NEW TOPIC
2006年07月28日
「今日ヒマやなぁ・・・。なんかおもっしょいことやってないかなぁ?」
そんなときはタウトク8月号のイベント大特集をチェックしてみて。
カレンダー方式になっているから、その日にやっているイベントが丸分かり♪
せっかくの夏、めいっぱい楽しもう。
さてさて、ここで注目のイベントを紹介。
8月20日、藍場浜公園にて行われる「へなちょこドロップキック 06」。
徳島で活躍中の6バントに加え、
県外からも人気と実力を兼ね備えた4バンドを迎えて開催する
熱い熱い音楽イベントだ。
ちなみに出場アクトの一つ、MAXBET(写真右)はメンバー全員が現役の文理大生であり、
その楽曲が徳島ヴォルティス戦のテーマソングになるなど人気急上昇中!
タウトク8月号の140ページに
夢にむかって全力で駆け抜ける彼らのインタビューを掲載してますっ!
イベントの詳細はへなちょこドロップキック 06 Official Websiteか
タウトク8月号の42ページを見てね。
月刊タウン情報トクシマ8月号
本日発売!!
夏イベント300本!
徳島全エリアのうまいもん大賞
阿波踊りの歩き方
ミス制服グランプリ
などなど。
夏を10倍楽しむ企画を詰めこんでます!
お近くの書店・コンビニ・スーパーで発売中!!
280円です。
月刊タウン情報トクシマ増刊号
トクシマ休日計画1000 本日発売!!
徳島のレジャースポットをな、なんと1000件も紹介!
温泉 公園 遊園地 旅グルメ
民宿 朝市 街散策 味覚狩り
遊覧船 キャンプ場 コテージ 滝 夜景
これは徳島最強あそび場ガイドとなること間違いなしっ!
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1000円です。
徳島で初めてのウエディング情報の総合マガジン!!
徳島のウェディングスポットを200件掲載したパーフェェクトガイド。
あこがれの独立型チャペル
ガーデンで挙式大計画
ゲストもニッコリ! 婚礼料理
甘〜いウェディングスウィーツ
その他、
人気のウェディング会場34件
エージェント・プロデュース会社
ジュエリーショップガイド
2次会・パーティ会場
話題のドレスショップ
写真館でごだわりの1枚を
ヘアサロン57件
徳島のインテリアショップ
海外挙式・ハネムーン
などなど。
挙式までのドキドキのカウントダウンがはじまる
しあわせになるっ!
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380円です。
2006年07月25日
徳島県内の結婚式場をはじめ、
結婚に関する情報を200以上掲載している
「徳島ウエディング」
の発売まで、
あと3日となりました。
その
「徳島ウエディング」
の発売に合わせて、インターネットでも結婚式場情報を見えるようになります。
それが
「徳島ウエディングWeb」!!
式場の最新情報をドンドン掲載予定
もうすぐ開設です、お楽しみに!!
2006年07月24日
7月22日 無事に
「世界水鉄砲選手権」
が終了いたしました。
参加された皆さん、お疲れ様でした。
また、今年参加されなかった方、次回の参加をお待ちしております。
詳細なレポートは、また、後日お送りいたします。
2006年07月23日
従属してはいけない。
誰かにコントロールされる必要はない。
オリの中に閉じ込められても、
脳みそは自由だ。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
本誌タウトクやCU、さららを作っているメディコムは、社員がたいへんに若い。制服姿の高校生のアルバイトもたくさん働いているから、たまに会社に出てくると「ここは予備校か?サマーキャンプか?野戦病院か?」という状態である。デスクで堂々と化粧を直しているヤツもおれば、ワキの下に8×4をふりかけているモノもいる。過食症並みに一日中食い続けている人、脱毛の跡を見せびらかす人、心療内科から出社する人、いろいろである。
ヒマなときに社員の平均年齢を出してみたら、23・2歳だった。管理職らしき層もいるのだが、こっちも28・2歳と若い。あまりに若すぎて恐ろしくなる。
誰かにコントロールされる必要はない。
オリの中に閉じ込められても、
脳みそは自由だ。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
本誌タウトクやCU、さららを作っているメディコムは、社員がたいへんに若い。制服姿の高校生のアルバイトもたくさん働いているから、たまに会社に出てくると「ここは予備校か?サマーキャンプか?野戦病院か?」という状態である。デスクで堂々と化粧を直しているヤツもおれば、ワキの下に8×4をふりかけているモノもいる。過食症並みに一日中食い続けている人、脱毛の跡を見せびらかす人、心療内科から出社する人、いろいろである。
ヒマなときに社員の平均年齢を出してみたら、23・2歳だった。管理職らしき層もいるのだが、こっちも28・2歳と若い。あまりに若すぎて恐ろしくなる。
何年か前のことだけど、会社に労働組合らしきものを作ることにした。作ってはみたが、うまく機能しない。当時は社員7〜8人の会社だったので、みんな自己責任で仕事をやっている。だから、「カイシャに文句を言おうぜ」とあおってみても、まず社の事情を考えてしまったり、「文句なんか言ってるヒマあったら仕事する」という姿勢なんである。だから、組合の会議といっても、ぜんぜん話が弾まない。というか、労働組合という立場・存在について、彼らは予備知識がぜんぜんないのである。仕方がないので、ぼくがありったけの知識で労働運動について教えることにした。ぼくはいちおう経営者なので、組合に口出すのは勇み足に決まっているのだが、だって誰も「組合」ってものを知らないんだから、そうするしかない。
一番最初は、「儲けを出すとはどういうことか」からはじめた。次に黒板にマンガを描きながら「貨幣とはナニか」を伝えた。「資本家とはナニモノか」「労働者とはナニモノか」「投資とはナニか」「株式とはナニか」「資本主義とはナニか」「共産主義とはナニか」「革命とはナニか」。
