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2009年10月15日
そして表紙の「ザ・徳島の平均値!」今回のテーマはビューティー。 スキンケア、メイク、そしてダイエット…! 美しくなるために欠かせない、毎日の努力の積み重ね。あなたはどのくらい時間をかけていますか?
2009年10月10日
0909_タウトク部数推移.pdf
月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数を報告します。タウトク9月号の売部数は、
9381部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
結婚しちゃお!夏号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!夏号の売部数は、
983部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
0908_CU部数推移.pdf
月刊タウン情報CU*8月号の実売部数を報告します。CU*8月号の売部数は、
6638部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2009年10月08日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
強くなるためにはどうしたらいい?と男なら生涯に10回は考える。そして実際に強くなろうと努力したことも2へんくらいはある。矢吹丈がノーガード戦法を披露すると、教室の後ろでツレ相手に両腕をだらりと下げ「どこからでも打ってこいや」とアゴをつきだし、そのままストレートを鼻っ柱にくらって涙するバカ。
強くなるためにはどうしたらいい?と男なら生涯に10回は考える。そして実際に強くなろうと努力したことも2へんくらいはある。矢吹丈がノーガード戦法を披露すると、教室の後ろでツレ相手に両腕をだらりと下げ「どこからでも打ってこいや」とアゴをつきだし、そのままストレートを鼻っ柱にくらって涙するバカ。
「侍ジャンアンツ」番場蛮のハイジャンプ魔球をわが物とするために片足スクワット100回を課してこむら返りをおこすアホウ。ジャッキー・チェンが老師に鍛えられるシーンを好み、鉄棒に逆さまにぶら下がり腹筋しようとして首から落ちて意識を失うトンマ。ロッキー・バルボアがお馴染みテーマソングにのって片手腕立て伏せを左右交互におこなえば、翌日の部活前にはみな片手腕立て伏せをやっている単細胞。
こうやって男は、規格外のトレーニングによって自身の肉体がハガネのように強靱に鍛えられていく・・・なんて奇跡はわが身には決して起こらないと薄々気づいた頃に大人になる。
強さへの渇望、無敵の存在への憧憬をいつか失くしたまま幾年月が流れたか。今、ぼくは再び強くなろうとしている。プロレスの業界用語で「トンパチ」ってのがある。常識はずれの大暴走、シッチャカメッチャカな行動をするレスラーを指す隠語だ。日々これ無事に生きることに価値があると信じて数十年。そんなぼくの脳みそが、どーしようもないトンパチ菌に侵略されている。これは悪い病気だ。「強くなれるなら、どんなことでもやってやるぞオラーッ」ってチョーノみたいに毎朝、紀伊水道に昇る朝日に向かって叫んでいるわけだ。どこまで走っても倒れないタフネス、何万キロカロリー消費して、身体がバラバラに千切れるくらい痛くてもタップしない強さだ。
今年の大一番である「神宮外苑24時間チャレンジ」が目の前に迫っている。この大会は、日本で唯一の24時間走のIAU(国際ウルトラランナーズ協会)公認大会であり、2010年5月にフランスで行われる「IAU 24時間走ワールドチャレンジ」の日本代表選考会でもあるのだ。要するに、日本中からウルトラマラソンの超人たちが
集まり、日本代表の座を競うのだ。代表選手を決定する過程は厳密に定められてるんだけど、はしょって説明すれば、24時間で220キロ以上走れば選ばれる可能性が高い。
朝9時にスタートし、翌朝9時まで不眠不休。食ったまま走り、寝たまま走り、1キロ平均6分ペースで立ち止まらずに走り続けられたランナーが日本代表の栄冠を手にする。トップクラスの選手はフルマラソン2時間20〜30分台の記録を持ち、練習量も月間800キロ〜1000キロとスケールが違う。その怪物ランナーたちの末席に加えてもらった凡人ランナー1名がぼくである。しかし一本のスタートラインに等しく並び、気の遠くなるほど長丁場の戦いに挑むって点では同じ。必死の覚悟で挑むのだ。しかし「必死」って言葉はすごいね。必ず死ぬ、って書くんだもんね。人はよく「必死にやります」って言うけど「必ず死んでやります」って宣言してるんだよね、サムライ・スピリッツだね。
この夏は、「神宮外苑24時間チャレンジ」に向けてわがチキンハートをハガネに鍛え直すため、毎週のように大会に出まくった。
【やれやれな神戸24時間マラソン】 神戸総合運動公園内の一周2キロの周回路を24時間走る大会。浴衣姿でいちゃつくカップルの群れのなかをつっ走り、滝がごとしのゲリラ豪雨に打たれて新品のミュージックプレーヤーを犠牲にする。この果てしなき孤高感、エレファントカシマシの「明日に向かって走れ」を熱唱せざるをえない。70キロ走ったころ公園の道は激雨で濁流と化し、走行困難となって大会中止。控室テント(
といってもブルーシート1枚張ってるだけ)が吹っ飛ばされないようシートを棒で押さえつづけた真夜中午前3時。神戸まで来てぼくは何やってんだろう、やれやれ。と村上春樹なら文末に記すと思われる。
【ヒーローになれるトライアスロン中島大会】 「中島」は愛媛県松山市の三津浜港からフェリーで1時間の瀬戸内の島。選手500人ほぼ全員が前日から島に入り、民家にホームステイしたり公民館に宿泊する。ぼくは公民館にザコ寝したが、清潔なシーツと布団が用意され、中学校の寮の浴室(ピンク色した女子浴室)も貸してくれた。前夜祭では食べきれないほどの料理が振る舞われる。炭水化物メシのみならず刺身やサザエと海の幸も満載、ビール飲み放題。「みかんとトライアスロンの島」とうたい24年もの歴史を経た大会だけあって、島民の意気込みは並々ならぬもの。島出身の選手によると、島の子どもたちは物心ついた頃からトライアスロンを見て育ち、幼き彼らにとってトライアスリートはスーパーヒーローなんだとか。そんな心温まる談話を聞いたもんだから、沿道の子どもたちの前を走るときは、劇画ヒーローのような男前の顔をしようと努力。爽やかに片手をあげ「やーどうも、ボクたち、ありがとう」なんて挨拶をバイクとランの間じゅうやってたもんだから、通常の倍ヘバった。
【ぐでんぐでんの北海道マラソン】 今シーズン初のフルマラソンは、前夜に焼酎1ボトルをストレートで飲み干すという暴挙を犯し自滅。当日の朝、目覚めると体中からアルコール臭漂っている。こりゃマズい、いざアルコールを抜かん!と籠もったサウナ30分が更に災い。水分・塩分両方抜けたため20キロで両脚が攣り、泣きたい気分になり、いっそ泣いて同情を買おうと涙腺を拡げてみたが絞り出す水分もなく、ただ変な顔をして走った。枯れ果てフィニッシュ3時間49分。反省、二度とこんな愚挙はしません。
【野獣走の眉山】 眉山の山中を獣のように走る。ひたすら走る。眉山はトレイル練習の最高のゲレンデ。すぐ山に取りつけて、いきなりシングルトラックの山道に入り、快適なアップダウンがある。特に徳島市名東町の地蔵院から阿波おどり会館までの東西眉山横断コースの往復は、2時間ほどの追い込みに最適だ。痩せた尾根上の縦走路は、北に佐古、南に八万の街並みを見下ろす格好で「徳島の屋根を走ってる」って気分にさせてくれる。登山者優先を大原則としつつ、ビュンビュン飛ばせて心肺に刺激入れを行える理想の道である。
【詩人になれる田宮】 徳島市陸上競技場は市民ランナーの練習場として最適。学生が練習していない時間帯ならトラックを独り占めして、使用料は100円ポッキリ。今どき100円でできるレジャーなんて馬券、舟券1枚分。4円パチンコ球なら25個。それぞれ一瞬で露と化す。かたや陸上競技場に100円払えばイヤってほど遊べるのだ。観客も選手もいない競技場を疾走する切なさはユーミンの「ノーサイド」的哀愁に満ちており、これ読んでるあなたが詩人なら名曲のひとつも紬ぎ出せるはず。あいにく才能に乏しいぼくは、無人のトラックをドタドタ走り、芝生の観客席に仰向けに倒れて、ガス欠になった2009とくしまマラソンを思い出して後悔の涙をほろほろ流すだけ。
□
8月の月間走行距離は500キロ。劇画的イマージュの世界では今ごろサイボーグ並みの強い心臓と脚力を手にしているはずだが、走れば走るほどに疲労蓄積、筋肉崩壊、骨密度低下、寝ちがえ筋ちがえは日常茶飯。中年男子の本性があばき出されるばかり。本気度100パーセントの「神宮外苑24時間チャレンジ」まであと1週間。はたして矢吹丈のように真っ白な灰になり、番場蛮のオヤジがごとく鯨の腹を突き破って生き伸び、トンパチ王・橋本真也が叫んだ「小川、俺ごと刈れ!」ほどの生命の熱量を発生させられるだろーか?する!
