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2014年04月11日
1403_CU部数報告
月刊タウン情報CU3月号 実売部数報告です。
CU3月号の売部数は、4,729部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています
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1403_徳島人部数報告
徳島人3月号 実売部数報告です。
徳島人3月号の売部数は、3,846部でした。
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メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
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「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
2014年04月03日
2014年03月27日
2014年03月20日
2014年03月14日
2014年03月11日
1402_徳島人部数報告.pdf
徳島人2月号 実売部数報告です。
徳島人2月号の売部数は、5,361部でした。
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月刊タウン情報CU2月号 実売部数報告です。
CU2月号の売部数は、5,301部でした。
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13冬号_結婚しちゃお!部数報告書.pdf
結婚しちゃお!冬号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!冬号の売部数は、415部でした。
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結婚しちゃお!冬号 実売部数報告です。
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1402_タウトク部数報告.pdf
月刊タウン情報トクシマ2月号 実売部数報告です。
タウトク2月号の売部数は、7,218部でした。
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雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
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2014年03月06日
2014年02月26日
2014年02月21日
2014年02月14日
2014年02月10日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
うまくいくことと、うまくいかないことは、だいたい1対9の割合でやってくる。他人から良い連絡を1本受けるためには、悪い連絡を9本処理する必要がある。貸した金が返ってくる確率も10%あたりと思っておけば人間不信だよ、友情より金かよ、なんて臍をかまなくて済む。
うまくいくことと、うまくいかないことは、だいたい1対9の割合でやってくる。他人から良い連絡を1本受けるためには、悪い連絡を9本処理する必要がある。貸した金が返ってくる確率も10%あたりと思っておけば人間不信だよ、友情より金かよ、なんて臍をかまなくて済む。
人生とはロクでもないものという前提に立てば、よほどの不幸に巻き込まれても、あぁぼくの人生こんなものかと平静を保てる。不幸な状態をアベレージに設定すると、自販機に取り忘れられた釣り銭がジャラッと指先に当たっただけで幸せな週末を過ごせる。
世の中全体に清潔で明るくなりすぎたから、目映い光を浴びせかけられて、人の不幸がより強調されている。報道番組に生活保護受給者が登場して、毎日カップ麺かインスタントカレーだけで生活しているんですよ、お先真っ暗ですよとうなだれ、ニュースキャスターと美人女子アナが哀しみと同情と憂いを湛えた目を映像モニタからカメラに移す。いや、カップ麺とインスタントカレーで十分OKだと思うよ。日本製ならなおさら品質高いし・・・とテレビの前でボンカレーもぐもぐ頬張る。
世界が元々つげ義春の画風のようにモノクロで泥まみれでできていたら、誰もが不幸の基準を低く設定できるのに。きらびやかな街の下には、古くから流れる用水溝がコンクリートでフタされ閉じ込められている。地上の光が届かない暗渠の水面で、ブクブクと泡を立てて呼吸する地下生物のように生きていられたらよい。
□
4年越しで挑んだスパルタスロンに4年連続でリタイアした。スパルタスロンとは、ギリシャ国内247kmを36時間リミットで走るレースだ。