だんだんエスカレートしてきた。
ま、自分でもよくわかってないことも多いので、一緒に考えたりした。あるときは資本家になりきり、利潤をあげるために、何をやったらいいか考えた。あるときは労働者になりきり、利潤をあげるために、何をさせられているかを考えた。このあたりをさらっと押さえておかないと、いきなり労働運動しようよ〜♪とはしゃいでみても、何をどうしていいかわかんないのである。70年代以降に生まれた人は、学生運動なんてやったことも見たことも読んだこともない。トロツキーといえば「虹色のトロツキー」、レーニンといえば「グッバイ、レーニン!」が限界である。
何年かたって、社員が30人くらいに増えたときに、自分で組合運動の見本を見せるために、1日労働組合委員長というのをやってみた。まず赤いハチマキを買ってきた。会議室に社員を集め、頭にハチマキを巻くように指示した。そしておもむろに、「さあシュプレヒコール!」と雄たけびをあげてみた。それから、あらかじめ用意したアジビラ・・・そこには、経営批判(つまり自分批判)を延々と書き連ねてある。
これを大胆にもカイシャのプリンタで出力してやり、社員に配った。それから、組合委員長と経営者の1人2役をやった。ま、フンイキ的には古典落語みたいな感じ。組合委員長としてのぼくは本気を出し、弱々しい経営者のぼくを打倒した。その会議では、出退勤時間を消滅させることに成功した。またコアタイムという名の拘束時間をなくさせた。
労働法では、労使を兼任することは違法であると認識している。違法を承知で、社員に「このように徹底的に経営側と交渉したらいい。遠慮なく叩き潰せばいい」という例を示そうと思った。
株主資本主義がうたわれて久しいが、ぼくは共鳴できない。会社は株主のもの。従業員や雇われ経営者は、株主利益のためにせっせと働きなさい。パフォーマンスの高い人材には1億円を、低い人間には100万円を。・・・・その先には何があるのだろうかと考える。
株主資本主義を極めたアメリカ社会は、極端な富裕層と貧困層に二分化されている。豊かさと貧困は、どこかでバランスが取られている。どこかが富めば、どこかが病む。1人の富裕者を生み出すためには、100人の労働提供者が必要であり、1国を富ませるためには、1億人の犠牲が必要である。産業を繁栄させるために、自然は破壊しなくてはならない。肉を食うために、牛を殺す必要がある。ウンコを紙でふくために、熱帯雨林を切り出す。そのような幸福と不幸のバランスのうえに世界は成り立っている。
一億総中流という「奇跡的なニッポン社会」を作ったのは、株主資本主義じゃない。現場に立ちつづけた経営者と、仕事と取っ組みあいっこしたサラリーマン・労働者が作った社会だ。
この国では、カイシャは従業員のものだったのだ。それは悪い考え方じゃない。リスクをとる人間に権限というものが与えられるとするなら、余剰のキャッシュを投じる人間よりも、時間と労働を投じる従業員の方がハイリスクである。だからカイシャは投資家、株主のものではない。従業員のものだ・・・とぼくは決めている。
現在の資本主義社会は、過渡期のものであると信じる。近代経済は、性悪的に考えれば為政者が資本を吸収するために作り上げたシステムである。アングロサクソンが作ったルールに、どんな民族も従い、いいようにコントロールされる時代は、あと100年以内に終わらせるべきである。できれば50年で終わらせたい。
ニッポンの月給20万円、カンボジアの月給2000円。国によって労働の対価がまったく違う。これは異常である。ラインワーカーの月給15万円、ホワイトカラーの月給50万円、株主には多額の配当。生産する人間が、生産価値に等しい対価を受け取れない。これも異常である。人類は、長い時間をかけて、不条理をより正しい方向へと修正しつづけてきた。だから、いずれ世界は均質化すると信じる。そのときに、現在のいきすぎた搾取の構造は必ず崩壊する。
さて、自分のようなちっぽけな存在でも、できることからはじめようと思う。労働側がパワーをもって組織運営するカイシャを作り上げてみよう。これからの労働組合は、経営側が立案したものを、赤旗立てて批判するような古臭い体質ではダメなのだ。
マネジャー以上に財務に強く、事業戦略、雇用、教育、商品開発、利益分配まで、労働者サイドが組織をコントロールするのだ。
「利益を得たい」株主による経営監視ではなく、「世の中に何かをもたらせたい」従業員による経営監視をおこなうのだ。狂った政府でもなく、腐った役人でもなく、利に餓えた資本家でもない。生産する人が絵を描く社会だ。ものを作り、流通させ、消費する。この大量の経済活動の中で、何者かが価値をネコババしてる。
ニート、フリーター、ひきこもり・・・若い労働世代は、こんなバカげたシステムに取り込まれるのではなく、はっきりと世の中の矛盾に気づき、壊していかないといけない。経済という巨大装置の仕組みを知り、価値の受給体系を逆転させるのだ。
一番最初は、「儲けを出すとはどういうことか」からはじめた。次に黒板にマンガを描きながら「貨幣とはナニか」を伝えた。「資本家とはナニモノか」「労働者とはナニモノか」「投資とはナニか」「株式とはナニか」「資本主義とはナニか」「共産主義とはナニか」「革命とはナニか」。
だんだんエスカレートしてきた。
ま、自分でもよくわかってないことも多いので、一緒に考えたりした。あるときは資本家になりきり、利潤をあげるために、何をやったらいいか考えた。あるときは労働者になりきり、利潤をあげるために、何をさせられているかを考えた。このあたりをさらっと押さえておかないと、いきなり労働運動しようよ〜♪とはしゃいでみても、何をどうしていいかわかんないのである。70年代以降に生まれた人は、学生運動なんてやったことも見たことも読んだこともない。トロツキーといえば「虹色のトロツキー」、レーニンといえば「グッバイ、レーニン!」が限界である。
