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2011年12月26日
自然に囲まれた温泉宿、露天風呂、美人の湯、温泉ご飯…冷えた体をぽかぽかお風呂であっためたい! 入浴料金がプライスダウンする読者特典もついてるよ。
★冬あそび計画100
寒い季節は魚がうまい! 鮮魚を求めて北へ南へ、注目のマチ、美郷で体験、寒さぶっ飛ぶアツアツ鍋、冬にしかできないおもしろ体験、冬限定のグルメ、ここにあり!
2011年12月20日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
最近、春からの採用を約束した学生からこんな質問が出るようになった。「貴社は内定式をしないんですか?」。
はぁ?内定式とはいったい何ぞや。
最近、春からの採用を約束した学生からこんな質問が出るようになった。「貴社は内定式をしないんですか?」。
はぁ?内定式とはいったい何ぞや。
大学を出てないぼくは当然就職活動もしたことないので、この辺の常識が著しく欠落している。学生がそんなに心待ちにしている行事とは何だろうかとさっそく調査にあたった。調査は約15分で終わった。それなりに名前の通った会社では、10月に内定を出した学生を集めて「内定式」ってのをやっているらしい。
典型的な1日のスケジュールとしては、まず人事部長や社長さんから訓辞が行われ、お返しに学生代表が宣誓文を読み上げる。1人ずつ名前を呼ばれ、代表者印の押された内定書をうやうやしく授与されたりする。そして、ちょっとフランクな雰囲気を演出しながら諸先輩方より就職の心構えなんかが説明され、いよいよ夕方からはメインイベントである懇親会、つまり若手社員と内定者が居酒屋やパーティルームに移動し、会社の金をふんだんに使って飲みニケーションをとるらしい。
なるほど。しかし、わざわざ遠方から学生さんを呼び寄せて行うイベントとしては双方に大した価値がなさそうなプログラムだ。世の中、工場閉鎖による大量解雇やら派遣切りやら工場海外移転による空洞化やらと雇用情勢はいちだんと厳しさを増すなかで、こんなのん気な催しが行われているわけか、と感心する。
そんな暇があれば、経営者や管理職は通常業務をこなした方がよさそうだし、学生さんもこの程度の主旨で中途半端な時期に呼びつけられ、前後2日間ほどを拘束されるのはたまったもんじゃないかと思える。それなのに「内定式してほしい」なんてリクエストする学生が少なからずいるのが不思議である。内定式を欲する学生に「どうしてそんなんやりたいの?」と聞くと、集まった学生でmixiやらTwitterやらFacebookのアカウントを交換して、コミュをつくって情報交換などしたいんだとか。
なるほど、つまりヒマなのか。
ソーシャルネットワークを使った就職活動「ソー活」花盛りだけど、もー余計に段取りをややこしくしている。採用担当者と学生がネット上でごじゃごじゃ話してる間がありゃ、さっさと採用の結論出してやりゃいいのに、とハタ目には思う。
ぼくの会社では入社式もしないし、新人研修もしない。そんなの1日やってる時間があれば、さっさと街に出て、記事ネタ集めてきてほしいのである。だが新入社員は「どーしてウチは入社式しないんですか」とか「私の友人が入社した会社は新人研修を半年もしてくれるんですよ」なんて不穏な圧力をかけてくる。ふむ、社内でチンタラ研修ごっこやってるより外に飛び出したい、なんてのは20世紀の労働者思想なのか。あるいは、現代の学生も四季折々のセレモニーを愛する民族的嗜好を受け継いでいるのかな。
とかく日本人は面倒な手続きを増やし、拘束されることを好む傾向がありますね。たとえば古くから企業や役所にある「承認印」という認可証明の方法。現場や会議で決まったことを書類にまとめ、上司に決済を求める。上司がハンコを押し、そのまた上司に上申する。そのまた上司もハンコを押したり、たまには否認する。大きい会社だと物事を決定するまでにハンコが6つくらいズラリと並ぶ。今は、イントラネット上で承認を行う企業が増えてるんだろうから、ハンコの需要は減ってる。だけどハンコ画像が朱肉に取って変わっても、上司による承認・否認の仕組みが同じなら、かかる手間としては同じことである。
何かを決める際に、根回しだの、話を通していく順番だの、そういうのに時間と脳みそを使うのはムダだ。物事を速く決定し、実行に移すためには、上席によるOKがないと何かを始められないって決まり事・・・つまり承認印をなくせばいいのである。
たとえば全社メールなり共有ネットワーク上で現場から企画なり改善点が提案される。1〜2日内に誰からも反論・否定がなければゴーとする。反論・否定は上司でも同僚でも部下でもできる。たったこれだけのことでアイデア出しから決定までの時間が超スピーディになる。建設的ではない反論は自動的にアウトとすればいい。
意思決定の段取りがシンプルになれば、だらだら長い会議も不要になる。物事を決定する際に、いちいち上司や利害関係者を上座にお呼び立てし、グラフをふんだんに取り入れたページ数のやたら多いプレゼンテーション資料をパワポで用意し、朗々たるご説明をさしあげ、見当外れのご意見を拝聴する手続きが必要ない。
一般に、会社に就職すると最初に「報告・連絡・相談を徹底しなさい」と教えられるが、ぼくは「大事件以外の報告・連絡・相談はしないでくださいな」とお願いする。部下が無意味な報告にのこのこやってきたら無視をする。恋愛相談ならおもしろいので耳をそばだてる。
「報連相」にかかる時間と手続きが多すぎるのだ。バカな上司に報告し、相談している時間をショートカットして、自分でグイグイ仕事を進めてけばいい。職場を二周して問題点に気づかないマネージャーなんて役立たずだし、そんな人に限って「報連相」を求める。上の人間はゴチャゴチャ言わず結果責任だけ取ればいいのだ。
目的集団には「役職」なんてのも必要ない。対外的な「責任の所在としての役職」は必要なんだろうが、少なくとも社内ヒエラルキーを形成する目的としてはいらない。管理しないと人間は秩序だてて行動できない、という観念を捨てればいい。二十代の若手も四十代のベテランも、誰にもコントロールされることなく、自由自在に動いてる方が機能美に溢れている。対人関係上の葛藤処理に費やす膨大な時間と労力をとっぱらい、ただモノを作ることだけに集中している集団だ。
