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2012年08月22日
イルカと泳いで、雑巾かけて、明石海峡大橋の頂上登って…。とにかく超絶おもしろい観光ガイドが登場! まだまだ遊び足りないあなたに捧ぐ。
★はるばる! おでかけうまメシ
どんなに遠く離れていても、食べたい一品があるんです。徳島各地にちらばったうまめしを大紹介!
★マラソン大特集
徳島のマラソンシーンを熱く語ったコラムを始め、マラソン大会スケジュール、気になるランニングクラブを紹介。
2012年08月16日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
職業柄だろうか。「私は徳島が大好きです」と目を輝かせた人が、ときどきやってくる。肩書きはいろいろだ。経営者、学者、政治家志望、アーチスト、大学生、社会起業家・・・。
「私は、徳島を愛しています」と言う。
ふむ、たしかに愛は自由である。徳島を愛し、ラーメンを愛し、海を愛する。人によってはコウロギや渋柿や長州力を愛する。人それぞれである。ぼくは「節足動物を愛する人たち」や「女子高生のお古の制服を愛する人たち」の会にも顔を出したことがある。何を愛そうと、法に抵触しない限りにおいて、愛の対象に限界はない。愛とは人間にとって最も重要な感情の一つであり、愛なくしては人生は乾いた砂のようなものになるだろう。
職業柄だろうか。「私は徳島が大好きです」と目を輝かせた人が、ときどきやってくる。肩書きはいろいろだ。経営者、学者、政治家志望、アーチスト、大学生、社会起業家・・・。
「私は、徳島を愛しています」と言う。
ふむ、たしかに愛は自由である。徳島を愛し、ラーメンを愛し、海を愛する。人によってはコウロギや渋柿や長州力を愛する。人それぞれである。ぼくは「節足動物を愛する人たち」や「女子高生のお古の制服を愛する人たち」の会にも顔を出したことがある。何を愛そうと、法に抵触しない限りにおいて、愛の対象に限界はない。愛とは人間にとって最も重要な感情の一つであり、愛なくしては人生は乾いた砂のようなものになるだろう。
「で、ご用件は?」とたずねる。
「私の愛する徳島にいま元気が足りない。だから徳島を元気にするために、共に頑張っていきませんか」と身を乗り出す。
(この人、猪木なのかな?)と思う。(このまま1.2.3.ダーッ!って盛り上がったまま帰ってくれたらいいのに)とも思う。
浮かない表情をしているぼくを見て、訪問者は問う。
「あなたも徳島を愛してらっしゃるんですよね?」
( さて、ぼくは徳島を愛しているのだろうか)と0.2秒考える。そして答える。
「あんまし愛してないですね。嫌いかというとそうでもないし、好きでも嫌いでもない感じです」と素直に胸の内を吐露する。
すると、さっきまで愛の語り部としてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のような尊い瞳を潤ませていた表情が一天にわかにかき曇り、巨大疑獄の容疑者を責め立てる検察庁のキャリア検事みたいな容赦ない目つきになる。
「それじゃどうして徳島でタウン情報誌なんか作ってるんですか?」
さらに「徳島が好きだから、徳島を元気づけるために雑誌を出してるんじゃないんですか?」と畳みかけられる。
うー、そんな目標掲げたことあったっけ。今まで一回も表明したことないけどな。
「ネットで見たけど、あなたの会社は(徳島をおもしろくする会社)が社訓でしょう?」
(あ、それ「おもしろい本をつくる会社」の間違いですけど・・・)と心でつぶやく。
ぼくは答える。「徳島を愛してはないけど徳島で本を作ってるのは、エロ本を作ってる人が必ずしもエロい人でないのと同じ理屈です」とわかりやすく説明するが、とうてい通じる比喩ではない。
話し合いは暗礁に乗り上げ、来客は(なんだこのバカは)とケイベツのまなざしを向ける。
その雰囲気に耐えかねて、「で、ご用件は?」と再度たずねる。
「徳島を元気づけるために、おたくら地元の情報誌とコラボレートしたいんです。だからうちの会社の宣伝を(タダで)してみたらどうか」とか、「徳島を変えようと立ちあがった自分をインタビューしたらどうか」とか実務的な提案を受ける。
(あ、なるほどね)と目的に気づき、適宜対処をほどこす。
このような野心家たちとは違い、心から純真に「徳島を変えたい」「徳島を元気づけたい」と訴える人もやってくる。
社会起業家タイプの人は、「ある日帰省したら、中心市街地にあまりにも人が歩いてないので寂しかった。どうにか活性化させたい。街を賑やかにしたい」と着火した人が多い。
県外の大学に進学した学生さんは、「東京や関西では徳島のことを知らない人が多くてショックを受けた。もっと徳島のことを全国、全世界に知ってもらいたい」と思いたった人が多い。「徳島を元気にするイベントをやりたい」と企画書を書いてくる若者もいる。
真剣な相手には、こちらも正面から向いあわねば失礼だ。だからマジメに答える。
徳島で生活してる人はすでに毎日、頑張って生きている。自分の仕事や商売に対してけっこう真剣に取り組み汗を流している。だから、ある日突然現れた人から「皆さんは元気がない、もっと元気を出そうよ」と励まされても困惑するかな。中心市街地に人が少ないといっても、終戦後から昭和中期のようにすべての目新しい商業施設や遊びが新町周辺に集中していた時代と違って、あちこちの商店街や郊外の街にカルチャーが拡散した。人が移動し、消費する場所が分散しただけで、徳島全体が冷え込んでるわけではない。地域経済の弱体化の大きな原因である人口減少と高齢化は全国の都市部と農山村部で起こっている。これは徳島という限定的な地域の「活性化」とは別次元の問題。しかし「活性化」といっても、街や地域経済に溢れる活力ってのは、日々商売や仕事に精を出している人たちの営みの総量であって、特別な奇策を用いて街が活発化するもんではない。たまーにイベント催して人が少々集まっても、その地域に住む人たちから自発的に生まれた取り組みじゃないと、すぐ立ち消えになってお仕舞い。だから、あなたの問題意識と解決策は本質からズレている・・・。
あ、言い過ぎてしもた・・・と思った頃にはもう遅い。若者は(こういう情熱に欠けた大人が日本を悪くしてんだ。話になんねーや)と負のオーラを発しながら帰っていく。
このような若者は毎年現れるのだけど、その後、頑張っているのだろうか。地球のどこかで徳島を有名にするための活動をしているのだろうか。ボサノヴァのかかったオシャレなカフェで、カプチーノでもすすりながらサンクチュアリ出版の本をペラペラめくって見果てぬ夢を追いかけてるんだろうか。
どうもぼくは土地への愛着がない。
地図に引かれた境界線で、愛したり、愛さなかったりという感情を持ったことがない。
ぼくは阿南市で生まれたけど、それほど阿南市に思い入れがない。図々しいオバチャンたちの相手をして育ち、汽車の中でヤンキーに殴られて青春を過ごした阿南は、まあ空気はあってるけど愛してるってほどではない。愛憎折半ってところ。
徳島県という土地全体を愛してるかと問われると、広すぎて途方もなく全体を捉え切れない。藍商が盛んな時代から商才のある人材をたくさん輩出した北方(きたがた・徳島市以北)の人は、今でも抜け目なく、交渉事に強くて根回しに長けている。親戚・近所づきあいの縁が濃く、情を露わにし、計算高くない南方(みなみがた)の人とは、別の人種に思える。だからこの人たちを総まとめにして好きなのかどうか自問しても、答えは出ない。嫌いな人も好きな人もいろいろいる。
「阿南市」とか「徳島県」は行政区割の単位だけど、これを島嶼単位の「四国」とか、統治システム単位の「日本国」とか、文化の出流入と人種の近似でまとめた「東アジア」とか。自分の属する地理的境界は、範囲を拡大すれば太陽系から銀河系までいっちゃうけど、各単位を郷土として愛してるかと問われると、いずれも首をひねる。
故郷の山河や民俗に触れれば心やすらぐが、国家のために命を賭すなんて愛国心は1ミリもない。高校時代には式典で日の丸に対して起立せず、君が代を歌わなかった。流行のプチ右な評論家や政治家だちは「世界中のどこの国に行っても、国旗には敬意を払い、国家は斉唱するもの。だから子供たちにはそう教えなくてはならない」と言ってはばからないが、ぼくがアジアやアフリカの旧植民地国で目にしてきた現実はそうではない。弾圧する国家には命がけで敬意を払わない、そんな勇気ある市民はいる。いきすぎた愛の強制は、いずれ破壊的な闘争心に変わるのだ。
このごろ日本では、「愛」をうわまわる勢いで「キズナ」って言葉が勢力を拡大している。チャリティー番組はメインテーマで、J・POPミュージシャンは歌詞で、キズナを大量生産し、受け手は大量消費してきた。大震災以降はオールジャパンでキズナを賞賛する空気ができあがった。
毎年楽しみに観戦している年末年始の駅伝中継もすっかりキズナに占拠された。アナウンサーたちは「選手たちはタスキというキズナをつないでいます!今、先輩から後輩へとキズナがつながれます。タスキという名のキズナが、いやキズナという名のタスキがわたったー!」なんて、むりやりキズナって言葉をさしこみたがるから、聞いてる方はややこしくてしょうがない。なるべく静かに選手の走りだけ見せてはもらえぬものか。
ほぼ週イチで参加している市民マラソン大会でも「キズナ」が猛威を振るっている。スタート前の恒例行事である来賓やゲストランナーの挨拶では「ランナーと被災者のキズナ」についてしばし語られ、「私たちにできることは走ること。走って東北を元気づけましょー!」「オーッ」なんて盛り上がった状態で号砲がパンッ鳴る。家族を亡くし、帰る家を失って、今この瞬間にも困っている人たちが、よその土地できらびやかなスポーツウエアを着て走っている人を見て(見る機会もないだろけど)元気になるなんて考えられる思考の組み立て方が理解できん・・・と不可解な気持ちでスタートを切らされる。日曜日にわいわい楽しく走ってる群衆を見て、勇気がわく被災者って?
