バカロードその84 見ノ越まで走ってみた

公開日 2015年06月23日

=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 深夜0時、吉野川の河口を走りだす。
 半そでシャツに短パンだと少し寒いけど、走っているうちにあったかくなるだろう。
 荷物は少々。ヘッドランプと現金入りのビニル袋、用事はないけどスマホ。あとペラペラの薄い生地でできたウインドブレーカー。
 目指すは西へ85km、西日本第二の高峰・剣山の登山基地である見ノ越だ。国道438号の1本道を佐那河内村、神山、木屋平を越えて、標高1410mの所をゴールとしよう。

 わざわざ真夜中に走りだすのは、不眠ランの練習。これから夏、秋にかけて徹夜レースの連チャンがお待ちかねなのだ。ぼくは寝不足にほんとに弱くて、徹夜一泊ですぐ衰弱するし、蛇行を繰り返したあげく草むらにダイブして怪我するわ、見えるはずのない心霊に怯えて猛ダッシュして体力を磨り減らすわで、ろくな夜を過ごせない。今年こそは、真夜中でもキロ7分ペースで走れる立派なランナーになりたいぞって決意を新たに、今宵の練習にのぞむのである。ぼくは他人には見せないところで、真面目に物事をとらえているのである。
 さてと走りはじめますか。吉野川大橋、かちどき橋をわたり国道55号線を南下する。最近開通したバイパス道・徳島南環状線を走ってみたくなり、園瀬川を越えて右折する。サッカーのピッチが収まるくらいだだっ広い中央分離帯がある2車線道。歩道もまた10トントラックが通れそうな広さだ。へー、こうやって人類は先祖代々、必要な場所に必要な道を築いてきたわけね。この環状道路がぶじ徳島市郊外を一周するとき、ぼくはまだ生きているのだろうか、とっくにお陀仏になっているのだろうか。
 調子よく走っていると、ふいに緑色の看板が現れる。なんと歩行者通行禁止の表示。おいおいこのバリアフリー時代に本気かよ。全線信号なしの自動車道ならいざしらず、たった今まで「ウオーキングでも犬の散歩でもどーぞどーぞ」とばかりに立派な歩道がついてたのに、突然の通せんぼかよ。
 引き返すのも癪なので車道を外れて側道を前進したら、文化の森(美術館やら博物館が集まってるとこです)の手前で小山にぶつかってしまった。ヘッドランプの白い光が伸びた先に現れたのは無数のお墓。道はなくなり、細い階段が小山の頂上に向けて伸びている。なんの山越えも辞さず、つき進むのみと階段をかけあがると水道局の巨大なタンクがある広場に出る。タンクの反対側に階段を見つけ、降りようとしたが侵入防止の柵で覆われている。ここは立入禁止区域だったのか。テロリストを警戒してるのかな。
 水道タンク山を降りると住宅街に迷い込む。自分がどこにいるんだかわからなくなった。とりあえず車道に復帰せねばと、車のエンジン音のする方に導かれたら、さっきの墓地に戻ってきてしまった。砂漠の遭難者のリングワンデルングってヤツ? ここまだ徳島市内なんですけどー、先が思いやられます。
      □
 18km走って佐那河内村との境界を示す看板を越えたら、行く手に輝く星々の瞬きがハンパない。ほんのちょっと移動しただけで空気ってこれほど澄むものなのかい。
 深夜2時。風が強くなってきて、体温を奪われる。息が白い。手袋持ってないし、指先が氷みたいに冷たくなってきた。佐那河内村の中心部に1軒だけあるコンビニのサンクスに暖を取りに入る。カップヌードルのプレーン味にお湯をかけてフタをし1分待つ。この歳になって、ぼくは初めて気づいたのである。徹夜走のさなか、凍える寒さと、全身を覆う泥のような疲労。心身衰弱状態で食するカップヌードルは、満ち足りた下界で頂くときの100倍ほども美味しく感じられるのである(ただしプレーンのみ)。コツは湯を注いで1分で食べはじめること。ベビースターちっくな麺のパリパリ感を残すがよし。濃密な人工的エキスとチープな味わいのダイスミンチ、ただ塩辛いだけの深みのない味付けが、舌を快楽に焼く。
