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2011年06月01日

バカロードその25 北米大陸横断レースへの道 その6 室戸岬130キロ走
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

 長距離ランナーは黙して走る。
 作家アラン・シリトーが没して1年。
 孤独、怒り、やるせない気持ち。
 半世紀たっても、人の本質は変わらない。

 深夜12時、徳島県庁前の交差点よりスタート。
 小雨ぱらつく雨空、風速は8メートル。強風注意報が出ている。
 国道55号線を南にくだれば、夜間でも照明の明るい沖浜の市街地圏を2キロ少々で脱ける。園瀬川を渡ると手持ちのライトで足元を照らさなければ走れない暗さ。不思議なものだ。ふだんの印象だと市街地がもっと続いている感があるが、自分の脚で移動すると街はあっけないほど小さい。
 小松島ルピアには40分で達する。深夜は信号で止まる回数も少なく、あっという間である。同じ道をクルマで移動すると渋滞などあってけっこう遠くに感じるものだが、ランニングだとすぐそこレベルの距離感。県庁から7キロ少々だしね。クルマだと実際の距離以上に長く感じるのかも知れん。
 赤石トンネルまでは、田んぼの中の直線一本道。さみしくなってきたのでAMラジオをつけると「AKB48のオールナイトニッポン」が始まった。今宵のDJは大島優子、篠田麻里子、柏木由紀が担当らしい。AKBメンバーの名前なんて小野恵令奈以外ほとんど知らんが、この3人なら名前と顔が一致する。ということは豪華競演日に当たったのか、ラッキーだね。しかし、オールナイトなんて聴くの何十年ぶり? 必死こいて聴いていた中学生の頃は、後にオールナイトの第二次黄金期と称された時代で、当時まだ30代のビートたけし、タモリ、中島みゆき、笑福亭鶴光らが、アナーキーで放送コード無視の異様な世界を形づくっていた。
 崇拝の対象であったビートたけしのオールナイトニッポンを拝聴する際は、ラジオの前に正座してた。たけしの金言は、もらさず生徒手帳に書き込んだ。酔っぱらって心をさらけ出す師に、泣きながらラジオにかじりついた。まったく玉音放送じゃないってーの(たけし風ノリツッコミ)。
 そーいやぁ一度、笑福亭鶴光から自宅に電話がかかってきたことがあったけ。が、その日は寝ていて電話を取れず、月曜日に学校で友達に「鶴光の電話、出えよ!」と教えられた。鶴光師匠からの電話を受けたリスナーは、受話器を取った瞬間、「ええか?ええのんか?最高か?」といやらしい言葉で応じるローカルルールがあった。全力で言いたかった。わが青春譜に書き加えられるであろう輝ける瞬間を逃したこと、今でも後悔している。
 時代をへて平成のラジオはAKB。篠田麻里子が韓国で焼肉食べてきましたぁ的などうしようもないグタグタな話を聴きながら、那賀川橋の鉄板仕立ての歩道をぐわんぐわん鳴らして走り、(これ、雨の日にばーさん、すっ転ばぬか)などと余計な心配しながら、橋のたもとの水飲み場でドリンクボトルに水を充填する。
 那賀川南岸の坂をくだると国道55号から逸れ、桑野・新野経由の県道にはいる。右前方にうっすらと、世界に伸びゆく日亜化学の工場群の威容が浮かぶ。新たな研究棟の建設をしているのかクレーンが何基も見える。従業員は7000人もいると聞くが、ちょっとした地方自治体の人口に匹敵する。その割にこの周辺、おでん屋やらキャバレーやらスナックやら青い灯、赤い灯またたく歓楽街ができそうな気配はなし。車通勤が多いから飲み屋は流行らんのか。なら代行送迎サービスとセットで店出そうか、などと空虚な事業計画を立てる暇つぶし。
 深夜3時にJR桑野駅前。駅舎には煌々と蛍光灯がついている。中でひと休みしようと引き戸に手をかけると、ガラス戸の向こうにベンチに横たわっている老人あり。かたわらにはママチャリの前カゴと荷台に山と積まれた遍路用具。野宿でチャリ遍路中ってわけね。齢70以上とおぼしきその顔は太陽に焼かれ赤黒く変色している。薄い綿の布を一枚かぶっただけで、蛾の舞う蛍光灯の下、一夜の暖をとるストイックさ。彼に物欲はあるのだろうか。身体の芯まであたたまる温泉や、ふかふか太陽の匂いのする羽毛布団にくるまる幸福以上の何かを遍路路に見つけたのだろうか。
 ご老人の熟睡を邪魔せぬよう、駅の玄関の地べたコンクリに腰かけ、コカコーラを荒々しくあおる。
 (結局、目ざすべき場所は、あの老人の位置だろう)と思う。そして(今はまだ無理だけど)とつけ加える。
 桑野と新野の町境にある花坂という美しい名の峠道を越えるのは恐い。
 理由がある。十代の頃のトラウマだ。
 この峠道の県道には、旧道である細い脇道が蛇行しながら並行している。街頭もなく真っ暗、通り過ぎる車もないこの場所は、かつてマイカー車中にて男女がまぐわうにほど良い場所とされていた。当時のぼくは生活圏半径5キロ圏内において、誰かが車でエロ行為をはじめると自動的に情報が入るというネットワークを有していた。インターネットなどない時代なのだがね。われわれ悪者どもは、その真っ最中の車にそろりそろり近づき、さんざん見学を楽しんだあと、車のボディを思いっき左右に揺さぶって、男女をパニックに陥れるという遊びに夢中だった。(きっと犯罪です。よい子のみんなはマネしないでね)。ところがある晩から、リーダー格の超暴力的ヤンキーの兄さんが「もう二度とあそこには行かない」と言いだすのである。
 何があったのかと話を聞けば、深夜蛇行道をクルマで走っていると、絶対に人などいるはずのないこの場所に、白装束で全身ぐっしょり濡れた女が立って、紫色の目玉をぎょろぎょろ動かしながら、クルマのボンネットに乗っかってきたというのだ。ふだん恐いもの知らずの超暴力的ヤンキーの兄さんだが、自宅に戻って50度の風呂に浸かったが、それでも寒くて寒くて震えつづけたという。
 その濡れた白装束の女のイメージが頭を離れない。ぼくは全力失踪で峠道を駆け抜ける。汗がヒジの先からしたたり落ちる蒸し暑い初夏の午前4時。暑く感じるはずなのに、背中には悪寒が走り、両腕には鳥肌が立ちっ放しである。
 35キロ走って、国道55号と再合流。ここからの道はうねうねと左右にカーブし、アップダウンがはげしくなる。ときおり通過する車は時速100キロ近くで飛ばしている。ドライバーもまさか丑三つ時の山中で、人が走っているなんて想定して運転してないだろう。存在証明用のハンドライト、足元を照らすヘッドランプ、後方用の赤点滅灯を再確認する。歩道のない場所は必ず右側通行だ。万一、クルマが突っこんできても前方からならゼロコンマ数秒こちらも反応できる。
 恐い。
 こんなにも車を恐いと感じたことはない。
 わずか一週間前、大切な仲間を失ったのだ。
 500キロの超長距離レースの真っ最中に、飲酒居眠り運転のクルマに後ろからノーブレーキで突っこまれ、亡くなった。深夜2時だった。
 ぼくは事故現場から300メートル後方の鉄道駅舎で仮眠をとっていた。救急車とパトカーのサイレンで目覚めた。駆けつけると最悪の事態が起こっていた。救命士2人に心臓マッサージを受ける彼がいた。
 全身に何カ所も照明具を着け、慎重に慎重を期していた彼なのに、このレースに強い思いをもって参加していた彼なのに、その直前まで力強く走っていた彼なのに、何と無惨なことが起こるのか。
 事故のあと、ぼくは茫然自失となり何もできなかった。そしてこれからも何もできない。
 猛スピードでかたわらを通り過ぎるクルマの風圧を感じながら、彼の名前を頭で反芻する。そんなこと、何かやったうちには、もちろん入るはずもない。

