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2010年08月19日
いいえ、登った人しか出会えない植物や絶景、そして登りきったときの爽快感は何ともいえないものがあります。
今回はさらら編集部のスタッフが初心者でも登りやすい4つの山にチャレンジしました。
思わず「やっほ〜!」と叫びたくなる夏山へ行ってみませんか?
そして、表紙で好評連載中のさらランキング!
テーマは「この夏試してみたもんランキング」。
「暑いですね〜」が挨拶がわりになっている今年の猛暑。
でも、そんな今だからこそできることもたくさんあります。
この夏徳島の人が試してみたいろんなことを参考に、暑い残暑を乗り切っていきましょう。
2010年08月16日
月刊タウン情報CU7月号の実売部数を報告します。CU7月号の売部数は、
4038部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2010年08月10日
洋食・イタリアン・フレンチ・和食・中華・韓流・多国籍etc…徳島で食べられる様々なランチをご紹介。新しくオープンしたレストランのオススメからあの人気店のこだわりメニューまで注目の最新ランチ情報をこれでチェック!
2010年08月06日
1007_タウトク部数推移.pdf
月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数を報告します。タウトク7月号の売部数は、
8598部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2010年08月05日
今回はおでかけ時に必ず使う交通機関のオトク情報や駐車場のをお出かけ好きな徳島の人にお聞きしました。県外に遊びに行く際によく使う飛行機や高速バス、フェリーのお役立ち情報、県内をマイカーで移動する際気になる主要駐車場の料金、さらには飲み会時には重宝する代行サービスなどの話題をお届けします。
また表紙で好評連載中の「さらランキング」は、とっておき夏レシピランキング!
食欲も落ちるし、台所に立つのもしんだ〜い…そんな夏でも食べられる簡単&ウマッなとっておきレシピをお聞きしました。このレシピをぜひ参考にして、暑さに負けずに夏を乗り切りましょう!
2010年07月31日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
(前回まで=東京湾岸を出で、長野県を経由して新潟は日本海へと至る520キロ、国内最長クラスの超長距離フットレースにタウトク編集人が挑戦した6日間の記録。スタートから5日目の昼には394キロを踏破し、第三関門である新潟県津南町の宿「深雪会館」に着いた)
(前回まで=東京湾岸を出で、長野県を経由して新潟は日本海へと至る520キロ、国内最長クラスの超長距離フットレースにタウトク編集人が挑戦した6日間の記録。スタートから5日目の昼には394キロを踏破し、第三関門である新潟県津南町の宿「深雪会館」に着いた)
ゴールへ
新潟県津南町〜新潟県新潟市 126キロ
「はい起きて!もう出発するよ!時間だよ!」と身体をぐらんぐらん揺さぶられる。
布団のなかで「ふぁ、ふぁい。おはよう、ごじゃいまふ」と生返事をする。目を開けると見知らぬ男性が顔をのぞきこんでいる。3秒見つめあう。(この人だれなんだろう・・・知りあいだったかな)。事態がつかめず、ぼーっとしていると「あ、ごめんなさーい。人ちがいでしたー」と男は去っていく。時計を見る。3時間くらい睡眠をとる予定だったが、布団にもぐりこんでから1時間しか経っていない。人ちがいでムリヤリ起こされたわけなんだけど腹は立たない。このレースも5日目、どんな事態も素直に受け入れる素地ができあがっている。あらゆる出来事は偶発的に起こっているものだが、見えざる力によって導かれる必然とも言えるのだ。
階下に降り、「おはようございまふ」とスタッフに告げる。足元はおぼつかず、ロレツは回っていない。「おはよう」と言ってしまった後で、今が夕方であることに気づく。
「ぼく、スタートしまふ」と告げると、あちこちに待機していた大会スタッフがガバッと立ち上がる。荷物を持ってくれ、玄関の外まで出てくれる。「じゃあがんばって」と大勢で見送ってくれる。スタッフの皆さんも徹夜態勢でバックアップしてくれているのだ。こんな心温まる大会ってあるだろうか。泣けてくるよな。
おぼつかない足取りでスタートを切ると、セクシーなチャイナドレスを艶やかにまとった魅惑の女性が、しばらく併走してくれる。これは昨晩から見続けている幻覚なのだろうか。いや幻ではない、大会を初日からサポートしてくださっている美人の方だ。ぼくはフイの2ショットに舞い上がってしてしまい「ふだんは何をなさっている方なのでふか?」などとお見合いの席のような質問をすると、丁寧に答えてくださった。この頃、ぼくの知能指数はIQ30くらいしかない。
お姉さまは津南の街並みを背景にいつまでも手を振ってくれる。山田洋二監督が撮るロードムービーののワンシーンのような素敵な場面だ。ぼくは、さしずめさすらいの旅に発つ高倉健といった役どころか。いや、武田鉄矢がいいセンか。幻覚でないことを後に証明するために、写真を撮らせてもらう。
この520キロにもわたる長い旅を、途中3カ所に設けられた宿泊所を境に4つのステージに見立てると、今日と明日が最終ステージである。明日の夜9時までに日本海に対面し、再び折り返して新潟市の温泉施設「ホンマ健康ランド」にたどり着けば、時間内完走の栄誉を手にする。栄誉といっても誰かに誉められるわけでもない。完走者の唯一の証しは「永久ゼッケンナンバー」のホルダーになるってこと。「川の道」が開催され5年、いまだ2ケタナンバーは61番が最大値である。つまり完走者は過去61人しかいないってこと。ゴールまで120キロ、残り30時間。さあ、永久ナンバーめざしてトコトコ走るか!と気合いを入れる。
津南の山村風景は本当に美しい。河岸段丘の斜面や平地に建つ民家、棚田が立体ジオラマを造りだす。車道脇にはまだ高さ50センチほども残雪がある。津南町は日本を代表する豪雪地帯である。集落中に水の流れる音がささやく。雪融け水が水路を走っているのだ。多くの民家の脇にはコンクリ造りの大きな水槽がある。2メートル四方ほどもあるから小さなプールのよう。釣った山魚を養殖しているのかなと思ったが、雪を溶かすための水溜まりだとわかる。
小学校の校庭に見たこともない巨大な桜が咲き乱れ、風に散った花びらが道路をピンク色に染め上げている。「コノ国ハ、本当ニ、ウツクシイ・・・」。ラフカディオ・ハーン目線で日本の原風景を感慨深げに見つめる。この頃、ぼくの知能指数はIQ20くらいしかない。
夕暮れどきに十日町市に着く。商店街には人間を抽象的に模した彫像があちこちに屹立しているのだが、何やらヒソヒソと話しかけてくるような気がして怖くなって逃げる。長い長い商店街を抜けると、夜のとばりがすっかり落ちていた。
夜が深くなるにつれ、得体の知れない影に脅かされる。電柱や街灯のたもとに人影が見える。影は見えるのに、近づくとそこには誰もいない。
背後から足音や呼吸音が近づく。ランナーかと思い話しかけると、真っ黒い影が揺れていて物質はない。
左隣に長い髪をバサバサ揺らしながら女性がついてくる。右隣を見ても女性がいる。やがて10人くらいの女性に囲まれる。みな青白い顔をしている。明らかにこの世の物ではない。下半身から鳥肌がせり上がってくる。
これが川の道フットレースを走るランナーの多くが観るという幻覚ってヤツか。幻覚ってこんなリアルなのか。幽霊のようにボーッと浮かび上がっているのではない。確かにぼくは感知している。眼球で捉えているのではなくて、脳みその奧のスクリーンに投影されている。極度の睡眠不足、あるいは痛みや疲労から逃避するために、脳が勝手に暴走をはじめている。
427.2キロ地点(CP20・新潟県小地谷市魚沼橋)通過。ヘッドランプの瞬きが前後に見える。ああ、近辺にランナーがいるんだと安心する。
闇からぬぉっと現れた人物。その外見、ランナーというよりはヒットマン、菅原文太のヤクザ映画に出てくるような顔。右手に妖しく青光りするマシーンをたずさえている。また幻覚か?と畏怖するが、博多弁で喋りだすので現実世界の人だとわかる。彼は福岡から来た江口さんという。手元で光り輝くのは、携帯GPSマシンのようだ。江口さんは、「GPS最高ばい!」と嬉しそうに説明してくれる。
「あと○×キロで小地谷市ばい、GPSでわかるったい」「スタートから400キロ越えたばい」と15分に1回くらいGPSをチェックしている。ちょうどぼくも自力で紙地図を見るのが面倒くさくなっており渡りに船とばかりに「GPSならあとなんキロですか?」と何べんも聞く。すると「あと12キロっちゃね。順調ばい」などと江口さんは答えてくれる。(確かにGPS最高たい!)とぼくも共感しはじめた頃、江口さんが意外な話をはじめる。
「昨日は危なかったばい。道を10キロも間違ごうて死ぬかと思うたじぇ」
(んなアホな、そのGPSあかんのんちゃうん?)。共感は醒め、元どおり紙の地図を頼りにする。
□
2人で小地谷の街を目指していると、正面からヘッドランプが近づいてくる。変だ、このコースに折り返しなどない。70代の熟年ランナー、渡邉さんだ。「こっちに来たらダメですよ。ゴールはあっちですよ」と説明する。すると「いやー、自分がどこにいるかわからないから、この辺を走り回ってたんだよ、ほほほほ」と笑ってらっしゃる。余裕があるのやらないのやら。道がわからなければ、じっとしていたらいいと思うのだが、大丈夫なんだろうか。いや、今の状況、誰が正常で誰が幻覚の中を走っているのかは、誰も判断できないのである。
明け方は寒さが厳しい。コンビニで雨合羽を調達する。1枚500円するけど、耐え難い寒さをしのぐには充分である。合羽を上半身に羽織り、コンビニの前に座って休憩していると、1人の客が店に入っていく。しばらくすると店内から「御用だ!御用だ!」と大声がする。
(ああ、なるほど。さっきの客は強盗だったんだ。岡っ引きが今、悪党を捕まえているんだな)と思う。(岡っ引きがいてくれるなら、強盗が乱入してきても安心だな)と胸をなでおろす。だが、コンビニの中に江口さんを残してきたことに気づき、(強盗の人質になんかなってないだろうな)と心配になる。店の中をのぞき込んでいると、江口さんが出てくる。「強盗が入ったでしょう?大丈夫でしたか」と質問する。江口さんは問いかけには答えず、関係のない話をはじめる。どうやら捕物帖はなかったようだ。(ああそうか、現代に岡っ引きはいないよな)とようやく気づく。もはや自分を正常だなんて断言などできない!
