ヒマラヤのヒライケン語録
文=坂東良晃(タウトク編集人)
厳冬期、ヒマラヤにのこのこ出かけた。寒すぎ!
雑誌など長年作っていると、野獣的なカンが鈍くなる。
たとえば腐った肉を食べるとして、ほどよい甘みのある腐り加減なのか、それとも消化器官に深刻なダメージを与えるほどの腐り方なのか、今の自分はわからない。あるいは、水の匂いを嗅ぎ分けられなくなっている。砂漠やサバンナを歩いていると、極度に身体が乾燥する。わずかな水で生命をつなぐ生活を続けていると、枯れ谷の底に流水が存在しているのかどうか、「水の匂いや動き」を感じられるようになる。動植物や昆虫の知識がなくても、外見を見たり匂いを嗅ぐと、食べられる虫かどうか判断できるようになる。ぼくは10代の後半と20代の前半の多くを、飢えと乾きに悩まされる場所で過ごした。その頃の感覚を完全に失ってしまっている。
文=坂東良晃(タウトク編集人)
雑誌など長年作っていると、野獣的なカンが鈍くなる。
たとえば腐った肉を食べるとして、ほどよい甘みのある腐り加減なのか、それとも消化器官に深刻なダメージを与えるほどの腐り方なのか、今の自分はわからない。あるいは、水の匂いを嗅ぎ分けられなくなっている。砂漠やサバンナを歩いていると、極度に身体が乾燥する。わずかな水で生命をつなぐ生活を続けていると、枯れ谷の底に流水が存在しているのかどうか、「水の匂いや動き」を感じられるようになる。動植物や昆虫の知識がなくても、外見を見たり匂いを嗅ぐと、食べられる虫かどうか判断できるようになる。ぼくは10代の後半と20代の前半の多くを、飢えと乾きに悩まされる場所で過ごした。その頃の感覚を完全に失ってしまっている。
それではいかんのである。
物事は論理と理性で考えてはならないのである。野獣のカンで危機を察知し、獲物を猛追しなければならないのである。
社会生活の中で集団行動に慣れすぎると、個としての決断力が鈍る。人と話し合ったり、取引したり、合意したりしてるうちに、判断の50%を他人にゆだねることになってる。
それもいかんのである。
密林の奥深くで道を失ったときに、頼る人はいないのである。100%自分の経験とカンによって脱出口を見つけなければならないのである。
・・・なんていう得体の知れない心理的葛藤の果てに、ぼくはヒマラヤに向かったのであった。
ネパールにやってきたのは3回目だ。
1回目は18歳のとき。ヒマラヤ山中を目的もなくウロウロ歩いていた。調子に乗って雪解け水をガバガバ飲み、高い山に一気に登りすぎて、高山病と赤痢に罹患した。見ず知らずの旅人にまる1日背負われて下山した。ただのハタ迷惑なバカであった。
2回目は27歳のとき。自転車に乗ってネパールからアフリカまで行こうとした。首都カトマンズで台湾製の21段変速ギアつきの超高級マウンテンバイク(1万円)を購入して、さっそうと走り出した。5キロも走らないうちに変速機のパーツが壊れ、1段変速になった。そのうち右のペダルがポロッとれた。ハンマーでペダルを打ち込んでいると、その衝撃で左のペダルも取れた。そんなボロ自転車でインドまで行ったが、運悪くインドとパキスタンの紛争がはじまり、印パ国境が閉鎖された。前に進めなくなり敗退した。これまたただの時流知らずのバカであった。
そして3度目は、39歳のオヤジ年齢となったボクである。
自分の野獣性を目覚めさせる旅である。目的からしてバカだね。18歳の頃のように、昼夜問わず怒涛の峠越えをし、雪渓を雪豹のごとく渡り、クレバスを超然と飛び越え・・・というフリーダムな旅を予定していたが、ネパール観光省に入山申請しようとしたら、「1人では山に入れませんね」と冷たくあしらわれた。かつては旅行者が自由にトレッキング(山歩き)できたんだけど、今はルールが変わったんだと言う。トレッカー(登山客)は必ず地元の旅行会社を通じて政府に入山申請をし、ガイドを最低1名つけなくちゃならない、というわけだ。
なるほど、そりゃいい国策である。登山客が1人で山に入っても、地元に落とす金なんて微々たるものだ。旅行会社を通せば、いろんなマージンがいろんな業者を潤して、いろんな人が儲かって嬉しいだろう。
ってことで、ぼくは1人のネパール人青年をガイドとして雇ったのである。
その彼はやたらと男前で、歌手の平井堅をさらに濃くしたような彫り深な顔立ち。ネパールの最高学府を卒業し、日本語・英語・ヒンドゥー語がペラペラの25歳。低酸素の高地にも強い体力を有し、知的で、控えめで、礼儀正しい。そしてすごく客観的に日本人を見ていて、その観察眼がおもしろい。ヒライケンの登場により、孤独のサバイバルクライミングだったはずの山岳紀行の様相は全然変わってしまい、彼との対話で全編彩られることになったのである。
んなわけで、ボクの旅行記は以下の数行にまとめ、ヒマラヤのヒライケン君との会話について記したいと思う。
では旅行記開始。毎日、1000メートル分登ったら1000メートル下るといった峠越えを繰り返した。1日8時間、延々と急階段を上り続けるような登攀路。毎日水を4リッター飲んだが、それでも身体はどんどん痩せてく。(汗って何リッター出るの?)