 空が白くなってくると、日和佐道路の青い陸橋が遠くにかすむ。
 午前6時に道の駅ひわさ到着。ほぼ50キロに6時間かかった。県庁を出発する頃は、100キロ通過でそれなりのタイム・・・10時間台で走ろうと決めていたが、真正面から吹き続ける風と、予想以上に暗い道に足元をライトで照らしながらの走行で、スピードがあがらない。さらには、この国道沿いに頻繁に現れるお遍路さん用の休憩小屋の誘惑に耐えかねる。
 横になるのに適当な木製のベンチが視界に入ると、「ちょいと一寸休憩でも」の誘いを断ち切れない。そもそもぼくは快楽に溺れたい精神志向性があり、気持ちいいもの、美味しいもの、悪質なものには身体をすりすり擦り寄せてゆく傾向が強い。コンビニが現れる度にエクレアとガリガリ君を補給し、自販機があれば甘さに舌が痺れるジョージアオリジナルをじゅるじゅる啜る。そして、休憩に打ってつけの遍路小屋の連続。これじゃあ一向にタイムが上がらない。
 スタートから65キロ走ってJR牟岐駅前を通り過ぎ、いくつかのトンネルを抜けると別天地にように碧く輝く内妻海岸の海。30、40人ものサーファーたちが波間に漂っている。ここから始まる海岸線ロードは爽快このうえない。真っ暗なバイパス道、変わり映えのしない人工林の山道を走り続けた自分へのご褒美である。心なしか徳島市あたりより日射しも強い。海はゴーギャンが描くタヒチの絵のような濃紺。台風が化けた低気圧が太平洋上のすぐ近くにいるため、波はきれいなチューブを巻いている。トンネルを抜けるたびに季節が少しずつ先に進み、いつしか初夏のサーフシティに放り出されたような錯覚。
 JR海南駅前に午前10時着、ここで80キロジャストだ。待望のスリーエフを目撃。スリーエフは主に関東圏と高知県に展開しているコンビニだが徳島県内では唯一海南店のみ存在しているのである。店内のカウンター横には、お店の厨房で作られた温かいお弁当が並んでおり、大ぶりなオニギリ2個を確保。レジで会計をすませていると、カウンター上にアイススムージーのマシンを発見。シャリシャリの氷ドリンクが縦回転している。さすが季節を先取りした(あるいは一年中?)スリーエフ。スムージーを追加注文し100円を払うと、カウンターのお姉さんがこちらをじっと見つめている。ぼくもお姉さんを見つめ返す。この空気感はなに? 何かがはじまる予感?と鼓動を速めていたら、お姉さんに「スムージーこちらで入れましょうか?」と尋ねられる。ハッと我に返る。そうか、このスムージーはセルフで入れるものなのかと察知する。お姉さんはすでにカウンターから外に出て、「好きなだけご自分で入れてもらえるんですよ」と説明しながら、シャリシャリとカップに入れてくれた。なるほど、スリーエフ業界ではスムージーは自分のお好みで盛るってのが常識なのだ。今日もひとつ賢くなったぜ! どでかいオニギリ2個とスムージー大盛りをたずさえ、店舗の裏の地べたに座り込み爆食する。
 海部川にかかる橋を渡り終えると海部川風流マラソンの5キロ地点あたり。マラソンコースとなる堤防上の道を遠望しながら、今は静かなこの辺り一帯が大観客で埋め尽くされていたのだなと感慨にふける。
 那佐湾の奇景を過ぎると道はゆるい左カーブを描き、いくぶんドラマチックに宍喰の海岸線が近づいてくる。空と海の境界線が不要な一面のブルーに覆われる。沖から大きなうねりが何層もの弧となり押し寄せては白い波濤をたてて崩れる。道沿いの駐車場に無数のピックアップトラックや箱バンが並び、サーファーたちがポリタンクでつくった簡易シャワーで水浴びをしたり、ディレクターチェアに座って眩しそうに太陽を仰いでいる。こんなに若者がたくさんいる光景、なかなか徳島ではお目にかかれない。
 四国をジャーニーランするといつも実感するが、この島はフトコロが深い。アメリカ西海岸のポップカルチャーの象徴であるサーフィン・ビーチを背景に、空海が山岳修行して以来1000年余も受け継がれてきた四国遍路をゆく旅人が金剛杖をついて歩く絵柄。異質な文化が同居する宍喰が持つ得体の知れぬ圧力。四国ってほんとにおもしろい。
 道の駅・宍喰温泉は県庁から88キロ。ここが第一目標地点である。午前11時40分、昼前に着いて何となく幸せ。防波堤上に座ってアイスシャーベットをかじりながらサーファーのライディングをぼーっと眺める。汗が乾くとチリチリと太陽に焼かれ肌が痛い。よっこらしょと腰をあげて、いよいよ高知県境を越えて土佐路に入る準備をする・・・といっても特に何かをするわけでもない。また走りだすだけだ。
 水床トンネルを抜け出すと県境の表示がある。甲浦の漁港をまたいで白浜ホワイトサンドビーチに降りる。生見海岸を過ぎる頃には、照りつける太陽の影ははっきりと黒く、ザワザワと揺れる木立の存在感もまた真夏の到来を予感させる。
 野根の漁港横を真っ直ぐ伸びる道を走っていると、突然フラッシュバックが起こる。
 この道をずいぶん前に走った。あれは何だっけ。今と同じように必死に走っていた感覚が残っている。
 そうだ、あれは高校2年の真冬、大晦日の夜だ。
 ぼくはバイクに乗って1人で室戸岬に向かった。
 クリスマス・イブに、一コ歳上の女の子にフラれたとこだった。ひたすらその女の子のことを考えてバイクを走らせていた。
 バイクと言ってもかっこいいロードバイクじゃなくて、親父のスクーター、ホンダ・スペイシーである。コテコテの商用バイクでしかもゴールドメタリックというイカれた配色。ダサいのはバイクだけじゃない。オカンに「寒いけん、これ着ていけ」と無理矢理着せられた親父の黒い革ジャン(革ジャンレプリカで実はビニジャン)に、軍手2枚重ね。ボトムはパッチの上からジャージ2枚のトリプル重ね、足元はゴム製のオッサン長靴という最強のファッションだ。
 初代ホンダ・スペイシーが当時売りにしていたデジタル液晶文字で表示されるスピードメーターは画期的であった。ぼくはスロットルを目一杯全開にし、最高速度が何キロ出るかひたすら挑戦した。デジタル数字が示した最高記録は、時速91キロ。それ以上は、どんなに身体をかがめて空気抵抗を減らしても、下り坂をかっ飛ばしても出なかった。「100キロ」に届きたかった。もしかしたら、時速100キロを出せたらそのまま何かに激突して死んでもいいやって思っていたかも知れない。男子高校生が、歳上の女の子にフラれるということは、それほど大きな出来事なのであった。
 2011年のぼくが今テケテケ走っているこの道を、1883年のぼくは薄っすら明るくなる日の出まぢかの太平洋を左手に、室戸岬の先っぽで初日の出の瞬間に間に合うか、間に合わないかのスリリングなゲームに賭け、ガムシャラにバイクを飛ばした。
 室戸岬に着いてから、何をしたかは覚えていない。岬では、きっと何もやることがなかったんだろう。日の出に間に合ったのかどうかすら記憶にない。唯一脳裏にある映像は、公衆トイレでオシッコしようとしたら、青く変色したちんちんが1センチくらいまで縮んでいた場面。真冬にジャージ2枚とパッチの重ね着で、片道100キロをぶっ飛ばす行為は、男子高校生の肉体に深刻なダメージを刻んだのだ。あと、帰り道がうんざりするほど遠かったことも覚えている。