震災以降、チャリティーゼッケンってのが流行して、あちこちの大会で採用されてる。ランナーはゼッケンに「東北に元気を、勇気を」とか「がんばれ東北」とかメッセージを書いて走るんだけど、むろん被災した人たちの目には触れない。どうしても思いを届けたいと、段ボール箱に寄せ書きやらメッセージを詰め込んで送りつける人もいる。それもまた扱いに困る。 「東北に笑顔を」「前を向こう」的なフレーズって、葬儀会場で家族を亡くした遺族の前に突然現れた見ず知らずの人が「悲しんでいるあなたたちに元気と勇気を与えたい。私の頑張る姿を見て、あなたも前を向いてください」と言い放つ不遜さとどう違うのだろう。
FMラジオの音楽番組ではゲストのミュージシャンが「自分の歌で被災者に勇気を与えたい」と語り、試合後インタビューを受けるスポーツ選手は「自分のプレーで被災者に元気を与えたい」と言い放つ。繰り返し流されるこの類のメッセージに、耐えがたい嫌悪を感じる。
愛とかキズナとか勇気とか、言葉はどうしてこんなに軽く、薄っぺらになってしまったのだろう。愛なんて、キズナなんて、本来は言葉に出さず、心の内にそっと秘めておくものだ。いつかその存在に気づいたときに、静かに心ふるえるものだ。何年も経ったあとでその大きさに気づかされるものだ。
愛とキズナの大量生産工場と化したこの国の片隅で、秘かにノーのタテカンバンを掲げよう。
「私の愛する徳島にいま元気が足りない。だから徳島を元気にするために、共に頑張っていきませんか」と身を乗り出す。
(この人、猪木なのかな?)と思う。(このまま1.2.3.ダーッ!って盛り上がったまま帰ってくれたらいいのに)とも思う。
浮かない表情をしているぼくを見て、訪問者は問う。
「あなたも徳島を愛してらっしゃるんですよね?」
( さて、ぼくは徳島を愛しているのだろうか)と0.2秒考える。そして答える。
「あんまし愛してないですね。嫌いかというとそうでもないし、好きでも嫌いでもない感じです」と素直に胸の内を吐露する。
すると、さっきまで愛の語り部としてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のような尊い瞳を潤ませていた表情が一天にわかにかき曇り、巨大疑獄の容疑者を責め立てる検察庁のキャリア検事みたいな容赦ない目つきになる。
「それじゃどうして徳島でタウン情報誌なんか作ってるんですか?」
さらに「徳島が好きだから、徳島を元気づけるために雑誌を出してるんじゃないんですか?」と畳みかけられる。
うー、そんな目標掲げたことあったっけ。今まで一回も表明したことないけどな。
「ネットで見たけど、あなたの会社は(徳島をおもしろくする会社)が社訓でしょう?」
(あ、それ「おもしろい本をつくる会社」の間違いですけど・・・)と心でつぶやく。
ぼくは答える。「徳島を愛してはないけど徳島で本を作ってるのは、エロ本を作ってる人が必ずしもエロい人でないのと同じ理屈です」とわかりやすく説明するが、とうてい通じる比喩ではない。
話し合いは暗礁に乗り上げ、来客は(なんだこのバカは)とケイベツのまなざしを向ける。
その雰囲気に耐えかねて、「で、ご用件は?」と再度たずねる。
「徳島を元気づけるために、おたくら地元の情報誌とコラボレートしたいんです。だからうちの会社の宣伝を(タダで)してみたらどうか」とか、「徳島を変えようと立ちあがった自分をインタビューしたらどうか」とか実務的な提案を受ける。
(あ、なるほどね)と目的に気づき、適宜対処をほどこす。
このような野心家たちとは違い、心から純真に「徳島を変えたい」「徳島を元気づけたい」と訴える人もやってくる。
社会起業家タイプの人は、「ある日帰省したら、中心市街地にあまりにも人が歩いてないので寂しかった。どうにか活性化させたい。街を賑やかにしたい」と着火した人が多い。
県外の大学に進学した学生さんは、「東京や関西では徳島のことを知らない人が多くてショックを受けた。もっと徳島のことを全国、全世界に知ってもらいたい」と思いたった人が多い。「徳島を元気にするイベントをやりたい」と企画書を書いてくる若者もいる。
真剣な相手には、こちらも正面から向いあわねば失礼だ。だからマジメに答える。
徳島で生活してる人はすでに毎日、頑張って生きている。自分の仕事や商売に対してけっこう真剣に取り組み汗を流している。だから、ある日突然現れた人から「皆さんは元気がない、もっと元気を出そうよ」と励まされても困惑するかな。中心市街地に人が少ないといっても、終戦後から昭和中期のようにすべての目新しい商業施設や遊びが新町周辺に集中していた時代と違って、あちこちの商店街や郊外の街にカルチャーが拡散した。人が移動し、消費する場所が分散しただけで、徳島全体が冷え込んでるわけではない。地域経済の弱体化の大きな原因である人口減少と高齢化は全国の都市部と農山村部で起こっている。これは徳島という限定的な地域の「活性化」とは別次元の問題。しかし「活性化」といっても、街や地域経済に溢れる活力ってのは、日々商売や仕事に精を出している人たちの営みの総量であって、特別な奇策を用いて街が活発化するもんではない。たまーにイベント催して人が少々集まっても、その地域に住む人たちから自発的に生まれた取り組みじゃないと、すぐ立ち消えになってお仕舞い。だから、あなたの問題意識と解決策は本質からズレている・・・。
あ、言い過ぎてしもた・・・と思った頃にはもう遅い。若者は(こういう情熱に欠けた大人が日本を悪くしてんだ。話になんねーや)と負のオーラを発しながら帰っていく。
このような若者は毎年現れるのだけど、その後、頑張っているのだろうか。地球のどこかで徳島を有名にするための活動をしているのだろうか。ボサノヴァのかかったオシャレなカフェで、カプチーノでもすすりながらサンクチュアリ出版の本をペラペラめくって見果てぬ夢を追いかけてるんだろうか。
どうもぼくは土地への愛着がない。
地図に引かれた境界線で、愛したり、愛さなかったりという感情を持ったことがない。
ぼくは阿南市で生まれたけど、それほど阿南市に思い入れがない。図々しいオバチャンたちの相手をして育ち、汽車の中でヤンキーに殴られて青春を過ごした阿南は、まあ空気はあってるけど愛してるってほどではない。愛憎折半ってところ。
徳島県という土地全体を愛してるかと問われると、広すぎて途方もなく全体を捉え切れない。藍商が盛んな時代から商才のある人材をたくさん輩出した北方(きたがた・徳島市以北)の人は、今でも抜け目なく、交渉事に強くて根回しに長けている。親戚・近所づきあいの縁が濃く、情を露わにし、計算高くない南方(みなみがた)の人とは、別の人種に思える。だからこの人たちを総まとめにして好きなのかどうか自問しても、答えは出ない。嫌いな人も好きな人もいろいろいる。