4000メートル付近から高山病の症状が出はじめ、万力で締めつけられるような強烈な頭痛と、胃液オンリーのゲロに悩まされた。なぜか鼻血が止まらなくなり、鼻のまわりは凍った鼻血で真っ黒けになった。紫外線が強く、顔の皮膚がべろーんとはがれた。気温はマイナス20度まで下がり凍えたが、山の料理は美味しくカロリー補給ができたので、身体が冷め切ることはなかった。以上で旅行記終了。
■ヒマラヤのヒライケン語録1
ネパールでは裕福な家に生まれない限り、能力があっても、成功する方法は大きく3つなんです。
一つめは、中東の産油国に出稼ぎに行くこと。
二つめは、日本の大学の奨学生になって学生ビザで入国し、アルバイトで働きまくること。自動車工場なんか人気ですよ。でも奨学生になるには100万円近い準備金が必要なんです。これはネパールでは途方もない金額で、あちこちから借金しない限り、用意できないですね。
三つめは、イギリス軍かインド軍の傭兵(雇われ兵)になること。
ネパールは伝統的にゴルカ兵という優秀な兵士を持っていて、19世紀にイギリスと戦って勝ったことがあるので、今でも英軍からの評価が高いんです。カシミールやアフガニスタンやイラクの最前線にいるのは、ネパール人のような貧しい国の志願兵や傭兵です。政治家にしたら、本国の兵隊じゃないから、もし死んでしまっても自分の国の世論には影響がないから、そうなるんですね。報道ニュースで「これがイギリス軍の前線部隊です」といって、ネパール人が映されることはないですけどね。インド軍よりイギリス軍の方が給料も待遇もいいので、人気ですね。
この三つのうちどれかの方法で、数年かけてお金を貯めます。目標額は300万円とか500万円とかです。それを資金に、ネパールに戻って会社や商店を持ったり、旅行者相手のホテルを建てたりします。ネパールで何十年働いても、店を出すお金は貯まりません。
■ヒマラヤのヒライケン語録2
日本人の女の子は、声をかけられると、誰にでもついて行くって思われてます。ネパールやインドを旅行してる日本の女の子は、日本であまりモテたことないんでしょう? 日本では「ブサイク」って言うんですよね。だからきっと、こっちのナンパ好きの軽い男に「かわいい」ってホメられたり食事に誘われたりすると、すぐついて行ってしまうんでしょうね。お酒を勧めてもすぐ飲んでしまう。食事代やデート代のお金も払ってくれる。外見はすごくマジメそうに見えるのに、すぐベッドに入ってしまう。ネパールの遊び人からするとすごく都合のいい存在になっている。
あと、顔がアジア人なのに髪の毛を茶色や金色にして、あまり似合ってないからこっちの人は笑ってる。金髪でヒョウ柄の服を着ているのは「アユ」っていう人のマネをしているんでしょ? この間もタチの悪いナンパ男のバイクの後ろに乗って行ってしまった。髪の毛の色を変えてる女の人は、ナンパされるとすぐついていきますね。
■ヒマラヤのヒライケン語録3
日本人の金銭感覚はヘンですね。
日本の旅行者の口グセは「お金ない」と「(値段)高いね〜」です。たとえば、山の村でコカコーラの値段が100円と聞くと「高い!」と言います。牛やロバや人力で重い瓶ジュースを何日もかけて運び上げるのだから、運び賃がオンされて何十円かは高くなるんですけどね。それに料理が300円くらいだと、やっぱり「高いね〜」という声があがります。
でも、私たちみんな知ってるんですよ。日本では学生アルバイトの時給が800円とか、社員の初任給が十数万円とか、1回の食事に1000円くらい払うとか。なんで、そんな物価の国からやってきた人が、ネパールの旅行者向けの値段を「高い」「ぼったくり」なんて言う?
