文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
人にもよるけどスパルタスロンを完走してる人って、だいたい月に700〜800キロ走ってる。毎日約30キロ。仕事を持ってる人だと、まとめて3時間は確保できないから朝昼晩と3回に分けたり、週末に50〜80キロ走って帳尻をあわすようだ。
人にもよるけどスパルタスロンを完走してる人って、だいたい月に700〜800キロ走ってる。毎日約30キロ。仕事を持ってる人だと、まとめて3時間は確保できないから朝昼晩と3回に分けたり、週末に50〜80キロ走って帳尻をあわすようだ。
一方ぼくは、練習量を増やしていくべき春以降も距離を稼げていない。せいぜい月に500キロ。こんな追い込み方では完走はおぼつかん! だいいちスピードが決定的に欠けてるんだから、せめて人なみに距離を踏むくらいの抵抗ってかアガキを示さないといけないわけだが、現実はお寒い。毎朝、極度の疲労感でぐったり目覚め、布団にからだがヘバりついて起きあがるのも困難。フィリップ・マーロウの「男はタフでなければ生きていけない」の台詞が頭をぐるぐる駆けめぐるが、「やっぱしぼくは超人になんかなれない」とあきらめ二度寝、三度寝をくりかえす。
朝練20キロ。最初キロ8分、足が重くてこれ以上スピードが出ない。10キロ越えたあたりでようやくキロ6分で走れるようになり、ラスト1キロは全力走に切り替え3分50秒くらいまでスパートして終了。川原の土手にひっくり返り、カラゲロを空に向かってオェオェえずく。いちおうこれで追い込んだつもり。ボロボロ鈍重足で走ることにスパルタ練習の本質的な意味があり、いかに「潰れきった」状態に近いバッドな体調をキープするかが重要事項なのである。
30キロ、40キロと走るときは補給が必要なので、ランニングコースの土手脇の草むらに発泡スチロール製のボックスを置く。中にはスポーツドリンクやチョコを入れておき、10キロごとに補給する。ところが最近、ボックスの中身がドロンと消えてしまう事件が多発。くそ暑い中、喉カラカラで10キロ戻ってきたら、イリュージョンのごとくアクエリアスもキットカットも消失! おいおい、ここは生き馬の目を抜く焼け跡闇市か。仕方なく給水なしで30キロ、熱中症寸前。
ちなみに夜食に白米を食べると翌日はとても体調がよろしい。やっぱし炭水化物パワーは凄いね。ということで、基本的に炭水化物は採らないことにする。日々エネルギー枯渇させたままハラペコで走る。
練習だけでは真に追い込めないから、6月には100キロレースを3本入れた。レースとレースの間に疲労抜き休養は入れない。するとスタートラインでは目眩がして立ってられないくらいしんどいわけだが、そのヘトヘト感が重要である。30キロあたりで一度くちゃくちゃに潰れ、残り70キロを動かない脚を前に振り出していかに前進するか。それがテーマ。
で、しまなみ海道ではラスト20キロに4時間かかって12時間18分、隠岐の島でも後半歩きまくって11時間48分。こんなんで本当に練習になってるんだろうかという疑念も深めつつ、3戦目のサロマ湖に向かった。
□
曇天の空、フロントガラスにまとわりつく霧の粒。GPSの音声が、次の曲がり角が30キロ以上先だと教える。牧草地のなかを貫く一本道はただ真っ直ぐに伸び、レンタカーのハンドルを動かす必要がない。助手席に大量の食料を山積みにし、ひたすら食べ続けながら移動する。1個300キロカロリーと表示された巨大オニギリ4個目を胃におさめ5個目に突入。合間には、揚げパン、サンドイッチ、チョコ、ビスケット、大福、アイスクリームなどをコーラと牛乳で流し込む。都合4000キロカロリーは突破したかな。血液に糖分がどくどく混じり、体内に熱量が充満していく。何もしてないのに汗が噴き出してくる。
北海道東部の中標津空港から開催地の湧別町まで約200キロ、ノンストップで運転する。マラソンで100キロ走るのはあっという間なのに、自動車で移動する時間はこのうえなく長ったらしい。