こうやって男は、規格外のトレーニングによって自身の肉体がハガネのように強靱に鍛えられていく・・・なんて奇跡はわが身には決して起こらないと薄々気づいた頃に大人になる。
強さへの渇望、無敵の存在への憧憬をいつか失くしたまま幾年月が流れたか。今、ぼくは再び強くなろうとしている。プロレスの業界用語で「トンパチ」ってのがある。常識はずれの大暴走、シッチャカメッチャカな行動をするレスラーを指す隠語だ。日々これ無事に生きることに価値があると信じて数十年。そんなぼくの脳みそが、どーしようもないトンパチ菌に侵略されている。これは悪い病気だ。「強くなれるなら、どんなことでもやってやるぞオラーッ」ってチョーノみたいに毎朝、紀伊水道に昇る朝日に向かって叫んでいるわけだ。どこまで走っても倒れないタフネス、何万キロカロリー消費して、身体がバラバラに千切れるくらい痛くてもタップしない強さだ。
今年の大一番である「神宮外苑24時間チャレンジ」が目の前に迫っている。この大会は、日本で唯一の24時間走のIAU(国際ウルトラランナーズ協会)公認大会であり、2010年5月にフランスで行われる「IAU 24時間走ワールドチャレンジ」の日本代表選考会でもあるのだ。要するに、日本中からウルトラマラソンの超人たちが
集まり、日本代表の座を競うのだ。代表選手を決定する過程は厳密に定められてるんだけど、はしょって説明すれば、24時間で220キロ以上走れば選ばれる可能性が高い。
朝9時にスタートし、翌朝9時まで不眠不休。食ったまま走り、寝たまま走り、1キロ平均6分ペースで立ち止まらずに走り続けられたランナーが日本代表の栄冠を手にする。トップクラスの選手はフルマラソン2時間20〜30分台の記録を持ち、練習量も月間800キロ〜1000キロとスケールが違う。その怪物ランナーたちの末席に加えてもらった凡人ランナー1名がぼくである。しかし一本のスタートラインに等しく並び、気の遠くなるほど長丁場の戦いに挑むって点では同じ。必死の覚悟で挑むのだ。しかし「必死」って言葉はすごいね。必ず死ぬ、って書くんだもんね。人はよく「必死にやります」って言うけど「必ず死んでやります」って宣言してるんだよね、サムライ・スピリッツだね。
この夏は、「神宮外苑24時間チャレンジ」に向けてわがチキンハートをハガネに鍛え直すため、毎週のように大会に出まくった。
【やれやれな神戸24時間マラソン】 神戸総合運動公園内の一周2キロの周回路を24時間走る大会。浴衣姿でいちゃつくカップルの群れのなかをつっ走り、滝がごとしのゲリラ豪雨に打たれて新品のミュージックプレーヤーを犠牲にする。この果てしなき孤高感、エレファントカシマシの「明日に向かって走れ」を熱唱せざるをえない。70キロ走ったころ公園の道は激雨で濁流と化し、走行困難となって大会中止。控室テント(
といってもブルーシート1枚張ってるだけ)が吹っ飛ばされないようシートを棒で押さえつづけた真夜中午前3時。神戸まで来てぼくは何やってんだろう、やれやれ。と村上春樹なら文末に記すと思われる。
【ヒーローになれるトライアスロン中島大会】 「中島」は愛媛県松山市の三津浜港からフェリーで1時間の瀬戸内の島。選手500人ほぼ全員が前日から島に入り、民家にホームステイしたり公民館に宿泊する。ぼくは公民館にザコ寝したが、清潔なシーツと布団が用意され、中学校の寮の浴室(ピンク色した女子浴室)も貸してくれた。前夜祭では食べきれないほどの料理が振る舞われる。炭水化物メシのみならず刺身やサザエと海の幸も満載、ビール飲み放題。「みかんとトライアスロンの島」とうたい24年もの歴史を経た大会だけあって、島民の意気込みは並々ならぬもの。島出身の選手によると、島の子どもたちは物心ついた頃からトライアスロンを見て育ち、幼き彼らにとってトライアスリートはスーパーヒーローなんだとか。そんな心温まる談話を聞いたもんだから、沿道の子どもたちの前を走るときは、劇画ヒーローのような男前の顔をしようと努力。爽やかに片手をあげ「やーどうも、ボクたち、ありがとう」なんて挨拶をバイクとランの間じゅうやってたもんだから、通常の倍ヘバった。
【ぐでんぐでんの北海道マラソン】 今シーズン初のフルマラソンは、前夜に焼酎1ボトルをストレートで飲み干すという暴挙を犯し自滅。当日の朝、目覚めると体中からアルコール臭漂っている。こりゃマズい、いざアルコールを抜かん!と籠もったサウナ30分が更に災い。水分・塩分両方抜けたため20キロで両脚が攣り、泣きたい気分になり、いっそ泣いて同情を買おうと涙腺を拡げてみたが絞り出す水分もなく、ただ変な顔をして走った。枯れ果てフィニッシュ3時間49分。反省、二度とこんな愚挙はしません。
【野獣走の眉山】 眉山の山中を獣のように走る。ひたすら走る。眉山はトレイル練習の最高のゲレンデ。すぐ山に取りつけて、いきなりシングルトラックの山道に入り、快適なアップダウンがある。特に徳島市名東町の地蔵院から阿波おどり会館までの東西眉山横断コースの往復は、2時間ほどの追い込みに最適だ。痩せた尾根上の縦走路は、北に佐古、南に八万の街並みを見下ろす格好で「徳島の屋根を走ってる」って気分にさせてくれる。登山者優先を大原則としつつ、ビュンビュン飛ばせて心肺に刺激入れを行える理想の道である。
【詩人になれる田宮】 徳島市陸上競技場は市民ランナーの練習場として最適。学生が練習していない時間帯ならトラックを独り占めして、使用料は100円ポッキリ。今どき100円でできるレジャーなんて馬券、舟券1枚分。4円パチンコ球なら25個。それぞれ一瞬で露と化す。かたや陸上競技場に100円払えばイヤってほど遊べるのだ。観客も選手もいない競技場を疾走する切なさはユーミンの「ノーサイド」的哀愁に満ちており、これ読んでるあなたが詩人なら名曲のひとつも紬ぎ出せるはず。あいにく才能に乏しいぼくは、無人のトラックをドタドタ走り、芝生の観客席に仰向けに倒れて、ガス欠になった2009とくしまマラソンを思い出して後悔の涙をほろほろ流すだけ。
□
8月の月間走行距離は500キロ。劇画的イマージュの世界では今ごろサイボーグ並みの強い心臓と脚力を手にしているはずだが、走れば走るほどに疲労蓄積、筋肉崩壊、骨密度低下、寝ちがえ筋ちがえは日常茶飯。中年男子の本性があばき出されるばかり。本気度100パーセントの「神宮外苑24時間チャレンジ」まであと1週間。はたして矢吹丈のように真っ白な灰になり、番場蛮のオヤジがごとく鯨の腹を突き破って生き伸び、トンパチ王・橋本真也が叫んだ「小川、俺ごと刈れ!」ほどの生命の熱量を発生させられるだろーか?する!