もっと根本的な疑問だってある。本来、何か社会に必要なプロジェクトを思いつき実行に移したいときに、最も機能的な集団構成は営利法人=企業じゃない気もしている。会社やってる立場で言うのもなんだけどね。経理部門は外注して、あとは仕事やりたい人だけが集まって、てんで勝手にプロジェクトを進めている人的集団にならないかな。昔の任侠のオジサンたちとか共産主義者の地下組織とかアルカイダあたりってそんな感じか。いや、これらは精神的支柱としてカリスマ的人物や強烈な教義が必要ですね。中核いらずの目的集団って何だろ。全員ヘタクソなアマチュア・ロックバンドみたいなもんか。あ、そんでいい気がしてきた。
典型的な1日のスケジュールとしては、まず人事部長や社長さんから訓辞が行われ、お返しに学生代表が宣誓文を読み上げる。1人ずつ名前を呼ばれ、代表者印の押された内定書をうやうやしく授与されたりする。そして、ちょっとフランクな雰囲気を演出しながら諸先輩方より就職の心構えなんかが説明され、いよいよ夕方からはメインイベントである懇親会、つまり若手社員と内定者が居酒屋やパーティルームに移動し、会社の金をふんだんに使って飲みニケーションをとるらしい。
なるほど。しかし、わざわざ遠方から学生さんを呼び寄せて行うイベントとしては双方に大した価値がなさそうなプログラムだ。世の中、工場閉鎖による大量解雇やら派遣切りやら工場海外移転による空洞化やらと雇用情勢はいちだんと厳しさを増すなかで、こんなのん気な催しが行われているわけか、と感心する。
そんな暇があれば、経営者や管理職は通常業務をこなした方がよさそうだし、学生さんもこの程度の主旨で中途半端な時期に呼びつけられ、前後2日間ほどを拘束されるのはたまったもんじゃないかと思える。それなのに「内定式してほしい」なんてリクエストする学生が少なからずいるのが不思議である。内定式を欲する学生に「どうしてそんなんやりたいの?」と聞くと、集まった学生でmixiやらTwitterやらFacebookのアカウントを交換して、コミュをつくって情報交換などしたいんだとか。
なるほど、つまりヒマなのか。
ソーシャルネットワークを使った就職活動「ソー活」花盛りだけど、もー余計に段取りをややこしくしている。採用担当者と学生がネット上でごじゃごじゃ話してる間がありゃ、さっさと採用の結論出してやりゃいいのに、とハタ目には思う。
ぼくの会社では入社式もしないし、新人研修もしない。そんなの1日やってる時間があれば、さっさと街に出て、記事ネタ集めてきてほしいのである。だが新入社員は「どーしてウチは入社式しないんですか」とか「私の友人が入社した会社は新人研修を半年もしてくれるんですよ」なんて不穏な圧力をかけてくる。ふむ、社内でチンタラ研修ごっこやってるより外に飛び出したい、なんてのは20世紀の労働者思想なのか。あるいは、現代の学生も四季折々のセレモニーを愛する民族的嗜好を受け継いでいるのかな。
とかく日本人は面倒な手続きを増やし、拘束されることを好む傾向がありますね。たとえば古くから企業や役所にある「承認印」という認可証明の方法。現場や会議で決まったことを書類にまとめ、上司に決済を求める。上司がハンコを押し、そのまた上司に上申する。そのまた上司もハンコを押したり、たまには否認する。大きい会社だと物事を決定するまでにハンコが6つくらいズラリと並ぶ。今は、イントラネット上で承認を行う企業が増えてるんだろうから、ハンコの需要は減ってる。だけどハンコ画像が朱肉に取って変わっても、上司による承認・否認の仕組みが同じなら、かかる手間としては同じことである。
何かを決める際に、根回しだの、話を通していく順番だの、そういうのに時間と脳みそを使うのはムダだ。物事を速く決定し、実行に移すためには、上席によるOKがないと何かを始められないって決まり事・・・つまり承認印をなくせばいいのである。
たとえば全社メールなり共有ネットワーク上で現場から企画なり改善点が提案される。1〜2日内に誰からも反論・否定がなければゴーとする。反論・否定は上司でも同僚でも部下でもできる。たったこれだけのことでアイデア出しから決定までの時間が超スピーディになる。建設的ではない反論は自動的にアウトとすればいい。
意思決定の段取りがシンプルになれば、だらだら長い会議も不要になる。物事を決定する際に、いちいち上司や利害関係者を上座にお呼び立てし、グラフをふんだんに取り入れたページ数のやたら多いプレゼンテーション資料をパワポで用意し、朗々たるご説明をさしあげ、見当外れのご意見を拝聴する手続きが必要ない。
一般に、会社に就職すると最初に「報告・連絡・相談を徹底しなさい」と教えられるが、ぼくは「大事件以外の報告・連絡・相談はしないでくださいな」とお願いする。部下が無意味な報告にのこのこやってきたら無視をする。恋愛相談ならおもしろいので耳をそばだてる。
「報連相」にかかる時間と手続きが多すぎるのだ。バカな上司に報告し、相談している時間をショートカットして、自分でグイグイ仕事を進めてけばいい。職場を二周して問題点に気づかないマネージャーなんて役立たずだし、そんな人に限って「報連相」を求める。上の人間はゴチャゴチャ言わず結果責任だけ取ればいいのだ。
目的集団には「役職」なんてのも必要ない。対外的な「責任の所在としての役職」は必要なんだろうが、少なくとも社内ヒエラルキーを形成する目的としてはいらない。管理しないと人間は秩序だてて行動できない、という観念を捨てればいい。二十代の若手も四十代のベテランも、誰にもコントロールされることなく、自由自在に動いてる方が機能美に溢れている。対人関係上の葛藤処理に費やす膨大な時間と労力をとっぱらい、ただモノを作ることだけに集中している集団だ。
もっと根本的な疑問だってある。本来、何か社会に必要なプロジェクトを思いつき実行に移したいときに、最も機能的な集団構成は営利法人=企業じゃない気もしている。会社やってる立場で言うのもなんだけどね。経理部門は外注して、あとは仕事やりたい人だけが集まって、てんで勝手にプロジェクトを進めている人的集団にならないかな。昔の任侠のオジサンたちとか共産主義者の地下組織とかアルカイダあたりってそんな感じか。いや、これらは精神的支柱としてカリスマ的人物や強烈な教義が必要ですね。中核いらずの目的集団って何だろ。全員ヘタクソなアマチュア・ロックバンドみたいなもんか。あ、そんでいい気がしてきた。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
