文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
6月からの6カ月で、18本のレースに出た。うちフル7本、100キロ以上5本。
会社勤めをしながら極限まで脚を酷使する目的は果たせつつあるのだろうか?
6月からの6カ月で、18本のレースに出た。うちフル7本、100キロ以上5本。
会社勤めをしながら極限まで脚を酷使する目的は果たせつつあるのだろうか?
左膝の内側に剣山がはさまっているよな痛み、両方のハムストリングは紙ヤスリでガリガリこすられる違和感。日常歩くのも支障がある状態まで持っていけた。夜は寝床につくと3秒で睡眠に入り、朝は身体が布団にへばりつくような鈍い疲労感で目覚める。うーん、しんどい。確かにしんどいのだが、だからといって、これが1000キロ、2000キロ、5000キロ続けて走る大陸横断の予備トレになっているかといえば、はなはだ疑問である。甘すぎるんじゃないですかな、これは。モハメド・アリと決闘するのに、蝶々を相手にシャドウボクシングして疲労困憊してるレベルの話。もっと追い込みたい。
追い込み計画その1として2日連続のフルマラソンに挑む。といっても毎日70キロ〜100キロ走るのが日常の超長距離フットレースの世界では、「だからどしたん?」レベルのお話。しかし、ぼくにとっては未知の領域。むろん2日連続を前提に、ゆっくり走るのでは意味がない。初日、2日目ともに自己ベスト目指して全力走。それで身体がどう反応するかを確かめたい。
・・・要するにバカである。そんなことやったって、就職難の若者が溢れかえる世の中のためにも、飢餓に瀕したアフリカの少年少女に対しても、1ミリの貢献もできない。誰のためにも何のためにもならない。しかし、そもそも走ってる意味なんていくら考えてもわからないんだし、やるんなら自分を追い込む。それだけ。今日を全力で生きている人間だけが、10年後も全力でいられる。
【初日・つくばマラソン】
左膝がぶくぶくと浮腫み、真っ直ぐに脚をスイングできない状態。しかし、スタート直後はアドレナリンの分泌が激しいのか、痛みが消えて一瞬絶好調な気がする。それどころか身体が軽く、宙に浮く感覚にとらわれる。直前まで最悪コンディションだと感じていたのがウソのよう。軽い、軽すぎてフフフンと笑える。
5キロ23分11秒、上出来だ。ふつうに走っていられるだけありがたい。先月の「淀川市民マラソン」ではスタート後500メートルで膝の激痛がやってきて、残り41.695キロずっと地獄を見つづけた。痛みを感じず走れるのは、こんな楽しいことなんだ。
10キロ46分14秒。ちょっと速すぎるか?でもまあいいか。どうせそのうち膝痛悪魔がやってきて、「さあ地獄の饗宴のはじまりだ」と高らかに宣言するのだ。気持ちよく走っていられる時間を素直に味わおう。12キロで呼吸が荒くなってきた。はやくも心拍数が上昇しはじめたらしい。今日もここまでなのか?とネガティブスパイラルに陥る寸前、エイドの「あんぱん」に出くわす。1個を4分の1にカットしてくれたあんぱんを口に含む。「わっ、これ美味い!」。ジューシーな粒あんが薄皮の生地に包まれている。だいたいマラソン大会で提供されるパンなんてパサパサの不味いのが常道。こんな美味しい粒あんぱん初体験! 粒あんが五臓六腑にしゅみわたり猛烈に吸収されはじめた頃、意識はふたたび鮮明になり、体がすっ飛ぶように前に引っ張られだした。粒あん1/4個に、わが肉体は何とすなおな反応!