 100キロ地点を13時間26分で通過。サロマ湖100キロウルトラマラソンなら制限時間オーバーだな、と少し悔しむ。

 野根の漁村から鯨観光で有名な佐喜浜の街までおよそ13キロの間は完全な無人地帯となる。自販機もなく、水道もなく、休憩ベンチすらない。ただ打ち寄せる荒波と、屏風のように何層にも重なり続く岬の連続だ。あの岬を回り込んだら街があるかも、という期待は何度も裏切られる。遍路客にとっても第23番札所薬王寺から第24番札所最御崎寺への75キロの道は、難所の一つとして数えられる。特にこの野根からの無人地帯は修行的要素をはらんでいると思う。
 佐喜浜港の手前で、前方をゆく1人の歩き遍路客に追いつく。よく見れば、6時間前に牟岐町の駅前で見かけた人だ。どう考えてもおかしいぞ。50キロも後方で会った遍路客とここで再会するはずがない。なんせこっちは走っとるんだから。
 追い越しざまに挨拶を交わし互いに事情を話す。彼は短い休暇を利用し、昨晩名古屋から夜行バスを使って徳島入りし、始発列車で日和佐あたりまで行って、そこから室戸の最御崎寺を目指している。一般的な遍路人なら3日かかる行程をたった1日で高速移動している理由は、「ちょっと鍛え直そうかなーと思って」。元々ロングディスタンスのトライアスリートであり、ウルトラマラソンの経験もある彼は、再びレースの世界に戻ろうかという思いがあり、遍路とトレーニングを兼ねた旅をしているのだ。走りと歩きをミックスさせて、なおかつ休憩なしで日中に80キロ近くを移動している。すごいペースである。
 10キロほど彼と併走するが、眠気に襲われペースについていけない。そういえば諸事情あって一昨日も寝ておらず、60時間つづけて起きている。いよいよ立ってられないほど眠く、同行の彼にペースを合わせてもらうのが気の毒になり、先に進んでもらう。夢うつつ状態でトロトロ走っては、バス停のベンチで5分くらい居眠りしたり、自販機にもたれて眠りこけ、手に持ったジュースをこぼして股間を濡らしたりする。
 ここいらの海辺の民家は、巨大なコンクリート製の防潮壁を築いている。高い物だと道路面から3メートル以上。厚さ1メートルにも及ぶコンクリート壁をくり貫くように外玄関が設けられているが、なぜかドアの配色はオレンジやら朱色やらの極彩色。薄く開いた外玄関の奧には、ごく普通の家屋と庭が見える。アラビアの要塞都市カスバの城壁と、純和風住宅の組み合わせ。日没まぢかのトワイライトゾーンに不思議な御伽草子の世界に迷い込んだよう。
 ラスト10キロくらいはちゃんと走ろうかな、と思う。「岬まで10キロ」の距離表示が現れるが、足に力が入らない。仕方ない、ラスト5キロで本気を出そう。でもやっぱダメだー、夢遊病状態なのだ。室戸岬を白っぽく包む残照が眠気を誘う。店じまいを終えた土産店はシャッターが降り、取り残された観光客やカップルが所在なくうろついている。
 幾つものレースの終幕に等しく、この130キロ走にもゴールの歓喜はない。
 恋に傷つき暴走したアンニュイ高校生の頃も、人生に迷走するオッサンになった今も、求めているのはゴールではない。無謀で、無意味で、素っ頓狂な、ゆくあてのない移動の連続なのだ。

