NEW TOPIC
2010年04月15日
そして、好評連載中のさらランキング! 今回のテーマは、疲れた時のリフレッシュ法。あわただしい日々にお疲れ気味のみなさんのために、ストレスなんかぶっとばして元気になれる方法を集めました。これを参考にして、明日からまたがんばりましょう!
2010年04月09日
月刊タウン情報トクシマ3月号 実売部数を報告します。タウトク3月号の売部数は、
7654部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2010年04月08日
第1特集 【とくしま、女の夜遊び】
みなさん、夜、思いっきり遊んでますか!?
今、徳島の夜がかなり熱いのです。新しいダイニングやバーが続々と登場していたり、スイーツやカフェドリンクが充実して夜カフェとしても利用できるお店ができていたり…。ほかにも、夜景がきれいなスポット、B級グルメ、クラブやイベントなど注目すべきトピックが満載なのです。男前がいるお店もあるんです! ゆったりと美食やお酒、会話を楽しめる夜の時間がCUを見ればもっと楽しいものになりますよ。
2010年04月05日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
(前回の話=沖縄・宮古島で100キロマラソン×2日連続の初日。10キロ過ぎまで先頭集団につくが、あえなく引き離されたあげく、暗闇に道を失い途方にくれる)
正規コースに戻るまであと何キロあるんだろう? 暗闇のなかを夢中で脚を回転させているんだけど、走っても走っても前に進んでいる気がしない。明確な目標地点もなく速いレースペースで走るって行為は、こんなわけわからん状態なんだな。
(前回の話=沖縄・宮古島で100キロマラソン×2日連続の初日。10キロ過ぎまで先頭集団につくが、あえなく引き離されたあげく、暗闇に道を失い途方にくれる)
正規コースに戻るまであと何キロあるんだろう? 暗闇のなかを夢中で脚を回転させているんだけど、走っても走っても前に進んでいる気がしない。明確な目標地点もなく速いレースペースで走るって行為は、こんなわけわからん状態なんだな。
思考回路が奇妙にねじれている。数分前まで絶好調で走っていたハイな気分の残渣が体内にある。脳内麻薬であるエンドルフィンの分泌がストップしてない。一方で、二度とシリアス・レースには加われないという哀しみがひたひたと満ちてゆく。引き返しながらも、いまだにこの道が本当に間違っているのかどうか疑っている。ひたすら真っ直ぐ走ってきたのに、どこに曲がり角があったってぇの? 記憶不明瞭で思い出せない。パッパッと思考がうまく切り替わらない。
いま、ふつうの人なら何を考えるのか、考えてみることにする。考えるべきは、ゴールまでの80数キロを何を支えに走ろうか、だ。2日連続100キロをこなすためにやってきたんだから、何時間かかっても走るべきだ、と人間として正しく思うことにする。しかし「思うことにする」と「思う」は違う。まったくそうは思えないのである。やっぱダメだ〜。
やがて、前方にランナーの長い列が見えてくる。腕時計を見る。30分以上も迷走していたようだ。道を誤った地点が判明した。ぼくは正規コースの県道を直進せず、三叉路をゆるやかにカーブして「砂山ビーチ」へと向かう道に入ってしまったのだ。砂山ビーチは宮古島随一の観光地であり、大型バスも通れる立派な道が続いている。明るいオレンジの街灯の列は、県道沿いにではなく、砂山ビーチへと連なっている。視力が極端に悪いぼくは、三叉路に設けられた看板に気づかず、街灯の照明にだけ気を取られて前進したのだ。
夜が水平線の底から白く変わっていく。モノクロだった宮古島の輪郭がじわじわと着色される。景色が明瞭になっていくとともに、レースを失敗したという現実感がしのび寄る。両脚に重い濡れ雑巾が巻きついているよう。全身のどの筋肉にも力が入らない。意識しないと正しいフォームを維持できない。気を抜くとゼンマイ仕掛けの人形のようにギクシャクとしか走れない。
今日は負け犬だワンワン、とつぶやいてみる。ワンワンワワン、ニャンニャンニャニャン。理屈では説明できない敗北感と罪悪と幻滅に苛まれ、ワンワンワン、ニャンニャンニャンと声を出して感情を抑える。ぼくは、こんな遠くの島まで来て、いったい何をやってるんだろう?
スタートからわずか20キロも進まない場所で、ぼくは走るのを止めた。
□
翌早朝5時。2日連続の2日目。「宮古島100kmワイドーマラソン」のスタート会場は華やかなイルミネーションに彩られている。開会イベントを仕切るDJが弁舌なめらかにランナーを鼓舞する。五輪ランナーの有森裕子氏が芸能人はだしの達者な挨拶をする。昨日の「宮古島ウルトラ遠足」の和気あいあいとした会場風景とは別天地である。
定刻スタート。拡声器を積んだ先導車が先頭ランナーを誘導する。道路の要所には目映い投光機が配置されている。道沿いの体育館やグラウンドなど公共施設の照明が点灯されている。道に迷わないよう、あらゆる交差点にスタッフが配置されている。夜明け前ながらとても走りやすい。
つまり「宮古島ワイドー」は極めて管理レベルの高いマラソン大会であり、ランナーによる自己管理型の「宮古島ウルトラ遠足」と対象を成すのだ。本来あるべきマラソンレースの姿とは、どちらなのだろうか。大会の多くは地方自治体が主催している。そこでは事故は許されないし、一定以上の安全が担保されていなければならない。道路規制を行い、巨大なエイドが設けられ、Tシャツやらパンフやらお弁当やら前夜祭やらと、莫大な物資を消費する。税金を投入しているだけあり、次年度も大会が続くかどうかは経済効果で計られたりする。その状況にランナーたちは慣れ、もっと便利に、もっと豊かにとリクエストをする。本来、シューズとウエアと小銭さえあれば、どんな道でも遠くまで走っていけるのにね。
・・・いつになく真面目なことを考えながら走っていると、前にいるランナーが5人だけになっていた。1人が独走し、4人が横一列で走っている。彼らのナンバーカードは「1」「3」「5」。若い奇数ナンバーは昨年の男子優勝者、準優勝者らに与えられたものである。7時間30分でゴールできるトップレベルのランナーたちだ。そんなのについていってどうするんだ? しかし、またしても有頂天気分が舞い降りる。先頭集団にいることのエクスタシーが理性を狂わせる。ぼくは本当に愚かで、学習力に乏しい人間なのだ。
10キロを46分で通過。対岸にあるはずの来間島は闇の彼方に姿を見せない。来間大橋1690メートルを渡り、島内で折り返す。15キロ地点で6位、20キロは10位。キロ4分台の後半で進むが、順位を徐々に下げていく。むろん自らの実力をわきまえない自爆走だ。フルマラソンの自己ベストのペースより早いんである。
明らかなオーバーペースがたたり30キロでハンガーノックがやってきた。同時に体調が悪化していく。間断なく吐き気に襲われては、空ゲロを何度も吐く。腹がグルグルと鳴りはじめ、漏らしそうになる。漏れる、もう漏れる・・・という大波・小波が大腸に押し寄せては引く。暴発寸前の腹を抱え、尻の括約筋に神経とエネルギーを集中させながら走る。トイレを見つけるたびに飛び込み、便意を解放する。
30キロでこんな苦しくて、あと70キロも走れるだろうか。この苦しさが収まることなどあるのだろうか。後半もっと増していくのではないか。「市民ランナーはマラソンを楽しまなくっちゃ!」というごく一般的な命題が、呪いの言葉のようにコダマする。この苦しみを耐えきって100キロ完走できたら、後に残る大きな経験値になるんだろうか。
リタイアの誘惑に支配される。もし今、収容車がやってきて係員に「ゴールまで乗っていった方がいいですよ」と甘く誘惑されたら、即座ににじり寄りそうだ。
