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2011年09月06日

結婚しちゃお!夏号 実売部数報告11夏号_結婚しちゃお!部数報告書.pdf

結婚しちゃお!夏号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!夏号の売部数は、892部でした。
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メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。

2011年09月05日

月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数報告1108_タウトク部数報告.pdf

月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数を報告します。タウトク8月号の売部数は、
8,831部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。

雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
月刊タウン情報CU8月号 実売部数報告1108_CU部数報告.pdf

月刊タウン情報CU8月号の実売部数を報告します。CU8月号の売部数は、
5,016部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。

長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。

2011年09月02日

バカロードその38 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ70(最終日)
■8月27日、ステージ70
距離/56.6キロ

大型ハリケーン「アイリーン」の直撃により、ニューヨークは今日正午から公共機関が全面ストップ。ニューヨーク市長が緊急記者会見。非常事態宣言を発令。市民30万人に対し避難命令を勧告。すでに高潮が沿岸部を襲いつつある。
・・・眠れない夜、テレビでは台風特番の報道番組が続いています。
問題は、歩行者がニューヨークの中心マンハッタン島へと渡れる唯一の橋、ジョージワシントンブリッジが閉鎖される可能性があるということ。
ランナーは平均走行速度の遅い順に3組に分けられ、1時間おきの時差スタートが組まれました。もちろんぼくは朝一番にスタートする「スローグループ」です。午前5時にスタートし、午前11時30分にはジョージワシントン橋を渡りはじめておきたい。橋のたもとまで距離43キロを6時間30分以内に走る必要があります。
7名のランナーが午前5時にスタートしました。そしてスタート直後、全員が曲がり角を間違えあらぬ方向へと走ってしまいました。いきなり5分以上のロスタイムです。深い深い霧をついて、ランナーたちは先を急ぎます。ぼく自身は、後半脚が動かなくなることを想定し、先頭を突っ走りました。15キロほどムチャ走りし、そしてダメージ色濃くなると、のろのろ走りに逆行。次々とランナーに抜かれ、さらに1時間後の「ミドルグループ」選手たちや2時間後スタートのトップランカーたちにも続々抜かれて、定位置のドンケツに後退しました。そんなことを気にしてはいません。橋が渡れたらいいのです。摩天楼が天を衝く、70日間夢に見たマンハッタンに自分の脚で渡れたら文句ないんです。
午前11時頃には天候が荒れはじめ大粒のシャワー雨に浸かります。景色を白く濁らせる驟雨の中、ゴチャゴチャした街並みの奧に、ジョージワシントン橋の巨大な支柱が見えてきました。
こんな劇的な場面なのに、ぼくの頭の中には吉本新喜劇の今別府がモノマネする「レインボーブリッジ、封鎖できません!」のフレーズがエンドレスでリピートしはじめます。まったく雰囲気もクソもありません。
大雨の中、大会スタッフが傘もカッパもなしのびしょ濡れで橋のたもとで待っていてくれました。「橋は閉鎖されてない。行け、行けBANDO!」。

ハドソン川に架かる長大橋からは、ニューヨークの摩天楼はモヤに霞んで見えません。だからって哀しくはありません。太平洋からここまで自分の脚でやってきた。その事実だけでもうおなかいっぱいです。
マンハッタン島に降り立ちます。高層ビル群が風をさえぎるのか、風雨が少し収まりました。こんな日和でも、上半身裸の男性ジョガーはたくさんいます。たまたまペースが一緒になった日本人ランナー田中義巳さんと「このジョガーのフルのタイムは3時間09分」「いや15分くらいじゃない?」などと無邪気に予想しあいっこしながら川沿いの公園通りを歩きます。田中さんは日本に初めて「ジャーニーラン」という思想をもたらした大人物。今流行のトレイルランが「ランニング登山」と呼ばれていた時代から日本アルプス全山マラソン大縦走を成し遂げ、東海道500キロを7日連続で走る大会の主催者として「ステージラン」という競技を広く流布させた当ジャンルの伝説的カリスマな方ですが、実際の人物像はとても柔和で、趣味が広く楽しい人です。
その田中さんの、マンハッタン満喫歩きにもついて行けなくなるほど脚が前に出なくなりました。ゴールまで10キロ。本来は70日間の全行程を振り返り、感動を胸に、きちんと走るべきフィナーレの10キロだというのに、筋肉のどこにも力が入りません。強度のハンガーノックのような症状です。ヒザ関節はカックンカックン抜け、皮膚の表面が麻痺したような感覚。頭にはまったく何も浮かびません。ただ真っ白です。思い出すこともなく、ゴールへの感慨も湧きません。1キロ進むのに15分以上もかかり、夢遊病者のように左右に蛇行しながら歩いています。

大繁華街ブロードウエイに入ると、摩天楼が左右にそびえ立つ最もニューヨークらしい風景。旅行者らしいカップルがぼくの背中のゼッケンを見て「何かレースをしているの?」と話しかけてきたので、大陸横断レースの事情を話していると「私たちもゴールまで着いていっていい?」とリクエストします。けっこうな雨が降っていて、2人とも傘も持ってなくてびしょ濡れなんだけど大丈夫なのかな。「まだ3キロくらい距離があると思うけど、君たちがそうしたいならぼくは構わないよ」と答える。スペインから旅に来たという2人。女性の友人にサバイバルレースやウルトラマラソンをやってる人がいるらしくて、事情に詳しく質問も的確。アレコレ答えているうちにゴールが近づいてきました。夢遊病的に歩いていたぼくも、彼女にややこしいレースの説明をしてるうちに脳みそも蘇ってきました。
いよいよラスト200メートルかなって所でカップルの男性にデジカメを渡し、ぼくの後方から追っかけてゴールまでの動画を撮ってもらうことにしました。男性、なにやら張り切りはじめ、にわかカメラマン魂がパチパチ燃えている模様です。

突然、クラクションを鳴らす連続音やラッパを吹くような音が摩天楼の谷間に響きわたりはじめました。「BANDO!こっちだ!ここがニューヨークだ!」。70日間、ぼくを鼓舞しつづけてくれた大会スタッフの姿が見えた瞬間、熱い気持ちが吹き出しました。朝まで一緒にいた人たちなのに、なぜか懐かしくて、大切な友人に再会したような気持ちになりました。自分がゴールするという歓びではなく、この長い長い戦いを支えてくれた人たちと抱きしめあえる喜びに、胸から喉へと熱い塊が次々と湧き上がってきます。

ゴールテープがそこに見えます。これで終わりです。
自分が走りきったという達成感はありません。
結局、ぼくには何もできませんでした。
砂漠で倒れたときも、峠道で脚が動かなくなったときも、人に助けられました。
ゲロを吐きつづけ意識がほとんどなくなっていても、鼻血をたれ流し、足の裏の皮がめくれあがっても、周囲の誰一人として「もうこの辺にしておけよ」「きみには無理だろう」とは言いませんでした。「絶対にゴールに行けるから!」「ニューヨークに行かなくちゃ!」と励ましてくれました。だからここまで来れました。言葉が持つエネルギーが、ぼくをここに運んでくれました。

ニューヨークに到着してわかったことがあります。ぼくが目指しつづけていたのは、現実に存在するニューヨークという街ではなく、自分の夢や目標のありかを指していたんです。

ゴールテープを切ると、大会スタッフに腕を取られ、氷と缶ジュースがたっぷり入ったクーラーボックスの上に腰掛けさせられました。「BANDOはスプライトだろ?」と缶のスプライトの栓をシュッと開けて手渡してくれました。砂漠でふらふらになってるとき、彼が何度もやってきては、霧吹きで氷水をかけてくれ、スプライトを飲ませてくれたことを思い出しました。スプライトを一口飲むと、ぐずぐずと泣けてきてクーラーボックスの上で泣き続けました。雨に濡れっ放しで動画撮影してくれてる通りがかりのスペイン人カップルの方を見やると、彼と彼女もなぜか泣いていました。


記録/10時間02分
バカロードその37 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ69(夜)
主催者ロールさんは全選手・全サポートクルーを前に、こんな話をはじめました。

良くないニュースです。明日、ニューヨークに大型ハリケーンがやってくるという予報が出ています。
ゴールのセントラルパークが閉鎖されるため、ゴールとなる場所を変更せざるを得ません。また、地下鉄やバスなと公共交通機関も止まります。ここからが重要なのだけど、マンハッタン島へと通じる唯一歩行者が利用できるジョージワシントン橋が通行不能になる可能性があります。通行止めが公共交通機関に合わせたものなら正午、歩行者は渡るのに時間がかかるため、その30分前の午前11時30分と考えられます。もし橋が閉鎖されたら誰もゴールできないという事態もありえます。
わたしたちが取れる対策を考えました。
当初予定していたスタート時刻、朝6時を1時間早めて朝5時とします。スタート地点からジョージワシントン橋まで43キロ。通行止めになる前、なるべく早い時刻に渡ってしまうのです。ランナーはできるだけ急いで橋まで行ってほしい。
もし1人でも渡れないランナーが出た場合は、平等性を確保するため、橋のたもとへの到着時間を当日のゴールタイムとします。たのため大会スタッフが橋の手前で待機します。
ゴールは当初予定のセントラルパークからブロードウエイ沿いにある選手指定ホテルの玄関前に変更します。

・・・なるほど。この大会らしいフィナーレじゃないか、と思いました。最後の最後の最後まで、まともに終わらせてはくれないのです。「ヘタしたらランナー全員ニューヨークに行けなくなります。完走者ゼロという事態だってあります。橋が渡れなければハドソン川を泳いで渡るという方法もありますが賛成の方はいますか?」と半分ジョーク、半分本気の説明が続いています。どうやら主催者ロールさん、ぼくのゴールを待ってるうちに酒を飲みすぎて酔っぱらっている模様です。
明日は何が起こるか誰もわからない。なんかわくわくしてきて、今夜は眠れそうにありません。
徳島人創刊号 実売部数報告1108創刊号_徳島人部数報告書.pdf

徳島人創刊号 実売部数報告です。
徳島人創刊号の売部数は、5,494部でした。
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メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。

2011年09月01日

さらら9月1日号は、災害対策大特集 tokushima-salala0901.jpg東日本大震災を受けて、私たちが今しておくべきことは? 地震にまつわるあらゆる「?」に迫った今回の特集。徳島で考えられる南海地震の特徴をはじめ、津波の被害予測を知る方法に、いざという時とるべき行動、災害時に役立つ通信手段などについて、専門家の方にうかがいました。また、今日からできる備えや今注目の防災アイテムも集結。改めて、災害に対する意識を家族で高め合いましょう。

また、表紙で好評連載中のさらランキング!では、この夏行ってよかったレジャースポットを紹介。集まったのは、クルーズ、海、高原、ダムなど、行くと爽やかな気持ちになれる場所ばかり。まだまだ残暑の厳しい今年は、夏休みが終わっても水辺や草原で涼みたい! ぜひ週末のおでかけの参考にしてみて。

2011年08月31日

バカロードその36 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ69
■8月26日、ステージ69
距離/77.3キロ

