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2010年11月04日
また表紙のさらランキング! は、「見つけた! お気に入りランキング」がテーマ。ふだんの生活に彩りをそえ、でもそんなに高くない雑貨やアイテムを10個発表。たとえば、底が平らできっちり量れる計量スプーンや素敵な色柄の手ぬぐい、貼るだけで部屋の印象をガラリと変えられるウォールステッカーなど。「お金をかけずにいいモノを買う」。徳島の人の賢く暮らしを楽しむ心がうかがえる気がしませんか…?
2010年10月29日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレース。実力をわきまえずエントリーしてしまったバカ男は、毎月500キロを走り込む荒業を課すが、肝心な大会を前に疲労困憊してしまう)
(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレース。実力をわきまえずエントリーしてしまったバカ男は、毎月500キロを走り込む荒業を課すが、肝心な大会を前に疲労困憊してしまう)
午前7時。あたりはまだ薄暗い。
スパルタスロンは、静かにはじまった。
号砲は鳴ったのだろうか? 少なくともぼくの耳には届いてはいない。
国内の大会でありがちな派手なセレモニーも、有名人のあいさつもない。代わりに300余名のランナーたちが発する地の底から湧き上がるような嘶きが空気を揺らす。それは夢の地へと駆け出す嬌声であり、走力の違う仲間と交わす健闘を誓いあう最後の言葉であり、自分にムチ入れる気合いの唸りである。それらが混じり合い、静かだが熱いエネルギーを秘めた塊となる。大きな精神の塊が一群となって坂を下っていく。ぼくはその熱に包まれるように走りだす。
ギリシャの首都アテネの中心部にそびえる小高い丘・アクロポリスは、平坦な市街地から要塞のごとく70メートルの高さでせり出している。スパルタスロンのスタート地点は、アクロポリスを象徴する世界遺産・パルテノン神殿のたもとだ。市街へと続く急な坂を駆けおりていると、徐々にアテネの街並みがパノラマ映像のように視界を占拠する。今、この目で捉えている広大な土地の地平線よりも遙か遠くまで、ぼくたちは自らの脚で移動するのだ。
軽い、と感じた。身体が軽い、羽毛布団のようだ。脚は気持ちよく前に振り出され、胴体は直立し、石畳の硬い路面に対して正しく垂直に加重をかけられている。ジョグペースながら、ふつうに走れているという事実に胸が躍る。
レースを前にして体調は最悪であった。能力をオーバーした距離練習で疲労が蓄積し、朝は布団から立ち上がれず、パンツをはこうとすれば立ちゴケする。職場では1ケタの暗算ができず、旧知の人の名前が出てこない。このままではフルマラソンの距離ですら走れそうにない。最後の賭けだと、日本を発ちアテネに入りレースまでの4日間、受付や荷物預けなどの必要以外は身体を動かすことを止めた。ひたすらベッドに横になり、眠れるだけ眠り、食事を採りつづけた。はたして作戦が功を奏したか。この身体の軽さ、疲労が完全に抜けた状態になっている!
アクロポリスを取り巻く公園地帯を抜けると、2、3車線の広い車道が縦横に伸びる商業エリアに入る。交通の要衝であろうすべての交差点に警官が立ち、自動車の侵入を遮断する。われわれの走路を確保するために、首都アテネの交通を麻痺させているのだ。たった300余人を走らせるために、いったい何千人、何万人のギリシャ人の協力があるのか。
四方八方から長押しされるクラクションは、「青信号なのに早く行かせろよ、バカ野郎!」の抗議の表現であり、またランナーへのエールとも受け止められる。ま、現実は抗議8に対し応援2くらいなんだろうけど。
スタートから10分。すでにランナーの列は1本に長く伸び、集団後方からスタートしたぼくの位置からは、先頭はおろか最後尾も見えないほどだ。実力のある選手、あるいはスタートダッシュをかける選手はキロ4分程度で進んでいるだろう。一方、制限時間ギリギリで関門突破を計りたい前半温存型の選手はキロ7分前後。その思惑の差が、300余人の距離を遠ざける。
道は思ったより走りづらくない。アスファルトは確かに日本のものより硬い気がする。また、表面が滑らかではなく凹凸があり、砂利が散在しているため、長時間走っているうちに細かな筋肉を使ってしまいそうだ。しかし、それはギリシャの道路事情がどうというよりも、比較対象する日本の道路が整いすぎているだけのこと。
次第に建物がまばらになり、森林が見える郊外に出ると交通規制が解ける。一般道路ながら道幅は広い。時速100キロくらいの猛スピードで走り去る大型トラックの風圧を感じなから、路肩を走る。ストライドは快調に伸び、次々と前方の選手をとらえ、追い越していく。身体は相変わらず軽い。勾配のある登り坂が1キロも続くが苦にならず、平地のようにキックが効く。下りともなればなおさら身体にキレを感じ、スピードはぐんぐん上がる。
前ゆくランナーを追い抜きざまに横顔をかいま見れば、とんでもないレベルの選手たちである。日本国内のウルトラやフルマラソンの大会で優勝経験のある方、24時間走や100キロの日本代表となり世界を舞台に活躍している方、そしてスパルタスロンを幾度も完走し、上位入賞経験のある方。どうなってんだ、こりゃ?
やがて視界の奥にオレンジ色の回転灯を点滅させたパトカーらしきものが見えてくる。まさか、あれは先導車?ってことは先頭集団が見える位置まで来てしまった? ペースを考えずに気の向くままに飛ばしてたらエライことになったぞ。
スパルタスロンでは1キロ、5キロなどキリのいい地点の距離表示はない。3キロ前後に1度はあるエイドステーションに通算距離を示した看板が出ているが、たとえば12.7キロなどと半端な距離であるため、頭のなかでペース計算できない。だから今現在のペースがつかめない。
突っ込んでる意識はない。レースの雰囲気をたっぷり味わいながら、気持ちよく超有名ランナーの方々を抜き去るぼく。そして今、スパルタスロンという世界最高の舞台で、先頭の見える位置につけている。も・し・か・し・て・・・ぼく、絶好調なのかーっ! 全盛期の中畑清も真っ青の有頂天気分が大脳を駆けめぐる。
嗚呼、今までどんな距離のレースに出ても、ロクな結果を残せなかった。そこいらへんの市民ランナーよりよっぽど月間走行距離は多いのに、10キロでも、フルでも、100キロでも、必ず最後には潰れておじいちゃん、おばあちゃんランナーに励まされ、よろめきゴールする。短いのも弱く、長いのも弱く。才能は光らず、努力は実らず、走った距離に裏切られ・・・。
しかし本日の調子の良さったら何だ? もしかして、ぼくはスパルタスロンを走るために生まれてきたのではないか。適性距離はここにあったか。眠っていたウルトラランナーとしての資質が今覚醒しつつあるのではないか。凡人ランナーとしての凡庸キャリアは、スパルタで戦える肉体とスピリッツを養成するための神が与えし試練だったに違いない!
・・・かくしてぼくの未明の暴走劇は加速度を増すのである。要するに勘違い大バカ男。とめどなく溢れ出すアドレナリンに支配された、走る合法ドラッグ患者である。
漫画家・福本伸行なら、この軽薄ランナーをどのように表現するだろう。
有頂天・・・・・・
恥を知らぬ有頂天・・・!
