールが近づいてきました。「今日もぼくは生き残った」と取り囲んでくれるスタッフに言うんだろう。
毎日が紙一重。残る8人は、ぼく以外はこの世界のスターばかり。速く、強く、カッコイイ。多くが企業の支援を受け、またこの世界を生業としているプロです。
その中で毎日、制限時間ギリギリに、脚をひきずりながら死にかけでゴールに現れるぼくは異質このうえない存在です。
ハイレベルなランキング上位争いを展開するスター軍国のなかでぼく一人、別の競技を行っているようでもあります。
しかし、今日もまた生き残りましたた。それだけでいいのです。

記録/12時間23分


■7月6日、ステージ18
距離/66.4キロ

はずれかけの親指の爪を見るのが怖いので、テーピングでぐるぐる巻きにしてやりました。これで恐怖シーンを目撃しないですみます。
今日は、大草原に延びる一本道を、どこまでも走ります。
今日はひとつの実験的な走り方をしてみました。まず30キロまでをウォームアップ区間として捕らえ決して力を入れない。30~40キロで徐々に速度を上げていきます。40~50キロは我慢のしどころでスピードの維持に努め、50~60キロは呼吸を荒げない程度にベストランニングを心掛け、60キロ以降を翌日に疲労を残さないためのクールダウン区間とします。
考えたとおりに走り、想像以上に後半スピードアップし、ゴール後も他人に支えられなくても歩けました。
チームジャパンのサポートクルーの重鎮であり、トランスヨーロッパ(欧州横断レース)を二度も完走している菅原さんが「今日が今までで一番の走りです」と褒めてくれました。いつも「そんな走り方してちゃ完走なんかできっこない」と叱られてばかりなので、ちょっと嬉しかったのでした。コツを掴んだのだろうか。カン違いでなければいいけど。

記録/10時間15分

■7月7日、ステージ19
距離/64.4キロ

今日のレースが終わり、小さな街の公民館の床にひっくり返っています。標高2000メートルの高地にも関わらず、直射日光強く、肌は焼けるように熱く、日射病気味になり、今日もまたフラフラでゴールしました。
全身が熱く、氷をあちこちに挟んで、体温を下げています。
明日は今までで最長距離の87キロ、あさっては82キロと、80キロ超え2連戦です。
疲労が極端に翌日に持ち越される分水嶺が75キロあたりです。距離が長いというだけで全身へのダメージが大きいですが、それにも増して睡眠時間がなくなることが疲労の最大原因です。80キロ以上になると走る時間は15時間はかかり、ゴールしてから翌日のスタートまで9時間しかありません。その間にはホテル入り、シャワーと洗濯、夜食など済ませていると、睡眠時間は3~4時間です。これでは前日の疲れが取れるはずもありません。と、なげいてもどうしようもないので頑張るしかねーな。

記録/10時間31分

■7月8日、ステージ20
距離/87.2キロ

今日と明日は80キロ以上の2連戦。
いま左脚は、足首が90度の角度のまま動きません。そして膝も「く」の字の状態で曲げられません。走る機能を失っている左脚で、80キロ2本、乗り越えられるんだろうか。

長い長い長い一日でした。関門閉鎖15時間30分を破るためにとった作戦は「一度も立ち止まらない」でした。食料補給のエイドはじめ一切足を止めずロスタイムをなくしゴールに向かいます。前に推進する力が右脚にしかない片脚走法では、こんな地味な作戦しか取れません。

ゴールに着くと日本人の男性が話しかけてくれました。全米バスケットボールリーグNBAの所属チームのスタッフをしており、今日はわざわざ100キロ近く運転して、ぼくたちのレースを見に来てくれたそう。常にコネなしで米国のプロスポーツチームに直談判して働き口を見つけているんだとか。すごいなあ。将来、バスケのボールをドリブルしながら北米横断したいという変な夢を持っている。ぐちゃぐちゃになったぼくの足の裏を見せたても引かなかったので本気なんだろう。若いのにたいしたもんだな。得体の知れないエネルギーを発散してる人は目が違うな。

記録/14時間58分