絶望的に身体が走ることを拒否しています。走れるのはあとたった2日。だから走る意思は強くあるのに、鉛の脚はどこまでも重く、視界30メートルの霧のなか、集団から取り残されます。体力、もうとうに限界越してるんでしょう。
20キロすぎに右足を着地した際、足の裏からスネ、そして頭の先まで電気が流れました。今まで味わったことのない衝撃で、以降は右脚全体に力が入らなくなってしまいました。
峠道に入り、後ろから股関節を大負傷しているパトリック選手が顔を歪めながら登り坂を駆けてきます。どっちの負傷の度合いがきついのかはわからないけど「怪我人に負けとれん」という気持ちに火がつき、以後25キロ彼と抜きつ抜かれつを繰り返しました。最も尊敬するランナーの彼と、最後にこんな時間が持てたことが嬉しいです。パトリック選手には家族や知人など6人の応援団が車で追走していましたが、ぼくに対しても拍手と声援を送り続けてくれ、また彼の息子さんは信号がある度に、ぼくのためにタイミングよく歩行者用ボタンを押して待っていてくれました。
やがて脚がダメになりパトリックに置いていかれました。なんとかペースを維持して制限時間の5分前にゴールできるよう走っていました。
ところがゴールまで残り5キロ地点で道を見失いました。大会指定コース上に、あるべき曲がり角が見つからないのです。いったりきたりしてるうちに時間が過ぎていきます。そこに地元の女性市民ランナーがジョギングで現れたので、早口で事情を説明すると「わかったわ。私が先に行って指定の道路があるかどうか見てきてあげる!」。そして猛スパートて前方に消えました。何分も経たないうちに彼女が引き返して来て「500メートルいけば道があるわ!」。
道がわかったのはよかった。問題は当初指定より距離が1キロ長いのである。ダッシュしなきゃ時間に間に合わない! 残り5キロ、突然のラストスパートを強いられます。走る、走る。最後まで楽などさせてくれるはずがないじゃないか、この大会が! 必死こいて制限時間鎖3分前にゴールすると、主催者が待っていたので「距離が違〜う!関門アウトになるとこだった!」と訴えると、自信満々の表情で「私たちは完璧じゃない。1キロ、2キロ違うこともある。それがレースよ!ご不満?」と言うので「ぼくはドラマチックになって喜んでるだけだ。1キロどころか5キロ長くたって問題ない!」と虚勢を張りました。

夜、大会に関係する全メンバーが、ホテルのロビーに集まって、明日に控えるニューヨークのゴールについて主催者ロールさんから説明がありました。それは全てが想定外の話でした。


NYまで55キロ、あと1日
記録/13時間26分

2011年08月30日

食欲の秋、スポーツの秋、そしてお洒落の秋… 全てが詰まったタウトク9月号 tautoku1109★新店、新メニュー続々! 徳島ラーメン革命
情熱のスープ、研究し続けた麺…ラーメンにまつわるHOTな情報をお届け。
★店主おすすめアイテム目白押し オトナ古着STYLE
古着だからできるトレンドスタイルがある。徳島県内にある古着店16軒を巡る旅。
★さぁ、あなたも自転車デビューしてみない? TOKUSHIMA自転車LIFE
もはやブームという言葉では片付けられないくらい人気が高い自転車。風を切りながら颯爽と駆け抜ければ、いつもの風景も違って見える!

2011年08月27日

バカロードその35 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ68
8月25日、ステージ68

距離/82.2キロ

いつも言ってるセリフなんで信憑性が著しく低いですが、地獄の一日でした。
このレースの筋書きを書いてるヤツが空の上の方にいるんだとしたら、「もう山場いらんけん穏便に終わらせて…涙」と言いたいです。
今日、まさに67日間の縮図のような一日になりました。
朝から足裏の痛みがひどく、まったく走れません。あっという間に周囲からランナーは消え、一人だけの戦いがはじまります。今まで治してきたはずの脚の怪我が次々とぶり返しはじめ、もうそりゃ脚全体が痛みに覆われ、なすすべありません。
やむなく鎮痛剤を飲もうとランニングパンツのポケットから薬を取り出そうとした時、かつてアレキサンドロ選手がくれたペニー硬貨がすべり落ち、道路に空いた排水溝に消えてしまいました。
直後に、頭の真上で稲光が走り鼓膜をやぶらんばかりの落雷。そして土砂降り、道は濁流と化します。
さらに次々とトラブルが起こります。紅い湿疹が全身にできました。マタズレになり、股間が飛び上がるほど痛みます。ごていねいにもマメが今頃できました。いちばん痛みが強い拇指丘のとこです。
この67日間に起こった痛みが「オレのこと覚えてるか?懐かしいか?あんときゃともに苦しんだよな?忘れないでくれよ」と顔を出しにやってきます。
確かに記憶ってのは、楽しいことばかり残っていて、苦しいことや辛いことは忘れてしまいがちなもんです。ならば言いたい。ちゃんと覚えてるから(ほんとは忘れとったけど)、君達すっ込んどきなさい!
ニューヨークに着く2日前にして、あらゆる痛みが憤怒のことく現れた意味を考えました。緊張感の喪失か、本当の限界に達し身体が悲鳴をあげているのか。ブルース・リー師匠なら「考えるな、感じろ」と諭すとこか。ならば考えず、ただ痛みを感じ続けよう。
ゴール2キロ手前の道路にに、小麦粉の白い文字で「5000キロ突破」と書かれていました。
関門アウト十数分前にボロボロゴール。そうだ、最初の頃は毎日こうやって残り数分でゴールにたどり着いて、そのまま倒れこんで、人に肩や背中を借りてホテルの部屋まで移動してたな。

総合2位のパトリック選手が関門閉鎖に間に合わない位置で、まだ走っているます。脚と股関節を怪我し、病院に2時間行き、戻ってきてレースを続けています。身体を引きずるように前進しています。ぼくだけじゃない。みんな戦っています。

NYまで138キロ、あと2日
記録/14時間16分
バカロードその34 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ67
8月24日、ステージ67
距離/81.4キロ

今日もいろんな選手と競り合いました。温存の必要がなくなって、みな自由に走りはじめました。今までよりずっとスピード速いです。
ニューヨークが近づき、下町の熱気、人臭さが強烈になってきました。ゴミが風に舞い、子供は道路で踊り、スパイク・リーの映画に出てくるようなワルな連中がたむろしています。目を充血させた男らが何かをわめき散らしています。昼間から完全に飛んでいます。
アメリカの下町は、アジアの街の混乱ほど無秩序ではなく、南米の裏通りに満ちた殺気はなく、アフリカのドブ板スラムほどの貧困はありません。世界最大の経済・軍事大国のダウンタウンらしいファッショナブルさと豊かさに満ちています。適度な危険と猥雑さ。なかなか素敵です。
ニューヨークが近づくほど、レースが終わる実感から遠くなっています。この日々が終わるというイメージができません。
3日後のニューヨークよりも、明日この腫れあがった足の裏でちゃんと完走できるかどうか、そんな心配事が心を占めています。
今は安モーテルのベッドの上で、氷袋を足に縛りつけて、5時間後に迫る次のレースのスタートまでに足の腫れを小さくする努力をしています。
この日々があと3日でプツンと途切れてしまうのだろうか。走らない毎日って、どんなんだったっけ?

NYまで216キロ?あと3日?ふーむ
記録/11時間43分

2011年08月25日

バカロードその32 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ61〜ステージ65
8月18日、ステージ61
距離/78.8キロ

遠い昔、地理の教科書に載っていた記憶のあるアパラチア山脈に今日から突入しました。眉山の八万口の急坂を朝から晩まで登り降りしてるみたいです。山地といっても街はあり、けっこう大きな都市も控えています。アパラチア山脈を抜けるまで4日かかる予定です。
昼過ぎに大きな校舎がある高校の前を通りかかったら、30人くらいのブラスバンド部のメンバーがマーチング音楽を奏で始めました。なんと、ぼくたちランナーの登場を校庭で待ち構え、一人ひとりに演奏してくれてるのです。先頭からビリの選手まで全員が通過するまで3時間はかかったはずです。しかしマーチング音楽にこんなに心を揺さぶられるとは。
生徒たちの大声援を背に、街を去りました。その後、急峻な峠道に差し掛かったんですが、下の街からは後方のランナーを応援する音楽がいつまでも聴こえてきました。
そういや昨日は「IラブNY」のTシャツを着たおじさん2人がビデオカメラ持って車から降り立ち、「君はBANDOだろ。君はホントに頑張ってるよ。最高だよ!」ってな感じでチューでもしそうな勢いで迫ってきました。大会のホームページを毎日見ていて、選手のファンになったんだとか。
最近はテレビ局の撮影部隊がやってきたり、「LAから来たんだって?信じらんねーぜ」なんて応援にやってくる車も多いです。みんなどこから情報得てんでしょうね。

さて今日も左膝と左脚の裏を傷め、ラスト20キロをほとんど脚引きずりながら歩きました。
途中、巨大な原子力発電所が道端にありました。ボロっちいフェンスで隔てられてるだけで、誰でも侵入できそうです。アメリカは不思議な国です。

NYまで657キロ、あと9日

記録/12時間39分


■8月19日、ステージ62
距離/82.2キロ

アパラチア山脈の核心部を走る今日は、累積標高差2000メートル。距離も長く、とても厳しい一日です。
壁のようにそびえ立つ登り坂。こりゃ崖かとつっこみたくなる下り坂。
下りは時間を稼ぐためにぶっ飛ばして走り、登りは走れる極限までゼーゼー粘り、もう足が前に出ないってくらいスピードが落ちたら後は大股で歩きます。
前の方でイタリアチームの兄ちゃん2人が大騒ぎしています。大きなクマが道を横切ったんだ!と一眼レフのカメラとビデオカメラ持って、クマが消えた崖を登ろうとしています。彼らはプロのカメラマンなんです。しかし逆襲にあったらどーすんだろね。
五大陸走破者セルジュ選手の伝説とも言える「走りしょんべん」をついに目撃しました。それは想像を絶する姿でした。例えとして最もふさわしいのは、象の水浴びです。セルジュ選手は自分のを片手で持ち、ブオンブオンと振ります。おしっこは鮮やかな軌跡を描き、左側に撒き散らされます。現在、主催者から立ちしょんのマナーについて厳しく注意されており、ランナーは皆、木陰で用をたすようにしてますが、ぼくとの一騎打ちの最中に伝説の走りしょんべんをしてくれたことは、ぼくを戦う相手と認めてくれたって事でしょう。今後の人生において大きな自信と財産になりました。
ゴールまで10キロを切ったあたりで、前方の空にもくもくと発達していた巨大な積乱雲に稲妻が走り、雷鳴が地面までバキバキと落ち、土砂降りに襲われました。びしょ濡れでゴールしたら甘いスイカが待っていました。美味しかったです。

NYまで573キロ、あと8日。東京〜神戸間の距離。けっこう近いね!