長さ1425メートルの海上橋・池間大橋を渡り、島をぐるっと一周する途中、小高い丘のうえに42.195キロ地点を表示する看板があった。通過タイムは3時間58分45秒、サブフォー達成だ。誰も見ていないことを確認し、ヤッター!と小さくバンザイをしてみる。ゲロ腹&ゲリ腹でも4時間切れるんだという点を高く自己評価し、満足感に包まれる。フルならここでゴールして、大の字になって寝ころんで、豚汁とかコカコーラとか好きなだけ飲んで休憩できるのにな、とさみしく思う。
50キロの通過は4時間49分。サブテン(10時間切り)は相当あやしい状況になってきた。すでにキロ6分ペースが守れていない。計算上はアウトである。
中間点に荷物受け取り大エイドがある。主催者から支給された大きな荷物袋の中には、エクレアを3個入れてある。地べたに腰をおろし、靴を脱ぎ、熱くなった足の裏を地面にべったり着けて冷やす。そのまま後方に寝ころがって、曇天の空と対峙しながら、エクレア3個を口につめこみ喉に流し込む。「足を冷やす」「寝ころぶ」「カロリー補給する」。すべての行動を同時に行い、時間短縮をはかる。この大エイドでの休憩は3分以内。それ以上休むと、二度と立ち上がれない気がするから。喉から胃までの食道が3個のエクレアでつながると、脚を大きく天に振り上げて反動で起き上がる。明るい兆しの見えない後半戦のはじまりだ。
フルマラソンで言う「30キロから押していく」粘りとはほど遠い、「あるがまま」を受け入れざるを得ない状態。今、出力できるエネルギーはこれ以上も以下もなく、走るスピードもただ繰り出す脚の運びにまかせるだけ。
55キロからは1人旅となった。前にも後ろにもランナーは見えない。メリハリのないゆるい登り坂と、だらだらした下り坂がエンドレスで繰り返される。さとうきび畑や牧草地のなかを、ギラギラ南洋の日に焼かれ、強い横風にあおられる。イソップ寓話の旅人のようである。あの話はどんな結末だったっけ。北風と太陽が旅人のコートを脱がせる勝負をして、太陽が勝ったって話だったよな。そこからどんな教訓が得られるんだっけ? 太陽を神と崇め、ありがたがる習性はラテン語文化圏だけじゃなくて世界共通だから、だから、それでどうした、うー。思考力が低下しているので、こんな無意味な自問自答をひたすら唱える。
100キロレースの後半・・・ぼくの場合70キロあたりから、理解可能な苦しさの範囲を通り越してしまい、何が何だかわからなくなる。肉体と外界の境界線があいまいになり、いま走っているという感覚がなくなる。地上から160センチあたりの位置を、ぼくの脳みそというか意識だけがふわふわと空中を浮遊しながら前進する。存在としては、人魂(ひとだま)みたいなもんである。
毎度こんな精神状態に投入すると、ウルトラマラソンは果たしてスポーツと呼ぶべきカテゴリーに属するのかどうか、検討が必要ではないかと思う。息を止めて水深数十メートルから百メートル以上も潜るフリーダイビングや、厳冬期の高山で岩壁登攀を行うアルパインクライミングを、「スポーツ」と称すれば腰の座りが悪いのと同様に、「ウルトラマラソンってスポーツですか?」と問われれば返答に迷う。
そこには極限の競技性がある。最も重要な局面では、生命を賭したり、肉体の大きな損傷も覚悟のうえで挑む。それってスポーツなんだろうか?
一方で、競技性とは正反対の、ただひたすら自分の内面を見つめる行為も伴う。宗教的には内観や瞑想という精神状態に似ている。一流のアスリートがある瞬間入る研ぎ澄まされたコンセントレーションの世界ではなく、脱力し、心拍数を落とした状態での意識の解脱。「今すぐ逃げ出したい」ほどの苦しい状態が6時間も7時間も続くと、意図せず自然入水してしまうスキゾイドの世界。これまたスポーツとは言い難い心象風景。
で、この度は・・・・・・60キロまでは肉体的苦痛に苛まれ、60キロからは人魂たる無心の境地にひたりながらゴールに近づいていった。今日もまた捕らえどころのないウルトラマラソンの世界に没した。前半も中盤も後半も自分をコントロールできず、心の整理のつかないままにゴール会場が迫ってきやがる。
11時間05分17秒。ゴールゲートの下で自分としては最もカッコイイと思われるガッツポーズを撮影用にキメる。やれやれ現世に到着だ。
あと何べん100キロレースをこなせば、あやふやなこの世界の中核にたどりつけるのだろうか。
いま、ふつうの人なら何を考えるのか、考えてみることにする。考えるべきは、ゴールまでの80数キロを何を支えに走ろうか、だ。2日連続100キロをこなすためにやってきたんだから、何時間かかっても走るべきだ、と人間として正しく思うことにする。しかし「思うことにする」と「思う」は違う。まったくそうは思えないのである。やっぱダメだ〜。
やがて、前方にランナーの長い列が見えてくる。腕時計を見る。30分以上も迷走していたようだ。道を誤った地点が判明した。ぼくは正規コースの県道を直進せず、三叉路をゆるやかにカーブして「砂山ビーチ」へと向かう道に入ってしまったのだ。砂山ビーチは宮古島随一の観光地であり、大型バスも通れる立派な道が続いている。明るいオレンジの街灯の列は、県道沿いにではなく、砂山ビーチへと連なっている。視力が極端に悪いぼくは、三叉路に設けられた看板に気づかず、街灯の照明にだけ気を取られて前進したのだ。
夜が水平線の底から白く変わっていく。モノクロだった宮古島の輪郭がじわじわと着色される。景色が明瞭になっていくとともに、レースを失敗したという現実感がしのび寄る。両脚に重い濡れ雑巾が巻きついているよう。全身のどの筋肉にも力が入らない。意識しないと正しいフォームを維持できない。気を抜くとゼンマイ仕掛けの人形のようにギクシャクとしか走れない。
今日は負け犬だワンワン、とつぶやいてみる。ワンワンワワン、ニャンニャンニャニャン。理屈では説明できない敗北感と罪悪と幻滅に苛まれ、ワンワンワン、ニャンニャンニャンと声を出して感情を抑える。ぼくは、こんな遠くの島まで来て、いったい何をやってるんだろう?
スタートからわずか20キロも進まない場所で、ぼくは走るのを止めた。
□
翌早朝5時。2日連続の2日目。「宮古島100kmワイドーマラソン」のスタート会場は華やかなイルミネーションに彩られている。開会イベントを仕切るDJが弁舌なめらかにランナーを鼓舞する。五輪ランナーの有森裕子氏が芸能人はだしの達者な挨拶をする。昨日の「宮古島ウルトラ遠足」の和気あいあいとした会場風景とは別天地である。
定刻スタート。拡声器を積んだ先導車が先頭ランナーを誘導する。道路の要所には目映い投光機が配置されている。道沿いの体育館やグラウンドなど公共施設の照明が点灯されている。道に迷わないよう、あらゆる交差点にスタッフが配置されている。夜明け前ながらとても走りやすい。
つまり「宮古島ワイドー」は極めて管理レベルの高いマラソン大会であり、ランナーによる自己管理型の「宮古島ウルトラ遠足」と対象を成すのだ。本来あるべきマラソンレースの姿とは、どちらなのだろうか。大会の多くは地方自治体が主催している。そこでは事故は許されないし、一定以上の安全が担保されていなければならない。道路規制を行い、巨大なエイドが設けられ、Tシャツやらパンフやらお弁当やら前夜祭やらと、莫大な物資を消費する。税金を投入しているだけあり、次年度も大会が続くかどうかは経済効果で計られたりする。その状況にランナーたちは慣れ、もっと便利に、もっと豊かにとリクエストをする。本来、シューズとウエアと小銭さえあれば、どんな道でも遠くまで走っていけるのにね。
・・・いつになく真面目なことを考えながら走っていると、前にいるランナーが5人だけになっていた。1人が独走し、4人が横一列で走っている。彼らのナンバーカードは「1」「3」「5」。若い奇数ナンバーは昨年の男子優勝者、準優勝者らに与えられたものである。7時間30分でゴールできるトップレベルのランナーたちだ。そんなのについていってどうするんだ? しかし、またしても有頂天気分が舞い降りる。先頭集団にいることのエクスタシーが理性を狂わせる。ぼくは本当に愚かで、学習力に乏しい人間なのだ。
