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2007年02月25日

革命児の生き方
「若さゆえの無謀」というコトバの陳腐さ。
大人になれば落ち着かなきゃいけないなんて、
みな信じこまされている。そんなのダマシだ。
ハゲチャビンのおっちゃんになっても、
語る夢がある大人はみな無謀なのだ。

文=坂東良晃(タウトク編集人)


その男に出会ったのは1987年、アフリカのナイロビという街だ。

ナイロビのダウンタウンに「リバーハウス」という伝説の宿がある。
3階建ての古いアパートメントの一角が、貧乏旅行者に開放されている。2階には広い中庭があり、さんさんと太陽光がふりそそいでいる。その周囲をとりまくように部屋が並んでいる。
そこでは、ごく普通に地元のケニア人が日常生活を営んでいる。会社に出勤する人もいれば、日雇いの仕事を探している兄ちゃんもいる。とはいえ、真っ昼間からヤーマーという幻覚効果のある葉っぱをくちゃくちゃと噛み、恍惚の表情をたれ流しながら口を真っ赤にしてる住人も多く、平均すれば普通ではないのかもしれない。
夜な夜な地元のディスコに男を釣りに出かける娼婦たちも、何部屋かを借りている。
彼女たちの多くは、ナイロビ生まれではなく北部の寒村出身である。稼ぎがよいのかどうかは知らないが、美人は1人で部屋を借りているし、娼婦としてはどうなんだろ?というクラスの女性は3人くらいでルームシェアをしている。
旅人と、下町のオッチャン・オバチャンと、出稼ぎ娼婦が共同生活する不思議な空間。天気のいい日には、クリーニング屋を営むオバチャンがシーツの洗濯をはじめる。中庭いっぱいに何重にも干されたカラフルなシーツが風にそよぐ。その傍らで、ぼくは惰眠をむさぼっている。

ぼくにはやることがなくなっていた。
ぼくはそのとき二十歳で、十代の頃からはじめたひとつの大きな旅を終えていた。アフリカ大陸をインド洋岸から大西洋岸まで歩いて旅をした。6千キロを歩くのに1年かかった。
地図のない密林地帯や、涸れはてた砂と岩だけのサバンナ。厳しい旅であったが、身体の順応は早かった。餓えも、マラリアも、ボウウラの浮いた飲み水も、すぐに身体にしみついてしまった。自分の内面への旅のはずが、酔狂なピクニックになってしまった。大きな徒労感と怠惰が全身をおそっていた。
これから先、いったい何をすればいい?

そんなときである。男が宿にあらわれたのは。
一目見たときから、男はタダモノではない気配を全身から発していた。眼光はヘビのように鋭いが、正面から見れば澄み切っている。四肢の筋肉はシャープな彫物をつくり、研ぎ澄まされたアスリートのようである。ヤクザではあるまいが、身体のあちこちに古傷、生傷がある。
彼には貧乏旅行者がまとっている「ダルさ」がない。
旅人たちは、何かを探しにアフリカの辺境にやってきていた。ある者は貧しいスラムの街に、ある者は未踏のジャングルへと、地図のない場所を求め自分さがしをする。壮大なるモラトリアムである。1年、2年とつづく旅。地平線を何本越えようとも、その彼方に求めるものはないことを旅人は知り、都会へと帰る。あるいは、見つからない回答を探しつづけ、漂流人となる。自分と現実の境界線を見失い、狂う。
しかし、この男には「迷い」がまるでないのである。

男は名前を聞かれると、「オレは革命児だ」と名乗る。
他人にアドレス交換を求められると、住所の下に巨大な文字で「革命児」とだけサインをする。それでも郵便物は届くらしい。ヘンである。しかしこの果ての地で、自分を革命児だと名乗るような輩は、珍しいとは言えない。
要するに、少しオカシイのだろうと想像する。そもそも、いつ後ろから刺されるかも知れないナイロビのダウンタウンに、まともな人間がやってくるはずがない。

だが、革命児はきわめてマトモな人物であった。革命児は二十三歳という若さに似つかわしくないほど、人間愛にあふれている。困っている人がいると、相手が誰であろうとトコトン世話を焼く。
ある日、革命児と話をしていると、外から叫び声がする。ケンカか、と思った瞬間、革命児は疾風のごとく外に飛びだしていく。ここは物騒な下町である。ケンカといっても殴り合いじゃすまない。平気でナイフくらいは登場する。集団リンチ、ゴミタメの中で流血、失禁する敗者、そんな風景が日常茶飯だ。ところが、革命児は見ず知らずの地元のあんちゃんのケンカを止めに入る。革命児は、他人の事情を優先する。自分の身を守らない。