記録/13時間09分


■8月20日、ステージ63
距離/81.6キロ

今日はベストレースができました。最初から最後まで妥協することなく、登り坂はどんな苦しくても走りきり、下り坂は痛みを理由にスローダウンせず攻めに攻めました。
これ以上、脚がぶっ壊れることはないだろうし、壊れたって這ってでもゴールするから、全力疾走します。アメリカという土地を、街を走れるのもあと1週間。今を全力で走りたい。
でも、このレースの残り1週間が、日本で過ごす1週間より価値があるものであってはならないと思います。このレースも必死でやるけど、日本の生活でも、いずれ立つアフリカの土地でも、なりふり構わず必死で生きるんです。
人は…いやぼくは、基本的には弱く、プレッシャーや苦しみにすぐ押し潰されそうになるけど、逃げ場を絶って、シャニムニ立ち向かう無謀があります。選択肢をなくし、自分にはこれしかやることがないと決めたら、あとはやるだけなんだ。

けっこう上位でゴールし、消耗しつくしてぼーっとしてたら、後からゴールに入ってきたアレキサンドロ選手がぼくの方に歩みより「いい走りだった!よかったな!」と身体をぶつけるように激しく抱きしめられました。
ふだん冷静な彼が、こんな熱い行動をするなんて。互いに怪我で苦しみ続けたから、脚を引きずりながら苦闘している姿を嫌というほど見ているから、自分のこと以上に相手の回復を願っているんです。
しかし男に強く抱きしめられるってこうゆうものなのかー、と少しボーッとしてしまいました。

NYまで492キロ、あと7日

記録/11時間19分

■8月21日、ステージ64
距離/74.3キロ

距離が短いので油断してたら大変な目にあいました。80キロレベル6連戦ですっかり消耗し、体重を支える筋力が脚に残っていません。少し走ると着地と同時にひざがカックンと抜けます。抜けすぎて転倒寸前に至ります。そのうち足首までもカックンしだし、カックンカックンと糸で吊られた操り人形のようになり、危なっかしくてスピードを出せません。
痩せ細った脚は自分のものとは思えず、二本の不安定な棒をうまく使ってどうにか走る格好に似せている感じです。
日中の気温も上がり、体力が残ってないのも手伝って、意識遠くふらふらでゴールしました。
ニューヨークまで1週間。ぼく以外のランナーは、ライバルとの競争を楽しんだり、あるいはスピードを緩めアメリカの街や風景を愛でながら走っている人もいます。
ゴールまでの数日間をともにするため、ヨーロッパなどから家族や恋人が集まりはじめています。マスコミで報道されているのか、すれ違う車からの応援が一段と多くなってきました。
大会主催者は、ニューヨーク・セントラルパークでのゴールの方法について、いろんなアイデアを考えているようです。
フィニッシュに向けて徐々に環境が変わっていくなか、いまだ関門時間と戦い、もがき苦しんでいるのはぼく一人です。

NYまで412キロ、あと6日。

記録/12時間24分


■8月22日、ステージ65
距離/78.5キロ

ひざカックン病は今日は出ない雰囲気です。昨日ろくに走れなかったため、筋力が復活したんでしょう。
きつい勾配の登りをタンタカ登っていたら、前にランナーが見えてきました。うわっ!総合2位のパトリック選手です。彼はどんな登りでもキロ6分で刻むイーブンペーサーで、最も尊敬するランナーです。がぜん燃えてきました。ペースをあげ忍び寄り、抜き去るときは一気呵成です。「ハロー!」と余裕の挨拶をし、そして逃げに逃げます。
息もゲロゲロに2キロくらい全力で走り、振り返るとパトリックが笑顔で手を振っています。そして「ハロー!アゲイン」と追い越していきます。ムカつくので再び追走し、こっちは「ハロー!アゲインアゲイン」とブチ抜くと、今度パトリックはTOTOの「ロザーナ」を歌いながら抜くので、ぼくはホール&オーツの「プライベート・アイズ」の鼻唄を奏でてやり返します。抜きあいっこはゲームのようにつづきます。朝の光が降り注ぐ森の中の峠道がキラキラ輝いて見えました。20キロすぎまで粘りましたが、最後は軽くちぎられて終わりました。ランニングは実力どおりの結果しか出ないのです。

30〜40キロあたりではランキング選手4人が視界に入る数百メートル内に揃いました。レース中盤では珍しいことです。互いに意識しあって、スピードがぐんぐん上がります。とにかく皆、大人と言われる年齢にも関わらず、極端な負けず嫌いで、意地になって相手をちぎろうとします。こんなレース中盤でスパート掛け合ってどうするの?と思いながらもスピードを落とせません。汗みどろになって走りながら思います。「みんなホントにバカだ。そしてぼくはこの男たちが大好きだ!」。

ゴール7キロ手前くらいから、遠く前方に見え隠れしていた日本人ランナー越田さんにラスト1キロで追いつきました。2人ともやる気のないフリをしながら、明らかにピッチがあがっています。
しかしラスト500メートルの大きな交差点で信号待ちにかかてしまいました。「ここまで来たら一緒にゴールしようか」と柔和な笑顔で越田さんが言うので、「嫌です!これレースですから」と完全拒否しました。
すると越田さん「しょうがねえな」と捨てゼリフをはくと、悪人の表情に一変し、猛烈なスピードで走りだします。後ろに着くのがやっとですが逃がしません。ゴールのフラッグが見えてきたラスト150メートル地点で、ぼくはトップスピードに移り、追い越しました。
ちなみに越田さんを追い越す時は「おい越田!(追い越した)」と声をかけるのが本人いわくマナーだそうですが、今はそんなヒマありません。
。完全に差し勝ちした、と思った瞬間、もの凄いダッシュで差し返され、完全に競り負けしました。負けたクソー!でも気持ちいいぞー!

今日は一日中、誰かと競いあってました。走るって行為は子供でもできるほど単純なのに、こんなに楽しく、すばらしいものなんだって思えました。

NYまで339キロ、あと5日。
記録/11時間10分

バカロードその33 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ66
■8月23日、ステージ66

距離/43.3キロ
(走ったのは50.7キロ)

70日間のうち最も距離の短い今日。選手やスタッフにはリラックスムードが漂っています。
なぜ43キロという短距離の設定かといえば、午前中にレースを終え、午後は荷物整理や洗濯など、各自がニューヨーク到着の準備を、という主催者の配慮なのです。
ぼくはたいして準備する用件もないので、今日はゆっくり走り明日からの4戦に向け、体力温存を図ろうという腹積もりでスタートしました。
選手同士、軽い会話を交わしながら、いつもよりはゆったりペースで進んでいます。そんなほんわかムードの一日が、大会史上最悪、大波乱の一日になるなんて誰が想像できたでしょうか? この大会には、サディストな神が宿っているとしか思えません。
走りはじめてわずか1キロで異変が起こりました。スピードランナーのイタロー選手(イタリア)が、草むらかきわけ現れ、「前の選手3人が間違えた道を行ってしまった」と主催者兼ランナーのセルジュ選手に伝えました。セルジュ選手は3人を追うべく、血相かえて引き返します。
でも実はこの3人こそが正しい道を行き、残る11選手が道を間違えたのです。ただ真っ直ぐ進むだけの単純なコースでしたが、非常に緩いカーブの分岐が走路にあり、暗闇も手伝って誰も自分が直線道路から外れたと気づけなかったのです。
やがて夜が明け、景観が見えはじめてから、ぼくは疑問を抱きはじめました。まず、道路自体が6車線で予定コースに対して広すぎます。また本来あるべき交差点がなく、鉄道高架が現れる距離がずれています。間違えた道を行ったのは3人ではなく、自分たちではないか? しかし自信が持てません。なんせほぼ全員に近いランナーが今この道を走っているのです。
しかし走れば走るほど「間違いじゃってコレ」が確信に近づいてきます。(前を行ってるランナーを止めんと大変じゃ!)。そこからは自分が出せる最高速度で前の選手を追いました。1キロほど追いかけ、ようやく2人のランナーを止め、間違いの可能性を伝えますが、なかなか信じてもらえません。なんせもう4キロ近く走ってきた道です。
峠の頂上で立ち往生していると、前方からサポート車が現れ「この道はコースではない」と伝えられました。遥か彼方には、前を行ってたランナーたちが猛烈な勢いで引き返して来るのが見えます。ぼくも踵を返し全速力で正規ルートを目指します。なんせ往復7キロ以上です。制限時間、ヤバい! もう全力でいかないと間に合うかどうかのギリギリ。キロ5分台で飛ばしまくります。ちなみに現在の衰弱した体力におけるキロ5分台は、健康状態のキロ3分台に匹敵する苛烈さです。
顔ゆがめ、よだれ流し、
いったん真っ白になった頭で、ゴールまでの平均ペースを計算します。混乱しているので何度計算しても答えが違います。
必死で、必死であえぎ走りながら、脳裏にはいろんな思いが交差します。
(65日も完走続けてきて、ニューヨークを目の前にして、道間違いで失格なったらダサすぎるって!)(こんなドラマチック、用意せんでええって!)(こない全力疾走つづけたら、脚まためげるって!)

大会70日間で、最もゆったりできるはずだった今日、ぼくを含む11人のランナーたちは地獄のような時間との戦いを強いられながらも、なんとかゴールにたどりついたとさ。ほんまにこんなドラマいらんのんよ〜

NYまで297キロ、あと4日

記録/7時間14分

2011年08月24日

バカロードその31 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ56〜ステージ60
■8月13日、ステージ56

距離/77.6キロ

朝、広い公園の脇を通過していると、たくさんのランナーらしき人たちがジョグをしています。公園の遊歩道を使って市民マラソン大会が行われる寸前のようです。
ゴールゲートや大きなデジタル時計も用意され、日本の小ぶりな市民マラソン大会と雰囲気は変わりません。ところが、ひとつだけまったく違う風景があります。男性ランナーの多くが上半身裸なんです。
そういえば今まで、都市郊外や公園で見かけた男性ランナーたちも、上半身裸でショートパンツ、ってのが一般スタイルでした。ランナーとしてちゃんと造り込まれた筋肉を揺らせて軽快に走ってゆく姿は、同性ながらまばゆく見惚れます。
日本では真夏のピークでも、公園や河川敷を裸で走るなんて許されない雰囲気です。汗びしょびしょで暑そうなのに、なぜか重ね着しロングスパッツに更に膝丈パンツなど合わせるのが最近の日本の定番になっています。よーわからん傾向。
アメリカの裸ランナーの気持ちよさそうな姿を見るとうらやましいです。市民マラソンという概念やカルチャーは主にアメリカから輸入されたものだけど、「上半身裸」はオプションとしても輸入時に除外されたみたいです。
ちなみにぼくは毎年7月に入れば小松海岸を裸で走っています。海だからかまわないでしょ、と思うようにしてます。

今日は痛い場所が左膝一カ所しかなく、きわめて快調に77キロを走りきれました。
あと15日でニューヨークに着いてしまうけど、神様仏様、ゴールまでに一度でいいから、たった一日でいいので、痛みのない状態で走れる日をください。そしたら何でも言うこと聞きますから。

記録/12時間25分

■8月14日、ステージ57

距離/68.6キロ

今さら何をだけど、こういったレース形式の大会は本来のぼくの旅のスタイルではありません。アフリカ大陸を徒歩横断した時のように、一人ぼっちで、風の吹くままに行く先を決め、現地の風土・言語に溶けこんで旅するのが基本です。
一方でレース形式の旅は、鍛え込んだアスリートたちが極限の自然環境と時間制限のもと、心身の限界に挑戦し、成し遂げた際に大きな達成感を得るものです。
ぼくにとってレース形式の大陸横断は、これが最初で最後になるな、と最近実感しています。どうひっくり返してパタパタハタいてみても、ぼくにアスリート的素養はありません。また大勢のキャラバンを組んで人間関係を構築しながら進んでいく旅も、性に合っていません。他人の考えをまず優先すべきだから。
ぼくは一人で極限を行き、生きるも死ぬも自分が決定づけるという場所にいたいです。
今回が最初で最後のロング・ステージ・レースです。あと2週間、二度とない時を愉しまなくちゃな。