10キロを46分で通過。対岸にあるはずの来間島は闇の彼方に姿を見せない。来間大橋1690メートルを渡り、島内で折り返す。15キロ地点で6位、20キロは10位。キロ4分台の後半で進むが、順位を徐々に下げていく。むろん自らの実力をわきまえない自爆走だ。フルマラソンの自己ベストのペースより早いんである。
明らかなオーバーペースがたたり30キロでハンガーノックがやってきた。同時に体調が悪化していく。間断なく吐き気に襲われては、空ゲロを何度も吐く。腹がグルグルと鳴りはじめ、漏らしそうになる。漏れる、もう漏れる・・・という大波・小波が大腸に押し寄せては引く。暴発寸前の腹を抱え、尻の括約筋に神経とエネルギーを集中させながら走る。トイレを見つけるたびに飛び込み、便意を解放する。
30キロでこんな苦しくて、あと70キロも走れるだろうか。この苦しさが収まることなどあるのだろうか。後半もっと増していくのではないか。「市民ランナーはマラソンを楽しまなくっちゃ!」というごく一般的な命題が、呪いの言葉のようにコダマする。この苦しみを耐えきって100キロ完走できたら、後に残る大きな経験値になるんだろうか。
リタイアの誘惑に支配される。もし今、収容車がやってきて係員に「ゴールまで乗っていった方がいいですよ」と甘く誘惑されたら、即座ににじり寄りそうだ。
長さ1425メートルの海上橋・池間大橋を渡り、島をぐるっと一周する途中、小高い丘のうえに42.195キロ地点を表示する看板があった。通過タイムは3時間58分45秒、サブフォー達成だ。誰も見ていないことを確認し、ヤッター!と小さくバンザイをしてみる。ゲロ腹&ゲリ腹でも4時間切れるんだという点を高く自己評価し、満足感に包まれる。フルならここでゴールして、大の字になって寝ころんで、豚汁とかコカコーラとか好きなだけ飲んで休憩できるのにな、とさみしく思う。
50キロの通過は4時間49分。サブテン(10時間切り)は相当あやしい状況になってきた。すでにキロ6分ペースが守れていない。計算上はアウトである。
中間点に荷物受け取り大エイドがある。主催者から支給された大きな荷物袋の中には、エクレアを3個入れてある。地べたに腰をおろし、靴を脱ぎ、熱くなった足の裏を地面にべったり着けて冷やす。そのまま後方に寝ころがって、曇天の空と対峙しながら、エクレア3個を口につめこみ喉に流し込む。「足を冷やす」「寝ころぶ」「カロリー補給する」。すべての行動を同時に行い、時間短縮をはかる。この大エイドでの休憩は3分以内。それ以上休むと、二度と立ち上がれない気がするから。喉から胃までの食道が3個のエクレアでつながると、脚を大きく天に振り上げて反動で起き上がる。明るい兆しの見えない後半戦のはじまりだ。
フルマラソンで言う「30キロから押していく」粘りとはほど遠い、「あるがまま」を受け入れざるを得ない状態。今、出力できるエネルギーはこれ以上も以下もなく、走るスピードもただ繰り出す脚の運びにまかせるだけ。
55キロからは1人旅となった。前にも後ろにもランナーは見えない。メリハリのないゆるい登り坂と、だらだらした下り坂がエンドレスで繰り返される。さとうきび畑や牧草地のなかを、ギラギラ南洋の日に焼かれ、強い横風にあおられる。イソップ寓話の旅人のようである。あの話はどんな結末だったっけ。北風と太陽が旅人のコートを脱がせる勝負をして、太陽が勝ったって話だったよな。そこからどんな教訓が得られるんだっけ? 太陽を神と崇め、ありがたがる習性はラテン語文化圏だけじゃなくて世界共通だから、だから、それでどうした、うー。思考力が低下しているので、こんな無意味な自問自答をひたすら唱える。
100キロレースの後半・・・ぼくの場合70キロあたりから、理解可能な苦しさの範囲を通り越してしまい、何が何だかわからなくなる。肉体と外界の境界線があいまいになり、いま走っているという感覚がなくなる。地上から160センチあたりの位置を、ぼくの脳みそというか意識だけがふわふわと空中を浮遊しながら前進する。存在としては、人魂(ひとだま)みたいなもんである。
毎度こんな精神状態に投入すると、ウルトラマラソンは果たしてスポーツと呼ぶべきカテゴリーに属するのかどうか、検討が必要ではないかと思う。息を止めて水深数十メートルから百メートル以上も潜るフリーダイビングや、厳冬期の高山で岩壁登攀を行うアルパインクライミングを、「スポーツ」と称すれば腰の座りが悪いのと同様に、「ウルトラマラソンってスポーツですか?」と問われれば返答に迷う。
そこには極限の競技性がある。最も重要な局面では、生命を賭したり、肉体の大きな損傷も覚悟のうえで挑む。それってスポーツなんだろうか?
一方で、競技性とは正反対の、ただひたすら自分の内面を見つめる行為も伴う。宗教的には内観や瞑想という精神状態に似ている。一流のアスリートがある瞬間入る研ぎ澄まされたコンセントレーションの世界ではなく、脱力し、心拍数を落とした状態での意識の解脱。「今すぐ逃げ出したい」ほどの苦しい状態が6時間も7時間も続くと、意図せず自然入水してしまうスキゾイドの世界。これまたスポーツとは言い難い心象風景。
で、この度は・・・・・・60キロまでは肉体的苦痛に苛まれ、60キロからは人魂たる無心の境地にひたりながらゴールに近づいていった。今日もまた捕らえどころのないウルトラマラソンの世界に没した。前半も中盤も後半も自分をコントロールできず、心の整理のつかないままにゴール会場が迫ってきやがる。
11時間05分17秒。ゴールゲートの下で自分としては最もカッコイイと思われるガッツポーズを撮影用にキメる。やれやれ現世に到着だ。
あと何べん100キロレースをこなせば、あやふやなこの世界の中核にたどりつけるのだろうか。
2010年04月01日
また、表紙のさらランキングは「愛してやまないお弁当のおかずランキング」。ウインナー、唐揚げ、だし巻き玉子などの定番の具、みんなどんなアイデア&レシピで作ってる? こだわりややり方を聞いていると、う〜ん食べたくなってきた!
2010年03月29日
県外からやってきて、はじめて徳島で暮らす人も多いのでは? そんな徳島ビキナーたちにカンファンタブルな徳島の歩き方をお届けするのが今回の特集だ! はたまた、徳島に長年住んでいるアナタにも、知らなかったもっしょ〜い徳島の姿&情報をお届けします!
★徳島学生街図2010★
徳島文理大、徳島大常三島、四国大、徳島大蔵本、鳴門教育大…キャンパス周辺のおすすめショップ&グルメガイドがここに完成!
2010年03月23日
月刊タウン情報トクシマ2月号 実売部数を報告します。タウトク2月号の売部数は、
7142部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2010年03月18日
また、表紙で連載中のさらランキング! 今回のテーマは「熟女が語る、今どきの若い子のおしゃれ」。いくつになっても女性にとっておしゃれは切っても切れない存在。そこで、かつて若かった皆さんに、最近の気になる若者の着こなしについて語ってもらいました。
2010年03月17日
結婚しちゃお!冬号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!冬号の売部数は、
954部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
2010年03月09日
■第1特集 徳島ファッションマップ■
徳島のオシャレは徳島のアパレルショップから。
県内のファッションスポット48件を巡り、この春注目のニューアイテムからショップスタッフおすすめのコーディネイトまで一挙にお届けします♪ CUをチェックして、行きつけのショップに新作求めて行ってみる? それとも冒険して新たなお店へ? 華やかレディにセンスアップして春デビューを決めちゃいましょう!