大雨・強風注意報発令中。
島根半島に台風2号が迫っている。
重量のある雨がパチパチとアスファルトを叩き、ちぎれた黒い雲が真横に吹き飛ばされていく。スタートラインに並んでいるだけで濡れネズミだ。もはや雨よけの手段を考える必要もない。ポリ袋をかぶろうと雨合羽を羽織ろうと、5分もしないうちに滝行の修行僧になるんだから。
大雨・強風注意報発令中。
島根半島に台風2号が迫っている。
重量のある雨がパチパチとアスファルトを叩き、ちぎれた黒い雲が真横に吹き飛ばされていく。スタートラインに並んでいるだけで濡れネズミだ。もはや雨よけの手段を考える必要もない。ポリ袋をかぶろうと雨合羽を羽織ろうと、5分もしないうちに滝行の修行僧になるんだから。
「注意報が警報に変わればその時点で中止とします」と、マイクを持ったずぶ濡れの主催者が説明を繰り返す。
毎年5月下旬に島根県北部で開催される「えびす・だいこく100キロマラソン」は今年で18回を数える歴史ある大会。
スタートは日本海沿岸の小さな港町・美保関。青石畳の小路が民家の間をぬう乙女心キュン風情の漁師町だ。コースの前半は入り組んだ海岸線が続く島根半島を大横断する。碧い海原の彼方に隠岐の島を見やり、断崖のヘリを戦々恐々進んだかと思えば、低周波音を唸らせ稼動する島根原発の3つの巨大建屋を直下に見下ろすスペクタクルも用意されている。150メートル級の3つの峠が最大の難所とされているが、それ以外の道が平坦なわけではない。全コースにわたって数十メートルのアップダウンを繰り返し、累積標高差は1750メートルに達する。
過酷なコースとは裏腹に、この大会が大学スポーツサークルの合宿地のような明朗闊達なムードに包まれているのは「チームリレー」という競技があるためだ。5人以内のメンバーで駅伝のようにタスキをつなぎ100キロを走る。リレーメンバーは何度も交代でき、1人が何キロ担当してもよい。先頭チームなんて、短距離で次々と入れ替わりキロ4分の猛スピードで駆けていく。このリレー参加者たちが大会の雰囲気を華やかにしているのだ。なんせふつうのウルトラの大会ときたら、常軌を逸した走り込みをこなし、鶏ガラ級に肉体を絞り込み、弱音など吐いてたまるかコノヤロー的な紳士淑女が全国から大集結している。それに比べてオシャレなチームシャツを揃えたりなんかした女子大生たちが、黄色い嬌声をあげつつ100キロと戦っている姿なんて、レモンとライムとシロップたっぷりの清涼剤。最近の女子大生なんぞ街で見かけてもアイメイクの濃ゆさに頭痛を催すだけだが、ストイックきわまりないウルトラの舞台なら瑞瑞しさ、光沢感が違う!
それにしても台風の中、走るのってこんな痛快なのか。
ぼくだけじゃない。追い越し、追い越されてゆくランナーの多くが、楽しくて仕方がないって表情だ。
子供の頃、台風が来たら外に出たくてたまらなかった記憶って誰しもあると思う。その場跳びすれば1メートルくらい着地点が違ってしまう抗しがたき自然の圧力。稲妻が空を裂き、遠くの山に雷がドンと落ちる。ドブは溢れかえり、田んぼと道路の境界線がなくなって、茶色い沼地ができる。子供はそんな大自然のパワーを全身で受け止めたい。いや、実は大人になってもたいして変化ないのかも知れない。
嵐を衝いて外ではしゃぎまわっておれば、ご近所衆に頭イカれてるのかと疑われる。だがマラソンレース中なら暴れ放題だ。峠のてっぺんからイャッホーと叫んで坂を猛ダッシュで下れば「気合い入ってるね!」と誉められる。まったくただアホなだけなのにね。ウルトラマラソンって何て都合のいいスポーツなんだろう! 笑いを抑えられない。完全に笑いながら走っている。世の中いろんな最新レジャーが開発されてるけど、こんな面白いことってあんのかな。
この100キロには、ひとつのテーマをもって挑んだ。
「脱力」である。
身体のどの部分にもいっさい力を入れない。心拍数を上げず、平常の呼吸リズムを維持する。100キロを走り終えても筋肉や心肺にダメージを残さない。そのままのペースで200キロ、300キロと走り続けても絶対に潰れない、との確信を持てるスピードはどこかを探るのだ。
力を入れず走るってのは、具体的には着地時と蹴り出し時に筋肉を固めないってことだ。大腿部や腹筋などの筋力を動員して身体を前に持っていくのではなく、骨格のバランスによって身体を平行移動させる。重心を心もち前傾に・・・垂直立ちの位置からわずか数度前傾させ、引力に導かれるままに走る。フルマラソンレースのように足底を地面にパンパン叩きつけない。地面からの反発力で前方に飛んでいくのではなく、軽く、そよ風のように路面を撫で、ふわふわ移動する。
今月スタートする北米横断レースでは「絶対に潰れてはならない」のである。疲労困憊してはならない。その日ゴールできても、翌日起き上がれないのではダメなのだ。毎日80キロ踏破しても、翌朝にはピンピン跳ね起きるくらいの余裕度をキープしなくてはなけない。
ひとことで「潰れる」と言っても、多様な症状を指しており、原因も結果も異なる。
心肺能力の限界を越え、乳酸処理が間に合わなくなった「もうぜんぜん動けん」か。
脱水により体内の鉄分が失われた貧血めまいフラフラ状態か。
ミネラルが奪われ全身の筋肉が攣りまくってるヘンなオジサンか。
小腸からのカロリー吸収が運動消費カロリーに追いつかない「ガス欠」か。
数万歩の歩行の繰り返しによって筋肉損傷が限界を超した針の山ランニングか。
胃酸の過剰分泌によって嘔吐が止まらず、消化不良で栄養吸収が追いつかない哀しみのゲロゲロか。
いずれにせよ、どの状況も遠慮したい。1日だけのレースなら根性で乗り切れる。だが連続70日間のステージレースではアウトだ。
潰れる原因の大もとをたどれば、心拍数の上げすぎなんだと思っている。たとえば1000メートルのインターバルで心拍数をマックスに追い込めば、後半500メートルはとてつもなく長く感じる。脚は鉛を仕込んだように重くなるし、ゴールすれば胃液も出ない空ゲロをオェオェ吐く。だが心拍数さえあげなきゃ100キロといえど、長い距離と感じずにすむ。
今日はそれを実証できた。潰れることなく、休むことなくキロ6分30秒で淡々と進む。
出雲大社の門前町である神門通りを駆け下りゴールする。タイムは10時間52分。土砂降りの雨を降らす天に顔を向け、「ショーシャンクの空に」のアンディ・デュフレーン気取り。