2009年10月05日
女性目線で徳島の最新ニュースをキャッチする
CUの最新号は…
☆第1特集☆
「秋のおいしい店」
海の幸に山の幸、食べ物のおいしさがピークを迎えるこの季節だからこそ、
秋の味覚を食べつくさなきゃ、損、損っ!
ボルチーニ茸たっぷり秋パスタ、もくず蟹のあったかリゾット、
秋刀魚の炙り押し寿司etc...
思わずよだれが出ちゃう一品が勢揃い!
さらに…
2009年10月01日
そして、表紙で連載中の「数字から探る、徳島のスタンダード ザ・徳島の平均値!」。今回は持ち物についてのスタンダードを調査。
あなたのカバンの中身や財布の中身には、どんなものがいくつくらい入っていますか…?
2009年09月29日
一口食べれば幸せになれる最強のメニュー、知らないなんて人生の損! パスタ、カレー、プリンなどなど…作り手のこだわりと情熱がぎゅっと詰まった究極の30メニューが集結! 心とお腹が揺さぶられる極上の一品に酔いしれよう。
★徳島スポーツスタイル★
徳島のスポーツライフを大研究! 野球、サッカー、バスケ、バレー、ラグビー、格闘技、に自転車も、全7種目を撤退調査しました。人気スポーツの始め方や詳しいリーグ状況、各スポーツのあるあるネタまで情報が盛りだくさん♪
2009年09月17日
毎日、たくさんの食材が並ぶスーパー。その食材たち中で、最近、爆発的に売れている食材があるらしい…!?
そんな噂を検証すべく、今回は徳島県内の6つのスーパーにご協力いただき、店員さんにお話を伺ってまいりました!最近売れているものから、これからの人気が予想される食材まで、耳より情報満載です。それから、カリスマ節約主婦の武田真由美さんにも「最近のスーパーでの注目食材」について教えてもらいました。こちらにも注目ですよ〜!
そして、表紙で連載中なのは「数字から探る、徳島のスタンダード ザ・徳島の平均値!」。
今回注目したのは「お休み(睡眠)」について!いつも何時に寝て何時に起きよる?目覚ましは何個セットしとる?枕元には何個くらいモノを置いとる?など、睡眠にまつわる知られざるスタンダードに迫ります。
2009年09月16日
0908_タウトク部数推移.pdf
月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数を報告します。タウトク8月号の売部数は、
9770部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2009年09月12日
第1特集♪
「とくしまCAFE 2009」
ほっとできる空間でおいしい料理やコーヒーをいただく。
ささやかだけど、極上の幸せを感じさせてくれる徳島のカフェを
県下エリア別でドドーンと150店紹介!
友だちと行く? 彼氏と行く? はたまた、愛犬と?
お気に入りにしたいカフェが多すぎて迷っちゃうかも!?
2009年09月03日
そして、表紙では徳島県民の生活に迫ります。連載第3回目「数字から探る、徳島のスタンダード ザ・徳島の平均値!」。今回注目したのは掃除と洗濯にまつわるスタンダード。あなたは、おうちの掃除を毎日していますか?それとも週1回?また、洗濯機は1日に何回まわしますか?
さあ、ふだんの生活を思い出しながら結果を見てみましょう!
2009年09月02日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
サラミやら生ハムやらチョコやら食糧を適当に袋につめこんだものと、トレイルシューズ2足、さらに敷き布団と掛け布団、枕を車の後部に投げ入れて、出発準備とも言えない雑な用意をして徳島を発ったのは深夜12時だ。
サラミやら生ハムやらチョコやら食糧を適当に袋につめこんだものと、トレイルシューズ2足、さらに敷き布団と掛け布団、枕を車の後部に投げ入れて、出発準備とも言えない雑な用意をして徳島を発ったのは深夜12時だ。
高速道路を東へ東へとひた走り、名古屋の湾岸道路にさしかかった辺りで夜が明けた。曇天模様の天候は、独立峰・御嶽山へとつながる木曽谷に入るともろくも崩れ、叩きつけるような雨は、ワイパーを最速にしても容赦なく視界を奪う。長野県王滝村が近づけばいちだんと雨足は強まり、V字谷を刻む激流の轟音が地を揺らす。
こんな嵐の中、大会は開かれるのだろうか?とガスで見えない山影を仰ぎながら何度も考える。こんな遠方まで徹夜でやって来たのに中止になったらシラけるな、という思い。一方で中止になってくれたら土砂降りの山中を100キロも彷徨わずに済む、という淡い期待。ここに来て弱気が顔をもたげている。
朝9時ごろにメイン会場である松原スポーツ公園に到着すると、降りしきる雨の中、大会関係者が意気揚々と会場設営を行っている。中止を検討する気配も、天気を気にする不穏な空気もない。悪天など織り込み済みといった余裕が感じられる。誰ひとりとして雨に打たれることを気にしていない。そーか、そういうものなのか。
中止の可能性ゼロとわかれば腹も座る。車の後部に布団を広げてスタート時間まで眠ることにした。「OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」のスタートは深夜12時である。ふだんなら「おやすみなさい」って時間に最もテンションを上げておかねばならん。体内時計を一度メチャクチャに破壊しておく必要がある。そのために、大会前夜はあえて徹夜で運転をした。そしてスタート時刻直前まで睡眠をとっておくって作戦である。
ところが真っ昼間からなかなか寝つけるものではない。アウトドアスポーツの聖地と呼ばれる王滝村に自分は在り、昨年日本のトレイル界「三強」と謳われる鏑木、石川、相馬3選手が名レースを展開した「おんたけウルトラ」の世界に数時間後に入るのかと思えば、興奮が睡眠をさまたげるのである。おまけに一転、天は晴れ渡り、強烈な日射しが車を焼きはじめた。蒸される車内で汗をだらだら流し、割れんばかりに鳴る昆虫の嘶きに耳を刺激されては一睡もならない。