今日は実にアメリカらしい街を走りました。コロンバスという巨大な街は中心部に高層ビル群と尖塔のある教会を抱き、その周囲をダウンタウンが取り巻いています。下町には危険で不穏な雰囲気が漂ってますが、そこいらのルードボーイより汚く汗まみれのぼくらにちょっかい出す暇人はいないようです。
ゴミと廃屋とボロ車だらけの下町から更に郊外に足を延ばせば、瀟洒な邸宅や店が連なり、絵に描いたような(セーターを肩に羽織った紳士が、ブロンドの美しい妻と、風船持った2人の子供)アングロサクソンの中流階級以上の人びとが闊歩しています。人びとは、自分の階層と近い人々で集まり、街を形成します
アメリカの中規模都市は30キロほどの都市圏を形勢しています。階層社会がつくる同心円を突っ切って移動するぼくたちには、その構造がよく見渡せます。

今日あらたに左スネを傷めました。現在は、右アキレス腱、左ひざ、両脚の足底筋の痛みに苦しんでいます。あーやっぱ最後の最後まで楽しく走れる日が来るなんてこと、期待してはならんのでしょうね。

記録/10時間56分


■8月15日、ステージ58
距離/83.3キロ

スタートから200メートルも進んでない歩道の段差につまづき派手に転倒。腕を擦りむいた。なにやってんだろな。
今日は一日、よく走りました。バタンキューです。
尊敬すべき2人の日本人ランナーがいます。一人は日本人として史上2人目となる2度の北米横断レース完走という偉業達成を目前にした越田さん。
もう一人は、世界中の辺境レースに出て何度も優勝している石原さん。砂漠、ジャングル、ヒマラヤから南極まで世界中が遊び場みたいな人です。
この2人、異常に負けず嫌いで、2人が近い位置を走ると必ず牽制し、煽りたて、最後はデッドヒートに発展します。誰れーも見てないところで、恐ろしいスピードで抜きつ抜かれつしています。今日は2人の戦いを見学してやろうと後方に着こうとしましたが、こっちはキロ6分で走ってるのにぐんぐん引き離されていきます。既に60キロも走ってるんですよ。しかもゴールまで20キロ以上あるんですよ。まったく何考えてるんでしょう。
60歳と66歳。研究者と経営者。火のような闘争心を持っています。
すごいデッドヒートでしたね、と声をかけると「デッドヒートなんてしてない。遊んでやっただけ」と捨てぜりふ。カッコイイ〜。

NYまで903キロ、あと12日

記録/12時間49分


■8月16日、ステージ59
距離/88.6キロ

走りはじめて驚きました。「どこも痛くない!」
こんな時がやってくるなんて!
かばう場所がなく、また深刻な体調不良なく走れるのは58日ぶり。つまり大会初日以来です。

いつもドンケツを顔ゆがめて走っているぼくが、上位グループに混じってタッタカ爽快に走っている姿を目にして、大会スタッフや他国のサポートクルーが何が起こったのか、と驚いています。
選手たちは「脚が治ってよかったな!」と自分のことのように喜び、背中を叩いてくれます。

58日間、走ることの大部分を占めていたのは苦痛でした。痛い、つらい、苦しい。そればかりでした。朝が来るのが嫌でした。朝起きて、今から走るって思うだけで吐き気がしました。十時間以上も続く苦痛を思い、言葉を失いました。走ることは、乗り越えるべき苦行でした。

今感じてること。走ることはこんなに気持ちいいんだ。景色が後ろに流れてくのが速いな。どこもかばわずに走ったらこんなにスピードが出るんだな。ニューヨークに着くまでに、こんな日が来るとは思ってなかった。これが今日だけの出来事なのか、明日には故障が再発するのかわからないけど、今日はしあわせ。明日からも無痛が続いて欲しいなんて贅沢は思わない。
そういえば数日前に神様仏様にお願いしたところだったな。たった一日だけでも自由な気持ちで走らせてくれたランニングの神様仏様に感謝したい。

NYまで815キロ、あと11日

記録/11時間57分


■8月17日、ステージ60
距離/81.0キロ

今日は不愉快なことがいくつかあり、むしゃくしゃしています。
素晴らしい人は、人間を中心とした目的や夢を持っています。
つまらない人は、仕組みを完成させたり、効率をあげること自体を到達点に設定してしまいます。
何を言いたいのか不明なことを書くのはクソ野郎な行為です。
今日はぐっすり寝ます。そして明日一生懸命走り、汗まみれになります。それだけでいいはずです。

NYまで734キロ、あと10日

記録/12時間15分

2011年08月18日

さらら8月18日号を読んで、夏の疲れをリフレッ〜シュ! tokushima-0818salalala
お盆も過ぎて、みなさん夏の疲れがじわじわ体中に広がっているころなんじゃないでしょうか?今回のさららは、そんな疲れをリフレッシュしてくれる滝&温泉めぐり特集! 滝から出るマイナスイオンに包まれて、水の音や木々のざわめき、鳥の鳴き声に耳を澄ませると心から癒されるはず。その後は近くにある温泉に浸かって、汗を流そう。心身共にリラックスして、夏バテを吹き飛ばして。

2011年08月16日

CU9月号 徳島五つ星グルメ tokushima-cu1109
■徳島の女性が選ぶ五つ星グルメ
ランチやディナー、演出などのテーマに分けて女ゴコロを満たしてくれるメニューを一挙発表! 嬉しいCU読者特権もあるよ。あなたの五つ星を見つけてね♪

■初体験アドベンチャー! これがオンナの遊び方
「何か新しいことを始めたい…」そう思ったときに始めなきゃ! 新しいことに出会うと人はキラキラしだすもの。思い切って、今まで挑戦したことのないスポーツや習い事を体験してみない?

バカロードその30 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ51〜ステージ55
■8月8日、ステージ51

距離/67.3キロ

大会ナンバーワン選手であるライナー(ドイツ)様が、ぼくの怪我を気遣かって話し掛けてくれました。「きっと典型的なシンスプリントですよ。骨折まではまだいかないでしょう。少なくとも3日間は痛みが酷くなり続けづけますが耐えてください。走っている時以外は胴体より脚を高く上げるように横になり、氷で冷やし続けること。大丈夫です。1回克服すれば次はなかなかなりません。強くなります。何といっても、ぼくたちはニューヨークに行かなくちゃね」ぼくよりずいぶん歳下なのに、まるで師のような上下関係です。
本職が工学系エンジニアである彼は、ぼくの知るかぎり4カ国語を流暢に話し、論理的で冷静で民主的な姿勢の持ち主です。そして各大陸の横断レースをぶっちぎりで勝ち続けています。以前、ふだんはどんな練習しているのか尋ねたことがあります。すると「平日は走りません。長距離を走るのは、まとめた時間のとれる週末の休日だけです」と言うので、何キロくらい?と問うと「200キロくらいです」との返事。こりゃ勝てんて!
今日は左脚のスネ、足底筋、膝を傷めました。今まで怪我してなかったパーツが、反乱を起こしだしています。
「今まで黙って耐えに耐えて来たが、これ以上われらを酷使するなら、全部位が蜂起して、城主殿に痛みという地獄を味わわせてやる!」とシュプレヒコールを挙げはじめたようです。
かといって謀反に対して打てる手立てもなく、明日今大会最長の92キロを迎えます。毎日が正念場なんだけど本当にギリギリの勝負です。これを乗り越えたら、きっと何かがあるはずなんだ、そこには。

記録/11時間42分


■8月9日、ステージ52

距離/91.4キロ

走っても走ってもゴールは遠かったです。夜明け前に走りだし、そしてまた日は暮れて、おまけに時刻変更ラインを越えたもんだから1時間進んでしまい。ゴールしたのは夜中の10時前。明日の朝の集合時間まで6時間ちょいしかないって!
仮眠をとるために入った宿。なんじゃこりゃ! 客室は鉄格子の中、廊下からまる見え。囚人が寝るような薄く狭いベッド、というかベンチ。トイレはドアなし、これまたまる見え、照明は紫…。刑務所をテーマとしたホテルなんだとか。頭イカレてるぜ!この追い詰められた心理状態にダメ押しパンチかよ!

記録/15時間51分


■8月10日、ステージ53

距離/83.7キロ

結局3時間しか寝れず、極度の疲労と寝不足で、強い二日酔いのような頭痛がし、吐き気が止まらずカラゲロを繰り返します。今日が最後なのか?と思います。立ってるのも困難なのに80何キロも走れるわけない。
もうね、ぼくにできることは一つしかないわけです。残された手段に選択肢はないんです。
やけくそダッシュだ!
やけのヤンパチ、死ぬ時はドブの中で前向きに倒れろってことだ。
最初から全力で走ります。真っ暗な下り坂をヘッドランプの光を追いかけて走ります。空には星が1万個も輝いています。
オレは本当に追い込まれた時だけ強いんだ。少しの苦境には弱いけど、完全に後がなくなれば強いんだ。
そんでもってぼくはアントニオ猪木の名著「君よ、苦しみの中から立ち上がれ」から引用した名文句を唱え、そして尾崎豊が10代の頃に世に出した3枚のアルバムを全曲熱唱しました。結局ぼくは猪木と尾崎で形成されているのです。
並走したアレキサンドロ選手が言います。「われわれはレースが始まって以来、ずっと怪我に苦しんできた。毎日が苦しみの連続だった。だがこの経験は深い。より多くの痛みと苦しみを知っていた者が他人の苦しみを理解でき、またヒントとなる言葉も見つけられるだろう」
(お前何者?)と思いなつつも「君の言葉はいつも重いね。なぜ32歳でそんな考えが持てるの?」と聞きました。彼は説明します。「私は手漕ぎボートに乗って500日以上、太平洋や大西洋の洋上にいた。そこでは考えることしかすることがない。だから私は考える」

レース中にマクドナルドを1日3回利用するジェームス選手と並んだ時ちょうど、巨大なマクドナルドの看板が現れました。そこには「本物の果物を使ったシェイク」と書かれ、3種類のシェイクの写真がありました。ジェームス選手にどのシェイクが最も美味か尋ねると、流暢すぎる英国英語で詳しく説明してくれますがぼくには半分も理解できません。業を煮やしたかジェームス選手、急に猛スピードで走り去ると、1キロに現れたマクドナルドの店の前で、マック・フルーツシェイクを2種類手に持ち、満面の笑顔で待ってました。
後半は大失速し、いつものビリになりましたが、今日も生き残りました。いや、生きました。

記録/13時間52分


■8月11日、ステージ54

距離/73.6キロ

スタートから脚がまったく上がりません。抽象的な表現ではなく、ホントに脚を持ち上げる力が大腿部の筋肉に残ってないので、地面にある1センチくらいの突起に何度も蹴つまづきます。歩幅は50センチがやっと。それでも必死だから心拍数は上がり息はゼェゼェいってます。制限時間に遅れないためのギリギリペースを保つので精一杯です。
インディアナ州の州都・
大都市インディアナポリスの高層ビル群に囲まれたメインストリートを駆け抜けます…そうならカッコいいんだけど、現実は、歩道にある10センチほどの段差すら越えられず、アゴの先から汗を滴らせて苦闘するばかりです。
スピードが出ない場合、エイドで脚を止めることもできません。つまり一切の休憩は許されなくなります。
経過時間と移動距離、速度をGPSで測りながら、制限時間アウトの暗い不安に苛まれ続けます。果てしない耐久戦を8時間し、50キロを過ぎた頃、やっと脚の動きが良くなりはじめました。なんぼなんでも遅すぎます。ウォーミングアップの距離として50キロは長すぎです。こんな体質じゃ、日本に帰ってフルマラソンの大会なんか出られやしない。ウォーミングアップ中にゴールテープを切り、いよいよスパート可能って時に、豚汁やうどん交換券持って行列に並ばなくちゃいけない。
かくして50キロ以降、人が変わったようにタッタカ走りはじめ、今日もぶじ制限時間をクリアできました。


