公開日 2026年10月16日
バカにバカの本を贈ってはならない
酸欠脳と高野秀行
探検家の高野秀行さんの本は、ちょうどいい。何にちょうどいいかというと、イカれた環境で読むのにちょうどいいのだ。
まず小難しいことを書いてない。探検家にありがちな、探検論を振りかざす内省的なベクトルがない。椎名誠や糸井重里に代表される昭和軽薄体の文体みたいな、笑いを取りにいってる浅ましさがない。
身にふりかかってくる珍妙な出来事に、巻き込まれていくだけなのだ。
要するに、偉そうにしてない平易な文章で、こちらの脳がパンクしていて、しかも耐えがたい時間を何かで埋めなくてはならないときに最適なのだ。
高山病で息パクパクのテントの中や、周りがナタを持った山賊だらけの村や、アタックされると肌に穴が開く巨大虫がトタン屋根をバンバン叩く夜だ。
高野さんは知り合いでも何でもないけど、存在した空間と時間が一致しているのも、親しみを感じる要因だ。
高野さんが早稲田大学探検部メンバー11人のリーダーとして、アフリカのコンゴの妖獣・ムベンベを探しにいった1987年の夏、僕はザイール(現コンゴ民主共和国)でコンゴ川を木彫りのカヌーで下っていた。2人は20歳と19歳だ。若いのにバカである。
高野さんは20歳にして新聞社を後援につけ、松下電器(現パナソニック)、大塚製薬から蚊取り線香の金鳥まで名だたる企業の支援を受け、コンゴ政府を介しての50人規模の大探検隊を組織した。一方の僕は、ひとりジャングルで美女の尻を追いかけるだけの放浪者。オーガナイザーとしての能力がぜんぜん違う。いずれ探検を職業にする人は、出だしからレベルが違う。
高野秀行は1966年生まれで、僕は1967年生まれ。彼が早稲田大学に通っていた時期に、僕は西早稲田に住むともだちの家に居候していた。パチンコ屋「みよし」で一発台のスーパーコンビを打ち、当たりがでたら1万5000円。その金で隣の「大昌苑」で焼肉を食い、銭湯の「金泉湯」に浸かるのが日課。出版社のバイトで食いつないでいた。高野さんも同じ界隈をうろついていたはずだ。
僕が密かに「三大高野」と呼んでいる作品がある。どの作家にも、その人の作家人生でもっとも筆が乗り、感性が輝きまくっている時があると思うが、高野さんにおいてはこの三冒険だ。
西南シルクロードは密林に消える
アヘン王国潜入記
謎の独立国家ソマリランド
僕の所には、たまに変な大学生や高校生がやってくる。
「卒業したら就職をせず、世界を見てまわりたいんです!」という珍獣なヤツらだ。そうゆうバカには住所を聞いて、この「三大高野」をamazon経由で強制的に贈りつけている。
「世界を見てまわるって、こうゆうことなんだぜ! けっこう大変だし、たまには命がけなんだよ! それでも君はやれんのかい?」というあきらめを促すメッセージだ。世界放浪なんてアホな目標は捨て、さっさと就職しなさい。
なんせ僕は、君の親から「バカな息子をあきらめさせてください」という密命を受けているのだ。
しかし、少年たちからはこんなお礼状が届く。
「ありがとうございます! 僕も高野さんみたいになりたいです!」
しまった! バカにバカの本を贈れば、こうなるに決まってるじゃないか!
