バカロードその21 北米大陸横断レースへの道 その2 四国横断フットレース思案

公開日 2011年02月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

 前々からやってみたいなーと思っている「四国横断フットレース」。徳島のいずれかの海辺をスタート地点にし、愛媛か高知の海岸をゴールにした距離350キロ前後のレースだ。近年、全国各地で200キロを超える超長距離レースが開催されているが、四国には1本もない。こりゃもったいない。四国にはキレイな風景、過酷な山道、そして自動車の通行量の少ない道が他の地域より多いはずだ。
 
 いつか超長距離走を愛する人に集まってもらい四国の山野を駆けめぐる大会が開けたらいいな。そのためには試走を繰り返し、道路の安全性や、挑戦しがいのある道程かどうかを確認する作業が必要だ。ってことで、昨年来より何度か四国内の試走を繰り返しているが、まだ理想とするルートにめぐり逢ってはいない。
 イメージしてる出発地点の候補は3カ所。鳴門海峡を眼下にする鳴門千畳敷展望台は渦巻く潮流がランナーの心に火を着けてくれるだろう。また吉野川河口の小松海岸で日の出を拝んでから出発ってのもいい。もしくは正真正銘、四国の最東端である阿南市の蒲生田岬、その断崖に立つ灯台でエイエイオーの気勢をあげて駆け出すのはどうか。
 メインルートは、景勝地をいくつか経由しつつ、ある程度の困難もほしい。室戸岬をぐるっとまわる国道55号ルートは紺碧の太平洋を満喫できる。195号線を木頭村、四つ足峠を越えていくなら那賀川源流の激流に驚嘆するだろうし、剣山・見の越から京柱峠を結ぶ「酷道」438〜439号線は、標高1000メートル超の刺激の強い難コースとなる。
 フィニッシュ地点候補は2つ。四国最南端の足摺岬か、四国最西端の佐田岬か。これは明快でよい。いずれも断崖絶壁の先端がゴールだから、ガッツポーズが似合う。その情景は、ランナーの記憶に深く刻まれるだろう。
 今回ぼくは、吉野川河口から出で、大歩危、高知市を経て、高知県・足摺岬への320キロ長距離走にトライした。旅程は4日間、毎日80キロを走る。これは6月に控える「北米大陸横断フットレース」の競技日程を念頭に置いた距離だ。北米横断レースは1日平均70キロを走るため、毎日余分に10キロの負荷をかけることにしたのだ。
 1日80キロ、これを1本限りのレースと考えるなら8時間から10時間で終えられる。だが脚と全身にダメージを残さないためには、どういったペースを選択するのが良策か。キロ6分で休息をはさみながら走るのか、キロ8分で止まらず走り続けるべきか。
 また1日80キロを移動した疲労を、到着後の休息と睡眠で除去する方法はあるのか。脚に故障を負った状態で、どれだけのペースを維持できるのか。深刻な痛みに襲われた場合、翌日までに痛みを抜く方法はあるのか。
 そんないろんな疑問に、この320キロランである程度の答えに近づきたい。

 12月27日、夜も明けぬ午前6時、吉野川河口を出発する。前日から寒波が到来し、空気は白く凍っている。上下ともウエアを3枚重ねに着込む。モコモコして走りにくいが仕方あるまい。ヘッドランプを腰に装着し、トレラン用のリュックに赤点滅ランプを着ける。ジャーニーランナーの先輩方が「ホタル」と呼んでいるアレだ。歩道がない道もあるから、自動車との接触事故の防止は徹底したい。
 蔵本駅前あたりで空は薄日が射し、鴨島では雪が降ってくる。川島までは国道192号線の歩道を走り、川島城をちょっと過ぎると吉野川の堤防上にあがる。段差のない土手道は走りやすく安全だ。「四国横断フットレース」の際は、少し遠回り蛇行しても、徳島市内から吉野川南岸の堤防上をたどるべきか。
 この旅はペース実験の意味もあり、ガーミンGPSでキロあたり速度の管理をしている。キロ7分で前進し、美馬市役場あたりでフルマラソンの距離にあたる42キロに達すると、6時間を切るペース。わずかだが脚が重い。42キロくらいで疲労感があるってのは、自分にとってキロ7分は少し速いのかもしれない。
 キロ8分にペースを落とし貞光へ。晴れたり、雪が降ったりと冬空は忙しい。やがて風雪が強くなり「貞光ゆうゆう館」に逃れる。産直市でみかん10個300円と、粒あん入り草もち3個350円を買い求め、一気に口中にねじり込み5分で完食。館内で休憩中の四国遍路の旅人たちがぼくの謎めいた食事風景に目を丸くしている。フードファイターと思われたかな?
 スタートから70キロ過ぎ、辻高校前で夕暮れを迎える。ゆっくりペースだが70キロなりのダメージがあり、登り坂で歩いてしまう。ペースが速くてへばっているのか、遅すぎて調子悪いのか、分析が進まない。
 とっぷり日が落ちた午後6時30分頃、池田町の宿「あわの抄」に到着する。鍵を渡された部屋のドアを開くと、30畳はあろうかという大広間。その広大なスペースのド真ん中に布団が1組ひかれている。阿波の殿様・蜂須賀公でもこんな部屋でお泊まりにはならぬ。落ち着かないので、部屋の隅に布団を移動する。
 夜食は、牛ステーキ、猪豚肉のお鍋、あめごの塩焼き、食べ放題のそば米雑炊、デザートなどたくさんの料理が並ぶ。そば米雑炊と白米のおかわり全部で8杯、ガツガツ食いあさる。
 食後には天然温泉が湧く浴場へ。ぬめり気のある泉質がよい。浴槽のへりでうたた寝していたら、湯の中に寝返りを打ち沈没! 慌てて飛び起きる。一部始終を見ていたおじいさん客が「ぼく、いけるんか?風呂で溺れたらあかんぞ」と心配する。1泊2食6500円、予は満足じゃ。