明日のスタート地点である湧別町体育館で受付を済ませると夕方6時近い。明朝は午前2時30分起床予定。逆算すると9時間もない。宿泊はさらに40キロ離れた「瀬戸瀬温泉ホテル」である。こういう大規模な大会ではありがちだが、会場周辺の宿泊施設は旅行会社がツアー客用に全室おさえていて、予約がとれない。ツアー代金は12万円と高く、個人で手配すれば、飛行機代・レンタカー代・宿代含めて6万円程度ですむので多少の不便さは致し方ない。スタート地点付近にテントを張ったり、レンタカーで車中泊すれば移動もなく、費用もさらに安上がりだが、100キロ走る前夜くらいは布団で寝たいという甘い欲求をぬぐい捨てられない。2時間かけて宿を往復する方が楽なのか、よけいに疲れちまうのかは不明。男はタフでなければ生きていけないんだけど、ぼくはあまりタフにはできていない。
日も暮れかけた頃、濃い霧の向こうに瀬戸瀬温泉ホテルの時代がかった鉄筋コンクリートの建物が現れる。50年以上ここで営業しているというから相当な年期物である。「自然噴出温泉純度100%」と書かれた古びた看板。まわりはうっそうとした森。とくに見学すべきものやアトラクションはなさそうだ。
1泊素泊まり3675円。宿の大将が「夜8時から風呂の掃除するから、それまでに入ってね」と言う。む? 宿泊施設の風呂掃除ってフツー朝の8時からなんではないかと耳を疑ったが、夜8時で間違いないようである。どっちみち8時には布団にもぐり込むから構わないケドさ。
昭和遺産に認定したいようなレトロなタイル地の浴場をひとりぼっちで満喫し、部屋に戻ると何もやることがない。自炊型の宿なので、食べ物も売ってない。布団は自分で敷く。テレビも地デジは映らない。衛星放送が4チャンネルだけ映るが、リモコンがないので画面の下についた小っちゃいボタンを押してチャンネル変えてると人差し指の爪が痛くなる。面倒くさいから森進一が「襟裳岬」を熱唱する歌謡番組をつけっぱなしで寝る。
夜9時に入眠し朝2時に起きる。睡眠時間は5時間。大会前日なんてコーフンしすぎて一睡もできないなんて茶飯だから、よしとしよう。疲労感はまるで抜けていない。意図したとおりである。
再び40キロ移動しスタート会場へ。トイレ行列に15分ほど並び、いよいよ順番が回ってきたので、便器にまたがり「うりゃー」と気合いを入れて気ばるが、あえなく不発に終わる。これもまた茶飯。
トイレ待ちに時間を費やしたため最後尾近くからのスタートとなる。疲労蓄積の重い脚、5000キロカロリー分のウンコも腹の中で滞在、ゆえに軽快さとは真逆の走り。筋力衰弱しキック力を全然使えないので、カカトつけてトコトコ走る。
10キロ通過。たった10キロなのに、ゼーゼー息が上がっている。タイムは50分くらいかなと思い腕時計を見れば1時間37秒。遅っそ〜、こりゃ先が思いやられるぞー。キロ6分ペースなら、きっとマラソンを始めたばかりの人でも無理なく走れるだろう。誰でもできることを、あきらめず、止まらず、つづける。歩幅が狭くなろうと、ピッチが遅くなろうと、ひたすらくたばった足を動かし続ける。産業革命の労働者のように、無口に、黙々と。それがスパルタへとつづく道だと信じよう。
20キロ、2時間と38秒。イヤってほど後続ランナーに抜かれっぱなし。だが相当へたっているわりにキロ6分は維持している。悪くない、悪くない。周りが速すぎるだけだ。
30キロ、3時間2分。もはや100キロ走り終えたみたいに足が動かん。油をさしてないボロ自転車みたい。筋肉に力が入らないから股関節やヒザに負担がかかり、バタバタとバランス悪く走る。わかっちゃいるけど修正が効かない。平坦なはずの道がダラダラ登り坂に感じられる。「ねばれ、ねばるしかない、ねばるんだ」と念仏唱えるように声に出してつぶやく。隣を走る人生の大先輩的風情のランナーがこっちを向いて「うん、ねばりましょう」とやさしく笑う。
40キロ、4時間4分。汗が抜けきったのかフイに体が軽くなる。集団で走っているランナーを5人、10人と追い越してゆく。ペースがあがっているのかな、と思いラップタイムを見るとキロ6分のまんま。イーブンペースで進めば、こんなに前から落ちてくるもんなのね。
50キロ、5時間5分。体調、ますます楽になってきて好調状態に突入。スピード上げようと思えば上げられそうなんだけど、やめとく。今日は速く走ることを目的としていない。このペースで100キロのゴールを迎え、そのままゴール会場を走り抜けて、追加で100キロ走り続けられる余裕度を手にしたいんだ。
