NEW TOPIC
2007年01月18日
徳島県内の障害者支援施設や地域活動支援センターなどで作られている商品たちを紹介しました。
たとえば…毎朝5時から搾っている濃い味の牛乳(ビン詰め!)、生ゴミに混ぜて使う有機肥料、心と体に優しい手づくりヘルシーなお弁当、カバ・ブタ・子犬などの可愛い組み木、驚きの値段の野菜、なんとカブトムシの幼虫!など。思わずほしくなる、魅力的なものたちが勢ぞろいです。
2007年01月17日
飛んでイスタンブール♪と口ずさむおじさま達は数知れず… 笑
世界各地から観光客が集まるイスタンブールには見所がたっくさん!
●グランドバザール(何と4000店がひしめく市場)
●エジプトバザール(香辛料の香りがプンプン)
●ガラタ搭(イスタンブールの夜景が最高にキレイに見えるスポット)
●モスク(世界で唯一6本の搭を持つブルーモスクには1日中イスラム教徒が礼拝に訪れる)
●トプカプ宮殿(世界2位の大きさを誇るエメラルドを展示)
●ボスフォラス海峡クルーズ(北は黒海まで行くことができる)
徳島ウエディング 実売部数報告です。
徳島ウエディングの売部数は、
2012部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。
2007年01月16日
女性がうれしい おでかけ先 70計画
夜景が綺麗なレストラン、爽快アイススケート、
新ショッピングスポット、秋田町の新個室など
寒さも吹っ飛ぶトキメキの遊び場を求めて
徳島はもちろん四国・関西まで巻き込んだ70箇所。
さらに...
2007年01月06日
あなたは、和食のダシをとるときに使われる小魚をなんと呼んでいますか? さらら読者501人のアンケートでは、じゃこ、いり、だしじゃこ、だしいり、いんじゃこ、にぼし…など、その回答の幅の広さにびっくり! さて1位になったのは…?
そのほか、大根のお漬物、男性がズボンの下につける下着など、人によって呼び方が違うもの6テーマをお題にした結果を発表します。
2007年01月05日
雑誌現場の反カリスマ経営
文=坂東良晃(タウトク編集人)
19歳の社員が突如ボクの仕事部屋にやってきて、「彼氏がほしいんですけどぉ、どーにかなりません〜?」と言う。そういう考え方はおかしい。好きな人ができたときに交際したいと思うべきであって、どうにかして彼氏を見つけようなんて考えはいかん。まじめに恋しなくちゃ!と我ながらいい回答をする。
ところがそいつはこう反論する。「私はチャラチャラした男のほうが好みなんですぅ〜。まじめな人とか面倒くさーい」。そして、高校時代に本物の恋愛をしたがそのような恋はもう二度とできないかも、といった思い出話を1時間ほど聞かされる。
文=坂東良晃(タウトク編集人)
19歳の社員が突如ボクの仕事部屋にやってきて、「彼氏がほしいんですけどぉ、どーにかなりません〜?」と言う。そういう考え方はおかしい。好きな人ができたときに交際したいと思うべきであって、どうにかして彼氏を見つけようなんて考えはいかん。まじめに恋しなくちゃ!と我ながらいい回答をする。
ところがそいつはこう反論する。「私はチャラチャラした男のほうが好みなんですぅ〜。まじめな人とか面倒くさーい」。そして、高校時代に本物の恋愛をしたがそのような恋はもう二度とできないかも、といった思い出話を1時間ほど聞かされる。
25歳の女性社員から、「彼氏ができないのは過酷な労働環境のせいではないか、これは労災だ!」と厳しく問い詰められる。これは真っ向からの経営批判である。仕方がないので、クリスマスに向けて合コンの設定をすることにした。20代のまっとうな男性で彼女のいないのを探すのは困難な仕事だが、どうにか段取りをつけた。
ところがその後で、「男前じゃないと困ります」「銀行なら○○銀行にしてほしい」などと、ぜいたくなわがままを言い出す。それを甘んじて受け、再度調整に乗り出す。
「会社を変えよう!ミーティング」ってのをはじめた。
全社員参加で、「うちの会社のここがダメだ」という話し合いをする。
とにかくたくさんの不満がでてくる。フツーもっと遠慮するだろーよぉと思うが、新入社員でも会社のことをボロクソに言う。「メールがたくさん来すぎて読めない」「仮眠ソファーが臭い」「トイレでうんこを流さない人がいる」
まあ好きなだけ言うがいいさ、と思う。
メール受信の設定を変え、仮眠ソファーのヨダレだらけのシーツをクリーニングに出し、
トイレのうんこを皆が流すよう厳しく指導した。
さらには仕事中ノドが乾くので飲み物がいる、と言う。
ウォーターサーバーを設置しようかと提案すると、水よりジュースがいいとダダをこねる。
仕方なく購入してみたら、これがまたよく飲む。1カ月で段ボール15箱分だ。
量販店で2リッター98円の格安のものを選び買って帰ると、文句がでる。
「緑茶より烏龍茶がよい」「コーヒーの味がまずい」「牛乳もほしい」「豆乳も用意しろ」である。言うことを聞いて、ハイハイとふたたび買い出しに出かける。
ニートの男性が採用面接にきた。
この「イカリング」を読んでくれている人だったが、主旨を読み違えている。
「会社に入っても特にやりたいことはないけど、ニートでも働ける会社なんですよねぇ」と堂々と述べるので、
「いやそうじゃない。元ニートだろうと元暴走族だろうと経歴は問わないが、、
仕事を真剣にやろうって決意した人じゃないと採用はできないです」と説明すると、「ニートでも働けるみたいなこと書いていたじゃないか、ニートをバカにするな!」と強く怒られた。ニートにバカにされたのはこっちだ。
ボクは、この業界では古株なはずだが、威厳というものがまったく備わらない。
現場の仕事はほとんどやっていないから、自分の仕事ぶりをカッコよく他人に見せることもできない。だから「何をやってるかわからない変なオッサン」になっている。
頼まれたらリカオーにジュースを買いに行ったり、うんこを流せとたまに怒る人・・・くらいの扱いだ。よくこんな貧弱な経営者で会社がもっているものである。逆に何にもよーしないから、部下が立派なのかも知れない。
ぼくは雑誌が作れていたら幸せなので、それ以外のことをやりたいという欲望がない。こういう人物が上に存在してしまっては、若いスタッフの可能性を奪ってしまうことになる。野心に溢れてギラギラしたナイフのような人物に経営を交代してもらえないものかと、そればかり考えている。
年齢を重ねるごとに「企業」という組織形態に違和感をもつようになってきた。
人間がモノを作るために最も適した集団は、現在の先進諸国が採用している営利法人・株式会社という組織コンセプトがベストなんだろうか?