革命児が語る物語はファンタジーにあふれていた。彼が身体に負ったいくつもの傷は、ジンバブエの外人傭兵部隊に入隊したときについたものだ。
「軍隊に入ったらさあ、最初の日に人の殺し方を教えられるんだ。細い針金を相手の後ろから首に回し、ぐいっと背中でかつくだけでいいなんてね」

アラーの思想に共感する彼は、どうしてもメッカに巡礼したいと考えていた。彼の父親は日本人としては数人しかいないメッカ巡礼をはたした敬虔なイスラム教徒だという。
メッカに入るためには、サウジアラビアに入国しなければならない。ところが日本人である革命児には、なかなか入国許可がおりない。彼は、ソマリアにあるサウジ大使館の前で数週間の座り込みをし、日照りと風雨のなかで、暗唱したコーランを滔々と吟じた。大使館員はついに折れ、革命児を認めた。アラビア半島を徒歩で横断し、彼は聖地メッカへの旅を実行した。

銃撃を受けたこともある。
社会主義革命を成功させたアフリカ北部の国家・リビア。革命児はカダフィ大佐が作った革命国家を自分の目で見ようとした。当時、旅行者がリビアに入ることは不可能であった。革命児は、砂漠には国境がないと考え、何もないないはずのそこから潜入を試みた。巨大なポリタンクに飲料水を蓄え、ひたすら歩く。しかし、砂漠を行けども行けども鉄条網が張り巡らせれており、国境警備兵がいる。やがて水は涸れ生命のピンチ。強行突破を決意した革命児の足元に、兵士はマシンガンを撃ちこんだ。
子供の頃にワクワクして読んだ冒険小説のような話を、革命児はいきいきと語る。

なぜ彼は、自分を「革命児」と称するのか。
「オレはアフリカに革命を起こすんだ。南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)をぶっつぶすんだ。サベツのない世界に変えてみせる。そのためにオレは生まれてきたのだ」
傭兵としてのトレーニングも、イスラムの奉仕の思想も、世界を知る無謀な旅も、すべてはその準備のため。
ぼくは、この言葉を半分信じ、半分疑った。純粋な若者の、理想論だと思った。
彼ほどの行動力があれば、いずれ必ず南アフリカに入るだろう。そこで抵抗運動をする人々と合流して、珍しい黄色人種の人権活動家として注目を浴びるだろう。でもそれは、若さゆえの熱さ、守るもののない若者だからできる無謀なチャレンジだと、ぼくは思った。
そう。革命児だって、ぼくと同じようなものだ・・・。彼なりの自分さがしをしてるのだ。

そんな彼への評価が大間違いであったことがわかった。革命児は本気だったのだ。彼の民衆革命への志は、いまだに途絶えていなかった。
一冊の本が出版された。
「我が志アフリカにあり」朝日新聞社刊。
革命児・島岡強の半生をつづった痛快なノンフィクションである。著者である島岡由美子さんは、ぼくが出合った当時から革命児と旅をともにしていた。顔立ちは、周囲が振り返るほどのものすごい美人。しかも、活発な女性ツーリストとは対極の良家の子女タイプ。上品な物腰も、おっとりとした口調も、日曜に銀座のデパートにお出かけするような感じの洋服も、下町のボロ宿のなかで恐ろしく違和感のある女性であった。
ケンカの仲裁に飛び出していく革命児を呆然と見送りながら、「いつものことだから、あの人はそういう人だから」と不安そうに微笑んでいた。
その島岡由美子さんが書き綴った革命児の人生は、鮮烈このうえない。
タンザニアのザンジバルという島に腰をすえた革命児は、草っぱらに柔道場を開き、たくさんの若者を指導した。そして、世界選手権に出場する選手を育てるまでに至った。一方で漁業や運送業を興し、地元の職のない若者たちの働き口を作り、支援をつづけている。自分以外の誰かのために生きる、その無垢な姿勢は微塵も揺るがない。18年の時が過ぎても、革命児は昔のままの革命児なのだ。
「島岡強」でインターネット検索すれば、現在の彼の姿も見える。かつての研ぎ澄まされた虎のような顔は、柔和な大人の顔になっているが、荒々しいガキ大将ぶりは健在である。いくつになってもどこまでも戦い続けている革命児。負けちゃいられないと思う。
そんな革命児のドキュメンタリーが、「スマステ」でも放映された。突然すぎて見逃した、チクショー。誰か録画してない?

