バカロードその133 2018スパルタスロン7「女神は消え、オジサンが待つ」

公開日 2019年04月25日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=毎年9月、地中海に面したギリシャで行われる総距離246.8km、制限36時間の超長距離マラソンレース・スパルタスロン。8年連続リタイアをしている僕は、9回目のチャレンジの真っ最中。コース最大の難所であるサンガス山を下って2日目の朝を迎え、スタートから200kmを越える。土砂降りの台風をふっ飛ばすために、覚えたての怪しいギリシャ語「ハラヘッタ!」を操り出しながら、地元のオバチャンたちのウケを狙ってひた走る)

【195km~226km/テゲア~英雄記念碑】
 赤茶けた岩盤がむき出しになった切り通しの道を、正面から吹きつける風の圧力をかき分けて、歩幅を狭くして登っていく。
 高原を貫く一本道は、濁った空と台地の境目のいちばん奥まで続いている。数百メートルおきにポツポツと等間隔に並ぶランナーの背中が、突風にあおられ左右に揺さぶられている。身体を斜めにして耐え、蟻の歩みで進んでいる。
 こちらはキロ8分の鈍亀ペースだが、前の選手たちは半ば走るのを諦めている人もいて、距離が詰まってくる。追い越しざまに声をかけ、顔をのぞきこむと反応はさまざまである。「寒い・・・」と両腕を抱えこんで震えている人、「残り全部を歩いても完走できそうだな、フォーッ!」と雄叫びを挙げる人、「5分走って、5分歩くのを繰り返しているんだが、君も一緒にどうだい?」と誘ってくる学者風な人。人間模様がさまざまで飽きない。
 奇妙な格好の人がいる。銀色の断熱マットを細長くハサミで断裁し、両腕と両脚にぐるぐるに巻きつけ、ガムテープで貼りつけている。「関節を動かしやすいように工夫したんだ。最高に温ったかいんだぜ!」と自慢げに見せびらかしてくる。まるで甲冑をまとった古墳時代の埴輪だよ。関節可動域の広さを自慢しているが、カクカクして実に走りにくそうである。この制限時間の厳しいレース中に、いったいどこでそんな細かい工作やってたんだ?
 1人のランナーが僕の戦歴を尋ねる。「今まで8連敗していて、1回も完走したことないよ!」と告げると「ギョッ」と一瞬明らかにビビり、表情にわかにかき曇る。全戦全敗の選手に追いつかれたってことは、自分は今ヤバい状況に陥っているのではないか?と疑心暗鬼に囚われているのがありあり。
 僕は安心させようと努めて陽気にふるまう。
 「ノープロブレム! 関門より2時間も余裕があるし、100%完走できるよ。保証します!」
 言葉は羽毛のように軽く、疑念まみれのランナーの不安をいっそう強める。それまで歩いていた彼らは急に走りだす。
 その様子が面白くてサディステックな欲望が高まる。追いついた選手にいちいち「8戦全敗」をアピールすると「オウ・・・」と絶句し、自分の身を案じはじめる。ははは、大丈夫だってば。
 ゴールまで40kmを残し、僕は完走を確信している。隣り合ったランナーとたわいもない会話を交わしながら軽快に前進する。四肢に力がみなぎっていて、疲労感のカケラもない。この先で潰れる可能性はまったくない。
 どんなに努力しても9年間たどり着けなかった2日めの舞台。毎年のように死に体となって、吐瀉物のカスがこびりついた青白い顔をして道端に倒れ、クッソークッソーと空を睨み続けた。そんな黒歴史の走馬灯はもう回転しない。