とずっと思いつづけているのである。
資本家がいて労働者がいる。
使用者がいて労働者がある。
決定権者がいて、労働現場がある。
正社員がいて、派遣社員がいて、アルバイトがいて、待遇格差がある。
利益を出し続けなければ成長はなく、成長なくして昇給はなく、利益を出すために市場に消費をうながす。
メーカーはモノを生産するために何らかの地球資源を使用し、加工し、廃棄する。
理路整然たるこれらの流れに、ボクが感じる「なんかちゃう」はどんどん大きくなる。
人間は、なにかの目的を達成するために、集団を組織しつづけている。
組織が存在するのは主に2つの理由だ。「思想の共有」と「利益の共有」だ。
子供たちは、いじめの対象にならないための仲良しグループをあいまいに結成し、お役人やおじさんたちは、利権をわけあうための談合グループをつくる。
残虐な奪いあいや陵辱が行われないよう、道徳と戒めという拘束を効かせたものが宗教。
近隣地域からの侵略を防ぐため、民族の生活習慣を犯されないため、人が飢えない構造を作るために組織されるのが国家。
イスラエルのキブツやコルカタのマザーテレサの家をはじめとする奉仕活動の場、あるいは特殊な目的の秘密結社や、辺境のコミューンは、精神的な充足を得るための組織である。
役人が管理する自治体や国家が運営する「国営公社」的な組織は、古代中国の宮廷政治の時代から非効率性と腐敗を内在している。
プロスポーツの球団は事業主の集まりだ。選手一人ひとりが一事業者として参加し、そして戦っている。ユニークな集まりだと思う。(事業者の集団なのにプロ野球に労働組合があるのはヘンだけど)。
モノを生み出し、価値を生産するために、人間はいろいろなチームをつくってきたのだ。
かく言う自分も、雑誌をつくるために人を雇用し、組織をつくっている。
ぼくの目的は何だろうと、ときどき考える。
うそはいくらでも言える。
「地域社会に貢献し、お客様に利益をもたらすことで、結果として自社が成長し、従業員が豊かな人生を送ることができる」。
これはホントなんだろか?誰が聞いてもウソくさいよね。自分の人生の中で、このような神々しい目的を持つほどの衝撃的な出来事にも、天の啓示にも遭遇していない。
経営者が集まった会合ではすっぺらこっぺら言えても、同級生の前では話せない。「俗人のお前がギャグ言うな!」と相手にもされないだろう。
ウソいつわりなく、誰に気兼ねすることなく、組織をつくる目的を述べたらどうなるのだろう。
他人に押しつけられたくないことを、他人に押しつけたくはない。
他人に管理されたくない。そして行動をマニュアル化されたくない。
他人の自己保身の影響を受けたくない。他人にウソをつかれたくない。
やりたい仕事に集中したい。他人に使ってもらえるものを作りたい。
くだらない人間関係や足の引っ張りあいのために、それをあきらめたくない。
・・・深く考えずに述べれば、こんなトコだろうか。
ならば、逆の組織をつくればいい。
管理されず、マニュアル化されず、ウソをつかない組織。
現場がやりたいことをやれ、生産したモノを使ってくれる人のためだけにアイデアを出しあい、権限者が保身のためにそれを止めない組織だ。
このようなチームを、営利法人あるいは株式会社というカテゴリー内で、つくりあげられるのだろうか。うむむ、難しそうだ。
しかし大土地所有制度や財閥制度、共産主義国家だって崩壊した。これら制度が存在した時代は、永遠に続くと思われていたはずだ。
現在の資本主義的社会システムもいずれば人類成熟の一過程となり、100年後には今とまったく違う形態の生産組織が生み出されている。
財産の相続がなくなって競争が平等化し、人間が本来的にやりたいことを追求し、生活が高次で保障されることで、純粋な知的欲求によってのみモノが生産される。うーん、筒井康隆、星新一のSF小説並みのあり得ない空想社会か。
こんなことを鼻くそをほじくりながらボーッと考えていたら、再び19歳の彼氏募集中の社員がやってきた。
「ま、また彼氏ほしいとかゆう相談か?」
「違いますよ〜、ミスター男子グランプリの中にタイプの男の子がいるんです〜。
カッコイイって思いません〜? わたしこの子がタイプですぅ〜」
この話が1時間。
ところがその後で、「男前じゃないと困ります」「銀行なら○○銀行にしてほしい」などと、ぜいたくなわがままを言い出す。それを甘んじて受け、再度調整に乗り出す。
「会社を変えよう!ミーティング」ってのをはじめた。
全社員参加で、「うちの会社のここがダメだ」という話し合いをする。
とにかくたくさんの不満がでてくる。フツーもっと遠慮するだろーよぉと思うが、新入社員でも会社のことをボロクソに言う。「メールがたくさん来すぎて読めない」「仮眠ソファーが臭い」「トイレでうんこを流さない人がいる」
まあ好きなだけ言うがいいさ、と思う。
メール受信の設定を変え、仮眠ソファーのヨダレだらけのシーツをクリーニングに出し、