2007年02月21日

雑誌をつくろう そのロク「どうやら横道にずれてます」
ヒマラヤのヒライケン語録
文=坂東良晃(タウトク編集人)

nepal2厳冬期、ヒマラヤにのこのこ出かけた。寒すぎ!
雑誌など長年作っていると、野獣的なカンが鈍くなる。
たとえば腐った肉を食べるとして、ほどよい甘みのある腐り加減なのか、それとも消化器官に深刻なダメージを与えるほどの腐り方なのか、今の自分はわからない。あるいは、水の匂いを嗅ぎ分けられなくなっている。砂漠やサバンナを歩いていると、極度に身体が乾燥する。わずかな水で生命をつなぐ生活を続けていると、枯れ谷の底に流水が存在しているのかどうか、「水の匂いや動き」を感じられるようになる。動植物や昆虫の知識がなくても、外見を見たり匂いを嗅ぐと、食べられる虫かどうか判断できるようになる。ぼくは10代の後半と20代の前半の多くを、飢えと乾きに悩まされる場所で過ごした。その頃の感覚を完全に失ってしまっている。
それではいかんのである。
物事は論理と理性で考えてはならないのである。野獣のカンで危機を察知し、獲物を猛追しなければならないのである。
社会生活の中で集団行動に慣れすぎると、個としての決断力が鈍る。人と話し合ったり、取引したり、合意したりしてるうちに、判断の50%を他人にゆだねることになってる。
それもいかんのである。
密林の奥深くで道を失ったときに、頼る人はいないのである。100%自分の経験とカンによって脱出口を見つけなければならないのである。

・・・なんていう得体の知れない心理的葛藤の果てに、ぼくはヒマラヤに向かったのであった。
ネパールにやってきたのは3回目だ。
1回目は18歳のとき。ヒマラヤ山中を目的もなくウロウロ歩いていた。調子に乗って雪解け水をガバガバ飲み、高い山に一気に登りすぎて、高山病と赤痢に罹患した。見ず知らずの旅人にまる1日背負われて下山した。ただのハタ迷惑なバカであった。
2回目は27歳のとき。自転車に乗ってネパールからアフリカまで行こうとした。首都カトマンズで台湾製の21段変速ギアつきの超高級マウンテンバイク(1万円)を購入して、さっそうと走り出した。5キロも走らないうちに変速機のパーツが壊れ、1段変速になった。そのうち右のペダルがポロッとれた。ハンマーでペダルを打ち込んでいると、その衝撃で左のペダルも取れた。そんなボロ自転車でインドまで行ったが、運悪くインドとパキスタンの紛争がはじまり、印パ国境が閉鎖された。前に進めなくなり敗退した。これまたただの時流知らずのバカであった。

そして3度目は、39歳のオヤジ年齢となったボクである。
自分の野獣性を目覚めさせる旅である。目的からしてバカだね。18歳の頃のように、昼夜問わず怒涛の峠越えをし、雪渓を雪豹のごとく渡り、クレバスを超然と飛び越え・・・というフリーダムな旅を予定していたが、ネパール観光省に入山申請しようとしたら、「1人では山に入れませんね」と冷たくあしらわれた。かつては旅行者が自由にトレッキング(山歩き)できたんだけど、今はルールが変わったんだと言う。トレッカー(登山客)は必ず地元の旅行会社を通じて政府に入山申請をし、ガイドを最低1名つけなくちゃならない、というわけだ。
なるほど、そりゃいい国策である。登山客が1人で山に入っても、地元に落とす金なんて微々たるものだ。旅行会社を通せば、いろんなマージンがいろんな業者を潤して、いろんな人が儲かって嬉しいだろう。
ってことで、ぼくは1人のネパール人青年をガイドとして雇ったのである。
その彼はやたらと男前で、歌手の平井堅をさらに濃くしたような彫り深な顔立ち。ネパールの最高学府を卒業し、日本語・英語・ヒンドゥー語がペラペラの25歳。低酸素の高地にも強い体力を有し、知的で、控えめで、礼儀正しい。そしてすごく客観的に日本人を見ていて、その観察眼がおもしろい。ヒライケンの登場により、孤独のサバイバルクライミングだったはずの山岳紀行の様相は全然変わってしまい、彼との対話で全編彩られることになったのである。