直前8月の月間走行距離は1300km。和製スパルタ親父の星一徹に頭をなでなでされるくらい昭和スポ根漫画的な足づくりを行い、さらにはギリシャの高温乾燥した気候に慣れるため5日前から入国し調整に臨んだ。選手を決して褒めて伸ばそうとはしない宗猛監督にも、意識の高さをプロ並みだと称えられるかもしれない。
徹夜で走る大会に備え、前日に12時間以上眠るため、導眠副作用の強い花粉アレルギーの薬を激しく鼻吸引し昏倒。
整腸剤を用量の倍服用して、出せるウンコを全部出し切りすぎて脱腸寸前。
頼れるものなら神も仏も薬物も何でも頼る、それがオレのスパルタスロンなんだ!オーッ!と気勢を上げる。
やれることは全部やった。もはや完走を阻害する要素は何ひとつとしてない。ヒクソン・グレイシーに200%勝てると断言した安生洋二に匹敵する自信満々にあふれていた。
・・・そして、人生はうまくいかないことが9割の鉄則どおり、またもやリタイアという惨劇に至る。
□
スパルタスロンで大コケしてから、世界がチグハグな入れ籠でできているような不穏な心情に陥りだした。不幸への耐性が、異常に弱くなっている。
ある日、待ちに待った海外ドラマの新シーズンのDVDを入手し、万全なる精神状態でドラマ鑑賞すべく、ハーゲンダッツのホームサイズを帰宅前にスーパーで購入。深夜12時、いよいよ今宵は完徹で天才詐欺師とFBI捜査官の知的駆け引きを満喫しようかと立ち上がり、右手にスプーン、左手に冷凍庫から取りい出したハーゲンダッツを握りしめた瞬間、表面に付着した霜によってツルンと手のひらより滑り、そのまま重力定数のとおりに下方へと加速落下し、右足の小指の先にカップの角から落下した。叫び声すらあげられない衝撃に襲われる。小指が、小指がー。赤、紅、紫へと変色し、いちじく灌腸のように腫れていく。おい小指、折れてるんじゃないの? ほんの1分前まで海外ドラマへの期待感で幸せの極致にいたのに、いまや腫れ上がった小指を氷でぐるぐる巻きにして布団の上で目を閉じて耐えている急展開。こんな不幸があろうか。
深刻なフラッシュバック現象も現れだした。不眠不休レースの最中に起こる精神の異常が、日常生活においても同様の症状となって表れるのだ。
猛烈な便意に襲われトイレに駆け込み、便器を前にしてふと思う。パンツを下ろしてからウンコをすべきか、ウンコをしてからパンツを下ろすべきか。二者択一の簡単な答えが導き出せない。落ちつけ、論理的思考を取り戻すのだ。パンツを下ろさないとウンコがパンツに漏れる。ウンコを漏らさないとパンツがウンコにかかる。あー、やっぱしダメだ。そうやって平穏な平日の朝に、パンツを下ろさないまま暴発させること2度。うちの便座をウォッシュレットに換えといてよかった・・・。
ハーゲンダッツの角で小指を傷め、脱糞したお尻をウォシュレットでやさしく洗う。そんな些細な出来事がひたひたと降り積もり、チグハグな地層となって積み重なる。笑い話で済んでいたことが、済まなくなりつつある。
□
11月。「神宮外苑24時間チャレンジ」は1周約1.3kmの円周道路を昼の11時から翌昼11時まで24時間の間に走った距離を競う大会だ。走路は完全にフラットで曲がり角もない。淡々とペースを崩さず距離を刻んでいけばよい。その我慢強さが試される地味な世界は、現代に蘇りりし女工哀史かあゝ野麦峠か。
スタート直後から、9割方の選手に置き去りにされ、ビリ付近を走る。自分のペースはきっかりキロ6分だから速くはないけど、ゆっくり走ってるわけでもない。つまりぼくにはレベルの高すぎる大会であり、観念して自分の周りをATフィールドで囲って黙々と走るとする。
2周回ごとにエイドに立ち寄って水分補給していると、おじさんということもあってオシッコが近くなる。1時間に1回のペースでトイレに立ち寄る。最近は夜中も2時間置きに尿意で目覚めるのである。これが老化という哀れなのであろうか。
公衆トイレは走路から30メートルほど離れているため往復60メートルの距離ロスが生じるので、ホンネとしてはあまり立ち寄りたくないのだが、走っている間はずっと「漏れそう」との思いがあり、首都東京の美しい並木道の真ん中でおもらしするわけにはいかず、おトイレタイムはせめて1時間に1回にとどめておこうと尿意を耐えてぐるぐる走る。
ちょうど10回のトイレ休憩を経た頃に100km地点を通過、タイムは11時間18分。一般市民ランナーとして決して遅くないタイムなんだけど、トップを競っているアスリートたちは40kmも前方を走っている模様。
とうの昔に日は暮れ、街灯のオレンジが安らかに揺れる。疲れは感じないが、午前0時を過ぎると睡眠と覚醒の中間くらいの脳波状態になり、うつらうつらと夢を見ながら蛇行走。
朝5時。スタートから18時間たった頃に、寝落ちしてしまう。歩道上でやれやれと体育座りをし、目をいったん閉じて、また開くと時計が20分進んでいる。まばたきくらいの感覚しかないのにさ、タイムスリップだこりゃと驚いて走路に飛びだす。
相変わらずトップクラスの選手たちはキロ5分台のスピードで、ヒュンヒュン駆けていく。