ゴールの後には、江戸時代から営業される歴史ある純和風旅館「日の出館」で休憩できる。超ぬるま湯の岩風呂に身体を浮かせ、湯上がりには大広間でゴロゴロ惰眠を貪れる。まったく、ランナーの幸せポイントを的確についてくるではないか。
この大会は、自己責任原則をうたってはいるが、実際はスタッフ数も多く、エイドは豊富。曲がり角、分かれ道の交通誘導は丁寧すぎるほどに手厚い。自治体や警察の協力体制も取れている。国道の電光掲示板にはマラソンの告知がされ、コースと並行して走るローカル路線・一畑電車にはゼッケンを見せるとフリー乗車までできる。いつでもリタイアできるって安心感?ありだ。
参加料は6000円。「大会参加賞は全国一安く?」とパンフにも謳われているが、1万5000円前後が相場のウルトラマラソンにあって、とても潔ぎよく感じる。
完走証や完走メダルはない。前夜祭・後夜祭などの華美な装飾イベントも催されない。流行りの計測チップもないけど、ちゃんとゴール時間はスタッフが計ってくれる。何の問題もない。本来、ウルトラマラソンの大会はこうあるべきなんだ、という姿勢をきっちり見せてくれる素敵このうえない大会だった。
さて準備は整った。
6月19日、午前5時30分。ロサンゼルスの南50キロ、サーファーの聖地ともいえるハンティントン・ビーチの砂浜で、太平洋の海水に片足をひたしたのち、北米大陸横断の旅に出る。5135キロ彼方のニューヨークにたどりつくまで絶対に潰れることはない。
「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」。
わが人生、ここぞというときは絶対に猪木語録の登場なのだ。
毎年5月下旬に島根県北部で開催される「えびす・だいこく100キロマラソン」は今年で18回を数える歴史ある大会。
スタートは日本海沿岸の小さな港町・美保関。青石畳の小路が民家の間をぬう乙女心キュン風情の漁師町だ。コースの前半は入り組んだ海岸線が続く島根半島を大横断する。碧い海原の彼方に隠岐の島を見やり、断崖のヘリを戦々恐々進んだかと思えば、低周波音を唸らせ稼動する島根原発の3つの巨大建屋を直下に見下ろすスペクタクルも用意されている。150メートル級の3つの峠が最大の難所とされているが、それ以外の道が平坦なわけではない。全コースにわたって数十メートルのアップダウンを繰り返し、累積標高差は1750メートルに達する。
過酷なコースとは裏腹に、この大会が大学スポーツサークルの合宿地のような明朗闊達なムードに包まれているのは「チームリレー」という競技があるためだ。5人以内のメンバーで駅伝のようにタスキをつなぎ100キロを走る。リレーメンバーは何度も交代でき、1人が何キロ担当してもよい。先頭チームなんて、短距離で次々と入れ替わりキロ4分の猛スピードで駆けていく。このリレー参加者たちが大会の雰囲気を華やかにしているのだ。なんせふつうのウルトラの大会ときたら、常軌を逸した走り込みをこなし、鶏ガラ級に肉体を絞り込み、弱音など吐いてたまるかコノヤロー的な紳士淑女が全国から大集結している。それに比べてオシャレなチームシャツを揃えたりなんかした女子大生たちが、黄色い嬌声をあげつつ100キロと戦っている姿なんて、レモンとライムとシロップたっぷりの清涼剤。最近の女子大生なんぞ街で見かけてもアイメイクの濃ゆさに頭痛を催すだけだが、ストイックきわまりないウルトラの舞台なら瑞瑞しさ、光沢感が違う!
それにしても台風の中、走るのってこんな痛快なのか。
ぼくだけじゃない。追い越し、追い越されてゆくランナーの多くが、楽しくて仕方がないって表情だ。
子供の頃、台風が来たら外に出たくてたまらなかった記憶って誰しもあると思う。その場跳びすれば1メートルくらい着地点が違ってしまう抗しがたき自然の圧力。稲妻が空を裂き、遠くの山に雷がドンと落ちる。ドブは溢れかえり、田んぼと道路の境界線がなくなって、茶色い沼地ができる。子供はそんな大自然のパワーを全身で受け止めたい。いや、実は大人になってもたいして変化ないのかも知れない。
嵐を衝いて外ではしゃぎまわっておれば、ご近所衆に頭イカれてるのかと疑われる。だがマラソンレース中なら暴れ放題だ。峠のてっぺんからイャッホーと叫んで坂を猛ダッシュで下れば「気合い入ってるね!」と誉められる。まったくただアホなだけなのにね。ウルトラマラソンって何て都合のいいスポーツなんだろう! 笑いを抑えられない。完全に笑いながら走っている。世の中いろんな最新レジャーが開発されてるけど、こんな面白いことってあんのかな。
この100キロには、ひとつのテーマをもって挑んだ。
「脱力」である。
身体のどの部分にもいっさい力を入れない。心拍数を上げず、平常の呼吸リズムを維持する。100キロを走り終えても筋肉や心肺にダメージを残さない。そのままのペースで200キロ、300キロと走り続けても絶対に潰れない、との確信を持てるスピードはどこかを探るのだ。
力を入れず走るってのは、具体的には着地時と蹴り出し時に筋肉を固めないってことだ。大腿部や腹筋などの筋力を動員して身体を前に持っていくのではなく、骨格のバランスによって身体を平行移動させる。重心を心もち前傾に・・・垂直立ちの位置からわずか数度前傾させ、引力に導かれるままに走る。フルマラソンレースのように足底を地面にパンパン叩きつけない。地面からの反発力で前方に飛んでいくのではなく、軽く、そよ風のように路面を撫で、ふわふわ移動する。
今月スタートする北米横断レースでは「絶対に潰れてはならない」のである。疲労困憊してはならない。その日ゴールできても、翌日起き上がれないのではダメなのだ。毎日80キロ踏破しても、翌朝にはピンピン跳ね起きるくらいの余裕度をキープしなくてはなけない。
ひとことで「潰れる」と言っても、多様な症状を指しており、原因も結果も異なる。
心肺能力の限界を越え、乳酸処理が間に合わなくなった「もうぜんぜん動けん」か。
脱水により体内の鉄分が失われた貧血めまいフラフラ状態か。
ミネラルが奪われ全身の筋肉が攣りまくってるヘンなオジサンか。
小腸からのカロリー吸収が運動消費カロリーに追いつかない「ガス欠」か。
数万歩の歩行の繰り返しによって筋肉損傷が限界を超した針の山ランニングか。
胃酸の過剰分泌によって嘔吐が止まらず、消化不良で栄養吸収が追いつかない哀しみのゲロゲロか。
いずれにせよ、どの状況も遠慮したい。1日だけのレースなら根性で乗り切れる。だが連続70日間のステージレースではアウトだ。