んなわけで、ボクの旅行記は以下の数行にまとめ、ヒマラヤのヒライケン君との会話について記したいと思う。
では旅行記開始。毎日、1000メートル分登ったら1000メートル下るといった峠越えを繰り返した。1日8時間、延々と急階段を上り続けるような登攀路。毎日水を4リッター飲んだが、それでも身体はどんどん痩せてく。(汗って何リッター出るの?)
4000メートル付近から高山病の症状が出はじめ、万力で締めつけられるような強烈な頭痛と、胃液オンリーのゲロに悩まされた。なぜか鼻血が止まらなくなり、鼻のまわりは凍った鼻血で真っ黒けになった。紫外線が強く、顔の皮膚がべろーんとはがれた。気温はマイナス20度まで下がり凍えたが、山の料理は美味しくカロリー補給ができたので、身体が冷め切ることはなかった。以上で旅行記終了。

■ヒマラヤのヒライケン語録1
ネパールでは裕福な家に生まれない限り、能力があっても、成功する方法は大きく3つなんです。
一つめは、中東の産油国に出稼ぎに行くこと。
二つめは、日本の大学の奨学生になって学生ビザで入国し、アルバイトで働きまくること。自動車工場なんか人気ですよ。でも奨学生になるには100万円近い準備金が必要なんです。これはネパールでは途方もない金額で、あちこちから借金しない限り、用意できないですね。
三つめは、イギリス軍かインド軍の傭兵(雇われ兵)になること。
ネパールは伝統的にゴルカ兵という優秀な兵士を持っていて、19世紀にイギリスと戦って勝ったことがあるので、今でも英軍からの評価が高いんです。カシミールやアフガニスタンやイラクの最前線にいるのは、ネパール人のような貧しい国の志願兵や傭兵です。政治家にしたら、本国の兵隊じゃないから、もし死んでしまっても自分の国の世論には影響がないから、そうなるんですね。報道ニュースで「これがイギリス軍の前線部隊です」といって、ネパール人が映されることはないですけどね。インド軍よりイギリス軍の方が給料も待遇もいいので、人気ですね。
この三つのうちどれかの方法で、数年かけてお金を貯めます。目標額は300万円とか500万円とかです。それを資金に、ネパールに戻って会社や商店を持ったり、旅行者相手のホテルを建てたりします。ネパールで何十年働いても、店を出すお金は貯まりません。

■ヒマラヤのヒライケン語録2
日本人の女の子は、声をかけられると、誰にでもついて行くって思われてます。ネパールやインドを旅行してる日本の女の子は、日本であまりモテたことないんでしょう? 日本では「ブサイク」って言うんですよね。だからきっと、こっちのナンパ好きの軽い男に「かわいい」ってホメられたり食事に誘われたりすると、すぐついて行ってしまうんでしょうね。お酒を勧めてもすぐ飲んでしまう。食事代やデート代のお金も払ってくれる。外見はすごくマジメそうに見えるのに、すぐベッドに入ってしまう。ネパールの遊び人からするとすごく都合のいい存在になっている。
あと、顔がアジア人なのに髪の毛を茶色や金色にして、あまり似合ってないからこっちの人は笑ってる。金髪でヒョウ柄の服を着ているのは「アユ」っていう人のマネをしているんでしょ? この間もタチの悪いナンパ男のバイクの後ろに乗って行ってしまった。髪の毛の色を変えてる女の人は、ナンパされるとすぐついていきますね。

■ヒマラヤのヒライケン語録3
日本人の金銭感覚はヘンですね。
日本の旅行者の口グセは「お金ない」と「(値段)高いね〜」です。たとえば、山の村でコカコーラの値段が100円と聞くと「高い!」と言います。牛やロバや人力で重い瓶ジュースを何日もかけて運び上げるのだから、運び賃がオンされて何十円かは高くなるんですけどね。それに料理が300円くらいだと、やっぱり「高いね〜」という声があがります。
でも、私たちみんな知ってるんですよ。日本では学生アルバイトの時給が800円とか、社員の初任給が十数万円とか、1回の食事に1000円くらい払うとか。なんで、そんな物価の国からやってきた人が、ネパールの旅行者向けの値段を「高い」「ぼったくり」なんて言う?
私の山岳ガイドの仕事は日当1000円です。これもネパールの給料水準と比べたらすごくいい。
でも、ガイドができる季節は1年の半分くらいだし、その期間中も予定が入るのは半分くらいだから、実際にガイドの収入があるのは、年間で90日〜120日分くらい。だから年収にしたら10万円前後。私は6000メートルを超える高山は案内しないから生命のリスクは少ないけど、それでも毎年キャンプ場や山小屋が雪崩に押しつぶされて死んでいるガイドがいる。私たちは死んでも何の保障もないんです。お金をたっぷり持っていて、何でも「高い高い」と言うメンタリティについて、本当のところが知りたい。