20キロを1時間30分台半ばで通過。
フルマラソンの自己ベストくらいの速いペース。つまりは無謀。
愚か者に、魔の手は静かに忍び寄らない。
自らをスパルタの申し子とした躁病男に対し、ツケは明白に、一気呵成に、津波のように押し寄せる。
最初の異変は左足甲の骨。不安の種のような小さな鈍痛は、5キロも進まないうちに焼けつくように熱く、ズキズキと血管を脈打ち勢力を拡大。着地するたびに脳天まで稲光が貫く。疲労骨折の経験はないけれど、こういうことなのか? たまらず道端にエスケープし靴下をめくると、紅くブヨブヨと腫れあがった足の甲が現る。靴ヒモをゆるめると少し痛みが引くが、走りだすと靴の中いっぱいに腫れ上がった足が圧迫感で爆発しそう。たまらずまた立ち止まって靴ヒモをゆるめる。これを何度も繰り返し、最終的にはヒモをまったく締めていない状態になる。
次の変調は右足首。薄いナイフでシュッと切り裂かれたような鋭い痛み。振り返って足首を見ると、シューズの上辺部分のソックスに穴が開き、足首に2センチの裂傷がある。出血がシューズを染めている。ずいぶん走り込んできたけど、こんな場所に靴ズレ起こすなんて一度も経験ない。
30キロも走らぬうちに至る所に故障を抱え、走りがギクシャクしはじめる。痛みは庇ってはいけない。痛みに耐えて正しいフォームで走らなくてはならない。フォームが崩れると、いろんなパーツが壊れはじめる。そうはわかっていても、レース序盤の故障という事実に平常心を失う。両足をかばいながら走った結果、股関節が痙攣をはじめる。全体の6分の1も進んでないうちに痙攣かよー? これから200キロ以上、どうごまかしながら走るってーの。やがて痙攣は大腿部の裏やふくらはぎにも拡がる。
塩分が足りないのか。エイドには大会サイドが用意した塩があると聞いたので、日本から持参したアジシオは封印した。が、実際にはエイドに塩は見当たらなかった。いや、あったのかもしれないが見つけられなかった。
246キロの道程にエイドは全75カ所。平均3キロに1カ所という重厚なサポート体制が敷かれている。しかしレース序盤のエイドに置かれているのは水、コーラ、スポーツドリンクらしき飲料と、ビスケットやクラッカーなどの揚げ菓子。暑さと渇きから揚げ菓子を口にする気分には到底ならない。だが、こいつで塩分を補給しないと、他にミネラルを得る手段がないと気づいたのは後のこと。
一方、コーラや他の炭酸飲料はスパルタスロン名物の「水割り」である。コーラ20mlに対し水100mlほどを足した超薄味のコーラが提供される。最初の数エイドではこの水割りコーラを飲んでいたが、飲んでも飲んでも喉が渇く。エイドのたびに3カップずつ喉に流し込んでいると、そのうち内臓が受けつけなくなってきた。
胃のムカムカ感が抑えられなくなり、いっそ吐いてしまえば楽に走れるかと、道端に寄って無理やり吐いてみた。真っ黒な吐瀉物が大量に噴きだす。きっとぜんぶコーラだな、こりゃ。一度吐くとすっきり楽になる。だが、すぐに喉が渇きはじめる。次のエイドで水割りファンタオレンジらしきドリンクを飲む。するとまた吐き気がこみ上げ、飲んだばかりのファンタを全部戻す。今度のゲロはオレンジ色である。飲めば吐き、吐けば渇き、乾けば飲む。ムダで苦しい行為が続く。
20キロあたりまで大量にかいていた汗が、1粒も流れなくなる。皮膚全体に白い塩が浮く。カラカラに乾いた肌に直射日光が当たると、皮膚の表面がチリチリ焼けるように痛む。汗は重要な体温調節機能である。その機能が完全停止している。苦しい、痛い、気持ち悪い・・・。
体調悪化とともに思考もネガティブ・スパイラルに入っている。これじゃあダメだ。景色だ、景色を観て心を癒そう。
永遠に続くかと思う長い坂道を登っては下る。ゆずの「夏色」のサビの部分が、エンドレスで頭の中に響く。やがて広大なエーゲ海が眼下に開ける。どこまでも透明で碧く、高級なゼリースイーツのよう。そういえば小学生の頃、版画家・池田満寿夫がメガホンをとった「エーゲ海に捧ぐ」というエロい映画を観たくて仕方なくて、映画館に忍び込もうとして失敗した。「11PM」で今野雄二あたりが映画の解説やってるの見て静かにコーフンしたっけ。幼少期の記憶ってすごいな。いまだにエーゲ海ってえとエロ映画(本当は芸術大作らしいですが)のエロ場面しか連想されない。その憧れの地を、30年という時空を経て今ゲロ吐きながら走ってるんだな。エロス&ランニング・・・だからどうしたってんだ。痛みをごまかすためにムダに思考を巡らせ、なおさら疲れる。ダメだ〜。
40キロのタイムは3時間45分。322人中113位で通過(後に確認した公式記録)。だが、このタイムと順位ほどに余裕はない。レース前半の最大の山場である第一関門・港町コリントス(80キロ地点)をクリアする可能性が乏しく思えてくる。80キロを9時間30分以内で入れば関門突破できるコリントスまでは、スタートからキロ6分30秒ペースで進めば問題ないと安直に計算していた。だが、今は手の届かないユートピアのガンダーラ。一度も経験したことのない体調変化がぬらぬらと妖怪のように頭をもたげ、国内レースからイメージする通過タイムや距離と一致しない重いダメージが蓄積している。
足の甲の腫れはいよいよひどく、痙攣はあちこちに飛び火する。対処方法が見つからない。5分だ、5分だけ休んで、復活に賭けよう。オリーブの巨樹のたもとに横になる。木の幹に両脚を90度にかけて血液を上半身に戻す。
こんなんで腫れは引くのかよ、この苦しさに耐えながらあと20数時間も走れるものか、と逃げ腰の自分が叫ぶ。そもそもがレベルの違いすぎる舞台なんだよここは、とストライキのシュプレヒコールをあげる。
何を言ってるんだ?とムカッ腹が立つ。この日のためにどれだけ練習してきたんだ。完走、するんだよな?と本来そうあるべき自分が軌道修正をはかる。
まぁまぁ、せめて第一関門くらい超えようよ、それができたら自分に合格点をあげるってのはどう?と妥協点をさぐる打算的な仲介役も登場する。どうも〜、コント・ビリー・ミリガンでございます的な独り芝居を繰り広げ、無益に5分が過ぎる。
立ち上がろう、走ってみよう。少し復活している。遅いけど走れる、スピードをあげても走れる。
なんか、はじめてサロマを走ったときに似てるなぁと懐かしくなる。走っても走っても関門の閉鎖時間に間に合いそうになくて、それでも全力で走って、最後は80キロで崩れ落ちたっけ。しかしあの頃はフルマラソンすら走り通せる力もないのに100キロに挑戦して、ペースも考えずに突っ込みまくったな。ははは、2年経ってもやってることは同じ、あまり成長してないな。いや、あの頃の方が今よりよっぽどチャレンジしてたな。マタズレ金玉たくし上げて、夢中で走っていたじゃないか。
工場地帯のなかを貫く一本道がどこまでも伸びている。ギラギラ輝くエーゲ海の太陽に射られながら、ぼくは遠くに見えるランナーの背中を追いかける。完走よりも、関門突破よりも、今この瞬間にできることをやろう。この土地で、全力を出すためにやってきたんだから。先のことを考える思考の余力を削ぎ落とし、前のランナーに食らいつくことだけを考えよう。今のぼくにできそうなことは、それくらいのことだ。
(つづく)
スパルタスロンは、静かにはじまった。
号砲は鳴ったのだろうか? 少なくともぼくの耳には届いてはいない。
国内の大会でありがちな派手なセレモニーも、有名人のあいさつもない。代わりに300余名のランナーたちが発する地の底から湧き上がるような嘶きが空気を揺らす。それは夢の地へと駆け出す嬌声であり、走力の違う仲間と交わす健闘を誓いあう最後の言葉であり、自分にムチ入れる気合いの唸りである。それらが混じり合い、静かだが熱いエネルギーを秘めた塊となる。大きな精神の塊が一群となって坂を下っていく。ぼくはその熱に包まれるように走りだす。
ギリシャの首都アテネの中心部にそびえる小高い丘・アクロポリスは、平坦な市街地から要塞のごとく70メートルの高さでせり出している。スパルタスロンのスタート地点は、アクロポリスを象徴する世界遺産・パルテノン神殿のたもとだ。市街へと続く急な坂を駆けおりていると、徐々にアテネの街並みがパノラマ映像のように視界を占拠する。今、この目で捉えている広大な土地の地平線よりも遙か遠くまで、ぼくたちは自らの脚で移動するのだ。
軽い、と感じた。身体が軽い、羽毛布団のようだ。脚は気持ちよく前に振り出され、胴体は直立し、石畳の硬い路面に対して正しく垂直に加重をかけられている。ジョグペースながら、ふつうに走れているという事実に胸が躍る。
レースを前にして体調は最悪であった。能力をオーバーした距離練習で疲労が蓄積し、朝は布団から立ち上がれず、パンツをはこうとすれば立ちゴケする。職場では1ケタの暗算ができず、旧知の人の名前が出てこない。このままではフルマラソンの距離ですら走れそうにない。最後の賭けだと、日本を発ちアテネに入りレースまでの4日間、受付や荷物預けなどの必要以外は身体を動かすことを止めた。ひたすらベッドに横になり、眠れるだけ眠り、食事を採りつづけた。はたして作戦が功を奏したか。この身体の軽さ、疲労が完全に抜けた状態になっている!