2011年05月28日

家づくりは人生最大のエンタテイメントだ!徳島の家[実例1000]がついに発売!

ie2_hyoushi先月完成したばかりの家も掲載されるなど、初公開の新作物件が満載。352ページにわたって1000件以上の住宅写真がたっぷり掲載されています。そして、県内で活躍する200社の工務店、ハウスメーカー、建築事務所ごとに紹介しております。徳島でマイホームを計画中の人は必見の1冊。県内の書店、コンビニ、スーパーでただ今好評発売中です。こんなに分厚くて500円というお値段も魅力的です。

2011年05月26日

有名ドコロだけど未体験…そんなスポット集めました!タウトク6月号 tokushima-tautoku1106★徳島おもしろ観光案内ベスト100
「きっとまだ行ったことない」おもしろスポットをどどんと100カ所紹介。藍染め体験、クルージング、山奥に潜む滝、ブルーベリー摘みなどなど…徳島にはまだまだおもしろスポットがあった!
★本当に美味しいお店の人気メニューベスト3
もう注文時に迷わない!カフェ、洋食、お魚、うどん、あの店の人気メニューがばっちり分かる。
★高校総体いよいよ開幕!
総体にかける高校生たちの思いを事前リポート。

2011年05月18日

さらら5/19号を読んで、新しい産直市にでかけましょ♪ salala519お得なお買い物スポットとして、地元の魅力を楽しめるレジャースポットととして…とにかく大人気の産直市。この1年でオープン、もしくはリニューアルしたお店もいっぱい。このお休みの予定は、産直めぐりに決定だ〜!

表紙のさらランキングは「最近つい買ってしまったものランキング」。「ええい買ってまえ!」 と衝動的に購入したモノと、「ほれが意外と良かった!」というポイントを徳島の男女に聞きました!

2011年05月16日

バカロードその24 北米大陸横断レースへの道 その5 70日間5135キロ
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

 北米大陸横断レースのスタート日まで2カ月を切り、大会の輪郭が徐々に明らかになってきた。現時点で決定していることをまとめてみた
【スタートとゴール、日程】
 6月19日にカリフォルニア州ロサンゼルスの南部、ハンティントンビーチの海岸よりスタートし、8月27日にニューヨークのセントラル・パークにゴールする。

【距離】
 総距離は5135キロ。
 70日間、1日の休日もない連続ステージ・レースである。
 最も長く走る日は95.4キロ、最も短い日は42.2キロ。1日平均は73.3キロである。
 80キロ以上を走る日が20日間、うち90キロ以上が4日間。

【制限時間と失格】
 「時速5.7キロ×コース距離」の計算式で、毎日の制限時間が決定される。
 1日平均12時間52分。最長日は16時間44分である。
 1日の終了地点への到着が制限時間を越えると失格となる。

【サポートクルーの義務づけ】
 レース開始から13日目、875キロ地点のアリゾナ州フラッグスタッフという街までは、サポートクルーの同行が義務づけられている。
 サポートクルーの主な役割を列記する。サポートカーの手配と運転。数キロおきに選手に食料や水を提供する。必要な物資調達。毎日のゴール・スタート地点と宿泊施設間の送迎。
 14日目以降は、サポートクルーなしでの走行が認められる。その場合ランナーは、主催者が提供するエイドで補給を受ける他は、自らの責任で水や食料を調達する。

【サポートクルーのいないランナーの荷物預け】
 主催者に依頼することができる。毎日のスタート地点から終了地点まで運んでくれる。荷物の数は1人につき2個まで。費用は100ドル。

【主催者側のエイド】
 主催物は、約6.4キロごとにエイドを設ける。水やエネルギードリンク、コカコーラ、シリアル、エネルギーバー、塩クラッカーなどが提供される。

【食事】
 朝食は主催者が提供する。内容は、紅茶、コーヒー、砂糖、パン、ジャム。これらを1つのボックス(弁当箱)にまとめ、毎日のステージ終了後に渡される。朝食以外の食事は、選手が自分自身で調達する。

【携帯物の義務】
 走行中は必ず1.5リッター以上のウォーターバックあるいはボトルを持たねばならない。
 また、現金10ドル、当日のレースシート(コース表)を携帯しなければならない。
 夜間走行中あるいは視界不良時には、ヘッドライトと蛍光ベストを着用しなければならない。
 宿泊施設のいっさいない地域でキャンプする場合に備え、以下の装備を用意しなければならない。
 テント、寝袋、お椀、皿、カップ、箸。

【失格時の措置】
 レース開始から7日以内に失格(制限時間オーバーなど)や自己申告リタイアした場合は、大会にとどまることは許されない。近隣の都市に移動し、帰国する。
 レース8日目以降に失格、リタイアした場合は、他のレース参加者に迷惑をかけないよう配慮したうえで、コースを走ることができる。その場合は、ゼッケンを外すとともに、記録測定はされず、順位は表示されない。

【参加費】
 6500ドルである。日本円で約50〜55万円相当。

【現在の出場予定者】
 イギリス人2名、フランス人4名、ドイツ人3名、イタリア人1名、オランダ人2名、日本人4名、合計16名。
 男性14名、女性2名である。最年少は31歳、最年長は69歳。