「阿南市」とか「徳島県」は行政区割の単位だけど、これを島嶼単位の「四国」とか、統治システム単位の「日本国」とか、文化の出流入と人種の近似でまとめた「東アジア」とか。自分の属する地理的境界は、範囲を拡大すれば太陽系から銀河系までいっちゃうけど、各単位を郷土として愛してるかと問われると、いずれも首をひねる。
故郷の山河や民俗に触れれば心やすらぐが、国家のために命を賭すなんて愛国心は1ミリもない。高校時代には式典で日の丸に対して起立せず、君が代を歌わなかった。流行のプチ右な評論家や政治家だちは「世界中のどこの国に行っても、国旗には敬意を払い、国家は斉唱するもの。だから子供たちにはそう教えなくてはならない」と言ってはばからないが、ぼくがアジアやアフリカの旧植民地国で目にしてきた現実はそうではない。弾圧する国家には命がけで敬意を払わない、そんな勇気ある市民はいる。いきすぎた愛の強制は、いずれ破壊的な闘争心に変わるのだ。
このごろ日本では、「愛」をうわまわる勢いで「キズナ」って言葉が勢力を拡大している。チャリティー番組はメインテーマで、J・POPミュージシャンは歌詞で、キズナを大量生産し、受け手は大量消費してきた。大震災以降はオールジャパンでキズナを賞賛する空気ができあがった。
毎年楽しみに観戦している年末年始の駅伝中継もすっかりキズナに占拠された。アナウンサーたちは「選手たちはタスキというキズナをつないでいます!今、先輩から後輩へとキズナがつながれます。タスキという名のキズナが、いやキズナという名のタスキがわたったー!」なんて、むりやりキズナって言葉をさしこみたがるから、聞いてる方はややこしくてしょうがない。なるべく静かに選手の走りだけ見せてはもらえぬものか。
ほぼ週イチで参加している市民マラソン大会でも「キズナ」が猛威を振るっている。スタート前の恒例行事である来賓やゲストランナーの挨拶では「ランナーと被災者のキズナ」についてしばし語られ、「私たちにできることは走ること。走って東北を元気づけましょー!」「オーッ」なんて盛り上がった状態で号砲がパンッ鳴る。家族を亡くし、帰る家を失って、今この瞬間にも困っている人たちが、よその土地できらびやかなスポーツウエアを着て走っている人を見て(見る機会もないだろけど)元気になるなんて考えられる思考の組み立て方が理解できん・・・と不可解な気持ちでスタートを切らされる。日曜日にわいわい楽しく走ってる群衆を見て、勇気がわく被災者って?
震災以降、チャリティーゼッケンってのが流行して、あちこちの大会で採用されてる。ランナーはゼッケンに「東北に元気を、勇気を」とか「がんばれ東北」とかメッセージを書いて走るんだけど、むろん被災した人たちの目には触れない。どうしても思いを届けたいと、段ボール箱に寄せ書きやらメッセージを詰め込んで送りつける人もいる。それもまた扱いに困る。 「東北に笑顔を」「前を向こう」的なフレーズって、葬儀会場で家族を亡くした遺族の前に突然現れた見ず知らずの人が「悲しんでいるあなたたちに元気と勇気を与えたい。私の頑張る姿を見て、あなたも前を向いてください」と言い放つ不遜さとどう違うのだろう。
FMラジオの音楽番組ではゲストのミュージシャンが「自分の歌で被災者に勇気を与えたい」と語り、試合後インタビューを受けるスポーツ選手は「自分のプレーで被災者に元気を与えたい」と言い放つ。繰り返し流されるこの類のメッセージに、耐えがたい嫌悪を感じる。
愛とかキズナとか勇気とか、言葉はどうしてこんなに軽く、薄っぺらになってしまったのだろう。愛なんて、キズナなんて、本来は言葉に出さず、心の内にそっと秘めておくものだ。いつかその存在に気づいたときに、静かに心ふるえるものだ。何年も経ったあとでその大きさに気づかされるものだ。
愛とキズナの大量生産工場と化したこの国の片隅で、秘かにノーのタテカンバンを掲げよう。
現代の徳島県民の傾向や習慣を分析する、表紙で連載中の「トクシマ調査団」では、「徳島県民の台所はインスタント食品で溢れている」を検証。料理を作るのが面倒なときや、もしものときの非常食として広く活躍するインスタント食品は「食べすぎるとカロリーオーバー」だとわかっていながらも、ついつい手がのびちゃう。気づけば台所の棚にはコレクションのようにズラリ…なんてことも!? 果たして結果は?
2012年08月10日
出るだけマシというけれど、実際ナンボもらったん?
昨年の支給額と比較してどう? 業界の景気動向は?
■シリーズ・徳島の消費動向を徹底研究
化粧品、服、下着、アクセサリー、雑貨、家具、家電はどこで買う?ひと昔前と比較!徳島女性が買い物する商圏はこう変わった
■スナックを愛する紳士たちが「ええ店じゃ」と教えてくれた行きつけにしたいスナックはココ!
■田舎ぐらしのここがイヤだ!
勝手に上がり込んでくる近所のオバハン、カナブンが顔面に激突して痛い、年金狙ってネズミ講セミナー、あーもうこんな生活いやなんよ〜
美人の湯からロケーション最高の露天風呂まで、県内44の湯処が大集合!心をまっさらにしてくれる夏湯を満喫する日帰り旅へ。
■徳島 粋な蕎麦処25
職人のこだわりによって生み出されていく上質で繊細な蕎麦。無性に食べたくなる日が大人にはあるんです。そんな大人女子のための素敵蕎麦を集めました。
2012年08月07日
月刊タウン情報CU7月号 実売部数報告です。
CU7月号の売部数は、4,115部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
徳島人7月号 実売部数報告です。
徳島人7月号の売部数は、4,532部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数報告です。
タウトク7月号の売部数は、8,090部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2012年08月02日
また、表紙で好評連載中の「トクシマ調査団」では、徳島県民は和食を食べたあとにコーヒーを飲むのかどうか?をずばり検証。自称コーヒー好きが多いわが徳島の、新しい素顔がまたしても明らかになる。
2012年07月27日
自然体験の中で人は学んでゆくものなのだ!さあ、ドッキドキワクワクな冒険に出かけよう!
★阿波おどり最強ガイド
今年もぞめきのリズムに浮かれる季節がやってきた!徳島夏の一大イベント「阿波おどり」の最強ガイド!これさえあればあなたも阿波っ子!
★美少女たちの夏休み
美少女が浴衣&水着に着替えたら…。衣装によって違う顔を見せる女子高生の表情にキュン!