アクロポリスを取り巻く公園地帯を抜けると、2、3車線の広い車道が縦横に伸びる商業エリアに入る。交通の要衝であろうすべての交差点に警官が立ち、自動車の侵入を遮断する。われわれの走路を確保するために、首都アテネの交通を麻痺させているのだ。たった300余人を走らせるために、いったい何千人、何万人のギリシャ人の協力があるのか。
四方八方から長押しされるクラクションは、「青信号なのに早く行かせろよ、バカ野郎!」の抗議の表現であり、またランナーへのエールとも受け止められる。ま、現実は抗議8に対し応援2くらいなんだろうけど。
スタートから10分。すでにランナーの列は1本に長く伸び、集団後方からスタートしたぼくの位置からは、先頭はおろか最後尾も見えないほどだ。実力のある選手、あるいはスタートダッシュをかける選手はキロ4分程度で進んでいるだろう。一方、制限時間ギリギリで関門突破を計りたい前半温存型の選手はキロ7分前後。その思惑の差が、300余人の距離を遠ざける。
道は思ったより走りづらくない。アスファルトは確かに日本のものより硬い気がする。また、表面が滑らかではなく凹凸があり、砂利が散在しているため、長時間走っているうちに細かな筋肉を使ってしまいそうだ。しかし、それはギリシャの道路事情がどうというよりも、比較対象する日本の道路が整いすぎているだけのこと。
次第に建物がまばらになり、森林が見える郊外に出ると交通規制が解ける。一般道路ながら道幅は広い。時速100キロくらいの猛スピードで走り去る大型トラックの風圧を感じなから、路肩を走る。ストライドは快調に伸び、次々と前方の選手をとらえ、追い越していく。身体は相変わらず軽い。勾配のある登り坂が1キロも続くが苦にならず、平地のようにキックが効く。下りともなればなおさら身体にキレを感じ、スピードはぐんぐん上がる。
前ゆくランナーを追い抜きざまに横顔をかいま見れば、とんでもないレベルの選手たちである。日本国内のウルトラやフルマラソンの大会で優勝経験のある方、24時間走や100キロの日本代表となり世界を舞台に活躍している方、そしてスパルタスロンを幾度も完走し、上位入賞経験のある方。どうなってんだ、こりゃ?
やがて視界の奥にオレンジ色の回転灯を点滅させたパトカーらしきものが見えてくる。まさか、あれは先導車?ってことは先頭集団が見える位置まで来てしまった? ペースを考えずに気の向くままに飛ばしてたらエライことになったぞ。
スパルタスロンでは1キロ、5キロなどキリのいい地点の距離表示はない。3キロ前後に1度はあるエイドステーションに通算距離を示した看板が出ているが、たとえば12.7キロなどと半端な距離であるため、頭のなかでペース計算できない。だから今現在のペースがつかめない。
突っ込んでる意識はない。レースの雰囲気をたっぷり味わいながら、気持ちよく超有名ランナーの方々を抜き去るぼく。そして今、スパルタスロンという世界最高の舞台で、先頭の見える位置につけている。も・し・か・し・て・・・ぼく、絶好調なのかーっ! 全盛期の中畑清も真っ青の有頂天気分が大脳を駆けめぐる。
嗚呼、今までどんな距離のレースに出ても、ロクな結果を残せなかった。そこいらへんの市民ランナーよりよっぽど月間走行距離は多いのに、10キロでも、フルでも、100キロでも、必ず最後には潰れておじいちゃん、おばあちゃんランナーに励まされ、よろめきゴールする。短いのも弱く、長いのも弱く。才能は光らず、努力は実らず、走った距離に裏切られ・・・。
しかし本日の調子の良さったら何だ? もしかして、ぼくはスパルタスロンを走るために生まれてきたのではないか。適性距離はここにあったか。眠っていたウルトラランナーとしての資質が今覚醒しつつあるのではないか。凡人ランナーとしての凡庸キャリアは、スパルタで戦える肉体とスピリッツを養成するための神が与えし試練だったに違いない!
・・・かくしてぼくの未明の暴走劇は加速度を増すのである。要するに勘違い大バカ男。とめどなく溢れ出すアドレナリンに支配された、走る合法ドラッグ患者である。
漫画家・福本伸行なら、この軽薄ランナーをどのように表現するだろう。
有頂天・・・・・・
恥を知らぬ有頂天・・・!
20キロを1時間30分台半ばで通過。
フルマラソンの自己ベストくらいの速いペース。つまりは無謀。
愚か者に、魔の手は静かに忍び寄らない。
自らをスパルタの申し子とした躁病男に対し、ツケは明白に、一気呵成に、津波のように押し寄せる。
最初の異変は左足甲の骨。不安の種のような小さな鈍痛は、5キロも進まないうちに焼けつくように熱く、ズキズキと血管を脈打ち勢力を拡大。着地するたびに脳天まで稲光が貫く。疲労骨折の経験はないけれど、こういうことなのか? たまらず道端にエスケープし靴下をめくると、紅くブヨブヨと腫れあがった足の甲が現る。靴ヒモをゆるめると少し痛みが引くが、走りだすと靴の中いっぱいに腫れ上がった足が圧迫感で爆発しそう。たまらずまた立ち止まって靴ヒモをゆるめる。これを何度も繰り返し、最終的にはヒモをまったく締めていない状態になる。
次の変調は右足首。薄いナイフでシュッと切り裂かれたような鋭い痛み。振り返って足首を見ると、シューズの上辺部分のソックスに穴が開き、足首に2センチの裂傷がある。出血がシューズを染めている。ずいぶん走り込んできたけど、こんな場所に靴ズレ起こすなんて一度も経験ない。
30キロも走らぬうちに至る所に故障を抱え、走りがギクシャクしはじめる。痛みは庇ってはいけない。痛みに耐えて正しいフォームで走らなくてはならない。フォームが崩れると、いろんなパーツが壊れはじめる。そうはわかっていても、レース序盤の故障という事実に平常心を失う。両足をかばいながら走った結果、股関節が痙攣をはじめる。全体の6分の1も進んでないうちに痙攣かよー? これから200キロ以上、どうごまかしながら走るってーの。やがて痙攣は大腿部の裏やふくらはぎにも拡がる。
塩分が足りないのか。エイドには大会サイドが用意した塩があると聞いたので、日本から持参したアジシオは封印した。が、実際にはエイドに塩は見当たらなかった。いや、あったのかもしれないが見つけられなかった。
246キロの道程にエイドは全75カ所。平均3キロに1カ所という重厚なサポート体制が敷かれている。しかしレース序盤のエイドに置かれているのは水、コーラ、スポーツドリンクらしき飲料と、ビスケットやクラッカーなどの揚げ菓子。暑さと渇きから揚げ菓子を口にする気分には到底ならない。だが、こいつで塩分を補給しないと、他にミネラルを得る手段がないと気づいたのは後のこと。
一方、コーラや他の炭酸飲料はスパルタスロン名物の「水割り」である。コーラ20mlに対し水100mlほどを足した超薄味のコーラが提供される。最初の数エイドではこの水割りコーラを飲んでいたが、飲んでも飲んでも喉が渇く。エイドのたびに3カップずつ喉に流し込んでいると、そのうち内臓が受けつけなくなってきた。
胃のムカムカ感が抑えられなくなり、いっそ吐いてしまえば楽に走れるかと、道端に寄って無理やり吐いてみた。真っ黒な吐瀉物が大量に噴きだす。きっとぜんぶコーラだな、こりゃ。一度吐くとすっきり楽になる。だが、すぐに喉が渇きはじめる。次のエイドで水割りファンタオレンジらしきドリンクを飲む。するとまた吐き気がこみ上げ、飲んだばかりのファンタを全部戻す。今度のゲロはオレンジ色である。飲めば吐き、吐けば渇き、乾けば飲む。ムダで苦しい行為が続く。
20キロあたりまで大量にかいていた汗が、1粒も流れなくなる。皮膚全体に白い塩が浮く。カラカラに乾いた肌に直射日光が当たると、皮膚の表面がチリチリ焼けるように痛む。汗は重要な体温調節機能である。その機能が完全停止している。苦しい、痛い、気持ち悪い・・・。
体調悪化とともに思考もネガティブ・スパイラルに入っている。これじゃあダメだ。景色だ、景色を観て心を癒そう。
永遠に続くかと思う長い坂道を登っては下る。ゆずの「夏色」のサビの部分が、エンドレスで頭の中に響く。やがて広大なエーゲ海が眼下に開ける。どこまでも透明で碧く、高級なゼリースイーツのよう。そういえば小学生の頃、版画家・池田満寿夫がメガホンをとった「エーゲ海に捧ぐ」というエロい映画を観たくて仕方なくて、映画館に忍び込もうとして失敗した。「11PM」で今野雄二あたりが映画の解説やってるの見て静かにコーフンしたっけ。幼少期の記憶ってすごいな。いまだにエーゲ海ってえとエロ映画(本当は芸術大作らしいですが)のエロ場面しか連想されない。その憧れの地を、30年という時空を経て今ゲロ吐きながら走ってるんだな。エロス&ランニング・・・だからどうしたってんだ。痛みをごまかすためにムダに思考を巡らせ、なおさら疲れる。ダメだ〜。
40キロのタイムは3時間45分。322人中113位で通過(後に確認した公式記録)。だが、このタイムと順位ほどに余裕はない。レース前半の最大の山場である第一関門・港町コリントス(80キロ地点)をクリアする可能性が乏しく思えてくる。80キロを9時間30分以内で入れば関門突破できるコリントスまでは、スタートからキロ6分30秒ペースで進めば問題ないと安直に計算していた。だが、今は手の届かないユートピアのガンダーラ。一度も経験したことのない体調変化がぬらぬらと妖怪のように頭をもたげ、国内レースからイメージする通過タイムや距離と一致しない重いダメージが蓄積している。
足の甲の腫れはいよいよひどく、痙攣はあちこちに飛び火する。対処方法が見つからない。5分だ、5分だけ休んで、復活に賭けよう。オリーブの巨樹のたもとに横になる。木の幹に両脚を90度にかけて血液を上半身に戻す。
こんなんで腫れは引くのかよ、この苦しさに耐えながらあと20数時間も走れるものか、と逃げ腰の自分が叫ぶ。そもそもがレベルの違いすぎる舞台なんだよここは、とストライキのシュプレヒコールをあげる。