潰れる原因の大もとをたどれば、心拍数の上げすぎなんだと思っている。たとえば1000メートルのインターバルで心拍数をマックスに追い込めば、後半500メートルはとてつもなく長く感じる。脚は鉛を仕込んだように重くなるし、ゴールすれば胃液も出ない空ゲロをオェオェ吐く。だが心拍数さえあげなきゃ100キロといえど、長い距離と感じずにすむ。
今日はそれを実証できた。潰れることなく、休むことなくキロ6分30秒で淡々と進む。
出雲大社の門前町である神門通りを駆け下りゴールする。タイムは10時間52分。土砂降りの雨を降らす天に顔を向け、「ショーシャンクの空に」のアンディ・デュフレーン気取り。
ゴールの後には、江戸時代から営業される歴史ある純和風旅館「日の出館」で休憩できる。超ぬるま湯の岩風呂に身体を浮かせ、湯上がりには大広間でゴロゴロ惰眠を貪れる。まったく、ランナーの幸せポイントを的確についてくるではないか。
この大会は、自己責任原則をうたってはいるが、実際はスタッフ数も多く、エイドは豊富。曲がり角、分かれ道の交通誘導は丁寧すぎるほどに手厚い。自治体や警察の協力体制も取れている。国道の電光掲示板にはマラソンの告知がされ、コースと並行して走るローカル路線・一畑電車にはゼッケンを見せるとフリー乗車までできる。いつでもリタイアできるって安心感?ありだ。
参加料は6000円。「大会参加賞は全国一安く?」とパンフにも謳われているが、1万5000円前後が相場のウルトラマラソンにあって、とても潔ぎよく感じる。
完走証や完走メダルはない。前夜祭・後夜祭などの華美な装飾イベントも催されない。流行りの計測チップもないけど、ちゃんとゴール時間はスタッフが計ってくれる。何の問題もない。本来、ウルトラマラソンの大会はこうあるべきなんだ、という姿勢をきっちり見せてくれる素敵このうえない大会だった。
さて準備は整った。
6月19日、午前5時30分。ロサンゼルスの南50キロ、サーファーの聖地ともいえるハンティントン・ビーチの砂浜で、太平洋の海水に片足をひたしたのち、北米大陸横断の旅に出る。5135キロ彼方のニューヨークにたどりつくまで絶対に潰れることはない。
「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」。
わが人生、ここぞというときは絶対に猪木語録の登場なのだ。
2011年12月15日
2011年12月14日
■日本と世界のご当地グルメをカフェまね!
日本全国のB級グルメや世界の隠れ美食をカフェ風にアレンジ。かわいくて簡単なカフェ風ごはんをササッと作れば、きっと誉められること間違いなし! 夜カフェに欠かせない、特別版のBARまね帳も必見。
■女のカラダ、お悩み解決法
じっくりと自分のからだを見つめ直してみると、気になるところがいっぱい! 渦を巻く毛やたるんだお尻、そしてデリケートなあそこのニオイまで…。密かに気になっていたからだの疑問にお答えします。
2011年12月13日
完成品しか目にすることのない物の裏側には
物作りに携わる人たちの熱き情熱が秘められていた! 徳島でモノを生み出し、製品化していくアイデアと技に迫る。
■徳島の名前の不確かな場所に名前をつけよう!
通称で呼んでいたあの道、皆が好きずきに呼んでいたこの道、説明したいけど説明しにくかった道に決着をつける!
吉野川大橋、吉野川橋、阿南バイパス、鳴門の農道、国道11号から共栄橋を通って北島へ行く道、徳島市川内町に新しく開通した流通団地への道・・・。はてさて、その呼び名はいかに!?
2011年12月06日
結婚しちゃお!秋号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!秋号の売部数は、852部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ11月号 実売部数を報告します。タウトク11月号の売部数は、
6,225部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
月刊タウン情報CU11月号の実売部数を報告します。CU11月号の売部数は、
5,606部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
徳島人11月号 実売部数報告です。
徳島人11月号の売部数は、3,770部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
2011年12月01日
また、今回のさらランキングは「冬、体を動かす秘訣ランキング」。寒くて外に出たくないこの季節だからこそ、ちょっとした工夫が運動不足解決のカギに。生活の中に組み込むものが多いから、ぜひ今日からまねしてみて。
2011年11月24日
ラーメン、カフェ、雑貨、居酒屋、ビューティ、整体…徳島に開店ラッシュ到来!
★徳島の、熱くて渋いバイクのイマ RIDE ON BIKE
個性豊かな店主が待つこだわりショップ16店を紹介。
★今注目のショッピングスポットへGO! トクシマお買い物最前線
ゆめタウン徳島がいよいよオープン!徳島駅前エリアや他ショッピングモールも負けてません!
2011年11月17日
こんな時はみんなで集まってごはんを食べたり、ワイワイしたくなったりしますよね。
今回のさららでは、宴会、ランチなどいろんなシーンで使えるグルメ店や、「クリスマス前にキレイになりたい」といった願いをかなえてくれるお店をど〜んと16ページにわたって紹介。この冬を思いっきり楽しみたい、という方必見です!
2011年11月11日
共感せずにはいられない・・・。思わず首をタテに振ってしまう県民の要望がぎっしり。
徳島駅前に自転車・バイク置き場を作って! 高速バスの切符売り場を統一してほしい。 「県南」と「県西」ってどこの市からか決めてほしい。 津田と論田を経由して小松島に伸びている県道に愛称をつけてほしい!
■びっくり!徳島の冠婚葬祭の風習
えっ!ほんなことするん? 生まれ育った町で何の疑問も抱かずにしてきたことは、実はその地域だけに伝わる独特の習わしだった!
■ココロを焦がす あつあつランチ
肌寒い今の時期、体の芯から温まるアツいランチメニューは欠かせない。とろとろ洋食や囲炉裏のそばで食べるランチなど、ココロから温まるメニューが目白押し。あっちっちな新作メニューもお見逃しなく!