24時間走にゴールはない。その場所まで行けばオシマイというゴールラインはない。人生に寿命という時間制限があるように、24時間走にも時間の終わりだけが決められている。
24時間走にはリタイアという概念もない。真夜中まで走って、潰れて、選手用テントで倒れていたとしても、それはリタイアではない。競技は継続している。ただ前に向かって進んでいないというだけで、人生は進んでいる。速くも走れず、凡庸で、それでいて今やってることをやめる踏ん切りもつかない人生の路上を、のろのろと走る。そう、こうやってマラソンを人生に例えたがるのも老化現象のひとつである。
朝10時30分、残り30分ともなると、たくさんの観客が走路脇を埋め尽くし、声援を投げかけてくれる。
人目もあることだし、最後くらいちゃんと走ろうかなと思いペースをあげる。ラスト2周を全力疾走すると、キロ4分台で走れる。まだぼくは完全にはヘバッてないようだ。なんせ一晩中、エイドで飯ばっかし食ってたしな。スタミナはあり余っている(レース後に体重を測ると2キロ増加していた。24時間も走ったのに太るなんてショックだよ)。
終了時刻である午前11時になると、合図とともにその場所で立ち止まる。係の方が近づいてきて足下に白いラインを引いてくれる。こんなヘボそうなランナーにも正確な距離測定をしてくれるのだなと思うと、ちょっとしたエリート感が湧き上がる。記録は173km939mであった。やっぱし1m単位まで計測してくれるのね。往復60メートルのトイレに25回も行かなきゃよかった。頻尿にも程がある。
今日はいい日なのだろうか。少なくとも悪い日ではない。体内にカロリーは残っているし、まだ何かやれる気がする。
世の中全体に清潔で明るくなりすぎたから、目映い光を浴びせかけられて、人の不幸がより強調されている。報道番組に生活保護受給者が登場して、毎日カップ麺かインスタントカレーだけで生活しているんですよ、お先真っ暗ですよとうなだれ、ニュースキャスターと美人女子アナが哀しみと同情と憂いを湛えた目を映像モニタからカメラに移す。いや、カップ麺とインスタントカレーで十分OKだと思うよ。日本製ならなおさら品質高いし・・・とテレビの前でボンカレーもぐもぐ頬張る。
世界が元々つげ義春の画風のようにモノクロで泥まみれでできていたら、誰もが不幸の基準を低く設定できるのに。きらびやかな街の下には、古くから流れる用水溝がコンクリートでフタされ閉じ込められている。地上の光が届かない暗渠の水面で、ブクブクと泡を立てて呼吸する地下生物のように生きていられたらよい。
□
4年越しで挑んだスパルタスロンに4年連続でリタイアした。スパルタスロンとは、ギリシャ国内247kmを36時間リミットで走るレースだ。
直前8月の月間走行距離は1300km。和製スパルタ親父の星一徹に頭をなでなでされるくらい昭和スポ根漫画的な足づくりを行い、さらにはギリシャの高温乾燥した気候に慣れるため5日前から入国し調整に臨んだ。選手を決して褒めて伸ばそうとはしない宗猛監督にも、意識の高さをプロ並みだと称えられるかもしれない。
徹夜で走る大会に備え、前日に12時間以上眠るため、導眠副作用の強い花粉アレルギーの薬を激しく鼻吸引し昏倒。
整腸剤を用量の倍服用して、出せるウンコを全部出し切りすぎて脱腸寸前。
頼れるものなら神も仏も薬物も何でも頼る、それがオレのスパルタスロンなんだ!オーッ!と気勢を上げる。
やれることは全部やった。もはや完走を阻害する要素は何ひとつとしてない。ヒクソン・グレイシーに200%勝てると断言した安生洋二に匹敵する自信満々にあふれていた。
・・・そして、人生はうまくいかないことが9割の鉄則どおり、またもやリタイアという惨劇に至る。
□
スパルタスロンで大コケしてから、世界がチグハグな入れ籠でできているような不穏な心情に陥りだした。不幸への耐性が、異常に弱くなっている。
ある日、待ちに待った海外ドラマの新シーズンのDVDを入手し、万全なる精神状態でドラマ鑑賞すべく、ハーゲンダッツのホームサイズを帰宅前にスーパーで購入。深夜12時、いよいよ今宵は完徹で天才詐欺師とFBI捜査官の知的駆け引きを満喫しようかと立ち上がり、右手にスプーン、左手に冷凍庫から取りい出したハーゲンダッツを握りしめた瞬間、表面に付着した霜によってツルンと手のひらより滑り、そのまま重力定数のとおりに下方へと加速落下し、右足の小指の先にカップの角から落下した。叫び声すらあげられない衝撃に襲われる。小指が、小指がー。赤、紅、紫へと変色し、いちじく灌腸のように腫れていく。おい小指、折れてるんじゃないの? ほんの1分前まで海外ドラマへの期待感で幸せの極致にいたのに、いまや腫れ上がった小指を氷でぐるぐる巻きにして布団の上で目を閉じて耐えている急展開。こんな不幸があろうか。
深刻なフラッシュバック現象も現れだした。不眠不休レースの最中に起こる精神の異常が、日常生活においても同様の症状となって表れるのだ。