何年かたって、社員が30人くらいに増えたときに、自分で組合運動の見本を見せるために、1日労働組合委員長というのをやってみた。まず赤いハチマキを買ってきた。会議室に社員を集め、頭にハチマキを巻くように指示した。そしておもむろに、「さあシュプレヒコール!」と雄たけびをあげてみた。それから、あらかじめ用意したアジビラ・・・そこには、経営批判(つまり自分批判)を延々と書き連ねてある。
これを大胆にもカイシャのプリンタで出力してやり、社員に配った。それから、組合委員長と経営者の1人2役をやった。ま、フンイキ的には古典落語みたいな感じ。組合委員長としてのぼくは本気を出し、弱々しい経営者のぼくを打倒した。その会議では、出退勤時間を消滅させることに成功した。またコアタイムという名の拘束時間をなくさせた。
労働法では、労使を兼任することは違法であると認識している。違法を承知で、社員に「このように徹底的に経営側と交渉したらいい。遠慮なく叩き潰せばいい」という例を示そうと思った。
株主資本主義がうたわれて久しいが、ぼくは共鳴できない。会社は株主のもの。従業員や雇われ経営者は、株主利益のためにせっせと働きなさい。パフォーマンスの高い人材には1億円を、低い人間には100万円を。・・・・その先には何があるのだろうかと考える。
株主資本主義を極めたアメリカ社会は、極端な富裕層と貧困層に二分化されている。豊かさと貧困は、どこかでバランスが取られている。どこかが富めば、どこかが病む。1人の富裕者を生み出すためには、100人の労働提供者が必要であり、1国を富ませるためには、1億人の犠牲が必要である。産業を繁栄させるために、自然は破壊しなくてはならない。肉を食うために、牛を殺す必要がある。ウンコを紙でふくために、熱帯雨林を切り出す。そのような幸福と不幸のバランスのうえに世界は成り立っている。
一億総中流という「奇跡的なニッポン社会」を作ったのは、株主資本主義じゃない。現場に立ちつづけた経営者と、仕事と取っ組みあいっこしたサラリーマン・労働者が作った社会だ。
この国では、カイシャは従業員のものだったのだ。それは悪い考え方じゃない。リスクをとる人間に権限というものが与えられるとするなら、余剰のキャッシュを投じる人間よりも、時間と労働を投じる従業員の方がハイリスクである。だからカイシャは投資家、株主のものではない。従業員のものだ・・・とぼくは決めている。
現在の資本主義社会は、過渡期のものであると信じる。近代経済は、性悪的に考えれば為政者が資本を吸収するために作り上げたシステムである。アングロサクソンが作ったルールに、どんな民族も従い、いいようにコントロールされる時代は、あと100年以内に終わらせるべきである。できれば50年で終わらせたい。
ニッポンの月給20万円、カンボジアの月給2000円。国によって労働の対価がまったく違う。これは異常である。ラインワーカーの月給15万円、ホワイトカラーの月給50万円、株主には多額の配当。生産する人間が、生産価値に等しい対価を受け取れない。これも異常である。人類は、長い時間をかけて、不条理をより正しい方向へと修正しつづけてきた。だから、いずれ世界は均質化すると信じる。そのときに、現在のいきすぎた搾取の構造は必ず崩壊する。
さて、自分のようなちっぽけな存在でも、できることからはじめようと思う。労働側がパワーをもって組織運営するカイシャを作り上げてみよう。これからの労働組合は、経営側が立案したものを、赤旗立てて批判するような古臭い体質ではダメなのだ。
マネジャー以上に財務に強く、事業戦略、雇用、教育、商品開発、利益分配まで、労働者サイドが組織をコントロールするのだ。
「利益を得たい」株主による経営監視ではなく、「世の中に何かをもたらせたい」従業員による経営監視をおこなうのだ。狂った政府でもなく、腐った役人でもなく、利に餓えた資本家でもない。生産する人が絵を描く社会だ。ものを作り、流通させ、消費する。この大量の経済活動の中で、何者かが価値をネコババしてる。
ニート、フリーター、ひきこもり・・・若い労働世代は、こんなバカげたシステムに取り込まれるのではなく、はっきりと世の中の矛盾に気づき、壊していかないといけない。経済という巨大装置の仕組みを知り、価値の受給体系を逆転させるのだ。
2006年07月20日
熱い車内を少しでも涼しくするには?
蚊、虫対策、
カビ、ヌメリ
など、生活の???に試せる情報満載です。
大人気、節約技コーナーはもちろん、
いろいろな特ダネが満載の「なるへそ団」など
お得な生活情報が満載です。
2006年07月18日
徳島県内の遊び場情報を満載。
1000件を越える情報を掲載!!
クルマに1冊必須の、レジャー本
「休日計画1000」
がもうすぐ発売!
2006年07月15日
月刊タウン情報トクシマ(タウトク)でもおなじみ、
「コール徳島」さんで、夏祭りイベント
「ボーナス・ドーナツ・どう夏?セール」を開催中。
薄型テレビ特別価格販売はもちろん、いよいよ発売が来週に迫った
SONYの一眼レフカメラ α100の予約も受付中!
また、本来は招待状を持ってきたお客様だけの
ドーナツプレゼントも
「タウトク見た」
と言えば、プレゼントしてもらえる。
(数に限りがあり)
徳島県内の結婚情報が満載の
「徳島ウエディング」
制作も大詰めとなっております。
編集スタッフも最終チェックに余念がありません。
結婚式場情報はもちろん、写真館、衣装店など、
200店舗をこえる情報を掲載。
これから結婚を控えているお二人にとって
必見の一冊。
「徳島ウエディング」は
書店、コンビニ、スーパーなどで今夏発売予定。
380円(予価)です。
2006年07月14日
徳島の女性誌
タウン情報CU* 8月号
280円
8月号の特集は・・・・・・
2006年07月11日
7月22日(土)
徳島市小松海水浴場で、
「世界水鉄砲選手権大会」
を今年も開催!!
毎年 か・な・り 盛り上がりますが、
今年もさらに熱い戦いが繰り広げられる予感・・・。
入賞者には豪華商品がもらえるのはもちろん、
コスプレ賞、ナイスパフォーマンス賞などもあるので
勝ち負けよりも、水鉄砲でとことん楽しんじゃえ!