県下全域のおすすめレジャースポットを大紹介! 有名ドコロから最新情報までズラリと揃ってます!
★真夏のイベント150連発!
野外フェス、花火、阿波踊り、クラブイベント、いるでもどこでもお祭り騒ぎ!
★付録本「徳島冒険王」
徳島に初上陸した人も、裏道まで知り尽くした人も要チェック! 大自然で遊べる施設や阿波踊り情報、美少女たちの浴衣&水着ショットまで盛り沢山!
特集は人気の結婚式スタイルガイド。徳島で私らしさが溢れる素敵な結婚式にするための
6種類のスタイルを紹介しています。その6種類とは…!
2012年07月25日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
地元の雑誌、少ないなーと思う。
本屋さんに行くと単行本、文庫本とラインを違えて雑誌が並んでる一角というか列があるでしょう。新刊だけで数百誌並んでます。そのなかで徳島で出版されている雑誌は全誌のうち1%にも満たない分量です。
地元の雑誌、少ないなーと思う。
本屋さんに行くと単行本、文庫本とラインを違えて雑誌が並んでる一角というか列があるでしょう。新刊だけで数百誌並んでます。そのなかで徳島で出版されている雑誌は全誌のうち1%にも満たない分量です。
日本国内に出回っている出版物はその99%が東京の出版社から発行されています。東京の発行点数に比べたら、大阪にも名古屋にも出版社は無いに等しいと言えます。ハンパない一極集中っぷりです。そりゃ全国に本を流通させようと思ったら、東京が便利なんだけどね。雑誌の出版という仕事は、大衆文化のうえに乗っかったものだから、やっぱメイン+サブカルチャーの先端で、政治・経済・社会変革の初動が起こる場所でこそ出版する必然が生じ、成熟していく産業ではあるんだけど。理屈ではわかってても、何となく悔しいなあと思うわけです。
そういう地味な反撥心もありーので「タウトク」「CU」「徳島人」ほか細々と出版物を発行しているんだけど、
「徳島みたいなド田舎に、そんなにたくさん情報あるのかよぉ、雑誌なんているのかよぉ」
と見ず知らずの人にからまれる場面、多々あります。
はたして徳島はさびれ果てたド田舎なんでしょうか。それは徳島という土地をどう見ているかによるわけで。ここはひとつ客観的な数値で見てみましょう。
徳島県の県内総生産GPPは2.7兆円です。世界各国の国内総生産GDPと比べると、ケニア(2.6兆円)、ネパール(1.3兆円)、ジャマイカ(1.1兆円)、アイスランド(1.0兆円)、カンボジア(0.9兆円)あたりより経済規模は大きいのです。GDPが公表されている142カ国中では81位に相当します。けっこう上位でしょ、これ。
また、人口が77万人まで減ったと嘆いているけど、ブータン(72万人)やルクセンブルク(51万人)よりも多いのです。徳島県より人口の少ない国家は地球上に69カ国!もあるんです。
徳島と同等かあるいは小さい経済規模の国が、立法装置としての国民議会や諍いをジャッジする最高裁判所を持ち、ミサイルや戦闘機を要して隣国とせめぎ合い、ワールドカップの予選ではザック・ジャパンと好勝負を演じていたりします。
たとえばケニアの首都ナイロビやネパールの首都カトマンズの街角にあるキヨスクやコンビニには、雑誌や新聞が数十誌並んでいます。これらの国では、政治経済誌もスポーツグラフィック誌もファッション誌も発行されています。もしかしたらUFOの目撃談を集めた超ミステリー誌とか、プロボクシングの専門誌とか、素粒子物理の世界をCGで見せるサイエンス誌も発行されているかもしれません。
毎年100キロレースに参加するために訪れている沖縄県の宮古島では、日刊新聞として「宮古毎日新聞」「宮古新報」の2誌が発行されています。さらに有力地方紙の「琉球新報」「沖縄タイムス」も販売拠点があり、島の人口5万人に対して有力新聞が4紙、それなりに成り立っている様子です。だから、77万人もが暮らす徳島なら、まだまだ雑誌や新聞は発行できるって理屈が成り立ちます。単純すぎ?
ほんじゃあ、なんで徳島には新聞も雑誌もこんな少ないんだろう。きっとマーケット規模の都合じゃなくて、作ろうという人が少ないからこうなってるんだろう、ってのがぼくの結論です。
新聞でも雑誌でも、すごく立派で見栄えがするモノじゃないといけないという印象があって、軽々しくスタート切れそうにない感じがするからかも知れません。
アメリカ合衆国の地方都市では、人口5〜10万人程度でもローカル新聞が発行されています。ページ数は8ページだったり12ページだったり。ライトに読める分量です。きっとそれくらいの出来事しか起こらないのだと思います。内容はすべて地域の情報です。奥さまが立派なニワトリ料理を作って近所に振る舞ったとか、リトル・リーグの少年選手がドラマチックな決勝打を放ったとか、最近は雨がぜんぜん降らなくてトウモロコシ農家が困っているとか。ぼくたちがマラソンで大陸横断しているという取材もあちこちで記事にしてくれました。
こういうのって、いわゆるジャーナリズムとはほど遠くて、地域に住んでる人が気軽に読める娯楽ニュースの提供業と言えます。紙面の下部には街のカーディーラーやナイトパブやスシ料理店の宣伝広告が載っていて、充分ビジネスとして成り立っているように見えます。ちなみに配達は、日本のように夜も明けぬ早朝からホンダ・プレスカブ50をぶっ飛ばして配る突き詰めた感じはなくて、日光がさんさんと降り注ぐお昼ごろにのんびりと、配達車の窓から手を伸ばして道路沿いに立っているポストに突っ込んでくスタイルです。
そんなこんなで、世界のメディア環境と比較すれば、徳島県くらいの経済規模と人口があれば、日刊新聞が10誌、雑誌なら50誌くらい発行されていても、べつだん不思議ではなのかな、と思っています。
さすがに日刊新聞は大変すぎてやる気しないけど(労働と心労で倒れかねません)、もっと自由にバカみたいな雑誌をたくさん作りたいなあと思うわけです。カルチャーマガジンの編集部なんて、元々どこにも就職できないような遊び人が集まって、斜交いからモノを見て、クドクド御託を述べながら、好き勝手に記事を書きまくるだけの世界だったんだから。
自由な言論があって、あんましお金がかからなくて、社会に物申したい若者が集まってつくる雑誌。そうゆうのやりたい人、もっといないだろうか。おもしろいヤツ、全国からもっと集めて、もっとふざけた本をつくりたい。
ということでウチの会社の学生向けの求人広告はこんな←のです。こういった悲惨な求人広告を読んでもノコノコ面接にやってくるくらいのタマなら、いい記事を書いてくれるかもしれません。少しヘンテコなのを集めて、また新しい雑誌をつくろうかなと思案ちゅうです。
-----------
たいした会社ではありません。
四国の小さな街で雑誌を作るという微妙な仕事をしています。
だから「会社に就職」しないでください。
雑誌を読むのが好きで、雑誌を作りたい人だけ集まってください。
世間では「紙媒体はあと30年いや20年いや10年かも」などと評されています。
だから、まかりまちがっても、あなたが60歳になるまで会社が存続するとは思えません。
「じゃーネットやスマホにコンテンツを展開するビジネスをすれば?」ってよく言われます。
興味ないんっすよね。
アタマ古くさいんですよ。ただ雑誌が好きでやってるんですよ。
ビジネスとてして「出版社」を経営してるんじゃなくて、
ただ雑誌をおもしろがって作っているだけなんす。
いつか完全ペーパーレス、完全デジタルな情報社会が地球を覆い尽くす日が来ても、
人類最後の紙媒体編集者として死にたいと思うわけです。
何万年後かに地層から掘り出されたときに、