猛烈な便意に襲われトイレに駆け込み、便器を前にしてふと思う。パンツを下ろしてからウンコをすべきか、ウンコをしてからパンツを下ろすべきか。二者択一の簡単な答えが導き出せない。落ちつけ、論理的思考を取り戻すのだ。パンツを下ろさないとウンコがパンツに漏れる。ウンコを漏らさないとパンツがウンコにかかる。あー、やっぱしダメだ。そうやって平穏な平日の朝に、パンツを下ろさないまま暴発させること2度。うちの便座をウォッシュレットに換えといてよかった・・・。
ハーゲンダッツの角で小指を傷め、脱糞したお尻をウォシュレットでやさしく洗う。そんな些細な出来事がひたひたと降り積もり、チグハグな地層となって積み重なる。笑い話で済んでいたことが、済まなくなりつつある。
□
11月。「神宮外苑24時間チャレンジ」は1周約1.3kmの円周道路を昼の11時から翌昼11時まで24時間の間に走った距離を競う大会だ。走路は完全にフラットで曲がり角もない。淡々とペースを崩さず距離を刻んでいけばよい。その我慢強さが試される地味な世界は、現代に蘇りりし女工哀史かあゝ野麦峠か。
スタート直後から、9割方の選手に置き去りにされ、ビリ付近を走る。自分のペースはきっかりキロ6分だから速くはないけど、ゆっくり走ってるわけでもない。つまりぼくにはレベルの高すぎる大会であり、観念して自分の周りをATフィールドで囲って黙々と走るとする。
2周回ごとにエイドに立ち寄って水分補給していると、おじさんということもあってオシッコが近くなる。1時間に1回のペースでトイレに立ち寄る。最近は夜中も2時間置きに尿意で目覚めるのである。これが老化という哀れなのであろうか。
公衆トイレは走路から30メートルほど離れているため往復60メートルの距離ロスが生じるので、ホンネとしてはあまり立ち寄りたくないのだが、走っている間はずっと「漏れそう」との思いがあり、首都東京の美しい並木道の真ん中でおもらしするわけにはいかず、おトイレタイムはせめて1時間に1回にとどめておこうと尿意を耐えてぐるぐる走る。
ちょうど10回のトイレ休憩を経た頃に100km地点を通過、タイムは11時間18分。一般市民ランナーとして決して遅くないタイムなんだけど、トップを競っているアスリートたちは40kmも前方を走っている模様。
とうの昔に日は暮れ、街灯のオレンジが安らかに揺れる。疲れは感じないが、午前0時を過ぎると睡眠と覚醒の中間くらいの脳波状態になり、うつらうつらと夢を見ながら蛇行走。
朝5時。スタートから18時間たった頃に、寝落ちしてしまう。歩道上でやれやれと体育座りをし、目をいったん閉じて、また開くと時計が20分進んでいる。まばたきくらいの感覚しかないのにさ、タイムスリップだこりゃと驚いて走路に飛びだす。
相変わらずトップクラスの選手たちはキロ5分台のスピードで、ヒュンヒュン駆けていく。
24時間走にゴールはない。その場所まで行けばオシマイというゴールラインはない。人生に寿命という時間制限があるように、24時間走にも時間の終わりだけが決められている。
24時間走にはリタイアという概念もない。真夜中まで走って、潰れて、選手用テントで倒れていたとしても、それはリタイアではない。競技は継続している。ただ前に向かって進んでいないというだけで、人生は進んでいる。速くも走れず、凡庸で、それでいて今やってることをやめる踏ん切りもつかない人生の路上を、のろのろと走る。そう、こうやってマラソンを人生に例えたがるのも老化現象のひとつである。
朝10時30分、残り30分ともなると、たくさんの観客が走路脇を埋め尽くし、声援を投げかけてくれる。
人目もあることだし、最後くらいちゃんと走ろうかなと思いペースをあげる。ラスト2周を全力疾走すると、キロ4分台で走れる。まだぼくは完全にはヘバッてないようだ。なんせ一晩中、エイドで飯ばっかし食ってたしな。スタミナはあり余っている(レース後に体重を測ると2キロ増加していた。24時間も走ったのに太るなんてショックだよ)。
終了時刻である午前11時になると、合図とともにその場所で立ち止まる。係の方が近づいてきて足下に白いラインを引いてくれる。こんなヘボそうなランナーにも正確な距離測定をしてくれるのだなと思うと、ちょっとしたエリート感が湧き上がる。記録は173km939mであった。やっぱし1m単位まで計測してくれるのね。往復60メートルのトイレに25回も行かなきゃよかった。頻尿にも程がある。
今日はいい日なのだろうか。少なくとも悪い日ではない。体内にカロリーは残っているし、まだ何かやれる気がする。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
早朝3時に目覚まし時計が鳴る。枕元に置いたメガネを手探りするが見つからない。
身体がべったり敷き布団にくっついている。磁石に拘束された鉄塊を無理やり引っぺがすように上体を起こす。
早朝3時に目覚まし時計が鳴る。枕元に置いたメガネを手探りするが見つからない。
身体がべったり敷き布団にくっついている。磁石に拘束された鉄塊を無理やり引っぺがすように上体を起こす。
夕べ手洗いして室内干ししてあったランニングシャツやパンツを生乾きのまま着る。独特の汗蒸れした臭いが鼻をつくが、他ならぬ自分の体臭ゆえ不平を漏らす相手はいない。