2006年07月09日
正社員よりフリーターになりたい18歳と戦うの巻
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
18歳のタウトク編集部員・西千晶(にしちあき)が、超まじめな編集会議をやっている最中に、突如としてとんでもないことを口にした。
「あぁし、フリーターになりたい!」
ななななな、ちょちょっと待ってくれ。こいつに辞められたら困る。ぼくはアセッた。なぜかって、この西千晶という女は、すさまじい能力をもっているからである。
髪の毛はまっ赤っ赤、服装は社会人にあるまじき女子高生のふだん着平服、伝言メモは顔文字と絵文字だらけである。仕事中は、どこかの駄菓子問屋でで仕入れた1パック100個入りの「ちょこましゅまろ」をいうやつをひたすら食べている。話題といえば「KAT−TUN」の赤西クン、それに取材で出会った男子高校生がいかにキュートだったか。
自分のことを「あぁし」と名乗るのは、阿南市出身だからだ。こいつはこの春、当社に就職するまで生まれてから一度も阿南を出たことがない。だから阿南弁しかわからない。徳島市の人たちの方言がわからずに、ときどきポカーンとしている。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
18歳のタウトク編集部員・西千晶(にしちあき)が、超まじめな編集会議をやっている最中に、突如としてとんでもないことを口にした。
「あぁし、フリーターになりたい!」
ななななな、ちょちょっと待ってくれ。こいつに辞められたら困る。ぼくはアセッた。なぜかって、この西千晶という女は、すさまじい能力をもっているからである。
髪の毛はまっ赤っ赤、服装は社会人にあるまじき女子高生のふだん着平服、伝言メモは顔文字と絵文字だらけである。仕事中は、どこかの駄菓子問屋でで仕入れた1パック100個入りの「ちょこましゅまろ」をいうやつをひたすら食べている。話題といえば「KAT−TUN」の赤西クン、それに取材で出会った男子高校生がいかにキュートだったか。
自分のことを「あぁし」と名乗るのは、阿南市出身だからだ。こいつはこの春、当社に就職するまで生まれてから一度も阿南を出たことがない。だから阿南弁しかわからない。徳島市の人たちの方言がわからずに、ときどきポカーンとしている。
先輩の女性スタッフが今宵も秋田町に繰り出そうと化粧室で化けているのを見て、「あぁしも連れてって〜」と鳴きついている、が未成年のためトイレに置き去りにされる。
そんな西千晶も、編集部ではすっかり主力である。同期入社である関西大学哲学科卒のナルシスト・栃谷(男・24歳)を完全に尻に敷いている。さらにあらんことか、彼女は入社わずか1カ月で400万円を超える契約を決めてしまったのである。
まだ試用期間中で手取り賃金10万円チョイにも関わらずである。1カ月で自分の年収以上を稼いだ(最近まで)女子高生として、他部署からは「西千晶が欲しい」とひっぱりダコなのだ。
そう、こいつはいわゆる大物なのである。 さて「あぁし、フリーターになりたい!」と叫んだ理由について、ぼくは慎重に話を聞くことにした。機嫌をそこねられたら困るからである。不機嫌な18歳など、大人の手に負えるものではない。
なぜそんなことを言い出したかというと、どうやら土日の連休中にフリーターをやっている友達に会い、そのステキなライフスタイルに魅せられてしまったようなのだ。
□働くのは週の半分くらい。
□手取りのお給料は、自分と大して変わらない。
□休みの日は彼氏とドライブやショッピングを満喫。
□平日も、仕事が終われば街で遊んだり。
なるほど。話を聞けば聞くほど、フリーターも悪くないなあ・・・と思わせる説得力がある。
イヤイヤ、西千晶に説得されている場合ではない。フリーターなんてどうしよーもねえよ!とぼくは激しく叫んだ。西千晶がフリーター化することを必死の形相で食い止めようとした。こいつは一度言い出したらテコでも動かない難物であるからだ。他ならぬぼく自身がフリーターを6年もやっていたことは、この際だまっておくことにした。それからぼくは会議を中断し、60分間にわたって説得工作に入った。
ぼくはまず、「彼らは搾取されていることに気づいていない」と述べた。西千晶は「さくしゅ?」と不思議そうな顔をした。初めて聞く言葉だったようだ。
バブル崩壊以降、企業は正社員の雇用を躊躇するようになった。雇用リスクが高いからだ。
社員には、ある程度の賃金保障と賞与、福利厚生を提供しなければならず、様々な休暇も確約しなければならない。解雇する場合も「ほな今月までで退職ね」と肩をポンッでは済まない。
その点、派遣社員、パート、アルバイトに対しては、カイシャ側の都合と論理で、雇用期間や賃金を決めちまうことができる。あらかじめ雇用期間を決めた契約社員もそうである。経営側からすれば、正社員を雇うより「石が転がるように生きる」フリーターをアルバイトとして業務に組み込めば、本来かかるべき人的コストを大幅にカットできるのである。彼は気の向くままに辞めてくれる。
パート・アルバイトは正社員と同じ労働者という立場であるが、実際上の権利は同等とは言いがたい。仮に経営に不信感があっても、帳簿の閲覧を求めたり、経営者との団体交渉はしにくい。法的には可能だとしても、実際はできない。正社員とほぼ同じ労働をしても、コスト安の存在。本来的に自分の労働が生み出す価値に対して、労賃を値切られている存在なのだ。
つぎに、フリーターたちの「時間を切り売りする感覚」がよくない、という説明に入った。アルバイト経験豊富な学生を正社員として採用すると、ある決まった仕事はちゃんとこなすが、指示なしの状態で仕事を作るのを苦手とする傾向があることに気づく。
また、彼らは仕事に対して純粋な夢を抱きにくい傾向がある。「これだけの賃金に対して、これだけの労働を提供すればいい」という観念をぬぐい去るのに、けっこう時間がかかる。いまどきのバイトの時給800円、日当7000円。だから1000円なんてたいした金じゃない。そう考える若者がたくさんいる。自分の時間を切り売りしてもらう時給だと、どうしてもそんな感覚に陥ってしまう。
社会に出て金を稼ぐということは、簡単なことじゃない。
たとえば自分で商売を興そうとする。「これを自分の手でやってみたい」と決意してから、収入ゼロ円の日々が何百日も続く。最初にお客さんからもらった100円、1000円のお金に、指先が震えるほど感激する。お金のありがたさを嫌というほど教えられるのだ。
そんな体験をすれば、「お金なんていらないから、仕事させてください」という若者が現れたら、「君はぼくの若い頃のようだね」と誉めたあとで、「でも君は甘ちゃんだね」なんてチクリと刺したくもなる。
脳みそをフル回転させ、街を歩き回って足を棒にして、自分の手で稼ぎ出した1000円は、他人の指示どおり動いて手にした1000円、親からもらった小遣いの1000円とは別の価値がある。
だからね、若い時こそフリーターじゃなくて、頭をこづかれて働く下積みをした方がいい!と、熱弁をふるうぼくの顔を見る西千晶の目は、トロ〜ンと睡魔に襲われつつある。しまった! 話がつまらなかったのか!? 起きてる?と聞くと、「なんとか」と西千晶は言う。
ぼくは気合いがメルトダウンしないよう話をつづける。
いままでたくさんのフリーターと面接をしてきた。彼らは「自分には、いずれやりたいことがある」と言う。ぼくはいつも問い返してきた。「なぜそれを今やらんのん?」。
「東京に出るための準備資金が必要なので、アルバイトをしてお金を貯めようと思います」
いくらお金を貯めたら、東京に行くの?