「助手君、見たまえ。この人骨・・・人類最後の印刷物を手にしているようだの」と博物館に展示されたい。
聞けば聞くほど、わざわざ大学出てまで就職するには向かない会社でしょう。
雰囲気的には、帰らぬ男を待つママがカウンターの隅で酔いつぶれている
時代に取り残された港町の場末のスナックみたいな場所です。
再度。
雑誌を作りたい人だけ集まってください。
人口80万人もいない県で、月刊誌3本、隔週刊誌1本、季刊誌3本、その他もろもろ発行しまくっている
マーケット感覚ゼロ、損得勘定できない、あとさき顧みない、未来がまったく見えてないバカ集団です。
それでもよければ。
そういう地味な反撥心もありーので「タウトク」「CU」「徳島人」ほか細々と出版物を発行しているんだけど、
「徳島みたいなド田舎に、そんなにたくさん情報あるのかよぉ、雑誌なんているのかよぉ」
と見ず知らずの人にからまれる場面、多々あります。
はたして徳島はさびれ果てたド田舎なんでしょうか。それは徳島という土地をどう見ているかによるわけで。ここはひとつ客観的な数値で見てみましょう。
徳島県の県内総生産GPPは2.7兆円です。世界各国の国内総生産GDPと比べると、ケニア(2.6兆円)、ネパール(1.3兆円)、ジャマイカ(1.1兆円)、アイスランド(1.0兆円)、カンボジア(0.9兆円)あたりより経済規模は大きいのです。GDPが公表されている142カ国中では81位に相当します。けっこう上位でしょ、これ。
また、人口が77万人まで減ったと嘆いているけど、ブータン(72万人)やルクセンブルク(51万人)よりも多いのです。徳島県より人口の少ない国家は地球上に69カ国!もあるんです。
徳島と同等かあるいは小さい経済規模の国が、立法装置としての国民議会や諍いをジャッジする最高裁判所を持ち、ミサイルや戦闘機を要して隣国とせめぎ合い、ワールドカップの予選ではザック・ジャパンと好勝負を演じていたりします。
たとえばケニアの首都ナイロビやネパールの首都カトマンズの街角にあるキヨスクやコンビニには、雑誌や新聞が数十誌並んでいます。これらの国では、政治経済誌もスポーツグラフィック誌もファッション誌も発行されています。もしかしたらUFOの目撃談を集めた超ミステリー誌とか、プロボクシングの専門誌とか、素粒子物理の世界をCGで見せるサイエンス誌も発行されているかもしれません。
毎年100キロレースに参加するために訪れている沖縄県の宮古島では、日刊新聞として「宮古毎日新聞」「宮古新報」の2誌が発行されています。さらに有力地方紙の「琉球新報」「沖縄タイムス」も販売拠点があり、島の人口5万人に対して有力新聞が4紙、それなりに成り立っている様子です。だから、77万人もが暮らす徳島なら、まだまだ雑誌や新聞は発行できるって理屈が成り立ちます。単純すぎ?
ほんじゃあ、なんで徳島には新聞も雑誌もこんな少ないんだろう。きっとマーケット規模の都合じゃなくて、作ろうという人が少ないからこうなってるんだろう、ってのがぼくの結論です。
新聞でも雑誌でも、すごく立派で見栄えがするモノじゃないといけないという印象があって、軽々しくスタート切れそうにない感じがするからかも知れません。
アメリカ合衆国の地方都市では、人口5〜10万人程度でもローカル新聞が発行されています。ページ数は8ページだったり12ページだったり。ライトに読める分量です。きっとそれくらいの出来事しか起こらないのだと思います。内容はすべて地域の情報です。奥さまが立派なニワトリ料理を作って近所に振る舞ったとか、リトル・リーグの少年選手がドラマチックな決勝打を放ったとか、最近は雨がぜんぜん降らなくてトウモロコシ農家が困っているとか。ぼくたちがマラソンで大陸横断しているという取材もあちこちで記事にしてくれました。
こういうのって、いわゆるジャーナリズムとはほど遠くて、地域に住んでる人が気軽に読める娯楽ニュースの提供業と言えます。紙面の下部には街のカーディーラーやナイトパブやスシ料理店の宣伝広告が載っていて、充分ビジネスとして成り立っているように見えます。ちなみに配達は、日本のように夜も明けぬ早朝からホンダ・プレスカブ50をぶっ飛ばして配る突き詰めた感じはなくて、日光がさんさんと降り注ぐお昼ごろにのんびりと、配達車の窓から手を伸ばして道路沿いに立っているポストに突っ込んでくスタイルです。
そんなこんなで、世界のメディア環境と比較すれば、徳島県くらいの経済規模と人口があれば、日刊新聞が10誌、雑誌なら50誌くらい発行されていても、べつだん不思議ではなのかな、と思っています。
さすがに日刊新聞は大変すぎてやる気しないけど(労働と心労で倒れかねません)、もっと自由にバカみたいな雑誌をたくさん作りたいなあと思うわけです。カルチャーマガジンの編集部なんて、元々どこにも就職できないような遊び人が集まって、斜交いからモノを見て、クドクド御託を述べながら、好き勝手に記事を書きまくるだけの世界だったんだから。
自由な言論があって、あんましお金がかからなくて、社会に物申したい若者が集まってつくる雑誌。そうゆうのやりたい人、もっといないだろうか。おもしろいヤツ、全国からもっと集めて、もっとふざけた本をつくりたい。
ということでウチの会社の学生向けの求人広告はこんな←のです。こういった悲惨な求人広告を読んでもノコノコ面接にやってくるくらいのタマなら、いい記事を書いてくれるかもしれません。少しヘンテコなのを集めて、また新しい雑誌をつくろうかなと思案ちゅうです。
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たいした会社ではありません。
四国の小さな街で雑誌を作るという微妙な仕事をしています。
だから「会社に就職」しないでください。
雑誌を読むのが好きで、雑誌を作りたい人だけ集まってください。
世間では「紙媒体はあと30年いや20年いや10年かも」などと評されています。
だから、まかりまちがっても、あなたが60歳になるまで会社が存続するとは思えません。
「じゃーネットやスマホにコンテンツを展開するビジネスをすれば?」ってよく言われます。
興味ないんっすよね。
アタマ古くさいんですよ。ただ雑誌が好きでやってるんですよ。
ビジネスとてして「出版社」を経営してるんじゃなくて、
ただ雑誌をおもしろがって作っているだけなんす。
いつか完全ペーパーレス、完全デジタルな情報社会が地球を覆い尽くす日が来ても、
人類最後の紙媒体編集者として死にたいと思うわけです。
何万年後かに地層から掘り出されたときに、
「助手君、見たまえ。この人骨・・・人類最後の印刷物を手にしているようだの」と博物館に展示されたい。
聞けば聞くほど、わざわざ大学出てまで就職するには向かない会社でしょう。
雰囲気的には、帰らぬ男を待つママがカウンターの隅で酔いつぶれている
時代に取り残された港町の場末のスナックみたいな場所です。
再度。
雑誌を作りたい人だけ集まってください。
人口80万人もいない県で、月刊誌3本、隔週刊誌1本、季刊誌3本、その他もろもろ発行しまくっている
マーケット感覚ゼロ、損得勘定できない、あとさき顧みない、未来がまったく見えてないバカ集団です。
それでもよければ。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
人にもよるけどスパルタスロンを完走してる人って、だいたい月に700〜800キロ走ってる。毎日約30キロ。仕事を持ってる人だと、まとめて3時間は確保できないから朝昼晩と3回に分けたり、週末に50〜80キロ走って帳尻をあわすようだ。