最少限に絞り込んだ持ち物を、小さなバックパックに詰めこむ。現金、地図、着替えの衣類、薬品、照明具などである。総重量700グラムほどだ。この荷物で2週間を過ごすのである。人間、生きていくのに大したモノは必要ないってことか。
起床から身支度を終えるまで10分もあれば事足りる。いつでも走りだせる恰好が整うと、もう一度布団に潜りこむ。スタート時間は午前4時。二度寝の末の寝坊はマズいが、20分でも10分でも活動エネルギーをゼロ状態にして体力を回復させたい。
3時50分、民宿前のスタートゲートの周辺には、ヘッドランプが照らす淡い円がいくつも揺れている。ランナーたちはサプリメントを飲んだり、地図を眺めたりと、各々が準備にいそしんでいる。カップラーメンをすすりオニギリにパクついてる人もいる。多くの人は快活な声量で会話を交わしているが、昨日のステージで極限まで体力をすり減らしたとおぼしき人は、地面にべったり腰を下ろし、会話のやり取りがままならなかったりする。
スタートの合図とともに、ランナーたちは夜明け前の街路へと歩きだす。ジャーニーランのスタートで走りだす人はめったにいない。まだ眠っている筋肉に「温まるまでは走らんからな」と納得させるように、傷んだ脚に「そのうち痛みは取れるよな?」と問いかけるように歩く。カップメンを食べ終わらなかったランナーは、麺とスープを掻き込みながら歩く。
何キロか進むとそれぞれのペースで走りだす。単独走になることもあれば集団をつくることもある。基本、他人のペースには合わせない。自分だけのリズムで、自分が潰れないペースで。そして、気の遠くなるような距離のほとんどを、1人ぼっちで過ごす。
□
「トランス・エゾ・ジャーニーラン」は、1997年の初開催以来17回の歴史を刻む、日本で定期開催されている数少ないジャニーラン大会のひとつである。北海道のえりも岬から日本最北端の地・宗谷岬へと、555キロの道のりを太平洋からオホーツク海へと7日間かけて走破する、と聞くだけでゾクゾクするスケールだ。2000年からは宗谷岬からえりも岬、ふたたび宗谷岬へと往復する14日間・1100キロの「アルティメイト」コースも設けられた。
毎朝のスタート時刻は朝5時を標準とし、その日の走行距離によって調整される。80キロを超える場合は4時30分、4時・・・と早められ、最も長い98キロの日は午前3時スタートとなる。
毎日、ゴールの最終時刻にあたる「節度時間」が設けられる。コース距離を時速5.5キロで割り、算出されたゴールタイムだ。一般の大会なら関門とか制限時間と呼ばれるところをトランス・エゾでは節度時間と呼ぶ。これは、ゴール地点まで自力走行できなくなったランナーへのメッセージでもある。「どんなに時間が遅くなってもゴールまでたどり着きたい」という自己陶酔の末に1人だけ深夜にゴールして、周囲に迷惑かけるようなマネはすべきではない、という「節度」である。ケガをしたり体調悪化してリタイアすると判断した時点で、列車やバスを使ってゴール地点へと向かう。その悔しさや、無念さ、思い出も含めてジャーニーランってことなんだろう。
この「節度時間」に象徴されるように、トランス・エゾではランナーが自分のエゴによって勝手な振る舞いをすることは暗黙の了解として許されない。550キロ〜1100キロという長い道のりを、見ず知らずの人間が集まり、キャラバンを組んで街々を巡っていく。ランナーもサポートも肉体的にも精神的にも限界ギリギリで越えていく場面もある。ほんの数人が「自分だけは特別だ」という行動を取り始めたら、キャラバンの雰囲気は悪い方へと向かってしまうだろう。
自己責任が徹底されたこの大会では、1〜2週間の間に使用するすべての荷物を自分で背負って走る。荷物預けはない。またエイドステーションもない。走行中に必要な飲み物、食べ物は、途中の街々にある商店や自販機で仕入れる。無人地帯が長い場合は、2リッター以上の水を背負うことになる。
あらかじめ指定された走破コースは、2万5千分の1地図上に破線でライン引きされており、途中、誰のチェックも受けることなく、自分自身の良心に従って忠実にコースをなぞる。
手厚いエイドや荷物配送サービスなど至れり尽くせりの今どきのマラソン大会に馴染んだ身には、いくぶん厳しく感じるかもしれない。だが、要は「1人ぽっちでふらっと走って旅に出た」と思えばいいのである。1人旅なら、給水サービスやら荷物配送なんてあるはずもなく、宿泊先の最終チェックイン時間を守らなければ部屋をキャンセルされる。予定より遅くなり、間に合わなそうなら路線バスに飛び乗るだろう。誰の力も借りず、自分1人の力と責任で、果てしなく遠い道を走りきる。それがジャーニーランの基本姿勢である。
こんな風にトランス・エゾは一見厳しい自己責任をランナーに求めていながらも、だけどホントのところは限りなくランナーの視点に立った、走ることが心から好きな人のために考えに考え抜かれた大会なのである。
□
【初日・宗谷岬〜幌延75.3km】
宗谷岬を出発する。海岸線を南下せず背後の丘陵へと駆け上がると、いきなり野生鹿の集団に遭遇する。大自然に突入するの早すぎ!