    □

 以上があらましだ。そしてコースの詳細も明らかになった。あらためて行程表をながめると途方もない。
 最初の1000キロは荒野と砂漠をゆく。気温は50度近くまであがり、路面温度は60度にもなる。やがて標高3000メートルのロッキー山脈越えだ。繰り返される数百メートルの登り下りを薄い酸素をゼーゼー吸って粘る。ロッキーの東側には果てしない農地が広がる中部平原地帯。真っ直ぐな1本道が地平線よりもっと向こうまで続く。さらに高温多湿な東部の低地帯で真夏の太陽に焼かれ、ゴール間近の最後のダメ押しは起伏の激しいアパラチア山脈越えが待つ。
 毎日、平均73キロ。1日たりとも休みはない。
 予想するに、スタートから7日目までには何かしらの限界が訪れていると思う。極度の疲労か、深刻な関節の痛みか、免疫低下による病気か。根性とか信念(もともとないけど)は早い段階で消失霧散し頼れるツールではなくなっていて、ギラギラしたものはさっぱり洗い流されて、たわいもない薄っぺらな人間性だけが、ノーガードでむき出しになった状態になるんだろう。「で、ぼくはこんな状態になっちゃいましたが、どうしますか?」と自分に問うことになるはずだ。
 だがきっとやれる気がする。ぼくは、小さい物事にはくよくよと悩むタイプだが(歯医者に行きたくないとか、名刺をうまく渡せないとか)、許容量をこえた難問難題に対峙するととたんに不感症を発症し、さらに誇大妄想狂が加わって、何でもできる気がしはじめる。自分の能力ではできそうもない餌を目の前にすると、尻尾を千切れるくらい振り、よだれをザーザーたれ流す。うふふふ、なんだか楽しいね。

2011年05月13日

夏の創作料理とイケてるオトコ特集! CU6月号 tokushima-cu1106 ■今期注目のグルメを先取り!
「夏の新作&話題メニュー」

夏野菜を使った創作料理や和食、健康と美容に効く沖縄料理、旨辛グルメや韓国冷麺に冷製パスタ…。自然と食欲を掻き立てる夏のとっておきメニューをいち早くご紹介! 新作メニューが盛りだくさんだから、今すぐ要チェックです。

2011年05月09日

さらら5/5号で、みんなの親戚事情を垣間見る! tokushima-salala505他人よりも家族に近い存在、親戚。そのビミョ〜な間柄が生む、「なんでそこまで言われないかんの?」「勝手にせんといて〜!」といったお困りエピソードが、今回編集部に集まった。日頃は口にできない思いのたけの数々を、目撃しよう。親戚の間で話題のおもっしょい人を紹介した親戚キャラ図鑑も見逃せない!

また、表紙で好評連載中の「さらランキング!」では、スーパーで買えるみんなが大好きなおやつを紹介。ついつい手が伸びてしまう魅惑のお菓子は、どうやら昔からある懐かしのシリーズが多いみたい!?
月刊タウン情報CU4月号 実売部数報告1104_CU部数報告.pdf

月刊タウン情報CU4月号の実売部数を報告します。CU4月号の売部数は、
5,597部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。

長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
月刊タウン情報トクシマ4月号 実売部数報告1104_タウトク部数報告.pdf

月刊タウン情報トクシマ4月号 実売部数を報告します。タウトク4月号の売部数は、
7,131部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。

雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。

2011年04月29日

とくしま結婚しちゃお! 夏号 発売中 1105★徳島の人気サロン21店のスタイリング例を紹介!
地元徳島でハッピーウエディングを実現するために、これから準備をスタートする二人が知りたい情報がぎっしり詰まったウエディングブック最新号です。結婚式・披露宴会場37会場、ブライダル関連ショップの情報を約220件掲載! 夏から秋にかけてのブライダルフェア情報や読者限定のプレミア特典など今すぐ使える情報が満載です。徳島県内の書店、コンビニ、スーパーなどで発売中。180円!

2011年04月28日

初夏の徳島を味わい尽くそう!タウトク5月号 tautoku201105★区画から備品まで細かく調査!徳島BBQスポット大特集
「バーベキューがしたいけど、どこでできるの?何がいるの?料金は?」そんな疑問もこの特集を見れば一目でわかる!日帰りで楽しめるバーベキュースポットを集めました!
★プリップリの海の幸をいただきます
お寿司、刺身、定食、お店の人気ランチベスト3などなど、魚の旨い店をどどんと紹介!

2011年04月20日

さらら4/21号には、スーパーのつめ放題&試食情報がいっぱい♪ 0421salala-1.jpg
野菜に果物、お肉に貝…ぎゅぎゅっとたっぷり買って帰れる「つめ放題」と、お買い物中の小さな幸せ「試食」。お得な2つのサービスをがっつり体験できるスーパーを紹介します。レジャー感覚で楽しもう!

表紙のさらランキングは「近ごろの幸せ習慣ランキング」。なにかと忙しい日常のなかで、ほっと心が安らぐ瞬間。徳島の女性に聞いた、リラックスのためのちょっとした工夫を集めました。

2011年04月14日

徳島のいろんなカフェに出会える本「徳島 カフェ組」発刊 2011cafe-gumi.jpg徳島には素敵なカフェがいっぱい! 緑あふれるお庭カフェや青い水辺近くの癒しカフェでロケーションを楽しむ。おいしいカフェごはんやカフェスイーツを食べながら友達とおしゃべりなんてのもいい。さまざまな魅力があふれる県内のカフェをめぐる案内本「徳島 カフェ組」で幸せさがしをしてみない?こだわりのインテリアが作るおしゃれカフェや、夜、出かけたくなるカフェなどジャンル別で紹介しているのできっとぴったりのカフェにめぐりあえるはず。ほかにも、ちょっとコーヒーメニューを見る目が変わるコーヒー豆に関する特集付き。
定価1000円。徳島県内の書店やコンビニなどで好評発売中!