ついに眠れないままに夜を迎えた。40時間ほど起きっぱなしの状態で、20時間リミットの徹夜レースに挑むのだ。人間いったい何時間睡眠なしで活動をつづけられるのか。確かそんなバカなことに挑戦してギネスブックに載った人もいた(帰ってから調べたら11日間連続で起きていたらしい)。こうなりゃあとは野となれ山となれ。走っているうちに眠くなれば、そのまま寝てしまえばいいと割り切った。
スタート会場のグラウンドには約600人のトレイルランナーが集結している。はるばる全国各地からこんな山奧に集まり、真夜中に100キロ走ろうかという集団である。「メタボ予防でちょっとエントリーしてみました」風情はいない。山岳レースに向かう独特のルックスは壮観である。バックパックから前面へと伸びたハイドレーションのチューブや、スカウターを思わせるサングラスは甲冑で武装した武士のたたずまいである。膝や足首に念入りに施されたテーピングはアンドロイドを思わせる。鍛え込まれた細くて鋭い筋肉に覆われた下肢が夜間照明に浮かび上がる。まさに山を自在に駆け回るカモシカのごとしキレの良さ。
どことなくロードのマラソン大会と雰囲気が違うのは脱緊張感か。達成すべき何かを背負ったロードランナーの思い詰めた表情とは違い、トレイルランナーには「なすがままに」という達観がある。あるいは「今さらジタバタしてもどうしようもない」くらいの抗しがたき領域に足を踏み入れる無心か。その一つの表れと覚しきは、会場横の仮設トイレに行列がまったくできないこと。トレイルランナーは出発前にウンコをしないのである。これは新鮮な驚きだ。ベストタイムを出すために100グラムでも重しを減らさんときばってみるロードランナーとは心の置き所が違うようだ。
定刻、深夜12時スタート。目映いばかりの仮設照明で照らし出されていたグラウンドを100メートルも後にすれば、真っ暗な街路、そして漆黒の林道へ。500余人のランナーが着けたヘッドランプの灯りが、地面に数百の白い弧を描き、上下動に併せて小刻みに揺れる。バックパックに装着した熊よけの鈴がいっせいに鳴り響く。「チリン、チリン、チリン・・・・・・」何百もの鈴の音が谷筋に反響する。LEDランプの青白い光と、豆球のオレンジがかった光が、蛇行する林道の流れに沿って左右にうねる。この世のものとは思えない異界への集団行のようである。ふと(死んだあとって、こんな具合なんだろうか?)と思う。似たような時間に絶命した世界中の人びとが、行列をつくって黄泉の国へと走っているのだ。これが死後直後の世界だと仮定するなら、意外に三途の川行きも怖いもんじゃない。大勢が同じ境遇にあり、同一方向に疾走する。それは自然なことのように感じ、暗闇は恐れるべき対象ではない。
ぼくが装着していたヘッドランプは「ペツル イーライト」。キャップの先端にクリップで留められるタイプだ。重量27グラムと軽さを優先して選択したが、あくまでエマジェンシー用。不安定な浮き石や、深い車のわだち、崩壊した路肩が連続する林道をハイスピードで走るには充分な光量がない。併走するランナーのヘッドランプの光をアテにしながら15キロの間に標高差700メートルを登る。
午前5時には白々と夜が明け、薄明かりのなか再び峠越えに入ったあたりで天候にわかに急変し、土砂降りの雨にみまわれる。数千本の樹木を叩く雨音は、ふだん街で聴くそれとはまるで違う。1粒1粒が打ち鳴らす葉との衝突音が何百万個もの共鳴となり、轟となって空気をざわめかす。葉先を経由して滝のようにしたたり落ちる水は、林道を都合のいい通り道としてたちまち渓流に変える。ランナーは足元でシブキをあげて流れ下る水とも戦わなくてはならない。
40キロ地点にある第一関門は制限7時間。1時間の余裕を残して関門にさしかかる手前あたりで、前方から続々とランナーが降りてくる。コースに折り返し点はない。不思議に思い、なぜ?と話しかけると「自主リタイアです」と笑いながらグッドラックと手を振る。天候が悪すぎて危険と判断したのか、気が乗らなかったか。このあけっけらかんとした執着のなさ、潔さはトレイルランナーの特徴か。
関門はエイドステーションも兼ねている。唯一の休息所であるテント下のブルーシートは水たまりのないスペースを探すのも困難だが、幾人ものランナーが毛布にくるまり精魂尽き果てたと爆睡している。いったん横になると二度と立ち上がれない気がしたので、ずぶ濡れのシューズと靴下の水気だけ取ることにする。水と泥にまみれたシューズは乾燥時の倍ほど重く鉛の足カセをぶらさげたよう。靴下を脱ぐと、白蝋化しシワくちゃになった土左衛門のような足が出てきた。これが自分の足かい? まるで水死体の皮膚じゃないか。水中に3時間、4時間と居続けたらこうなるんだろうか。見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐさま靴下をはき直し、立ち上がった。エイドのあちこちからリタイアの相談をする声が聞こえる。甘い誘惑を断ち切るべし。水を2リッター補給し再出発する。すでにロードの100キロを走りきったくらいの疲労度、そして脚の痛みがある。中間点もほど遠いというのに。
ここに来てもはや崖崩れは日常茶飯、土砂や岩石が道を覆う。山側の渓流は瀑布となり、谷側の道は数百メートル下まで崩れ落ちている。路面を覆う鋭利なれき岩や不安定な砂岩が一歩ごとに足の裏を刺し、痛みに耐えんとすればうめき声が漏れる。それにしても苦しい。いわゆるガス欠の苦しみから生じる「心が折れた」状態ではなく、純粋なる肉体のダメージが強烈だ。これはレースというよりは修行に近いぞ。我は千日廻峰に挑む修行僧なるぞ! 標高地図を見れば、全行程に現れる登りは700メートル1本、300メートル1本、200メートル4本、100メートル10本。累積標高差は約2600メートル。急峻な峠道はない代わりに、眉山程度の標高差の登り降りを、1日中繰り返しているに等しい。
こんな過酷な道をヒョイヒョイ駆けぬけていくトレイルランナーとは何者か? あの風を切るように走るさまは何だ? 急傾斜の下り道でも空中を舞うように、軸脚に体重を乗せきらないうちに次の歩みに移動できるのはなぜか?