いったんオホーツク沿岸に戻ったのち、再びアップダウンのある牧場地帯をゆく。昨夜のミーティングで、「明日は20キロに1カ所の割合でしか自販機や水道がないよ」と経験者ランナーの方々が教えてくれたものの、半信半疑で聞いていた。「ない」といっても、それなりに民家は点在してるだろうし、集落には公民館や学校があり、水道栓があるに違いない。食料は補給できずとも、ここは日本なんだから水くらいはあるはずだ、とタカくくっていたら・・・本当に何もなかった。
酪農農家の家屋や牛舎は建っているが人影ひとつない。無人のお家に勝手に入れば不法侵入であり、さすがにそれはできない。住民の集会所や災害避難所と書かれた建物にも人の気配はない。ようやく水飲み場を見つけて蛇口をひねっても、1滴の水も出ない。
道路の下の方に小川らしきせせらぎが何本か現れるが、北海道の川水や沢水は絶対に飲んではならぬと注意されている。キタキツネの糞に混じったエキノコックスという寄生虫の卵が混入している可能性があり、その生水を飲めば人も感染してしまうからだ。エキノコックスは肝臓の中に寄生し、最後は子供の頭くらい巨大化して人間を死に誘う。ってことで枯れ死寸前あろうと、川水だけは飲めない。
真夏の直射日光の下では、ダラダラ吹き出す汗は止めようがない。10キロ前進するにつき水分が1リットル必要である、と嫌ってほど教えられた一日となった。
スタート地点から10キロ先にあるコンビニを最後に、ゴールの幌延の街に入るまで60キロ以上、ついに1軒の店にも遭遇しなかった(ラーメン店とコープがあったが2軒とも休んでいた)。2カ所の自販機と、酪農家の私設エイドに助けられ、カラカラに乾燥しきってゴールにたどりついた。
ゴールはJR幌延駅前の民宿・光栄荘。お宿名物のカツカレーは、ごはんもカレールウもおかわりし放題で、3皿分食べた。
布団に横になって氷のうで脚を冷やしまくる。カッカッと燃えるような脚の熱を取り、明日の朝までに元どおりに復旧させるのだ。フトモモに載っけた氷の塊を眺めながら「ジャーニーランの世界に戻ってきた」と少しうれしくなる。
【2日目・幌延〜羽幌82.8km】
内陸部の広いバイパス道を進み、20キロすぎからオホーツク海沿いの砂利道へと針路をとる。砂利道を行くことを「ジャーリーラン」というのだと教えられた。楽しい響きである。マメができた後なら地獄かもしれないが、今のところ楽しむ余裕がある。
しばらく進むとコース上にあるはずの橋が橋ゲタごと流失し、道が完全にチギれていた。対岸の道路を巨大なクレーン車が占拠し、作業員の方々が復旧工事に当たっている。大会指定のコースを守らないと「完走」の称号は得られないし、でも道はないし、海を泳ぐってわけにもいかんし・・・と悩んで道を行ったり来たりウロウロしたが、打開策見つからず2キロほど迂回することにした。こんなのはジャーニー・ランでは「よくあること」なのだろう。
昼前から本格的に暑くなってきて、コンビニで買ったアイスの「パピコ」をタオルで包み、首に巻きつける。涼しくなったのは短時間で、直射日光にあたるとすぐ溶けてしまって、啜ろうと思った時には熱湯パピコになっていた。
水分の摂取量がハンパなく、50キロに達するまでに6リッター分のジュースを消費した。北海道内の公共施設にはゴミ箱がほとんど置かれていない。公園にも、トイレにも、道の駅にも。ジュースの自動販売機の横に当たり前にあるべきゴミ箱もない。かろうじてコンビニの前には分別ボックスがあるが、ここいらの地域でコンビニは20〜30キロに1軒あるかないか。トランス・エゾでは、ランナーの誰かがゴミを不法投棄した時点で大会を中止にする、という約束事がある。人知れずポイ捨てをしてしまえば、そっと良心を傷める程度の事態では済まされない。
大量に出る空ペットボトル。こいつらを捨てる場所はない。仕方なくバックパックに6本、ランニングパンツの両ポケットに2本、さらに両手に2本持って、ポットボトルの串刺し状態で走る。初山別という街でアイスを買いに立ち寄った商店の方に涙ながらに廃棄をお願いして、ようやく10本のペットボトルから解放される。
街のあちこちにゴミ箱があるってのは、本当にありがたいことなんですね。ジャーニーランは、何でもない日常にこそ幸せがあるのだとTHE虎舞竜的な教訓を得られる場でもある。
本日のゴールは「サンセットプラザほぼろ」という巨大な温泉宿泊施設。だけど大浴場に移動する余力なく、部屋でシャワーを浴びただけで布団にダイブし失神寝する。
最少限に絞り込んだ持ち物を、小さなバックパックに詰めこむ。現金、地図、着替えの衣類、薬品、照明具などである。総重量700グラムほどだ。この荷物で2週間を過ごすのである。人間、生きていくのに大したモノは必要ないってことか。
起床から身支度を終えるまで10分もあれば事足りる。いつでも走りだせる恰好が整うと、もう一度布団に潜りこむ。スタート時間は午前4時。二度寝の末の寝坊はマズいが、20分でも10分でも活動エネルギーをゼロ状態にして体力を回復させたい。