2011年04月11日

CU5月号発売中♪ 今月は女子の好物、パスタを特集 tokushima-cu1105
■特集1
「女子的パスタ選び」
色とりどりの具と麺、ソースを絡めて一口…。今月はドキドキが幸せに変わるパスタをたっぷりとお届けします! こだわりの自家製麺やいろんな形のパスタを使った一皿を求めたり、トマト、オイル、クリームのソースで選んでみたり。春に食べたいパスタを探してみて。

2011年04月06日

さらら4/7号で、今こそ断・捨・離を決行! 407salala
要らないモノを「断ち」、はびこるガラクタを「捨て」、モノへの執着から「離れる」という思想に基づく片付け術「断捨離(だんしゃり)」。最近テレビや雑誌でよく見るけれど、実際どうやったらいいん? そんな疑問を解決すべく、実際にチャレンジしたり、プロの力を借りて、お家をすっきりさせてみました!

表紙のさらランキングは、「うまい! 調味料ランキング」。
スーパーに春野菜がたくさん並ぶ季節、どうせなら、さらにおいしくいただきたい。ゆず胡椒ドレッシング、塩麹、梅の酢など…徳島の女性たちイチオシの調味料を集めました。

2011年04月05日

月刊タウン情報CU3月号 実売部数報告1103_CU部数報告.pdf

月刊タウン情報CU3月号の実売部数を報告します。CU3月号の売部数は、
4,957部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。

長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
月刊タウン情報トクシマ3月号 実売部数報告1103_タウトク部数報告.pdf

月刊タウン情報トクシマ3月号 実売部数を報告します。タウトク3月号の売部数は、
6,360部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。

雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。

2011年03月31日

バカロードその23 北米大陸横断レースへの道 その4 いったりきたり記
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

 長く、遠くまで走りたい。だけど速くも走りたい。しかしながら速く脚を回転させ、より遠くに着地し、心拍を追い込むって作業がホトホト苦手。速いランナーは、なぜあんな優雅でゆったりしたフォームで空気を切り裂いて走れるんだろか? 須磨学園高校の西池和人、エスビー食品の竹澤健介、エチオピアのツェガェ・ケベテ。彼らの映像をコマ送りで見ると、どの瞬間を切り取っても美しい。アフリカの大地を疾駆するトムソンガゼルのように無駄な動きがない。筋肉と骨格と腱の調和がとれている。
 朝起きて、ジャージを着て、軽く流しをはじめたら、身体が空中にヒュンと浮かんで西池和人になっていた・・・という夢は何度も見るのだが、現実の朝は地球の重力に抗しがたく、キロ6分ペースですら守れない。


【淡路国生みマラソン・ハーフ】
 10月17日。今期マラソンシーズンの開幕戦。日頃ウルトラ向けの練習ばっかしやっているので(というのは言いわけでスピード練習から逃げているだけ)短い距離を心拍マックスで走れるかどうか確認したい。10キロまでは平坦な農道で42分26秒。まぁまぁかな。そこから登り坂に突入して17キロまでひたすら登る。ラスト4キロは激しく下り、登り、再び下ってゴール。ラスト1キロを4分01秒ですっ飛ばせたので後味がよい。
 ふらふらと更衣室に向かっているとゲストランナーの高石ともやさん発見!話しかけてみると、思いがけず「トランス・アメリカ・フットレース」の思い出を堰を切ったように話していただいた。満面笑顔で怒涛の弾丸トーク。次から次へとエピソードが飛び出す。いやマジでパワフルである。高石さんは、日本フォークソング界の草分けであり、日本人として初めて1000キロ級の超ウルトラレースに参戦しはじめた人。存在自体が伝説な人物が、距離わずか50センチの位置にいて、ぼくに話しかけてくれているという事実に目まいを覚える。サインをせがむと、

 もう一歩
 もう一歩
 あたらしい 君の
 夢が かなう

     高石ともや

 と記して下さった。記録・1時間35分48秒。

【阿波吉野川マラソン・ハーフ】
 10月24日。新たに完成した海岸道路を経由し、マリンピア沖洲の中をあっち行ったりこっち行ったりの新迷路コース。13キロあたりで道を間違え大幅にオーバーラン。Uターンして戻るの恥ずかしかった。それでもタイムはハーフの自己ベスト達成、バンザーイ!と万歳美女軍団と盛り上がっていたら、周囲のガーミン持ってる人たちが「距離が500〜600メートル短いわだ」と語り合っている。ま、そういう細かいことにこだわらないのが阿波吉野川マラソンの良いとこ。最近の市民マラソン大会みたいに洗練される必要はない。走友会のオッチャンたちが、ランシャツ・ランパン・ガニマタで全力走やってるような、昔のままの草レース的な大会であり続けてほしいと思います。記録・1時間31分28秒。

【関西夢街道スーパーラン・320キロ】
 10月30日。ぼくが出ていいレベルの大会じゃなかった。320キロを56時間以内、不眠不休で走る。一昨年の完走者はわずか6名、完走率が10パーセント台の年もある。出場しているランナーは全国から集まった超ウルトラ、マラニック、ジャーニーランの猛者たち。ぼくなんて末席にいることも許されませぬ。
 コースの難易度は異様に高い。三度ある山岳地帯を迷わず踏破するには、レース前に何度も試走し、道を把握しておかねばならない。なんせ一般的なトレイルの大会のような分岐点の矢印や案内表示はないし、むろん誘導員もいないし。自分で山岳地図を読み、時にはヤブこぎして山道を進む。
 ぼくといえば、スタート直後の六甲山中でさっそく道を失い、崖のフチに達しては絶望し、また迷っては崖で立ちつくすの連続。最終的にはロッククライミングの練習ゲレンデを降り、1時間以上よぶんに山道を走って六甲山から脱した頃には時すでに遅し。60キロ地点の大阪城の制限時間に100%間に合わない。潰れてもいいやとガムシャラに駆けたが(USJの駅前コンコースを全力ダッシュするのは恥ずかしかった)、関門時間を30分オーバーして終了。
 ロード系超長距離走の国内最高峰レースが「さくら道国際ネイチャーラン」だとすれば、「関スパ」はロード、トレイル、地図読みの総合力を問われる日本最高峰レースだと思う。ぼくの実力じゃ当分再挑戦はおあずけですね。修行しなおします。記録・60キロでリタイア。