人にもよるけどスパルタスロンを完走してる人って、だいたい月に700〜800キロ走ってる。毎日約30キロ。仕事を持ってる人だと、まとめて3時間は確保できないから朝昼晩と3回に分けたり、週末に50〜80キロ走って帳尻をあわすようだ。
一方ぼくは、練習量を増やしていくべき春以降も距離を稼げていない。せいぜい月に500キロ。こんな追い込み方では完走はおぼつかん! だいいちスピードが決定的に欠けてるんだから、せめて人なみに距離を踏むくらいの抵抗ってかアガキを示さないといけないわけだが、現実はお寒い。毎朝、極度の疲労感でぐったり目覚め、布団にからだがヘバりついて起きあがるのも困難。フィリップ・マーロウの「男はタフでなければ生きていけない」の台詞が頭をぐるぐる駆けめぐるが、「やっぱしぼくは超人になんかなれない」とあきらめ二度寝、三度寝をくりかえす。
朝練20キロ。最初キロ8分、足が重くてこれ以上スピードが出ない。10キロ越えたあたりでようやくキロ6分で走れるようになり、ラスト1キロは全力走に切り替え3分50秒くらいまでスパートして終了。川原の土手にひっくり返り、カラゲロを空に向かってオェオェえずく。いちおうこれで追い込んだつもり。ボロボロ鈍重足で走ることにスパルタ練習の本質的な意味があり、いかに「潰れきった」状態に近いバッドな体調をキープするかが重要事項なのである。
30キロ、40キロと走るときは補給が必要なので、ランニングコースの土手脇の草むらに発泡スチロール製のボックスを置く。中にはスポーツドリンクやチョコを入れておき、10キロごとに補給する。ところが最近、ボックスの中身がドロンと消えてしまう事件が多発。くそ暑い中、喉カラカラで10キロ戻ってきたら、イリュージョンのごとくアクエリアスもキットカットも消失! おいおい、ここは生き馬の目を抜く焼け跡闇市か。仕方なく給水なしで30キロ、熱中症寸前。
ちなみに夜食に白米を食べると翌日はとても体調がよろしい。やっぱし炭水化物パワーは凄いね。ということで、基本的に炭水化物は採らないことにする。日々エネルギー枯渇させたままハラペコで走る。
練習だけでは真に追い込めないから、6月には100キロレースを3本入れた。レースとレースの間に疲労抜き休養は入れない。するとスタートラインでは目眩がして立ってられないくらいしんどいわけだが、そのヘトヘト感が重要である。30キロあたりで一度くちゃくちゃに潰れ、残り70キロを動かない脚を前に振り出していかに前進するか。それがテーマ。
で、しまなみ海道ではラスト20キロに4時間かかって12時間18分、隠岐の島でも後半歩きまくって11時間48分。こんなんで本当に練習になってるんだろうかという疑念も深めつつ、3戦目のサロマ湖に向かった。
□
曇天の空、フロントガラスにまとわりつく霧の粒。GPSの音声が、次の曲がり角が30キロ以上先だと教える。牧草地のなかを貫く一本道はただ真っ直ぐに伸び、レンタカーのハンドルを動かす必要がない。助手席に大量の食料を山積みにし、ひたすら食べ続けながら移動する。1個300キロカロリーと表示された巨大オニギリ4個目を胃におさめ5個目に突入。合間には、揚げパン、サンドイッチ、チョコ、ビスケット、大福、アイスクリームなどをコーラと牛乳で流し込む。都合4000キロカロリーは突破したかな。血液に糖分がどくどく混じり、体内に熱量が充満していく。何もしてないのに汗が噴き出してくる。
北海道東部の中標津空港から開催地の湧別町まで約200キロ、ノンストップで運転する。マラソンで100キロ走るのはあっという間なのに、自動車で移動する時間はこのうえなく長ったらしい。
明日のスタート地点である湧別町体育館で受付を済ませると夕方6時近い。明朝は午前2時30分起床予定。逆算すると9時間もない。宿泊はさらに40キロ離れた「瀬戸瀬温泉ホテル」である。こういう大規模な大会ではありがちだが、会場周辺の宿泊施設は旅行会社がツアー客用に全室おさえていて、予約がとれない。ツアー代金は12万円と高く、個人で手配すれば、飛行機代・レンタカー代・宿代含めて6万円程度ですむので多少の不便さは致し方ない。スタート地点付近にテントを張ったり、レンタカーで車中泊すれば移動もなく、費用もさらに安上がりだが、100キロ走る前夜くらいは布団で寝たいという甘い欲求をぬぐい捨てられない。2時間かけて宿を往復する方が楽なのか、よけいに疲れちまうのかは不明。男はタフでなければ生きていけないんだけど、ぼくはあまりタフにはできていない。
日も暮れかけた頃、濃い霧の向こうに瀬戸瀬温泉ホテルの時代がかった鉄筋コンクリートの建物が現れる。50年以上ここで営業しているというから相当な年期物である。「自然噴出温泉純度100%」と書かれた古びた看板。まわりはうっそうとした森。とくに見学すべきものやアトラクションはなさそうだ。
1泊素泊まり3675円。宿の大将が「夜8時から風呂の掃除するから、それまでに入ってね」と言う。む? 宿泊施設の風呂掃除ってフツー朝の8時からなんではないかと耳を疑ったが、夜8時で間違いないようである。どっちみち8時には布団にもぐり込むから構わないケドさ。
昭和遺産に認定したいようなレトロなタイル地の浴場をひとりぼっちで満喫し、部屋に戻ると何もやることがない。自炊型の宿なので、食べ物も売ってない。布団は自分で敷く。テレビも地デジは映らない。衛星放送が4チャンネルだけ映るが、リモコンがないので画面の下についた小っちゃいボタンを押してチャンネル変えてると人差し指の爪が痛くなる。面倒くさいから森進一が「襟裳岬」を熱唱する歌謡番組をつけっぱなしで寝る。
夜9時に入眠し朝2時に起きる。睡眠時間は5時間。大会前日なんてコーフンしすぎて一睡もできないなんて茶飯だから、よしとしよう。疲労感はまるで抜けていない。意図したとおりである。
再び40キロ移動しスタート会場へ。トイレ行列に15分ほど並び、いよいよ順番が回ってきたので、便器にまたがり「うりゃー」と気合いを入れて気ばるが、あえなく不発に終わる。これもまた茶飯。
トイレ待ちに時間を費やしたため最後尾近くからのスタートとなる。疲労蓄積の重い脚、5000キロカロリー分のウンコも腹の中で滞在、ゆえに軽快さとは真逆の走り。筋力衰弱しキック力を全然使えないので、カカトつけてトコトコ走る。
10キロ通過。たった10キロなのに、ゼーゼー息が上がっている。タイムは50分くらいかなと思い腕時計を見れば1時間37秒。遅っそ〜、こりゃ先が思いやられるぞー。キロ6分ペースなら、きっとマラソンを始めたばかりの人でも無理なく走れるだろう。誰でもできることを、あきらめず、止まらず、つづける。歩幅が狭くなろうと、ピッチが遅くなろうと、ひたすらくたばった足を動かし続ける。産業革命の労働者のように、無口に、黙々と。それがスパルタへとつづく道だと信じよう。
20キロ、2時間と38秒。イヤってほど後続ランナーに抜かれっぱなし。だが相当へたっているわりにキロ6分は維持している。悪くない、悪くない。周りが速すぎるだけだ。
30キロ、3時間2分。もはや100キロ走り終えたみたいに足が動かん。油をさしてないボロ自転車みたい。筋肉に力が入らないから股関節やヒザに負担がかかり、バタバタとバランス悪く走る。わかっちゃいるけど修正が効かない。平坦なはずの道がダラダラ登り坂に感じられる。「ねばれ、ねばるしかない、ねばるんだ」と念仏唱えるように声に出してつぶやく。隣を走る人生の大先輩的風情のランナーがこっちを向いて「うん、ねばりましょう」とやさしく笑う。
40キロ、4時間4分。汗が抜けきったのかフイに体が軽くなる。集団で走っているランナーを5人、10人と追い越してゆく。ペースがあがっているのかな、と思いラップタイムを見るとキロ6分のまんま。イーブンペースで進めば、こんなに前から落ちてくるもんなのね。