記録/12時間22分

■8月12日、ステージ55

距離/86.7キロ

朝、震えるほど寒いです。ここ半月で北緯を500キロ上げてきたけど、蒸し暑さにうんざりしていた数日前とは別天地。白い息たなびかせながら、正面に瞬くオリオン座に向かって走りつづけます。
夜が明けてから、いくつかの小さな田舎街の商店街を通りました。
「走って寝て」を繰り返しす今回の旅では、観光はいっさいできない代わり、普通の観光旅行では絶対に訪れない人口数百人の街を訪れられます。もちろん街の喫茶店でひと休みってわけにはいかず、速足で移動しながらの見物です。それでもアメリカの田舎の暮らしぶりや、時間の流れ、人の性格もかいまみられて、愉しいものです。

午後から両方の足の裏、土踏まず部分が熱くなり、激痛に変わっていきました。尖った岩の上を裸足で踏みしめているようです。
だけど最近は痛みを恐れないよう考えています。それは身体が外部環境に合わせようと必死に修復しているサインだから。
痛み、腫れ、化膿、発熱…これらは身体がさまざまな化学反応を起こしながら、弱い部分を強く変形させようと頑張っている過程で生じる産物です。
「ああ、ご主人殿は毎日80キロを走りたいのだな。じゃあこのパーツをバージョンアップさせなくちゃな」と。
大会中、どんな大きな怪我をしても、必ず治ってきました。そして二度と同じ場所を傷めることはありません。人間の環境対応力のすごさに驚かざるをえません。
ロサンゼルス出発から今日で4000キロを越えました。ニューヨークまであと1100キロ余り。東京・博多間の距離くらいかな。ようやく日本人の距離感覚でも理解できる遠さになってきました。嬉しくもあり、少し悲しくもあり。

記録/14時間38分

2011年08月11日

バカロードその29 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ46〜ステージ50
■8月3日、ステージ46

距離/88.4キロ

大会開始以来、2番目に長い距離。今日も生き残りました。しかし、もうへとへと。ゴールしてホテルの部屋に倒れ込み、ベッドに横たわれば、ぴくりとも動けません。足の裏は饅頭をくっつけたように腫れあがり、ジンジン焼けるように熱いです。

シューズの状態がとても悪いです。そもそもぼくの補修の仕方に問題があります。ミッドソールと呼ばれる靴底の軟らかい部分、衝撃吸収してくれる所をすべて擦り減らし無くしてから、タイヤの切れ端を貼っつけてたんです。
タイヤ材は高さをかさ上げはしますが、材質としては非常に硬質なんです。これでは、靴底の硬いビジネス革靴を履いて80キロ走っているようなもんです。
多くのランナーは10足から20足のシューズを大会用に持参しています。底が擦り減れば即新品に交換。
ぼくはたったの3足。そして3足とも既に靴底の軟らかい部分はなし。タイヤの補修もヘタクソて、時にハイヒールを履いてるような不安定。ナイフで削ったり、ヤスリで磨いたり。チクショー!走りにくいよー。

記録/14時間09分

■8月4日、ステージ47
距離/72.6キロ

朝起きると必ず鼻をかみます。大会2日目から45日間続けて出ている鼻血が、朝には2センチ大の血栓となって鼻の穴を完全封鎖するからです。
今朝も鼻血の塊を出そうと思いっきり鼻をかむと、鼻腔にひっかかる物なく鼻息が空振りしました。45日ぶりに鼻血が止まったんです。ついに自然環境に順応する日が来たのかな。今ごろ遅すぎ?

朝から調子よく飛ばしていましたが、20キロ過ぎに右脚のスネがズキズキ痛みはじめ、30キロあたりで走行困難な強い痛みになりました。氷をあてがい、強い鎮痛剤を使用限度を無視して飲みましたが、脳天まで突き抜ける痛みは変わりません。骨にヒビが入ったのかと疑うほどです。
怪我した右脚以外を総動員して前進します。左脚で踏ん張ります。腕を振ります。
10メートル走っては痛みで止まり、歩きで繋ぎながら、次の走る準備をします。10メートル走り、10メートル歩く。気が遠くなるくらい同じことを繰り返しました。
ゴールにたどり着けば、もはや10センチの段差も越えられない痛み、筋肉疲労。
走っても走っても、ぼくは強くなれません。大会初日を除いてまともに走れたことなど一度もありません。
「数千キロを走る大陸横断レースでは、速いランナーが完走できるとは限らない。最後まで走り続けられたランナーこそが結果として強いランナーに成長してるんだ」と大会開始前にベテランランナーの方が教えてくれました。
確かに生き残っている選手たちは精神力も肉体の強さも走力も凄いです。それに比べてぼくは、怪我をしてない時はなく、心はもろく、秀でた走力もありません。5000キロも走るんだから、最後の方になると凄く強いランナーになってるかもな、なんて淡い期待を抱いてましたが、まったく逆です。もはや走ることすらままならない身体になっています。明日、ぼくはスタートできるんだろうか。

記録/12時間9分

■8月5日、ステージ48
距離/76.0キロ

朝起きたら右脚の痛みが消えている…という淡い期待は叶いませんでした。状態は昨日より悪く、ホテルの階段をなかなか降りることができません。ロクに歩くこともできない人間が、今から数分後から何十キロも走れるんだろか?
スタートの合図の後、当たり前のようにすべてのランナーが走り去ってしまい、走れないぼくは一人取り残されました。必死に歩きました。歩くだけでは制限時間に間に合いませんが、他に方法が見当たらないので歩きます。暗闇を、ヘッドランプの明かりを頼りに、息が切れるまで必死に歩きます。

雨が降りだしました。朝から雲が出るのは珍しく、ましてや雨が降るのは初めてです。本降りが3時間も続きました。傷めた患部が冷やされ、少し痛みが引いてきました。峠道の登り坂に差しかかる頃、ひょこひょこ走れるようになってきました。
何か大きな力を感じざるを得ません。今回の大会では、もうダメだってときに、何度も偶然や自然現象によって救われています。だからって神様仏様の存在を感じるほどの感受性はありません。ただ「まぐれにしてはできすぎている」という出来事が多いなと感じてます。
ヨロヨロ走ってるぼくを大会スタッフが見つけると、車で併走しながら「ニューヨークに行こう!君にはニューヨークが見えてるだろ!走れ!行けBANDO!」と励ましてくれます。
でも今のぼくにはニューヨークは見えません。明日どころか今日、どこまで走れるのかもわかりません。10キロ先まで進めているのかすらです。
本当に本当に疲れきってゴールしました。痛みは右足首まで拡がり、90度のまま動かすことができません。伸ばしても曲げても激痛です。最悪と思っていた今朝よりはるかに悪化しています。ますます明日が見えなくなっています。

記録/13時間02分

■8月6日、ステージ49
距離/68.3キロ

今までの怪我は、最初ガツンときて、毎日10パーセントずつ回復していく感じでした。今度の右脚スネの故障は、毎日悪化し続けています。この行き着く先が怖いです。
なんで50日近く走って今更こんな怪我…と苛立ちます。痛みはすべての精神活動を停止させます。朝3時50分に目覚ましが鳴り起きると、90度のまま動かない足首にがっかりします。スタートラインにつくまでの数十メートルの移動に冷や汗を流します。手摺りがないと階段は昇降できません。
朝5時にレースが始まり夕方ゴールするまでの十数時間、感情の90パーセントは「痛い」に支配されています。逃れられない痛みに心が鬱屈し、この状況から逃れたいという弱い気持ちが噴出します。「リタイアを宣言して車で搬送してもらい、ホテルのベッドで一日中寝てられたらどれだけ気持ちいいだろう」と何度も思います。
今日も積極的にレースを組み立てる余裕もなく、ただただ制限時間にギリギリ間に合うペースを守ることだけを求め、走ってるんだか歩いてるんだかわからない奇妙なフォームで、果てのないイバラの道を行きました。
1キロを10分で進めば何とか制限時間に間に合いますが、キロ10分を維持できません。息を切らし、顔を歪め、脂汗をじっとり滲ませ、必死に食い下がります。
失格時間の9分前にゴールすると、もう一歩も歩きたくなく、その場に崩れ落ちました。

記録/11時間51分

■8月7日、ステージ50
距離/87.4キロ

87キロという距離を、いったい全体どうやって壊れた脚で走り切れるというのでしょうか。
完全に追い込まれました。今日でぼくのレースが終わるなら、せめて攻めに攻めて終わりたい。破れかぶれでも前を向いて走りたい。怪我を気にして下をうつむいたままの恰好で、ぼくのレースに終止符を打ちたくない。
不意にある場面が脳裏に浮かびます。「五体不満足」の著者、乙武君があるプロ野球の試合の始球式をする映像です。彼はリリーフカーに乗らず、ベンチから猛ダッシュでマウンドに向かいます。彼がこんなスピードで走れるなんて、という驚きと、四肢の欠けた彼に対して「わーすげー」と素直に驚きを表現できない複雑な気持ち。それから彼はちゃんとグラブをはめ、硬式ボールを首と肩にはさみ、彼が考案したらしいピッチングフォームで、バッターの近くまで球をちゃんと投げ、また走って帰ったのだった。
記憶は曖昧なんだけど、その映像を見た時の気持ちは「恰好つけやがって」でした。ハンデキャップを逆手にとって誰がどう見ても圧倒されることをサクッとやりやがって。カッコイイね。
今走りながらぼくは、乙武君の百分の一の努力もしてないことに気づきます。脚がいくら痛いといっても、立ち上がれないほどではないし、足首が曲げられなくても、走るのに障害になるほどじゃない。
何かあるはずだ。何が方法があるんだ。
それからいろんな試みをしました。ある特定の足首の角度で、ある脚の踏み出し方ををすれば、痛みが少ないことに気づきました。現在、故障の少ない左脚のキックをロスなく推進力に変える方法も見つけました。
しかしたったこの程度のことです。ヒントをくれた乙武君に深々とこうべを垂れたいです。
そして、どんな状況でも、笑って前に進むためにここに来たことを思いだしました。
人間の身体とは不思議なものです。前向きに克服しようとすれば、「そうか。治したいなら、治してやる」というエネルギーが患部に集まり、腫れ、熱を持ち、膿を出しながら自己治療に入る気がします。
痛さが度を過ぎて麻痺しているのかどうかわかりませんが、ラスト30キロは久しぶりに痛みから開放され、走れました。
ゴールした直後、主催者ロールさんやセルジュ選手に怪我の具合を聞かれ「人間の身体は不思議です。あんなに痛かったのがランニングを続けていたら治りました!」と満面の笑顔で説明し、さて椅子から立とうとすると、自力で立てません。激痛をカバーするため必死に走り続けた全筋肉がいっせいに休養に入った模様です。まったく人体ってどんな仕組みでできてるんでしょか。

記録/14時間50分

2011年08月10日

徳島に生きる人たちをただひたすらに追いかける! 「徳島人」9月号、発売中 JIN_1109.jpg人の数だけある人生のストーリー、その世界を追いかける「徳島人」創刊第2号を発行しました。

最新号では、難条件のなか那賀町木頭でトンネルを掘る男たちや、小松島でゼロから養鶏場を始め美味しい卵作りに励む人、美波町木岐で天草漁に勤しむ79歳の海女さんなど、一心に仕事に打ち込む姿をリポートしています。

今月の4大特集は・・・
◆徳島の渋滞実測大調査! 本当のところどの道が一番速いのか?通勤渋滞、帰宅ラッシュなど渋滞する時間にいろんなルートで目 的地へ向かい、最速はどのルートかを検証しました!