■ヒマラヤのヒライケン語録4
ネパールには、働く気がない日本の若い人がたくさん来ています。何十万円か持っていて、そのお金がなくならないように、できるだけ安い物を食べて、安いホテルに泊まって、何もせずにできるだけ長くいようとする。ネパールの人でも入りたくないような汚い不潔な食堂で、1食10円のごはんを食べてる。それでも「高い」と文句を言っている。お金を使いたくないから、できるだけ外に出かけないようにしたり、食べないようにしてる。なんかよくわからないですね。
こういう日本の若者は、大学に入学したのに休学したり、卒業したのに仕事してない人ですよね。日本の大学に入るのは凄くお金がかかるんでしょう?どうして何百万円もかけて大学にいって、今からお金を稼げるってときに、働かないんだろう。もったいないですね。そんなにお金がもったいないなら、大学にお金を払ったりせずに、会社を作ったり店を出したりする資金にしたらいいのに。あっ、でも仕事自体をしたくないのでしたか。
日本人でも中学校や高校を卒業して働いている人は、ネパールまで来て遊んでいる暇ないんでしょう? やっぱりそれなりに裕福な家の人が、旅行に来ているんですよね。
しかし、なぜ裕福な生まれなのに「お金ないない」と貧乏そうなフリをしているのですか。わからない。
ネパールの若者は、どうにかして働きたいから日本に潜り込んでいる。
日本人の若者は、働きたくないからネパールに来てじっーとしている。
世界はすごくヘンなことになってるし、何となく平等じゃないですね。


ヒマラヤのヒライケンは、夜ごとに思索し語る。日本人を100人以上ヒマラヤに案内した彼も、いまだ日本人の不思議な行動様式には理解しがたいものがあるようである。
ヒマラヤでは、旅行者とガイドは厳密に宿泊する場所を分け、主従関係をはっきりさせる習わしのようだが、ぼくはヒライケンの日本人観をうだうだ聞くのがおもしろくて、夜ごと彼の部屋をノックした。酸素が薄いためか炎がか細く揺れるローソク1本の灯火の中で、ぼくは彼の話を聞きながら眠りについた。
3週間近い同行の旅を終え、ぼくたちは山を降りた。騒音に溢れる首都カトマンズの路上でぼくたちは別れることになった。ヒライケンはぼくに握手を求めながら「ガイドの寝室にやって来るお客さんは初めてなので、最初はホモなんじゃないかと心配しましたよ」と言葉を残し、右手を天につきあげながら、ゆっくりとカトマンズの雑踏の中へと消えていった。

2007年02月15日

さらら2月15日号、発行! salala0215.jpg今回の特集は、「徳島人のものの呼びかた パート2」!テーマは3つ。もち米とうるち米を混ぜて炊いたものを丸めて、甘く炊いた小豆などをまぶしたもの、瞼にできる小さな腫れ物、お母さんが近所に出るときなどに利用する履物…それぞれ徳島人はどう呼んでいるのか? 500人以上の読者から寄せられたアンケート結果はいかに? 驚きの呼び方や、腫れ物を治すためのおまじない、履物の業界の呼び名など、おもしろネタも紹介!

2007年02月09日

CU*3月号で感動的においしいもんを発見! tokushima-cu073
特集1
●最近見つけた感動的においしいもん
徳島の女性が最近食べた美味しい料理、
なかでもビビっときた感動的な逸品を
写真と漫画で分かりやすくご紹介。
今まで知らなかった絶品料理を
発見できるチャンス!
そして…
結婚しちゃお!春号 発売ですtokushima-kekkon徳島のウエディング情報が300店舗掲載されている
「結婚しちゃお!春号 280yen」が2月10日に発売となります。

徳島で結婚をしたいカップルは必読の1冊。
結婚式場や写真館、貸衣装、ジュエリーショップなど
見ているだけで花嫁気分になれる情報万歳です。
さて、気になる春号の特集は…

2007年02月05日

月刊タウン情報トクシマ1月号 実売部数報告 tautoku0701_busuu.jpg tautoku0701_suii.jpg

月刊タウン情報トクシマ1月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ1月号の売部数は、
10209部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。

2007年02月02日

月刊タウン情報CU*1月号 実売部数報告 cu0701_busuu.jpg cu0701_suii.jpg

月刊タウン情報CU*1月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*1月号の売部数は、
6480部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。