□
小地谷市の郊外にある自宅を開放し私設エイドを設けている「和田さん」は、川の道ランナーたちのアイドルだ。和田さんの逸話は少なくない。曰く「和田さんは極度に親切で、よく(何かいるものないか?)と聞いてくれる。つい口走ってしまうとわざわざ買いに行ってくれた」「日本酒が大好きな和田さんは、新潟の地酒をランナーに(飲んでいけばいいよ)とお勧めしてくれる」「先頭集団が和田さん家でへべれけに酔っぱらってしまった」とか。ランナーたちは、和田さんとの再会を楽しみに、終盤の行程を乗り切ろうとする。
薄ぼんやりと夜が明け始めた頃、和田さん家に着く。1階の車庫ガレージに置かれたテーブルの上には山盛りの食料がある。カップ麺、パン、果物、お菓子、漬け物、キムチ、ちまき、そしてビールに日本酒! あっけに取られていると、和田さんが「何でも食べればいいよ」「温かいもの食べなさい」と、どんどんお薦めしてくれる。噂に違わぬ無類の優しさだ。
ガレージの裏には仮眠所がしつられられている。5〜6人が一度に横になれるよう、大量の毛布が用意されている。ここで眠れば、制限132時間以内にゴールにたどり着くのは無理かもしれない。でも、これ以上起きているのは不可能だ。今できるのは眠ることだけと毛布にくるまり惰眠を貪る。入眠後30分、先着ランナーの三遊亭楽松さんが起こしてくれる。ゴールまで75キロ。時速5キロで進めばギリギリ間にあう時間だ。和田さんに別れを告げると「これ持っていけばいい」と、リュックに大量のちまきを入れてくれる。先頭ランナーの通過から最後尾のぼくまで、何十時間もこうやってランナーの世話をしてるんだろう。ぼくもいつかこんな風にランナーを応援したいなと思う。
445.1キロ地点(CP21・新潟県小地谷市越の大橋)からは、楽松さんと江口さんがペースを作り、ぼくが追従する。道中3人。楽松師匠の歩きは速い。時速6キロのハイペースだ。しかも休憩をまったく入れない。ぼくの壊れた足の裏ではペースについていけない。歩きの2人に追いつくために、走りをはさむ。100メートルくらい先行したら、シューズと靴下をぬぎ、足の裏を冷やす。追いつかれたら急いでシューズをはき、追いかける。それを何度か繰り返す。
457.7キロ地点(CP22・新潟県長岡市)、長岡市は新潟県下第二の都市だけあり、中心市街地も大都会ってフンイキ。商店街を抜けたコンビニの駐車場で休憩を取る。やっと休憩だ、うれしい。ぼくは朝ごはんにアイスクリーム2本を食す。この数日、大会から提供される食事以外はアイスクリームしか採っていない。グロッキーなぼくのかたわらで、楽松師匠がシューズを脱ぎ、足の裏のマメの治療をはじめる。でかい!長さ10センチはあろうか。楽松師匠はそのマメの皮を、ジョキジョキとハサミで切り取っていく。ぼくの足の裏よりよっぽどひどい状態じゃないか。それなのに「痛い」も「つらい」もなく、ひたすらに力強く歩き続けている。ぼくは自分が情けなくなる。そしてこれ以上、脚の遅いぼくのペースに楽松さんをつき合わせてはいけないと思う。
「ぼく、先に行ってます」と言い残し、できるだけ前進しようと最速スピードで走りだす。ゴールまで60キロちょい。多少の無理をしケガしても、前進さえしつづければ、ゴールできるはずだ。
走る、走る。前方に「後半ハーフ」の選手が見えてきた。何とか追いつこう、追いつきたい。広いバイパス道に出る。気温がぐんぐん上がる。アスファルトからの輻射熱と自動車の排気。真夏の野球グラウンドのような熱気の中を、猛然と走る。足の裏がドッチボールのようにブヨブヨと膨らんでいる。痛み止めをガブ飲みする。すでに40錠入りの鎮痛剤は残りわずかだ。
歩道橋の日陰で足を冷やしていると、長岡のコンビニに置き去りにした江口さんが何かに取り憑かれたような猛スピードで走り去っていく。(やばい、置いていかれる!)慌てて後を追いかける。江口さんのペースは速く、遠ざかりそうな背中が視界から失われないよう食らいつく。この大会で何度目かの猛スパートだ。10分も走ってようやく追いつく。
「おー来たか!どこ行っとったとや?」と江口さん。すごく元気だ。会話もままならなかった昨晩とは別人である。ハーフマラソン並みのハイペースに、ぼくは併走したり後ろにくっついたりしながら負けじと走る。
江口さん、なぜかムチャクチャ熱い!
「あんたの走りはなかなかいいばい!」と誉めてくれる。
「がんがん行くばい!」と自らを奮い立たせている。
「頭をがんがん冷やせばよかったい!」と氷を頭に乗せる。
「痛みは慣れるばい、慣れて治すたい!」と激痛に戦いに挑む。
「最高、最高ばい!」と叫ぶ。
このオッサン、何者!? こんなバカランナー見たことない、素敵だ! 2人でレースをやってるくらいのデッドヒート。ほんと脚ぼろぼろなのに、完全にバカである。長岡市郊外から三条市までの10キロをこの調子で爆走した。ハイペースで走るのって気持ちいい!
481.1キロ地点(CP23・新潟県三条市)。昨年出場したサハラマラソンの相棒、男子大学生の山口洋平君から電話が入る。ぼくのゴールを見届けるために、はるばる茨城から夜行バスでやってきたのだ。彼もまた酔狂な男なのである。「どこに行ったら会えますか」と問うので、「ゴール会場からこっちに走ってきたらいつか会えるんちゃう?」と返す。せっかく遠路はるばるやってきたのだ。ゴールでひたすら待っていてもつまらない。ここはひとつラスト40キロくらいを走らせて、思い出のひとつも作ってやろう、というぼくの粋な配慮である。
新潟市郊外の気の遠くなるような直線ロードの彼方、揺れる陽炎のなかからフラフラになって現れた山口君は、20キロ以上を全力で駆けてきたらしく自爆状態である。明らかに新品の真っ白な肌着シャツを着ている。元々走る気などなかったから、急きょ安物の服を買い求めたのだ。サハラ砂漠を2人で遮二無二走ったときから、ぼくは20歳も年下のこの若者にシンパシーを感じ、尊敬している。
サハラマラソンの最終日、強烈な岩場、ガレ場の難コース42.2キロを3時間台という信じられないタイムで駆け抜けた彼は、走り終えたあと何時間も立ち上がれなかった。喋ることすらままならないほど衰弱していた。ふだんは陽気でエロいだけの今風の若者が、自らを極限まで追い詰める姿にぼくは打たれた。そして自分自身の中途半端な燃焼ぶりを悔いた。記録や、順位や、完走や・・・走りはじめた目的はそんな所にない。自分の限界を超えたいと思った。だから砂丘をはいあがり、山岳を攀じ登り、数百キロのレースにエントリーする。それなのにぼくは一度もスッカラカンになるまで追い込めない。だから、小学生の校内マラソン大会ですら走りすぎて救急車で運ばれたこのバカ男を尊敬する。いつか彼のように限界をつき破る走りをしたい。
山口君にペース管理とチョコエクレア補給をしてもらいながら進む。走っても、走っても、ゴールの制限時間に間にあうペースまで上がらない。511.2キロ地点(CP24・新潟市新潟ふるさと村)を越えると、信濃川の土手にあがる。すっかり日は落ち、信濃川の川面に新潟市街の夜景が映る。夜が訪れると再び幻想の世界に入り、ビルの上に大きな赤鬼が座っているのに驚いたり、ぼくの勇姿を見届けるためゴール会場にオバマ大統領が待機しているという情報が入ったりした。なぜかオナラが止まらなくなり50発くらいこいた。尻の括約筋にもエネルギーが行き渡らなくなっている。屁が止まらないまま、ついに日本海に達する。
516.3キロ地点(CP25・新潟県日本海岸)。
日本列島の山越えた反対側、東京湾からここまで6日間、長らく対面を夢見つづけた日本海は真っ暗闇の彼方にあり、そこが海かどうかもわからない。闇の向こうから女性の姦しい声が聞こえてくる。「イエーィ!日本海よー!イエーィ!」。(わ、なんだなんだこりゃ)と驚く間もなく、3人の熟女たちが登場し、「イエーィ!サイコー!」と凄いテンションで体当たりされる。肉弾的な勢いに押され、ぼくは後方に尻餅をつき、受け身の取れぬまま、仰向けにすっ転ぶ。熟女たちの歓迎のパワーを受け止める反射神経と筋力はない。これは幻覚ではない、なぜなら倒れて打ったケツが痛い、だからリアルな現実だ。彼女たちは大会スタッフなのだろうか、選手サポーターなのだろうか? とにかく全身全霊で歓迎して下さっているようだ。あるいは酔っ払い?
この宴を、冷静に見つめている視線に気づく。ずいぶん先に進んでいるはずの江口さんが悠然とチェアに腰掛けお茶している。「江口さん、まったりしてる時間ないっすよ。制限時間ギリですよ」とうながすと、「じゃあ一緒にゴールするたい」と腰をあげる。熟女たちの歓迎で5分ほど時間を使ってしまったため、まったく余裕がない。ゴールまで残り3.7キロ、ハイペースで走らないとタイムオーバーだ! 江口さんは、「けっこう脚にきとるばい」と言いそろりそろり足を進める。 「江口さん!のんびりしてる間ないですよ。マジで時間ギリギリですから!」と急かしても、彼は「もうここまで来たらゴールしたようなもんばい。スタッフにも電話で連絡してあるし、問題ないたい」と全然走ろうとしない。江口さんがあまりに自信満々なので、ぼくも(日本海まで来たらゴールってことにしてくれるんかなぁ)などと思いはじめる。この頃、ぼくの知能指数はIQ10まで急下降し、正常な判断能力はない。
ところが制限時間まで残り10分を切ったあたりで、江口さんの携帯電話が鳴る。どうやら先にゴールした知人ランナーから(このままじゃ制限時間内ゴールができないよ!)と怒られているようだ。電話を切ったとたん、どんなに急かしても走らなかった江口さんが「間に合わんばい!」と猛スパートをはじめる。
置き去りにされアゼンとするぼくと相棒・山口君。南無三、追走開始だ。しかし、体力の残り火は少なく、脚はよれよれ。先行する山口君が地図を片手に残りの距離を確認しながら叫ぶ。「このままじゃ、やっぱ間に合わないっす。走ってください!」。ぼくはジョグペースでしか進めない。
なにやら急速に時間内ゴールするのが嫌になってくる。(ここで時間内完走できんかったら記録上はリタイアってことになるな。そしたら悔しくなって来年も出場せざるを得んようになる。ほの方がええなぁ)なんて考える。来年も走れるって想像すると嬉しさがこみあげニヤニヤ笑いはじめる。「あー、なんかやる気なくしてる。真剣に走ってください!」。振り返った山口君が呆れかえっている。「520キロ走ったけど、最後は熟女に押し倒されてゴールに間に合わんかったとかネタとしておもろいだろ? 今回はほの結末でええわ」。なんと心地よいやる気のなさよ!