 ジャーニーラン最大の利点は、何気なく消費するふだんの生活コンテンツが、極限状態においては痺れるほどの快感を伴うと気づかされることだ。150円のカップ麺ひとつにエクスタシーを感じる費用対効果の高さ。真夜中、サンクス佐那河内店の窓辺のバーカウンター風の席で、全身に鳥肌を立ててるオヤジ1名がいるだなんて、レジの方は知る由もない。
 標高200mあたりの府能トンネルの中に佐那河内と神山の境界線が通る。正面から冷たい風が吹きつける。山からの吹き下ろしがこの先60kmも続くのかと暗い気持ちになりかけたが、トンネルを抜けたとたん風はピタリと止み、気温まで少しなま暖かくなった。ひと山越えると、谷あいに漂う空気の質が違うのだな。
 トンネル出口から道の駅「温泉の里神山」までの5kmは下り基調。道の駅には立派なトイレがあり、自販機がたくさん並んでいるので補給に最適。駐車場には、車中泊らしきワンボックスカーが5台ほど停まっている。自分が子どもなら、せっかくの日曜を友達ではなく親と旅行なんてイヤだなあと思う。しかも狭い車のシートを倒して、親と川の字で密着して寝るなんて最悪の週末だ・・・と悪態をつきながら道の駅を去る。車中泊を楽しんでいる幸せファミリーの皆さん、ぼくの心はすさんでいます。
 3km先に再びサンクス登場。うー、また休憩だ。無人地帯を孤独に走るジャーニーランの世界を、コンビニの存在が大きく変えた。いまやどんなに田舎町にいっても、夜中に煌々と照明のともるコンビニがある。かつてジャーニーランナーは、店が閉まってしまう夜に備えて、食料や水をリュックに備蓄し、重い荷物を背負ってエッホエッホと夜道を走っていたものだが、今やその努力とは無縁。コンビニの灯りに誘われる夜光蛾のように、ふらふらと店に立ち寄っては、大休憩タイムに突入。いかんね、こんな厳しさのない練習じゃいかんね。と思いつつ、レンジでチンしてもらった爆弾系の大おにぎりを、再びバーカウンター風の席でむさぼり食うのであった。
      □
 吉野川河口から40kmを5時間かけて走り、神山町下分の集落あたりで夜が明けてきた。空は快晴を予感させ、道は平坦、右に鮎喰川のせせらぎを眺めながらの快調走。なんとなくデジャブを感じていたら、下分の小学校跡が見えてきて、ああこの道むかし走ったなと思いだす。かつて神山町の10kmマラソン大会はここからスタートしていたのだった。あの頃は、参加費500円を受付のおねえさんに払ってゼッケンもらってたなあ。
 下分の集落を越えると坂の傾斜が徐々にキツくなる。神山町上分の川又郵便局あたりからは、10kmの間に標高差500mを登る険しい道。自動車の対向不可能な細い道。谷側は一気に切れ落ちた崖だ。山腹にZ文字を刻んで右へ左へと登っていく。マニアにブームの「酷道」まではいかないけど、こんな細道だと知らずにドライブ気分で来てしまったら初心者ドライバーは泣くわな。
 神山と木屋平との間を塞ぐように構える川井峠は標高730m。昔の行商のおっちゃんたちは、この峠でキツネやタヌキに化かされてフンドシ一丁にされたに違いない。峠の頂上の町境にある川井トンネルを抜けて少し下ると、「剣山眺望四国第一 川井峠」との堂々たる看板が掲げられている。四畳半ほどの小ぶりな展望台からは、五重六重に連なる峰々が見渡せる。たくさん山があってどれが剣山かわからんなーと目を凝らしていたら、ちゃんと金属製のレリーフに図解つきで各峰の位置を示してくれていた。剣山見えたけど・・・遠い。あと30kmくらいなんだが、いっぱい山を越えなくちゃいけないのね、と軽いショック。展望台の向こうに食堂と自販機があった。朝10時30分から営業と書いてある。窓辺からの景色が良さそうだし、お昼に通りかかったら寄っていきたいロケーションである。