トイレのうんこを皆が流すよう厳しく指導した。
さらには仕事中ノドが乾くので飲み物がいる、と言う。
ウォーターサーバーを設置しようかと提案すると、水よりジュースがいいとダダをこねる。
仕方なく購入してみたら、これがまたよく飲む。1カ月で段ボール15箱分だ。
量販店で2リッター98円の格安のものを選び買って帰ると、文句がでる。
「緑茶より烏龍茶がよい」「コーヒーの味がまずい」「牛乳もほしい」「豆乳も用意しろ」である。言うことを聞いて、ハイハイとふたたび買い出しに出かける。
ニートの男性が採用面接にきた。
この「イカリング」を読んでくれている人だったが、主旨を読み違えている。
「会社に入っても特にやりたいことはないけど、ニートでも働ける会社なんですよねぇ」と堂々と述べるので、
「いやそうじゃない。元ニートだろうと元暴走族だろうと経歴は問わないが、、
仕事を真剣にやろうって決意した人じゃないと採用はできないです」と説明すると、「ニートでも働けるみたいなこと書いていたじゃないか、ニートをバカにするな!」と強く怒られた。ニートにバカにされたのはこっちだ。
ボクは、この業界では古株なはずだが、威厳というものがまったく備わらない。
現場の仕事はほとんどやっていないから、自分の仕事ぶりをカッコよく他人に見せることもできない。だから「何をやってるかわからない変なオッサン」になっている。
頼まれたらリカオーにジュースを買いに行ったり、うんこを流せとたまに怒る人・・・くらいの扱いだ。よくこんな貧弱な経営者で会社がもっているものである。逆に何にもよーしないから、部下が立派なのかも知れない。
ぼくは雑誌が作れていたら幸せなので、それ以外のことをやりたいという欲望がない。こういう人物が上に存在してしまっては、若いスタッフの可能性を奪ってしまうことになる。野心に溢れてギラギラしたナイフのような人物に経営を交代してもらえないものかと、そればかり考えている。
年齢を重ねるごとに「企業」という組織形態に違和感をもつようになってきた。
人間がモノを作るために最も適した集団は、現在の先進諸国が採用している営利法人・株式会社という組織コンセプトがベストなんだろうか?
とずっと思いつづけているのである。
資本家がいて労働者がいる。
使用者がいて労働者がある。
決定権者がいて、労働現場がある。
正社員がいて、派遣社員がいて、アルバイトがいて、待遇格差がある。
利益を出し続けなければ成長はなく、成長なくして昇給はなく、利益を出すために市場に消費をうながす。
メーカーはモノを生産するために何らかの地球資源を使用し、加工し、廃棄する。
理路整然たるこれらの流れに、ボクが感じる「なんかちゃう」はどんどん大きくなる。
人間は、なにかの目的を達成するために、集団を組織しつづけている。
組織が存在するのは主に2つの理由だ。「思想の共有」と「利益の共有」だ。
子供たちは、いじめの対象にならないための仲良しグループをあいまいに結成し、お役人やおじさんたちは、利権をわけあうための談合グループをつくる。
残虐な奪いあいや陵辱が行われないよう、道徳と戒めという拘束を効かせたものが宗教。
近隣地域からの侵略を防ぐため、民族の生活習慣を犯されないため、人が飢えない構造を作るために組織されるのが国家。
イスラエルのキブツやコルカタのマザーテレサの家をはじめとする奉仕活動の場、あるいは特殊な目的の秘密結社や、辺境のコミューンは、精神的な充足を得るための組織である。
役人が管理する自治体や国家が運営する「国営公社」的な組織は、古代中国の宮廷政治の時代から非効率性と腐敗を内在している。
プロスポーツの球団は事業主の集まりだ。選手一人ひとりが一事業者として参加し、そして戦っている。ユニークな集まりだと思う。(事業者の集団なのにプロ野球に労働組合があるのはヘンだけど)。
モノを生み出し、価値を生産するために、人間はいろいろなチームをつくってきたのだ。
かく言う自分も、雑誌をつくるために人を雇用し、組織をつくっている。
ぼくの目的は何だろうと、ときどき考える。
うそはいくらでも言える。
「地域社会に貢献し、お客様に利益をもたらすことで、結果として自社が成長し、従業員が豊かな人生を送ることができる」。
これはホントなんだろか?誰が聞いてもウソくさいよね。自分の人生の中で、このような神々しい目的を持つほどの衝撃的な出来事にも、天の啓示にも遭遇していない。
経営者が集まった会合ではすっぺらこっぺら言えても、同級生の前では話せない。「俗人のお前がギャグ言うな!」と相手にもされないだろう。
ウソいつわりなく、誰に気兼ねすることなく、組織をつくる目的を述べたらどうなるのだろう。
他人に押しつけられたくないことを、他人に押しつけたくはない。
他人に管理されたくない。そして行動をマニュアル化されたくない。
他人の自己保身の影響を受けたくない。他人にウソをつかれたくない。
やりたい仕事に集中したい。他人に使ってもらえるものを作りたい。