何を言ってるんだ?とムカッ腹が立つ。この日のためにどれだけ練習してきたんだ。完走、するんだよな?と本来そうあるべき自分が軌道修正をはかる。
まぁまぁ、せめて第一関門くらい超えようよ、それができたら自分に合格点をあげるってのはどう?と妥協点をさぐる打算的な仲介役も登場する。どうも〜、コント・ビリー・ミリガンでございます的な独り芝居を繰り広げ、無益に5分が過ぎる。
立ち上がろう、走ってみよう。少し復活している。遅いけど走れる、スピードをあげても走れる。
なんか、はじめてサロマを走ったときに似てるなぁと懐かしくなる。走っても走っても関門の閉鎖時間に間に合いそうになくて、それでも全力で走って、最後は80キロで崩れ落ちたっけ。しかしあの頃はフルマラソンすら走り通せる力もないのに100キロに挑戦して、ペースも考えずに突っ込みまくったな。ははは、2年経ってもやってることは同じ、あまり成長してないな。いや、あの頃の方が今よりよっぽどチャレンジしてたな。マタズレ金玉たくし上げて、夢中で走っていたじゃないか。
工場地帯のなかを貫く一本道がどこまでも伸びている。ギラギラ輝くエーゲ海の太陽に射られながら、ぼくは遠くに見えるランナーの背中を追いかける。完走よりも、関門突破よりも、今この瞬間にできることをやろう。この土地で、全力を出すためにやってきたんだから。先のことを考える思考の余力を削ぎ落とし、前のランナーに食らいつくことだけを考えよう。今のぼくにできそうなことは、それくらいのことだ。
(つづく)
2010年10月28日
【地元徳島に密着した結婚情報がさらに充実】
徳島の式場&ブライダル関連ショップ246件掲載それぞれのデータもより使いやすくパワーアップさせました。花嫁さんのホンネに迫る特集記事も満載。
【徳島結婚ムーブメントの最先端を追った付録つき】
新生結婚しちゃお!には、徳島の最新ウエディングシーンを奥深く追求した付録ミニブックがついてきます。シリーズ第一弾は「徳島ギャル婚最前線」。
【誌面サイズがビッグに価格はよりお求めやすく】
誌面が大きくなって見やすくなりました。各ページに情報を探しやすいテーマ別のインデックス付き。それでいて価格はお手ごろな180円になりました!
2010年10月27日
県内の産直市を70カ所、ぎっしり集めた超保存版! 各市の売れ筋&ユニーク商品を詰め込みました。「安くて新鮮」は当たり前! 人々を虜にするメイド・イン・ローカルのワンダーランドにGO!
★ 徳島美人 12市町村版!
東西南北駆け巡り、徳島に住む美しい女性たちを12市町村から発掘してきました。選りすぐりのご当地美女に癒されて。
2010年10月21日
そして、表紙で好評連載中のさらランキング!
今回のテーマは「気になる生活家電ランキング」。私たちの興味をひいてやまない、日々の生活をより快適に変えてくれる今どき家電たち。今、徳島の女性が欲しい!と思うものベスト10はコレです!
2010年10月14日
・雑貨&インテリア430点
スタイリッシュな見た目はもちろん、機能性も兼ね備えたオシャレ+使える雑貨やインテリアが430点!リビングやキッチン、バスルームにピッタリのアイテムからそろそろ買い替えどきの手帳、遊び心の効いたデザイン雑貨に流行の「山ガール」アイテムまで、ジャンル別にご紹介。暮らしの中に彩りを添えて。
・徳島、おいしいパン生活
徳島の人気ベーカリーのパンをご紹介。おなじみのパンはもちろん、おいしいサンドイッチやパンが売り切れる秘密、天然酵母パンにとなんとその数200点。今回はなんとお得なクーポン付!切り取って使ってね。
2010年10月07日
また表紙で好評連載中の「さらランキング」、今回は「ラブ! 秋の食材ランキング」です。
栗、さんま、きのこ、新米、さつまいも。今年の夏はとにかく暑かっただけに、秋の訪れを今か今かと待ちわびていた人も多いはず。だって秋はこんなに美味しい食材がわんさかあるんだもの! 1つひとつのコメントを見ているだけでよだれが出てしまいそう…。さぁ、あなたの食欲を刺激する食材はありましたか?
2010年10月06日
月刊タウン情報CU9月号の実売部数を報告します。CU9月号の売部数は、
5,595部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2010年10月05日
月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数を報告します。タウトク9月号の売部数は、
7,946部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2010年09月30日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレース。実力をわきまえずエントリーしてしまったバカ男は、特訓と称して裸足で走りはじめたり、モヤシばかり食べたりと、怪しい方向へと道を踏み外しつつあった)
(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレース。実力をわきまえずエントリーしてしまったバカ男は、特訓と称して裸足で走りはじめたり、モヤシばかり食べたりと、怪しい方向へと道を踏み外しつつあった)
スパルタスロンにゴールテープはない。
レオニダス王の巨大な像の足の甲に触れる。それがゴールの証しである。紀元前480年、たった300名の兵を率い、100万人の軍勢を擁するペルシア軍に戦いを挑んだ(まゆつばな話)英雄レオニダス。そのゴールに直立する像の足元には、「欲しくば獲りに来い」と書いてある。
なんと短く、誇り高く、人の心を動かす言葉か。
求めるものは向こうから転がり込んではこない。自分から進んでいかなくてはならない。逆に考えるなら、目標は逃げはしない。レオニダス王は2500年もの間、スパルタに立っている。その場所に、自分の脚で、行けばいいだけのことだ。
スパルタスロンという大一番に向けて、この夏ぼくは伝説ともいえる快進撃をつづけた・・・というストーリーであるはずだった。
しかし現実の人生は、司馬遼太郎が描く剣士ほどに波瀾万丈ではなく、スコット・フィッツジェラルドの造り出す主人公のようにお洒落にはいかない。
□
6月初夏、今年も北海道の東のさいはてを訪れた。
「さいはて」と呼ぶと地元の人に失礼なのかなと思う。ヨーロッパ人に日本を極東(ファー・イースト)と呼ばれるのと同様だ。東の極みってどーゆーことよ。お前ら中心に物事を考えるなコノヤロー、となる。いや極東と当て字をしたのは他ならぬ日本人自身か。
「さいはて」は漢字で書けば最果て。最も離れた場所って意味。地元民はそんなこと他人に言われたくないだろう。と思いきや、道東(北海道東部)に行くと、あちらこちらの看板に「さいはて」という言葉が踊る。さいはて市場にさいはてラーメン、旅情が観光産業をうるおし金を生むんだから、自ら最果てを名乗るもアリか。
地元民の思いはともかく、ランナーにとってはこんな果ての地まで向かうことに大きな意味がある。仕事を休み、飛行機を乗り継ぎ、空港からレンタカーやバスで何百キロと移動してでも出場する100キロレース。サロマ湖100キロウルトラマラソンは、他の和気あいあいとしたウルトラ系の大会とは違うガチ勝負の緊張感がある。
サロマは、ぼくにとって特別なレースだ。はじめて100キロに挑戦したのがおととしのサロマ。80キロの関門を超えて気を失いリタイアした。はじめて100キロを完走できたのも、このサロマ。1年前だ。記録は11時間45分。
それから1年間に100キロ以上の大会を7本走り、ずいぶん自信をつけた。練習で走る30キロや50キロのペース走の感じなら10時間を切るのはさほど難しいことではなく、今年はうまくいけば9時間も切れると踏んでいた。
スタートからキロ5分で入る。後半多少ペースダウンしても8時間台を出せるペースだ・・・という目論見は、わずか30キロで瓦解した。前日、開催地である北見市は気温37度を記録。地元テレビのニュース番組は、6月の観測史上、過去最高だと繰り返した。レース当日も、午前中から気温はぐんぐん上昇30度に達し、10キロをすぎると噴き出す汗でシューズが水浸しになった。タッポンタッポンと重くなったシューズを恨みながら、ほどなく強烈な疲労感が襲ってきた。「なぜこんな早くへばるのだ?マジか自分?」と責めてもどうにもならないのがマラソンってヤツである。マラソンはメンタル・スポーツと言われるが、一度へばった身体を精神力で蘇らせられるほど甘い競技でもない。クリーンヒットされヒザから崩れ落ちたボクサーが、根性では立ち上げれないのと同様だ。
30キロで目標タイムをあきらめ、50キロでサブテンをあきらめ、60キロで自己ベスト更新をあきらめた。エイドで立ち止まらないという自分ルールを捨て、絶対にレース中に歩かないという鉄則も投げ捨てた。その先は、あきらめるモノも捨てるモノも見当たらなくなった。
72キロのエイドでトイレに入り、お小水の準備にとわがナニを取り出すと、その先っぽが今まで見たことのない色・・・真紫色に変色している。もしかしてインポテンツになるのではないかとの恐怖におののき、「不能か、完走かの二者択一ならどっちを選ぶか」などと下らないテーマについて1時間も考えながら走った。
やがて何もかもあきらめきったあと、せめて完走だけはという最低レベルの蜘蛛の糸にだけはしがみつき、12時間05分ゴール。よれよれで初完走した去年よりさらに20分も遅い。「サロマは暑すぎた」。それが自分を納得させる唯一の失敗理由だった。要するに、自分のせいじゃないって!