■大好き! チョコレートsweets
チョコレートはケーキやパフェ、焼菓子やカクテルと変幻自在な魔法のスイーツ。そんな一口食べるだけで幸せいっぱいになれるチョコレートの魅力をとことん詰め込みました。
2011年11月10日
月刊タウン情報CU10月号の実売部数を報告します。CU10月号の売部数は、
5,088部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2011年11月08日
月刊タウン情報トクシマ10月号 実売部数を報告します。タウトク10月号の売部数は、
6,664部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
徳島人10月号 実売部数報告です。
徳島人10月号の売部数は、3,840部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
2011年11月03日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
北米横断レースが終わるとからだと脳の細胞が休眠状態にはいった。食欲、睡眠欲など一次欲求が極度に減退。「欲」が涸れた状態は良くいえば禅の境地。あるいは生存エネルギーの薄い草食男子の究極をいくか。
北米横断レースが終わるとからだと脳の細胞が休眠状態にはいった。食欲、睡眠欲など一次欲求が極度に減退。「欲」が涸れた状態は良くいえば禅の境地。あるいは生存エネルギーの薄い草食男子の究極をいくか。
36時間、つまり1日半なにも食べないでいると食欲が涌いてくる。主食はアイスクリームとチョコレート。小腹がすいたら生キャベツにアジシオかけてボリボリかじる。炭水化物が足りてなさそうなときは、茹でたパスタにオリーブオイルと塩をかけて食う。最低限、生命を維持するだけの分量を吸収できればいいのである。
それでも口さみしさはあるので、一日じゅうフリスクやミンティアを舌で転がしている。生半可な清涼感では物足りず刺激度最強のブラックミントかドライハードと決めている。最近気づいたんだけど、フリスクとミンティアって1箱に入ってる粒数は50粒で同じなのだ。値段はフリスクが2倍高いし箱も大きいから、フリスクの粒数が多いとばかり思いこんでいた。オランダ産と日本産の違いなんだろうか。あえてフリスクを選択する理由が見つからなくなっている。
毎日寝るのがかったるい。なるべく眠らずにすむ方法はないものか。最低生存するために1日3食も摂取する必然性がないのと同様、24時間で1回眠らねばならんもんか疑わしい。ひょっとしてそう信じ込まされてるだけではないか。もの凄く眠くなるまで寝ない、と決め半月間ためしたところ、ぼくには36時間ごとに睡魔が訪れると判明した。だがこれだと一回眠るたびに生活サイクルが半日ずつずれていくので仕事と両立できず困る。当面は眠いのをがまんして48時間に1回睡眠を目指してみよう。
北米横断のゴールから1カ月もたつのに、まだ走れない。やせ細った筋肉、足の裏のマヒ、全部の関節の痛み。仕方ないので歩いている。10キロを歩くのに3時間かかる。歩くスピードが遅すぎてウォーキングしてるオバチャンに後方からガンガン抜かされる。なかなかの屈辱ではあるが、歩いていないと生きている実感が乏しくなりそうなので歩く。歩けばかろうじて脳が動く。少しは何かやらなければという気も湧く。やりたいことはある。
コンゴ民主共和国という国がアフリカのど真ん中にある。昔はザイールという国名だった。1人あたりの名目GDPが世界179カ国のうちで堂々179位と最下位をマークしている世界最貧国である。15年前に内戦が始まり2年間で150万人が虐殺された。7年後に停戦されたが、今でも国土の大半の地域は無法地帯のままである。農業従事者が国民の75%とされているが、これは収穫し出荷してビジネスを営む農家じゃなくて、自給自足民を指している。つまり、国民の多くは職業を持たず、収入源がない。
内戦時には学校や教会は破壊され、戦後は義務教育制度も失われた。教育者や校舎が残った村落はまだマシな方だが、小学校があっても授業を受けるのは有料。およそ月額500円の授業料を用意できる家庭は少なく、初等教育の就学率は50%に満たない。教室は1クラス100人以上の大所帯、土のうえに座っての青空教室だ。
ぼくは25年前に3カ月、この国に滞在した。天を衝くジャングルの樹木、涸れることなく育つ果実の色彩、桃源郷を想起させる可憐な花々。美しさと豊かさに溢れた国だった。人びとは例外なく優しかった。歩いて旅していたぼくを家庭に招き入れ、寝床と食事を無償で提供してくれた。お礼にと渡そうとしたお金は必ず拒まれた。旅を終え日本に帰国してから、何人かの若者と文通していた。しかし内戦が起こって以降、手紙は来なくなった。国家運営がなされていない状態がつづいたから、郵便物だって届かないのは当然だが、かつての恩人たちが命を失っていないか今でも気にかかっている。次の春、再訪する。自分の目で確かめないまま、人生を終わることはできない。現地に行ってみなくちゃわからないことがある。
日課の10キロ歩きを終えて自宅に戻ると、玄関にランニングシューズが山と積まれている。ちょっとしたスポーツ店より品揃え豊かである。数えれば60足以上ある。大半のシューズは底のソールのゴムがすり減ってジョギングにも使えない。捨てりゃいいんだが相棒感が伴っていて棄てられない。このまま1年に10足ペースで履きつぶしていけば玄関はパニックに陥る。でもきっと棄てられない。
職場に出勤すれば社員はみな忙しそうに立ち振る舞っている。仕事は山のようにあるのに、人手が足りなくて困っている。大学4年生のアルバイト氏いわく、まわりの学生の半数は就職が決まってないとか。ならばうちの会社で働かないか声をかけてくれと頼むと、「たぶん働く気はないから無理です」と言う。就職口がないから就職できないんじゃなくて、ハナから定職につく気がないそうなのだ。中小零細企業は人が足りなくて血まなこで探してるのにね。そーか、ニッポンいい国、働かなくても生きていける。職業も小学校もない国土荒廃したコンゴより5階級くらい不幸格付けがランク上位だ。
そういや数年前、タイの首都バンコクの街角で職を探してる若者がたくさん道端に座ってるの見たな。北部の寒村からあてもなく都会にやってきた若者たちだ。人手がほしい雇い主は周囲をぶらぶら歩いて、元気そうな若者に声をかけて連れてくんだけど、悪いシステムじゃないね。ぼくも徳島駅前で「仕事在りマス」のプラカード持って立ってようかな。