くだらない人間関係や足の引っ張りあいのために、それをあきらめたくない。
・・・深く考えずに述べれば、こんなトコだろうか。
ならば、逆の組織をつくればいい。
管理されず、マニュアル化されず、ウソをつかない組織。
現場がやりたいことをやれ、生産したモノを使ってくれる人のためだけにアイデアを出しあい、権限者が保身のためにそれを止めない組織だ。
このようなチームを、営利法人あるいは株式会社というカテゴリー内で、つくりあげられるのだろうか。うむむ、難しそうだ。
しかし大土地所有制度や財閥制度、共産主義国家だって崩壊した。これら制度が存在した時代は、永遠に続くと思われていたはずだ。
現在の資本主義的社会システムもいずれば人類成熟の一過程となり、100年後には今とまったく違う形態の生産組織が生み出されている。
財産の相続がなくなって競争が平等化し、人間が本来的にやりたいことを追求し、生活が高次で保障されることで、純粋な知的欲求によってのみモノが生産される。うーん、筒井康隆、星新一のSF小説並みのあり得ない空想社会か。
こんなことを鼻くそをほじくりながらボーッと考えていたら、再び19歳の彼氏募集中の社員がやってきた。
「ま、また彼氏ほしいとかゆう相談か?」
「違いますよ〜、ミスター男子グランプリの中にタイプの男の子がいるんです〜。
カッコイイって思いません〜? わたしこの子がタイプですぅ〜」
この話が1時間。
2006年12月28日
そして今回なんと、お声がけをいただいたのがメディコム。月刊タウン情報トクシマの創刊時にポスターをみて、思いつかれていたとのこと。現在、タウトク、CU、結婚しちゃお!ほか、お笑いプロジェクト小鉄ライブ、シンガーソングライター皆谷尚美さんのコンサートポスターなどが展示されています。ぜひみなさん、神山町に足をお運びください。2月23日まで開催予定です。
神山グリーンバレーブログ
http://blog.kamiyama-gvi.jp/
月刊タウン情報CU*12月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*12月号の売部数は、
6539部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ12月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ12月号の売部数は、
11766部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。
2006年12月26日
+注目の新コーナー続々登場
●冬の動物園・水族館・遊園地
●四国の秘湯・名湯めぐり
●破格の焼肉セット
●ミスター男子グランプリ
特集1
●恋する大人のレストラン
ネエサン、これは必見です!
イタリアン、フレンチ、洋食などなど
とっておきの日に訪れたい、徳島の人気店を紹介。
豪華なコース料理など各店の人気がズラリ。
そして…
2006年12月21日
年末もおしせまった今号の特集は…お雑煮!
餅の形は? 味付けは? 具は何を?
夫婦で2種類を作られる方、
結婚を機に新しい味を知ったという方…
あたたかいエピソードともに編集部に寄せられたレシピ。
中には、あ!と驚くお雑煮も。
なんと、東祖谷では…!?
300店掲載されているウエディング情報誌が
ついに
12月12日に創刊
しました!
特集は、
絶対マネしたい!結婚式の演出・おもてなし
涙腺全開!感動の演出編や
みんなが楽しめるゲスト参加の演出など
結婚式に取り入れたいイベント満載です。
2006年12月04日
月刊タウン情報CU*11月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*11月号の売部数は、
8120部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ11月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ11月号の売部数は、
9866部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。
2006年11月27日
高校ラグビー熱戦記
特別付録・冬本
2006年11月16日
みんなが大好きなおにぎりのアイデアがずらーり。
阿波番茶、フィッシュカツ、ちくわなど、徳島産の素材を使ったおにぎりレシピも紹介。
また、おにぎりにまつわるふたつのストーリーも掲載しています。
定番、個性派、残り物を利用して…あなたはどのおにぎりを作りますか?
2006年11月15日
[誘われたい]3大特集
●おごられたい名料理店
●うばわれたい素敵宿
●誘惑されたい大人のバー
人気の女の花園6大連載も掲載!
タウン情報CU 12月号は、県内の各スーパー、コンビニ、書店で販売中!