ハーフは1時間40分05秒。速くもないが、遅くもない。ハーフを超えても疲労感なし。ケガが幸いしていつもの自爆走ができなかったからだろう。だが24キロの表示を超えると急に脚に体重が乗らなくなってきた。心肺にダメージはない。呼吸もいまだ平静。にも関わらず脚が前に出ない。ストライドが10センチは縮まっているだろう。1キロのラップが5分20秒台に落ちた。もう終わったのか? いや、終わらせてはならない。これからだ、これからが勝負なのだ。ここまで脚の痛みを感じさせずに走らせてくれたマラソンの神様の慈悲に応えるのは今からだ。よし、行け。ここから耐えられるスピリッツを養うために練習してきたんだろ。地面に体重が乗らないってことはフォームが崩れているからだ。身体にシャープさがなくなっても、フォームだけは維持しよう。
30キロのパネル通過をきっかけに、全力走に切り替えた。500メートルごとに1段階、もう1段階と踏み脚に力を込める。もう潰れても大丈夫だ。潰れたままゴールまでたどり着ける距離だ、無茶していこう。1キロラップが4分台に戻る。おもしろいように前のランナーを抜いていく。今まで走ったフルのレースは、すべて30キロから大失速していたが、今日は違う。苦しくても攻めの姿勢を崩さない、あきらめない、自分から心を折ってしまわない。
残り2キロの表示で視野が狭くなってきた。色彩もセピアがかってきた。よし、これでいい。たっぷり追いこめた証明だ。あと2キロなら、目をつむっていても沿道の声援に導かれて前進できる。フィニッシュ会場の400メートルトラック上に躍り込む。ゴールゲートはすぐそこに見えるのに、もがいても、もがいても近づかない。400メートルってこんなに遠いんだ、トラックを走る中距離ランナーは毎日大変だな、と変なことに感心したりする。
3時間30分21秒、フィニッシュテープを切る。自己ベストを3分縮めた。「先に進んでください」と係員が叫び続けている。ゴールを終えたランナーの列にしたがい歩く。空気の壁が邪魔して前に進みにくい。歩くために必要なエネルギーすら枯渇しているようだ。シューズに装着したRCチップを外そうと下をうつむくと、股間から膝まで内ももがべっとり血まみれである。ウエアがこすれて股ズレになり、さらに表皮が5センチ×3センチほども剥けて大出血しているのだ。しかし、その痛みをまるで感じない。全身の痛点にブロックをかけた状態で走っていたのだ。この麻痺状態が解けたときが地獄だなと、ぼーっとした頭で思う。
これが今のすべてなのだ。これ以上は出せないという所まで出し切ったのだ。そして思う。きっと、まだまだ速くなれる。
【2日目・福知山マラソン】
スタートの直前まで、「今日もいける」と思っていた。
昨日フルを走った疲れはない。膝は痛いがいつものことである。2日続けて自己ベスト、絶対出せる。
そう信じられたのは、スタートしてわずか10秒だった。全身に重油がつめこまれたような感じ。前に進みたいのに、体内で重油がちゃぷちゃぷ揺れて、後ろに引き戻そうとする。急な下り坂を駆けおりているのに、トレッドミルの上で脚をバタバタ回転させてるような静止感。
1キロのラップをチェックして目まいがする。7分もかかっている。ゆっくり走っているつもりはないのだ。息も絶え絶え、汗みどろ。アゴの先から汗がしたたり落ちている。これだけ消耗してキロ7分? 周囲のランナーは、みな楽しそうに会話をしている。そうかキロ7分の世界はこうなのか。ずいぶん楽しそうじゃないか。おしゃべりしている人たちにスイスイ追い越される。ハーハーあえいでいるのは、ぼく一人である。体力のない中年オヤジが間違えて大会にエントリーしてしまいました風情だ。走っても、走っても、ダメだ。10キロ手前にしてキロ8分まで落ちる。この状態、100キロマラソンの70キロすぎの身体反応と似ている。自己流で分析するに、まだ運動に使えるカロリーは残っているのに、脳みそが「これ以上走るとロクなことないから、走るの止めときなさい」と全筋肉に指令を発している。身体防衛のための正常な脳の働きとの戦いなのだ。
10キロ1時間16分54秒。ハーフ2時間50分56秒。歩きに等しいタイムで、関門閉鎖5分前にギリギリ通過する。1万人ものマンモス大会なのに周囲にいるランナーはちらほら。大半のランナーはすでに歩いている。歩く誘惑にかられるが、それだけはイカンと言い聞かせる。
70歳代とおぼしき高齢ランナーが腰を折り曲げて、下をうつむいて、脚を引きずりながら、それでも歩かずに走っている。視覚障害を持ったランナーが息を荒げながら坂を登っている。伴走ランナーが「キロ7分半でいけば関門超えられるから」と励ます。5キロ先の関門をクリアしようと、必死にチャレンジしている人たちがいる。それぞれが肉体的に与えられた条件のなかで、今この瞬間できる最高のランニングをしようと奮闘している。鼻の奥がツーンとなる。理屈ぬきでカッコイイと思う。ぼくは、こんなランナーになりたいのだ。こんなランナーを目指したいのだ。力があるのに出し惜しみして、できない理屈を考えて、今の自分はベストじゃないけどいつか自分のやりたいことができるなんて、そんな考え方じゃない。今できることを格好つけずに、バカと評されても、必死にやる。ランニングも生き方もそうでありたい。