(やっと時間から解放された、ぼくは今、自由だ! さらば川の道よ、また来年会おう)などと感慨にふけりながら新潟の夜景を愛でつつチンタラ走っていると、遠くのビル陰からもの凄い勢いで誰かが近づいてくる。手にはスターウォーズのライトセーバーみたいな赤く光る武器をもっている。男は大声で何やら怒鳴っている。とっさに(わぁ、赤鬼!)とびっくりし、一瞬(殴られるか?)と身構える。
もちろん殴られはしなかった。どうやら大会関係者のようだ。ライトセイバーかと思った光る物体は誘導棒だった。男性スタッフが大声で叫ぶ。「急いで、急いで! 制限時間迫ってますよ!永久ナンバーがかかってますよ!全力で走って!」。誘導棒でぼくを鞭打つかのように、叱咤激励が入る。その瞬間(全力でいかなければ!)とスイッチが入る。全身の筋肉にゴーサインが入る。100メートルスプリントの勢いで猛スパートをかける。おぅ、まだこれだけ走れる熱量があったんだ。身体が気持ちいいくらい前にすっ跳んでいく。脚が空中でぐるんぐるん回転する。ゴールの白いテープが遠くに見え、スローモーションのように近づいてくる。やっぱし全力疾走は気持ちいい、最高だ。残り1分、残念ながら制限時間に間に合ってしまいそうだけど、でもまぁいいか。来年もまた、出ればいいんだから。
□
520.0キロ地点(ゴール・新潟県「ホンマ健康ランド」)。タイムは131時間58分12秒・・・つまり5日と11時間58分12秒だ。48人の520キロコース出走者のうち時間内完走は31人。もちろんぼくがビリである。
ゴールテープの真横に「ホンマ健康ランド」の玄関がある。気力やら根性やら魂やらを総動員してゴールしたあとは、もう走れないし、歩けない。だから這っていける距離に宿泊施設を用意してくれてる主催者のはからいが嬉しい。
「ホンマ健康ランド」の入口フロアには、ともに川の道を走った懐かしい面々が、もう一歩も歩けないと座り込んでいる。出会ってから数日なのに旧知の同級生に再会したような気がする。みな微笑んでいる。完走した人も、リタイアした人も、これ以上出せないという所まで力を振り絞った。だから緩んだ顔の筋肉で力なく笑っているんだと思う。
巨大な温泉施設である「ホンマ健康ランド」の浴室には、魂が抜けたようなランナーのシカバネがあちこちに転がっている。兵共が夢のあと。ゆっくり眠ってください。お風呂で溺れないように、風邪をひかないように。皆さん、おつかれでした。
□
レースから1カ月が経った。レース前に比べ体脂肪率が16%→10%に落ちた。足の裏のマヒがようやく取れはじめた。夢の中で3日に1度は川の道を走っている。目が覚めるとレース中じゃないことに気づいてがっかりする。苦しくて、痛くて、眠くて仕方がなかったあの世界に、はやく戻りたいとムズムズする。520キロを冗談交じりに駆け抜けていったタフなランナーたちに早く再会したい。これはきっと中毒なのだ。
新潟県津南町〜新潟県新潟市 126キロ
「はい起きて!もう出発するよ!時間だよ!」と身体をぐらんぐらん揺さぶられる。
布団のなかで「ふぁ、ふぁい。おはよう、ごじゃいまふ」と生返事をする。目を開けると見知らぬ男性が顔をのぞきこんでいる。3秒見つめあう。(この人だれなんだろう・・・知りあいだったかな)。事態がつかめず、ぼーっとしていると「あ、ごめんなさーい。人ちがいでしたー」と男は去っていく。時計を見る。3時間くらい睡眠をとる予定だったが、布団にもぐりこんでから1時間しか経っていない。人ちがいでムリヤリ起こされたわけなんだけど腹は立たない。このレースも5日目、どんな事態も素直に受け入れる素地ができあがっている。あらゆる出来事は偶発的に起こっているものだが、見えざる力によって導かれる必然とも言えるのだ。
階下に降り、「おはようございまふ」とスタッフに告げる。足元はおぼつかず、ロレツは回っていない。「おはよう」と言ってしまった後で、今が夕方であることに気づく。
「ぼく、スタートしまふ」と告げると、あちこちに待機していた大会スタッフがガバッと立ち上がる。荷物を持ってくれ、玄関の外まで出てくれる。「じゃあがんばって」と大勢で見送ってくれる。スタッフの皆さんも徹夜態勢でバックアップしてくれているのだ。こんな心温まる大会ってあるだろうか。泣けてくるよな。
おぼつかない足取りでスタートを切ると、セクシーなチャイナドレスを艶やかにまとった魅惑の女性が、しばらく併走してくれる。これは昨晩から見続けている幻覚なのだろうか。いや幻ではない、大会を初日からサポートしてくださっている美人の方だ。ぼくはフイの2ショットに舞い上がってしてしまい「ふだんは何をなさっている方なのでふか?」などとお見合いの席のような質問をすると、丁寧に答えてくださった。この頃、ぼくの知能指数はIQ30くらいしかない。
お姉さまは津南の街並みを背景にいつまでも手を振ってくれる。山田洋二監督が撮るロードムービーののワンシーンのような素敵な場面だ。ぼくは、さしずめさすらいの旅に発つ高倉健といった役どころか。いや、武田鉄矢がいいセンか。幻覚でないことを後に証明するために、写真を撮らせてもらう。
この520キロにもわたる長い旅を、途中3カ所に設けられた宿泊所を境に4つのステージに見立てると、今日と明日が最終ステージである。明日の夜9時までに日本海に対面し、再び折り返して新潟市の温泉施設「ホンマ健康ランド」にたどり着けば、時間内完走の栄誉を手にする。栄誉といっても誰かに誉められるわけでもない。完走者の唯一の証しは「永久ゼッケンナンバー」のホルダーになるってこと。「川の道」が開催され5年、いまだ2ケタナンバーは61番が最大値である。つまり完走者は過去61人しかいないってこと。ゴールまで120キロ、残り30時間。さあ、永久ナンバーめざしてトコトコ走るか!と気合いを入れる。
津南の山村風景は本当に美しい。河岸段丘の斜面や平地に建つ民家、棚田が立体ジオラマを造りだす。車道脇にはまだ高さ50センチほども残雪がある。津南町は日本を代表する豪雪地帯である。集落中に水の流れる音がささやく。雪融け水が水路を走っているのだ。多くの民家の脇にはコンクリ造りの大きな水槽がある。2メートル四方ほどもあるから小さなプールのよう。釣った山魚を養殖しているのかなと思ったが、雪を溶かすための水溜まりだとわかる。
小学校の校庭に見たこともない巨大な桜が咲き乱れ、風に散った花びらが道路をピンク色に染め上げている。「コノ国ハ、本当ニ、ウツクシイ・・・」。ラフカディオ・ハーン目線で日本の原風景を感慨深げに見つめる。この頃、ぼくの知能指数はIQ20くらいしかない。
夕暮れどきに十日町市に着く。商店街には人間を抽象的に模した彫像があちこちに屹立しているのだが、何やらヒソヒソと話しかけてくるような気がして怖くなって逃げる。長い長い商店街を抜けると、夜のとばりがすっかり落ちていた。
夜が深くなるにつれ、得体の知れない影に脅かされる。電柱や街灯のたもとに人影が見える。影は見えるのに、近づくとそこには誰もいない。
背後から足音や呼吸音が近づく。ランナーかと思い話しかけると、真っ黒い影が揺れていて物質はない。
左隣に長い髪をバサバサ揺らしながら女性がついてくる。右隣を見ても女性がいる。やがて10人くらいの女性に囲まれる。みな青白い顔をしている。明らかにこの世の物ではない。下半身から鳥肌がせり上がってくる。
これが川の道フットレースを走るランナーの多くが観るという幻覚ってヤツか。幻覚ってこんなリアルなのか。幽霊のようにボーッと浮かび上がっているのではない。確かにぼくは感知している。眼球で捉えているのではなくて、脳みその奧のスクリーンに投影されている。極度の睡眠不足、あるいは痛みや疲労から逃避するために、脳が勝手に暴走をはじめている。
427.2キロ地点(CP20・新潟県小地谷市魚沼橋)通過。ヘッドランプの瞬きが前後に見える。ああ、近辺にランナーがいるんだと安心する。
闇からぬぉっと現れた人物。その外見、ランナーというよりはヒットマン、菅原文太のヤクザ映画に出てくるような顔。右手に妖しく青光りするマシーンをたずさえている。また幻覚か?と畏怖するが、博多弁で喋りだすので現実世界の人だとわかる。彼は福岡から来た江口さんという。手元で光り輝くのは、携帯GPSマシンのようだ。江口さんは、「GPS最高ばい!」と嬉しそうに説明してくれる。
「あと○×キロで小地谷市ばい、GPSでわかるったい」「スタートから400キロ越えたばい」と15分に1回くらいGPSをチェックしている。ちょうどぼくも自力で紙地図を見るのが面倒くさくなっており渡りに船とばかりに「GPSならあとなんキロですか?」と何べんも聞く。すると「あと12キロっちゃね。順調ばい」などと江口さんは答えてくれる。(確かにGPS最高たい!)とぼくも共感しはじめた頃、江口さんが意外な話をはじめる。
「昨日は危なかったばい。道を10キロも間違ごうて死ぬかと思うたじぇ」
(んなアホな、そのGPSあかんのんちゃうん?)。共感は醒め、元どおり紙の地図を頼りにする。
□
2人で小地谷の街を目指していると、正面からヘッドランプが近づいてくる。変だ、このコースに折り返しなどない。70代の熟年ランナー、渡邉さんだ。「こっちに来たらダメですよ。ゴールはあっちですよ」と説明する。すると「いやー、自分がどこにいるかわからないから、この辺を走り回ってたんだよ、ほほほほ」と笑ってらっしゃる。余裕があるのやらないのやら。道がわからなければ、じっとしていたらいいと思うのだが、大丈夫なんだろうか。いや、今の状況、誰が正常で誰が幻覚の中を走っているのかは、誰も判断できないのである。
明け方は寒さが厳しい。コンビニで雨合羽を調達する。1枚500円するけど、耐え難い寒さをしのぐには充分である。合羽を上半身に羽織り、コンビニの前に座って休憩していると、1人の客が店に入っていく。しばらくすると店内から「御用だ!御用だ!」と大声がする。
(ああ、なるほど。さっきの客は強盗だったんだ。岡っ引きが今、悪党を捕まえているんだな)と思う。(岡っ引きがいてくれるなら、強盗が乱入してきても安心だな)と胸をなでおろす。だが、コンビニの中に江口さんを残してきたことに気づき、(強盗の人質になんかなってないだろうな)と心配になる。店の中をのぞき込んでいると、江口さんが出てくる。「強盗が入ったでしょう?大丈夫でしたか」と質問する。江口さんは問いかけには答えず、関係のない話をはじめる。どうやら捕物帖はなかったようだ。(ああそうか、現代に岡っ引きはいないよな)とようやく気づく。もはや自分を正常だなんて断言などできない!