【226km~247km/英雄記念碑~スパルタ】
 高台の頂点にある226km地点のヒーローズモニュメント(英雄記念碑)が、最後の大エイドである。昼の1時39分に到着。スタートから30時間39分を経過。
 空気は白く霞んでいて、どこに記念碑があるのか見あたらない。大エイドといっても掘っ建て小屋にオバチャンとオネエサンが2人いるだけだ。台風で他のスタッフは撤収したのかな。スパルタ市街まで距離は21km、標高差522mを下るのみ。ゴール関門の36時間に対し5時間21分を残しているので、残りすべてを時速4kmで歩いても間に合う計算。
 もっかの最大の関心事は、防寒用にまとっている蛍光イエロー色をした派手なゴミ袋のこと。袋の底に開けた穴から首だけ出して、ドラミちゃん的なほのぼのした格好で走っているわけだが、このスタイルでゴールまで行くべきなのか。スパルタ市街のメインストリートを駆け抜ける情景は、僕にとって一世一代の花舞台である。くだんの道を凱旋パレードする夢を描いて、中年以降の人生すべてを賭けてきたのだ。このゴミ袋には大変お世話になった。ゴミ袋なしでは低体温症に陥ったかもしれない。だけどあの場所に、黄色いゴミ袋をかぶったまま行くのはヤダ!!!
 他の選手はどうするのだろう。僕と同じく、選手おのおのゴミ袋や雨ガッパを不細工に身体に巻きつけている。「ゴールする時に、そのゴミ袋どうするの? 手前で脱ぐの? そのまま行くの?」と尋ねてみる。すると「そんなこと今は考えてない」「寒くてそれどころじゃない」とブ然としている。みな、もっと神聖な気持ちで走っているようです。ゴメンナサイ。
 下り坂にさしかかると、風がいななきをあげながら攻めてくる。横殴りの暴風はさらに威力を増し、前後左右どころか上から下からと全球的に風向きを変える。山腹に当たった風が舌をなめずるように下から吹き上げてきては、身体を地面から浮きあがらせる。破壊された看板や折れた樹木の枝が、高速回転しながら道路を横断する。時にはこっちを直撃せんと飛んできてはかすめ去る。
 道路のすぐ脇の崖が崩れて、岩石や土砂が路上に散乱している。片側車線を通行止めにしてショベルカーが岩をどけている。つい今しがた起きたばかりの土砂崩れのようだ。岩が直撃していたら死んでたぞ。
 大嵐も土砂崩れも、すべてが愉快な出来事に思える。下り坂をキロ5分台のペースで疾走する。自分の力で走っているのではない。巨大なクレーンゲームのアームが天から降りてきて、僕の頭を無造作につかんで、前に前にと運んでくれる。お気楽な自動推進マシンみたい。

 こんな楽しい時間なら永遠に続いてほしい。
 それなのに走れば走るほどゴールに近づいてしまう。
 夢のような時間がどんどん残り少なくなる。
 ゴールになんか着かなくていいのに。