第二関門は70キロ地点、制限10時間。関門の横に併設されたエイドステーションには豊富な食糧があるとの説明を受けていたが、制限ギリランナーが到着した頃には先行ランナーに食べ尽くされていた。パンもおにぎりもバナナもないが、地元特産の塩漬けキュウリがかろうじて残っており、餓えた腹に染み込めば、鳥肌が立つほどおいしい。教訓「トレランの大会ではエイドをアテにしてはならない。自給自足分の食糧のオマケと考える」。
第二関門前後からペースの似通った選手たちの顔ぶれが固定しはじめ、抜きつ抜かれつ併走しつつ、声をかけあうようになる。制限20時間ギリギリで走っている集団だから、たいていがどこか故障を抱えている。「痛い、痛い」と叫びながら、痛みを忘れるためにムダ話に花を咲せる。高い心拍数で走ってないから会話に不自由はない。激痛に耐え、嵐に打たれという極限状態を共に走るランナーたちは、一瞬で旧知の仲のようになる。誰に対しても、どんな言葉を用いても説明し難い「この感じ」を共有しあえる同志ってわけだ。
しかしトレイルランナーの感性はおもしろい。道が平坦になると「あ〜あ、こんな所まで来て、フラット道走らせるんかよ〜」とくだを巻き。下り道が続けば「あとちょっと頑張ろう!登りになったら休憩できるから」。深い水たまりに躊躇なく足をつっこみ「シューズをいったん全部水につけてしまえば気にならないよ!」。ああこの人たちはマゾなのだ、と感じ入る。痛めつけられないと許せないのだ。SMクラブの女王様に優しくされたら「金返せよ」と叫びたくなる心理と同じだ。いたぶられたいのだ。山や嵐や自分との戦いに。
二度目の夜が訪れる。まる二日睡眠をとらず20時間近く走り続けたにしては異様に元気である。フィニッシュ会場の灯火が遠くに瞬くと、なにやら不思議な感覚に満たされる。ゴールしたくない気分なのである。なんだか寂しい、もう少し走っていたい、あと20キロくらい走りたい・・・。周囲のランナーに共感を求めると「アンタどんだけマゾよ?」と一喝される。そりゃそうだね、もう充分かもね。
光り輝くフィニッシュゲートをくぐれば待ちかまえたカメラの放列から目映いほどのストロボがたかれる。ほぼ最終ランナーだけどスーパースター並みの扱いだこりゃ。長い人生、こんな日もあっていいかもね。19時間49分、全身の筋肉を動員し、エネルギーを使い切った爽快感でいっぱいだ。この1週間、ジョギングもできないほど悪化していたヒザや腰の痛みが今は消し飛んだようだ。走り続ければ身体が痛みに順応するのだろう。人体って笑っちゃうくらい素直な造りだね。
「2009OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」は、林道の崩落のため迂回路を利用し全行程103キロとなった。589人のエントリーのうち200人がリタイアあるいは関門閉鎖にあい、389人が完走した。完走率は66%である。
そしてぼくは、フィニッシュ会場で帰る足をなくして途方に暮れていた尼崎市在住の大学生君を拾い、無限の可能性を秘めた若者の渇望感ある話に心打たれつつ早朝に自宅まで送り届け(またまた徹夜です)、足かけ三夜四日間にわたる不眠不休の旅を終えた。もうこれが限界だ・・・眠い、眠りたい。11日間不眠記録を打ち立てたイギリス人のおじさんはすごいね。ずっとビリヤードしてただけらしいんだけど。
こんな嵐の中、大会は開かれるのだろうか?とガスで見えない山影を仰ぎながら何度も考える。こんな遠方まで徹夜でやって来たのに中止になったらシラけるな、という思い。一方で中止になってくれたら土砂降りの山中を100キロも彷徨わずに済む、という淡い期待。ここに来て弱気が顔をもたげている。
朝9時ごろにメイン会場である松原スポーツ公園に到着すると、降りしきる雨の中、大会関係者が意気揚々と会場設営を行っている。中止を検討する気配も、天気を気にする不穏な空気もない。悪天など織り込み済みといった余裕が感じられる。誰ひとりとして雨に打たれることを気にしていない。そーか、そういうものなのか。
中止の可能性ゼロとわかれば腹も座る。車の後部に布団を広げてスタート時間まで眠ることにした。「OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」のスタートは深夜12時である。ふだんなら「おやすみなさい」って時間に最もテンションを上げておかねばならん。体内時計を一度メチャクチャに破壊しておく必要がある。そのために、大会前夜はあえて徹夜で運転をした。そしてスタート時刻直前まで睡眠をとっておくって作戦である。
ところが真っ昼間からなかなか寝つけるものではない。アウトドアスポーツの聖地と呼ばれる王滝村に自分は在り、昨年日本のトレイル界「三強」と謳われる鏑木、石川、相馬3選手が名レースを展開した「おんたけウルトラ」の世界に数時間後に入るのかと思えば、興奮が睡眠をさまたげるのである。おまけに一転、天は晴れ渡り、強烈な日射しが車を焼きはじめた。蒸される車内で汗をだらだら流し、割れんばかりに鳴る昆虫の嘶きに耳を刺激されては一睡もならない。
ついに眠れないままに夜を迎えた。40時間ほど起きっぱなしの状態で、20時間リミットの徹夜レースに挑むのだ。人間いったい何時間睡眠なしで活動をつづけられるのか。確かそんなバカなことに挑戦してギネスブックに載った人もいた(帰ってから調べたら11日間連続で起きていたらしい)。こうなりゃあとは野となれ山となれ。走っているうちに眠くなれば、そのまま寝てしまえばいいと割り切った。
スタート会場のグラウンドには約600人のトレイルランナーが集結している。はるばる全国各地からこんな山奧に集まり、真夜中に100キロ走ろうかという集団である。「メタボ予防でちょっとエントリーしてみました」風情はいない。山岳レースに向かう独特のルックスは壮観である。バックパックから前面へと伸びたハイドレーションのチューブや、スカウターを思わせるサングラスは甲冑で武装した武士のたたずまいである。膝や足首に念入りに施されたテーピングはアンドロイドを思わせる。鍛え込まれた細くて鋭い筋肉に覆われた下肢が夜間照明に浮かび上がる。まさに山を自在に駆け回るカモシカのごとしキレの良さ。
どことなくロードのマラソン大会と雰囲気が違うのは脱緊張感か。達成すべき何かを背負ったロードランナーの思い詰めた表情とは違い、トレイルランナーには「なすがままに」という達観がある。あるいは「今さらジタバタしてもどうしようもない」くらいの抗しがたき領域に足を踏み入れる無心か。その一つの表れと覚しきは、会場横の仮設トイレに行列がまったくできないこと。トレイルランナーは出発前にウンコをしないのである。これは新鮮な驚きだ。ベストタイムを出すために100グラムでも重しを減らさんときばってみるロードランナーとは心の置き所が違うようだ。
定刻、深夜12時スタート。目映いばかりの仮設照明で照らし出されていたグラウンドを100メートルも後にすれば、真っ暗な街路、そして漆黒の林道へ。500余人のランナーが着けたヘッドランプの灯りが、地面に数百の白い弧を描き、上下動に併せて小刻みに揺れる。バックパックに装着した熊よけの鈴がいっせいに鳴り響く。「チリン、チリン、チリン・・・・・・」何百もの鈴の音が谷筋に反響する。LEDランプの青白い光と、豆球のオレンジがかった光が、蛇行する林道の流れに沿って左右にうねる。この世のものとは思えない異界への集団行のようである。ふと(死んだあとって、こんな具合なんだろうか?)と思う。似たような時間に絶命した世界中の人びとが、行列をつくって黄泉の国へと走っているのだ。これが死後直後の世界だと仮定するなら、意外に三途の川行きも怖いもんじゃない。大勢が同じ境遇にあり、同一方向に疾走する。それは自然なことのように感じ、暗闇は恐れるべき対象ではない。