□
小地谷市の郊外にある自宅を開放し私設エイドを設けている「和田さん」は、川の道ランナーたちのアイドルだ。和田さんの逸話は少なくない。曰く「和田さんは極度に親切で、よく(何かいるものないか?)と聞いてくれる。つい口走ってしまうとわざわざ買いに行ってくれた」「日本酒が大好きな和田さんは、新潟の地酒をランナーに(飲んでいけばいいよ)とお勧めしてくれる」「先頭集団が和田さん家でへべれけに酔っぱらってしまった」とか。ランナーたちは、和田さんとの再会を楽しみに、終盤の行程を乗り切ろうとする。
薄ぼんやりと夜が明け始めた頃、和田さん家に着く。1階の車庫ガレージに置かれたテーブルの上には山盛りの食料がある。カップ麺、パン、果物、お菓子、漬け物、キムチ、ちまき、そしてビールに日本酒! あっけに取られていると、和田さんが「何でも食べればいいよ」「温かいもの食べなさい」と、どんどんお薦めしてくれる。噂に違わぬ無類の優しさだ。
ガレージの裏には仮眠所がしつられられている。5〜6人が一度に横になれるよう、大量の毛布が用意されている。ここで眠れば、制限132時間以内にゴールにたどり着くのは無理かもしれない。でも、これ以上起きているのは不可能だ。今できるのは眠ることだけと毛布にくるまり惰眠を貪る。入眠後30分、先着ランナーの三遊亭楽松さんが起こしてくれる。ゴールまで75キロ。時速5キロで進めばギリギリ間にあう時間だ。和田さんに別れを告げると「これ持っていけばいい」と、リュックに大量のちまきを入れてくれる。先頭ランナーの通過から最後尾のぼくまで、何十時間もこうやってランナーの世話をしてるんだろう。ぼくもいつかこんな風にランナーを応援したいなと思う。
445.1キロ地点(CP21・新潟県小地谷市越の大橋)からは、楽松さんと江口さんがペースを作り、ぼくが追従する。道中3人。楽松師匠の歩きは速い。時速6キロのハイペースだ。しかも休憩をまったく入れない。ぼくの壊れた足の裏ではペースについていけない。歩きの2人に追いつくために、走りをはさむ。100メートルくらい先行したら、シューズと靴下をぬぎ、足の裏を冷やす。追いつかれたら急いでシューズをはき、追いかける。それを何度か繰り返す。
457.7キロ地点(CP22・新潟県長岡市)、長岡市は新潟県下第二の都市だけあり、中心市街地も大都会ってフンイキ。商店街を抜けたコンビニの駐車場で休憩を取る。やっと休憩だ、うれしい。ぼくは朝ごはんにアイスクリーム2本を食す。この数日、大会から提供される食事以外はアイスクリームしか採っていない。グロッキーなぼくのかたわらで、楽松師匠がシューズを脱ぎ、足の裏のマメの治療をはじめる。でかい!長さ10センチはあろうか。楽松師匠はそのマメの皮を、ジョキジョキとハサミで切り取っていく。ぼくの足の裏よりよっぽどひどい状態じゃないか。それなのに「痛い」も「つらい」もなく、ひたすらに力強く歩き続けている。ぼくは自分が情けなくなる。そしてこれ以上、脚の遅いぼくのペースに楽松さんをつき合わせてはいけないと思う。
「ぼく、先に行ってます」と言い残し、できるだけ前進しようと最速スピードで走りだす。ゴールまで60キロちょい。多少の無理をしケガしても、前進さえしつづければ、ゴールできるはずだ。
走る、走る。前方に「後半ハーフ」の選手が見えてきた。何とか追いつこう、追いつきたい。広いバイパス道に出る。気温がぐんぐん上がる。アスファルトからの輻射熱と自動車の排気。真夏の野球グラウンドのような熱気の中を、猛然と走る。足の裏がドッチボールのようにブヨブヨと膨らんでいる。痛み止めをガブ飲みする。すでに40錠入りの鎮痛剤は残りわずかだ。
歩道橋の日陰で足を冷やしていると、長岡のコンビニに置き去りにした江口さんが何かに取り憑かれたような猛スピードで走り去っていく。(やばい、置いていかれる!)慌てて後を追いかける。江口さんのペースは速く、遠ざかりそうな背中が視界から失われないよう食らいつく。この大会で何度目かの猛スパートだ。10分も走ってようやく追いつく。
「おー来たか!どこ行っとったとや?」と江口さん。すごく元気だ。会話もままならなかった昨晩とは別人である。ハーフマラソン並みのハイペースに、ぼくは併走したり後ろにくっついたりしながら負けじと走る。
江口さん、なぜかムチャクチャ熱い!
「あんたの走りはなかなかいいばい!」と誉めてくれる。
「がんがん行くばい!」と自らを奮い立たせている。
「頭をがんがん冷やせばよかったい!」と氷を頭に乗せる。
「痛みは慣れるばい、慣れて治すたい!」と激痛に戦いに挑む。
「最高、最高ばい!」と叫ぶ。
このオッサン、何者!? こんなバカランナー見たことない、素敵だ! 2人でレースをやってるくらいのデッドヒート。ほんと脚ぼろぼろなのに、完全にバカである。長岡市郊外から三条市までの10キロをこの調子で爆走した。ハイペースで走るのって気持ちいい!
481.1キロ地点(CP23・新潟県三条市)。昨年出場したサハラマラソンの相棒、男子大学生の山口洋平君から電話が入る。ぼくのゴールを見届けるために、はるばる茨城から夜行バスでやってきたのだ。彼もまた酔狂な男なのである。「どこに行ったら会えますか」と問うので、「ゴール会場からこっちに走ってきたらいつか会えるんちゃう?」と返す。せっかく遠路はるばるやってきたのだ。ゴールでひたすら待っていてもつまらない。ここはひとつラスト40キロくらいを走らせて、思い出のひとつも作ってやろう、というぼくの粋な配慮である。
新潟市郊外の気の遠くなるような直線ロードの彼方、揺れる陽炎のなかからフラフラになって現れた山口君は、20キロ以上を全力で駆けてきたらしく自爆状態である。明らかに新品の真っ白な肌着シャツを着ている。元々走る気などなかったから、急きょ安物の服を買い求めたのだ。サハラ砂漠を2人で遮二無二走ったときから、ぼくは20歳も年下のこの若者にシンパシーを感じ、尊敬している。
サハラマラソンの最終日、強烈な岩場、ガレ場の難コース42.2キロを3時間台という信じられないタイムで駆け抜けた彼は、走り終えたあと何時間も立ち上がれなかった。喋ることすらままならないほど衰弱していた。ふだんは陽気でエロいだけの今風の若者が、自らを極限まで追い詰める姿にぼくは打たれた。そして自分自身の中途半端な燃焼ぶりを悔いた。記録や、順位や、完走や・・・走りはじめた目的はそんな所にない。自分の限界を超えたいと思った。だから砂丘をはいあがり、山岳を攀じ登り、数百キロのレースにエントリーする。それなのにぼくは一度もスッカラカンになるまで追い込めない。だから、小学生の校内マラソン大会ですら走りすぎて救急車で運ばれたこのバカ男を尊敬する。いつか彼のように限界をつき破る走りをしたい。
山口君にペース管理とチョコエクレア補給をしてもらいながら進む。走っても、走っても、ゴールの制限時間に間にあうペースまで上がらない。511.2キロ地点(CP24・新潟市新潟ふるさと村)を越えると、信濃川の土手にあがる。すっかり日は落ち、信濃川の川面に新潟市街の夜景が映る。夜が訪れると再び幻想の世界に入り、ビルの上に大きな赤鬼が座っているのに驚いたり、ぼくの勇姿を見届けるためゴール会場にオバマ大統領が待機しているという情報が入ったりした。なぜかオナラが止まらなくなり50発くらいこいた。尻の括約筋にもエネルギーが行き渡らなくなっている。屁が止まらないまま、ついに日本海に達する。
516.3キロ地点(CP25・新潟県日本海岸)。
日本列島の山越えた反対側、東京湾からここまで6日間、長らく対面を夢見つづけた日本海は真っ暗闇の彼方にあり、そこが海かどうかもわからない。闇の向こうから女性の姦しい声が聞こえてくる。「イエーィ!日本海よー!イエーィ!」。(わ、なんだなんだこりゃ)と驚く間もなく、3人の熟女たちが登場し、「イエーィ!サイコー!」と凄いテンションで体当たりされる。肉弾的な勢いに押され、ぼくは後方に尻餅をつき、受け身の取れぬまま、仰向けにすっ転ぶ。熟女たちの歓迎のパワーを受け止める反射神経と筋力はない。これは幻覚ではない、なぜなら倒れて打ったケツが痛い、だからリアルな現実だ。彼女たちは大会スタッフなのだろうか、選手サポーターなのだろうか? とにかく全身全霊で歓迎して下さっているようだ。あるいは酔っ払い?
この宴を、冷静に見つめている視線に気づく。ずいぶん先に進んでいるはずの江口さんが悠然とチェアに腰掛けお茶している。「江口さん、まったりしてる時間ないっすよ。制限時間ギリですよ」とうながすと、「じゃあ一緒にゴールするたい」と腰をあげる。熟女たちの歓迎で5分ほど時間を使ってしまったため、まったく余裕がない。ゴールまで残り3.7キロ、ハイペースで走らないとタイムオーバーだ! 江口さんは、「けっこう脚にきとるばい」と言いそろりそろり足を進める。 「江口さん!のんびりしてる間ないですよ。マジで時間ギリギリですから!」と急かしても、彼は「もうここまで来たらゴールしたようなもんばい。スタッフにも電話で連絡してあるし、問題ないたい」と全然走ろうとしない。江口さんがあまりに自信満々なので、ぼくも(日本海まで来たらゴールってことにしてくれるんかなぁ)などと思いはじめる。この頃、ぼくの知能指数はIQ10まで急下降し、正常な判断能力はない。
ところが制限時間まで残り10分を切ったあたりで、江口さんの携帯電話が鳴る。どうやら先にゴールした知人ランナーから(このままじゃ制限時間内ゴールができないよ!)と怒られているようだ。電話を切ったとたん、どんなに急かしても走らなかった江口さんが「間に合わんばい!」と猛スパートをはじめる。
置き去りにされアゼンとするぼくと相棒・山口君。南無三、追走開始だ。しかし、体力の残り火は少なく、脚はよれよれ。先行する山口君が地図を片手に残りの距離を確認しながら叫ぶ。「このままじゃ、やっぱ間に合わないっす。走ってください!」。ぼくはジョグペースでしか進めない。
なにやら急速に時間内ゴールするのが嫌になってくる。(ここで時間内完走できんかったら記録上はリタイアってことになるな。そしたら悔しくなって来年も出場せざるを得んようになる。ほの方がええなぁ)なんて考える。来年も走れるって想像すると嬉しさがこみあげニヤニヤ笑いはじめる。「あー、なんかやる気なくしてる。真剣に走ってください!」。振り返った山口君が呆れかえっている。「520キロ走ったけど、最後は熟女に押し倒されてゴールに間に合わんかったとかネタとしておもろいだろ? 今回はほの結末でええわ」。なんと心地よいやる気のなさよ!