54キロ地点、グランディアホテルの大エイドに到着。たくさんの先着ランナーがパイプ椅子や地べたに腰かけ、栄養補給したりアイシングをしながら後半戦の準備をしている。ぼくは、おにぎりを1個だけもらって口に投げ込むと、一歩も立ち止まらずエイドを抜ける。きっとこの素通りで100人くらい抜いたぞー。息切れも痛みもなく走れると、気分はどんどん有頂天へと駆け上がりがちだが、戒めの念仏を再開する。「調子に乗るな。飛ばすな。筋力使うな。キック力使うな」「キロ6分以上出すな。キロ6分で250キロ走れるランナーになるんだろ?」
60キロ、6時間8分。「魔女の森」と呼ばれる樹林帯に入る。全コース中、頭上が木々で覆われるのはここだけだ。ペースがやや落ちているが気にしない。ラップタイムを維持するために心肺機能を酷使しては意味がない。近視眼的にペースを上げてタイムを維持してはいけない。ひたすら同じ負荷をかけつづけることが大事なんだ。私設エイドを出している美人のお姉さんを発見、近づくと「何がいいですか?」と問われ、「コーラください!」と大声で直訴。すかさずお姉さん、コカコーラゼロをコップに注いでくれる。(ううっ、ゼロじゃない方のコーラください)と心で泣きゼロを飲む。
70キロ、7時間11分。サロマ湖沿いの直線道路はひたすら長く、おしるこを提供してくれるエイドが人気の鶴雅リゾートホテルの建物を遠望するが、なかなか近づかない。ここで折れたらまたもや失敗レースだ。ここは北海道、帰り道は長い。落ち込んだ気分で帰るのはイヤだイヤだ。「さー粘るよ、粘れ、粘れ」「ここからだ、ここからだ」と、隣のおじさまランナーと合唱する。熱いね、ぼくたちオッサン。
80キロ、8時間16分。ワッカ原生花園に入ると「やった!」と高揚した気分が押し寄せる。ゴールまで残り10キロ台のカウントダウンのはじまり。1キロ減るごとに心が軽くなっていく。89キロで折り返したランナーが、飛ぶようなスピードで駆けてくる。8時間台前半でゴールする人たちだ。あんなにも軽い脚と身体があったら100キロだって楽しく走れるんだろうね。いや、速い人は速い人で大変なんだろう。
90キロ、9時間23分。ラスト10キロだけちょっとペースをあげてみよっかな。ここまでペースアップを我慢したんだから10キロくらいは許してやろう。全力で走るのはやっぱし楽しいもんだ。残り2キロ、直線道路に入るとゴール会場である常呂町スポーツセンターの煉瓦色の壁が、木々の奥に見えてくる。100キロの最後にいつも去来する寂しさは、小学生の頃感じた長い長い夏休みが終わってしまう気分。
100キロ、ゴールタイムは10時間22分。まだまだ走れる。同じペースであと100キロ走れそうだ。ケシ粒ほどの光すら見えなかったスパルタスロン完走の可能性が「まったくダメってわけでもないんじゃないの死ぬ気でやれば」程度まで近づいた気がする。スパルタスロンまであと90日、もっと走ろう、もっと疲れよう。
朝練20キロ。最初キロ8分、足が重くてこれ以上スピードが出ない。10キロ越えたあたりでようやくキロ6分で走れるようになり、ラスト1キロは全力走に切り替え3分50秒くらいまでスパートして終了。川原の土手にひっくり返り、カラゲロを空に向かってオェオェえずく。いちおうこれで追い込んだつもり。ボロボロ鈍重足で走ることにスパルタ練習の本質的な意味があり、いかに「潰れきった」状態に近いバッドな体調をキープするかが重要事項なのである。
30キロ、40キロと走るときは補給が必要なので、ランニングコースの土手脇の草むらに発泡スチロール製のボックスを置く。中にはスポーツドリンクやチョコを入れておき、10キロごとに補給する。ところが最近、ボックスの中身がドロンと消えてしまう事件が多発。くそ暑い中、喉カラカラで10キロ戻ってきたら、イリュージョンのごとくアクエリアスもキットカットも消失! おいおい、ここは生き馬の目を抜く焼け跡闇市か。仕方なく給水なしで30キロ、熱中症寸前。
ちなみに夜食に白米を食べると翌日はとても体調がよろしい。やっぱし炭水化物パワーは凄いね。ということで、基本的に炭水化物は採らないことにする。日々エネルギー枯渇させたままハラペコで走る。
練習だけでは真に追い込めないから、6月には100キロレースを3本入れた。レースとレースの間に疲労抜き休養は入れない。するとスタートラインでは目眩がして立ってられないくらいしんどいわけだが、そのヘトヘト感が重要である。30キロあたりで一度くちゃくちゃに潰れ、残り70キロを動かない脚を前に振り出していかに前進するか。それがテーマ。