 峠の下りに入る。川井峠への登りと同じく、うねうねとくねった道が、ふもとの村に向かって下ってゆく。下り坂は楽なので嬉しいはずなのだが、730mまでエッチラオッチラ稼いだ標高をどんどん削られていくのが切ない。国道438号線は木屋平の中心部は通らない。そのためピットインできるお店は「物産センター たぬき家」の1軒だけだ。ここら辺が盆地の底にあたり標高330mくらい。峠から400mも下ってきた恰好だ。とても残念である。「物産センター たぬき家」には公衆トイレと自販機がある。朝8時なので、まだ観光客向けの食堂は開いていない。そば、うどん、定食などのノボリや看板に書かれたメニュー名が胃腸を刺激するが、ないものはない。この先、見ノ越まで自販機やお店があるかどうかわからないので、500mlのスポーツドリンクを3本買ってリュックに指す。たぬき家の前に「剣山 24km」の標識がある。剣山って表示は、むろん剣山の頂上ではなく標高1410mの見ノ越の駐車場までの距離だろう。
 穏やかな流れの穴吹川の川辺に、平坦で道幅の広い道路が整備されている。街道沿いには住宅が連なっている。なかなか立派な家構えのお家が多い。地元の方には失礼だが、山深い剣山の麓にこんなにたくさんの人が住んでるのかと驚く。かつては葉タバコや養蚕が盛んだったはずだが、今は何で食べてるのだろうか。
 たぬき家から3km先に「車の駅」という小さな建物があり、自販機が3台並んでいる。見ノ越までの最後の自販機であった、と思われる。ここから先、集落に商店らしき建物が2カ所ほどあったが開いていなかった。日中ならば商店で飲み物・食料補給ができるかもしれない。
 中尾山高原への分岐道を右に見て、少し進むと川上集会所という寄合所があり、道向かいに最後の公衆トイレがある。その後は問答無用の激坂に突入だ。先の見通しのきかないカーブが50回、100回と続く。垂直にも思える急峻な崖にへばりついた道がジクザグに走る。今いる場所よりも遙か上空に、これから向かうであろう道のガードレールが見え隠れする。なぜだか道は、剣山とは逆の方向へと伸びている。よっぽと遠回りさせられる模様である。こりゃいい精神修行になるね。
 ヘアピンカーブを越えるたびに風景が開けていく。両手いっぱいに広げても届かないくらい広い谷、眼下にトンビが悠々と舞っている。山肌に差し込まれたパイプから水が吹き出し、無名の滝から溢れた水が道路を濡らす。ラスト20km間は自販機はないけど、水分チャージは問題なし。山水が氷のように冷たいのは、雪解けまもないシーズンだからか。仰ぎ見る剣山の山腹にはまだ雪渓が残っている。
 雲ひとつない晴天、直射日光が眼球を痛めつける。季節はずれの高温で頭がふらつく。道路から降りられる所に小ぶりな滝と、滝壺というにはおこがましい控えめな水溜まりがあったので、パンツいっちょうになって飛び込む。水溜まりに浮かんで、滝の冷水を脳天から浴びていると、脇にマイカーが止まり観光客らしきおじさんがこちらをしげしげと見つめている。滝の水音でよく聞こえないが何か話しかけられている。耳をすますと「何をやってるんですか?」と質問されているようだ。「水浴びでーす!」と大声で返す。おじさんは優しい目でにっこり微笑み、「頑張ってくださいね」と励まし、立ち去っていった。
 ふーむ、水浴びだとは答えたものの、おじさんの発した「何をやっているのか」という根源的な問いに、ついついぼくは自分の人生を重ね合わせて、しばし落ち込むのであった。日曜の真っ昼間に、標高1400mの水溜まりに裸で浮かんでいる私とは? 不眠で走り続けたので非生産的な思考に陥りがちなのだ。元から無意味なことをやっているのはわかっている。
 ふいに道が右折し、小さなトンネルが現れる。穴の向こうはゴール地点の見ノ越である。切り取られた出口の風景は、今まで走ってきた野趣満点の風景とは違う下界的雰囲気に溢れている。マイカーや路線バス、たくさんの観光客やザックを背負った登山客が行き交っている。
 山道に入ってからグダグダになったため、85kmほどの道のりに13時間もかかってしまった。徹夜走の練習にはなったが、坂道の克服はできなかったなと反省。お土産物店の前に、寝そべるにはちょうど良い幅広の木製ベンチがあったので、シューズと靴下を脱ぎ捨てて横になった。5分もしないうちに、照りつける太陽の真下で眠りこけてしまった。