私の山岳ガイドの仕事は日当1000円です。これもネパールの給料水準と比べたらすごくいい。
でも、ガイドができる季節は1年の半分くらいだし、その期間中も予定が入るのは半分くらいだから、実際にガイドの収入があるのは、年間で90日〜120日分くらい。だから年収にしたら10万円前後。私は6000メートルを超える高山は案内しないから生命のリスクは少ないけど、それでも毎年キャンプ場や山小屋が雪崩に押しつぶされて死んでいるガイドがいる。私たちは死んでも何の保障もないんです。お金をたっぷり持っていて、何でも「高い高い」と言うメンタリティについて、本当のところが知りたい。
■ヒマラヤのヒライケン語録4
ネパールには、働く気がない日本の若い人がたくさん来ています。何十万円か持っていて、そのお金がなくならないように、できるだけ安い物を食べて、安いホテルに泊まって、何もせずにできるだけ長くいようとする。ネパールの人でも入りたくないような汚い不潔な食堂で、1食10円のごはんを食べてる。それでも「高い」と文句を言っている。お金を使いたくないから、できるだけ外に出かけないようにしたり、食べないようにしてる。なんかよくわからないですね。
こういう日本の若者は、大学に入学したのに休学したり、卒業したのに仕事してない人ですよね。日本の大学に入るのは凄くお金がかかるんでしょう?どうして何百万円もかけて大学にいって、今からお金を稼げるってときに、働かないんだろう。もったいないですね。そんなにお金がもったいないなら、大学にお金を払ったりせずに、会社を作ったり店を出したりする資金にしたらいいのに。あっ、でも仕事自体をしたくないのでしたか。
日本人でも中学校や高校を卒業して働いている人は、ネパールまで来て遊んでいる暇ないんでしょう? やっぱりそれなりに裕福な家の人が、旅行に来ているんですよね。
しかし、なぜ裕福な生まれなのに「お金ないない」と貧乏そうなフリをしているのですか。わからない。
ネパールの若者は、どうにかして働きたいから日本に潜り込んでいる。
日本人の若者は、働きたくないからネパールに来てじっーとしている。
世界はすごくヘンなことになってるし、何となく平等じゃないですね。
ヒマラヤのヒライケンは、夜ごとに思索し語る。日本人を100人以上ヒマラヤに案内した彼も、いまだ日本人の不思議な行動様式には理解しがたいものがあるようである。
ヒマラヤでは、旅行者とガイドは厳密に宿泊する場所を分け、主従関係をはっきりさせる習わしのようだが、ぼくはヒライケンの日本人観をうだうだ聞くのがおもしろくて、夜ごと彼の部屋をノックした。酸素が薄いためか炎がか細く揺れるローソク1本の灯火の中で、ぼくは彼の話を聞きながら眠りについた。
3週間近い同行の旅を終え、ぼくたちは山を降りた。騒音に溢れる首都カトマンズの路上でぼくたちは別れることになった。ヒライケンはぼくに握手を求めながら「ガイドの寝室にやって来るお客さんは初めてなので、最初はホモなんじゃないかと心配しましたよ」と言葉を残し、右手を天につきあげながら、ゆっくりとカトマンズの雑踏の中へと消えていった。
物事は論理と理性で考えてはならないのである。野獣のカンで危機を察知し、獲物を猛追しなければならないのである。
社会生活の中で集団行動に慣れすぎると、個としての決断力が鈍る。人と話し合ったり、取引したり、合意したりしてるうちに、判断の50%を他人にゆだねることになってる。
それもいかんのである。
密林の奥深くで道を失ったときに、頼る人はいないのである。100%自分の経験とカンによって脱出口を見つけなければならないのである。
・・・なんていう得体の知れない心理的葛藤の果てに、ぼくはヒマラヤに向かったのであった。
ネパールにやってきたのは3回目だ。
1回目は18歳のとき。ヒマラヤ山中を目的もなくウロウロ歩いていた。調子に乗って雪解け水をガバガバ飲み、高い山に一気に登りすぎて、高山病と赤痢に罹患した。見ず知らずの旅人にまる1日背負われて下山した。ただのハタ迷惑なバカであった。
2回目は27歳のとき。自転車に乗ってネパールからアフリカまで行こうとした。首都カトマンズで台湾製の21段変速ギアつきの超高級マウンテンバイク(1万円)を購入して、さっそうと走り出した。5キロも走らないうちに変速機のパーツが壊れ、1段変速になった。そのうち右のペダルがポロッとれた。ハンマーでペダルを打ち込んでいると、その衝撃で左のペダルも取れた。そんなボロ自転車でインドまで行ったが、運悪くインドとパキスタンの紛争がはじまり、印パ国境が閉鎖された。前に進めなくなり敗退した。これまたただの時流知らずのバカであった。