キロ9分の脚に力がこもる。持ち上がらない左脚が、アスファルトをズルズルとこする。格好悪いけどこれが今の精一杯。ラップタイムは8分、7分、6分と上がっていき、30キロからはキロ5分で押していく。スタートからの苦闘で汗は5リッターも流れただろう。汗とともに疲労や痛みも流れ落ちたかのようだ。2日間に起こった感情の起伏、歓び、痛み、葛藤が、1カ月ほども遡った過去の記憶のように感じられる。それだけ濃縮された2日間だったのだろう。
ランナーたちは最後の急峻な坂道を駆け上がる。夕陽がランナーの影を長くしている。ゴールゲートへと続く直線道路は、5時間の苦闘が喜びに変わるウイニングランの舞台だ。テープの向こうで喜びが爆発している。ランナーは、フィニッシュラインを超えた瞬間に今日起こったすべての苦しみをすっかり忘れ、次のレースのことを考えて笑うのだ。そんなヘンな人たちなのだ。
記録5時間22分19秒、あーへばった! そして思う。きっと、まだまだ速くなれる。
追い込み計画その1として2日連続のフルマラソンに挑む。といっても毎日70キロ〜100キロ走るのが日常の超長距離フットレースの世界では、「だからどしたん?」レベルのお話。しかし、ぼくにとっては未知の領域。むろん2日連続を前提に、ゆっくり走るのでは意味がない。初日、2日目ともに自己ベスト目指して全力走。それで身体がどう反応するかを確かめたい。
・・・要するにバカである。そんなことやったって、就職難の若者が溢れかえる世の中のためにも、飢餓に瀕したアフリカの少年少女に対しても、1ミリの貢献もできない。誰のためにも何のためにもならない。しかし、そもそも走ってる意味なんていくら考えてもわからないんだし、やるんなら自分を追い込む。それだけ。今日を全力で生きている人間だけが、10年後も全力でいられる。
【初日・つくばマラソン】
左膝がぶくぶくと浮腫み、真っ直ぐに脚をスイングできない状態。しかし、スタート直後はアドレナリンの分泌が激しいのか、痛みが消えて一瞬絶好調な気がする。それどころか身体が軽く、宙に浮く感覚にとらわれる。直前まで最悪コンディションだと感じていたのがウソのよう。軽い、軽すぎてフフフンと笑える。
5キロ23分11秒、上出来だ。ふつうに走っていられるだけありがたい。先月の「淀川市民マラソン」ではスタート後500メートルで膝の激痛がやってきて、残り41.695キロずっと地獄を見つづけた。痛みを感じず走れるのは、こんな楽しいことなんだ。
10キロ46分14秒。ちょっと速すぎるか?でもまあいいか。どうせそのうち膝痛悪魔がやってきて、「さあ地獄の饗宴のはじまりだ」と高らかに宣言するのだ。気持ちよく走っていられる時間を素直に味わおう。12キロで呼吸が荒くなってきた。はやくも心拍数が上昇しはじめたらしい。今日もここまでなのか?とネガティブスパイラルに陥る寸前、エイドの「あんぱん」に出くわす。1個を4分の1にカットしてくれたあんぱんを口に含む。「わっ、これ美味い!」。ジューシーな粒あんが薄皮の生地に包まれている。だいたいマラソン大会で提供されるパンなんてパサパサの不味いのが常道。こんな美味しい粒あんぱん初体験! 粒あんが五臓六腑にしゅみわたり猛烈に吸収されはじめた頃、意識はふたたび鮮明になり、体がすっ飛ぶように前に引っ張られだした。粒あん1/4個に、わが肉体は何とすなおな反応!
ハーフは1時間40分05秒。速くもないが、遅くもない。ハーフを超えても疲労感なし。ケガが幸いしていつもの自爆走ができなかったからだろう。だが24キロの表示を超えると急に脚に体重が乗らなくなってきた。心肺にダメージはない。呼吸もいまだ平静。にも関わらず脚が前に出ない。ストライドが10センチは縮まっているだろう。1キロのラップが5分20秒台に落ちた。もう終わったのか? いや、終わらせてはならない。これからだ、これからが勝負なのだ。ここまで脚の痛みを感じさせずに走らせてくれたマラソンの神様の慈悲に応えるのは今からだ。よし、行け。ここから耐えられるスピリッツを養うために練習してきたんだろ。地面に体重が乗らないってことはフォームが崩れているからだ。身体にシャープさがなくなっても、フォームだけは維持しよう。
30キロのパネル通過をきっかけに、全力走に切り替えた。500メートルごとに1段階、もう1段階と踏み脚に力を込める。もう潰れても大丈夫だ。潰れたままゴールまでたどり着ける距離だ、無茶していこう。1キロラップが4分台に戻る。おもしろいように前のランナーを抜いていく。今まで走ったフルのレースは、すべて30キロから大失速していたが、今日は違う。苦しくても攻めの姿勢を崩さない、あきらめない、自分から心を折ってしまわない。