(やっと時間から解放された、ぼくは今、自由だ! さらば川の道よ、また来年会おう)などと感慨にふけりながら新潟の夜景を愛でつつチンタラ走っていると、遠くのビル陰からもの凄い勢いで誰かが近づいてくる。手にはスターウォーズのライトセーバーみたいな赤く光る武器をもっている。男は大声で何やら怒鳴っている。とっさに(わぁ、赤鬼!)とびっくりし、一瞬(殴られるか?)と身構える。
もちろん殴られはしなかった。どうやら大会関係者のようだ。ライトセイバーかと思った光る物体は誘導棒だった。男性スタッフが大声で叫ぶ。「急いで、急いで! 制限時間迫ってますよ!永久ナンバーがかかってますよ!全力で走って!」。誘導棒でぼくを鞭打つかのように、叱咤激励が入る。その瞬間(全力でいかなければ!)とスイッチが入る。全身の筋肉にゴーサインが入る。100メートルスプリントの勢いで猛スパートをかける。おぅ、まだこれだけ走れる熱量があったんだ。身体が気持ちいいくらい前にすっ跳んでいく。脚が空中でぐるんぐるん回転する。ゴールの白いテープが遠くに見え、スローモーションのように近づいてくる。やっぱし全力疾走は気持ちいい、最高だ。残り1分、残念ながら制限時間に間に合ってしまいそうだけど、でもまぁいいか。来年もまた、出ればいいんだから。
□
520.0キロ地点(ゴール・新潟県「ホンマ健康ランド」)。タイムは131時間58分12秒・・・つまり5日と11時間58分12秒だ。48人の520キロコース出走者のうち時間内完走は31人。もちろんぼくがビリである。
ゴールテープの真横に「ホンマ健康ランド」の玄関がある。気力やら根性やら魂やらを総動員してゴールしたあとは、もう走れないし、歩けない。だから這っていける距離に宿泊施設を用意してくれてる主催者のはからいが嬉しい。
「ホンマ健康ランド」の入口フロアには、ともに川の道を走った懐かしい面々が、もう一歩も歩けないと座り込んでいる。出会ってから数日なのに旧知の同級生に再会したような気がする。みな微笑んでいる。完走した人も、リタイアした人も、これ以上出せないという所まで力を振り絞った。だから緩んだ顔の筋肉で力なく笑っているんだと思う。
巨大な温泉施設である「ホンマ健康ランド」の浴室には、魂が抜けたようなランナーのシカバネがあちこちに転がっている。兵共が夢のあと。ゆっくり眠ってください。お風呂で溺れないように、風邪をひかないように。皆さん、おつかれでした。
□
レースから1カ月が経った。レース前に比べ体脂肪率が16%→10%に落ちた。足の裏のマヒがようやく取れはじめた。夢の中で3日に1度は川の道を走っている。目が覚めるとレース中じゃないことに気づいてがっかりする。苦しくて、痛くて、眠くて仕方がなかったあの世界に、はやく戻りたいとムズムズする。520キロを冗談交じりに駆け抜けていったタフなランナーたちに早く再会したい。これはきっと中毒なのだ。
2010年07月30日
2010年07月29日
定価1000円。徳島県内の書店やコンビニなどで好評発売中です。
2010年07月22日
何軒もの店を食べ歩いた編集部が、本ッッッ当においしいもんを100選り抜き! 全県を網羅した、グルメ情報決定版がここに!
★夏のイベント100連発!★
ロックフェスから地域のお祭りまで、県内の楽しいイベントをドドンとまとめてご紹介! いきたい催し物が、きっと見つかる!
そんな中、注目の特集は「後世に残したい、われらが阿波弁」。
県内各地にお住まいの20代と50代の方にアンケートを実施し、世代別に阿波弁の認知度を分析しました。
その結果見えてきたのは、世代を超えていつまでも使っていきたいフレーズの数々。
そんな愛してやまない阿波弁たちをズバリ紹介しちゃいます!
また、表紙で好評連載中のさらランキング!
今回は「今夏のプチ贅沢ランキング」と称して、夏の暑さを吹き飛ばしてくれる幸せアイテムを集めました。
日々の生活にちっちゃな幸せを取り入れれば、この暑〜い夏もパワフルに乗り切れるはず♪
2010年07月15日
月刊タウン情報CU6月号の実売部数を報告します。CU6月号の売部数は、
3743部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2010年07月14日
心地良いカフェでの時間。のんびり和んだり、かわいいインテリアやそこで見つけた雑誌やモノで新しい発見があったり。そんな幸せなひとときを感じさせてくれる「徳島カフェ」111店の魅力をぐぐっと掘り下げてご紹介。新しくできた最新のお店や、おいしいごはんやスイーツが充実のカフェなど注目の人気カフェ情報がてんこ盛り。これを見て次に行くカフェを探そう♪
2010年07月06日
月刊タウン情報トクシマ6月号 実売部数を報告します。タウトク6月号の売部数は、
7655部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2010年07月01日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
(前回まで=東京湾岸、太平洋を望む荒川河口を出で、長野県を経由して新潟は日本海岸へと至る520キロ、国内最長クラスの超長距離フットレースにタウトク編集人が挑戦した6日間の記録。スタートから265キロを踏破し、第二関門である長野県小諸市に着いたのは3日目の深夜だった)
(前回まで=東京湾岸、太平洋を望む荒川河口を出で、長野県を経由して新潟は日本海岸へと至る520キロ、国内最長クラスの超長距離フットレースにタウトク編集人が挑戦した6日間の記録。スタートから265キロを踏破し、第二関門である長野県小諸市に着いたのは3日目の深夜だった)
第三関門へ
長野県小諸市〜新潟県津南町 130キロ
目が覚めると、しごく元気だった。
なぜぼくは元気なのか?と軽い疑問を抱き、上布団に抱きついたままの格好で記憶をたどる。数時間前、まっすぐ歩けないほどヨレヨレでこの寝床に沈んだはずだ。寝る前はゾンビ状態、寝起きがハッスル状態ということは・・・まずいっ!長時間眠りこんでしもたかっ!と跳ね起きる。
腕時計に目をやる。デジタル文字は 02:00 と示しているが、しばらく熟慮しないと数字の意味がつかめない。眠りについたのが午前1時だから、引き算すると睡眠1時間。それなのにこの四肢から溢れるやる気マンマンはなんだ? もう少し睡眠を継続するべきか、だが走らずにはいられない高揚感。
4階にある雑魚寝部屋を抜けだし、2階の選手・スタッフ控室に向かう。エレベーターホールのソファや廊下の長椅子に、2時間前に到着したままの格好でランナー数人がうなだれている。彼らは着替えをする余裕も、仮眠室に移動するエネルギーも切れてしまっているのだ。
控室の大部屋では、4人のランナーが出発準備をしている。初日にあっさり抜き去られた選手たちと3日ぶりの再会だ。ぼくはスピードに欠けるものの、睡眠を毎日1〜2時間しか取ってないので、前を行くランナーに追いついているって構図。
選手サポート役のトライアスリート渡辺さんが、浜に打ち上がったマグロのごとく畳の上でゴロ寝している。ぼくの気配に気づいた渡辺さんが、寝ぼけマナコで「朝メシ調達しといたから食べて」とカップ麺とおむすびを差し出す。「小諸グランドキャッスルホテル」内や周辺には深夜到着後に食事できる店がなく、食料調達が必携なのだ。しかし関門クリアすら危ういぼくにコンビニに立ち寄る時間もなかった。朝メシは渡辺さんの温情なのだ。この夜食べた「マルちゃん・ピリ辛ニラとんこつラーメン」の味は、生涯忘れることはないだろう。湯気が鼻腔を刺激し、鼻水とも涙ともつかない液体が顔を濡らす。小腸から吸収されたマルちゃん・ピリ辛ニラとんこつラーメンは、血液に溶けこむと瞬時に全身をかけめぐる。血糖値が一気に上昇し、ジャック・ハンマー(範馬刃牙の腹違いの兄)がステロイドのアンプルを噛み砕き筋肉をバンプアップするがごとく野獣の嘶き!