50キロ、5時間5分。体調、ますます楽になってきて好調状態に突入。スピード上げようと思えば上げられそうなんだけど、やめとく。今日は速く走ることを目的としていない。このペースで100キロのゴールを迎え、そのままゴール会場を走り抜けて、追加で100キロ走り続けられる余裕度を手にしたいんだ。
54キロ地点、グランディアホテルの大エイドに到着。たくさんの先着ランナーがパイプ椅子や地べたに腰かけ、栄養補給したりアイシングをしながら後半戦の準備をしている。ぼくは、おにぎりを1個だけもらって口に投げ込むと、一歩も立ち止まらずエイドを抜ける。きっとこの素通りで100人くらい抜いたぞー。息切れも痛みもなく走れると、気分はどんどん有頂天へと駆け上がりがちだが、戒めの念仏を再開する。「調子に乗るな。飛ばすな。筋力使うな。キック力使うな」「キロ6分以上出すな。キロ6分で250キロ走れるランナーになるんだろ?」
60キロ、6時間8分。「魔女の森」と呼ばれる樹林帯に入る。全コース中、頭上が木々で覆われるのはここだけだ。ペースがやや落ちているが気にしない。ラップタイムを維持するために心肺機能を酷使しては意味がない。近視眼的にペースを上げてタイムを維持してはいけない。ひたすら同じ負荷をかけつづけることが大事なんだ。私設エイドを出している美人のお姉さんを発見、近づくと「何がいいですか?」と問われ、「コーラください!」と大声で直訴。すかさずお姉さん、コカコーラゼロをコップに注いでくれる。(ううっ、ゼロじゃない方のコーラください)と心で泣きゼロを飲む。
70キロ、7時間11分。サロマ湖沿いの直線道路はひたすら長く、おしるこを提供してくれるエイドが人気の鶴雅リゾートホテルの建物を遠望するが、なかなか近づかない。ここで折れたらまたもや失敗レースだ。ここは北海道、帰り道は長い。落ち込んだ気分で帰るのはイヤだイヤだ。「さー粘るよ、粘れ、粘れ」「ここからだ、ここからだ」と、隣のおじさまランナーと合唱する。熱いね、ぼくたちオッサン。
80キロ、8時間16分。ワッカ原生花園に入ると「やった!」と高揚した気分が押し寄せる。ゴールまで残り10キロ台のカウントダウンのはじまり。1キロ減るごとに心が軽くなっていく。89キロで折り返したランナーが、飛ぶようなスピードで駆けてくる。8時間台前半でゴールする人たちだ。あんなにも軽い脚と身体があったら100キロだって楽しく走れるんだろうね。いや、速い人は速い人で大変なんだろう。
90キロ、9時間23分。ラスト10キロだけちょっとペースをあげてみよっかな。ここまでペースアップを我慢したんだから10キロくらいは許してやろう。全力で走るのはやっぱし楽しいもんだ。残り2キロ、直線道路に入るとゴール会場である常呂町スポーツセンターの煉瓦色の壁が、木々の奥に見えてくる。100キロの最後にいつも去来する寂しさは、小学生の頃感じた長い長い夏休みが終わってしまう気分。
100キロ、ゴールタイムは10時間22分。まだまだ走れる。同じペースであと100キロ走れそうだ。ケシ粒ほどの光すら見えなかったスパルタスロン完走の可能性が「まったくダメってわけでもないんじゃないの死ぬ気でやれば」程度まで近づいた気がする。スパルタスロンまであと90日、もっと走ろう、もっと疲れよう。
朝練20キロ。最初キロ8分、足が重くてこれ以上スピードが出ない。10キロ越えたあたりでようやくキロ6分で走れるようになり、ラスト1キロは全力走に切り替え3分50秒くらいまでスパートして終了。川原の土手にひっくり返り、カラゲロを空に向かってオェオェえずく。いちおうこれで追い込んだつもり。ボロボロ鈍重足で走ることにスパルタ練習の本質的な意味があり、いかに「潰れきった」状態に近いバッドな体調をキープするかが重要事項なのである。
30キロ、40キロと走るときは補給が必要なので、ランニングコースの土手脇の草むらに発泡スチロール製のボックスを置く。中にはスポーツドリンクやチョコを入れておき、10キロごとに補給する。ところが最近、ボックスの中身がドロンと消えてしまう事件が多発。くそ暑い中、喉カラカラで10キロ戻ってきたら、イリュージョンのごとくアクエリアスもキットカットも消失! おいおい、ここは生き馬の目を抜く焼け跡闇市か。仕方なく給水なしで30キロ、熱中症寸前。
ちなみに夜食に白米を食べると翌日はとても体調がよろしい。やっぱし炭水化物パワーは凄いね。ということで、基本的に炭水化物は採らないことにする。日々エネルギー枯渇させたままハラペコで走る。
練習だけでは真に追い込めないから、6月には100キロレースを3本入れた。レースとレースの間に疲労抜き休養は入れない。するとスタートラインでは目眩がして立ってられないくらいしんどいわけだが、そのヘトヘト感が重要である。30キロあたりで一度くちゃくちゃに潰れ、残り70キロを動かない脚を前に振り出していかに前進するか。それがテーマ。
で、しまなみ海道ではラスト20キロに4時間かかって12時間18分、隠岐の島でも後半歩きまくって11時間48分。こんなんで本当に練習になってるんだろうかという疑念も深めつつ、3戦目のサロマ湖に向かった。
□
曇天の空、フロントガラスにまとわりつく霧の粒。GPSの音声が、次の曲がり角が30キロ以上先だと教える。牧草地のなかを貫く一本道はただ真っ直ぐに伸び、レンタカーのハンドルを動かす必要がない。助手席に大量の食料を山積みにし、ひたすら食べ続けながら移動する。1個300キロカロリーと表示された巨大オニギリ4個目を胃におさめ5個目に突入。合間には、揚げパン、サンドイッチ、チョコ、ビスケット、大福、アイスクリームなどをコーラと牛乳で流し込む。都合4000キロカロリーは突破したかな。血液に糖分がどくどく混じり、体内に熱量が充満していく。何もしてないのに汗が噴き出してくる。
北海道東部の中標津空港から開催地の湧別町まで約200キロ、ノンストップで運転する。マラソンで100キロ走るのはあっという間なのに、自動車で移動する時間はこのうえなく長ったらしい。
明日のスタート地点である湧別町体育館で受付を済ませると夕方6時近い。明朝は午前2時30分起床予定。逆算すると9時間もない。宿泊はさらに40キロ離れた「瀬戸瀬温泉ホテル」である。こういう大規模な大会ではありがちだが、会場周辺の宿泊施設は旅行会社がツアー客用に全室おさえていて、予約がとれない。ツアー代金は12万円と高く、個人で手配すれば、飛行機代・レンタカー代・宿代含めて6万円程度ですむので多少の不便さは致し方ない。スタート地点付近にテントを張ったり、レンタカーで車中泊すれば移動もなく、費用もさらに安上がりだが、100キロ走る前夜くらいは布団で寝たいという甘い欲求をぬぐい捨てられない。2時間かけて宿を往復する方が楽なのか、よけいに疲れちまうのかは不明。男はタフでなければ生きていけないんだけど、ぼくはあまりタフにはできていない。
日も暮れかけた頃、濃い霧の向こうに瀬戸瀬温泉ホテルの時代がかった鉄筋コンクリートの建物が現れる。50年以上ここで営業しているというから相当な年期物である。「自然噴出温泉純度100%」と書かれた古びた看板。まわりはうっそうとした森。とくに見学すべきものやアトラクションはなさそうだ。
1泊素泊まり3675円。宿の大将が「夜8時から風呂の掃除するから、それまでに入ってね」と言う。む? 宿泊施設の風呂掃除ってフツー朝の8時からなんではないかと耳を疑ったが、夜8時で間違いないようである。どっちみち8時には布団にもぐり込むから構わないケドさ。