【羽ノ浦マラソン・10キロ】
 11月7日。県南に伝説の「フライングロケット兄弟」がいると聞く。号砲と同時に、いや号砲の鳴るちょっと前からいささかフライング気味に100メートルスプリンターのごとく飛び出し、周囲のランナーを唖然とさせるフライングロケット兄弟(実際の兄弟ではない)。その目撃者となるべく羽ノ浦の地をめざした。
 以前から目星をつけておいたそのランナーは、やはりスタートライン上に足を添え、弾丸スタートの予感を周囲にまき散らしていた。号砲と同時に、彼はウサイン・ボルト級の爆発力で、羽ノ浦中学校の裏山に消えていった。今回はフライングなしの正々堂々スタートでちょっと物足りなかったが、県南を代表する有名ランナーの背中を一瞬かいま見られて満足。フライングロケット兄弟のTシャツがあれば入手したいな。55号バイパスを口笛を吹きながら帰った。記録・42分17秒。

【南阿波サンマラソン・ハーフ】
 11月21日。激坂の代名詞と言えば「阿波サン」。往路の登りは真夏の犬のようにゼエゼエあえぎ、復路の激下り、特にラスト5キロは実力とはかけ離れた異次元のスピードが出せる夢のコース。
 今回は、ラスト2キロを4分10秒平均でカバーし上機嫌。しかしサブスリーランナーって最初から最後までこのペースなのか、いったいどんな心臓しとんだろ。「ちゃんと練習すればサブスリーまでは誰でもいける」と教えてくれた人もいるが、ぼくにはまずムリちゃうか、と最近思っている。ムリだと思っているうちはムリなんだろうな。記録・1時間39分40秒。

【つくばマラソン・フル】
 11月28日。今シーズンの初フル。今までやったことない「前半自重」ってやつを試してみた。20キロまで4分40秒台で気持ちゆっくり入り、20キロ過ぎたら徐々に本気を出していく、という計画。予定どおり4分45秒平均で20キロまで刻み、さあこれからだってときに両脚に大根ぶら下げたみたいに重くなってきた。24キロからは5分台に落ちる。一度も本気出してないのになんでな!という叫びが心にエンドレス・リピートする。40キロ以降は歩きも同然。わざわざ茨城まで遠征して何やってんだ?と自分を責めても状況は変わらない。
 後半潰れるのはいつものこと。しかし、一度も全力で駆けず、攻めもせず、ずるずる自滅するなんてサイテー。参加費、遠征費をドブに捨てるようなもの。「前半自重や二度とせーへんぞー」と堅くつくば山に誓うのだった。記録・3時間33分41秒。

【奈良マラソン・フル】
 12月5日。1週間前のつくばマラソンで不甲斐ない走りをし、その晩ヤケ酒ウォッカ70度ガブ飲みしてから呼吸器・循環器ともに不調で、歩道橋の階段を登るだけでハァハァ動悸・息切れがする。さあ走るぞ!という気分にはほど遠いまま奈良入り。どうせ走れないなら、このさい人体実験だと前夜に巨大なドラ焼き(粒あん)を5個摂取し、人智を超えた極端なカーボローディングに有効性があるかどうか試す。
 「スタート直後からブッ飛ばして、いけるトコまでいく」という方針なき方針、4分20秒台で15キロまで維持すると、その後28キロまで不思議と大崩れせず。ドラ焼き(粒あん)の一気食い、効果アリなのか?
 しかしマラソンって不思議。体調万全で臨んだつくばより、死に体の奈良で5分も速くなる。ま、このクラスのランナーなら、体調なんて神経質に気にする程のもんじゃないってことなんだろう。
 今回初開催の奈良マラソンは、前日受付しか認めない商魂溢れる大会。奈良市内のホテルの大半はツアー会社に抑えられ、シングルルームも特別料金でバカ高い。都市型マラソンはみなこんな風な運営になっちゃうんだろうかね。道路を占拠する見返りとしては仕方あるまいか。記録・3時間28分38秒。

【防府読売マラソン・フル】
 12月19日。サブフォーレベルの市民ランナーが参加できる最高級にガチな雰囲気の大会である。スタート1時間前頃からはじまる選手のウォームアップ走のスピードに金玉縮みあがり、持ちタイム順に陸上トラックに整列するスタート方法に「競技会」の匂いを感じて、お尻のあたりがムズ痒くなる高揚を得られる。
 さてレースは、ハーフを1時間36分で通過し、「こりゃ余裕で3時間10分台出せるな〜」と余裕の金丸ダンスを辺りに見せつけていたら、34キロで失速がはじまり、最後はおなじみヘロヘロで終了。
 中3週間で3本のフルという強行軍を実施したが成果はあった。1本ごとに潰れる位置が6キロずつゴールに近づいている。ってことは、あと2本フルをこなせばゴールテープまで潰れず到達できる。何か明るい展望が開けた気分がし、帰りの新幹線でゼロじゃない方のコカコーラをちびりちびり呑りながら多幸感をむさぼる。マラソンの後に飲むコカコーラってヤバいほど精神に効きませんか? 記録・3時間25分31秒。

【大麻町ジングルベルマラソン・10キロ】
 12月23日。標高差120メートルを一気に駆け上がり、駆け下りる。クリスマス前ってことで仮装ランナー天国のこの大会。サンタにAKBに大谷焼にといろんな仮装を楽しんでいる。「沿道の応援に背中を押してもらう」ことが仮装をする大目的のひとつだと思うが、この大会は峠道コースゆえ沿道の観客は30人おるかおらんか。仮装ランナーたちはウケを狙うわけでもなく、ただ黙々と仮装する。誰に見られようと見られまいと我は仮装するのだ、という確固たる意思が見える。
 ぼくもいつの日にか仮装をして愛想を振りまきながら走る日が来るのだろうか。ぼくにとっての仮装は、ルビコン川を渡るに等しい後戻りできない世界への一歩だ。
 そーいえば最近スポーツショップに行くと、ふつうのランニング用のシャツやショート丈のランパンがほとんど置かれていない。スピードを追求するには不向きな、ガジャガジャした装飾の服がマラソンウエアコーナーを占拠している。スポーツ用品メーカーも「スポーツ」の要素はこの際、仏壇の奧にしまいこんでおいて、i-podを収納でき、蛍光色で、フードつきのワンピースみたいな美ジョガー向けウエアの開発に勤しんでいるのだろう。どうやらマラソンは別の宇宙のスポーツになりつつある。記録・43分03秒。