人間、寝んでもどうっちゅうことないんじゃ〜!と嬉しくなって、夜も明けぬ小諸市の街へと走りだす。
が、ハイテンションは束の間の夢であった。1時間の熟睡効果とマルちゃんラーメンのエナジーは10分ほどで切れ、睡魔がわらわらとやってくる。いよいよ立っていられなくなって信濃国分寺駅前のベンチで30分仮眠する。目覚めても動く気がせずぼーっと座っていると三遊亭楽松さんがやってきた。トラブルが発生しているらしい。宿泊したホテルで脱いであったシューズが無くなったという。おそらく誰かが間違えて履いていったのだろう。予備のシューズを持参していたが新品で足に馴染まない。楽松さんは、シューズの中敷きを何枚か重ね、数百キロの距離を踏み重ねて自分の足に合った状態に「作り」あげてきたのだとか。ショックが大きいようだ。
楽松さんと別れ、とぼとぼ前進する。それにしても暑い。この日、列島各地で気温25度を超す夏日となる天気予報が出ている。標高500メートルの長野盆地も例外ではない。ガソリンスタンドの前を通るとFMラジオが流れているが、地元ラジオ局のDJは午後には27度にも達しようかという気温の話ばかりして暑さに拍車をかける。だらだら走っていると、264.7キロ地点(CP13・長野県小諸市)から283.5キロ地点(CP14・長野県上田城跡)の間に、全員のランナーに抜かれる。
上田市街を抜けると川幅と流量を増した千曲川が陽光を浴び、ギラギラと揺れている。山塊をくり貫くように造られた一直線の車道には、天を遮るものはなく日よけとなる陰もない。歩道の幅が狭く、細かな段差があって難儀する。太腿を上げる筋力が衰え、5センチの段差にも脚を引っかけてコケそうになる。脳天にふりそそぐ直射日光は暴力的で、アタマの表面をジリジリと焼く。水道の蛇口を見つけるたびにタオルに水を浸し、頭に巻いて気化熱で涼もうと目論むが、20分もたたないうちにカラカラに乾いてしまう。日焼けした唇がぱんぱんに腫れ、裂傷となって血が流れだす。「リップクリームは必携」とベテランランナーが自慢げに唇に塗りたくっていた光景を思い出したが、時すでに遅し。
長野市が近づくにつれ車道が6車線に拡がり、自動車の通行量が増える。308.1キロ地点(CP15・長野県長野市篠ノ井橋)前後で、ぞくぞくと後続のランナーに追い越される。後続といっても、520キロレースでぼくより遅いランナーは既にいない。追い越していくのは今朝、長野県小諸市を出発した「後半ハーフ」のランナーだ。川の道フットレースでは、東京〜新潟間520キロを「フル」と呼び、東京から中間点である長野まで265キロを走る部門を「前半ハーフ」、長野〜新潟間255キロを「後半ハーフ」と呼んでいる。ランナーは「フル」「前半ハーフ」「後半ハーフ」いずれかのレースに参加しているのだ。
255キロなんて、それだけでもたいがいのものだが「ハーフ」扱いである。そこに奥ゆかしさやユーモアを感じ、好感を抱く。「ハーフ」を走るランナーは皆、ヨレヨレのぼくに励ましの言葉を残してゆく。「東京から300キロでしょ、ここまで走ってるだけで凄いですよ!」「私もいずれフルを走りたいです。フルの皆さんを尊敬しますよ、頑張ってください!」。励まされる都度、ぼくはにんまりする。ふだんめったに他人に誉められないから、凄いとか尊敬とか良いこと言われるとアホみたいに嬉しいのである。
長野市の中心街に入る手前に犀川(さいがわ)にかかる丹波島橋を渡る。この川の最上流域は北アルプス直下の上高地、さらに源流をたどれは孤峰・槍ヶ岳。川の流れは、遠い海を求めて旅しているのではない。水は、より低い位置へと自然に移動しているだけだ。走るってこともそうなのかな、と思う。いまこの瞬間に繰り出す一歩が大事なのだ。立ち止まらず、走り続けることが自分には必要なのだ。だから走っている。
犀川の奧に連なる山の端に夕陽が落ちる。高層の観光ホテルや官庁のビルが紅く染まっている。321.0キロ地点(CP16)、善光寺の境内に着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。善光寺の門前にずらりと並ぶ土産物店には、信州名物の「おやき」や抹茶ソフトクリームなどスイーツが目白押し、と調査済みである。ところがどうだい、100軒は連なろうかというお店が1軒たりとも開いていないではないか。
なりふり構わずそこらへんの観光客を問い詰めると、ここら一帯、夜6時になると一斉に店じまいをするのだとか。朝から一日じゅう「善光寺でおやきを食べる」という強い目的意識と高い向上心を抱いて頑張ってきたのに・・・。おやきを食べられないという現実に打ちひしがれながら、石畳の参道を駆けあがる。本堂の賽銭箱にはいつになく張り込み100円玉1枚を投じる。「100円も払うんですから、必ず完走させてください」と費用対効果として大きすぎるお願いを阿弥陀如来様に一方的にリクエストし、きびすを返す。
おやきにありつけなかったためか、空腹感が暴れだす。今朝からコンビニで買ったアイスクリーム3個しか口にしていない。長野市の繁華街にはチェーンのレストランが煌々と光を放ち、幸せそうに食事をついばむファミリーやカップルの姿が窓ガラス越しに見える。
できればメシを食いたい。しかしレストランに入り15分も20分も時を消費すれば、70キロ先に待つ第三関門の閉鎖時間に間に合わなくなる。レストランの排気口から漂う香しい匂いは拷問に等しい。テーブルに美食を並べ微笑みあうカップルを、恨みの視線で焼き尽くそうと試みる。
道沿いに「スポーツエイドジャパン」のステッカーを貼った車が停まっている。スポーツエイドジャパンは、この川の道フットレースの主催者である。遠く長野の地までエイドを設けてくれているのかと驚きつつ、夢中で車に駆け寄り「何か、何か、何でもいいので食べ物をください・・・」と懇願すると、おにぎりを2個もらえた。脱兎のごとくおにぎりを掴み取り、走りながら貪り食う。戦時中に配給をもらう貧乏少年風情である。これで、これで朝までのエネルギーがきっと保つ、と安心する。
後で知るのだがこの車は主催者のエイドカーではなく、岩手県から来られた女性ランナー・阿部さん個人をサポートする応援車だった。つまりぼくは、阿部さんの食料をかすめ取った蛮民なのでした。そしてこの後もぼくは、阿部さんをサポートする親切なご夫婦からおにぎりを何個もいただき続けることになる。どうも図々しくてすみません。
336.3キロ地点(CP17・長野市浅野交差点)を右折すると登りがはじまる。長野市街の夜景が眼下に沈んでいく。蛇行する山道に街灯は少ない。深夜0時、人の気配のない道に、ときおり集落が現れる。地図と照らし合わせながら、自分の位置をつかもうと努力する。さっき通過した村に、もう一度入っていく錯覚に捕らわれる。息が上がるほど全力走しているのに、地図を見ると30分前から少しも進んでいない。焦る。苦労が報われないことに落ち込む。完走は無理なのかと諦めそうになる。
峠道にさしかかると、星のきれいな夜空と光源ひとつない地面との境目が不確かになる。自分の姿も見えない。手脚を前へ前へと繰り出しても、同じ場所でうごめいている様子になる。ふいに奇妙な疑問にとらわれる。
(あれっ、なぜぼくはこんな所を走っているのだろう?)
よく考えてみる。これはマラソンレースだ、とても長いレースの途中だ・・・答えを出すまで数分かかる。少し頭がおかしくなっているのだろうか。また別の感情が頭をもたげる。
(ここはどこなんだろう。なぜ、どこにいるのかわからないんだろう?)
なかなか解答が出てこない。かろうじて正常を保っている脳みその一部分が返事を寄こす。ここは長野県の山中で、今は新潟に向かっているところだ。
だんだん疑問レベルが根源的になってくる。
(ぼくは誰なんだろう。自分の名前は言えるだろうか)
かろうじて名前は言えたが、現実認知があやふやだ。そして自分が自分であるとは何と不確かなことかと驚く。ぼくは今、自分が誰なんだかピンと来てないんだから。
(今ぼくがもの凄く走っている理由は、きっと買い物におでかけ中なのだろう)
そんなわけないのに、そう思う。脳や身体がひたひたと浸されていく。身の上にこんな変化が起こったのは初めてであり戸惑う。
意識混濁したまま、しかし立ち止まることなく、両脚を繰り返し動かした。峠道を下り飯山市の商店街をゆけば、昭和の香り漂うスナックやパブがならび、妖しの香を漂わせるスナックのお姉さん方が、店の玄関で客を見送っている。こんな古刹建ち並ぶ雪国の小京都にも男と女のラブゲームはあるんだろうね、ぼくも加えてもらえないだろうか。お姉さん、ぼくを誘ってはくれまいか。そしたら走るの中断できるのにな・・・。
後方から賑やかなランナーの集団が現れる。傷だらけで前進する鈴木お富さんとサポート役の渡辺さん、赤いテンガロンハットをかぶった男前の松崎さん、すり足でナイスピッチを刻む阿部さん、そして阿部さんのサポートカーだ。途中、誰も追い越さなかったのになぜだ? そこでぼくは353.8キロ地点(CP18・長野県飯山駅)のチェックポイントを通過せず300メートルほどショートカットしたことに気づく。大会指定のコースでは、飯山の市街地で何度か交差点を曲がらなくてはいけなかったのに! 頭では理解していたはずになのに、ただ真っ直ぐ走り、いい匂いのするスナックのお姉さんに見とれていた! サポートカーのご夫婦が道を間違えた地点まで車に乗せてくれるという。ありがたい。自分の足で引き返すとなるとタイムロスが大きい。またまたご夫婦には迷惑をかけてしまった。図々しくてすみません。
道を間違えたことで、半分飛んでいた意識が戻る。1〜2キロ先にはランナーの集団がいる。追いつこう。必死で走ろう。
第三関門まで40キロ、閉鎖まで残り7時間少々。関門に遅れ、途中リタイアして帰るくらいなら死んだ方がマシだ、と痛切に思う。「死んだ方がマシだ」なんて言葉はその気もないのに使ってしまうフレーズだけど、今は心の底からそう思える。脚が壊れてもいい、心臓が張り裂けてもいい、残り40キロを全力で走りきってやろう。
リュックのなかの荷物で捨てられる物はすべて捨てる。身につけた防寒具をぜんぶ脱ぎ捨てる。申し訳ないけど100均で買ったものだ、お役目ごくろうさん。極限まで身軽にし、走りに集中する。さらに鎮痛剤を4錠飲む。用法に書いている倍の量だ。痛みが消え失せ速く走れるなら、胃に穴ボコの1つや2つ開いたっていいのだ。
猛然とピッチをあげる。空中を飛ぶようにストライドを延ばす。眠っていた筋肉が目覚めたのだ。ずっとスローペースだったから速筋は使ってなかったのだ。キロ6分を切るペースで朝もやを切り裂く。遮二無二駆ける。ハーフマラソンの終盤を走っているよう。見通しのいい広い道路の彼方に先行ランナーが見えてくると目標地点にし、さらなるペースアップ! 走っても走ってもまだ走れるぞ。20キロの間に10人ほどのランナーを追い越す。猛然と走るぼくにランナーたちが「何が起こったの?」「ナイスラン!」と叫びながらついてくる。あはは、みんな変だ。黄金連休の間じゅうずっと走ってる人たちはやっぱり変だ。皆、関門に間に合う程度に自重して走っていたのに、このペースに追走してくるなんて、走るのが好きでたまらないんだ、きっと。
そしてぼくは、1人力尽きた。
関門まで20キロを残し、オールアウトになった。走っているのか歩いているのか、そのどちらでもなく「漂う」という表現が合っている。気がつくと道路をナナメに横切っていたり、側溝に落ちる寸前だった。見かねたランナーの方が「これ飲むと目が覚めるよ。成分はカフェインです」と大きな錠剤をくれた。飲むとノドから胃にかけてスースーし、少しは意識が戻った。
走りを再開するとつらくなってきて涙が出てきた。何かに感動しているのではなく、想い出に浸っているのでもない。ただ単につらいからホロホロ泣く。つらくて痛くて我慢できないから喉をつまらせて泣く。こんなのは子供の頃以来だな。