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
沖縄県・宮古島は世界で唯一の「100キロウルトラマラソンが2日連続で開催される島」である。あるいは「世界で一番早く・・・つまり1月に100キロウルトラマラソンが開催される場所」とも称されている。
沖縄県・宮古島は世界で唯一の「100キロウルトラマラソンが2日連続で開催される島」である。あるいは「世界で一番早く・・・つまり1月に100キロウルトラマラソンが開催される場所」とも称されている。
本当に世界で唯一かつ一番早いのかどうか確かめたわけではない。そのような評判があるので、そうなのかなと思っている。その辺はアバウトでよい。新年早々、徳島から1300キロも離れた南の島へ出かける理由は、100キロレースを連チャンで走れるから、という以外にない。
四国や関西から宮古島に直行する航空路線はない。関西3空港かあるいは高松空港から那覇を経由し宮古島に入る。早期予約割引の航空券なら片道都合1万7000円台である。
夜も明けぬ松茂とくとくターミナルにバイクで向かえば鼻ももげんばかりの寒さ。しかし高速バスの乗り場って、駐車場難の徳島駅前か、徳島市内から遠い松茂か、なんでこんな選択肢しかないのか悲しい。もっとほどよい場所に1停留所つくってくれ! バスターミナル駅が帰路にあるってのも意味不明である。ふつう徳島から出て行く方向にターミナル作るだろうに。
とブツクサ文句をたれながら早朝の高速バスで発ち、神戸空港より出でて那覇空港に降り立てば気温は20度。初夏とも言える温かさである。さっそく空港売店で「塩ちんすこうアイス」を食すと悶絶するほど美味。那覇から宮古島へは空路50分を要する。宮古島は、本州はおろか、沖縄本島よりも台湾本土に近い位置にあるのだ。
到着後は予約していたレンタカーを運転する。レンタル料1日3000円、けっこうボロボロの軽自動車だけど特に支障はない。空港を出ると木訥とした南洋の島のイメージが覆される。広い3車線道を自動車が行きかい、ファミマやモスなどチェーンストアの看板が目立つ。マックスバリュの広大な駐車場には数百のマイカーが並ぶ。林立する高層マンションやリゾートホテル。目抜き通りにはオシャレなショップ、カフェ、土産物店が居並ぶ。うーぬ、これではある意味、徳島より都会ではないか。
島の至るところで道路の改良工事が行われている。島じゅうの幹線道路に広い歩道を増設している模様だ。青い海を遙か見渡せば、視界の彼方までつづく「伊良部大橋」の建設が行われている。宮古島と群島をなす伊良部島へと伸びる全長3540メートルの「通行料金を徴収しない橋としては日本最長」の橋は、総工費320億円をかけて2012年に完成する長大橋だ。農漁業を主産業とし人口わずか6800人の伊良部島に320億円かけて橋を架ける所作は、島人たちには悲願であっても、部外者にはバベルの塔の建築に思える。宮古島にはすでに2本の長大橋があり、1本は人口800人の池間島へ1425メートルの橋が、も一本は人口200人の来間島まで1690メートルの橋がででんと架かっている。こゆうのを見ると我が国の財政難ってのが信じがたくもあるが、そこは大人の事情があるのだろう。とかく、公共や民間のお金が投じられやすい島だってことは、盛んな土音が示している。
宿泊は沖縄の離島に多いゲストハウスタイプの宿にした。ドミトリー(大部屋)なら1ベッド1500円〜1800円。シングルルームでも2500円前後が相場。コンセプトはバックパッカー向けではあるが、外国にある貧乏宿とは似ても非なるもので、とても清潔かつオシャレな造りである。ゲストハウスを経営する若者の多くはナイチャー(本土から移住してきた人)、運営するのは旅行中に住み着いたアルバイトスタッフたち中心だから、ここに泊まっても地元経済に貢献はできないかも知れない。たぶんゲストハウスじゃなくて「民宿」と銘打っている宿が地元経営なんだろう。
さて肝心のウルトラマラソンだが、初日は宮古島100kmウルトラ遠足(とおあし)、2日目は宮古島100kmワイドーマラソンである。2連戦とはいうものの両大会が意図的に連戦を企画しているのではない。主催者が異なる別々の大会なのだ。「ウルトラ遠足」の主催者は、90年代にトランス・アメリカ・フットレース4700キロを2年続けて完走した偉大なウルトラランナー・海宝道義さん。「ワイドーマラソン」は地元新聞社・沖縄タイムス社と宮古島市役所が主催し、地元陸協、警察署、自衛隊なども協力体制をとっている。
宮古島の人に「100キロマラソンに出るためにやって来ました」と告げると、ほぼ100%「ワイドーですね」との返事。「ワイドーの日はボランティアやってます」「1日道路で応援してる」との人もいた。ところが、前日に行われる「ウルトラ遠足」は驚くほど知られていない。両方の大会に出ると説明をしても「?」という鈍い反応である。「ウルトラ遠足」は、700人もの島外からのランナーつまり観光客を誘致している大会にも関わらず、島民はほとんど無関心なのである。参加者724人のうち沖縄県民の出場はわずか13人であることも感心の薄さを物語る。一方の「ワイドーマラソン」は100キロと50キロの部にエントリーした539人中145人が沖縄県民。つまり、沖縄県外のよそ者ランナーには「ウルトラ遠足」が好まれ、宮古島市民や沖縄県民には「ワイドーマラソン」の認知が高いという、奇妙なギャップがある。島に滞在しておれば自然とわかるが、地元のケーブルテレビや新聞で大きく報道されるのは「ワイドーマラソン」の方だけ。
このことは大会運営自体にも影響を及ぼしている。両大会ともほぼ同じコースを走るのだが、「ウルトラ遠足」は基本的には歩道を走ることが義務づけられている。かたや「ワイドーマラソン」は車道上を走るコースが少なからずある。また、走った後でわかったが、道路の誘導員や、エイドの数、市民の応援などは「ワイドー」が圧倒的に充実している。主催者の挨拶も、どーも双方が微妙に対立しているような雰囲気を漂わせている。うーん、きっと大人な事情があるのだろう。長年、開催するなかでボタンの掛け違えもあったんだろう。
しかしこれ以上、両者の運営のインサイドストーリーを詮索しても、前向きな何かを知ることはできないんだろう。島の施設や道路を借りて、楽しませてもらってる余所者ランナーとしては、精いっぱい走り、走ったあとは島で飲み食いし、お金を落とす。地元へのお返しはそれくらいしかできない。
両大会の性格を簡単にまとめれば、こんなとこだろうか。
□宮古島100kmウルトラ遠足=ランナーは記録を求めるのではなく、島の自然やランナー、島人との交流を主眼に走る。また走るうえにおいては、自己責任原則で道を選び進み、日の出前・日没後用としてヘッドランプなど照明具を用意する(このあたりはトレイルランのレースと同じだ)。参加者は経験豊富な成熟したウルトラランナーが多い。
□宮古島100kmワイドーマラソン=島あげての大会運営と応援。100キロレースにも関わらず2.5キロおきにエイドが配置され、荷物受け取りエイドも2カ所という充実ぶり。日の出前も多数の投光機や誘導員によって道に迷うこともなく安心して走れる。
どちらを好むかは、そのランナーの気質による。いずれも素晴らしい大会であることは間違いない。
初日「宮古島100kmウルトラ遠足」のスタート時間は午前5時。スタート地点である宮古島東急リゾート(ホテル)の前庭には、午前4時頃にはランナーが集まりはじめ旧知の顔見知りとの再会を楽しんでいる。この独特のフレンドリーなムードを好んで毎年参加するランナーが多いという。昨年、レースの真っ最中にプロポーズし、今大会後に結婚式を挙げるというカップルがウエディングドレスとタキシードの出で立ちで登場し盛り上がっている。また、世界のウルトラランニング史上最年少の参加者・8歳と9歳の少年の出場が話題となっている。ランニング歴の短いぼくにも、各地の大会で知り合った人、声をかけあった人が少なからずおり、スタート前までは挨拶に近況報告にと忙しいくらいであった。
スタート位置に並びあたりを見渡すと、ランニング専門誌で見かける有名ランナーの顔が見える。2009年のスパルタスロンで4位に入賞した松下剛大さんや、日本山岳耐久レースを5回制し100キロトラックレースの世界最高記録を持つ櫻井教美さんがいる。こんな世界レベルのトップランナーと同じコースを走れるだけで感無量である。
夜も明けぬ5時、レースがはじまる。なんとしても10時間を切りたいという以外はノープランだったため、脚が出るままに気持ちよく前に進む。不思議なくらい身体が軽い。かつて感じたことがないくらい快適に前方に引っ張られる感覚。5分も経たないうちに間に100人は抜いただろうか。気がつくと、自分と周囲にいるランナーより前には誰もいないことに気がついた。