夜、鳴門市陸上競技場に「全日本実業団対抗陸上競技選手権」を観戦しにいく。出場選手には実業団の実力トップクラスから箱根駅伝のスーパースター級まで揃ってるってのに、観客席に人はパラパラ。この国では、箱根駅伝とフルマラソン中継だけが視聴率30%もの人気を博し、それ以外の長距離ランナーの試合は見向きもされず、CSチャンネルですら放映しないという怪奇現象がある。
男子1万メートルの最終組、大塚製薬の三岡大樹選手が最下位でゴールした後、息を荒げてトラックの脇に倒れ込む。観客がほとんど立ち去った寂しいスタジアムの端っこで、紙袋を口に当てがい過呼吸を抑えようと喘ぐ昨年の日本インカレ5000メートル王者。この苦しみをいくつもいくつも乗り越えた人にしか手にできない高みがきっとあるんだろう。
□
足裏のマヒはとれずグニャグニャした感触、ゴリゴリ音を立ててこすれるヒザ関節に目をそむけつつ、ギリシャで行われるスパルタスロンに向かうことになった。
日本を発つ2日前にやっと練習で10キロ走れた。タイムは1時間20分。市民マラソンの大会なら間違いなくビリケツ、それが現時点の能力である。一方、スパルタスロンは世界中から化け物級のウルトラランナーが集まる世界最高峰の超長距離レース。にも関わらず完走率は毎年30〜40%程度である。酷暑のなか乾ききった山岳地帯を越え246キロを36時間以内でゴールしなければならない。気候、地形、距離、時間、すべてが鬼的要素を有し、ランナーをことごとく潰していく。
レース序盤の山場は80キロ地点・コリントスの関門。時間設定が厳しく、そこを越えられるかどうかが最初の壁となる。制限時間は9時間30分ながら、コースの大半が起伏に富み、日本国内の100キロレースを10時間で走るくらいの感覚で突っこむ必要がある。つまりキロ6分か、悪くても6分30秒ペースで押していかないと関門に届かない。
出発3日前に10キロ走っただけの現在冬眠男の身体は、20キロを過ぎると濡れ雑巾のように重くなった。脚が痛くてどうしようもないので早くも鎮痛剤を投入するが、さっぱり効いてこない。次第に246キロの完走なんて想像のらち外に去り、目の前の1キロを6分台でカバーすることだけに意識集中する。この1キロで潰れるんなら、その先なんてないに等しいんだから。
80キロ関門が閉鎖される16分前、9時間14分で着くと先着の選手たちはエイドで休憩をとっている。他選手のサポートをしている方々が親切に食料や飲物を提供してくれようとするが、いったん座り込むと二度と立てなくなる気がして、用意されたパイプ椅子の誘惑を振り切りコースに出る。でも、もう脚が動かない。走ることはおろか歩くのもままならない。泣いてもわめいても時速3キロ、それでも前に進めるだけは進みたい。ふどう畑の一本道を、散歩中の5歳くらいの女の子が後ろからやってきて、不思議そうにこっちを見つめる。不審者と思われないよう、弱々しく笑って応える。彼女にヒモを引かれた小型犬がワンワンと鳴き、少女はバイバイと手を振って夕焼けに消えていく。少女と子犬に置き去りにされ、ぼくのスパルタスロンが終わりを告げる。たった83キロしか走れなかった。
惜しくもなんともない結果だからリタイア後は清々としたもんだったが、帰国してから悔しさが沸々と煮えたぎりだした。来年のスパルタスロンまで12カ月ある。1カ月に最低1本は200キロ以上のレースに出るかロング走をし、来年はぜったいに完走すると決めた。そして狂ったように大会にエントリーしまくる。12月の東海道500キロ、1月は宮古島100キロ。3月には小江戸大江戸200キロ、小豆島寒霞渓100キロ、淡路島一周150キロの3連戦。壊れた脚なんか、ムチャ走りしてるうちに痛覚も消えるだろう。
人生に残された時間はたっぷりあるようでいて実はない。自分にとって不要な時間は切り捨て、必要なことだけをやる。今はひたすら長距離を走り、おもしろい雑誌をつくり、コンゴ行きの準備をする。ジャングルの中ではリンガラ語しか通じないから、さっさと覚えないとな。それ以外のことは何もしない。満ち足りていると何もはじまらない。必要なのは寝ぼけマナコとグーグー悲鳴をあげる空きっ腹だ。
それでも口さみしさはあるので、一日じゅうフリスクやミンティアを舌で転がしている。生半可な清涼感では物足りず刺激度最強のブラックミントかドライハードと決めている。最近気づいたんだけど、フリスクとミンティアって1箱に入ってる粒数は50粒で同じなのだ。値段はフリスクが2倍高いし箱も大きいから、フリスクの粒数が多いとばかり思いこんでいた。オランダ産と日本産の違いなんだろうか。あえてフリスクを選択する理由が見つからなくなっている。
毎日寝るのがかったるい。なるべく眠らずにすむ方法はないものか。最低生存するために1日3食も摂取する必然性がないのと同様、24時間で1回眠らねばならんもんか疑わしい。ひょっとしてそう信じ込まされてるだけではないか。もの凄く眠くなるまで寝ない、と決め半月間ためしたところ、ぼくには36時間ごとに睡魔が訪れると判明した。だがこれだと一回眠るたびに生活サイクルが半日ずつずれていくので仕事と両立できず困る。当面は眠いのをがまんして48時間に1回睡眠を目指してみよう。
北米横断のゴールから1カ月もたつのに、まだ走れない。やせ細った筋肉、足の裏のマヒ、全部の関節の痛み。仕方ないので歩いている。10キロを歩くのに3時間かかる。歩くスピードが遅すぎてウォーキングしてるオバチャンに後方からガンガン抜かされる。なかなかの屈辱ではあるが、歩いていないと生きている実感が乏しくなりそうなので歩く。歩けばかろうじて脳が動く。少しは何かやらなければという気も湧く。やりたいことはある。
コンゴ民主共和国という国がアフリカのど真ん中にある。昔はザイールという国名だった。1人あたりの名目GDPが世界179カ国のうちで堂々179位と最下位をマークしている世界最貧国である。15年前に内戦が始まり2年間で150万人が虐殺された。7年後に停戦されたが、今でも国土の大半の地域は無法地帯のままである。農業従事者が国民の75%とされているが、これは収穫し出荷してビジネスを営む農家じゃなくて、自給自足民を指している。つまり、国民の多くは職業を持たず、収入源がない。
内戦時には学校や教会は破壊され、戦後は義務教育制度も失われた。教育者や校舎が残った村落はまだマシな方だが、小学校があっても授業を受けるのは有料。およそ月額500円の授業料を用意できる家庭は少なく、初等教育の就学率は50%に満たない。教室は1クラス100人以上の大所帯、土のうえに座っての青空教室だ。