ぼくが装着していたヘッドランプは「ペツル イーライト」。キャップの先端にクリップで留められるタイプだ。重量27グラムと軽さを優先して選択したが、あくまでエマジェンシー用。不安定な浮き石や、深い車のわだち、崩壊した路肩が連続する林道をハイスピードで走るには充分な光量がない。併走するランナーのヘッドランプの光をアテにしながら15キロの間に標高差700メートルを登る。
午前5時には白々と夜が明け、薄明かりのなか再び峠越えに入ったあたりで天候にわかに急変し、土砂降りの雨にみまわれる。数千本の樹木を叩く雨音は、ふだん街で聴くそれとはまるで違う。1粒1粒が打ち鳴らす葉との衝突音が何百万個もの共鳴となり、轟となって空気をざわめかす。葉先を経由して滝のようにしたたり落ちる水は、林道を都合のいい通り道としてたちまち渓流に変える。ランナーは足元でシブキをあげて流れ下る水とも戦わなくてはならない。
40キロ地点にある第一関門は制限7時間。1時間の余裕を残して関門にさしかかる手前あたりで、前方から続々とランナーが降りてくる。コースに折り返し点はない。不思議に思い、なぜ?と話しかけると「自主リタイアです」と笑いながらグッドラックと手を振る。天候が悪すぎて危険と判断したのか、気が乗らなかったか。このあけっけらかんとした執着のなさ、潔さはトレイルランナーの特徴か。
関門はエイドステーションも兼ねている。唯一の休息所であるテント下のブルーシートは水たまりのないスペースを探すのも困難だが、幾人ものランナーが毛布にくるまり精魂尽き果てたと爆睡している。いったん横になると二度と立ち上がれない気がしたので、ずぶ濡れのシューズと靴下の水気だけ取ることにする。水と泥にまみれたシューズは乾燥時の倍ほど重く鉛の足カセをぶらさげたよう。靴下を脱ぐと、白蝋化しシワくちゃになった土左衛門のような足が出てきた。これが自分の足かい? まるで水死体の皮膚じゃないか。水中に3時間、4時間と居続けたらこうなるんだろうか。見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐさま靴下をはき直し、立ち上がった。エイドのあちこちからリタイアの相談をする声が聞こえる。甘い誘惑を断ち切るべし。水を2リッター補給し再出発する。すでにロードの100キロを走りきったくらいの疲労度、そして脚の痛みがある。中間点もほど遠いというのに。
ここに来てもはや崖崩れは日常茶飯、土砂や岩石が道を覆う。山側の渓流は瀑布となり、谷側の道は数百メートル下まで崩れ落ちている。路面を覆う鋭利なれき岩や不安定な砂岩が一歩ごとに足の裏を刺し、痛みに耐えんとすればうめき声が漏れる。それにしても苦しい。いわゆるガス欠の苦しみから生じる「心が折れた」状態ではなく、純粋なる肉体のダメージが強烈だ。これはレースというよりは修行に近いぞ。我は千日廻峰に挑む修行僧なるぞ! 標高地図を見れば、全行程に現れる登りは700メートル1本、300メートル1本、200メートル4本、100メートル10本。累積標高差は約2600メートル。急峻な峠道はない代わりに、眉山程度の標高差の登り降りを、1日中繰り返しているに等しい。
こんな過酷な道をヒョイヒョイ駆けぬけていくトレイルランナーとは何者か? あの風を切るように走るさまは何だ? 急傾斜の下り道でも空中を舞うように、軸脚に体重を乗せきらないうちに次の歩みに移動できるのはなぜか?
第二関門は70キロ地点、制限10時間。関門の横に併設されたエイドステーションには豊富な食糧があるとの説明を受けていたが、制限ギリランナーが到着した頃には先行ランナーに食べ尽くされていた。パンもおにぎりもバナナもないが、地元特産の塩漬けキュウリがかろうじて残っており、餓えた腹に染み込めば、鳥肌が立つほどおいしい。教訓「トレランの大会ではエイドをアテにしてはならない。自給自足分の食糧のオマケと考える」。
第二関門前後からペースの似通った選手たちの顔ぶれが固定しはじめ、抜きつ抜かれつ併走しつつ、声をかけあうようになる。制限20時間ギリギリで走っている集団だから、たいていがどこか故障を抱えている。「痛い、痛い」と叫びながら、痛みを忘れるためにムダ話に花を咲せる。高い心拍数で走ってないから会話に不自由はない。激痛に耐え、嵐に打たれという極限状態を共に走るランナーたちは、一瞬で旧知の仲のようになる。誰に対しても、どんな言葉を用いても説明し難い「この感じ」を共有しあえる同志ってわけだ。
しかしトレイルランナーの感性はおもしろい。道が平坦になると「あ〜あ、こんな所まで来て、フラット道走らせるんかよ〜」とくだを巻き。下り道が続けば「あとちょっと頑張ろう!登りになったら休憩できるから」。深い水たまりに躊躇なく足をつっこみ「シューズをいったん全部水につけてしまえば気にならないよ!」。ああこの人たちはマゾなのだ、と感じ入る。痛めつけられないと許せないのだ。SMクラブの女王様に優しくされたら「金返せよ」と叫びたくなる心理と同じだ。いたぶられたいのだ。山や嵐や自分との戦いに。
二度目の夜が訪れる。まる二日睡眠をとらず20時間近く走り続けたにしては異様に元気である。フィニッシュ会場の灯火が遠くに瞬くと、なにやら不思議な感覚に満たされる。ゴールしたくない気分なのである。なんだか寂しい、もう少し走っていたい、あと20キロくらい走りたい・・・。周囲のランナーに共感を求めると「アンタどんだけマゾよ?」と一喝される。そりゃそうだね、もう充分かもね。
光り輝くフィニッシュゲートをくぐれば待ちかまえたカメラの放列から目映いほどのストロボがたかれる。ほぼ最終ランナーだけどスーパースター並みの扱いだこりゃ。長い人生、こんな日もあっていいかもね。19時間49分、全身の筋肉を動員し、エネルギーを使い切った爽快感でいっぱいだ。この1週間、ジョギングもできないほど悪化していたヒザや腰の痛みが今は消し飛んだようだ。走り続ければ身体が痛みに順応するのだろう。人体って笑っちゃうくらい素直な造りだね。
「2009OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」は、林道の崩落のため迂回路を利用し全行程103キロとなった。589人のエントリーのうち200人がリタイアあるいは関門閉鎖にあい、389人が完走した。完走率は66%である。
そしてぼくは、フィニッシュ会場で帰る足をなくして途方に暮れていた尼崎市在住の大学生君を拾い、無限の可能性を秘めた若者の渇望感ある話に心打たれつつ早朝に自宅まで送り届け(またまた徹夜です)、足かけ三夜四日間にわたる不眠不休の旅を終えた。もうこれが限界だ・・・眠い、眠りたい。11日間不眠記録を打ち立てたイギリス人のおじさんはすごいね。ずっとビリヤードしてただけらしいんだけど。
2009年08月27日
新たな徳島の名物メニューを世に発信しようと、お店の人にメニュー開発を依頼。料理人の技と素材の旨みが際立つ料理の数々は、県内にとどまらず日本中で空前のブームになることが予想(期待)されるので、早めのチェックをおすすめします!