2006年11月10日
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
インドではガキがチャイを売り
カンボジアではガキが赤土を耕し
シエラレオネではガキが戦場に立つ
どんな環境でもガキはしぶとく生きるのだ
インドではガキがチャイを売り
カンボジアではガキが赤土を耕し
シエラレオネではガキが戦場に立つ
どんな環境でもガキはしぶとく生きるのだ
いろいろなところで、いろいろな人たちが崩壊している。
ある小学校の校長先生と話をする機会があった。彼は渋面である。
「テレビなんかでは学級崩壊とよく言われますが、今は子どもさんより保護者の方がねぇ。授業参観にいらしても、授業をじっと見ることができず、廊下で大声でしゃべったり携帯電話で話したりメールしたり。私は保護者の方に、(授業をちゃんと見てあげてください)と頼んで回る役目なんですよ」
小1シンドロームなんてのも耳にするようになった。小学校に入学直後の子どもが、授業のある1時間ちゃんと座っていることができない。立ってウロウロしたり、机の上を跳ねまわったり・・・という例の現象である。
幼稚園の自由保育がつるしあげられたり、親とのコミュニケーション不足や過保護が原因とされる。お決まりの論調だ。
社会を揺るがす大問題のように語られる学校教育の今だが、ぼくたちそんなに秩序正しい学校社会を生きてきたっけ?
ぼくが小学校に通っていたのは30年くらい前だ。
授業中、きちんと座って先生の話を聞いてるヤツなんてそんなにたくさんいなかった。
騒ぐヤツ、ヨダレたらして寝てるヤツ、鼻くそほじくってるヤツ、ちんこ出してるヤツ。そんなんばかりだ。
ガキってのは基本バカなんである。
バカに対して、礼儀正しい立ち居振る舞いを期待する方がおかしい。
猛獣使いのような先生が、恐怖政治でもって一時的に生徒を着座させることができても、その反動が必ず別の場所で出てしまう。
休み時間や放課後に、イタズラやいじめとなって噴き出す。
ヘビを捕まえたら歩道橋の上から車の荷台に投げつけ、猫がいたらケツの穴にロケット花火を刺す。カマキリのカマをちぎり、トンボの頭をむしる。それが伝統的なニッポンのフリーダムなクソガキのあり方だ。
動物本来がもっている残虐性は、人間にだってある。それを自由に吐き出せるのは、幼年期しかいない。
しかし今じゃ、学校の周りをウロウロする頓馬なヘビやカマキリはいない。
暴力性を吐き出す方向が、きわめて限定的になってしまっている。
子どもという生き物のタチの悪さを、ぼくは身をもって体験した。
小学校のころ、それはそれは大いなる悪意に何年間もさらされたのだ。
ぼくは小さな商店街のある小さな町で生まれたのだが、小1のときさらに田舎の小学校に転校した。なだらかな山と、メダカが泳ぐ用水路と、稲穂揺れる田園にかこまれたのんびりとした町。都会生活に疲れた人が見たら、第二の人生の終の棲家に考えたくなるような場所。
ところが、転校先のガキたちはとんでもない閉鎖性を秘めていた。
何事にもきっかけというものがある。出だしからぼくは失敗をやらかしたのだ。
ぼくと彼らとの間には、保育園のカリキュラムに差があった。
ぼくには小1の教科書が簡単に思えた。自分が先に進んでいることをすぐに自覚した。
先生の質問に一人手をあげ、答えた。おそらく自信満々に、そしてスノッブに。
ぼくは気分をよくしたが、彼らにはスタンドプレーに映った。
次の日から、変化が起こった。
机に鼻クソがすりつけられている。
新しい消しゴムが真っ二つ。
筆バコの中でミミズがうごめく。
だんだんエスカレートしてくる。
机からは腐ったチーズが登場。
イスにびっしょり小便がかけられている。
ランドセルの中から腐った匂いの雑巾が出てくる。
大便用のトイレの上からバケツの水が降りかかる。
背後から野球ボールが顔面に投げつけられる。
当時は「いじめ」という言葉がなかった。自分の身の上になにが起こったのかわからなかった。
それまでの短い人生で、周囲からこのような圧力を受けたことはなかった。
ぼくはこの場所では異物なのだと認識せざるをえなかった。
田舎の人づきあいは狭い。学級全員が幼児の頃からの幼なじみなのである。
そんな小さなコミューンに、自分ははじめて侵入してきた異物だったわけだ。
異物は排除する、それは人間が得意とする所作である。
幼い頃は運動能力が低く、まわれ右や足踏み行進すらできなかったぼくに、反撃の機会はなかった。
だが、支配する側とされる側の仕組みを勉強するチャンスが与えられた。
暴力はおさまることなく何年間かつづいたが、いろんなことに気がついた。
このようなヒドい目にあっているのは、どうやら自分だけではない。
知的に問題のある子ども、運動ができない子ども、家が裕福でなく学生服を洗ってない子ども、それらの「弱者」は、やはり同じような目にあわされている。
ガキの集団は、単純な論理に支配されている。体力があるか、頭がいいか、金持ちか。その3つのうちのいずれかの要素を持てば、悪意には支配されないのである。
いじめる側の中心人物は常にクラスのヒーローであり、先生のウケもいい。女子にもモテモテだ。