そして3度目は、39歳のオヤジ年齢となったボクである。
自分の野獣性を目覚めさせる旅である。目的からしてバカだね。18歳の頃のように、昼夜問わず怒涛の峠越えをし、雪渓を雪豹のごとく渡り、クレバスを超然と飛び越え・・・というフリーダムな旅を予定していたが、ネパール観光省に入山申請しようとしたら、「1人では山に入れませんね」と冷たくあしらわれた。かつては旅行者が自由にトレッキング(山歩き)できたんだけど、今はルールが変わったんだと言う。トレッカー(登山客)は必ず地元の旅行会社を通じて政府に入山申請をし、ガイドを最低1名つけなくちゃならない、というわけだ。
なるほど、そりゃいい国策である。登山客が1人で山に入っても、地元に落とす金なんて微々たるものだ。旅行会社を通せば、いろんなマージンがいろんな業者を潤して、いろんな人が儲かって嬉しいだろう。
ってことで、ぼくは1人のネパール人青年をガイドとして雇ったのである。
その彼はやたらと男前で、歌手の平井堅をさらに濃くしたような彫り深な顔立ち。ネパールの最高学府を卒業し、日本語・英語・ヒンドゥー語がペラペラの25歳。低酸素の高地にも強い体力を有し、知的で、控えめで、礼儀正しい。そしてすごく客観的に日本人を見ていて、その観察眼がおもしろい。ヒライケンの登場により、孤独のサバイバルクライミングだったはずの山岳紀行の様相は全然変わってしまい、彼との対話で全編彩られることになったのである。
んなわけで、ボクの旅行記は以下の数行にまとめ、ヒマラヤのヒライケン君との会話について記したいと思う。
では旅行記開始。毎日、1000メートル分登ったら1000メートル下るといった峠越えを繰り返した。1日8時間、延々と急階段を上り続けるような登攀路。毎日水を4リッター飲んだが、それでも身体はどんどん痩せてく。(汗って何リッター出るの?)
4000メートル付近から高山病の症状が出はじめ、万力で締めつけられるような強烈な頭痛と、胃液オンリーのゲロに悩まされた。なぜか鼻血が止まらなくなり、鼻のまわりは凍った鼻血で真っ黒けになった。紫外線が強く、顔の皮膚がべろーんとはがれた。気温はマイナス20度まで下がり凍えたが、山の料理は美味しくカロリー補給ができたので、身体が冷め切ることはなかった。以上で旅行記終了。
■ヒマラヤのヒライケン語録1
ネパールでは裕福な家に生まれない限り、能力があっても、成功する方法は大きく3つなんです。
一つめは、中東の産油国に出稼ぎに行くこと。
二つめは、日本の大学の奨学生になって学生ビザで入国し、アルバイトで働きまくること。自動車工場なんか人気ですよ。でも奨学生になるには100万円近い準備金が必要なんです。これはネパールでは途方もない金額で、あちこちから借金しない限り、用意できないですね。
三つめは、イギリス軍かインド軍の傭兵(雇われ兵)になること。
ネパールは伝統的にゴルカ兵という優秀な兵士を持っていて、19世紀にイギリスと戦って勝ったことがあるので、今でも英軍からの評価が高いんです。カシミールやアフガニスタンやイラクの最前線にいるのは、ネパール人のような貧しい国の志願兵や傭兵です。政治家にしたら、本国の兵隊じゃないから、もし死んでしまっても自分の国の世論には影響がないから、そうなるんですね。報道ニュースで「これがイギリス軍の前線部隊です」といって、ネパール人が映されることはないですけどね。インド軍よりイギリス軍の方が給料も待遇もいいので、人気ですね。
この三つのうちどれかの方法で、数年かけてお金を貯めます。目標額は300万円とか500万円とかです。それを資金に、ネパールに戻って会社や商店を持ったり、旅行者相手のホテルを建てたりします。ネパールで何十年働いても、店を出すお金は貯まりません。
■ヒマラヤのヒライケン語録2
日本人の女の子は、声をかけられると、誰にでもついて行くって思われてます。ネパールやインドを旅行してる日本の女の子は、日本であまりモテたことないんでしょう? 日本では「ブサイク」って言うんですよね。だからきっと、こっちのナンパ好きの軽い男に「かわいい」ってホメられたり食事に誘われたりすると、すぐついて行ってしまうんでしょうね。お酒を勧めてもすぐ飲んでしまう。食事代やデート代のお金も払ってくれる。外見はすごくマジメそうに見えるのに、すぐベッドに入ってしまう。ネパールの遊び人からするとすごく都合のいい存在になっている。