(あれっ、これってもしかして・・・先頭集団ってやつ?)。まさかまさかと慌てたが、縦長の集団にいるランナーの顔ぶれを見て、ここが先頭だと確信に変わった。(わー、松下さんに櫻井さん、こんな人たちとぼくは一緒に集団走をしている!)。やばい、抑えようとしても溢れ出すアドレナリン。例えるならば、路上でダンスを踊っていてふと周りに気配を感じたらEXILEのメンバーに囲まれてました状態。冷静に踊れったって無理ムリむり。
10人ほどの集団は10キロを47分ほどのタイムで走る。腕時計のラップタイムを見て、自分がここに紛れ込んでいる理由がわかった。100キロを7時間台前半で走れるトップランナーたちは、街灯がなく真っ暗で段差のある歩道で、転倒しないように自重して走っていたのだ。一方のぼくときたら、テンション上がるにまかせてビュンビュン飛ばしているのだ。慎重を期してゆっくり走るトップランナーたちと、ひとりで浮かれきっている全速力バカランナー1名の先頭集団というわけだ。
12キロあたりで集団のペースがあがり、ついていけなくなった。ズルズルと一人遅れはじめ、前方の集団は暗い闇に消えていく。さすがに自力が違う。
やがてぼくは、後方から追いついてきたバラけ気味の第二集団の先頭を走ることになる。キロ4分40秒ほどのペースで、しかし快調に脚は進む。これはスパルタスロン参加資格記録の10時間30分切りはおろか、軽く9時間台を出せるペースである。「生涯初の先頭集団」を10キロほど経験した際に放出されたアドレナリンの効果が相変わらず続いているのか。自分のスピードに酔いしれながら気分は宙を舞う、舞う、舞っている・・・・・・。
そんな有頂天のさなか、突如異変がぼくを襲う。(ん? 道がない。道がなくなってしもたー!!!)。
自分の行く手から突如として道が消えたのである。正確に述べるならば、光源ひとつない漆黒の細い砂地の道はあるのだが、こんな道が正規コースであるはずがない! 振り返ると、ヘッドランプの列が5個、10個と近づいてくる。続々とランナーが近づいてくる。
ヤバイ、やってしまった、どこかで道を間違えたうえ、大勢のランナーを道連れにしてしまった。しかも、その犯罪の責任者は、第二集団のアタマを走っていたぼくにある。
追いついてきたランナーの皆さんに道がなくなったことを伝える。そして謝る。謝る以外に術がない。ランナーたちはぼくに怒りをぶつけもせず、
「あちゃーやっちまった!」
「これが噂の路頭に迷うってヤツね」
「毎年、集団で道に迷うって聞いたけど、まさか自分がね」
などと口々に言い、さっときびすを返していく。
本来のコースに戻る長い帰り道の途中でも「これで100キロレースが110キロレースになるな〜」などと笑い飛ばしながらスタスタゆく。
一方のぼくは、さっきまでの勢いは完全に失せ、ドストエフスキーの世界感を体現するよな陰鬱でふさぎ込んだ精神状態に突入。調子に乗りすぎたのである。このランナーの皆さん方は、道など間違えなければ確実に上位入賞する人たちだ。12キロ地点までヒトケタ順位から20位あたりを快走していたランナーたちを、舞い上がったバカランナーであるぼくが悪夢の蟻地獄へと引きずり込んだのだ。
正規のコースに戻るまで3キロ近い距離があった。往復で6キロのオーバーランである。タイムロスよりも、余計に体力を使ったことよりも、自分のあまりにもマヌケな心理状態の推移が、戦意を喪失させた。やがてひどい頭痛に襲われはじめ、おなかがピーピー鳴りだし、うんこをもらしそうになる。宮古島100キロ2連走は、開始からたったの1時間で暗雲に包まれたのである。 (懺悔は次回につづく)
四国や関西から宮古島に直行する航空路線はない。関西3空港かあるいは高松空港から那覇を経由し宮古島に入る。早期予約割引の航空券なら片道都合1万7000円台である。
夜も明けぬ松茂とくとくターミナルにバイクで向かえば鼻ももげんばかりの寒さ。しかし高速バスの乗り場って、駐車場難の徳島駅前か、徳島市内から遠い松茂か、なんでこんな選択肢しかないのか悲しい。もっとほどよい場所に1停留所つくってくれ! バスターミナル駅が帰路にあるってのも意味不明である。ふつう徳島から出て行く方向にターミナル作るだろうに。
とブツクサ文句をたれながら早朝の高速バスで発ち、神戸空港より出でて那覇空港に降り立てば気温は20度。初夏とも言える温かさである。さっそく空港売店で「塩ちんすこうアイス」を食すと悶絶するほど美味。那覇から宮古島へは空路50分を要する。宮古島は、本州はおろか、沖縄本島よりも台湾本土に近い位置にあるのだ。
到着後は予約していたレンタカーを運転する。レンタル料1日3000円、けっこうボロボロの軽自動車だけど特に支障はない。空港を出ると木訥とした南洋の島のイメージが覆される。広い3車線道を自動車が行きかい、ファミマやモスなどチェーンストアの看板が目立つ。マックスバリュの広大な駐車場には数百のマイカーが並ぶ。林立する高層マンションやリゾートホテル。目抜き通りにはオシャレなショップ、カフェ、土産物店が居並ぶ。うーぬ、これではある意味、徳島より都会ではないか。
島の至るところで道路の改良工事が行われている。島じゅうの幹線道路に広い歩道を増設している模様だ。青い海を遙か見渡せば、視界の彼方までつづく「伊良部大橋」の建設が行われている。宮古島と群島をなす伊良部島へと伸びる全長3540メートルの「通行料金を徴収しない橋としては日本最長」の橋は、総工費320億円をかけて2012年に完成する長大橋だ。農漁業を主産業とし人口わずか6800人の伊良部島に320億円かけて橋を架ける所作は、島人たちには悲願であっても、部外者にはバベルの塔の建築に思える。宮古島にはすでに2本の長大橋があり、1本は人口800人の池間島へ1425メートルの橋が、も一本は人口200人の来間島まで1690メートルの橋がででんと架かっている。こゆうのを見ると我が国の財政難ってのが信じがたくもあるが、そこは大人の事情があるのだろう。とかく、公共や民間のお金が投じられやすい島だってことは、盛んな土音が示している。
宿泊は沖縄の離島に多いゲストハウスタイプの宿にした。ドミトリー(大部屋)なら1ベッド1500円〜1800円。シングルルームでも2500円前後が相場。コンセプトはバックパッカー向けではあるが、外国にある貧乏宿とは似ても非なるもので、とても清潔かつオシャレな造りである。ゲストハウスを経営する若者の多くはナイチャー(本土から移住してきた人)、運営するのは旅行中に住み着いたアルバイトスタッフたち中心だから、ここに泊まっても地元経済に貢献はできないかも知れない。たぶんゲストハウスじゃなくて「民宿」と銘打っている宿が地元経営なんだろう。
さて肝心のウルトラマラソンだが、初日は宮古島100kmウルトラ遠足(とおあし)、2日目は宮古島100kmワイドーマラソンである。2連戦とはいうものの両大会が意図的に連戦を企画しているのではない。主催者が異なる別々の大会なのだ。「ウルトラ遠足」の主催者は、90年代にトランス・アメリカ・フットレース4700キロを2年続けて完走した偉大なウルトラランナー・海宝道義さん。「ワイドーマラソン」は地元新聞社・沖縄タイムス社と宮古島市役所が主催し、地元陸協、警察署、自衛隊なども協力体制をとっている。
宮古島の人に「100キロマラソンに出るためにやって来ました」と告げると、ほぼ100%「ワイドーですね」との返事。「ワイドーの日はボランティアやってます」「1日道路で応援してる」との人もいた。ところが、前日に行われる「ウルトラ遠足」は驚くほど知られていない。両方の大会に出ると説明をしても「?」という鈍い反応である。「ウルトラ遠足」は、700人もの島外からのランナーつまり観光客を誘致している大会にも関わらず、島民はほとんど無関心なのである。参加者724人のうち沖縄県民の出場はわずか13人であることも感心の薄さを物語る。一方の「ワイドーマラソン」は100キロと50キロの部にエントリーした539人中145人が沖縄県民。つまり、沖縄県外のよそ者ランナーには「ウルトラ遠足」が好まれ、宮古島市民や沖縄県民には「ワイドーマラソン」の認知が高いという、奇妙なギャップがある。島に滞在しておれば自然とわかるが、地元のケーブルテレビや新聞で大きく報道されるのは「ワイドーマラソン」の方だけ。
このことは大会運営自体にも影響を及ぼしている。両大会ともほぼ同じコースを走るのだが、「ウルトラ遠足」は基本的には歩道を走ることが義務づけられている。かたや「ワイドーマラソン」は車道上を走るコースが少なからずある。また、走った後でわかったが、道路の誘導員や、エイドの数、市民の応援などは「ワイドー」が圧倒的に充実している。主催者の挨拶も、どーも双方が微妙に対立しているような雰囲気を漂わせている。うーん、きっと大人な事情があるのだろう。長年、開催するなかでボタンの掛け違えもあったんだろう。
しかしこれ以上、両者の運営のインサイドストーリーを詮索しても、前向きな何かを知ることはできないんだろう。島の施設や道路を借りて、楽しませてもらってる余所者ランナーとしては、精いっぱい走り、走ったあとは島で飲み食いし、お金を落とす。地元へのお返しはそれくらいしかできない。