残り2キロの表示で視野が狭くなってきた。色彩もセピアがかってきた。よし、これでいい。たっぷり追いこめた証明だ。あと2キロなら、目をつむっていても沿道の声援に導かれて前進できる。フィニッシュ会場の400メートルトラック上に躍り込む。ゴールゲートはすぐそこに見えるのに、もがいても、もがいても近づかない。400メートルってこんなに遠いんだ、トラックを走る中距離ランナーは毎日大変だな、と変なことに感心したりする。
3時間30分21秒、フィニッシュテープを切る。自己ベストを3分縮めた。「先に進んでください」と係員が叫び続けている。ゴールを終えたランナーの列にしたがい歩く。空気の壁が邪魔して前に進みにくい。歩くために必要なエネルギーすら枯渇しているようだ。シューズに装着したRCチップを外そうと下をうつむくと、股間から膝まで内ももがべっとり血まみれである。ウエアがこすれて股ズレになり、さらに表皮が5センチ×3センチほども剥けて大出血しているのだ。しかし、その痛みをまるで感じない。全身の痛点にブロックをかけた状態で走っていたのだ。この麻痺状態が解けたときが地獄だなと、ぼーっとした頭で思う。
これが今のすべてなのだ。これ以上は出せないという所まで出し切ったのだ。そして思う。きっと、まだまだ速くなれる。
【2日目・福知山マラソン】
スタートの直前まで、「今日もいける」と思っていた。
昨日フルを走った疲れはない。膝は痛いがいつものことである。2日続けて自己ベスト、絶対出せる。
そう信じられたのは、スタートしてわずか10秒だった。全身に重油がつめこまれたような感じ。前に進みたいのに、体内で重油がちゃぷちゃぷ揺れて、後ろに引き戻そうとする。急な下り坂を駆けおりているのに、トレッドミルの上で脚をバタバタ回転させてるような静止感。
1キロのラップをチェックして目まいがする。7分もかかっている。ゆっくり走っているつもりはないのだ。息も絶え絶え、汗みどろ。アゴの先から汗がしたたり落ちている。これだけ消耗してキロ7分? 周囲のランナーは、みな楽しそうに会話をしている。そうかキロ7分の世界はこうなのか。ずいぶん楽しそうじゃないか。おしゃべりしている人たちにスイスイ追い越される。ハーハーあえいでいるのは、ぼく一人である。体力のない中年オヤジが間違えて大会にエントリーしてしまいました風情だ。走っても、走っても、ダメだ。10キロ手前にしてキロ8分まで落ちる。この状態、100キロマラソンの70キロすぎの身体反応と似ている。自己流で分析するに、まだ運動に使えるカロリーは残っているのに、脳みそが「これ以上走るとロクなことないから、走るの止めときなさい」と全筋肉に指令を発している。身体防衛のための正常な脳の働きとの戦いなのだ。
10キロ1時間16分54秒。ハーフ2時間50分56秒。歩きに等しいタイムで、関門閉鎖5分前にギリギリ通過する。1万人ものマンモス大会なのに周囲にいるランナーはちらほら。大半のランナーはすでに歩いている。歩く誘惑にかられるが、それだけはイカンと言い聞かせる。
70歳代とおぼしき高齢ランナーが腰を折り曲げて、下をうつむいて、脚を引きずりながら、それでも歩かずに走っている。視覚障害を持ったランナーが息を荒げながら坂を登っている。伴走ランナーが「キロ7分半でいけば関門超えられるから」と励ます。5キロ先の関門をクリアしようと、必死にチャレンジしている人たちがいる。それぞれが肉体的に与えられた条件のなかで、今この瞬間できる最高のランニングをしようと奮闘している。鼻の奥がツーンとなる。理屈ぬきでカッコイイと思う。ぼくは、こんなランナーになりたいのだ。こんなランナーを目指したいのだ。力があるのに出し惜しみして、できない理屈を考えて、今の自分はベストじゃないけどいつか自分のやりたいことができるなんて、そんな考え方じゃない。今できることを格好つけずに、バカと評されても、必死にやる。ランニングも生き方もそうでありたい。
キロ9分の脚に力がこもる。持ち上がらない左脚が、アスファルトをズルズルとこする。格好悪いけどこれが今の精一杯。ラップタイムは8分、7分、6分と上がっていき、30キロからはキロ5分で押していく。スタートからの苦闘で汗は5リッターも流れただろう。汗とともに疲労や痛みも流れ落ちたかのようだ。2日間に起こった感情の起伏、歓び、痛み、葛藤が、1カ月ほども遡った過去の記憶のように感じられる。それだけ濃縮された2日間だったのだろう。
ランナーたちは最後の急峻な坂道を駆け上がる。夕陽がランナーの影を長くしている。ゴールゲートへと続く直線道路は、5時間の苦闘が喜びに変わるウイニングランの舞台だ。テープの向こうで喜びが爆発している。ランナーは、フィニッシュラインを超えた瞬間に今日起こったすべての苦しみをすっかり忘れ、次のレースのことを考えて笑うのだ。そんなヘンな人たちなのだ。
記録5時間22分19秒、あーへばった! そして思う。きっと、まだまだ速くなれる。