「それはちょっとわかりませんけど・・・」
20万円もあれば部屋はどうにかなるから、誰かからお金を借りたらすぐ行けるよ。
「人から借りるのは嫌いなんです」
でも、いま親と同居してるんでしょ? 税金も保険も電気代ガス代水道代も親持ちじゃないの? それは平気なの?
「はあ、あんましよくわからないです」
こういう会話、なんどもしてきた。あるいはまた、
「いつかカフェをやりたいと思ってまして。いろんな店を見てみたいので雑誌編集の仕事をしようかと思いまして」
カフェ出すのにいくらお金かかるか調べたの?
「いまんとこ、調べてないです」
じゃあ仮に800万円かかるとして、うちで何年バイトして貯めるつもりなの? 10年以上かかるけどいい?銀行からお金借りたら、すぐできるんじゃないの?
「今すぐやるつもりはありません。やっぱ人脈とかつくったりしたいし、ノウハウの蓄積も必要だと思うし・・・」
そう、フリーターとの話し合いは、果てしない「今やれば?」「今はできません」トークの応酬なのである。「いまはアルバイトでいい」という理屈は、以下の心情の合理化である。
「いずれ何かやるつもりだけど、お金も必要だし、いろいろな知り合いも作っていきたい。親元で貯金をしながら、いつか自分がやりたいって思ったときにやったらいいか。自分をサポートしてくれる仲間といっしょに、自分の好きなことをやりたい。いつかはほんとにやりたいことが見つかるだろうし、それまではあせる必要もないし、いろんなことやりたい自分ってサイコー!」
これが典型的フリーター思想。多弁だけど、何もやるつもりがない人の論理。本気の人は、自分に「準備期間」などという執行猶予の時間を与えないもんだ!
そんなぼくの弁舌を、西千晶は夏の海辺に立ったような遠い目で見つめる。その先には白い壁しかない。ぼくはやや傷つきながらも、なんとかこの場をシメなきゃと思い、うめき声のように言葉を発する。
10代から20代中盤まにでに積み上げた経験が、それからの人生を自由にする。能力があれば自由になり、社会に通用する能力がなければ不自由になる。いろんな職業を経験したり、いろんな職場に勤めても、たいへんな局面から逃げ、その場その場の気楽さだけを求めていたら、何の経験も積みあがらない。仕事との距離を遠くに置けば、どんなこともつまらなくなる。他人から見てどんなにバカげて見えることでも、無我夢中でやっていたら、ぜったいおもしろくなる。
さて、ぼくの言葉は西千晶に届いたのだろうか?
同級生の大半が大学に進学し、おもしろおかしくキャンパスライフを過ごしている。就職した多くの同世代が、新人研修期間中にあっけなく会社を辞めたりしている18歳である。そんななかで真夜中までひたすら頑張る自分と周囲との距離を、彼女はどう計っているのだろうか。
電気のついてない独り暮らしの部屋にトボトボたどり着いて、阿南からやってきたお母さんが昼間に置いといてくれた机の上のクリームパンを見て、なにを思うのか。彼女がいまだ「フリーターになりたい!」と思い続けているのかどうかはわからないけど、今日もぼくは西千晶にカイシャにいてもらうために、外出のついでにコンビニの10円菓子コーナーをまさぐり、「ちょこましゅまろ」の大箱を探しもとめる。
西千晶、世の中はこんな風にホントにおもしろいよ。稼ぐ18歳の方が、稼がない経営者より立場がはるかに上なんだからね〜。
そんな西千晶も、編集部ではすっかり主力である。同期入社である関西大学哲学科卒のナルシスト・栃谷(男・24歳)を完全に尻に敷いている。さらにあらんことか、彼女は入社わずか1カ月で400万円を超える契約を決めてしまったのである。
まだ試用期間中で手取り賃金10万円チョイにも関わらずである。1カ月で自分の年収以上を稼いだ(最近まで)女子高生として、他部署からは「西千晶が欲しい」とひっぱりダコなのだ。
そう、こいつはいわゆる大物なのである。 さて「あぁし、フリーターになりたい!」と叫んだ理由について、ぼくは慎重に話を聞くことにした。機嫌をそこねられたら困るからである。不機嫌な18歳など、大人の手に負えるものではない。
なぜそんなことを言い出したかというと、どうやら土日の連休中にフリーターをやっている友達に会い、そのステキなライフスタイルに魅せられてしまったようなのだ。
□働くのは週の半分くらい。
□手取りのお給料は、自分と大して変わらない。
□休みの日は彼氏とドライブやショッピングを満喫。
□平日も、仕事が終われば街で遊んだり。
なるほど。話を聞けば聞くほど、フリーターも悪くないなあ・・・と思わせる説得力がある。
イヤイヤ、西千晶に説得されている場合ではない。フリーターなんてどうしよーもねえよ!とぼくは激しく叫んだ。西千晶がフリーター化することを必死の形相で食い止めようとした。こいつは一度言い出したらテコでも動かない難物であるからだ。他ならぬぼく自身がフリーターを6年もやっていたことは、この際だまっておくことにした。それからぼくは会議を中断し、60分間にわたって説得工作に入った。
ぼくはまず、「彼らは搾取されていることに気づいていない」と述べた。西千晶は「さくしゅ?」と不思議そうな顔をした。初めて聞く言葉だったようだ。
バブル崩壊以降、企業は正社員の雇用を躊躇するようになった。雇用リスクが高いからだ。
社員には、ある程度の賃金保障と賞与、福利厚生を提供しなければならず、様々な休暇も確約しなければならない。解雇する場合も「ほな今月までで退職ね」と肩をポンッでは済まない。
その点、派遣社員、パート、アルバイトに対しては、カイシャ側の都合と論理で、雇用期間や賃金を決めちまうことができる。あらかじめ雇用期間を決めた契約社員もそうである。経営側からすれば、正社員を雇うより「石が転がるように生きる」フリーターをアルバイトとして業務に組み込めば、本来かかるべき人的コストを大幅にカットできるのである。彼は気の向くままに辞めてくれる。