2007年01月29日

月刊タウン情報トクシマ2月号発売! tokushima-tautoku0702寒いのに熱い!4大特集
●四国のご利益スポットで幸せになるドライブ
●今すぐ食べたい どんぶりベスト25!
●近県アイススケート場
●始める!格闘技
●歓送迎会ガイド70




2007年01月18日

さらら1月18日号発行 salala0118.jpg今回の巻頭特集は、「みんなの気持ちがこもったてづくりもの」
徳島県内の障害者支援施設や地域活動支援センターなどで作られている商品たちを紹介しました。
たとえば…毎朝5時から搾っている濃い味の牛乳(ビン詰め!)、生ゴミに混ぜて使う有機肥料、心と体に優しい手づくりヘルシーなお弁当、カバ・ブタ・子犬などの可愛い組み木、驚きの値段の野菜、なんとカブトムシの幼虫!など。思わずほしくなる、魅力的なものたちが勢ぞろいです。

2007年01月17日

徳島ウエディング 実売部数報告 t-wedding tokusimaW_busuu.jpg

徳島ウエディング 実売部数報告です。
徳島ウエディングの売部数は、
2012部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。
不思議の国 トルコ旅行記-後編- 1 4旅行記ラストは水の都・イスタンブールを紹介!
飛んでイスタンブール♪と口ずさむおじさま達は数知れず… 笑

世界各地から観光客が集まるイスタンブールには見所がたっくさん!
●グランドバザール(何と4000店がひしめく市場)
●エジプトバザール(香辛料の香りがプンプン)
●ガラタ搭(イスタンブールの夜景が最高にキレイに見えるスポット)
●モスク(世界で唯一6本の搭を持つブルーモスクには1日中イスラム教徒が礼拝に訪れる)
●トプカプ宮殿(世界2位の大きさを誇るエメラルドを展示)
●ボスフォラス海峡クルーズ(北は黒海まで行くことができる)


2007年01月16日

CU*2月号はいま旬の遊び場がいっぱい! cu0702特集1
女性がうれしい おでかけ先 70計画
夜景が綺麗なレストラン、爽快アイススケート、
新ショッピングスポット、秋田町の新個室など
寒さも吹っ飛ぶトキメキの遊び場を求めて
徳島はもちろん四国・関西まで巻き込んだ70箇所。
さらに...





2007年01月06日

さらら1月6日号、発行! salala0106.jpg今回の巻頭特集は、「徳島人のものの呼び方2007」。
あなたは、和食のダシをとるときに使われる小魚をなんと呼んでいますか? さらら読者501人のアンケートでは、じゃこ、いり、だしじゃこ、だしいり、いんじゃこ、にぼし…など、その回答の幅の広さにびっくり! さて1位になったのは…?
そのほか、大根のお漬物、男性がズボンの下につける下着など、人によって呼び方が違うもの6テーマをお題にした結果を発表します。

2007年01月05日

徳島で雑誌をつくろう そのゴォ「なんのために人は集まるのかな」
雑誌現場の反カリスマ経営
文=坂東良晃(タウトク編集人)

19歳の社員が突如ボクの仕事部屋にやってきて、「彼氏がほしいんですけどぉ、どーにかなりません〜?」と言う。そういう考え方はおかしい。好きな人ができたときに交際したいと思うべきであって、どうにかして彼氏を見つけようなんて考えはいかん。まじめに恋しなくちゃ!と我ながらいい回答をする。
ところがそいつはこう反論する。「私はチャラチャラした男のほうが好みなんですぅ〜。まじめな人とか面倒くさーい」。そして、高校時代に本物の恋愛をしたがそのような恋はもう二度とできないかも、といった思い出話を1時間ほど聞かされる。
25歳の女性社員から、「彼氏ができないのは過酷な労働環境のせいではないか、これは労災だ!」と厳しく問い詰められる。これは真っ向からの経営批判である。仕方がないので、クリスマスに向けて合コンの設定をすることにした。20代のまっとうな男性で彼女のいないのを探すのは困難な仕事だが、どうにか段取りをつけた。
ところがその後で、「男前じゃないと困ります」「銀行なら○○銀行にしてほしい」などと、ぜいたくなわがままを言い出す。それを甘んじて受け、再度調整に乗り出す。