3時50分、民宿前のスタートゲートの周辺には、ヘッドランプが照らす淡い円がいくつも揺れている。ランナーたちはサプリメントを飲んだり、地図を眺めたりと、各々が準備にいそしんでいる。カップラーメンをすすりオニギリにパクついてる人もいる。多くの人は快活な声量で会話を交わしているが、昨日のステージで極限まで体力をすり減らしたとおぼしき人は、地面にべったり腰を下ろし、会話のやり取りがままならなかったりする。
スタートの合図とともに、ランナーたちは夜明け前の街路へと歩きだす。ジャーニーランのスタートで走りだす人はめったにいない。まだ眠っている筋肉に「温まるまでは走らんからな」と納得させるように、傷んだ脚に「そのうち痛みは取れるよな?」と問いかけるように歩く。カップメンを食べ終わらなかったランナーは、麺とスープを掻き込みながら歩く。
何キロか進むとそれぞれのペースで走りだす。単独走になることもあれば集団をつくることもある。基本、他人のペースには合わせない。自分だけのリズムで、自分が潰れないペースで。そして、気の遠くなるような距離のほとんどを、1人ぼっちで過ごす。
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「トランス・エゾ・ジャーニーラン」は、1997年の初開催以来17回の歴史を刻む、日本で定期開催されている数少ないジャニーラン大会のひとつである。北海道のえりも岬から日本最北端の地・宗谷岬へと、555キロの道のりを太平洋からオホーツク海へと7日間かけて走破する、と聞くだけでゾクゾクするスケールだ。2000年からは宗谷岬からえりも岬、ふたたび宗谷岬へと往復する14日間・1100キロの「アルティメイト」コースも設けられた。
毎朝のスタート時刻は朝5時を標準とし、その日の走行距離によって調整される。80キロを超える場合は4時30分、4時・・・と早められ、最も長い98キロの日は午前3時スタートとなる。
毎日、ゴールの最終時刻にあたる「節度時間」が設けられる。コース距離を時速5.5キロで割り、算出されたゴールタイムだ。一般の大会なら関門とか制限時間と呼ばれるところをトランス・エゾでは節度時間と呼ぶ。これは、ゴール地点まで自力走行できなくなったランナーへのメッセージでもある。「どんなに時間が遅くなってもゴールまでたどり着きたい」という自己陶酔の末に1人だけ深夜にゴールして、周囲に迷惑かけるようなマネはすべきではない、という「節度」である。ケガをしたり体調悪化してリタイアすると判断した時点で、列車やバスを使ってゴール地点へと向かう。その悔しさや、無念さ、思い出も含めてジャーニーランってことなんだろう。
この「節度時間」に象徴されるように、トランス・エゾではランナーが自分のエゴによって勝手な振る舞いをすることは暗黙の了解として許されない。550キロ〜1100キロという長い道のりを、見ず知らずの人間が集まり、キャラバンを組んで街々を巡っていく。ランナーもサポートも肉体的にも精神的にも限界ギリギリで越えていく場面もある。ほんの数人が「自分だけは特別だ」という行動を取り始めたら、キャラバンの雰囲気は悪い方へと向かってしまうだろう。
自己責任が徹底されたこの大会では、1〜2週間の間に使用するすべての荷物を自分で背負って走る。荷物預けはない。またエイドステーションもない。走行中に必要な飲み物、食べ物は、途中の街々にある商店や自販機で仕入れる。無人地帯が長い場合は、2リッター以上の水を背負うことになる。
あらかじめ指定された走破コースは、2万5千分の1地図上に破線でライン引きされており、途中、誰のチェックも受けることなく、自分自身の良心に従って忠実にコースをなぞる。
手厚いエイドや荷物配送サービスなど至れり尽くせりの今どきのマラソン大会に馴染んだ身には、いくぶん厳しく感じるかもしれない。だが、要は「1人ぽっちでふらっと走って旅に出た」と思えばいいのである。1人旅なら、給水サービスやら荷物配送なんてあるはずもなく、宿泊先の最終チェックイン時間を守らなければ部屋をキャンセルされる。予定より遅くなり、間に合わなそうなら路線バスに飛び乗るだろう。誰の力も借りず、自分1人の力と責任で、果てしなく遠い道を走りきる。それがジャーニーランの基本姿勢である。
こんな風にトランス・エゾは一見厳しい自己責任をランナーに求めていながらも、だけどホントのところは限りなくランナーの視点に立った、走ることが心から好きな人のために考えに考え抜かれた大会なのである。
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【初日・宗谷岬〜幌延75.3km】
宗谷岬を出発する。海岸線を南下せず背後の丘陵へと駆け上がると、いきなり野生鹿の集団に遭遇する。大自然に突入するの早すぎ!