【宮古島ウルトラ遠足100キロ】
 1月15日。早朝5時スタート。道路に街灯はなく、ヘッドランプの光を頼りに走りだす。スタートからキロ4分50秒くらいで走っていると、7キロ地点で第2集団にいることがわかった。さらに200メートルほど彼方に先頭をいく2人が見える。「せっかく宮古島まで来たし、ここはひとつ先頭集団に加わってみるのはどうよ」なんて欲望に火が灯ると、いてもたってもいられなくなり、ペースをあげて9キロ地点で先頭に追いつく。
 この大会は去年も出場し、途中で道を間違えてリタイアした苦い経験がある。当大会には先導車両や誘導スタッフはいない。すべて自己責任である。去年間違えて進んだ道を横目に「ああ、この道で絶望したな。二度とあんな思いはしたくない」と口惜しさを噛みしめる。
 やがて信号のある交差点に差しかかったが、前をゆく2人が直進していく。おかしい、ここは左折すべき道だ。あわてて前のランナーを追いかけ、大声で話しかける。「さっきの交差点、左折だったはずですよ!」。だが彼は止まろうとはしない。「大丈夫ですよ。私は昨日も試走をしたんで、この道で間違いないです」。その自信満々さに気圧されぼくの記憶も不鮮明になる。(ほーか、ぼくの勘違いかもしれんな〜)と思い直す。
 だが走れど走れど道さらに暗く、幾度も現れる分岐点に看板の一つもない。先頭集団3名、ついに立ち往生し会議を始める。「もしかして道、間違えましたかね・・・」。
 コースアウトが判明した後は、本来の海沿いの道を求めて、光源ひとつない寂しいさとうきび畑をゆく。暴風吹きあれる畑道をいくら走っても正規コースに戻れない。焦りも手伝いペースが上がり呼吸が荒い。30分ほども迷走し、正規コース上にあるエイドの灯りが見えると同時に、気持ちが折れた。いまや旧・先頭集団ランナーのガーミンによれば6キロ余分に走ったとのこと。すでに最後尾に近い位置か。
 先頭集団にいるという得意満面のトランス状態から、道に迷った失望、「前について行かなきゃ今ごろ独走」という後悔。そして正規コースに戻り、ややメタボ気味のビッグヒップな奥様ランナーの後塵を拝するに至って、全身が哀しみに満ちる。
 嗚呼、そこから残り84キロの長いこと、ダメージの大きいこと。仕方ない、根性を鍛えるためにあきらめず完走しよう。この程度の苦境は、北米横断レースの際に起こる様々なトラブルに比べれば屁でもないはずだ。風速21メートル、化け物級の風圧に晒される宮古島を、寓話「北風と太陽」の旅人の挿絵のように、とぼとぼと走り続けた。記録・12時間55分。

【愛媛マラソン・フル】
 2月6日。街のいたる所に大会の告知ポスターが貼られ、テレビやラジオでは前宣伝や特番、CMが流されている。街全体がマラソンを盛り上げよういう気運に溢れている。コースも大胆である。松山県庁のど真ん前をスタート地点にし、名物の路面電車をはじめ車両など交通を遮断して市街中心部を走らせる。ために松山市街や郊外のバイパス道沿いの応援の賑やかさはとくしまマラソンを遙かに上回っている。こんなにも地元は熱心なのに、県外から参加のランナーが5500人中わずか600人強と人気がイマイチなのはなぜだろう。徳島からも44人と少ない。丸亀国際ハーフと同日開催の影響も大きいが、大会の魅力が広く伝わっていないのが原因だろう。
 レース前の秘かな楽しみをひとつ。毎年、大街道にある三越デパート地下食品街の「hanafru」というスイーツの店で、果物が山盛りになったホールタルトを買い、まるごと1個平らげることにしている。今年は1個で足りず2個食べた。両方で3000キロカロリーくらいかな。記録・3時間24分22秒。

【海部川風流マラソン・フル】
 2月20日。3時間20分を切るって設定タイムで走りはじめたが、最初の2キロを4分11秒、4分09秒でいってしまった。フライングロケット兄弟のマネしてどうするよ。突っこんだ代償は30キロからこんにちわとやってきて、キロ5分台に落ちこむ。そして今回も苦しさに負けて終わった。マラソンは「また今日もダメだった」の繰り返しだ。やった!とガッツポーズで終われた試しがない。これで4本続けて3時間20分台。こんな中途半端な所が上限だなんて思いたくない。もっと粘れるし、もっと耐えれるし、もっと鬼気迫れるはずなのだ。
 東京マラソンで優勝した川内優輝選手のラスト12.195キロを見せられたら、どんな言いわけも通用しない。持って生まれた才能の有無はさておき、自分の持っている力を残り1グラムもないってくらい出しきったかって点で、川内選手のようなハートで挑まないとダメだ。記録・3時間24分06秒。

2011年03月29日

徳島のラーメン150軒肉玉大特集!タウトク4月号 tautoku-1104★超保存版!徳島のラーメン大大大特集★
名店の復活、怒涛のオープンラッシュ…勢いを増す徳島のラーメン界。2010年、2011年にオープンしたばかりのお店はもちろん、昔から愛され続ける名店など150軒網羅。タウトクを携えて、ラーメン巡りへいざ出陣!
★海部川風流マラソン熱戦の証し★
今年も海陽町は熱かった!ランナーにとって最高のパラダイス。走る楽しさをこんなにも味わわせてくれる大会ってあったっけ…?

2011年03月16日

単行本「鳴門のちゅるちゅるうどん探訪記 鳴ちゅる」のご注文は tokushima-naruchuruchuru

麺は細くてふぞろいで、コシが一見ないようである…、
熱いお出汁とシンプルな刻みねぎの組み合わせがたまらない、
一度食べたら忘れらないノスタルジックなやさしい徳島のローカルうどん「鳴ちゅる」。
そのうどんの魅力をまとめて、密かな熱いブームを巻き起こした本。
ページをめくれば、あなたも今すぐちゅるちゅるしたくなることを保証します!