ぼくは25年前に3カ月、この国に滞在した。天を衝くジャングルの樹木、涸れることなく育つ果実の色彩、桃源郷を想起させる可憐な花々。美しさと豊かさに溢れた国だった。人びとは例外なく優しかった。歩いて旅していたぼくを家庭に招き入れ、寝床と食事を無償で提供してくれた。お礼にと渡そうとしたお金は必ず拒まれた。旅を終え日本に帰国してから、何人かの若者と文通していた。しかし内戦が起こって以降、手紙は来なくなった。国家運営がなされていない状態がつづいたから、郵便物だって届かないのは当然だが、かつての恩人たちが命を失っていないか今でも気にかかっている。次の春、再訪する。自分の目で確かめないまま、人生を終わることはできない。現地に行ってみなくちゃわからないことがある。
日課の10キロ歩きを終えて自宅に戻ると、玄関にランニングシューズが山と積まれている。ちょっとしたスポーツ店より品揃え豊かである。数えれば60足以上ある。大半のシューズは底のソールのゴムがすり減ってジョギングにも使えない。捨てりゃいいんだが相棒感が伴っていて棄てられない。このまま1年に10足ペースで履きつぶしていけば玄関はパニックに陥る。でもきっと棄てられない。
職場に出勤すれば社員はみな忙しそうに立ち振る舞っている。仕事は山のようにあるのに、人手が足りなくて困っている。大学4年生のアルバイト氏いわく、まわりの学生の半数は就職が決まってないとか。ならばうちの会社で働かないか声をかけてくれと頼むと、「たぶん働く気はないから無理です」と言う。就職口がないから就職できないんじゃなくて、ハナから定職につく気がないそうなのだ。中小零細企業は人が足りなくて血まなこで探してるのにね。そーか、ニッポンいい国、働かなくても生きていける。職業も小学校もない国土荒廃したコンゴより5階級くらい不幸格付けがランク上位だ。
そういや数年前、タイの首都バンコクの街角で職を探してる若者がたくさん道端に座ってるの見たな。北部の寒村からあてもなく都会にやってきた若者たちだ。人手がほしい雇い主は周囲をぶらぶら歩いて、元気そうな若者に声をかけて連れてくんだけど、悪いシステムじゃないね。ぼくも徳島駅前で「仕事在りマス」のプラカード持って立ってようかな。
夜、鳴門市陸上競技場に「全日本実業団対抗陸上競技選手権」を観戦しにいく。出場選手には実業団の実力トップクラスから箱根駅伝のスーパースター級まで揃ってるってのに、観客席に人はパラパラ。この国では、箱根駅伝とフルマラソン中継だけが視聴率30%もの人気を博し、それ以外の長距離ランナーの試合は見向きもされず、CSチャンネルですら放映しないという怪奇現象がある。
男子1万メートルの最終組、大塚製薬の三岡大樹選手が最下位でゴールした後、息を荒げてトラックの脇に倒れ込む。観客がほとんど立ち去った寂しいスタジアムの端っこで、紙袋を口に当てがい過呼吸を抑えようと喘ぐ昨年の日本インカレ5000メートル王者。この苦しみをいくつもいくつも乗り越えた人にしか手にできない高みがきっとあるんだろう。
□
足裏のマヒはとれずグニャグニャした感触、ゴリゴリ音を立ててこすれるヒザ関節に目をそむけつつ、ギリシャで行われるスパルタスロンに向かうことになった。
日本を発つ2日前にやっと練習で10キロ走れた。タイムは1時間20分。市民マラソンの大会なら間違いなくビリケツ、それが現時点の能力である。一方、スパルタスロンは世界中から化け物級のウルトラランナーが集まる世界最高峰の超長距離レース。にも関わらず完走率は毎年30〜40%程度である。酷暑のなか乾ききった山岳地帯を越え246キロを36時間以内でゴールしなければならない。気候、地形、距離、時間、すべてが鬼的要素を有し、ランナーをことごとく潰していく。
レース序盤の山場は80キロ地点・コリントスの関門。時間設定が厳しく、そこを越えられるかどうかが最初の壁となる。制限時間は9時間30分ながら、コースの大半が起伏に富み、日本国内の100キロレースを10時間で走るくらいの感覚で突っこむ必要がある。つまりキロ6分か、悪くても6分30秒ペースで押していかないと関門に届かない。
出発3日前に10キロ走っただけの現在冬眠男の身体は、20キロを過ぎると濡れ雑巾のように重くなった。脚が痛くてどうしようもないので早くも鎮痛剤を投入するが、さっぱり効いてこない。次第に246キロの完走なんて想像のらち外に去り、目の前の1キロを6分台でカバーすることだけに意識集中する。この1キロで潰れるんなら、その先なんてないに等しいんだから。
80キロ関門が閉鎖される16分前、9時間14分で着くと先着の選手たちはエイドで休憩をとっている。他選手のサポートをしている方々が親切に食料や飲物を提供してくれようとするが、いったん座り込むと二度と立てなくなる気がして、用意されたパイプ椅子の誘惑を振り切りコースに出る。でも、もう脚が動かない。走ることはおろか歩くのもままならない。泣いてもわめいても時速3キロ、それでも前に進めるだけは進みたい。ふどう畑の一本道を、散歩中の5歳くらいの女の子が後ろからやってきて、不思議そうにこっちを見つめる。不審者と思われないよう、弱々しく笑って応える。彼女にヒモを引かれた小型犬がワンワンと鳴き、少女はバイバイと手を振って夕焼けに消えていく。少女と子犬に置き去りにされ、ぼくのスパルタスロンが終わりを告げる。たった83キロしか走れなかった。
惜しくもなんともない結果だからリタイア後は清々としたもんだったが、帰国してから悔しさが沸々と煮えたぎりだした。来年のスパルタスロンまで12カ月ある。1カ月に最低1本は200キロ以上のレースに出るかロング走をし、来年はぜったいに完走すると決めた。そして狂ったように大会にエントリーしまくる。12月の東海道500キロ、1月は宮古島100キロ。3月には小江戸大江戸200キロ、小豆島寒霞渓100キロ、淡路島一周150キロの3連戦。壊れた脚なんか、ムチャ走りしてるうちに痛覚も消えるだろう。
人生に残された時間はたっぷりあるようでいて実はない。自分にとって不要な時間は切り捨て、必要なことだけをやる。今はひたすら長距離を走り、おもしろい雑誌をつくり、コンゴ行きの準備をする。ジャングルの中ではリンガラ語しか通じないから、さっさと覚えないとな。それ以外のことは何もしない。満ち足りていると何もはじまらない。必要なのは寝ぼけマナコとグーグー悲鳴をあげる空きっ腹だ。
大人気のさらランキングは、「ちょっとエエもんランキング」。買うときは少し気合がいるけれど、使うと幸せ〜な気分になれる「私のちょっとした贅沢」を教えてもらいました。