★徳島県民のみなさま、お待たせしました! ★
タウトクがプライドを懸けて取り組んだ、美女発掘プロジェクト「徳島美女大図鑑」。第1回目は、ピュアな女子高生から美人主婦まで36人! 美しい女性たちに見惚れてください!
2009年08月25日
0907_CU部数推移.pdf
月刊タウン情報CU*7月号の実売部数を報告します。CU*7月号の売部数は、
6267部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
2009年08月24日
0907_タウトク部数推移.pdf
月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数を報告します。タウトク7月号の売部数は、
10812部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2009年08月20日
ということで、さらら8月20日号の特集は「残暑のころの、ぱ・ぱ・ぱごはん」。たったの3分〜5分で作れちゃう簡単ごはんレシピをたくさんご紹介♪
気になるレシピを見つけたら、ぱぱぱっと作っておいしくいただきましょう!
そして、前号から新しくなった表紙「数字から探る、徳島のスタンダード ザ・徳島の平均値!」。連載2回目となる今回はスーパーに関するスタンダード。
徳島の人は1週間にどれくらいスーパーを利用しているのか、1回の買い物でどれくらいスーパーに滞在しているのか、はたまたポイントカードは何枚持っているのか…など、皆さんのスーパー(マーケット)ライフを探ってみました。
2009年08月10日
旬の情報がギュッとつまったCUの最新号は…
特集1
「居心地のいいお店グランプリin徳島」
自然の情景に癒されるお店、「和」ごころあふれるお店、
オシャレな夜を楽しめるお店・・・など、
様々な「居心地のよさ」を持つお店を集めました。
これを見て自分にぴったりのお店、見つけちゃいましょう!
2009年08月07日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
小学生の頃、自分が大人になったら高倉健になると決めていた。日本の男の正しき姿とは健さんであり、大人になるとは健さんになることだと心得た。切った張ったの修羅を生き、悔いた涙の刻んだ皺が、右のほおに陰影を描く。惚れた女を待てば幾年月、流れ流され辿り着いた場末の酒場のカウンターの隅で、イカを肴にぬるい酒を手酌で飲む・・・。今は子どものぼくだけど、いつか大人になれば哀愁という名のコートを身にまとうのだ、と。
小学生の頃、自分が大人になったら高倉健になると決めていた。日本の男の正しき姿とは健さんであり、大人になるとは健さんになることだと心得た。切った張ったの修羅を生き、悔いた涙の刻んだ皺が、右のほおに陰影を描く。惚れた女を待てば幾年月、流れ流され辿り着いた場末の酒場のカウンターの隅で、イカを肴にぬるい酒を手酌で飲む・・・。今は子どものぼくだけど、いつか大人になれば哀愁という名のコートを身にまとうのだ、と。
あるいは高校生の頃、ハードボイルド小説や映画に凝りはじめると、パチーノやデニーロや松田優作的な、ジャックナイフや日活コルトを胸元に忍ばせて、触るものみな傷つける男に憧れた。鋼のように鍛えた身体には1ミリの脂肪もなく、餓えた目はギラギラぬめり、脂汗がグリスのように鈍く光る。理性のたがが外れた獣のように金や暴力や女を直情的に求める。社会のルールに一切くみせず、自分自身の内側に抱えたルールに従い生きる。きっと自分は映画「太陽を盗んだ男」のジュリーのような大人になる。なるはずだと信じた。
さて現実といえばこうだ。オッサンとの呼称が適切な年齢となったぼくは、餓えも渇きも濡れもせず、経年とともに渇望感を失い、「特になーんにも欲しくない」との心境に達しつつある。かつて夢見たストイック・ヒーローズとは対極の感性である。
たとえば食事。何を食べても心から美味しいと思えてしまう。よく冷えたコカコーラを飲むと悶絶寸前、「この世のモノか!」との雄叫びを抑えるのに必死である。神を信じないぼくも、コカコーラの原型が誕生した合衆国はジョージア州に向かって、感謝の祈りを捧げようかという気にさせる。何度も会社破綻しながら再建を繰り返し今日に至った宿命のライバル・ペプシコーラを育んだノースカロライナ州にも併せてひざまずきたい。方角に大差はないからね。
近ごろはキュウリとトマトが安いでしょう? 500円も出せば食べきれないくらい買える。調理をせずキュウリ3本、トマト3個、生でかじって晩ごはんは終わりである。たまに「アジシオ」をふりかけると舌先が痺れるほど美味しい。こんなにシャブ中毒者並みに味を鋭敏に感じるのは五感異常ではないか。試しにポン酢やらナンプラーやらを舐めてみると、冷蔵庫の扉にもたれ掛からなくてはならないほど旨い。
食物のみならず、服装も、物欲も、あらゆる低次欲求がそうだ。風呂に浸かっても、布団に入っても、怖いくらい快感を得られる。アブラハム・マズローが唱えた五段階欲求でいうところの生理的欲求が混乱している。あるいは度が過ぎるほど高い。無我の境地を求めて荒行を果たしたすえの無欲ではない。ちょっとアタマがいかれているのである。ハートチップルを肴に第3のビールを飲んだだけで「これ以上の幸福が訪れたらどうしよう?」と怖くなる。客観的に自己診断するならば、不安神経症の逆の症状である。あえて「幸福神経症」と名づけておこう。現状への度を超えた恍惚感と、満足しすぎる性向に対する不安。「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」フランスの詩人、ポール・マリー・ヴェルレーヌの言葉を用いてU設立の心境を吐露した前田アキラ兄さん状態? この傾向、2年前にランニングを始めてから加速度的に高まっている気がしてならない。
100キロという途方もない距離を10時間前後で走りきるウルトラマラソンという競技は、この「恍惚と不安」が波状的に訪れる。まずウルトラランナーとは、基本的状況としては幸福このうえない存在なのである。100キロもの距離を走り通すことのできる健康な肉体を所有しているという点。交通が遮断された道路の真ん中を堂々と闊歩する横暴さ。数キロおきに用意された食べ放題の果実、ドリンク、炭水化物類。美しい風景、沿道の応援、ランナー同士に芽生える友情。このような幸福な状況を前にしても、10時間のうちに10万歩以上の地面の踏みしめにより、全身の関節は悲鳴を上げ、筋肉は収縮を拒否し、心拍は限界値付近で打ち鳴らされる。フルマラソンの30キロ以降に感じるグリコーゲン枯渇の苦しさを通り越して、「痛み」が全身を襲う。しかしだ。そのような状況下でも、基本的には恍惚のベース上にある競技であることをランナーは自覚している。80キロを超えてウルトラマラソンの最も苦しいとされるラスト20キロにさしかかっても多くのランナーは笑っているし、激痛に顔をゆがめながらもキャッキャと嬌声をあげている。そうそう、痛みすなわち愉悦なんです。果てしなきドMです。
6月下旬に北海道で開催されたサロマ湖100キロウルトラマラソンに参加し、11時間45分で完走した。タイムはまあ平凡なのだけど、学ぶべきポイントがたくさんあった。40キロあたりでマタズレが悪化し、内股の生皮がむきだしとなり出血。その程度の痛みで真剣にリタイアを考えるほど物理的苦痛に弱いってわかったこと。80キロ過ぎると、歩いている人に抜かされるくらい脚が長距離対応できてなかったこと。これらは練習を強化すれば解決する。