2011年08月04日

バカロードその26北米大陸横断レースLA-NY 2011ステージ前日〜ステージ20
■6月18日、レース24時間前

大陸横断レーススタートまであと一日。
昨日大会開幕セレモニーがあり、五大陸横断のセルジュ・ジラールはじめヨーロッパ大陸横断の王者ら世界中から超長距離走のスーパースターや冒険家が顔を揃えました。日本人ランナーも、ぼく以外は日本のこの世界を創りあげてきた伝説的な人ばかり。17人のチャレンジャーをサポートするために25台ほどの車がキャラバンの列をなす予定。昔の冒険活劇映画の開幕シーンみたいな世界になりそうです。
ぼくはもちろん世界のトップに互する力はないので「脚が折れても完走」狙いです。
今深夜2時なんですが興奮やらなんやらが入りまじって眠れてません。このままスタートラインにつきそうだけど、まあ問題なし。自分の力を全部出して燃え尽きてもまだ魂で前進する。覚悟完了しています。

■6月19日、ステージ1
距離/73.5キロ
ついに大陸横断レースがはじまりました。全大陸横断を決意し4年目にして、その入口に立ったわけです。
レース会場に向かう車中で身体が熱く小刻みに揺れています。武者震いなんて自分でもするんだと驚きました。
スタート直後からトランスヨーロッパ(欧州横断5000キロレース)王者のドイツ人、ライナーが抜け出しました。誰も追い掛けようとしないので、なぜかぼくが追いはじめます。
完全に立場を見失っています。ライナーはキロ4分台でサクサク逃げていきます。今から5300キロ走るのに何考えとんな。でも、あきらめず追い掛けます。20キロ近くまで追走しましたが、ごく当たり前のようにチギられました。
しかし100キロ7時間台のスピード選手がゴロゴロ出てるのに、なんでぼくが2位におるん?長いこと生きてると、たまにはいいことが用意されてるのかな。結果的には3位に落ちたが、あー超楽しすぎるんですけどコレ!
あしたは900メートルの登り、泥道ぬかるみ道の78.7キロ。コケなきゃいいけど。

記録/8時間12分
ステージ順位/3位
総合順位/3位

■6月20日、ステージ2
距離/78.6キロ

今日も王者のライナー選手に挑戦しました。スタートから逃げるだけ逃げて、どこまでトップでいけるかやってみましたが、あっさり10キロで笑いながら抜かれました。
30キロからは、標高1200メートル以上まで登るきつい坂が延々つづきます。最後の20キロはトレイルと呼ばれる山道ですが、乾燥しきったハゲ山の砂地を果てしなく登ります。
すでに街はなく完全な荒野です。直射日光が肌を痛いほど焼きます。
残り15キロあたりで意識が朦朧としてきました。激しい嘔吐がはじまり、胃の中の物を30回くらいかけてすべて吐きだしました。
走るどころか、立っているのも難しくなりました。最後の10キロは意識がありません。ゴールであるホテルの玄関で倒れました。
たった二日走っただけでこのありさま。情けない気分です。
腹の周りについていた脂肪がきれいに無くなりました。人間って一日でこんな痩せるもんなのね。

記録/13時間12分

■6月21日、ステージ3
距離/76.3キロ

ステージ2で脚を痛めたフランス人選手がリタイヤすると主催者から説明がありました。世界中の超長距離の大会を転戦している著名ランナーです。あっけない終わりです。
今日は、焼けただれた砂漠のような荒野のなかを走ります。アスファルトの表明温度は60度にもなり、熱したフライパンの上を走るようです。風は吹いても熱風で、身体の水分を全部奪い去ろうとするかのようです。
昨日はじまった嘔吐は更に悪化し、道ばたに50度以上吐きました。といっても何も食べてないので、大半がカラゲロです。吐く度に時間を使うと制限時間に間に合わなくなるので、走りながらゲロします。コーラなど飲んでないのに真っ黒な胃液がでました。胃壁から出血してるんでしょうか。
中間地点まで行かないうちに、座りこんで嘔吐しつづけ、もう完走なんて絶対無理なのかなと思いました。
日本チームのサポートをしてくれている方が、熱中症は身体を冷やすしかないと、全身を氷で冷やします。帽子の中、首筋に氷を巻いたタオル、アームカバー…、さらに頭から氷水を間断なくぶっかけます。
どんなびしょ濡れにしても一瞬て渇きます。
氷が効いたのか、何とか意識を正常に戻しました。制限時間の8分前ゴールです。
日本人ランナーの石原さんは数々の砂漠やジャングルなどのアドベンチャーレースに参戦するウルトラランナーです。
体調悪く、どう考えても制限時間に間に合わない位置を走っていましたが、全力でゴールに駆け込み1分前にクリアしました。が、ゴール後にそのままアスファルトに倒れ動けなくなってしまいました。

記録/13時間22分

■6月22日、ステージ4
距離/81.9キロ

連続ステージレースの厳しいとこは、走り終わったあとから翌日のスタート時刻まで極めて時間がないこと。3時間くらいの仮眠がやっとです。
今日はレース序盤の山場、81.9キロの長丁場のうえ、完全な砂漠気候になります。
前日までのダメージは仮眠では抜くことができず、宿の部屋では四つん這いで移動しています。
歩くのもままならないのに、よく走れるなと自分でも思いますが、スタートのコールがあると、よたよた走れるから不思議です。
今日もまた上に戻しながらです。この3日間、固形物は何も食べていません。ジュースやコーラも受け付けないので、吸収カロリーほぼゼロで、毎日6000キロカロリー分の運動をしています。ぼくの身体はどうなってるんでしょうか。
序盤のペースをあげられなかったため、残り30キロて、どう考えてもゴール閉鎖時間に間に合わない状況になりました。
あきらめはしたくないので、一切の停止をせず、走り続けます。氷水を全身にぶっかけながら、必死に前を目指します。
残り20キロで「こんな苦しいこと初めてだ」と実感しました。残り10キロで意識が飛びはじめました。ゴールまでは失神しないように必死に意識を保ちました。
制限の4分前にたどりついたゴールで倒れました。
まだ4日目なのに、弱すぎるとがっかりです。
今日、日本人ランナー2人がリタイアしました。日本のウルトラマラソンの歴史を作りあげてきた尊敬すべきお2人です。無念です。

記録/14時間56分

■6月23日、ステージ5
距離/45.6キロ

ずっとメシを食べられてなかったが、昨晩ようやくインスタントラーメンを一個食べられた。
今日も気温の上昇著しく50度近い。地面からの輻射熱がひどく、脚を火鉢であぶられているよう。唇は日焼けでタラコ状に腫れボロボロです。
今日は比較的距離の短い日だが、休火山がはきだした溶岩地帯では、岩つぶてまで運ぶ熱風が正面から吹きつけるそうだ。
短い距離でも苦闘はかわらない。火事の現場の中にいるような熱風のなか、脚にできた5センチ大のマメの激痛に泣きながら、またもや制限時間をギリキリでクリアした。
本日、オランダ人の女性ランナーが時間内完走できなかった。欧州横断3000キロなど走る強いランナー。時間内にはたどりつかなかったものの、ゴールラインまで歩いた。ゴールすると周囲の人にささえられなければならないほど衰弱していた。

記録/7時間56分

■6月24日、ステージ6
距離/64.0キロ

今日は自分では考えられないほど精神の浮き沈みが激しかったです。残り10キロを走っているあたりで、連日同様に嘔吐を繰り返し、ぐじゃぐじゃになった脚裏の痛み(マメが合体してき超巨大マメになった)に堪えかねて、ついに「ここから逃げ出したい」と心から思いました。ずっと失神しないよう、氷水をかぶっていたけど、もう意識不明で倒れた方がよほど人間として賢明ではないかと思い、倒れやすい場所がないか探しましたが、どの岩も砂も火であぶったように熱く、倒れることも叶いません。
昨日まではキツくても前向きに走っていましたが、ついにヘタレ根性があらわになってきました。自分にがっかりしながら、今日もまた最終ランナーとして、大会スタッフの大声援を受けてゴールしました。
15人いたランナーですが、一週間も経たないうちに全ステージクリア者が10人に減っています。サバイバルレースは過酷を極めています。
走り終えるとその地域の安いホテルに泊まります。部屋の中では、脚の痛みて歩くことも大変。四つん這いも厳しく、逆四つん這い(腹が上)で移動しています。こんなんで明日、スタートラインに立てるんだろうか?

記録/11時間22分

■6月25日、ステージ7
距離/63.7キロ

歩けないのに走れるのか? 答えは否だ、ではない。
明日のことを考えるのはやめよう。今日をいかに生きるかだ。
両足の巨大なマメは毒々しく化膿し、血と膿が混ざりあって吹き出す。足の裏を地面につけば、針の上に押しつけるよう。一歩ごとにウゥと叫ぶ。
こんな足で63キロも走れるのか。と疑問をていしていても状況は変わらない。やれること、ぜんぶやろう。
マメをぐるぐる巻に固くテーピングした。
スタートから全力で走り、呼吸の苦しさで痛みを飛ばそう。制限時間までの時間を稼ごう。
スタート前。何人かのランナーは疲労の極限か、あるいは怪我で立っていられない。ぼくは座ったままだ。スタートとともに走りだす。一歩ごとに痛みで叫ぶ。
だが走れている。つま先がダメなら踵で走ろう。脚がダメなら腕を振ろう。今使えるものを全部動員して今日を生き延びよう。
脚を止めると二度と走れだせない気がして、30キロ過ぎまでハイピッチで飛ばした。総合2位のパトリック(フランス)をリードした。だが30キロで身体が動かなくなる。今日も酷暑と熱風は尋常ではない。
一度立ち止まると足裏のの痛みが目覚め、もう歩くこともままならない。ゴールまでの長い長い30キロを足を引きずりなんとか完走する。今日もラストランナーである。ラストだから毎日大声援を受ける。走れもしないランナーがゴールラインを歩いて越える。
主催者はフランス人で、スタッフもみなフランス人。フランス語で称賛してくれるが、もちろん意味はわからない。けど、何となく相通じている。