で、しまなみ海道ではラスト20キロに4時間かかって12時間18分、隠岐の島でも後半歩きまくって11時間48分。こんなんで本当に練習になってるんだろうかという疑念も深めつつ、3戦目のサロマ湖に向かった。
□
曇天の空、フロントガラスにまとわりつく霧の粒。GPSの音声が、次の曲がり角が30キロ以上先だと教える。牧草地のなかを貫く一本道はただ真っ直ぐに伸び、レンタカーのハンドルを動かす必要がない。助手席に大量の食料を山積みにし、ひたすら食べ続けながら移動する。1個300キロカロリーと表示された巨大オニギリ4個目を胃におさめ5個目に突入。合間には、揚げパン、サンドイッチ、チョコ、ビスケット、大福、アイスクリームなどをコーラと牛乳で流し込む。都合4000キロカロリーは突破したかな。血液に糖分がどくどく混じり、体内に熱量が充満していく。何もしてないのに汗が噴き出してくる。
北海道東部の中標津空港から開催地の湧別町まで約200キロ、ノンストップで運転する。マラソンで100キロ走るのはあっという間なのに、自動車で移動する時間はこのうえなく長ったらしい。
明日のスタート地点である湧別町体育館で受付を済ませると夕方6時近い。明朝は午前2時30分起床予定。逆算すると9時間もない。宿泊はさらに40キロ離れた「瀬戸瀬温泉ホテル」である。こういう大規模な大会ではありがちだが、会場周辺の宿泊施設は旅行会社がツアー客用に全室おさえていて、予約がとれない。ツアー代金は12万円と高く、個人で手配すれば、飛行機代・レンタカー代・宿代含めて6万円程度ですむので多少の不便さは致し方ない。スタート地点付近にテントを張ったり、レンタカーで車中泊すれば移動もなく、費用もさらに安上がりだが、100キロ走る前夜くらいは布団で寝たいという甘い欲求をぬぐい捨てられない。2時間かけて宿を往復する方が楽なのか、よけいに疲れちまうのかは不明。男はタフでなければ生きていけないんだけど、ぼくはあまりタフにはできていない。
日も暮れかけた頃、濃い霧の向こうに瀬戸瀬温泉ホテルの時代がかった鉄筋コンクリートの建物が現れる。50年以上ここで営業しているというから相当な年期物である。「自然噴出温泉純度100%」と書かれた古びた看板。まわりはうっそうとした森。とくに見学すべきものやアトラクションはなさそうだ。
1泊素泊まり3675円。宿の大将が「夜8時から風呂の掃除するから、それまでに入ってね」と言う。む? 宿泊施設の風呂掃除ってフツー朝の8時からなんではないかと耳を疑ったが、夜8時で間違いないようである。どっちみち8時には布団にもぐり込むから構わないケドさ。
昭和遺産に認定したいようなレトロなタイル地の浴場をひとりぼっちで満喫し、部屋に戻ると何もやることがない。自炊型の宿なので、食べ物も売ってない。布団は自分で敷く。テレビも地デジは映らない。衛星放送が4チャンネルだけ映るが、リモコンがないので画面の下についた小っちゃいボタンを押してチャンネル変えてると人差し指の爪が痛くなる。面倒くさいから森進一が「襟裳岬」を熱唱する歌謡番組をつけっぱなしで寝る。
夜9時に入眠し朝2時に起きる。睡眠時間は5時間。大会前日なんてコーフンしすぎて一睡もできないなんて茶飯だから、よしとしよう。疲労感はまるで抜けていない。意図したとおりである。
再び40キロ移動しスタート会場へ。トイレ行列に15分ほど並び、いよいよ順番が回ってきたので、便器にまたがり「うりゃー」と気合いを入れて気ばるが、あえなく不発に終わる。これもまた茶飯。
トイレ待ちに時間を費やしたため最後尾近くからのスタートとなる。疲労蓄積の重い脚、5000キロカロリー分のウンコも腹の中で滞在、ゆえに軽快さとは真逆の走り。筋力衰弱しキック力を全然使えないので、カカトつけてトコトコ走る。
10キロ通過。たった10キロなのに、ゼーゼー息が上がっている。タイムは50分くらいかなと思い腕時計を見れば1時間37秒。遅っそ〜、こりゃ先が思いやられるぞー。キロ6分ペースなら、きっとマラソンを始めたばかりの人でも無理なく走れるだろう。誰でもできることを、あきらめず、止まらず、つづける。歩幅が狭くなろうと、ピッチが遅くなろうと、ひたすらくたばった足を動かし続ける。産業革命の労働者のように、無口に、黙々と。それがスパルタへとつづく道だと信じよう。