両大会の性格を簡単にまとめれば、こんなとこだろうか。
□宮古島100kmウルトラ遠足=ランナーは記録を求めるのではなく、島の自然やランナー、島人との交流を主眼に走る。また走るうえにおいては、自己責任原則で道を選び進み、日の出前・日没後用としてヘッドランプなど照明具を用意する(このあたりはトレイルランのレースと同じだ)。参加者は経験豊富な成熟したウルトラランナーが多い。
□宮古島100kmワイドーマラソン=島あげての大会運営と応援。100キロレースにも関わらず2.5キロおきにエイドが配置され、荷物受け取りエイドも2カ所という充実ぶり。日の出前も多数の投光機や誘導員によって道に迷うこともなく安心して走れる。
どちらを好むかは、そのランナーの気質による。いずれも素晴らしい大会であることは間違いない。
初日「宮古島100kmウルトラ遠足」のスタート時間は午前5時。スタート地点である宮古島東急リゾート(ホテル)の前庭には、午前4時頃にはランナーが集まりはじめ旧知の顔見知りとの再会を楽しんでいる。この独特のフレンドリーなムードを好んで毎年参加するランナーが多いという。昨年、レースの真っ最中にプロポーズし、今大会後に結婚式を挙げるというカップルがウエディングドレスとタキシードの出で立ちで登場し盛り上がっている。また、世界のウルトラランニング史上最年少の参加者・8歳と9歳の少年の出場が話題となっている。ランニング歴の短いぼくにも、各地の大会で知り合った人、声をかけあった人が少なからずおり、スタート前までは挨拶に近況報告にと忙しいくらいであった。
スタート位置に並びあたりを見渡すと、ランニング専門誌で見かける有名ランナーの顔が見える。2009年のスパルタスロンで4位に入賞した松下剛大さんや、日本山岳耐久レースを5回制し100キロトラックレースの世界最高記録を持つ櫻井教美さんがいる。こんな世界レベルのトップランナーと同じコースを走れるだけで感無量である。
夜も明けぬ5時、レースがはじまる。なんとしても10時間を切りたいという以外はノープランだったため、脚が出るままに気持ちよく前に進む。不思議なくらい身体が軽い。かつて感じたことがないくらい快適に前方に引っ張られる感覚。5分も経たないうちに間に100人は抜いただろうか。気がつくと、自分と周囲にいるランナーより前には誰もいないことに気がついた。
(あれっ、これってもしかして・・・先頭集団ってやつ?)。まさかまさかと慌てたが、縦長の集団にいるランナーの顔ぶれを見て、ここが先頭だと確信に変わった。(わー、松下さんに櫻井さん、こんな人たちとぼくは一緒に集団走をしている!)。やばい、抑えようとしても溢れ出すアドレナリン。例えるならば、路上でダンスを踊っていてふと周りに気配を感じたらEXILEのメンバーに囲まれてました状態。冷静に踊れったって無理ムリむり。
10人ほどの集団は10キロを47分ほどのタイムで走る。腕時計のラップタイムを見て、自分がここに紛れ込んでいる理由がわかった。100キロを7時間台前半で走れるトップランナーたちは、街灯がなく真っ暗で段差のある歩道で、転倒しないように自重して走っていたのだ。一方のぼくときたら、テンション上がるにまかせてビュンビュン飛ばしているのだ。慎重を期してゆっくり走るトップランナーたちと、ひとりで浮かれきっている全速力バカランナー1名の先頭集団というわけだ。
12キロあたりで集団のペースがあがり、ついていけなくなった。ズルズルと一人遅れはじめ、前方の集団は暗い闇に消えていく。さすがに自力が違う。
やがてぼくは、後方から追いついてきたバラけ気味の第二集団の先頭を走ることになる。キロ4分40秒ほどのペースで、しかし快調に脚は進む。これはスパルタスロン参加資格記録の10時間30分切りはおろか、軽く9時間台を出せるペースである。「生涯初の先頭集団」を10キロほど経験した際に放出されたアドレナリンの効果が相変わらず続いているのか。自分のスピードに酔いしれながら気分は宙を舞う、舞う、舞っている・・・・・・。
そんな有頂天のさなか、突如異変がぼくを襲う。(ん? 道がない。道がなくなってしもたー!!!)。
自分の行く手から突如として道が消えたのである。正確に述べるならば、光源ひとつない漆黒の細い砂地の道はあるのだが、こんな道が正規コースであるはずがない! 振り返ると、ヘッドランプの列が5個、10個と近づいてくる。続々とランナーが近づいてくる。
ヤバイ、やってしまった、どこかで道を間違えたうえ、大勢のランナーを道連れにしてしまった。しかも、その犯罪の責任者は、第二集団のアタマを走っていたぼくにある。
追いついてきたランナーの皆さんに道がなくなったことを伝える。そして謝る。謝る以外に術がない。ランナーたちはぼくに怒りをぶつけもせず、
「あちゃーやっちまった!」
「これが噂の路頭に迷うってヤツね」
「毎年、集団で道に迷うって聞いたけど、まさか自分がね」
などと口々に言い、さっときびすを返していく。
本来のコースに戻る長い帰り道の途中でも「これで100キロレースが110キロレースになるな〜」などと笑い飛ばしながらスタスタゆく。
一方のぼくは、さっきまでの勢いは完全に失せ、ドストエフスキーの世界感を体現するよな陰鬱でふさぎ込んだ精神状態に突入。調子に乗りすぎたのである。このランナーの皆さん方は、道など間違えなければ確実に上位入賞する人たちだ。12キロ地点までヒトケタ順位から20位あたりを快走していたランナーたちを、舞い上がったバカランナーであるぼくが悪夢の蟻地獄へと引きずり込んだのだ。
正規のコースに戻るまで3キロ近い距離があった。往復で6キロのオーバーランである。タイムロスよりも、余計に体力を使ったことよりも、自分のあまりにもマヌケな心理状態の推移が、戦意を喪失させた。やがてひどい頭痛に襲われはじめ、おなかがピーピー鳴りだし、うんこをもらしそうになる。宮古島100キロ2連走は、開始からたったの1時間で暗雲に包まれたのである。 (懺悔は次回につづく)
2010年03月04日
そして表紙のさらランキング、今回のテーマは「最近のプチ贅沢」。
電動歯ブラシではみがき、全国おいしいもの市で買い物など、徳島県民のプチ贅沢が10項目。こんなちっちゃなことで、幸せな気分になれるんです。
2010年02月25日
みんなが大好きな定番人気メニューそれぞれの「超絶においしいお店」をご紹介! たこ焼屋さんの作るサクサク唐揚げ、でっかいプリプリエビ入りグラタン、 じっくりと炒められた玉ねぎが溶け込んだカレーなど、読んでいるだけでよだれがじゅるりの逸品ばかりです。
★カモン☆定期演奏会★
高校の定期演奏会ラッシュの3月。今までの練習の成果を発揮するため各校部活動は大奮闘中!吹奏楽部、オーケストラ部、音楽部、邦楽部などなど…素敵なハーモニーを奏でる高校生たちの勇姿をとくとご覧あれ!
2010年02月18日
また、人気上昇中の表紙「さらランキング!」では、徳島の女性が伝授する「いざ!という時の美容テク」ベスト10がズラリ! 歓送迎会や卒業式などおでかけすることが多くなるこれからの時期、役立つワザが身につくこと間違いなし。
2010年02月13日
1001_CU部数推移.pdf
月刊タウン情報CU*1月号の実売部数を報告します。CU*1月号の売部数は、
5826部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
1001_タウトク部数推移.pdf
月刊タウン情報トクシマ1月号 実売部数を報告します。タウトク1月号の売部数は、
8072部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2010年02月05日
■第1特集■
おいしい専門店の感動メニュー
フレンチ、イタリアン、中華、韓国料理、お蕎麦に寿司、スイーツと
徳島で話題の美食店から選りすぐりのメニューをご紹介いただきました!
味のおいしさをとっても、見た目の美しさをとっても申し分なしの
とっておきグルメにはいつも料理人の熱い思いが込められています。
2010年02月04日
地元徳島で大人気の結婚式&披露宴会場を全35タイプ掲載!
ホテルウエディングやハウスウエディングなど、きっとピッタリの会場に出会えます。
また、今回の大特集では徳島で結婚式をした先輩花嫁さんが100人登場!先輩たちが挙式や披露宴でのこだわりや感動したところを紹介しているので、ぜひぜひ結婚準備の参考にしてくださいね。
結婚しちゃお!は徳島県内の書店・コンビニなどで発売しています。280円です。
2010年02月03日
わが家をもっと過ごしやすい場所にするために、10万円以内でできるお手軽リフォームをご紹介。たとえば結露防止のために内窓を設置、部屋の床を無垢材のフローリングに、ベランダにウッドデッキを敷いて家族の憩いの場に…。「高いんじゃない?」いえいえそんなことありません。これ全部、10万円でできちゃうんです!