記録/11時間18分

■6月26日、ステージ8
距離/82.0キロ

前半戦最難関のステージです。距離が長いだけでなく、標高1200メートルの峠までの登り降りを含んだ、ほぼ全ルート坂道です。
スタート時点から最初の平坦な15キロを飛ばすだけ飛ばし、時間稼ぎするつもりです。
時間かせぎとは、当大会で設定された「制限時間=距離×時速5.6キロ」に対してのことです。時速5.6キロなんて大したこてないと考えていましたが、このクリアは大変難しいんです。
走っている最中でも、少なくとも栄養補給のための食事やトイレをしなくてはなりません。その間は停止したりスピードが落ちたりします。その要素含みで時速6キロ=1キロ10分で押し切っていくことを完走の目安とします。1キロを10分より速く走れた分が終盤への貯金となるのです。
今日はスタートからキロ5分台で入ります。15キロ以降の急激な登りに備えて前半で貯金します。
峠道に入った30キロまで王者ライナーに続く2番手ですすみました。貯金も1時間以上でき、やっと自分の思いどおりのレースができるかなと感じていたとき異変がおこりました。
最初は小さな違和感です。左脚のフトモモ前部に紙をカッターで切り裂くような痛みが走りました。走っていたらアチコチ傷めるのが普通です。走っているうちに治るだろうと気にせずいましたが、時が経つごとに痛みが大きくなり、最初の違和感から30分もしないうちに、激痛に変わりました。
痛いだけなら我慢すればいいんだけど、力を入れることができなくなりました。フトモモ前部の筋肉がまったく動かないのです。つまり左脚を前に出せない。
「終わったのか?」と思いました。今日の残り距離数は50キロもあり、激しい登りです。この脚でゴールに届くのか?
しかしあきらめる選択肢はありません。今やれること全部やろう。
サポートクルーの車まで片脚ケンケンでいき、大量の氷で患部を冷やしました。走ってみました。ダメでした。テーピングもダメでした。
最後に考えたのは固定してしまうことです。ふくらはぎ用の細い着圧タイツをフトモモまであげ、筋肉をガチガチに固めるのです。
動いてみました。筋肉が収縮ができないレベルまで締めたので、左脚はただの「棒」としての機能しか果たさなくなりました。しかし歩けなくはありません。
残り45キロ、歩き通すしかないんです。
左脚を前に振り出せない、という前提でどうやってゴールに向かうか?
いろんな動きを試しました。いちばんマシなのは、左脚を単なる杖として考え右脚の力で進んでいくことです。ロクな方法ではありませんが、悩んでいる暇があれば一歩でもゴールに近づく必要があります。前半に作った1時間半の余裕時間を切り崩しながら絶対にゴールにいく!
マカロニウエスタンの映画の背景にぴったりの、赤い岩峰が林立する広漠たる世界。蝿の羽音以外は無音。そこで息使いも荒々しく、ぼくは片脚で走る作業を繰り返します。

10時間近く続けました。
山麓は再び気温45度。途中、手違いから水の補給を受けそこね脱水で意識失いかけました。何もかもが焼けただれた砂漠なのに、寒気がして全身に鳥肌が立ち、地面が顔のすぐ横にある気がしました。

スタートから15時間という長い一日が終わるころ、ぼくはゴールにたどりつきました。失格9分前でした。精も根も尽き果て、ゴールラインでへなへなと崩れ落ちました。9時間後には翌日のレースがはじまります。明日、自力で立てるのだろうか?

記録/14時間51分

■6月27日、ステージ9
距離/68.0キロ

ひどい朝です。一人ではホテルの階段を降りられないので、人に支えてもらいます。
両足のいずれかを地面につくたびに悲鳴がでるるほど痛いため、結局ずっと悲鳴をあげています。

また完走の夢が砕かれたランナーが一人。ドイツ人のマルカス選手は、ぼくと走るペースがほぼ同じだったので、何十回となく励ましあいました。おとといのレース中、下痢の症状が悪化し大幅タイムオーバーし完走しました。主催者と全選手協議のうえ「どんな選手でも不慮の事故な体調不良は一度はある。タイムオーバーは一度限り認める」という特例で残りましたが、今日はスタートすることも叶いませんでした。
9日目、リタイアした選手は6名、残った選手は9名。

今日は最初から最後まで激しい痛みとの戦いでした。
また、左脚の膝関節が真っ直ぐのまま曲がらないので、当然スピードも出ません。
ただ「まだ終わりじゃない」と信じて走り続けました。よたよたでも前進できるのなら可能性はゼロとはいえない。
途中あまりの痛さに「この痛みは自分の痛みではない。他人の痛みである。ぼくは他人の痛みを自分の痛みとして受けとめられる素晴らしい人物である」という作戦を立てましたが、まるで効き目はありませんでした。

地平線までつづく長い長い一直線の道を走りつづけ、遠くに今日のゴールが見えてきたとき、ふいに喉がつまり、グエグエと泣きはじめました。今日を生き延びた安堵と、12時間つづいた脚の激痛への何かよくわからない感情です。
ゴールの広場にたくさんのスタッフや選手が待ってくれているのが見えます。何人かは手前まて走りだして迎えてくれようとしています。
主催者のロールさんがぼくを支えてくれながらゴールラインをこえました。
それから用意された一人がけの椅子に座って泣き続けました。
一人ひとりやってきては「よくやった」「最後まであきらめなかった。お前は強い」と誉めてくれました。
ただ単に痛いのが嫌で泣いているだけの人物を、よい方向に捉えてくれて嬉しいです。
最終的には、あまりに泣き続けていて、みなもゴール設備の撤収もあり誰もその場にいなくなりました。
誰もいなくなった夕焼けの広場で気の済むまで泣きつづけました。

記録/11時間54分

■6月28日、ステージ10
距離/74.0キロ

またもやリタイア者が出ました。フランス人のジェラード選手は欧州やアフリカ各地で開催されるレースで幾度も優勝しているトップ選手です。序盤、実力どおり総合2位につけていましたが、スネを怪我してからは、ステッキをついて走る痛々しい姿を見せていました。チャンピオンのプライドを捨て、何がなんでもゴールするという気迫が凄かったが…。ついに歩くことすらままならなくなったようです。
現在、生き残り選手8人。
「今日さえ乗り越えればなんとかなる」と毎日思います。明日のことなど考える余裕もないです。
一日のスタート。ランナーがゴールに向かって走り去っていきます。走れないぼくは必死に歩きます。歩きではどだいゴールの時間に間に合わないのですが、それしかできないから歩きます。
封印していた痛み止め薬を飲む決断をしました。誰に聞いても、飲んではダメだと言います。一瞬痛みを忘れられても、その後もっと深刻なダメージを背負うからです。
でももうほかに手がありません。走れなくては今日でぼくのレースが終わってしまうのです。鎮痛剤をのむと10分くらいで皮膚の表面全体に弱い麻酔がかかったような感覚がしはずめます。1キロ10分というペースで走ります。ゆっくり走ってケガを治癒させるのです。
マラソンの瀬古利彦選手が現役時代、ケガで走れなくなったとき、一日に10時間も歩きつづけてケガを治したというエピソードがあります。それを自分もやってみるのです。
標高1700メートルへと一人静かに登ります。時間ぎりぎりのペースだから、大会スタッフが車で頻繁に見回りにやってきます。「ゆっくりいけ。必ずゴールできる。周りは関係ない。自分に勝てばいい」などといろんな声をかけてくれます。
60キロまでほとんど誤差なくキロ10分で走りました。そこからは潰れてペースを落としましたが、8分前にゴールに間に合いました。
世界で初の五大陸ランニング横断を達成したセルジュ・ジラール選手(フランス)が自ら出迎えてくれました。連日潰れきって、砂漠で道に迷った旅人のようにゴールにたどり着く変なランナーを励ましに来てくれたのです。
しかし映画スターみたいに男前な顔してるなぁとセルジュ・ジラールを見て思い、ボロ雑巾のようにグチャグチャな自分を省みて悲しみが増幅しました。

記録/12時間52分

■6月29日、ステージ11
距離/49.4キロ

スタート前から何やら人気です。どのランナーからも各国サポートクルーからも声がかかります。「調子はどうだ」「君はタフだよ」「ドーナツあげよか」など。どうやら2日前にゴールした際に号泣したことがウケている理由のようです。
まぁもうどうしようもありません。人前で意気地なしをさらけ出してしまったのだから、何とでも、どうとでも捉えてちょうだい。

今日もまたケガの治癒を最優先としたキロ10分ペースで進みます。激烈な痛みは2割くらいはマシになっているのが若干の救いです。
他の選手たちはスタート地点から数百メートル背中を見ただけで、二度とその姿を見ることはありません。ひたすら孤独な作業です。
休憩を入れたら時間がなくなるので、一切ストップしません。汚い話しですが小便も走りながらします。ツール・ド・フランスの自転車選手なども自転車に乗ったまま用を足すことが知られていますが。まあそんなとこです、

今日もまた制限時間いっぱいです。ゴールが見えてくると、何やら盛り上がっいます。「BANDO!BANDO!」。うわー名前を連呼されています。恥ずかしいので一瞬ゴールに行くのをためらいましたが、迷っているうちに失格になっては元もこもありません。
するとゴールから人が走りだしてきました。手前200メートルあたりまで、あちこちの国のクルーや大会スタッフがワーッと出迎えてくれ、両手を握られ捕まえられたお猿のような感じでゴールしました。相変わらず周囲は「BANDO!BANDO!」と全盛期の猪木コール並の盛り上がりです。ぼくの手を握りしめてくれたのはもちろん美女ではなく、ヒゲがぼうぼうのおじさんや、体重100キロくらいある大男です。
ただ今、ぼくの意図とは大きく掛け離れ、男に人気急上昇中です。

記録/8時間32分

■6月30日、ステージ12
距離/48.8キロ

神様というものがいるのだとしたら、ときには心優しき施しをもたらしてくれるのだろうか。

今日の行程は48.8キロと短いものの、標高2100メートルまで高低差600メートルを登る。うち40キロが不整地の林道です。この地域のトレイルは砂と小石が混じった乾燥したやわ道で、アスファルト道のようにスピードは出せません。

スタート直後、走ってみました。痛いけど昨日までと違い絶対に走れないって感じはしません。ちょっと前のランナーについていってみよう。つけるぞ。集団の中にいる。何日ぶりだ?
走れる!走れる!嬉しさで飛び上がりそうになるのを抑え、前の選手を追いかけます。1人、1人と追い越すたびに、顔を見合わせます。「ケガよくなったのかい?」「よかったな。ミラクルが起こったな」と声をかけられます。

キロ7分台で急峻な登りと下りが連続する林道を駆け抜けます。7分台といえば、体調万全な状態ならいくぶんスローなジョグペースですが、今は背中に羽が生えて地面すれすれに滑空させてくれているようです。
景色が前から後ろへと流れ去っていきます。ロッキー山脈の核心部へとつづくこの気持ちいいトレイルロードを、ぼくは夢うつつで駆けています。
ペースは後半になるほど上がり、全力疾走ができることも確認しました。
あっという間に今日のレースが終わりました。
ゴールには先着のランナーたちが椅子に座って帰ってくるランナーを眺めています。みな、その脚はボロボロです。包帯にテーピングぐるぐる巻きに杖に。ちょっとした野戦病院です。

フランスで発行している女性向けランニング情報誌の取材を受けました。記者は見たことないくらいの大変な美人で、取材姿勢もていねいだったので、まじめに答えました。それで、「いつまで取材するんですか?」と尋ねたら「明日には帰ります」というので「おや、短いですね」と感想もらしたら、「たぶんあなたは気づいてなかったと思うけど、私は最初から取材してたのよ。あなたが山の中で絶望している所や、ゴールで泣き崩れた時もそばにいたわ」
見たこともないほどの美女の存在に、何日間も気付かないなんて、どうかしてるぜ!