7月、高知・汗見川清流マラソン。去年まではのんびりした田舎の行事って雰囲気だったが、今年からランナーズチップが導入されたり、木造のゴールゲートやら特産品マーケットなどが用意されたりして、立派なマラソンイベントに変わった。過去の9.7キロという中途半端な距離設定も、きちんと計測されたハーフマラソンの距離になった。中間の折り返し地点までは延々と登り、復路は下るだけ。キツい終盤のほとんどを下っていけるのはラクなコースといえる。最低でも1時間35分で走りたい。夏場にそれくらいのタイムを出しておけば、冬には1時間20分台にもっていける。道路の電光掲示板は朝から気温32度を示している。今日もまた激暑の予感がする。
蛇行する山道をイーブンペースでゆく。坂道といってもトレイルレースに比べたら平地みたいなもん。登りながらキロ4分30秒でラップを刻んでいる。こりゃ後半の下りで4分10秒くらいまで上げれるから、とんでもないタイムが出るね!なんてウキウキ気分の痛快通り。
ところが折り返しをUターンすると、身体が自分のもんじゃないような重さ。下り道だよ、楽勝の予定だよ、今からスピードアップするはずだよね。思いとはウラハラに脚には鉛、腕には鉄アレイ、頭は孫悟空を戒める輪っかがハメられたよう。やがてキロ4分台を維持できなくなり、5分30秒に落ち込む。筋肉が収縮を忘れ、タプタプした水袋になったかのよう。重いだけで仕事をしない。残り3キロ、ついに走れなくなり立ち止まる。道路脇に山水が噴きだしているパイプがあり、頭からドゥドゥと水をかぶる。不自然なほど全身びしょ濡れになってゴールするとタイムは1時間49分。服もシューズも着けたまま、水道水をホースで全身に浴びせながら、ハーフマラソンですら「完走」できないのかとうなだれる。
「汗見川は暑すぎた」。練習のタイムトライアルでは、1000メートルでも、5000メートルでも速くなっている。レースに限って失速するのは「暑すぎるから」。そうに違いないって!
8月、北海道マラソン。夏場に行われる国内最大規模のフルマラソンの大会だ。おととしまでは制限4時間のシリアスレースだったが、去年から5時間に緩和され多くの市民ランナーが参加できる大会になった。とはいえ実業団選手にとって世界選手権の選考レースであり、札幌の中心街を駆け抜けるコース設定、テレビの生中継もあって、華やかで洗練された大会であることに変わりはない。
最低でも3時間20分を切りたい。ゆっくり入って、25キロから徐々に上げていき、35キロから全力モードに入る、というレース計画でのぞむ。
スタートの号砲が鳴る。極限まで脱力し、どこの筋肉にもいっさいの力を入れない、という意識を確認。「これはジョグだ、25キロまではジョグだ」とぶつぶつ唱える。
息も切れず、沿道の応援に笑顔でこたえ、すがすがしく前に進む。キロ4分40秒前後でラップを刻む。これだけ力を入れずにこのタイムなら上出来。後半にたっぷり余力を残せている、と嬉しくなってくる。ただ両方のヒジから、したたるように汗が落ちていく。この分じゃ2〜3リッターはすぐに流れ出てしまいそうだ。
20キロ手前で腕時計に表示されたラップタイムを見て、目を疑う。5分42秒で止まっている。距離表示の間違いかと思う。いやしかし日本陸連の主催大会で距離間違いなどあるはずがない。次の1キロは5分22秒、その次も5分41秒。勝負所の25キロのはるか手前で失速開始だ。「またかよ」と思う。サロマ、汗見川、そして北海道。いずれも終盤の勝負ポイントのはるか手前で自滅がはじまり、あとは対処しようがなくなるの繰り返し。
1キロに6分かかりはじめる。何もかもから逃げだしたくなる倦怠感。水分補給しても胃から喉に逆流する。1キロが本当に遠い。走っても走っても次の1キロの看板が見えてこない。
40キロ手前で脚がつるかつらぬかの微妙な状態がつづき、この感じから逃げたいと立ち止まって脚の屈伸をすると、そのまま完全に痙攣がはじまった。道路脇の街路樹のたもと、土のうえに座り込む。股関節と両脚と腹筋が痙攣して、どの関節も曲げられない。下半身をピンと伸ばした変な格好で、痙攣よ治まってくれと嘆く。
ふと見れば、あちらこちらでランナーが倒れていて、大会スタッフが介抱している。担架が運ばれたり、サイレン音も高らかに救急車が近づいてきたり。大会スタッフがこっちに気づきにじり寄ってくる。ヤバイ、このままだと病院連行だ。ムリヤリ笑顔を見せ「ちょっと屈伸してまーす」と元気に挨拶、ヨッコラショッと立つフリをする。
どんな落ち込んでもせめてサブフォーだけは、と攣ったままの脚で歩きはじめる。歩幅はわずか30センチのよちよち歩き。結局、40キロからの2.195キロに20分以上かかりゴールラインをまたげは記録は4時間05分。さて今回の失敗の言い訳は何にしようと考える。「札幌は暑すぎた」。そろそろこの理由は通用しなくなってきたんじゃないか?
9月、猛暑はおさまる気配もない。東京で行われる神宮外苑24時間チャレンジは、24時間走世界大会の日本代表を決める重要レースだ。1周1.3キロの周回路を走り、24時間で走破した距離を競う。200キロを越えたら一流どころ。日本代表に選ばれるためには230キロ以上は稼ぎたい。
しかしぼくときたら、この夏ハーフ、フル、ウルトラと、3本のレースすべてに失敗し、その悪夢を払拭しようと月間500キロを走り込み続け、肉体も精神も疲労困ぱい模様である。何かを達成したトップアスリートでもないのにバーンアウト状態。走る前からヘトヘトなのである。
再び気温34度の熱帯日和のなか、直射日光を全身に浴びながら、黙々と周回路を走る。いや、やはり走れない。24時間走という競技は、この日に向け1年間きちんと準備をこなしても厳しいものなのだ。走る前からフラフラの人間に何ができようか。10時間もかけて80キロをようやっと過ぎたあたりで、それ以上走る気力が失せ、自ら走路を外れてアスファルトの地面にうつ伏せる。少し眠れば体力も回復するかと睡眠を試みたが、大会テント用の発電機のエンジン音が耳をついて眠れない。ムリにでも寝てしまおうと睡眠導入剤を飲むと、眠れない代わりに、江戸末期の庶民のような「ええじゃないか」的な投げやりで浮かれた気分に満ちてきた。もうこれ以上は走れはしない、ほれでええじゃないか。自分は弱い、そう認めざるを得ない、ほれでええじゃないか、ええじゃないか。
□
スパルタスロン出場に向けてこの半年、めいいっぱい走り込んだ。当然、走行距離に見合う実力がつくものだと信じてである。だが夏のレースは4本とも全滅。それもタイムが去年より遅くなったというレベルの失速ではなく、レースを途中棄権するに等しい失敗を重ねたまま、一筋の光も見えぬままギリシャに向かうことになった。
ひとつだけはっきりしたことがある。現在の実力ではスパルタスロンの時間内完走・・・246キロを36時間以内完走は200%ムリだってこと。
ならば、ならばである。
どうせ負け戦なら潔い負け方をしよう。前半自重なんかせず、突っ込んでやろう。後半に力を溜めているうちに、関門の制限時間に引っかかって、不完全燃焼のままオメオメと帰国するくらいなら、無謀な賭けに出てやろう。スタートと同時にフルマラソンのレースのつもりで全力でいこう。あとは野となれ山となれだ。
誰かに羽交い締めにされて止められない限り、ゴールのレオニダス王を目指して脚を前に繰り出そう。わずか300人で100万人の軍隊に突っ込んでいった(まゆつばですが)英雄の元に歩み寄るレースなのだ。
「欲しくば獲りに来い」。
獲りにいってやるさ。全力で。
(次回いよいよ本番に突入)
2010年09月29日
暑さ過ぎ去り、お出かけのベストシーズン到来。実り豊かでメシもうまいぜ!ってことで遊&見&食、秋をこれでもかと堪能できるスポットとイベントを大放出。秋限定の貴重なグルメ情報からローカルな秋祭りまで、ぎっしり詰め合わせてます!