 長い坂道を下りきったらあと5km。最後から2つ手前のエイドは、机やコップを道に出せる状況にないのか、両手にペットボトルを握りしめた1人のお兄さんが、洗濯機にかき回されるように暴風にいたぶられながら、笑顔で待ってくれていた。
 ゴールまで残り2kmにある最終エイドは、多くのランナーが荷物預けをする場所だ。ウイニングラン用にと自国の国旗やチームフラッグを荷物袋から取り出して、マントのように羽織ってビクトリーロードへと向かう。しかし本来エイドがあるべき場所には、荷物かゴミかわからない残骸が道路に散らばっているだけだ。
 この最終エイドはまた、ラスト2kmの道のりを選手を取り囲んで並走する何十人もの自転車の少年少女たちや、選手を先導するパトカーや白バイの警官が待機している場所でもある。もちろん本日は、少年少女も警察官も誰もいない。あたりを見回すと、100mくらい離れた家の軒下で少年3人がこっちを眺めている。手を上げると、少年たちはハニカミながら手を振ってくれる。1年に1度のお祭り騒ぎが水に流されて、さぞかしがっかりしてるのだろう。
 ついにスパルタの市街地に入る。道路の両側には、5階建てほどの中層の集合住宅が連なっている。上階のベランダから身を乗り出して「ブラボー」と声をかけ、口笛を鳴らしてくれる家族がいる。歓迎してくれる人を1人たりとも見逃すまじとキョロキョロ眺め回して、見つけるたびに「エフハリスト!(ありがとう!)」と叫びながら街路をゆく。
 沿道にいた母親と3人の子どもがつぶらな瞳でこちらを見つめている。年長の女の子の肩を母親がツンとつついて合図すると、女の子が紙コップを持って近づいてくる。差し出された飲み物を口に含むと、何のへんてつもない水だった。ただの水なんだけど、砂糖水のように甘く感じる。
 今から交差点を2回右折すると、最後の直線道路へと出る。どれほど長い間、この舞台に自分が立つことを願い続けたか。角を曲がったその先には、万雷の拍手と称賛のシャワーがある・・・のは例年のお話で、雨は変わらずジャンジャン降り、道路が小川と化している今は、人影もまばらに違いない。
 走路を外れて建物の陰に隠れ、重ね着したウインドブレーカーやジャージのズボンをいそいそと脱いで、ウエストベルトのお尻のトコにはさむ。頭からかぶっていた黄色いゴミ袋は、少し手前でゴミ箱に捨てた。最後くらいは正装を整えよう。といっても3年前にこの大会でもらった参加賞の白シャツと短パンなんだけどね。できる範囲でカッコよくフィナーレを迎えよう。
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 最後の角を曲がる。
 まっすぐに伸びる500メートルの道が、放射線構図の最奥に控えるレオニダス像へと続く。
 そこは、「人影はまばら」という予想を凌駕して、神隠しにあったように無人なのだった。
 247km走ってきたのに、誰もおらん・・・。笑いがこみ上げてきて、大爆笑してしまう。
 水に浸った車道にジャバジャバ足を突っ込みながら、ゴールへとひた走る。目抜き通りにひしめき合うカフェやショップでは、道から溢れ出した雨水がフロアまで浸入していて、営業を休止しているようだ。店の奥のカウンター席の向こうで、何人かでかたまって避難している人たちが、かすかに「ブラボ・・・」と口を動かしてくれる。お祭り騒ぎしてる状況じゃないですよね。
 日本人の方2人が、雨中の道路に飛び出して来られて、並走をはじめてくれる。ほっ、これで1人ぼっちじゃなくなった。1人は10年前に僕をこのレースに誘った方。「スパルタスロンって楽しいよ! 来てみたら?」とピクニックに出かけるような気軽さで、この道に僕を引っぱり込んだ。そこからドロ沼の中年人生がはじまった。道端にゲロをゲーゲー吐きながら涙ながらに「楽しいなんて絶対ウソだ」と恨みつづけて9年め、今ようやく「楽しいよ!」の言葉が真実だってわかった。ヘンテコで豊かな人生の舞台に導いてくれて感謝しかない。
 1人は脚に重い負傷をし、今回はギリシャまでやったきたにも関わらずスタートラインに立つことが叶わなかった方。痛くて着地もままならないはずなのに、全力疾走の僕と同じスピードで並走し、すぶ濡れになって写真を撮ってくれている。「また怪我するし、そんなに走ったらアカン!」と叫ぶが聞き入れられない。
 先導してくれる2人の足が、水びたしの路面を打って白波を立てる。なぜだか僕は、そればかり眺めていた。ふと気づけば、レオニダス像が眼の前に大きく立ちはだかっている。
 最後の花道をあっという間に駆け抜けてしまった。感傷にひたる余地なく、8度のリタイアシーンを回想することもなく、フィナーレの地に着いちゃった。
 スパルタスロンは、この銅像の足にタッチした瞬間がゴールなのだ。ぼくは9年間、レオニダス像には一歩たりとも、いや10m以内にも寄りつかなかった。像の台座へのアプローチとなる大理石造りの5段の階段すら登らなかった。この像に近づき、触れていいのは、完走するときだけと決めていた。
 初めて階段を登る。バージンロードをしずしずと歩く、けがれなき新婦の心境ってこんなの? たったの5段なのにずいぶん遠くて高い階段だったわ。
 台座に刻印されているのはレオニダス王の「奪りにきたらよかろう」の言葉(※)。ついに、やってきましたよ。
 銅像の真下に立ち、見上げる。遠目にしか眺めたことなかったけど、実物は想像していたよりデカい。レオニダス王の左足に触れる。へぇー、銅像の足って台座からはみ出してるんだ。彫像士、芸が細かいね。
 足首に抱きつき、足の甲の部分に頬ずりする。先着の選手がここにチューをしたり、祈りのポースを決めてデコをすりつけるのは定番。汗と脂と雑菌だらけなんだろな。ぼくのデコの脂もすりつけてやるオラオラ。
 空気は冷たく、銅像は濡れそぼっているのに、レオニダス王の足は温かくてボリュームがあった。僕を見下ろす彼の目は、父のような優しさに溢れていた。                  