彼らは智謀を駆使し、その正体を大人には見せない。とても賢いのである。
いじめにはブームがあることにも気がついた。
ある時期、誰かを集中的にいじめると、ターゲットは変更される。ぼくはそれを「嵐」と名づけた。耐え切れば、「嵐」はいつか弱風になる。いじめる方も飽きてくるのだ。カタルシスを感じないと、いじめている理由がない。
ぼくはてっとり早く体を鍛えることにした。
「月刊ゴング」という雑誌に、プロレスの神様カール・ゴッチの身体のトレーニング方法のレポートがあった。
カール・ゴッチは、ウエイトトレーニングは行わない。自身の体重を利用して鍛錬するのだ、という記事。本当に強くなるためにマシンはいらない、自分の体を自由にあやつれるようになるべきだと神様は語る。
それ以来、毎日ヒンズースクワットを300回した。木があれば枝に飛びつき、懸垂をした。
上級生になると、腹筋が割れはじめ、上腕二等筋が盛り上がった。
「2」だった通信簿の体育が「5」になった。リレーの選手になった。それだけのことで、いじめの対象から外れた。
簡単な論理に気づき、それに対処した。それだけのことで地獄から脱出できる。貴重な学習であった。
中学校になるといじめとは違うバイオレンスが待ちかまえていた。
ぼくは野球部員だったが、野球部の部室は暴力の巣窟であった。
相手は顔中に硬いヒゲを生やした男性ホルモン全開のヤンキーの先輩たちだ。
暴力に理屈もへったくれもなかった。
練習後は必ず呼び出しをくらい、先輩5人くらいに囲まれ、壁に押さえつけられる。
陸上競技用のスパイクで顔面を殴られる。顔面に穴があく。
空気銃で太ももや尻を撃たれる。撃たれたところは腫れ上がり、ドス黒く内出血する。
野球のバットにまたがらされ、両方から持ち上げられる。股間を激しく打たれると、うめき声も出せない。
拷問さながらの暴力であったが、小学生の悪意に比べると、大したことないと思えた。
痛がると相手は悦ぶのである。だからぼくは、苦痛を表現しない。それは小学生の頃に学んだ防衛方法だ。
どんな攻撃にも、涼しい顔をしていると相手はつまらなくなる。そして暴力は収まる。
これは喧嘩をするときの鉄則でもある。
苦しむほど、相手は悦ぶ。苦しまないと、相手はひるむ。この論理も単純だ。
中学校でも、凶暴な先輩ほど人気があった。
強い者は人望を集め、舎弟をひきつれる。強い者は、(外見が)いい女とつきあえる。単純だ。
要するにヤクザ屋さんと同じ力の論理が、子どもの集団も支配しているのだ。
極端に荒れた中学校ではなかったが、当時の世間標準並みには問題を抱えていた。
マワしの噂は絶えず、タチの悪い大人の仲介で大阪の風俗店に働きにいく女子もいた。夏休み明けには、お決まりの売春、妊娠、中絶。平成の今のように、ガキは生きるのがうまくなかった。
同級生の男子のうち何人かが、風俗通いをはじめた。
最初は地元のチンピラの兄さんがつれていってくれる。そしてなじみの店をつくり、自分たちででかけていく。
ちんげも生えそろっていないのに、小人料金を払って汽車に乗り、1時間かけて徳島市の風俗街に遠征にいくのだ。
凱旋した彼らは、プロのおねえさんがいかに優しく素晴らしいサービスをしてくれたかという話を、滔々と吟じる。
その講談を、田舎の童貞どもがコーフンキミに聞き入る。風俗軍団は最強ヒーローだ。
中学生の分際でパンパン通りとやらに風俗通いするのも、それをもてはやすのもバカの極みである。
だが仕方がない。ぼくたちガキは元からバカなんである。
世の中ずいぶんスマートになった。
このごろは暴走族もちゃんと左側走行し、交通ルールを7割くらいは守っている。
路上で血まみれの殴り合いなどめったに見なくなった。
女子高生の大半がミニスカートで街を歩き、強姦や殺人が頻発しない国はあまりないだろう。
昔に比べたら、ホントみんなおとなしくなった。健全な社会になったのだ。
「キレる子ども」なんてのが問題視されてるが、子どもってのは元からブチキレてるもんだ。
ガキは、ガキたちの小さな世界で悪どいことも非人道的なこともやっている。
そして傷ついたり傷つけたり、差別したりされたりしながら、社会に出る準備をする。
学校のいじめっ子より遥かに頭が良くてタチの悪い連中が、社会にはウヨウヨしている。
ガキのときに鍛えられてないと、社会に出て自力で渉りあっていけない。
ぼくの脳みそは、今でもガキの頃と同じ宇宙にいる。
お金もうけを考えたり、偽善を吐いたり、仮想敵を作ったり、人を裏切ったり、嘘で説得したりする。
どうにか隙間をぬって生きる方法を探しながら、ゴキブリのように這いまわる。
権力と多数意見を前にした人間の愚かさ、暴力的なプレッシャーへの対処、マイナスの局面をプラスに変える方法。
ぜんぶガキの頃に学んだことが生きている。
だれもが正義では生きていない。
人間という利己的な個を組み合わせ、ポジティブな集団に変えるマジックがある。
その難問の答えを出すのは、どんなロールプレイングゲームより楽しい。ガキの頃から解き続けてる最上級のクイズだ。
ガキの時代、「嵐」にさらされなかったら、脳みそはぷるんぷるんのプリン化してるだろう。
だから、いじめられ中の諸君、ヤツらに授業料を払ってやれ。仕返しはボチボチやるってことで!