「会社を変えよう!ミーティング」ってのをはじめた。
全社員参加で、「うちの会社のここがダメだ」という話し合いをする。
とにかくたくさんの不満がでてくる。フツーもっと遠慮するだろーよぉと思うが、新入社員でも会社のことをボロクソに言う。「メールがたくさん来すぎて読めない」「仮眠ソファーが臭い」「トイレでうんこを流さない人がいる」
まあ好きなだけ言うがいいさ、と思う。
メール受信の設定を変え、仮眠ソファーのヨダレだらけのシーツをクリーニングに出し、
トイレのうんこを皆が流すよう厳しく指導した。
さらには仕事中ノドが乾くので飲み物がいる、と言う。
ウォーターサーバーを設置しようかと提案すると、水よりジュースがいいとダダをこねる。
仕方なく購入してみたら、これがまたよく飲む。1カ月で段ボール15箱分だ。
量販店で2リッター98円の格安のものを選び買って帰ると、文句がでる。
「緑茶より烏龍茶がよい」「コーヒーの味がまずい」「牛乳もほしい」「豆乳も用意しろ」である。言うことを聞いて、ハイハイとふたたび買い出しに出かける。

ニートの男性が採用面接にきた。
この「イカリング」を読んでくれている人だったが、主旨を読み違えている。
「会社に入っても特にやりたいことはないけど、ニートでも働ける会社なんですよねぇ」と堂々と述べるので、
「いやそうじゃない。元ニートだろうと元暴走族だろうと経歴は問わないが、、
仕事を真剣にやろうって決意した人じゃないと採用はできないです」と説明すると、「ニートでも働けるみたいなこと書いていたじゃないか、ニートをバカにするな!」と強く怒られた。ニートにバカにされたのはこっちだ。

ボクは、この業界では古株なはずだが、威厳というものがまったく備わらない。
現場の仕事はほとんどやっていないから、自分の仕事ぶりをカッコよく他人に見せることもできない。だから「何をやってるかわからない変なオッサン」になっている。
頼まれたらリカオーにジュースを買いに行ったり、うんこを流せとたまに怒る人・・・くらいの扱いだ。よくこんな貧弱な経営者で会社がもっているものである。逆に何にもよーしないから、部下が立派なのかも知れない。
ぼくは雑誌が作れていたら幸せなので、それ以外のことをやりたいという欲望がない。こういう人物が上に存在してしまっては、若いスタッフの可能性を奪ってしまうことになる。野心に溢れてギラギラしたナイフのような人物に経営を交代してもらえないものかと、そればかり考えている。

年齢を重ねるごとに「企業」という組織形態に違和感をもつようになってきた。
人間がモノを作るために最も適した集団は、現在の先進諸国が採用している営利法人・株式会社という組織コンセプトがベストなんだろうか?
とずっと思いつづけているのである。
資本家がいて労働者がいる。
使用者がいて労働者がある。
決定権者がいて、労働現場がある。
正社員がいて、派遣社員がいて、アルバイトがいて、待遇格差がある。
利益を出し続けなければ成長はなく、成長なくして昇給はなく、利益を出すために市場に消費をうながす。
メーカーはモノを生産するために何らかの地球資源を使用し、加工し、廃棄する。
理路整然たるこれらの流れに、ボクが感じる「なんかちゃう」はどんどん大きくなる。

人間は、なにかの目的を達成するために、集団を組織しつづけている。
組織が存在するのは主に2つの理由だ。「思想の共有」と「利益の共有」だ。
子供たちは、いじめの対象にならないための仲良しグループをあいまいに結成し、お役人やおじさんたちは、利権をわけあうための談合グループをつくる。
残虐な奪いあいや陵辱が行われないよう、道徳と戒めという拘束を効かせたものが宗教。
近隣地域からの侵略を防ぐため、民族の生活習慣を犯されないため、人が飢えない構造を作るために組織されるのが国家。
イスラエルのキブツやコルカタのマザーテレサの家をはじめとする奉仕活動の場、あるいは特殊な目的の秘密結社や、辺境のコミューンは、精神的な充足を得るための組織である。
役人が管理する自治体や国家が運営する「国営公社」的な組織は、古代中国の宮廷政治の時代から非効率性と腐敗を内在している。
プロスポーツの球団は事業主の集まりだ。選手一人ひとりが一事業者として参加し、そして戦っている。ユニークな集まりだと思う。(事業者の集団なのにプロ野球に労働組合があるのはヘンだけど)。
モノを生み出し、価値を生産するために、人間はいろいろなチームをつくってきたのだ。