 2日目、午前5時に宿を出る。今日は国道32号線をひたすら高知市まで南下する。この道、ふだん自動車で通過しているときは感じないが、自分の脚でゆけば大歩危・小歩危の渓谷の断崖を削って通された難道だと知る。並行するJR土讃線の列車が急傾斜の崖地にへばりつきながら走る様にも驚かされる。ここに鉄道が通されたのは1930年代だ。大正期から昭和初期の公共事業のスケールの大きさに感銘を受ける。80年前にツルハシで岩を砕いたオッチャンたちの、どれほどの汗と犠牲のうえに、我々は便利な生活を手にしているんだ?
 県境を越え高知県に入ると集落はまばら。人の匂いは消え、自動販売機も見つからない。歩道はあるものの、車道の左右に交互に登場するため、そのたびに車道を横断しなくてはならない。路肩が50センチしかない道もある。これはフットレースのコースとしては不向きかもしれん。走行が夜間に差しかかれば危険だ。そもそもが歩行者のために設計された道じゃないんだろうしな。
 徳島市を出発して1日半、延々と登り基調の道がつづいている。吉野川沿いを上流へと向かってるんだから当たり前なんだけど、登り坂の連続に少々くじける。高知市まで30キロと近づいているのに一向に下る気配がない。いったいこの国道どうなってんの?と泣きそうになった頃、香美市と南国市の境界の根曳峠(ねびきとうげ)に達する。標高395メートル、そこから高知市街へとヘアピンが連続する急坂を駆け下りる。吉野川河口から140キロかけて稼いだ標高を、高知市街まで20キロ間で一気に精算するのだ。下り坂の途中で足の裏に違和感があり、くつ下を脱いでみると指先に大きな血豆。ピンセットで皮を刺すと、体液がピューっと一直線に顔面を直撃! ひゃあ、たった150キロ程度でこんなんじゃ先が思いやられるぞ。ひ弱すぎんか、自分?
 高知市の夜景がみぞれ混じりの冷たい雪ににじむ。吹きさらしの広いバイパス道をエスケープし、路面電車の走る「土電道」という旧道に出て、高知市の中心部に着いたのは夜の8時。
 泊まりは「高知サンライズホテル」。ビジネスホテルとシティホテルの中間みたいな宿。
 食事は、うどんに天麩羅、刺身、いなり寿司・・・と不思議な取り合わせ、お酒も1杯ついて2食付きで6800円。まぁまぁかな。最上階にある「展望浴場」に先客おらず、サウナ室でごろんと横になれる。展望風呂というわりに景色はあまり見えない。湯舟は小さいが、浴場があるだけまぁ嬉しい。洗濯機を使ったら400円も取られて驚いたけど。
 寝床に横になると足の裏がジンジン熱い。200キロ程度走るといつも起こる症状だが、足裏の肉がぶよぶよに腫れあがり、水枕のような感触になる。土踏まずが見当たらなくなり、足のサイズが2センチほど肥大する。このようなケガには至らない軽傷の身体異変を休息時間にどう回復させるかも勝負のポイントだ。
 北米大陸横断レースでは、1日の制限時間が当日の距離÷時速5.7kmで設定される。1日につき約70キロをおおむね12時間以内で走破しつづけていけばいいのだ。クリアできそうで、できなさそうな絶妙な距離と時間だ。目立ったスピードは必要ない代わりに、脚の故障を最小限に抑えながら走り続けられる脚力・体力・精神力を必要とする。過去のリポートや結果を見れば、リタイア者の多くは最初の1週間で出る。逆に捉えると70キロ×7日間をクリアできるランナーならば、70キロ×70日間=約5000キロに持ちこたえられる可能性が高いとも言える。6月のレース本番まで、あと何回、長距離練習ができるだろうか。70キロを1週間連続で走るといった環境をなるべく平時状態にしたい。
 今回のようなジャーニーラン形式は楽しく飽きないものの、まとまった休日と費用が必要だ。毎朝3時スタートで9時間かけて70キロ走り、昼以降働くというやり方なら、日常でも練習を積むことができる。昼出勤なんてのは出版業という職業の特殊性で許されることなんだけど・・・などと思いを巡らせているうちにウトウトしてきた。
 明日は旅の後半、80キロ先の四万十川を目指す。          (つづく)