いったんオホーツク沿岸に戻ったのち、再びアップダウンのある牧場地帯をゆく。昨夜のミーティングで、「明日は20キロに1カ所の割合でしか自販機や水道がないよ」と経験者ランナーの方々が教えてくれたものの、半信半疑で聞いていた。「ない」といっても、それなりに民家は点在してるだろうし、集落には公民館や学校があり、水道栓があるに違いない。食料は補給できずとも、ここは日本なんだから水くらいはあるはずだ、とタカくくっていたら・・・本当に何もなかった。
酪農農家の家屋や牛舎は建っているが人影ひとつない。無人のお家に勝手に入れば不法侵入であり、さすがにそれはできない。住民の集会所や災害避難所と書かれた建物にも人の気配はない。ようやく水飲み場を見つけて蛇口をひねっても、1滴の水も出ない。
道路の下の方に小川らしきせせらぎが何本か現れるが、北海道の川水や沢水は絶対に飲んではならぬと注意されている。キタキツネの糞に混じったエキノコックスという寄生虫の卵が混入している可能性があり、その生水を飲めば人も感染してしまうからだ。エキノコックスは肝臓の中に寄生し、最後は子供の頭くらい巨大化して人間を死に誘う。ってことで枯れ死寸前あろうと、川水だけは飲めない。
真夏の直射日光の下では、ダラダラ吹き出す汗は止めようがない。10キロ前進するにつき水分が1リットル必要である、と嫌ってほど教えられた一日となった。
スタート地点から10キロ先にあるコンビニを最後に、ゴールの幌延の街に入るまで60キロ以上、ついに1軒の店にも遭遇しなかった(ラーメン店とコープがあったが2軒とも休んでいた)。2カ所の自販機と、酪農家の私設エイドに助けられ、カラカラに乾燥しきってゴールにたどりついた。
ゴールはJR幌延駅前の民宿・光栄荘。お宿名物のカツカレーは、ごはんもカレールウもおかわりし放題で、3皿分食べた。
布団に横になって氷のうで脚を冷やしまくる。カッカッと燃えるような脚の熱を取り、明日の朝までに元どおりに復旧させるのだ。フトモモに載っけた氷の塊を眺めながら「ジャーニーランの世界に戻ってきた」と少しうれしくなる。
【2日目・幌延〜羽幌82.8km】
内陸部の広いバイパス道を進み、20キロすぎからオホーツク海沿いの砂利道へと針路をとる。砂利道を行くことを「ジャーリーラン」というのだと教えられた。楽しい響きである。マメができた後なら地獄かもしれないが、今のところ楽しむ余裕がある。
しばらく進むとコース上にあるはずの橋が橋ゲタごと流失し、道が完全にチギれていた。対岸の道路を巨大なクレーン車が占拠し、作業員の方々が復旧工事に当たっている。大会指定のコースを守らないと「完走」の称号は得られないし、でも道はないし、海を泳ぐってわけにもいかんし・・・と悩んで道を行ったり来たりウロウロしたが、打開策見つからず2キロほど迂回することにした。こんなのはジャーニー・ランでは「よくあること」なのだろう。
昼前から本格的に暑くなってきて、コンビニで買ったアイスの「パピコ」をタオルで包み、首に巻きつける。涼しくなったのは短時間で、直射日光にあたるとすぐ溶けてしまって、啜ろうと思った時には熱湯パピコになっていた。
水分の摂取量がハンパなく、50キロに達するまでに6リッター分のジュースを消費した。北海道内の公共施設にはゴミ箱がほとんど置かれていない。公園にも、トイレにも、道の駅にも。ジュースの自動販売機の横に当たり前にあるべきゴミ箱もない。かろうじてコンビニの前には分別ボックスがあるが、ここいらの地域でコンビニは20〜30キロに1軒あるかないか。トランス・エゾでは、ランナーの誰かがゴミを不法投棄した時点で大会を中止にする、という約束事がある。人知れずポイ捨てをしてしまえば、そっと良心を傷める程度の事態では済まされない。
大量に出る空ペットボトル。こいつらを捨てる場所はない。仕方なくバックパックに6本、ランニングパンツの両ポケットに2本、さらに両手に2本持って、ポットボトルの串刺し状態で走る。初山別という街でアイスを買いに立ち寄った商店の方に涙ながらに廃棄をお願いして、ようやく10本のペットボトルから解放される。
街のあちこちにゴミ箱があるってのは、本当にありがたいことなんですね。ジャーニーランは、何でもない日常にこそ幸せがあるのだとTHE虎舞竜的な教訓を得られる場でもある。
本日のゴールは「サンセットプラザほぼろ」という巨大な温泉宿泊施設。だけど大浴場に移動する余力なく、部屋でシャワーを浴びただけで布団にダイブし失神寝する。