携帯にメールが届く。昨年サハラマラソンを一緒に走った獨協大生の山口洋平君からだ。添付された画像を開くと、東京から新潟駅前間の高速バスのチケットの写真。「オレ、明日新潟行きまーす♪」と陽気に書いている。そうか、ぶじ新潟の日本海までたどり着けば、そこに待っているのはキュートな女の子・・・じゃなくてむさ苦しい男子大学生なのか。ゴールで熱く抱擁しあう男子2人を想像すると絶望感が深まる。なぜ女子大生でなく男子大生なのかと運命を嘆く。
長野・新潟の県境を越える。太陽が昇るとアスファルトが焼けるように熱される。シューズのソールを通して熱気が充満し火傷しそうだ。かげろうさえ立ち上りそうな熱気のなか、394.0キロ地点(CP19・新潟県津南町「深雪会館」)の第三関門にたとり着く。関門閉鎖まで17分、最後は潰れたとはいえ20キロの全力疾走がなければ絶対にアウトだった。スタートから98時間、まる4日目である。
「深雪会館」はJR津南駅前にあるひなびた旅館。玄関はランナーの脱いだ靴で満杯。一段あがった廊下まで靴であふれ返っている。何はさておきメシだ、メシ。大会スタッフの美女軍団が、そこいらへんの高級クラブなど足元にも及ばぬ献身的な接待をしてくれる。まずは冷たいビールを一杯。そして特製カレー、特製親子丼、野菜サラダ、粒あん入りフルーツカクテルと、もりもり食べる。全部でおかわり8杯! 他のランナーの食べ残しまで平らげる。なんて幸せなひとときだ。
食事を終え、宿のお風呂を覗いてみると、洗い場が2カ所しかない狭い浴室。そういえば目と鼻の先にあるJR津南駅の駅舎に「温泉のある駅」との垂れ幕が掲げられていた。駅周辺の散策も兼ねてぶらっと散歩してみようと思いたち玄関に向かうが、自分のシューズが見当たらない。困ってうろうろしていると大会スタッフの女性に「どこか出かけるの?」と尋ねられる。「ちょっと散歩にと思って靴を探してるんですが、なくて・・・」と答えると、彼女は目をまん丸くして叫ぶ。「これだけ毎日散歩みたいなことしてるのに、まだ散歩し足りないの!?」。うーん、なんかボケ老人あつかいだよね。そして「一日100キロも歩き回ってるんだから、ちょっとは休んだらどう?」と説教される。言われてみればそれもそうだよなーと納得して、宿の風呂に引き返す。鉄成分がたっぷり含まれた赤茶けた湯を愉しみながら「せっかく温泉地に来たんだから土産物店とか散策に行きたいな〜」とまた思う。どうもまだ自分の立場がわかっていないようだ。
さて日本海のゴールまで残り126キロ、ここまで来りゃあ泣きながらでも爆走するしかないでしょうよ! (次回につづく)
長野県小諸市〜新潟県津南町 130キロ
目が覚めると、しごく元気だった。
なぜぼくは元気なのか?と軽い疑問を抱き、上布団に抱きついたままの格好で記憶をたどる。数時間前、まっすぐ歩けないほどヨレヨレでこの寝床に沈んだはずだ。寝る前はゾンビ状態、寝起きがハッスル状態ということは・・・まずいっ!長時間眠りこんでしもたかっ!と跳ね起きる。
腕時計に目をやる。デジタル文字は 02:00 と示しているが、しばらく熟慮しないと数字の意味がつかめない。眠りについたのが午前1時だから、引き算すると睡眠1時間。それなのにこの四肢から溢れるやる気マンマンはなんだ? もう少し睡眠を継続するべきか、だが走らずにはいられない高揚感。
4階にある雑魚寝部屋を抜けだし、2階の選手・スタッフ控室に向かう。エレベーターホールのソファや廊下の長椅子に、2時間前に到着したままの格好でランナー数人がうなだれている。彼らは着替えをする余裕も、仮眠室に移動するエネルギーも切れてしまっているのだ。
控室の大部屋では、4人のランナーが出発準備をしている。初日にあっさり抜き去られた選手たちと3日ぶりの再会だ。ぼくはスピードに欠けるものの、睡眠を毎日1〜2時間しか取ってないので、前を行くランナーに追いついているって構図。
選手サポート役のトライアスリート渡辺さんが、浜に打ち上がったマグロのごとく畳の上でゴロ寝している。ぼくの気配に気づいた渡辺さんが、寝ぼけマナコで「朝メシ調達しといたから食べて」とカップ麺とおむすびを差し出す。「小諸グランドキャッスルホテル」内や周辺には深夜到着後に食事できる店がなく、食料調達が必携なのだ。しかし関門クリアすら危ういぼくにコンビニに立ち寄る時間もなかった。朝メシは渡辺さんの温情なのだ。この夜食べた「マルちゃん・ピリ辛ニラとんこつラーメン」の味は、生涯忘れることはないだろう。湯気が鼻腔を刺激し、鼻水とも涙ともつかない液体が顔を濡らす。小腸から吸収されたマルちゃん・ピリ辛ニラとんこつラーメンは、血液に溶けこむと瞬時に全身をかけめぐる。血糖値が一気に上昇し、ジャック・ハンマー(範馬刃牙の腹違いの兄)がステロイドのアンプルを噛み砕き筋肉をバンプアップするがごとく野獣の嘶き!
人間、寝んでもどうっちゅうことないんじゃ〜!と嬉しくなって、夜も明けぬ小諸市の街へと走りだす。
が、ハイテンションは束の間の夢であった。1時間の熟睡効果とマルちゃんラーメンのエナジーは10分ほどで切れ、睡魔がわらわらとやってくる。いよいよ立っていられなくなって信濃国分寺駅前のベンチで30分仮眠する。目覚めても動く気がせずぼーっと座っていると三遊亭楽松さんがやってきた。トラブルが発生しているらしい。宿泊したホテルで脱いであったシューズが無くなったという。おそらく誰かが間違えて履いていったのだろう。予備のシューズを持参していたが新品で足に馴染まない。楽松さんは、シューズの中敷きを何枚か重ね、数百キロの距離を踏み重ねて自分の足に合った状態に「作り」あげてきたのだとか。ショックが大きいようだ。
楽松さんと別れ、とぼとぼ前進する。それにしても暑い。この日、列島各地で気温25度を超す夏日となる天気予報が出ている。標高500メートルの長野盆地も例外ではない。ガソリンスタンドの前を通るとFMラジオが流れているが、地元ラジオ局のDJは午後には27度にも達しようかという気温の話ばかりして暑さに拍車をかける。だらだら走っていると、264.7キロ地点(CP13・長野県小諸市)から283.5キロ地点(CP14・長野県上田城跡)の間に、全員のランナーに抜かれる。
上田市街を抜けると川幅と流量を増した千曲川が陽光を浴び、ギラギラと揺れている。山塊をくり貫くように造られた一直線の車道には、天を遮るものはなく日よけとなる陰もない。歩道の幅が狭く、細かな段差があって難儀する。太腿を上げる筋力が衰え、5センチの段差にも脚を引っかけてコケそうになる。脳天にふりそそぐ直射日光は暴力的で、アタマの表面をジリジリと焼く。水道の蛇口を見つけるたびにタオルに水を浸し、頭に巻いて気化熱で涼もうと目論むが、20分もたたないうちにカラカラに乾いてしまう。日焼けした唇がぱんぱんに腫れ、裂傷となって血が流れだす。「リップクリームは必携」とベテランランナーが自慢げに唇に塗りたくっていた光景を思い出したが、時すでに遅し。
長野市が近づくにつれ車道が6車線に拡がり、自動車の通行量が増える。308.1キロ地点(CP15・長野県長野市篠ノ井橋)前後で、ぞくぞくと後続のランナーに追い越される。後続といっても、520キロレースでぼくより遅いランナーは既にいない。追い越していくのは今朝、長野県小諸市を出発した「後半ハーフ」のランナーだ。川の道フットレースでは、東京〜新潟間520キロを「フル」と呼び、東京から中間点である長野まで265キロを走る部門を「前半ハーフ」、長野〜新潟間255キロを「後半ハーフ」と呼んでいる。ランナーは「フル」「前半ハーフ」「後半ハーフ」いずれかのレースに参加しているのだ。
255キロなんて、それだけでもたいがいのものだが「ハーフ」扱いである。そこに奥ゆかしさやユーモアを感じ、好感を抱く。「ハーフ」を走るランナーは皆、ヨレヨレのぼくに励ましの言葉を残してゆく。「東京から300キロでしょ、ここまで走ってるだけで凄いですよ!」「私もいずれフルを走りたいです。フルの皆さんを尊敬しますよ、頑張ってください!」。励まされる都度、ぼくはにんまりする。ふだんめったに他人に誉められないから、凄いとか尊敬とか良いこと言われるとアホみたいに嬉しいのである。
長野市の中心街に入る手前に犀川(さいがわ)にかかる丹波島橋を渡る。この川の最上流域は北アルプス直下の上高地、さらに源流をたどれは孤峰・槍ヶ岳。川の流れは、遠い海を求めて旅しているのではない。水は、より低い位置へと自然に移動しているだけだ。走るってこともそうなのかな、と思う。いまこの瞬間に繰り出す一歩が大事なのだ。立ち止まらず、走り続けることが自分には必要なのだ。だから走っている。
犀川の奧に連なる山の端に夕陽が落ちる。高層の観光ホテルや官庁のビルが紅く染まっている。321.0キロ地点(CP16)、善光寺の境内に着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。善光寺の門前にずらりと並ぶ土産物店には、信州名物の「おやき」や抹茶ソフトクリームなどスイーツが目白押し、と調査済みである。ところがどうだい、100軒は連なろうかというお店が1軒たりとも開いていないではないか。
なりふり構わずそこらへんの観光客を問い詰めると、ここら一帯、夜6時になると一斉に店じまいをするのだとか。朝から一日じゅう「善光寺でおやきを食べる」という強い目的意識と高い向上心を抱いて頑張ってきたのに・・・。おやきを食べられないという現実に打ちひしがれながら、石畳の参道を駆けあがる。本堂の賽銭箱にはいつになく張り込み100円玉1枚を投じる。「100円も払うんですから、必ず完走させてください」と費用対効果として大きすぎるお願いを阿弥陀如来様に一方的にリクエストし、きびすを返す。
おやきにありつけなかったためか、空腹感が暴れだす。今朝からコンビニで買ったアイスクリーム3個しか口にしていない。長野市の繁華街にはチェーンのレストランが煌々と光を放ち、幸せそうに食事をついばむファミリーやカップルの姿が窓ガラス越しに見える。
できればメシを食いたい。しかしレストランに入り15分も20分も時を消費すれば、70キロ先に待つ第三関門の閉鎖時間に間に合わなくなる。レストランの排気口から漂う香しい匂いは拷問に等しい。テーブルに美食を並べ微笑みあうカップルを、恨みの視線で焼き尽くそうと試みる。
道沿いに「スポーツエイドジャパン」のステッカーを貼った車が停まっている。スポーツエイドジャパンは、この川の道フットレースの主催者である。遠く長野の地までエイドを設けてくれているのかと驚きつつ、夢中で車に駆け寄り「何か、何か、何でもいいので食べ物をください・・・」と懇願すると、おにぎりを2個もらえた。脱兎のごとくおにぎりを掴み取り、走りながら貪り食う。戦時中に配給をもらう貧乏少年風情である。これで、これで朝までのエネルギーがきっと保つ、と安心する。
後で知るのだがこの車は主催者のエイドカーではなく、岩手県から来られた女性ランナー・阿部さん個人をサポートする応援車だった。つまりぼくは、阿部さんの食料をかすめ取った蛮民なのでした。そしてこの後もぼくは、阿部さんをサポートする親切なご夫婦からおにぎりを何個もいただき続けることになる。どうも図々しくてすみません。
336.3キロ地点(CP17・長野市浅野交差点)を右折すると登りがはじまる。長野市街の夜景が眼下に沈んでいく。蛇行する山道に街灯は少ない。深夜0時、人の気配のない道に、ときおり集落が現れる。地図と照らし合わせながら、自分の位置をつかもうと努力する。さっき通過した村に、もう一度入っていく錯覚に捕らわれる。息が上がるほど全力走しているのに、地図を見ると30分前から少しも進んでいない。焦る。苦労が報われないことに落ち込む。完走は無理なのかと諦めそうになる。
峠道にさしかかると、星のきれいな夜空と光源ひとつない地面との境目が不確かになる。自分の姿も見えない。手脚を前へ前へと繰り出しても、同じ場所でうごめいている様子になる。ふいに奇妙な疑問にとらわれる。
(あれっ、なぜぼくはこんな所を走っているのだろう?)