記録/6時間39分

■7月1日、ステージ13
距離/65.5キロ(プラス4キロ)

スタートから30キロまで調子が出ず、眠くて眠くて仕方がなくて、うたた寝しながら走りました。当然びりです。野グソも2回しました。さすがにウンコを走りながらするテクニックはありませんが、強者になるとできます。技としては「そのままもらして、ペットボトルの水をぶっかけて終わり」と「一瞬立ち止まり半中腰の体勢から後方にぶっ飛ばす」という二種に大別できます。今度やってみます。
30キロ過ぎてようやく目が覚めてきました。ウォームアップに30キロもかかるとは、だんだん異常体質になりつつあるようです。
今日も後半ほとんどが山林の登山道や林道をゆきます。尖った小石だらけの道は、足の裏の巨大マメに突き刺さり、脳みそにバリッと電流が流れるくらい痛みます。1000回くらい「ギャア!」と叫びました。
ゴール地点のフラッグスタッフという街はこの地域最大の都市で、街路も入り組んでおり、大会側から指定されたルート図は曲がり角が10ヶ所もあって複雑を極めました。
ラスト5キロまで来て、曲がり角を一本間違え、道に迷ってしまいました。街の人にさんざん道を尋ね、間違えた地点を把握するまで結構な距離を走ってしまいました。しかも大会ルールでは間違えた場所まで一旦戻らなければなりません。ショートカット予防の措置です。
正規ルート上に戻り、間違えポイントまで逆走していると、前方から来た大会車両が停まります。勢いよく車を降りたスタッフのオッチャン(いいフランス人)が目を丸くして「おいBANDO!そっちはゴールじゃない、スタートの方向だ!お前はどこに走っていくんだ?」と大騒ぎするので「ぼくは道を間違えたんだ。だからミスした交差点まで戻っている」と説明すると、オッチャンは「お前何キロも余分に走ってるんだからもういいよ。ここからゴールに行けよ」と実にフランス人的な柔軟な判断を述べるのですが、ぼくはズルしたくないのと、この親切で心配症のオッチャンにいつまでも関わっていると時間がどんどん過ぎ、制限時間が近づいてくるので「イッツ・ルール!」と叫んでオッチャンを振り切りました。
間違え地点に戻り、再びゴールを目指します。親切な大会スタッフのオッチャン車両が、残り3キロを併走してくれましたが、実は立ちションがしたくて仕方ないのに、オッチャンたちが車の窓全開で「ガンバレ!ガンバレ!」と応援し続けるために立ちションできず困りました。
で結局余分に4キロ走ってゴールすると、「お前はこんだけ走って、まだ走り足りないのか?」とスタッフたちに呆れかえられました。
「いや、ぼくは道を間違えてはいない。この街をマーケティングしていたんだ」などの小粋なジョークも用意していましたが、不発に終わりました。

記録/11時間12分

■7月2日、ステージ14
距離/85.5キロ

大会はじまって以来の最長距離です。
スタートからやけに調子よく、5キロほどで先頭をいく王者・ライナー選手の背中が見えてきました。これは挑戦するしかない!
一気にスパートをかけライナーをかわすと、15キロまで先頭を独走しました。ところが背後に足音がしたかと思うとライナー笑顔で「またあとでね」と余裕のそぶりで置き去りにされました。こっちはキロ5分ジャストで走っているのに、どんなスピード? 連日80キロ近く走ってるステージレースでキロ4分のスピードなんてあり?
結局、25キロ手前で潰れたため、あとの60キロの長いこと。13時間近くかかり、へろへろでゴールしました。
主催者ロールさんには「クレイジーBANDO!今朝のあなたは何?あなたの目的は10キロレースでトップになることじゃないてしょ!ニューヨークがゴールってこと忘れないで!」」ときつく叱られました。他の選手たちには「今度はいつライナーに挑戦するんだい?」と笑いながら聞かれました。
今夜ね宿泊地は小さな集落なため、選手、サポートクルー、大会スタッフ全員での合同キャンプです。といっても公民館の床で雑魚寝です。
シャワーは水が入った袋を簡易テントの上に吊して浴びる即席仕立てタイプ。
晩ごはんはパスタ、オリーブの実ライス、鶏の素焼きなどを大会スタッフが作ってくれました。ビールも飲み放題、最高です。

記録/12時間49分


■7月3日、ステージ15
距離/66.5キロ

距離は短いものの、600メートルの高低差を一日じゅう登ります。
昨日85キロ走ったダメージか体調すぐれず、足もまったく動きません。こんなキツい日に、どううまく走りをまとめ、制限時間をクリアするか。その技が大陸横断を達成できるかどうかの鍵を握ります。
大事なのは、ゆっくりでいいので走りつづけること。急坂も歩かず走る。決して止まらない。
今日の42キロ地点で、スタートからの通産距離が1000キロを突破しました。1000キロ地点に近づくと、どこからともなく大会スタッフが現れました。1000キロの看板を掲げ、記念撮影が行われました。
これで全工程の五分の一をやっつけたことになります。たった五分の一なのに、既に満身創痍です。
2週間止まらない鼻血。
火傷してケロイド状になった唇。
左脚は「く」の字の状態から動かなくなっています。真っすぐ延ばせず、曲げられずです。しかし脚一本ダメにしてでもニューヨークまで完走したいです。
ここらへんの居住者はアングロサクソンではなく、もともと大陸に住んでいた部族がルーツの人々です。
みな親切で優しい感じがします。農家のトラックを運転するオッチャンが、「ニューヨークまで行くって?何てこったい。君に何かあげなくては」とごそごそ辺りを探し、ドル紙幣を二枚つかんで「これ使って」とくれようとしました。もちろん気持ちだけもらいましたが、日本の田舎と変わらず、アメリカの田舎も人は朴訥でおせっかい焼きの多い、いい場所です。
ゴールを前にして1キロほど彼方に竜巻が現れました。砂漠の竜巻は黄土色の砂を天空まで運びます。竜巻はみるみるうちに成長し、巨大な柱を文字どおり竜の身体のようによじらせます。
危ないなと思いつつゴールし、足の裏を氷水でアイシングしていると、竜巻本体が連れてきた砂嵐に襲われました。砂粒が横殴りにバチバチ叩きつけられます。滅多にない経験です。面白いのでそのまま外にいたら、全身まっ茶色の泥人間ができあがりました。

記録/11時間29分


■7月4日、ステージ16
距離/77.2キロ

ショックです。左足首を傷めました。着地するたびにアキレス腱に激痛が走ります。
今日は30キロまで飛ばしたため、制限時間には間に合いましたが、最後7キロは一歩も走れませんでした。いや、走ろうとしましたが、あまりの痛さに走るのをやめ、歩きました。
明日までに治さなくては、明日でチャレンジが終わってしまいます。今、安モーテルのベッドに横たわって、氷嚢で患部を冷やしまくっています。
ふと見ると、右足の親指の爪がぐらぐらして取れかかっています。ふだんなら激痛なんだろうけど、他に痛い部位が多過ぎて痛みを感じませんでした。しかし気づいた後は、ズキズキ痛みだしました。発見するんじゃなかったと後悔しても時遅し。

記録/12時間29分

■7月5日、ステージ17
距離/71.7キロ

レースを続けられるか、終わりの日となるか、山場の一日。
左足首に走る痛みで歩行も困難です。だめかもしれない。でも、可能性がゼロではないのなら、やれること全部やる。
患部はテーピングと圧着タイツでガチガチに固めました。そして強い鎮痛剤を飲みました。
スタートから20キロは路肩のない悪路です。砂利や草、動物の糞だらけの土の斜面です。
歩くようなスピードですが走れています。走れる限り光が射しています。
道ゆく車の多くが手をあげたり、クラクションを鳴らして応援してくれます。街道沿いにはヒッチハイクをする若者が多く、みな気さくに声をかけてくれます。「ニューヨークまで走っていくってぇ!」と映画の中のアメリカ人のように大袈裟に驚き、姿が見えなくなるまで見送ってくれます。
よぼよぼにしか走れませんが、とにかく前進しています。
大きな雲が夕立を運んできます。大粒の雨が道を叩きます。通り過ぎた雨雲が大きな虹をかけています。ゴールが近づいてきました。「今日もぼくは生き残った」と取り囲んでくれるスタッフに言うんだろう。
毎日が紙一重。残る8人は、ぼく以外はこの世界のスターばかり。速く、強く、カッコイイ。多くが企業の支援を受け、またこの世界を生業としているプロです。
その中で毎日、制限時間ギリギリに、脚をひきずりながら死にかけでゴールに現れるぼくは異質このうえない存在です。
ハイレベルなランキング上位争いを展開するスター軍国のなかでぼく一人、別の競技を行っているようでもあります。
しかし、今日もまた生き残りましたた。それだけでいいのです。

記録/12時間23分


■7月6日、ステージ18
距離/66.4キロ

はずれかけの親指の爪を見るのが怖いので、テーピングでぐるぐる巻きにしてやりました。これで恐怖シーンを目撃しないですみます。
今日は、大草原に延びる一本道を、どこまでも走ります。
今日はひとつの実験的な走り方をしてみました。まず30キロまでをウォームアップ区間として捕らえ決して力を入れない。30~40キロで徐々に速度を上げていきます。40~50キロは我慢のしどころでスピードの維持に努め、50~60キロは呼吸を荒げない程度にベストランニングを心掛け、60キロ以降を翌日に疲労を残さないためのクールダウン区間とします。
考えたとおりに走り、想像以上に後半スピードアップし、ゴール後も他人に支えられなくても歩けました。
チームジャパンのサポートクルーの重鎮であり、トランスヨーロッパ(欧州横断レース)を二度も完走している菅原さんが「今日が今までで一番の走りです」と褒めてくれました。いつも「そんな走り方してちゃ完走なんかできっこない」と叱られてばかりなので、ちょっと嬉しかったのでした。コツを掴んだのだろうか。カン違いでなければいいけど。

記録/10時間15分

■7月7日、ステージ19
距離/64.4キロ

今日のレースが終わり、小さな街の公民館の床にひっくり返っています。標高2000メートルの高地にも関わらず、直射日光強く、肌は焼けるように熱く、日射病気味になり、今日もまたフラフラでゴールしました。
全身が熱く、氷をあちこちに挟んで、体温を下げています。
明日は今までで最長距離の87キロ、あさっては82キロと、80キロ超え2連戦です。
疲労が極端に翌日に持ち越される分水嶺が75キロあたりです。距離が長いというだけで全身へのダメージが大きいですが、それにも増して睡眠時間がなくなることが疲労の最大原因です。80キロ以上になると走る時間は15時間はかかり、ゴールしてから翌日のスタートまで9時間しかありません。その間にはホテル入り、シャワーと洗濯、夜食など済ませていると、睡眠時間は3~4時間です。これでは前日の疲れが取れるはずもありません。と、なげいてもどうしようもないので頑張るしかねーな。

記録/10時間31分

■7月8日、ステージ20
距離/87.2キロ

今日と明日は80キロ以上の2連戦。
いま左脚は、足首が90度の角度のまま動きません。そして膝も「く」の字の状態で曲げられません。走る機能を失っている左脚で、80キロ2本、乗り越えられるんだろうか。

長い長い長い一日でした。関門閉鎖15時間30分を破るためにとった作戦は「一度も立ち止まらない」でした。食料補給のエイドはじめ一切足を止めずロスタイムをなくしゴールに向かいます。前に推進する力が右脚にしかない片脚走法では、こんな地味な作戦しか取れません。

ゴールに着くと日本人の男性が話しかけてくれました。全米バスケットボールリーグNBAの所属チームのスタッフをしており、今日はわざわざ100キロ近く運転して、ぼくたちのレースを見に来てくれたそう。常にコネなしで米国のプロスポーツチームに直談判して働き口を見つけているんだとか。すごいなあ。将来、バスケのボールをドリブルしながら北米横断したいという変な夢を持っている。ぐちゃぐちゃになったぼくの足の裏を見せたても引かなかったので本気なんだろう。若いのにたいしたもんだな。得体の知れないエネルギーを発散してる人は目が違うな。

記録/14時間58分