そして恒例の表紙「さらランキング!」。今回のテーマは「私、流行りにのっとうわ〜」と思うこと。マラソンや龍馬、つけ麺にホルモン。時代の今を表す10のキーワード。ピンと来たあなたは、流行ど真ん中かも!
そして恒例の表紙「さらランキング!」。今回のテーマは「私、流行りにのっとうわ〜」と思うこと。マラソンや龍馬、つけ麺にホルモン。時代の今を表す10のキーワード。ピンと来たあなたは、流行ど真ん中かも!
●「ほっとライフフォーエバー」
「健康」「福祉」「保険」。私たちの暮らしをサポートしてくれる情報もりだくさん。
●「家族で楽しめるお店」
子ども連れでも外食を楽しみたい! そんな気持ちをサポートしてくれるお店へ。今回は鳴門のあのカフェ!
●「これカワイイ♪」
流行に敏感な女子高生が、携帯電話をキラキラに飾るデコレーションアイテムをチェック!
●「さらら何でも質問箱!」
エスニック料理に合うタイ米はどこで手に入る? 購入できるお店をご紹介。
1月から「くらしエンタテイメント」として生まれ変わったさららは毎週第1・第3木曜日に徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回は2月18日(木)。お楽しみに!
「健康」「福祉」「保険」。私たちの暮らしをサポートしてくれる情報もりだくさん。
●「家族で楽しめるお店」
子ども連れでも外食を楽しみたい! そんな気持ちをサポートしてくれるお店へ。今回は鳴門のあのカフェ!
●「これカワイイ♪」
流行に敏感な女子高生が、携帯電話をキラキラに飾るデコレーションアイテムをチェック!
●「さらら何でも質問箱!」
エスニック料理に合うタイ米はどこで手に入る? 購入できるお店をご紹介。
1月から「くらしエンタテイメント」として生まれ変わったさららは毎週第1・第3木曜日に徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回は2月18日(木)。お楽しみに!
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
サブスリー。自己記録の更新を励みに走る市民ランナーにとって、その言葉は陶酔するほどの憧れ。どんなに頑張っても手の届かない存在。ファンランナーでもなく、かといって研ぎ澄まされたアスリートでもない自分とは、明らかに一線を画す世界。
サブスリー。自己記録の更新を励みに走る市民ランナーにとって、その言葉は陶酔するほどの憧れ。どんなに頑張っても手の届かない存在。ファンランナーでもなく、かといって研ぎ澄まされたアスリートでもない自分とは、明らかに一線を画す世界。
「自己ベストは2時間50分チョイです」なんてランナーに出会った日には、畏れおののき、鶏ササミ肉のような太腿の筋肉をしげしげと見つめ、頬ずりナメナメしたい欲望を押しとどめるのに必死。
フルマラソンを3時間以内で走れるランナーは、全マラソン完走者のうち5%程度とされる。20人に1人しか到達できない選ばれし民の領域だ。
・・・と思っていた。
2年前、6時間近くかけて精根尽き果てフルマラソンを完走したときには、自分が3時間台はおろか4時間台で走れることすら想像できなかった。村上春樹の著書「走ることについて語るときに僕の語ること」を5回読み直し、市民ランナーとして心情の同化を試みるが、フルを3時間31分台で走る小説家はファンタジーの世界の住人に変わりなかった。テレビ番組「ごきげんブランニュ」でサロマ湖100キロウルトラマラソンに挑戦した大平サブロー師匠の涙の完走劇を感動をもって見つめながら、しかし100キロという途方もない距離を12時間18分で走る師は、庶民とは別次元のアスリートだと理解した。特別な心肺能力と特別な脚力を与えられた凄い人たちだ、と。
2年間毎日こつこつと走り、あちこちのレースに参戦しているうちに、彼らが特別なランナーではないことがわかった。
レースでドン尻近くを走っていると、中間地点を折り返してくる上位のランナーとすれ違う。こっちはのろのろ走っているから彼らをよく観察できる。
フルを2時間30分で走るトップグループの選手は、弓で弾かれた矢のごとく空中を滑空している。大腿部や上腕にムダな体脂肪は一片もついていない。ランニングシャツで隠された胴回りだって、必要かつ最小限の筋肉で覆われているだろう。エネルギーをロスする効率の悪い要素はランニングフォームから一切除外されている。地面を激しく鞭打つような足音。野性の草食動物がサバンナを疾走するような美しさだ。どれだけ走り込み、鍛え抜けばこうなれるのだろう。
やがてサブスリーを狙うランナーの一群が現れる。二・三十台中心のトップグループに比べると、世代はぐっと幅広くなり五・六十代と見受けられる熟年ランナーがいる。2時間30分台の集団と明らかに違うのは、定型の「美しいフォーム」を逸脱したランナーが少なからずいる点だ。身体を斜めによじり、あるいは首を傾け、激しく前傾したり、腕を左右非対称に猛烈に振りながら走る人がいる。印象的なのは表情だ。30キロ地点を走る彼らの顔は、苦しみに満ちている。限界、まさに自分の限界ギリギリまで力を振り絞りながら、キロ4分15秒ペースを維持するために顔をゆがめ、息をあらげる。
サブスリー集団が通り過ぎるとランナーはまばらになる。しばらく単独走がつづき、サブ3・5を目標とするあたりでぐっと人の厚みが増す。目標設定タイムが後になるほどに、表情は落ち着きを取り戻していく。彼らはつっこみすぎす、自重しすぎず、42キロという距離を理想的に走りきる「最良なる自分」を見つけるために黙々と行をこなしている印象だ。今まで失敗したレースから得た教訓を頭の中で呪文のように唱えながら走る。飛ばしたい欲望に耐え、休みたい欲望に耐え。
どんどんと人間の塊が大きくなっていき、サブフォー狙いの大集団がやってくる。キロ設定5分40秒を守るために、人垣の後方で遮二無二食らいついている人もおれば、ラン仲間と談笑しながらレースを楽しんでいる人もいる。このあたりからは、壁を乗り越えようと苦悶するランナーと、ランニングを心から楽しむエンジョイランナーが入り混じりはじめる。
先頭集団の通過から1時間ほどの間に、とても丁寧に、そして緻密に分類された博物館の展示物のように、階層化された人間絵巻が展開される。体型は徐々に重みを増す。ショート丈のレーシングパンツがロングスパッツに変わり、ミドル丈のトランクスやランスカになる。厳しい表情は春の雪融けのように緩んでいく。
そして気づかされるのである。サブスリーランナーが特別な運動能力を与えられているのではないと。より自分を追い込み、3時間という長い長い時間(それは日常過ぎていく時間の感覚とは明らかに違う)、一定の苦しみに耐え抜いた人が得られる称号なんだと。設定タイムより遅れた10秒を取り戻すために、どれほどの努力を要するのか。風呂上がりに缶ビール片手にボーッと眺めるTVCM1本15秒とは明らかに異なる時間の価値。レース中の10秒の重みといったら!
やがてモーレツに自分に腹が立ちはじめる。サブスリーなんて無縁の世界と決めこみ、ガス欠だの膝が痛いだのと理由をつけてジョグペースで走っている自分にだ。般若顔で2時間59分を狙うオッチャンランナーの苦しさを数値化すれば、ぼくの
「こんなツラいこと二度としたくない」欲求など屁でもない。
ぼくは、まだ何も努力してないではないか。やれるかどうかの検討に入るのは、やるべきことをやった後の話だ。
サブスリーを狙おう。できる、何ごともできると思いこむことがスタートだ。できるかどうかわからない、ではダメだ。大いなる勘違いでいいのだ。巨大な風車に戦いを挑んだドン・キホーテになるのだ。ゆくぞサンチョ・パンサ!高らかに鉦を鳴らせ!世の中、勘違いしたもん勝ちだ!
毎日の1本1本の練習にテーマを持とう。目的のない練習、ランニングはしてはならない・・・この教訓は、瀬古利彦著「マラソンの神髄」の受け売りである。瀬古さんは駅伝やマラソン中継の実況席でいつも素っ頓狂なことを言っているヘンなおじさんと一般に思われており、実際そうなのだが、決してそうではないのだ! キリスト、アッラー、ブッダに並び立たせたいほどの神様・仏様・瀬古様なのだ。
瀬古さんへの深い愛についてはいつの日か語るとして、ぼくは今まで日々ダラダラと長時間走っていただけで、追い込みトレーニングが根本的に欠如していた。トレーニングに充てられるのは1日に1〜2時間。限られた時間で、自分をマックス追い込む方法を考え、実行しはじめた。
□週3回、200m〜1000mのインターバルを決めた本数やる。
□週末は20〜30キロのペース走。設定4分30秒〜4分45秒。
□つなぎのジョグ+ウォーキングは、サブスリーできるフォームへの矯正を考えて行う。
□月1回の10000mタイムトライアルで38分をめざす(今は42分。あと3分半縮める)
□補強運動の徹底。特に腹筋・背筋の補強を毎日各100回×2セット以上。また、体幹および身体の側面の細かな筋肉を増強させる。
□体重を63キロ→55キロ以下まで絞る。体脂肪率9%以下にする。
現状、けっこう重い体重を背負って(身長167センチ、体重63キロ、体脂肪率16%)、フル3時間30分まで達した。もっと追い込み、さらに絞り込めば3時間切れるのではないか。いや絶対に切れる!