かく言う自分も、雑誌をつくるために人を雇用し、組織をつくっている。
ぼくの目的は何だろうと、ときどき考える。
うそはいくらでも言える。
「地域社会に貢献し、お客様に利益をもたらすことで、結果として自社が成長し、従業員が豊かな人生を送ることができる」。
これはホントなんだろか?誰が聞いてもウソくさいよね。自分の人生の中で、このような神々しい目的を持つほどの衝撃的な出来事にも、天の啓示にも遭遇していない。
経営者が集まった会合ではすっぺらこっぺら言えても、同級生の前では話せない。「俗人のお前がギャグ言うな!」と相手にもされないだろう。
ウソいつわりなく、誰に気兼ねすることなく、組織をつくる目的を述べたらどうなるのだろう。

他人に押しつけられたくないことを、他人に押しつけたくはない。
他人に管理されたくない。そして行動をマニュアル化されたくない。
他人の自己保身の影響を受けたくない。他人にウソをつかれたくない。
やりたい仕事に集中したい。他人に使ってもらえるものを作りたい。
くだらない人間関係や足の引っ張りあいのために、それをあきらめたくない。
・・・深く考えずに述べれば、こんなトコだろうか。
ならば、逆の組織をつくればいい。
管理されず、マニュアル化されず、ウソをつかない組織。
現場がやりたいことをやれ、生産したモノを使ってくれる人のためだけにアイデアを出しあい、権限者が保身のためにそれを止めない組織だ。
このようなチームを、営利法人あるいは株式会社というカテゴリー内で、つくりあげられるのだろうか。うむむ、難しそうだ。
しかし大土地所有制度や財閥制度、共産主義国家だって崩壊した。これら制度が存在した時代は、永遠に続くと思われていたはずだ。
現在の資本主義的社会システムもいずれば人類成熟の一過程となり、100年後には今とまったく違う形態の生産組織が生み出されている。
財産の相続がなくなって競争が平等化し、人間が本来的にやりたいことを追求し、生活が高次で保障されることで、純粋な知的欲求によってのみモノが生産される。うーん、筒井康隆、星新一のSF小説並みのあり得ない空想社会か。

こんなことを鼻くそをほじくりながらボーッと考えていたら、再び19歳の彼氏募集中の社員がやってきた。
「ま、また彼氏ほしいとかゆう相談か?」
「違いますよ〜、ミスター男子グランプリの中にタイプの男の子がいるんです〜。
カッコイイって思いません〜? わたしこの子がタイプですぅ〜」
この話が1時間。

2006年12月28日

神山町でメディコムポスター展が開催中!神山温泉近くを流れる川沿いで、常時ポスター展示する活動をされている神山町ポスターギャラリー実行委員会の方々。今までも、全国の名滝、温泉、映画などいろんなテーマごとにポスターを集めて展示されてきました。
そして今回なんと、お声がけをいただいたのがメディコム。月刊タウン情報トクシマの創刊時にポスターをみて、思いつかれていたとのこと。現在、タウトク、CU、結婚しちゃお!ほか、お笑いプロジェクト小鉄ライブ、シンガーソングライター皆谷尚美さんのコンサートポスターなどが展示されています。ぜひみなさん、神山町に足をお運びください。2月23日まで開催予定です。

神山グリーンバレーブログ
http://blog.kamiyama-gvi.jp/
月刊タウン情報CU*12月号 実売部数報告 cu12_busuu.jpg cu12_suii.jpg

月刊タウン情報CU*12月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*12月号の売部数は、
6539部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ12月号 実売部数報告 tautoku12_busuu.jpg tautoku12_suii.jpg

月刊タウン情報トクシマ12月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ12月号の売部数は、
11766部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。

2006年12月26日

月刊タウン情報トクシマ1月号発売!tautou0701寒い冬もアクティブに過ごす4大特集!
+注目の新コーナー続々登場

●冬の動物園・水族館・遊園地
●四国の秘湯・名湯めぐり
●破格の焼肉セット
●ミスター男子グランプリ

CU*1月号で冬休みを遊びつくそう! CU1月号表紙CU*1月号好評発売中。この冬を満喫できる情報満載〜!

特集1
●恋する大人のレストラン
ネエサン、これは必見です!
イタリアン、フレンチ、洋食などなど
とっておきの日に訪れたい、徳島の人気店を紹介。
豪華なコース料理など各店の人気がズラリ。
そして…

2006年12月21日

結婚しちゃお! 創刊しましたkekkonshityao徳島のウエディング情報が
300店掲載されているウエディング情報誌が

ついに
12月12日に創刊
しました!

特集は、
絶対マネしたい!結婚式の演出・おもてなし

涙腺全開!感動の演出編や
みんなが楽しめるゲスト参加の演出など
結婚式に取り入れたいイベント満載です。