パート・アルバイトは正社員と同じ労働者という立場であるが、実際上の権利は同等とは言いがたい。仮に経営に不信感があっても、帳簿の閲覧を求めたり、経営者との団体交渉はしにくい。法的には可能だとしても、実際はできない。正社員とほぼ同じ労働をしても、コスト安の存在。本来的に自分の労働が生み出す価値に対して、労賃を値切られている存在なのだ。
つぎに、フリーターたちの「時間を切り売りする感覚」がよくない、という説明に入った。アルバイト経験豊富な学生を正社員として採用すると、ある決まった仕事はちゃんとこなすが、指示なしの状態で仕事を作るのを苦手とする傾向があることに気づく。
また、彼らは仕事に対して純粋な夢を抱きにくい傾向がある。「これだけの賃金に対して、これだけの労働を提供すればいい」という観念をぬぐい去るのに、けっこう時間がかかる。いまどきのバイトの時給800円、日当7000円。だから1000円なんてたいした金じゃない。そう考える若者がたくさんいる。自分の時間を切り売りしてもらう時給だと、どうしてもそんな感覚に陥ってしまう。
社会に出て金を稼ぐということは、簡単なことじゃない。
たとえば自分で商売を興そうとする。「これを自分の手でやってみたい」と決意してから、収入ゼロ円の日々が何百日も続く。最初にお客さんからもらった100円、1000円のお金に、指先が震えるほど感激する。お金のありがたさを嫌というほど教えられるのだ。
そんな体験をすれば、「お金なんていらないから、仕事させてください」という若者が現れたら、「君はぼくの若い頃のようだね」と誉めたあとで、「でも君は甘ちゃんだね」なんてチクリと刺したくもなる。
脳みそをフル回転させ、街を歩き回って足を棒にして、自分の手で稼ぎ出した1000円は、他人の指示どおり動いて手にした1000円、親からもらった小遣いの1000円とは別の価値がある。
だからね、若い時こそフリーターじゃなくて、頭をこづかれて働く下積みをした方がいい!と、熱弁をふるうぼくの顔を見る西千晶の目は、トロ〜ンと睡魔に襲われつつある。しまった! 話がつまらなかったのか!? 起きてる?と聞くと、「なんとか」と西千晶は言う。
ぼくは気合いがメルトダウンしないよう話をつづける。
いままでたくさんのフリーターと面接をしてきた。彼らは「自分には、いずれやりたいことがある」と言う。ぼくはいつも問い返してきた。「なぜそれを今やらんのん?」。
「東京に出るための準備資金が必要なので、アルバイトをしてお金を貯めようと思います」
いくらお金を貯めたら、東京に行くの?
「それはちょっとわかりませんけど・・・」
20万円もあれば部屋はどうにかなるから、誰かからお金を借りたらすぐ行けるよ。
「人から借りるのは嫌いなんです」
でも、いま親と同居してるんでしょ? 税金も保険も電気代ガス代水道代も親持ちじゃないの? それは平気なの?
「はあ、あんましよくわからないです」
こういう会話、なんどもしてきた。あるいはまた、
「いつかカフェをやりたいと思ってまして。いろんな店を見てみたいので雑誌編集の仕事をしようかと思いまして」
カフェ出すのにいくらお金かかるか調べたの?
「いまんとこ、調べてないです」
じゃあ仮に800万円かかるとして、うちで何年バイトして貯めるつもりなの? 10年以上かかるけどいい?銀行からお金借りたら、すぐできるんじゃないの?
「今すぐやるつもりはありません。やっぱ人脈とかつくったりしたいし、ノウハウの蓄積も必要だと思うし・・・」
そう、フリーターとの話し合いは、果てしない「今やれば?」「今はできません」トークの応酬なのである。「いまはアルバイトでいい」という理屈は、以下の心情の合理化である。
「いずれ何かやるつもりだけど、お金も必要だし、いろいろな知り合いも作っていきたい。親元で貯金をしながら、いつか自分がやりたいって思ったときにやったらいいか。自分をサポートしてくれる仲間といっしょに、自分の好きなことをやりたい。いつかはほんとにやりたいことが見つかるだろうし、それまではあせる必要もないし、いろんなことやりたい自分ってサイコー!」
これが典型的フリーター思想。多弁だけど、何もやるつもりがない人の論理。本気の人は、自分に「準備期間」などという執行猶予の時間を与えないもんだ!
そんなぼくの弁舌を、西千晶は夏の海辺に立ったような遠い目で見つめる。その先には白い壁しかない。ぼくはやや傷つきながらも、なんとかこの場をシメなきゃと思い、うめき声のように言葉を発する。
10代から20代中盤まにでに積み上げた経験が、それからの人生を自由にする。能力があれば自由になり、社会に通用する能力がなければ不自由になる。いろんな職業を経験したり、いろんな職場に勤めても、たいへんな局面から逃げ、その場その場の気楽さだけを求めていたら、何の経験も積みあがらない。仕事との距離を遠くに置けば、どんなこともつまらなくなる。他人から見てどんなにバカげて見えることでも、無我夢中でやっていたら、ぜったいおもしろくなる。
さて、ぼくの言葉は西千晶に届いたのだろうか?
同級生の大半が大学に進学し、おもしろおかしくキャンパスライフを過ごしている。就職した多くの同世代が、新人研修期間中にあっけなく会社を辞めたりしている18歳である。そんななかで真夜中までひたすら頑張る自分と周囲との距離を、彼女はどう計っているのだろうか。
電気のついてない独り暮らしの部屋にトボトボたどり着いて、阿南からやってきたお母さんが昼間に置いといてくれた机の上のクリームパンを見て、なにを思うのか。彼女がいまだ「フリーターになりたい!」と思い続けているのかどうかはわからないけど、今日もぼくは西千晶にカイシャにいてもらうために、外出のついでにコンビニの10円菓子コーナーをまさぐり、「ちょこましゅまろ」の大箱を探しもとめる。
西千晶、世の中はこんな風にホントにおもしろいよ。稼ぐ18歳の方が、稼がない経営者より立場がはるかに上なんだからね〜。
2006年07月08日
4月からスタートし500人近いエントリー女子高校生のなかから、
徳島で最も制服の似合う女のコを決める
2006年版のミス制服グランプリ!