20キロ、2時間と38秒。イヤってほど後続ランナーに抜かれっぱなし。だが相当へたっているわりにキロ6分は維持している。悪くない、悪くない。周りが速すぎるだけだ。
30キロ、3時間2分。もはや100キロ走り終えたみたいに足が動かん。油をさしてないボロ自転車みたい。筋肉に力が入らないから股関節やヒザに負担がかかり、バタバタとバランス悪く走る。わかっちゃいるけど修正が効かない。平坦なはずの道がダラダラ登り坂に感じられる。「ねばれ、ねばるしかない、ねばるんだ」と念仏唱えるように声に出してつぶやく。隣を走る人生の大先輩的風情のランナーがこっちを向いて「うん、ねばりましょう」とやさしく笑う。
40キロ、4時間4分。汗が抜けきったのかフイに体が軽くなる。集団で走っているランナーを5人、10人と追い越してゆく。ペースがあがっているのかな、と思いラップタイムを見るとキロ6分のまんま。イーブンペースで進めば、こんなに前から落ちてくるもんなのね。
50キロ、5時間5分。体調、ますます楽になってきて好調状態に突入。スピード上げようと思えば上げられそうなんだけど、やめとく。今日は速く走ることを目的としていない。このペースで100キロのゴールを迎え、そのままゴール会場を走り抜けて、追加で100キロ走り続けられる余裕度を手にしたいんだ。
54キロ地点、グランディアホテルの大エイドに到着。たくさんの先着ランナーがパイプ椅子や地べたに腰かけ、栄養補給したりアイシングをしながら後半戦の準備をしている。ぼくは、おにぎりを1個だけもらって口に投げ込むと、一歩も立ち止まらずエイドを抜ける。きっとこの素通りで100人くらい抜いたぞー。息切れも痛みもなく走れると、気分はどんどん有頂天へと駆け上がりがちだが、戒めの念仏を再開する。「調子に乗るな。飛ばすな。筋力使うな。キック力使うな」「キロ6分以上出すな。キロ6分で250キロ走れるランナーになるんだろ?」
60キロ、6時間8分。「魔女の森」と呼ばれる樹林帯に入る。全コース中、頭上が木々で覆われるのはここだけだ。ペースがやや落ちているが気にしない。ラップタイムを維持するために心肺機能を酷使しては意味がない。近視眼的にペースを上げてタイムを維持してはいけない。ひたすら同じ負荷をかけつづけることが大事なんだ。私設エイドを出している美人のお姉さんを発見、近づくと「何がいいですか?」と問われ、「コーラください!」と大声で直訴。すかさずお姉さん、コカコーラゼロをコップに注いでくれる。(ううっ、ゼロじゃない方のコーラください)と心で泣きゼロを飲む。
70キロ、7時間11分。サロマ湖沿いの直線道路はひたすら長く、おしるこを提供してくれるエイドが人気の鶴雅リゾートホテルの建物を遠望するが、なかなか近づかない。ここで折れたらまたもや失敗レースだ。ここは北海道、帰り道は長い。落ち込んだ気分で帰るのはイヤだイヤだ。「さー粘るよ、粘れ、粘れ」「ここからだ、ここからだ」と、隣のおじさまランナーと合唱する。熱いね、ぼくたちオッサン。
80キロ、8時間16分。ワッカ原生花園に入ると「やった!」と高揚した気分が押し寄せる。ゴールまで残り10キロ台のカウントダウンのはじまり。1キロ減るごとに心が軽くなっていく。89キロで折り返したランナーが、飛ぶようなスピードで駆けてくる。8時間台前半でゴールする人たちだ。あんなにも軽い脚と身体があったら100キロだって楽しく走れるんだろうね。いや、速い人は速い人で大変なんだろう。
90キロ、9時間23分。ラスト10キロだけちょっとペースをあげてみよっかな。ここまでペースアップを我慢したんだから10キロくらいは許してやろう。全力で走るのはやっぱし楽しいもんだ。残り2キロ、直線道路に入るとゴール会場である常呂町スポーツセンターの煉瓦色の壁が、木々の奥に見えてくる。100キロの最後にいつも去来する寂しさは、小学生の頃感じた長い長い夏休みが終わってしまう気分。
100キロ、ゴールタイムは10時間22分。まだまだ走れる。同じペースであと100キロ走れそうだ。ケシ粒ほどの光すら見えなかったスパルタスロン完走の可能性が「まったくダメってわけでもないんじゃないの死ぬ気でやれば」程度まで近づいた気がする。スパルタスロンまであと90日、もっと走ろう、もっと疲れよう。