戦争はなかなか終わらない
大した用事もないのにロシア大使館に電話してみた。ロシア語しか喋ってくれないので、知ってるロシア語を並べてみたけど、通じなかった。ニェット、ズブロッカ、ボルシチ、ヴォルク・ハンくらいだけど。
ビザセンターってとこに電話しろと命じられた。ここは英語がかすかに通じた。ロシア査証を取るには、滞在中のすべての宿の予約バウチャー(証明書)が必要だって。
それで宿を予約代行してくれそうな、ホームページで「ロシア旅行専門」ってうたってる旅行会社に次々と電話した。ところが「ちょっとお待ちください」と言ったまま電話がブチっと切れたり、「はぁ?何のために?」と旧共産国家のヒゲぼーぼーの国境管理官のような対応が続いた。
一社だけ、すごく話のわかる旅行会社の人がいて、ロシアに入って極北・極東エリアに潜り込む裏ワザを教えてくれた。ありがとう! だけどそのやり方は命がけだな。
長い旅をしていると、しょっちゅう戦争や紛争にでくわす。悲しいことだ。それでも人びとは強く生きている。
俺は歌わない。
バギズム、シャギズム、ドラッギズム、マディズム、ラギズム、タギズム
「war is over」なんて呑気な歌は歌わない。
夢想はいつか必ず現実となる
3コめの大陸徒歩横断の白日夢をしょっちゅう見ている。
行手に立ち塞がるな〜。壁だな、アフガニスタンと中国奥地。地図をどうひっくり返して眺めても、合法的に入れる道が皆無だわ。
自足によるユーラシア大陸横断は、今までやった人が数人いるが、知る限りそのすべてがロシアルートだ。つまりユーラシア大陸横断といっても、大陸の西から東まで欧州文化の影響下を走っている。
ユーラシア大陸がいちばん面白いのは、文化・様相の極端な変化なんだ。南回りには超近代と中世と古代が同居している。ロシアルートにはそれがない。そして南回りは、針の糸を通すような道しかない。だからわくわくするんだ。

北の島へいこう
日本の戦争報道はおおむね一方的で、ステレオタイプに悪VS善の構図を描く。映像素材や前線取材の記事を西側諸国の報道機関から買っているので、まあそうなる。
かつてベトナムやカンボジアの最前線で、命懸けで取材した日本のジャーナリズムは今はない。三つ星ホテルのベランダでカメラを超望遠にし「安全な場所から中継しています」とわざわざ枕詞を述べる。
ロシアやイランは悪の枢軸ということになるんだろうけど、僕は自分の目と皮膚で経験したことしか信じない。
かつて旅したイランやソビエト連邦の市井の人たちは、世界のどの国の人より親切で、おせっかいなほど面倒見がよく、道に迷えばどこまでも連れてってくれるような人たちだった。
世界史上、最も悲惨な大虐殺の地となったザイール(現コンゴ民主共和国)東部のおじさんおばさんたちは、歩き旅の僕に信じられないほどの施しを与えてくれた。お姉さんたちはチャーミングだった。
僕は、「せーんそうはんたい♪」と日本語で歌っていたボーイ・ジョージや、「戦争お好きでいらっしゃいますか?」とハスに構えてカッコつけてたスネークマンショー世代だ。軽々しさはぬぐい去れない。
戦争が終わったら、あの島にいって走ってみたい。そして安全を確認できたら、たくさんの人に走ってもらおう。障壁はいろいろあるけど、やると決めたらやるし、やれる選択肢しか見えない。


地図がない旅がいちばん面白いのだ
地図のない旅を長くしていた。
地図を持たず、太陽の位置や、川の流れの上下や、人からの聞き伝えで、次の目的地を決めていく旅だ。
最初からそうしようとしたわけではなく、アフリカのジャングル地帯で完全に地図の空白地帯があり、どうしても東から西へ向かいたかったので、地図のない旅となってしまった。毎日が冒険の連続だった。カバに襲われかけたり、ナタを持ったおじさんに追いかけ回された。その痛快な面白さの虜になった。
今から向かう先が空白で、まったく何があるのかわからなければ、すべてが予測し得ない出来事となる。木に果実がなってるだけで大興奮し、村や水場が近づいている気配がすると有頂天に達する。
「ロンリープラネット」「シューストリング」「地球の歩き方」といったガイドブックを持って旅をしたこともある。ミシュランの地図に頼ったこともある。
ガイドブックや地図にはゆく先に何があるか、すべて書かれている。一ノ瀬泰造が命懸けで目指したアンコールワットも、河口慧海が生涯を捧げた中国奥地の旅も、ガイドブックを読んで予備知識を蓄えて訪れたら、ものすごい遺跡に対面しても特に興奮はしない。「そこにあるのが当然」だからだ。
地図のない旅の面白さを、たくさんの方に知ってほしいなって思って、馬鹿道(バカロード)という大会らしきものを始めた。タイムも順位も出さないので、マラソン大会ではないと思う。
ふだん社会の規範や常識のなかできちんと生きてらっしゃる方々を、たまの長い休日に社会の外側、管理の外側へとお招きしたい、と思ってやってる。
コンセプトがインディーズすぎて、推しが10人いるかいないかの地下アイドル状態になっている。3人しか参加者がいない大会なんて、現代でありえる? 僕は少ないほどワクワクしてるんだけど。「採算とれてるんですか?」と参加者に心配されてる。あはは、数字なんて見なけりゃ何も起こってないのと同じですよ。