発売中のタウトク7月号では、中間投票で
人気の女のコBEST50を発表しているよ〜!
そしてタウトク8月号では遂にラストエントリー。
県南で噂の超美人女子高生がいよいよ登場する。
お楽しみにい
2006年07月06日
なぜ、CUの告知に仮面ライダーカブト!?
と思う方もいるかもしれませんね。
実は、先日のバルトの楽園のイベントの際に同時に開かれていたショーに行ってきました。
そこで、仮面ライダーカブトに出演している
仮面ライダーカブト、天道総司役の水嶋ヒロさん
仮面ライダーガタック、加賀美新役の佐藤祐基さん
のお二人にインタビューしてきました。
仮面ライダー35年の歴史の中でも、一番カッコイイ!!といわれている
2人が徳島に来ているのに、CU編集部が見逃すはずがありません!!
特集は「小学校事情2006」 。
参観日、制服、給食など、昔とは変わってきている
小学校について、保護者のホンネを大調査。
また、6月14日に行われた
「-わんだふる徳島・いきいきフォーラム-阿波女の心意気」
イベントの模様も詳しく掲載しています。
読者モデルの変身ぶりをぜひご覧ください。
そのほか…
月刊タウン情報トクシマ5月号
実売部数報告です。
タウン情報トクシマ5月号の売部数は、
12023部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像を
クリックしてください。
月刊タウン情報CU*6月号
実売部数報告です。
タウン情報CU5月号の売部数は、
8570部 でした。
詳しくは、上部に表記してある画像を
クリックしてください。
2006年07月05日
ふつうの就職制度にしてくれ!の巻
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
「採用しにくい!」
高卒の若者を採用しようとして実感した。思ったように採用活動ができないのだ。
小社では、4年前から高卒の新卒採用をはじめた。といっても、もともと何歳でも入社して構わなかったんだけどね。16歳のフリーターでもやる気があれば、採用する。
学校に行ってない子を採用するのは未成年でも問題ない。保護者の許可をもらえばよいだけだ。
しかし「現役の高校3年生」を採用するのが、こんなにややこしいことだとは当初は想像していなかった。高卒採用をややこしくしている代表的な2つの制度について説明を試みたい(これがけっこう説明むずかしいんです)。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
「採用しにくい!」
高卒の若者を採用しようとして実感した。思ったように採用活動ができないのだ。
小社では、4年前から高卒の新卒採用をはじめた。といっても、もともと何歳でも入社して構わなかったんだけどね。16歳のフリーターでもやる気があれば、採用する。
学校に行ってない子を採用するのは未成年でも問題ない。保護者の許可をもらえばよいだけだ。
しかし「現役の高校3年生」を採用するのが、こんなにややこしいことだとは当初は想像していなかった。高卒採用をややこしくしている代表的な2つの制度について説明を試みたい(これがけっこう説明むずかしいんです)。
■「指定校制度」という制度
高校生を採用したいとき、企業はまず高校名を指定しなければならない、というルールである。意味わかるだろうか。つまり「高卒者3名募集」とし、全高校に声がけするのではなく、
「徳島商業高校に2名」「富岡西高校に1名」などと、学校を指定しなくてはならないのだ。どこの高校にどんな生徒がいて、自分とこの会社のビジネス・職種に向いている子がいるのかどうかなんて、最初からわかるはすがないのにである。
もし、別の高校にたまたま当社に就職希望してくれる生徒がいたとしよう。しかし、偶然か必然かその子の情報が入らない限り、企業と生徒をつなぐルートはない。仮にこの生徒が希望の会社に就職するためには、以下のような手続きをするしかないと想像する。生徒は事前に企業にアポを入れ、訪問し、人事担当者か経営者に面会しなくてはならない。そしてこう述べる。強く述べる。
「オレのいる高校を指定校にしてください。そうしたら就職担当の先生に、《オレあの会社の人事とハナシつけてきた。オレを推薦してほしい》と頼みますから。よろしく!」。
こんな根回しをしなくてはならないのだ。現実問題、そんなことするごっつい高校生はいないだろう。だから高校生に職業選択の自由って、あんましないのである。
■「一人一社制度」という制度
さらに理解に苦しむのがこの制度である。
先に述べた「指定校制度」のもと、企業が学校に「1名ほしい」とお願いする。すると学校側が、その企業にふさわしいと思われる生徒を1人選び、企業に推薦することになる。ぶじ推薦を受けた生徒だけが、その企業を受験する権利をもつ。推薦されなかった生徒は、企業に出かけていって自己PRすることも許されない。また推薦を受けた生徒は、いったん推薦を受けると、その会社の合否が出るまで、ほかの会社を受けることはできなくなる。ハアーッ、ため息つづきである。
「一人一社制度」の問題点は大きく2つある。
1.その企業にあった人材を、企業が決めるのではなく学校が決める、という点。企業というものは生き物である。毎年、いや月刻みでほしい人材の条件は変わる。優等生がほしい場合もあれば、スポ根なヤツがほしい場合もある。先生に反抗しまくってるアウトローがほしい場合だってある。しかし、こんな企業側の希望は学校には届かない。(だってこんな希望を書く欄は申請書にないのです)
また、推薦された生徒は、成績順で選ばれたのか、性格の向き不向きか、企業側は知るよしもない。
2.(生徒から見て)タイムロスが多い点。
生徒は1社に願書(履歴書など)を提出し、会社から採用試験の案内が来て、試験を受け、合否判定が出るまで、ほかの会社は受けられない。あれやこれやですぐ1カ月たってしまう。年末までが採用のピークだとしたら、高卒採用が解禁される9月からだと勝負は4カ月〜半年。どんどん時間がなくなっていく。高校生の立場からすると、すごくリスクが高いと思う。
指定校制度や一人一社制度は、高度成長時代のなごりだと思う。つまり、大量生産の時代に、勤勉で一定以上の能力のある高校生を10人、100人とまとめて雇用したかった企業と、毎年安定して企業に生徒を送り込める学校側の意思が一致していたのだ。
しかし、時代は変わったのである。どのような職種も、アイデアや人間力が求められる。現場から組織を変えてくれるような人材を、企業は血まなこで探している。そんな時代に制度がついてきていないのだ。あるいは就職時に何社も受けては落ちする生徒を傷つけたくないという先生方の優しさが制度として残されている源なのかもしれない。しかし、その優しさは社会では通用しない。生徒は、数カ月後には競争社会に放り込まれるのだから。
企業は、とくに中小・零細企業は、求人数をきっちり決めているわけではない。その時々の受注の具合、経営状態によって採用数が変化する。あるいは、よい人材がいれば将来稼いでくれると見込んで採用するし、何人に受けてもらっても、欲しい人材がいなければ採用できないってこともある。
学歴はさほど重要な要素ではなくなった。バイテリティがあり、やる気があり、おもしろい人物なら、大卒であろうと高卒であろうと関係ない。ボクは、今の日本なら、あるいは徳島なら、大卒よりも高卒の方がはるかによい人材がいると考える。
目的もなく大学に進んで4年間で「ダレてしまった」人間を軌道修正するのは難しい。ちゃらちゃらした22歳の大学生よりも、生き方に迷い、夢を語る18歳の高校生にはるかにシンパシーを感じる。文部科学省も、厚生労働省も、そんな高校生の就職活動の規制緩和をすすめ、より自由に就職活動できる環境をつくるべきだ。つくってちょーだい。新卒高校生が思いっくそ能力を発揮できる就職環境に早く近づけようぜ、お役人さん!