ある小学校の校長先生と話をする機会があった。彼は渋面である。
「テレビなんかでは学級崩壊とよく言われますが、今は子どもさんより保護者の方がねぇ。授業参観にいらしても、授業をじっと見ることができず、廊下で大声でしゃべったり携帯電話で話したりメールしたり。私は保護者の方に、(授業をちゃんと見てあげてください)と頼んで回る役目なんですよ」
小1シンドロームなんてのも耳にするようになった。小学校に入学直後の子どもが、授業のある1時間ちゃんと座っていることができない。立ってウロウロしたり、机の上を跳ねまわったり・・・という例の現象である。
幼稚園の自由保育がつるしあげられたり、親とのコミュニケーション不足や過保護が原因とされる。お決まりの論調だ。
社会を揺るがす大問題のように語られる学校教育の今だが、ぼくたちそんなに秩序正しい学校社会を生きてきたっけ?
ぼくが小学校に通っていたのは30年くらい前だ。
授業中、きちんと座って先生の話を聞いてるヤツなんてそんなにたくさんいなかった。
騒ぐヤツ、ヨダレたらして寝てるヤツ、鼻くそほじくってるヤツ、ちんこ出してるヤツ。そんなんばかりだ。
ガキってのは基本バカなんである。
バカに対して、礼儀正しい立ち居振る舞いを期待する方がおかしい。
猛獣使いのような先生が、恐怖政治でもって一時的に生徒を着座させることができても、その反動が必ず別の場所で出てしまう。
休み時間や放課後に、イタズラやいじめとなって噴き出す。
ヘビを捕まえたら歩道橋の上から車の荷台に投げつけ、猫がいたらケツの穴にロケット花火を刺す。カマキリのカマをちぎり、トンボの頭をむしる。それが伝統的なニッポンのフリーダムなクソガキのあり方だ。
動物本来がもっている残虐性は、人間にだってある。それを自由に吐き出せるのは、幼年期しかいない。
しかし今じゃ、学校の周りをウロウロする頓馬なヘビやカマキリはいない。
暴力性を吐き出す方向が、きわめて限定的になってしまっている。
子どもという生き物のタチの悪さを、ぼくは身をもって体験した。
小学校のころ、それはそれは大いなる悪意に何年間もさらされたのだ。
ぼくは小さな商店街のある小さな町で生まれたのだが、小1のときさらに田舎の小学校に転校した。なだらかな山と、メダカが泳ぐ用水路と、稲穂揺れる田園にかこまれたのんびりとした町。都会生活に疲れた人が見たら、第二の人生の終の棲家に考えたくなるような場所。
ところが、転校先のガキたちはとんでもない閉鎖性を秘めていた。
何事にもきっかけというものがある。出だしからぼくは失敗をやらかしたのだ。
ぼくと彼らとの間には、保育園のカリキュラムに差があった。
ぼくには小1の教科書が簡単に思えた。自分が先に進んでいることをすぐに自覚した。
先生の質問に一人手をあげ、答えた。おそらく自信満々に、そしてスノッブに。
ぼくは気分をよくしたが、彼らにはスタンドプレーに映った。
次の日から、変化が起こった。
机に鼻クソがすりつけられている。
新しい消しゴムが真っ二つ。
筆バコの中でミミズがうごめく。
だんだんエスカレートしてくる。
机からは腐ったチーズが登場。
イスにびっしょり小便がかけられている。
ランドセルの中から腐った匂いの雑巾が出てくる。
大便用のトイレの上からバケツの水が降りかかる。
背後から野球ボールが顔面に投げつけられる。
当時は「いじめ」という言葉がなかった。自分の身の上になにが起こったのかわからなかった。
それまでの短い人生で、周囲からこのような圧力を受けたことはなかった。
ぼくはこの場所では異物なのだと認識せざるをえなかった。
田舎の人づきあいは狭い。学級全員が幼児の頃からの幼なじみなのである。
そんな小さなコミューンに、自分ははじめて侵入してきた異物だったわけだ。
異物は排除する、それは人間が得意とする所作である。
幼い頃は運動能力が低く、まわれ右や足踏み行進すらできなかったぼくに、反撃の機会はなかった。
だが、支配する側とされる側の仕組みを勉強するチャンスが与えられた。
暴力はおさまることなく何年間かつづいたが、いろんなことに気がついた。
このようなヒドい目にあっているのは、どうやら自分だけではない。
知的に問題のある子ども、運動ができない子ども、家が裕福でなく学生服を洗ってない子ども、それらの「弱者」は、やはり同じような目にあわされている。
ガキの集団は、単純な論理に支配されている。体力があるか、頭がいいか、金持ちか。その3つのうちのいずれかの要素を持てば、悪意には支配されないのである。
いじめる側の中心人物は常にクラスのヒーローであり、先生のウケもいい。女子にもモテモテだ。
彼らは智謀を駆使し、その正体を大人には見せない。とても賢いのである。
いじめにはブームがあることにも気がついた。
ある時期、誰かを集中的にいじめると、ターゲットは変更される。ぼくはそれを「嵐」と名づけた。耐え切れば、「嵐」はいつか弱風になる。いじめる方も飽きてくるのだ。カタルシスを感じないと、いじめている理由がない。
ぼくはてっとり早く体を鍛えることにした。