あと、顔がアジア人なのに髪の毛を茶色や金色にして、あまり似合ってないからこっちの人は笑ってる。金髪でヒョウ柄の服を着ているのは「アユ」っていう人のマネをしているんでしょ? この間もタチの悪いナンパ男のバイクの後ろに乗って行ってしまった。髪の毛の色を変えてる女の人は、ナンパされるとすぐついていきますね。
■ヒマラヤのヒライケン語録3
日本人の金銭感覚はヘンですね。
日本の旅行者の口グセは「お金ない」と「(値段)高いね〜」です。たとえば、山の村でコカコーラの値段が100円と聞くと「高い!」と言います。牛やロバや人力で重い瓶ジュースを何日もかけて運び上げるのだから、運び賃がオンされて何十円かは高くなるんですけどね。それに料理が300円くらいだと、やっぱり「高いね〜」という声があがります。
でも、私たちみんな知ってるんですよ。日本では学生アルバイトの時給が800円とか、社員の初任給が十数万円とか、1回の食事に1000円くらい払うとか。なんで、そんな物価の国からやってきた人が、ネパールの旅行者向けの値段を「高い」「ぼったくり」なんて言う?
私の山岳ガイドの仕事は日当1000円です。これもネパールの給料水準と比べたらすごくいい。
でも、ガイドができる季節は1年の半分くらいだし、その期間中も予定が入るのは半分くらいだから、実際にガイドの収入があるのは、年間で90日〜120日分くらい。だから年収にしたら10万円前後。私は6000メートルを超える高山は案内しないから生命のリスクは少ないけど、それでも毎年キャンプ場や山小屋が雪崩に押しつぶされて死んでいるガイドがいる。私たちは死んでも何の保障もないんです。お金をたっぷり持っていて、何でも「高い高い」と言うメンタリティについて、本当のところが知りたい。
■ヒマラヤのヒライケン語録4
ネパールには、働く気がない日本の若い人がたくさん来ています。何十万円か持っていて、そのお金がなくならないように、できるだけ安い物を食べて、安いホテルに泊まって、何もせずにできるだけ長くいようとする。ネパールの人でも入りたくないような汚い不潔な食堂で、1食10円のごはんを食べてる。それでも「高い」と文句を言っている。お金を使いたくないから、できるだけ外に出かけないようにしたり、食べないようにしてる。なんかよくわからないですね。
こういう日本の若者は、大学に入学したのに休学したり、卒業したのに仕事してない人ですよね。日本の大学に入るのは凄くお金がかかるんでしょう?どうして何百万円もかけて大学にいって、今からお金を稼げるってときに、働かないんだろう。もったいないですね。そんなにお金がもったいないなら、大学にお金を払ったりせずに、会社を作ったり店を出したりする資金にしたらいいのに。あっ、でも仕事自体をしたくないのでしたか。
日本人でも中学校や高校を卒業して働いている人は、ネパールまで来て遊んでいる暇ないんでしょう? やっぱりそれなりに裕福な家の人が、旅行に来ているんですよね。
しかし、なぜ裕福な生まれなのに「お金ないない」と貧乏そうなフリをしているのですか。わからない。
ネパールの若者は、どうにかして働きたいから日本に潜り込んでいる。
日本人の若者は、働きたくないからネパールに来てじっーとしている。
世界はすごくヘンなことになってるし、何となく平等じゃないですね。
ヒマラヤのヒライケンは、夜ごとに思索し語る。日本人を100人以上ヒマラヤに案内した彼も、いまだ日本人の不思議な行動様式には理解しがたいものがあるようである。
ヒマラヤでは、旅行者とガイドは厳密に宿泊する場所を分け、主従関係をはっきりさせる習わしのようだが、ぼくはヒライケンの日本人観をうだうだ聞くのがおもしろくて、夜ごと彼の部屋をノックした。酸素が薄いためか炎がか細く揺れるローソク1本の灯火の中で、ぼくは彼の話を聞きながら眠りについた。
3週間近い同行の旅を終え、ぼくたちは山を降りた。騒音に溢れる首都カトマンズの路上でぼくたちは別れることになった。ヒライケンはぼくに握手を求めながら「ガイドの寝室にやって来るお客さんは初めてなので、最初はホモなんじゃないかと心配しましたよ」と言葉を残し、右手を天につきあげながら、ゆっくりとカトマンズの雑踏の中へと消えていった。