高校生を採用したいとき、企業はまず高校名を指定しなければならない、というルールである。意味わかるだろうか。つまり「高卒者3名募集」とし、全高校に声がけするのではなく、
「徳島商業高校に2名」「富岡西高校に1名」などと、学校を指定しなくてはならないのだ。どこの高校にどんな生徒がいて、自分とこの会社のビジネス・職種に向いている子がいるのかどうかなんて、最初からわかるはすがないのにである。
もし、別の高校にたまたま当社に就職希望してくれる生徒がいたとしよう。しかし、偶然か必然かその子の情報が入らない限り、企業と生徒をつなぐルートはない。仮にこの生徒が希望の会社に就職するためには、以下のような手続きをするしかないと想像する。生徒は事前に企業にアポを入れ、訪問し、人事担当者か経営者に面会しなくてはならない。そしてこう述べる。強く述べる。
「オレのいる高校を指定校にしてください。そうしたら就職担当の先生に、《オレあの会社の人事とハナシつけてきた。オレを推薦してほしい》と頼みますから。よろしく!」。
こんな根回しをしなくてはならないのだ。現実問題、そんなことするごっつい高校生はいないだろう。だから高校生に職業選択の自由って、あんましないのである。
■「一人一社制度」という制度
さらに理解に苦しむのがこの制度である。
先に述べた「指定校制度」のもと、企業が学校に「1名ほしい」とお願いする。すると学校側が、その企業にふさわしいと思われる生徒を1人選び、企業に推薦することになる。ぶじ推薦を受けた生徒だけが、その企業を受験する権利をもつ。推薦されなかった生徒は、企業に出かけていって自己PRすることも許されない。また推薦を受けた生徒は、いったん推薦を受けると、その会社の合否が出るまで、ほかの会社を受けることはできなくなる。ハアーッ、ため息つづきである。
「一人一社制度」の問題点は大きく2つある。
1.その企業にあった人材を、企業が決めるのではなく学校が決める、という点。企業というものは生き物である。毎年、いや月刻みでほしい人材の条件は変わる。優等生がほしい場合もあれば、スポ根なヤツがほしい場合もある。先生に反抗しまくってるアウトローがほしい場合だってある。しかし、こんな企業側の希望は学校には届かない。(だってこんな希望を書く欄は申請書にないのです)
また、推薦された生徒は、成績順で選ばれたのか、性格の向き不向きか、企業側は知るよしもない。
2.(生徒から見て)タイムロスが多い点。
生徒は1社に願書(履歴書など)を提出し、会社から採用試験の案内が来て、試験を受け、合否判定が出るまで、ほかの会社は受けられない。あれやこれやですぐ1カ月たってしまう。年末までが採用のピークだとしたら、高卒採用が解禁される9月からだと勝負は4カ月〜半年。どんどん時間がなくなっていく。高校生の立場からすると、すごくリスクが高いと思う。
指定校制度や一人一社制度は、高度成長時代のなごりだと思う。つまり、大量生産の時代に、勤勉で一定以上の能力のある高校生を10人、100人とまとめて雇用したかった企業と、毎年安定して企業に生徒を送り込める学校側の意思が一致していたのだ。
しかし、時代は変わったのである。どのような職種も、アイデアや人間力が求められる。現場から組織を変えてくれるような人材を、企業は血まなこで探している。そんな時代に制度がついてきていないのだ。あるいは就職時に何社も受けては落ちする生徒を傷つけたくないという先生方の優しさが制度として残されている源なのかもしれない。しかし、その優しさは社会では通用しない。生徒は、数カ月後には競争社会に放り込まれるのだから。
企業は、とくに中小・零細企業は、求人数をきっちり決めているわけではない。その時々の受注の具合、経営状態によって採用数が変化する。あるいは、よい人材がいれば将来稼いでくれると見込んで採用するし、何人に受けてもらっても、欲しい人材がいなければ採用できないってこともある。
学歴はさほど重要な要素ではなくなった。バイテリティがあり、やる気があり、おもしろい人物なら、大卒であろうと高卒であろうと関係ない。ボクは、今の日本なら、あるいは徳島なら、大卒よりも高卒の方がはるかによい人材がいると考える。
目的もなく大学に進んで4年間で「ダレてしまった」人間を軌道修正するのは難しい。ちゃらちゃらした22歳の大学生よりも、生き方に迷い、夢を語る18歳の高校生にはるかにシンパシーを感じる。文部科学省も、厚生労働省も、そんな高校生の就職活動の規制緩和をすすめ、より自由に就職活動できる環境をつくるべきだ。つくってちょーだい。新卒高校生が思いっくそ能力を発揮できる就職環境に早く近づけようぜ、お役人さん!