★カレーのおいしいお店★
家庭の味からエキゾチックな本場仕込みまで! 「うまい!」と思わず唸るカレーライスをご紹介します。好みの一皿がきっと見つかる!
2010年09月16日
また、表紙で大好評連載中の「さらランキング!」。今回は、いくつになってもおしゃれでいたい女性のために、20代女子が秋冬のおしゃれアイテムとその着こなし術を提案してくれました。今、注目されているファッショントレンドとは…?
2010年09月14日
■特集1「売れてるケーキ、ベスト5」
徳島の人気パティスリーの絶品ケーキが目白押し!ふわふわスポンジにやさしい味の生クリーム、彩りを添えるフルーツには秋の味覚・栗やあけびが仲間入り。ほか、プリンやロールケーキなど「今すぐ食べたい!」となること間違いなしのラインナップ。
2010年09月03日
結婚しちゃお!夏号 実売部数報告です。
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文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
今、ランナーたちの間でベアフット=裸足ってのがキーワードになっていて、ぼくもときどきシューズを脱いで走ってみたりしている。ウルトラマラソン用のブ厚いソールでも100キロ走れば膝バキバキ傷めるのに、裸足なんかで走って大丈夫なのか? そんな疑問をかかえたまま、恐る恐る硬いアスファルトの上に無防備な裸足で踏み出してみた。どれほどの衝撃がカカトや足首、膝を襲うんだ?という危惧は、20メートル先できれいに消えた。衝撃などなかったのだ。
今、ランナーたちの間でベアフット=裸足ってのがキーワードになっていて、ぼくもときどきシューズを脱いで走ってみたりしている。ウルトラマラソン用のブ厚いソールでも100キロ走れば膝バキバキ傷めるのに、裸足なんかで走って大丈夫なのか? そんな疑問をかかえたまま、恐る恐る硬いアスファルトの上に無防備な裸足で踏み出してみた。どれほどの衝撃がカカトや足首、膝を襲うんだ?という危惧は、20メートル先できれいに消えた。衝撃などなかったのだ。
シューズなら地面から反発力をもらうべくバシバシ叩きつけるところだが、裸足で同じことしても跳ね返るわけもなく、適度にゆるく脚を繰り出してみる。わが足裏は、オッサンの足とは思えぬほどペタペタかわいらしい足音を立て、やわらかく着地する。少しスピードをあげてみる。うほ〜裸足だとカカトってぜんぜん接地しないのね。前足部で着地し、リリースまで一度もカカトをつけない(微妙に触れるけど)。試しにわざとカカトから着地してみるととても走りにくい。全体重を硬いアスファルトに乗せるには、あまりにカカトの骨は小さく、肉は薄い。
少し頭がこんがらがってくる。3年前にメタボ腹をかかえてランニングをはじめた頃にむさぼり読んだ20冊を上回るランニング教書では、「カカトから着地して、つま先から抜くのが正しいフォームです」との説明がスタンダードであった。有森裕子さんはじめ実績あるランナーたちがそう述べているのはなぜか? 対して「足裏全体で同時に着地すべき」という論調もあるが、カカト着地派が6:4で優勢と思われる。ましてや「つま先から着地しなさい」なんて書いてる本は見たことがない。唯一例外が、最も尊敬すべきマラソンランナー中山竹通さんのインタビュー記事。現役時代には「カカト着地ではテンポが遅れるため、カカト着地の時間を省略し、つま先着地で素早く切り返していた」という主旨のことを述べている。
ランニングシューズを製造するスポーツメーカーは、新発売シューズではこぞってソール部分のクッションを強化する傾向にある。エアーやゲルや特殊素材をはさみこみ衝撃吸収性をアピールする。オーバープロネーションを補正する角度をつける。そうやってヒザや足首にかかる加重を減らしてケガのリスクを下げ、タイムまでも向上させる、と高らかに謳う。やっぱしカカトから着地するのが正しいのか?
つま先着地でペタペタと走りながら思索にふける。脚は気持ちよく回転運動をつづけている。ぼくは静かな感動につつまれていた。「人間の脚って、こんなに良くできているのか」と。シューズを履いているときはまるで気にしていなかったが、指先がグイッグイ地表を掴みとる作用を果たす。サバンナの草原を疾走する肉食獣の前脚のように。長らくシューズの中に押し込めてきて(ランニング教書では靴ヒモは強めに締め、指の先っぽから1センチくらいはシューズ内にスペースを空けるように指導されている)、まったく機能を果たしていなかった指先が、シューズから解き放たれたとたん、古代からの記憶を取り戻したがごとく野性の動きを再現する。
いったい全体、「正しい走り方」って何なんだろう? このようなドシロウト・ランナーの迷いに明快なヒントを与えてくれるのが、アメリカ合衆国においてベアフット・ランニングを爆発的に広めたクリストファー・マクドゥーガル著「BORN TO RUN」だ。チマタで流布されているランニングの常識をゴミ箱にポイする勢いの内容ゆえ、刺激
が強い。ぼくのように活字情報に毒されすぎて、ランニングフォームがぐちゃぐちゃになってるようなタイプの人なら、激しい迷いに突入する可能性もあるが、恐いもん見たさで読んでみて下さい。
さて裸足ランニングはまだ日本では市民権を得られていないため、すれ違うウォーカーやジョガーたちの困惑した表情にさらされることになる。彼らは、目の前で起きている事態に、どう判断を下してよいかわからないのだ。笑うでもなく、目で追うでもなく。チラッと視線を送っては、見てはいけないものを見てしまったかのようにササッと目をそらす。一般に、ちょっとイカれた人を目撃したときの反応だ。恥ずかしい、だが対処法はない。黙って恥ずかしさに耐えるか、あるいは誰も歩いてない午前6時頃に走るか。そりゃ、しょうがないよね。ぼくだって裸足で道路を走ってる人見たら、浮気がばれて奥さんから逃げだしてきたんか?って疑うくらい想像力の及ぶ範囲は限られている。
□
9月、世界で最も歴史ある超長距離レース「スパルタスロン」が開催される。全世界からつどいし超長距離界のスーパースターたちが、ギリシャの歴史遺産や荒野を舞台に、昼夜にわたる戦いを展開するのだ。
今年は9月24日から25日にかけて行われる。アテネ市街の著名な遺跡・アクロポリスの丘をスタート地点とし、ゴールは246キロ彼方のスパルタの町。日本では「スパルタ教育」の名で知られる戦士の都市だ。ランナーはフィニッシュの儀式として古代スパルタ王である英雄レオニダスの銅像の脚にタッチ、あるいはキスをする。その後、古代ギリシャの白装束をまとった見目うるわしき女性からエウロタス川のしずくが葉っぱに乗せて、あるいは古代の壺を模した器で与えられる。いずれも、2500年前にこの区間を一昼夜で走りきった戦士が行い、また施された行為の再現なんだろう。
この大舞台に参戦する。「参戦」といえば勇ましくもカッコいいが、スーパースターたちとマッチアップするほどの走力はない。ドン尻でもいいから完走狙い、制限時間の10秒前でもいいから完走狙い、それに尽きる。自分の体力、知力すべてを動員し、何ごともうまい塩梅で進んだうえに、あと一歩も走れない・・・という所まで追い込みきって、ようやく完走できるか、それでも無理かの当落線上。それがもっかの実力である。
246キロメートルを36時間以内に走る。この数字だけみれば、走れるような気がしなくもない。単純計算で1キロを8分イーブンで走り切ればいいからだ。楽勝かもしれないな〜、と去年の今頃、つまり何もわかっていない頃には楽観していた。
出場エントリーにあたって過去のデータを調べた。昨年の2009年大会は、完走者133人に対し、リタイアは187人。完走率41.6%である。大会の出場資格は100キロを10時間30分以内の公式記録か、200キロ以上のレースの完走記録が必要。そんなランナーたちが半数も完走できないのだ。去年はきっと酷暑で落雷も落ちて、暴れ馬が乱入でもしたんだろう。で、昨年参加した方に聞いてみると「去年は涼しかったよ〜」とか。涼しくて4割かよ! 昨年以前も完走率は例年30%〜40%が標準で、酷暑の年は25%を切っている。ややや、完走率25%って何だ〜?