それとは別次元の問題に気づく。最近、めばえている逆説的な感情である。そもそも自分はなぜ走りはじめたのか。能力の限界を超えるリミットアウトを課すべく超長距離走にチャレンジしたのではなかったか。それは半ば苦行の意味があった。ところがこれが面白くて仕方がないのである。それは美人でボインで知的なおねえさんとのデートを翌日に控えたり、レンタル中が続いた「ターミネーター・サラ・コナー・クロニクルズ」のDVDをついに借りてバイクをすっ飛ばして帰るときと同様の、楽しい所作なのである。克服すべき対象でも、困難な壁でもない。より速く、より遠くを追求すれば、フィジカル面では苦痛を感じるのだろうが、それとて快楽と恍惚の俎上にある。楽しいことをやり続けることに意味はあるのだろうか? それは人格の再形成に好影響を与えうるのか。・・・どうも思考の迷宮に入っている。
幸福と不幸の境界線が急低下しているのだ。最低限の衣食住と移動手段があればそれ以上に何が必要なんだと。水と食糧とテントと防寒具と国民健康保険カードがあれば、もう言うことないのだと。歳をとるごとに「もっとこうあらねばならない」という建設的な現状否定を失っているのである。これは、会社を経営する者としては致命的な指向なんじゃないかと思うのである。・・・こんなことを考えながら、霧でな〜んにも見えない乳白色のサロマ湖畔を、マタズレのキンタマ抱えて走り続けた初夏であった。
さて現実といえばこうだ。オッサンとの呼称が適切な年齢となったぼくは、餓えも渇きも濡れもせず、経年とともに渇望感を失い、「特になーんにも欲しくない」との心境に達しつつある。かつて夢見たストイック・ヒーローズとは対極の感性である。
たとえば食事。何を食べても心から美味しいと思えてしまう。よく冷えたコカコーラを飲むと悶絶寸前、「この世のモノか!」との雄叫びを抑えるのに必死である。神を信じないぼくも、コカコーラの原型が誕生した合衆国はジョージア州に向かって、感謝の祈りを捧げようかという気にさせる。何度も会社破綻しながら再建を繰り返し今日に至った宿命のライバル・ペプシコーラを育んだノースカロライナ州にも併せてひざまずきたい。方角に大差はないからね。
近ごろはキュウリとトマトが安いでしょう? 500円も出せば食べきれないくらい買える。調理をせずキュウリ3本、トマト3個、生でかじって晩ごはんは終わりである。たまに「アジシオ」をふりかけると舌先が痺れるほど美味しい。こんなにシャブ中毒者並みに味を鋭敏に感じるのは五感異常ではないか。試しにポン酢やらナンプラーやらを舐めてみると、冷蔵庫の扉にもたれ掛からなくてはならないほど旨い。
食物のみならず、服装も、物欲も、あらゆる低次欲求がそうだ。風呂に浸かっても、布団に入っても、怖いくらい快感を得られる。アブラハム・マズローが唱えた五段階欲求でいうところの生理的欲求が混乱している。あるいは度が過ぎるほど高い。無我の境地を求めて荒行を果たしたすえの無欲ではない。ちょっとアタマがいかれているのである。ハートチップルを肴に第3のビールを飲んだだけで「これ以上の幸福が訪れたらどうしよう?」と怖くなる。客観的に自己診断するならば、不安神経症の逆の症状である。あえて「幸福神経症」と名づけておこう。現状への度を超えた恍惚感と、満足しすぎる性向に対する不安。「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」フランスの詩人、ポール・マリー・ヴェルレーヌの言葉を用いてU設立の心境を吐露した前田アキラ兄さん状態? この傾向、2年前にランニングを始めてから加速度的に高まっている気がしてならない。
100キロという途方もない距離を10時間前後で走りきるウルトラマラソンという競技は、この「恍惚と不安」が波状的に訪れる。まずウルトラランナーとは、基本的状況としては幸福このうえない存在なのである。100キロもの距離を走り通すことのできる健康な肉体を所有しているという点。交通が遮断された道路の真ん中を堂々と闊歩する横暴さ。数キロおきに用意された食べ放題の果実、ドリンク、炭水化物類。美しい風景、沿道の応援、ランナー同士に芽生える友情。このような幸福な状況を前にしても、10時間のうちに10万歩以上の地面の踏みしめにより、全身の関節は悲鳴を上げ、筋肉は収縮を拒否し、心拍は限界値付近で打ち鳴らされる。フルマラソンの30キロ以降に感じるグリコーゲン枯渇の苦しさを通り越して、「痛み」が全身を襲う。しかしだ。そのような状況下でも、基本的には恍惚のベース上にある競技であることをランナーは自覚している。80キロを超えてウルトラマラソンの最も苦しいとされるラスト20キロにさしかかっても多くのランナーは笑っているし、激痛に顔をゆがめながらもキャッキャと嬌声をあげている。そうそう、痛みすなわち愉悦なんです。果てしなきドMです。
6月下旬に北海道で開催されたサロマ湖100キロウルトラマラソンに参加し、11時間45分で完走した。タイムはまあ平凡なのだけど、学ぶべきポイントがたくさんあった。40キロあたりでマタズレが悪化し、内股の生皮がむきだしとなり出血。その程度の痛みで真剣にリタイアを考えるほど物理的苦痛に弱いってわかったこと。80キロ過ぎると、歩いている人に抜かされるくらい脚が長距離対応できてなかったこと。これらは練習を強化すれば解決する。
それとは別次元の問題に気づく。最近、めばえている逆説的な感情である。そもそも自分はなぜ走りはじめたのか。能力の限界を超えるリミットアウトを課すべく超長距離走にチャレンジしたのではなかったか。それは半ば苦行の意味があった。ところがこれが面白くて仕方がないのである。それは美人でボインで知的なおねえさんとのデートを翌日に控えたり、レンタル中が続いた「ターミネーター・サラ・コナー・クロニクルズ」のDVDをついに借りてバイクをすっ飛ばして帰るときと同様の、楽しい所作なのである。克服すべき対象でも、困難な壁でもない。より速く、より遠くを追求すれば、フィジカル面では苦痛を感じるのだろうが、それとて快楽と恍惚の俎上にある。楽しいことをやり続けることに意味はあるのだろうか? それは人格の再形成に好影響を与えうるのか。・・・どうも思考の迷宮に入っている。
幸福と不幸の境界線が急低下しているのだ。最低限の衣食住と移動手段があればそれ以上に何が必要なんだと。水と食糧とテントと防寒具と国民健康保険カードがあれば、もう言うことないのだと。歳をとるごとに「もっとこうあらねばならない」という建設的な現状否定を失っているのである。これは、会社を経営する者としては致命的な指向なんじゃないかと思うのである。・・・こんなことを考えながら、霧でな〜んにも見えない乳白色のサロマ湖畔を、マタズレのキンタマ抱えて走り続けた初夏であった。
2009年08月06日
パンツ一丁の父上様、そうめんが大活躍する食卓、暑さ対策へのこだわりなどなど、徳島に住む50人の方に、そのおうちならではの夏エピソードを教えていただきました!
阿波おどりや花火大会など、たくさんのイベントが盛りだくさんの夏ですが、家で家族と過ごすの何気ない時間も大切な思い出です。
そして!今回から表紙が新しくなりました。その名も「ザ・徳島の平均値!」。