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(※)「奪りに来たらよかろう」

 レオニダス王が戦死を遂げた「テルモピューレ峠の戦い」において、死の数日前に放った言葉である。
 ギリシャの征服を目論むペルシャ王が、二十万人軍勢をずらりと並べ、たった一万人しかいない貧弱ギリシャ連合軍・・・なおかつ最前線に立ったスパルタ兵わずか三百人に対して、こんな伝令を出した。
 「そっちが武器を差し出したら戦闘なしで許してやるよ、占拠はするけどな」
 無血講和を申し込んだペルシャ王に返したのが、次のレオニダス王の伝説的ゼリフ。
 「(武器が欲しいなら、そっちが)奪りに来たらよかろう」
 まさに「喧嘩買ってやるよ! 二十万人VS三百人でもなっ!」な男気マックスな返答。全員討ち死にするとわかっていて、息子(家系を受け継ぐ跡取り)のいるオジサン兵士だけを三百人選び、その三百人でペルシャ兵1万人ほどをなぎ倒し、だけど結局ひとり残らず玉砕しちゃったスパルタの男たち。彼らの勇敢さを象徴する言葉なんである。
 その言葉は2500年後の今に伝わり、スパルタスロンに挑む選手たちに「完走するのが夢か? 欲しくば獲りに来い」に変換され、ゴールをめざす合言葉となっている。

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 ぼーっとしてたら次にゴールする選手の邪魔になる。さっさとゴール後のセレモニーに入ろうか。例年なら、ギリシャ神話の女神の格好をした美女たちが3人ほど待ち構えていて、完走者にそれぞれ記念品を贈呈してくれる。暴風雨のため本日は女神も撤収。もこもこのフリースを着た丸顔のオッチャンがひとり、記念品セットを両腕に抱えこんで、満面のほほえみを湛えて待ち構えている。オリーブを編んだ冠を頭にポンと無造作に載せてくれ、完走記念盾をひょいと渡され、そしてエウロタス川の水が入った水差しから水をもらう。エウロタス川の水を飲まされる理由は、これまた故事に基づく。アテナイ国よりはるばる250kmを徹夜で走り、援軍を頼みにはせ参じた伝令兵に、スパルタ国は助けを断ったあげく、川の水だけ飲ませて返したという逸話に従ってのもの。
 2500年後の今、郊外を流れるエウロタス川は、生活排水がドボトボ流れ込んでいる雰囲気大ありだが、まさかホントに史実に従って、あの水を汲んでるんだろうか。さすがに胃腸強靭なランナーとてお腹を下しそうだし、きっと中身はミネラルウォーターにしてくれてるって。そう信じることにして、ゴクゴクと喉を潤す。
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 さてさて感動・・・あったのだろうか。嗚咽したり、涙を流したりはなかったな。
 ただ楽しくて、ただ楽しかった。それだけで十分だ。
 人生はなかなか思いどおりにはいかない。ほぼ上手くいかない。
 スパルタスロンもまた、吐いて、倒れて、絶望しての繰り返しだった。走ることなんて仕事じゃないし、ただの趣味なはずなのに、気がつけば人生の多くの時間と熱量をこんなのに費やしてしまった。上位で完走できるならまだしも、半分の距離(123kmエイド)まで進むのに7年もかかり、都合8回失敗してやっと1回うまくいった。それだけのことだ。でもそれで十分だ。
 スパルタスロン246.8km、33時間22分04秒。
 夕方4時すぎ、大嵐の中、ほぼ人知れずゴール。   (つづく)