慣れない英語やギリシャ語と戦いながらエントリーを終えると、レースの詳細が書かれた案内書が郵送されてきた。ずらりと並ぶ細かな数字・・・どうやらエイドステーションのリストである。全行程中、75カ所ものエイドがある。そして各エイドの撤収時間がイコール関門になっているようなのだ。
このタイムが非常に厳しい。まず入りの19.5キロの関門閉鎖が2時間10分。ここをセイフティーに越えるにはキロ6分を切っていく必要がある。いきなりけっこうなスピードを要求されるのだ。その後、フルマラソンの距離に相当する42.2キロ地点が4時間45分、100キロ関門が12時間45分である。これは後半にスタミナを温存して出せるタイムじゃないぞ! 100キロのレースに出て、12時間で走りきってゴールラインを越えたあとは、ぼくの場合ひん死の重傷レベル、ほとんど動けなくなる。そこから再び立ち上がり、残り146キロを24時間以内で走るエネルギーは残っているのだろうか?
この時期、ギリシャのエーゲ海沿いの昼間の気温は40度を超す。コース後半は山岳地帯に突入し、1000メートル級の山越えが2カ所ある。峠では摂氏5度付近まで降下する。うひょひょ、もう無理な気がしてきた。
この大会に出場するため春から月間500キロを走り込んでいるが、参加選手の多くは800〜1000キロを走っている。1日平均30キロを平然と走れる人たちの完走率が30%〜40%ってわけね。うーん、こりゃ踊るしかないね。
□
スパルタスロン出場が決まってからは、体脂肪率を落とすために、1日の食事回数を1回(元々だけど)にし、主食をモヤシ、キュウリ、もずくにしている。徹底的に体重減少をはかる。レース後半のオールアウト(まったく身体が動かなくなる状態)を防ぐために、体重は10グラムでも軽くしたい。気力も及ばぬ極度の疲労は、25万歩にも達する脚の移動によってもたらされる。1歩にかかる体重負担を減らすことが、レース100キロ以降の成否を左右する。
また、給水をしない練習をしている。過去の超長距離レースでは、水を摂取しすぎて低ナトリウム血症的な症状に襲われ、空ゲロえずきながらオールアウトが定番。今年のサロマ湖100キロでも水5リッター飲みまくり自滅。そんな失敗を繰り返している。体質を根本から変える必要がある。
一般論はよく知っている。「科学的な」研究によりランニング中の給水の必要性は、スポーツ医学界からも、飲料メーカーの研究室からも提唱されている。練習中の運動部員やマラソンランナーらの熱中症による死亡事故のニュースは毎年絶えない。
一方、ケニアのトップランナーが集結するエルドレッド近郊のカプサイト・キャンプでは、30キロ程度の練習中なら、ランナーは給水しないという。走行中はおろか、起床してから午前の練習を終えるまで水やスポーツドリンクは採らない。練習を終えた後に、何時間かかけてミルクティー(成分の大半は生乳)2〜3リットルを少しずつ飲む。ぼくたちが日頃耳にするアミノ酸やら電解質やら浸透圧とは無縁の世界で、21世紀初頭のマラソンの歴史が築かれている。フルマラソンの歴代世界10傑のうち2位から10位までの9人はケニア人なのだ。
20年くらい前までは、日本中の運動部で練習中に水を飲むのは絶対禁止だった。ぼくたち非科学的・根性論世代は、水を飲まず、ウサギ跳びと手押し車をし、監督や先輩から顔面ビンタを食らいながら、根性ってヤツを鍛えられた。こんな「プレイボール・侍ジャイアンツ・がんばれ元気」世代は、どうも「科学」がビジネスと結びついて見えるときは少し疑ってかかるクセがある。いっぽうで非科学的な根性論を無条件で受けて入れてしまう。大学の実験室のトレッドミルや血液検査装置やモーションキャプチャーで計測された科学的データでは計り知れない、突き抜けた境地ってのが人間にはあるはずなんだ。
20〜30キロを無給水で走るトレーニングをはじめると、後半バテなくなってきた。科学的根拠はむろんない。気のせいなのかもしれない。でもそこが人間のおもしろいとこ。ここぞってときに発揮できるタフさってのは、数値では管理できない何か、体内から噴きだす負のオーラやら、わけのわからないド根性やら、要するに理屈じゃない所から発生するんだ。
何十年間も運動をせず、ただデブるにまかせていた凡人たるオッサン、ただのスポーツ観戦愛好家だったぼくが、ドキュメンタリー番組でしか観たことのないテレビの向こうの世界・・・スパルタスロンの舞台で戦うには、正常なことをしていては追いつかない。「馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ」との猪木師匠のポエムと心中覚悟。力石徹が1日トマト1個で生き、谷口タカオが距離3分の1ノックをしたように、シューズを脱ぎ捨て、水涸れした身体でモヤシをむさぼり、バカ世界に入滅する。
少し頭がこんがらがってくる。3年前にメタボ腹をかかえてランニングをはじめた頃にむさぼり読んだ20冊を上回るランニング教書では、「カカトから着地して、つま先から抜くのが正しいフォームです」との説明がスタンダードであった。有森裕子さんはじめ実績あるランナーたちがそう述べているのはなぜか? 対して「足裏全体で同時に着地すべき」という論調もあるが、カカト着地派が6:4で優勢と思われる。ましてや「つま先から着地しなさい」なんて書いてる本は見たことがない。唯一例外が、最も尊敬すべきマラソンランナー中山竹通さんのインタビュー記事。現役時代には「カカト着地ではテンポが遅れるため、カカト着地の時間を省略し、つま先着地で素早く切り返していた」という主旨のことを述べている。
ランニングシューズを製造するスポーツメーカーは、新発売シューズではこぞってソール部分のクッションを強化する傾向にある。エアーやゲルや特殊素材をはさみこみ衝撃吸収性をアピールする。オーバープロネーションを補正する角度をつける。そうやってヒザや足首にかかる加重を減らしてケガのリスクを下げ、タイムまでも向上させる、と高らかに謳う。やっぱしカカトから着地するのが正しいのか?