商売をやるくらい真剣にランニングを突き詰めればいいのだ。商売は結果がすべて。結果を出すためには、綿密に計画を立て、攻め所を見つけ徹底的に攻める。 経営計画を時系列で設定するように、ランニングの目標にもタイムリミットを設けよう。2010年内に3つの目標を達成する。
目標 フル3時間を切る。
目標 100キロ10時間を切る。
目標 スパルタスロン(246キロ)に出場し、時間内完走(36時間)する。
できなければまた来年・・・は許されない。もしできなければオカマになる。オカマになって世界を制す。ケツ掘られたくないのなら、死ぬ気で走れ自分!
フルマラソンを3時間以内で走れるランナーは、全マラソン完走者のうち5%程度とされる。20人に1人しか到達できない選ばれし民の領域だ。
・・・と思っていた。
2年前、6時間近くかけて精根尽き果てフルマラソンを完走したときには、自分が3時間台はおろか4時間台で走れることすら想像できなかった。村上春樹の著書「走ることについて語るときに僕の語ること」を5回読み直し、市民ランナーとして心情の同化を試みるが、フルを3時間31分台で走る小説家はファンタジーの世界の住人に変わりなかった。テレビ番組「ごきげんブランニュ」でサロマ湖100キロウルトラマラソンに挑戦した大平サブロー師匠の涙の完走劇を感動をもって見つめながら、しかし100キロという途方もない距離を12時間18分で走る師は、庶民とは別次元のアスリートだと理解した。特別な心肺能力と特別な脚力を与えられた凄い人たちだ、と。
2年間毎日こつこつと走り、あちこちのレースに参戦しているうちに、彼らが特別なランナーではないことがわかった。
レースでドン尻近くを走っていると、中間地点を折り返してくる上位のランナーとすれ違う。こっちはのろのろ走っているから彼らをよく観察できる。
フルを2時間30分で走るトップグループの選手は、弓で弾かれた矢のごとく空中を滑空している。大腿部や上腕にムダな体脂肪は一片もついていない。ランニングシャツで隠された胴回りだって、必要かつ最小限の筋肉で覆われているだろう。エネルギーをロスする効率の悪い要素はランニングフォームから一切除外されている。地面を激しく鞭打つような足音。野性の草食動物がサバンナを疾走するような美しさだ。どれだけ走り込み、鍛え抜けばこうなれるのだろう。
やがてサブスリーを狙うランナーの一群が現れる。二・三十台中心のトップグループに比べると、世代はぐっと幅広くなり五・六十代と見受けられる熟年ランナーがいる。2時間30分台の集団と明らかに違うのは、定型の「美しいフォーム」を逸脱したランナーが少なからずいる点だ。身体を斜めによじり、あるいは首を傾け、激しく前傾したり、腕を左右非対称に猛烈に振りながら走る人がいる。印象的なのは表情だ。30キロ地点を走る彼らの顔は、苦しみに満ちている。限界、まさに自分の限界ギリギリまで力を振り絞りながら、キロ4分15秒ペースを維持するために顔をゆがめ、息をあらげる。
サブスリー集団が通り過ぎるとランナーはまばらになる。しばらく単独走がつづき、サブ3・5を目標とするあたりでぐっと人の厚みが増す。目標設定タイムが後になるほどに、表情は落ち着きを取り戻していく。彼らはつっこみすぎす、自重しすぎず、42キロという距離を理想的に走りきる「最良なる自分」を見つけるために黙々と行をこなしている印象だ。今まで失敗したレースから得た教訓を頭の中で呪文のように唱えながら走る。飛ばしたい欲望に耐え、休みたい欲望に耐え。
どんどんと人間の塊が大きくなっていき、サブフォー狙いの大集団がやってくる。キロ設定5分40秒を守るために、人垣の後方で遮二無二食らいついている人もおれば、ラン仲間と談笑しながらレースを楽しんでいる人もいる。このあたりからは、壁を乗り越えようと苦悶するランナーと、ランニングを心から楽しむエンジョイランナーが入り混じりはじめる。
先頭集団の通過から1時間ほどの間に、とても丁寧に、そして緻密に分類された博物館の展示物のように、階層化された人間絵巻が展開される。体型は徐々に重みを増す。ショート丈のレーシングパンツがロングスパッツに変わり、ミドル丈のトランクスやランスカになる。厳しい表情は春の雪融けのように緩んでいく。
そして気づかされるのである。サブスリーランナーが特別な運動能力を与えられているのではないと。より自分を追い込み、3時間という長い長い時間(それは日常過ぎていく時間の感覚とは明らかに違う)、一定の苦しみに耐え抜いた人が得られる称号なんだと。設定タイムより遅れた10秒を取り戻すために、どれほどの努力を要するのか。風呂上がりに缶ビール片手にボーッと眺めるTVCM1本15秒とは明らかに異なる時間の価値。レース中の10秒の重みといったら!
やがてモーレツに自分に腹が立ちはじめる。サブスリーなんて無縁の世界と決めこみ、ガス欠だの膝が痛いだのと理由をつけてジョグペースで走っている自分にだ。般若顔で2時間59分を狙うオッチャンランナーの苦しさを数値化すれば、ぼくの
「こんなツラいこと二度としたくない」欲求など屁でもない。
ぼくは、まだ何も努力してないではないか。やれるかどうかの検討に入るのは、やるべきことをやった後の話だ。
サブスリーを狙おう。できる、何ごともできると思いこむことがスタートだ。できるかどうかわからない、ではダメだ。大いなる勘違いでいいのだ。巨大な風車に戦いを挑んだドン・キホーテになるのだ。ゆくぞサンチョ・パンサ!高らかに鉦を鳴らせ!世の中、勘違いしたもん勝ちだ!
毎日の1本1本の練習にテーマを持とう。目的のない練習、ランニングはしてはならない・・・この教訓は、瀬古利彦著「マラソンの神髄」の受け売りである。瀬古さんは駅伝やマラソン中継の実況席でいつも素っ頓狂なことを言っているヘンなおじさんと一般に思われており、実際そうなのだが、決してそうではないのだ! キリスト、アッラー、ブッダに並び立たせたいほどの神様・仏様・瀬古様なのだ。
瀬古さんへの深い愛についてはいつの日か語るとして、ぼくは今まで日々ダラダラと長時間走っていただけで、追い込みトレーニングが根本的に欠如していた。トレーニングに充てられるのは1日に1〜2時間。限られた時間で、自分をマックス追い込む方法を考え、実行しはじめた。
□週3回、200m〜1000mのインターバルを決めた本数やる。
□週末は20〜30キロのペース走。設定4分30秒〜4分45秒。
□つなぎのジョグ+ウォーキングは、サブスリーできるフォームへの矯正を考えて行う。
□月1回の10000mタイムトライアルで38分をめざす(今は42分。あと3分半縮める)
□補強運動の徹底。特に腹筋・背筋の補強を毎日各100回×2セット以上。また、体幹および身体の側面の細かな筋肉を増強させる。
□体重を63キロ→55キロ以下まで絞る。体脂肪率9%以下にする。
現状、けっこう重い体重を背負って(身長167センチ、体重63キロ、体脂肪率16%)、フル3時間30分まで達した。もっと追い込み、さらに絞り込めば3時間切れるのではないか。いや絶対に切れる!
商売をやるくらい真剣にランニングを突き詰めればいいのだ。商売は結果がすべて。結果を出すためには、綿密に計画を立て、攻め所を見つけ徹底的に攻める。 経営計画を時系列で設定するように、ランニングの目標にもタイムリミットを設けよう。2010年内に3つの目標を達成する。
目標 フル3時間を切る。
目標 100キロ10時間を切る。
目標 スパルタスロン(246キロ)に出場し、時間内完走(36時間)する。
できなければまた来年・・・は許されない。もしできなければオカマになる。オカマになって世界を制す。ケツ掘られたくないのなら、死ぬ気で走れ自分!