よく考えてみる。これはマラソンレースだ、とても長いレースの途中だ・・・答えを出すまで数分かかる。少し頭がおかしくなっているのだろうか。また別の感情が頭をもたげる。
(ここはどこなんだろう。なぜ、どこにいるのかわからないんだろう?)
なかなか解答が出てこない。かろうじて正常を保っている脳みその一部分が返事を寄こす。ここは長野県の山中で、今は新潟に向かっているところだ。
だんだん疑問レベルが根源的になってくる。
(ぼくは誰なんだろう。自分の名前は言えるだろうか)
かろうじて名前は言えたが、現実認知があやふやだ。そして自分が自分であるとは何と不確かなことかと驚く。ぼくは今、自分が誰なんだかピンと来てないんだから。
(今ぼくがもの凄く走っている理由は、きっと買い物におでかけ中なのだろう)
そんなわけないのに、そう思う。脳や身体がひたひたと浸されていく。身の上にこんな変化が起こったのは初めてであり戸惑う。
意識混濁したまま、しかし立ち止まることなく、両脚を繰り返し動かした。峠道を下り飯山市の商店街をゆけば、昭和の香り漂うスナックやパブがならび、妖しの香を漂わせるスナックのお姉さん方が、店の玄関で客を見送っている。こんな古刹建ち並ぶ雪国の小京都にも男と女のラブゲームはあるんだろうね、ぼくも加えてもらえないだろうか。お姉さん、ぼくを誘ってはくれまいか。そしたら走るの中断できるのにな・・・。
後方から賑やかなランナーの集団が現れる。傷だらけで前進する鈴木お富さんとサポート役の渡辺さん、赤いテンガロンハットをかぶった男前の松崎さん、すり足でナイスピッチを刻む阿部さん、そして阿部さんのサポートカーだ。途中、誰も追い越さなかったのになぜだ? そこでぼくは353.8キロ地点(CP18・長野県飯山駅)のチェックポイントを通過せず300メートルほどショートカットしたことに気づく。大会指定のコースでは、飯山の市街地で何度か交差点を曲がらなくてはいけなかったのに! 頭では理解していたはずになのに、ただ真っ直ぐ走り、いい匂いのするスナックのお姉さんに見とれていた! サポートカーのご夫婦が道を間違えた地点まで車に乗せてくれるという。ありがたい。自分の足で引き返すとなるとタイムロスが大きい。またまたご夫婦には迷惑をかけてしまった。図々しくてすみません。
道を間違えたことで、半分飛んでいた意識が戻る。1〜2キロ先にはランナーの集団がいる。追いつこう。必死で走ろう。
第三関門まで40キロ、閉鎖まで残り7時間少々。関門に遅れ、途中リタイアして帰るくらいなら死んだ方がマシだ、と痛切に思う。「死んだ方がマシだ」なんて言葉はその気もないのに使ってしまうフレーズだけど、今は心の底からそう思える。脚が壊れてもいい、心臓が張り裂けてもいい、残り40キロを全力で走りきってやろう。
リュックのなかの荷物で捨てられる物はすべて捨てる。身につけた防寒具をぜんぶ脱ぎ捨てる。申し訳ないけど100均で買ったものだ、お役目ごくろうさん。極限まで身軽にし、走りに集中する。さらに鎮痛剤を4錠飲む。用法に書いている倍の量だ。痛みが消え失せ速く走れるなら、胃に穴ボコの1つや2つ開いたっていいのだ。
猛然とピッチをあげる。空中を飛ぶようにストライドを延ばす。眠っていた筋肉が目覚めたのだ。ずっとスローペースだったから速筋は使ってなかったのだ。キロ6分を切るペースで朝もやを切り裂く。遮二無二駆ける。ハーフマラソンの終盤を走っているよう。見通しのいい広い道路の彼方に先行ランナーが見えてくると目標地点にし、さらなるペースアップ! 走っても走ってもまだ走れるぞ。20キロの間に10人ほどのランナーを追い越す。猛然と走るぼくにランナーたちが「何が起こったの?」「ナイスラン!」と叫びながらついてくる。あはは、みんな変だ。黄金連休の間じゅうずっと走ってる人たちはやっぱり変だ。皆、関門に間に合う程度に自重して走っていたのに、このペースに追走してくるなんて、走るのが好きでたまらないんだ、きっと。
そしてぼくは、1人力尽きた。
関門まで20キロを残し、オールアウトになった。走っているのか歩いているのか、そのどちらでもなく「漂う」という表現が合っている。気がつくと道路をナナメに横切っていたり、側溝に落ちる寸前だった。見かねたランナーの方が「これ飲むと目が覚めるよ。成分はカフェインです」と大きな錠剤をくれた。飲むとノドから胃にかけてスースーし、少しは意識が戻った。
走りを再開するとつらくなってきて涙が出てきた。何かに感動しているのではなく、想い出に浸っているのでもない。ただ単につらいからホロホロ泣く。つらくて痛くて我慢できないから喉をつまらせて泣く。こんなのは子供の頃以来だな。
携帯にメールが届く。昨年サハラマラソンを一緒に走った獨協大生の山口洋平君からだ。添付された画像を開くと、東京から新潟駅前間の高速バスのチケットの写真。「オレ、明日新潟行きまーす♪」と陽気に書いている。そうか、ぶじ新潟の日本海までたどり着けば、そこに待っているのはキュートな女の子・・・じゃなくてむさ苦しい男子大学生なのか。ゴールで熱く抱擁しあう男子2人を想像すると絶望感が深まる。なぜ女子大生でなく男子大生なのかと運命を嘆く。
長野・新潟の県境を越える。太陽が昇るとアスファルトが焼けるように熱される。シューズのソールを通して熱気が充満し火傷しそうだ。かげろうさえ立ち上りそうな熱気のなか、394.0キロ地点(CP19・新潟県津南町「深雪会館」)の第三関門にたとり着く。関門閉鎖まで17分、最後は潰れたとはいえ20キロの全力疾走がなければ絶対にアウトだった。スタートから98時間、まる4日目である。
「深雪会館」はJR津南駅前にあるひなびた旅館。玄関はランナーの脱いだ靴で満杯。一段あがった廊下まで靴であふれ返っている。何はさておきメシだ、メシ。大会スタッフの美女軍団が、そこいらへんの高級クラブなど足元にも及ばぬ献身的な接待をしてくれる。まずは冷たいビールを一杯。そして特製カレー、特製親子丼、野菜サラダ、粒あん入りフルーツカクテルと、もりもり食べる。全部でおかわり8杯! 他のランナーの食べ残しまで平らげる。なんて幸せなひとときだ。
食事を終え、宿のお風呂を覗いてみると、洗い場が2カ所しかない狭い浴室。そういえば目と鼻の先にあるJR津南駅の駅舎に「温泉のある駅」との垂れ幕が掲げられていた。駅周辺の散策も兼ねてぶらっと散歩してみようと思いたち玄関に向かうが、自分のシューズが見当たらない。困ってうろうろしていると大会スタッフの女性に「どこか出かけるの?」と尋ねられる。「ちょっと散歩にと思って靴を探してるんですが、なくて・・・」と答えると、彼女は目をまん丸くして叫ぶ。「これだけ毎日散歩みたいなことしてるのに、まだ散歩し足りないの!?」。うーん、なんかボケ老人あつかいだよね。そして「一日100キロも歩き回ってるんだから、ちょっとは休んだらどう?」と説教される。言われてみればそれもそうだよなーと納得して、宿の風呂に引き返す。鉄成分がたっぷり含まれた赤茶けた湯を愉しみながら「せっかく温泉地に来たんだから土産物店とか散策に行きたいな〜」とまた思う。どうもまだ自分の立場がわかっていないようだ。
さて日本海のゴールまで残り126キロ、ここまで来りゃあ泣きながらでも爆走するしかないでしょうよ! (次回につづく)
2010年06月30日
また連載中のさらランキングは、買ってよかった〜♪ 最近のヒット! ランキング。グリルパン、設置型ワンプッシュ蚊取り、家庭用精米機…などなど一度使ってみるとめちゃ便利! なアイテムが10個。手放したく無くなるモノがきっと見つかるはず!
2010年06月28日
夏は出かけたい場所がい〜っぱい!花火、夏フェス、祭り、キャンプ…。県内のサマーレジャー情報をギュッと詰め込みました!
★最新スイーツコレクション★
旬のフルーツを使ったケーキ、ひんやりプルプルのゼリーなどなど、この季節ならではのスイーツが各店に続々登場中! 夏の甘ーい幸せを噛みしめて。
2010年06月24日
月刊タウン情報トクシマ5月号 実売部数を報告します。タウトク5月号の売部数は、
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メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
月刊タウン情報CU5月号の実売部数を報告します。CU5月号の売部数は、
4,383部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2010年06月23日
月刊タウン情報CU4月号の実売部数を報告します。CU4月号の売部数は、
4984部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2010年06月18日
結婚しちゃお!春号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!春号の売部数は、
971部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
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