昭和遺産に認定したいようなレトロなタイル地の浴場をひとりぼっちで満喫し、部屋に戻ると何もやることがない。自炊型の宿なので、食べ物も売ってない。布団は自分で敷く。テレビも地デジは映らない。衛星放送が4チャンネルだけ映るが、リモコンがないので画面の下についた小っちゃいボタンを押してチャンネル変えてると人差し指の爪が痛くなる。面倒くさいから森進一が「襟裳岬」を熱唱する歌謡番組をつけっぱなしで寝る。
夜9時に入眠し朝2時に起きる。睡眠時間は5時間。大会前日なんてコーフンしすぎて一睡もできないなんて茶飯だから、よしとしよう。疲労感はまるで抜けていない。意図したとおりである。
再び40キロ移動しスタート会場へ。トイレ行列に15分ほど並び、いよいよ順番が回ってきたので、便器にまたがり「うりゃー」と気合いを入れて気ばるが、あえなく不発に終わる。これもまた茶飯。
トイレ待ちに時間を費やしたため最後尾近くからのスタートとなる。疲労蓄積の重い脚、5000キロカロリー分のウンコも腹の中で滞在、ゆえに軽快さとは真逆の走り。筋力衰弱しキック力を全然使えないので、カカトつけてトコトコ走る。
10キロ通過。たった10キロなのに、ゼーゼー息が上がっている。タイムは50分くらいかなと思い腕時計を見れば1時間37秒。遅っそ〜、こりゃ先が思いやられるぞー。キロ6分ペースなら、きっとマラソンを始めたばかりの人でも無理なく走れるだろう。誰でもできることを、あきらめず、止まらず、つづける。歩幅が狭くなろうと、ピッチが遅くなろうと、ひたすらくたばった足を動かし続ける。産業革命の労働者のように、無口に、黙々と。それがスパルタへとつづく道だと信じよう。
20キロ、2時間と38秒。イヤってほど後続ランナーに抜かれっぱなし。だが相当へたっているわりにキロ6分は維持している。悪くない、悪くない。周りが速すぎるだけだ。
30キロ、3時間2分。もはや100キロ走り終えたみたいに足が動かん。油をさしてないボロ自転車みたい。筋肉に力が入らないから股関節やヒザに負担がかかり、バタバタとバランス悪く走る。わかっちゃいるけど修正が効かない。平坦なはずの道がダラダラ登り坂に感じられる。「ねばれ、ねばるしかない、ねばるんだ」と念仏唱えるように声に出してつぶやく。隣を走る人生の大先輩的風情のランナーがこっちを向いて「うん、ねばりましょう」とやさしく笑う。
40キロ、4時間4分。汗が抜けきったのかフイに体が軽くなる。集団で走っているランナーを5人、10人と追い越してゆく。ペースがあがっているのかな、と思いラップタイムを見るとキロ6分のまんま。イーブンペースで進めば、こんなに前から落ちてくるもんなのね。
50キロ、5時間5分。体調、ますます楽になってきて好調状態に突入。スピード上げようと思えば上げられそうなんだけど、やめとく。今日は速く走ることを目的としていない。このペースで100キロのゴールを迎え、そのままゴール会場を走り抜けて、追加で100キロ走り続けられる余裕度を手にしたいんだ。
54キロ地点、グランディアホテルの大エイドに到着。たくさんの先着ランナーがパイプ椅子や地べたに腰かけ、栄養補給したりアイシングをしながら後半戦の準備をしている。ぼくは、おにぎりを1個だけもらって口に投げ込むと、一歩も立ち止まらずエイドを抜ける。きっとこの素通りで100人くらい抜いたぞー。息切れも痛みもなく走れると、気分はどんどん有頂天へと駆け上がりがちだが、戒めの念仏を再開する。「調子に乗るな。飛ばすな。筋力使うな。キック力使うな」「キロ6分以上出すな。キロ6分で250キロ走れるランナーになるんだろ?」
60キロ、6時間8分。「魔女の森」と呼ばれる樹林帯に入る。全コース中、頭上が木々で覆われるのはここだけだ。ペースがやや落ちているが気にしない。ラップタイムを維持するために心肺機能を酷使しては意味がない。近視眼的にペースを上げてタイムを維持してはいけない。ひたすら同じ負荷をかけつづけることが大事なんだ。私設エイドを出している美人のお姉さんを発見、近づくと「何がいいですか?」と問われ、「コーラください!」と大声で直訴。すかさずお姉さん、コカコーラゼロをコップに注いでくれる。(ううっ、ゼロじゃない方のコーラください)と心で泣きゼロを飲む。
70キロ、7時間11分。サロマ湖沿いの直線道路はひたすら長く、おしるこを提供してくれるエイドが人気の鶴雅リゾートホテルの建物を遠望するが、なかなか近づかない。ここで折れたらまたもや失敗レースだ。ここは北海道、帰り道は長い。落ち込んだ気分で帰るのはイヤだイヤだ。「さー粘るよ、粘れ、粘れ」「ここからだ、ここからだ」と、隣のおじさまランナーと合唱する。熱いね、ぼくたちオッサン。
80キロ、8時間16分。ワッカ原生花園に入ると「やった!」と高揚した気分が押し寄せる。ゴールまで残り10キロ台のカウントダウンのはじまり。1キロ減るごとに心が軽くなっていく。89キロで折り返したランナーが、飛ぶようなスピードで駆けてくる。8時間台前半でゴールする人たちだ。あんなにも軽い脚と身体があったら100キロだって楽しく走れるんだろうね。いや、速い人は速い人で大変なんだろう。
90キロ、9時間23分。ラスト10キロだけちょっとペースをあげてみよっかな。ここまでペースアップを我慢したんだから10キロくらいは許してやろう。全力で走るのはやっぱし楽しいもんだ。残り2キロ、直線道路に入るとゴール会場である常呂町スポーツセンターの煉瓦色の壁が、木々の奥に見えてくる。100キロの最後にいつも去来する寂しさは、小学生の頃感じた長い長い夏休みが終わってしまう気分。
100キロ、ゴールタイムは10時間22分。まだまだ走れる。同じペースであと100キロ走れそうだ。ケシ粒ほどの光すら見えなかったスパルタスロン完走の可能性が「まったくダメってわけでもないんじゃないの死ぬ気でやれば」程度まで近づいた気がする。スパルタスロンまであと90日、もっと走ろう、もっと疲れよう。
2012年07月19日
2012年07月13日
最新機能を持ち合わせたものから、見ているだけで楽しくなるもの、作家が心をこめて作ったものなど、個性溢れる雑貨たちとの出会いを求めて、徳島の雑貨屋さんをめぐってみました。
■徳島を代表する美食オールスターズ
ふとした瞬間、超〜絶食べたくなるメニューってありますよね!そんなスペシャルウマイものが大集合。
2012年07月11日
「三十代で家が建つ」「ヤンチャな子を大人に変えてくれる」「台風の日もマジメに働いている」。
「ええとこいっきょんでぇ」と感心される会社名、公開!
■あなたの不倫、誰かが見ている!?
徳島、プロの調査員はこうやって証拠を記録する!
不倫の立証とかかる費用。調査費用、弁護士費用、成功報酬、裁判費用、慰謝料…
■コレほんまにいるん?県民大調査!
四国新幹線、メガソーラー発電所、JR徳島線周辺高架化、
西新町再開発&音楽ホール、四国横断自動車道。
「いる」「いらん」県民はどう思っている?
2012年07月10日
徳島人6月号 実売部数報告です。
徳島人6月号の売部数は、5,283部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報CU6月号 実売部数報告です。
CU6月号の売部数は、5,484部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2012年07月07日
月刊タウン情報トクシマ6月号 実売部数報告です。
タウトク6月号の売部数は、7,265部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。