「月刊ゴング」という雑誌に、プロレスの神様カール・ゴッチの身体のトレーニング方法のレポートがあった。
カール・ゴッチは、ウエイトトレーニングは行わない。自身の体重を利用して鍛錬するのだ、という記事。本当に強くなるためにマシンはいらない、自分の体を自由にあやつれるようになるべきだと神様は語る。
それ以来、毎日ヒンズースクワットを300回した。木があれば枝に飛びつき、懸垂をした。
上級生になると、腹筋が割れはじめ、上腕二等筋が盛り上がった。
「2」だった通信簿の体育が「5」になった。リレーの選手になった。それだけのことで、いじめの対象から外れた。
簡単な論理に気づき、それに対処した。それだけのことで地獄から脱出できる。貴重な学習であった。
中学校になるといじめとは違うバイオレンスが待ちかまえていた。
ぼくは野球部員だったが、野球部の部室は暴力の巣窟であった。
相手は顔中に硬いヒゲを生やした男性ホルモン全開のヤンキーの先輩たちだ。
暴力に理屈もへったくれもなかった。
練習後は必ず呼び出しをくらい、先輩5人くらいに囲まれ、壁に押さえつけられる。
陸上競技用のスパイクで顔面を殴られる。顔面に穴があく。
空気銃で太ももや尻を撃たれる。撃たれたところは腫れ上がり、ドス黒く内出血する。
野球のバットにまたがらされ、両方から持ち上げられる。股間を激しく打たれると、うめき声も出せない。
拷問さながらの暴力であったが、小学生の悪意に比べると、大したことないと思えた。
痛がると相手は悦ぶのである。だからぼくは、苦痛を表現しない。それは小学生の頃に学んだ防衛方法だ。
どんな攻撃にも、涼しい顔をしていると相手はつまらなくなる。そして暴力は収まる。
これは喧嘩をするときの鉄則でもある。
苦しむほど、相手は悦ぶ。苦しまないと、相手はひるむ。この論理も単純だ。
中学校でも、凶暴な先輩ほど人気があった。
強い者は人望を集め、舎弟をひきつれる。強い者は、(外見が)いい女とつきあえる。単純だ。
要するにヤクザ屋さんと同じ力の論理が、子どもの集団も支配しているのだ。
極端に荒れた中学校ではなかったが、当時の世間標準並みには問題を抱えていた。
マワしの噂は絶えず、タチの悪い大人の仲介で大阪の風俗店に働きにいく女子もいた。夏休み明けには、お決まりの売春、妊娠、中絶。平成の今のように、ガキは生きるのがうまくなかった。
同級生の男子のうち何人かが、風俗通いをはじめた。
最初は地元のチンピラの兄さんがつれていってくれる。そしてなじみの店をつくり、自分たちででかけていく。
ちんげも生えそろっていないのに、小人料金を払って汽車に乗り、1時間かけて徳島市の風俗街に遠征にいくのだ。
凱旋した彼らは、プロのおねえさんがいかに優しく素晴らしいサービスをしてくれたかという話を、滔々と吟じる。
その講談を、田舎の童貞どもがコーフンキミに聞き入る。風俗軍団は最強ヒーローだ。
中学生の分際でパンパン通りとやらに風俗通いするのも、それをもてはやすのもバカの極みである。
だが仕方がない。ぼくたちガキは元からバカなんである。
世の中ずいぶんスマートになった。
このごろは暴走族もちゃんと左側走行し、交通ルールを7割くらいは守っている。
路上で血まみれの殴り合いなどめったに見なくなった。
女子高生の大半がミニスカートで街を歩き、強姦や殺人が頻発しない国はあまりないだろう。
昔に比べたら、ホントみんなおとなしくなった。健全な社会になったのだ。
「キレる子ども」なんてのが問題視されてるが、子どもってのは元からブチキレてるもんだ。
ガキは、ガキたちの小さな世界で悪どいことも非人道的なこともやっている。
そして傷ついたり傷つけたり、差別したりされたりしながら、社会に出る準備をする。
学校のいじめっ子より遥かに頭が良くてタチの悪い連中が、社会にはウヨウヨしている。
ガキのときに鍛えられてないと、社会に出て自力で渉りあっていけない。
ぼくの脳みそは、今でもガキの頃と同じ宇宙にいる。
お金もうけを考えたり、偽善を吐いたり、仮想敵を作ったり、人を裏切ったり、嘘で説得したりする。
どうにか隙間をぬって生きる方法を探しながら、ゴキブリのように這いまわる。
権力と多数意見を前にした人間の愚かさ、暴力的なプレッシャーへの対処、マイナスの局面をプラスに変える方法。
ぜんぶガキの頃に学んだことが生きている。
だれもが正義では生きていない。
人間という利己的な個を組み合わせ、ポジティブな集団に変えるマジックがある。
その難問の答えを出すのは、どんなロールプレイングゲームより楽しい。ガキの頃から解き続けてる最上級のクイズだ。
ガキの時代、「嵐」にさらされなかったら、脳みそはぷるんぷるんのプリン化してるだろう。
だから、いじめられ中の諸君、ヤツらに授業料を払ってやれ。仕返しはボチボチやるってことで!
2006年11月08日
月刊タウン情報CU*10月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*10月号の売部数は、
7591部でした。
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