つま先着地でペタペタと走りながら思索にふける。脚は気持ちよく回転運動をつづけている。ぼくは静かな感動につつまれていた。「人間の脚って、こんなに良くできているのか」と。シューズを履いているときはまるで気にしていなかったが、指先がグイッグイ地表を掴みとる作用を果たす。サバンナの草原を疾走する肉食獣の前脚のように。長らくシューズの中に押し込めてきて(ランニング教書では靴ヒモは強めに締め、指の先っぽから1センチくらいはシューズ内にスペースを空けるように指導されている)、まったく機能を果たしていなかった指先が、シューズから解き放たれたとたん、古代からの記憶を取り戻したがごとく野性の動きを再現する。
いったい全体、「正しい走り方」って何なんだろう? このようなドシロウト・ランナーの迷いに明快なヒントを与えてくれるのが、アメリカ合衆国においてベアフット・ランニングを爆発的に広めたクリストファー・マクドゥーガル著「BORN TO RUN」だ。チマタで流布されているランニングの常識をゴミ箱にポイする勢いの内容ゆえ、刺激
が強い。ぼくのように活字情報に毒されすぎて、ランニングフォームがぐちゃぐちゃになってるようなタイプの人なら、激しい迷いに突入する可能性もあるが、恐いもん見たさで読んでみて下さい。
さて裸足ランニングはまだ日本では市民権を得られていないため、すれ違うウォーカーやジョガーたちの困惑した表情にさらされることになる。彼らは、目の前で起きている事態に、どう判断を下してよいかわからないのだ。笑うでもなく、目で追うでもなく。チラッと視線を送っては、見てはいけないものを見てしまったかのようにササッと目をそらす。一般に、ちょっとイカれた人を目撃したときの反応だ。恥ずかしい、だが対処法はない。黙って恥ずかしさに耐えるか、あるいは誰も歩いてない午前6時頃に走るか。そりゃ、しょうがないよね。ぼくだって裸足で道路を走ってる人見たら、浮気がばれて奥さんから逃げだしてきたんか?って疑うくらい想像力の及ぶ範囲は限られている。
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9月、世界で最も歴史ある超長距離レース「スパルタスロン」が開催される。全世界からつどいし超長距離界のスーパースターたちが、ギリシャの歴史遺産や荒野を舞台に、昼夜にわたる戦いを展開するのだ。
今年は9月24日から25日にかけて行われる。アテネ市街の著名な遺跡・アクロポリスの丘をスタート地点とし、ゴールは246キロ彼方のスパルタの町。日本では「スパルタ教育」の名で知られる戦士の都市だ。ランナーはフィニッシュの儀式として古代スパルタ王である英雄レオニダスの銅像の脚にタッチ、あるいはキスをする。その後、古代ギリシャの白装束をまとった見目うるわしき女性からエウロタス川のしずくが葉っぱに乗せて、あるいは古代の壺を模した器で与えられる。いずれも、2500年前にこの区間を一昼夜で走りきった戦士が行い、また施された行為の再現なんだろう。
この大舞台に参戦する。「参戦」といえば勇ましくもカッコいいが、スーパースターたちとマッチアップするほどの走力はない。ドン尻でもいいから完走狙い、制限時間の10秒前でもいいから完走狙い、それに尽きる。自分の体力、知力すべてを動員し、何ごともうまい塩梅で進んだうえに、あと一歩も走れない・・・という所まで追い込みきって、ようやく完走できるか、それでも無理かの当落線上。それがもっかの実力である。
246キロメートルを36時間以内に走る。この数字だけみれば、走れるような気がしなくもない。単純計算で1キロを8分イーブンで走り切ればいいからだ。楽勝かもしれないな〜、と去年の今頃、つまり何もわかっていない頃には楽観していた。
出場エントリーにあたって過去のデータを調べた。昨年の2009年大会は、完走者133人に対し、リタイアは187人。完走率41.6%である。大会の出場資格は100キロを10時間30分以内の公式記録か、200キロ以上のレースの完走記録が必要。そんなランナーたちが半数も完走できないのだ。去年はきっと酷暑で落雷も落ちて、暴れ馬が乱入でもしたんだろう。で、昨年参加した方に聞いてみると「去年は涼しかったよ〜」とか。涼しくて4割かよ! 昨年以前も完走率は例年30%〜40%が標準で、酷暑の年は25%を切っている。ややや、完走率25%って何だ〜?
慣れない英語やギリシャ語と戦いながらエントリーを終えると、レースの詳細が書かれた案内書が郵送されてきた。ずらりと並ぶ細かな数字・・・どうやらエイドステーションのリストである。全行程中、75カ所ものエイドがある。そして各エイドの撤収時間がイコール関門になっているようなのだ。
このタイムが非常に厳しい。まず入りの19.5キロの関門閉鎖が2時間10分。ここをセイフティーに越えるにはキロ6分を切っていく必要がある。いきなりけっこうなスピードを要求されるのだ。その後、フルマラソンの距離に相当する42.2キロ地点が4時間45分、100キロ関門が12時間45分である。これは後半にスタミナを温存して出せるタイムじゃないぞ! 100キロのレースに出て、12時間で走りきってゴールラインを越えたあとは、ぼくの場合ひん死の重傷レベル、ほとんど動けなくなる。そこから再び立ち上がり、残り146キロを24時間以内で走るエネルギーは残っているのだろうか?
この時期、ギリシャのエーゲ海沿いの昼間の気温は40度を超す。コース後半は山岳地帯に突入し、1000メートル級の山越えが2カ所ある。峠では摂氏5度付近まで降下する。うひょひょ、もう無理な気がしてきた。
この大会に出場するため春から月間500キロを走り込んでいるが、参加選手の多くは800〜1000キロを走っている。1日平均30キロを平然と走れる人たちの完走率が30%〜40%ってわけね。うーん、こりゃ踊るしかないね。
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スパルタスロン出場が決まってからは、体脂肪率を落とすために、1日の食事回数を1回(元々だけど)にし、主食をモヤシ、キュウリ、もずくにしている。徹底的に体重減少をはかる。レース後半のオールアウト(まったく身体が動かなくなる状態)を防ぐために、体重は10グラムでも軽くしたい。気力も及ばぬ極度の疲労は、25万歩にも達する脚の移動によってもたらされる。1歩にかかる体重負担を減らすことが、レース100キロ以降の成否を左右する。
また、給水をしない練習をしている。過去の超長距離レースでは、水を摂取しすぎて低ナトリウム血症的な症状に襲われ、空ゲロえずきながらオールアウトが定番。今年のサロマ湖100キロでも水5リッター飲みまくり自滅。そんな失敗を繰り返している。体質を根本から変える必要がある。
一般論はよく知っている。「科学的な」研究によりランニング中の給水の必要性は、スポーツ医学界からも、飲料メーカーの研究室からも提唱されている。練習中の運動部員やマラソンランナーらの熱中症による死亡事故のニュースは毎年絶えない。
一方、ケニアのトップランナーが集結するエルドレッド近郊のカプサイト・キャンプでは、30キロ程度の練習中なら、ランナーは給水しないという。走行中はおろか、起床してから午前の練習を終えるまで水やスポーツドリンクは採らない。練習を終えた後に、何時間かかけてミルクティー(成分の大半は生乳)2〜3リットルを少しずつ飲む。ぼくたちが日頃耳にするアミノ酸やら電解質やら浸透圧とは無縁の世界で、21世紀初頭のマラソンの歴史が築かれている。フルマラソンの歴代世界10傑のうち2位から10位までの9人はケニア人なのだ。
20年くらい前までは、日本中の運動部で練習中に水を飲むのは絶対禁止だった。ぼくたち非科学的・根性論世代は、水を飲まず、ウサギ跳びと手押し車をし、監督や先輩から顔面ビンタを食らいながら、根性ってヤツを鍛えられた。こんな「プレイボール・侍ジャイアンツ・がんばれ元気」世代は、どうも「科学」がビジネスと結びついて見えるときは少し疑ってかかるクセがある。いっぽうで非科学的な根性論を無条件で受けて入れてしまう。大学の実験室のトレッドミルや血液検査装置やモーションキャプチャーで計測された科学的データでは計り知れない、突き抜けた境地ってのが人間にはあるはずなんだ。
20〜30キロを無給水で走るトレーニングをはじめると、後半バテなくなってきた。科学的根拠はむろんない。気のせいなのかもしれない。でもそこが人間のおもしろいとこ。ここぞってときに発揮できるタフさってのは、数値では管理できない何か、体内から噴きだす負のオーラやら、わけのわからないド根性やら、要するに理屈じゃない所から発生するんだ。
何十年間も運動をせず、ただデブるにまかせていた凡人たるオッサン、ただのスポーツ観戦愛好家だったぼくが、ドキュメンタリー番組でしか観たことのないテレビの向こうの世界・・・スパルタスロンの舞台で戦うには、正常なことをしていては追いつかない。「馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ」との猪木師匠のポエムと心中覚悟。力石徹が1日トマト1個で生き、谷口タカオが距離3分の1ノックをしたように、シューズを脱ぎ捨て、水涸れした身体でモヤシをむさぼり、バカ世界に入滅する。
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2010年09月02日
今回は「私のカラダ、何とかしたい! 第2弾」。頑固な筋肉のコリをほぐしたりリンパに溜まった老廃物を排出するマッサージや、今注目のよもぎ蒸し、足を使った珍しいマッサージ“フーレセラピー”などをしてくれるお店を紹介。さらに体を内側からも元気にしてくれる飲食店の美味しいメニューもあります。秋はもうすぐそこ。夏の疲れは今すぐ解消して、美味しいものも楽しいこともいっぱいの秋を迎えましょう♪
表紙のさらランキングは、「気になるダイエットランキング」がテーマ。
みんな流行のダイエットを自己流にアレンジして楽しくシェイプアップしているよう。やっぱりダイエットは楽しくないと続かないですもんね〜。やってみたいダイエット法は見つかりましたか?
2010年08月26日
自然いっぱいの露天風呂から遊べるアミューズメントスパまで、四国4県&淡路のお湯をドドンと81ご紹介! 好みのお風呂を見つけて、次の休みはリフレッシュ!
★ひわさうみがめトライアスロン・リポート★
今年で11回目を迎えたひわさうみがめトライアスロン。参加者たちの激闘、地域のサポート、そして感動のゴールシーンに密着しました!