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2014年03月11日
月刊タウン情報CU2月号 実売部数報告です。
CU2月号の売部数は、5,301部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
徳島人2月号 実売部数報告です。
徳島人2月号の売部数は、5,361部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
結婚しちゃお!冬号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!冬号の売部数は、415部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ2月号 実売部数報告です。
タウトク2月号の売部数は、7,218部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
2014年03月06日
美容にようて、免疫力もアップ!?
■入学式にお母さんはどんな服を着よん?
今の流行のカラーや、おしゃれなコサージュ取り入れ術など
■美味しい苺の見分け方
新鮮な苺を選ぶには、ヘタと果肉のココを見る!
■どうする? 子どもの習い事デビュー
子どもが生き生き輝く習いごとガイド
■きれいの魔法
〜私のきれいを叶える情報をチェック〜
2014年02月26日
保存版! 桜まつり、お花見ガイド
■徳島ローカル系 お弁当屋さん 人気トップ3弁当!
最強テイクアウトグルメといえば、お弁当だ!
■スーパースター高校生の進路2014
噂のあの子はどこへゆく!?
■ミス制服グランプリ2014
ついに最終エントリー!
2014年02月21日
〜勝浦町・上勝町で、春と話題の地元グルメを味わう〜
■「いちご大福」手作り術
1分でできるや、驚きじゃ! 眼からウロコの方法を、スーパーの方が伝授
■身体がぬくもる「梅番醤茶」
梅干し、醤油、生姜など体を温める素材で作る
■今、「歳時記」が人気らしいじょ
季節の事柄や年中行事の本が多く出版されており、身近に癒しを感じ、次に訪れる季節が楽しみに
■春です、おすすめ旅ぷららん♪
徳島から行きたい、国内外のおすすめツアー紹介
2014年02月14日
赤飯にカレーをかける阿波市民、運動会は足袋の上勝町
■ヴォルティスJ1昇格の経済効果は50億超!
J1昇格でこう変わる徳島と鳴門
■歓送迎会や謝恩会、大切な接待におすすめのお店
特集 大人の食事会するならココ
■徳島人間関係あるある
ややこしい人たちとのつき合い方
■昭和58年、甲子園に響いた池高校歌
池高やまびこ打線の奇跡
とくしま全市町村
おいしいものさがし
■今注目の家具&雑貨のお店
好きな家具や雑貨に囲まれる日常は、ちょっとした幸せ。お部屋を彩る小さな幸せを見つけに、お店に足を運んでみよう。
■「秋田町界隈のパーキング料金徹底調査」
どこに停めるかで違いはウン百円!
■「出羽島・牟岐アート展2014」
3/7〜30開催! 誰もが楽しめるゆる〜い祭典。
■ONLY CU TICKET
巻末にはビューティやグルメで楽しめるCU読者限定クーポン満載。
内容盛りだくさんのCU3月号は 書店・スーパー・コンビニで350円で販売中!
2014年02月10日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
うまくいくことと、うまくいかないことは、だいたい1対9の割合でやってくる。他人から良い連絡を1本受けるためには、悪い連絡を9本処理する必要がある。貸した金が返ってくる確率も10%あたりと思っておけば人間不信だよ、友情より金かよ、なんて臍をかまなくて済む。
うまくいくことと、うまくいかないことは、だいたい1対9の割合でやってくる。他人から良い連絡を1本受けるためには、悪い連絡を9本処理する必要がある。貸した金が返ってくる確率も10%あたりと思っておけば人間不信だよ、友情より金かよ、なんて臍をかまなくて済む。
人生とはロクでもないものという前提に立てば、よほどの不幸に巻き込まれても、あぁぼくの人生こんなものかと平静を保てる。不幸な状態をアベレージに設定すると、自販機に取り忘れられた釣り銭がジャラッと指先に当たっただけで幸せな週末を過ごせる。
世の中全体に清潔で明るくなりすぎたから、目映い光を浴びせかけられて、人の不幸がより強調されている。報道番組に生活保護受給者が登場して、毎日カップ麺かインスタントカレーだけで生活しているんですよ、お先真っ暗ですよとうなだれ、ニュースキャスターと美人女子アナが哀しみと同情と憂いを湛えた目を映像モニタからカメラに移す。いや、カップ麺とインスタントカレーで十分OKだと思うよ。日本製ならなおさら品質高いし・・・とテレビの前でボンカレーもぐもぐ頬張る。
世界が元々つげ義春の画風のようにモノクロで泥まみれでできていたら、誰もが不幸の基準を低く設定できるのに。きらびやかな街の下には、古くから流れる用水溝がコンクリートでフタされ閉じ込められている。地上の光が届かない暗渠の水面で、ブクブクと泡を立てて呼吸する地下生物のように生きていられたらよい。
□
4年越しで挑んだスパルタスロンに4年連続でリタイアした。スパルタスロンとは、ギリシャ国内247kmを36時間リミットで走るレースだ。
直前8月の月間走行距離は1300km。和製スパルタ親父の星一徹に頭をなでなでされるくらい昭和スポ根漫画的な足づくりを行い、さらにはギリシャの高温乾燥した気候に慣れるため5日前から入国し調整に臨んだ。選手を決して褒めて伸ばそうとはしない宗猛監督にも、意識の高さをプロ並みだと称えられるかもしれない。
徹夜で走る大会に備え、前日に12時間以上眠るため、導眠副作用の強い花粉アレルギーの薬を激しく鼻吸引し昏倒。
整腸剤を用量の倍服用して、出せるウンコを全部出し切りすぎて脱腸寸前。
頼れるものなら神も仏も薬物も何でも頼る、それがオレのスパルタスロンなんだ!オーッ!と気勢を上げる。
やれることは全部やった。もはや完走を阻害する要素は何ひとつとしてない。ヒクソン・グレイシーに200%勝てると断言した安生洋二に匹敵する自信満々にあふれていた。
・・・そして、人生はうまくいかないことが9割の鉄則どおり、またもやリタイアという惨劇に至る。
□
スパルタスロンで大コケしてから、世界がチグハグな入れ籠でできているような不穏な心情に陥りだした。不幸への耐性が、異常に弱くなっている。
ある日、待ちに待った海外ドラマの新シーズンのDVDを入手し、万全なる精神状態でドラマ鑑賞すべく、ハーゲンダッツのホームサイズを帰宅前にスーパーで購入。深夜12時、いよいよ今宵は完徹で天才詐欺師とFBI捜査官の知的駆け引きを満喫しようかと立ち上がり、右手にスプーン、左手に冷凍庫から取りい出したハーゲンダッツを握りしめた瞬間、表面に付着した霜によってツルンと手のひらより滑り、そのまま重力定数のとおりに下方へと加速落下し、右足の小指の先にカップの角から落下した。叫び声すらあげられない衝撃に襲われる。小指が、小指がー。赤、紅、紫へと変色し、いちじく灌腸のように腫れていく。おい小指、折れてるんじゃないの? ほんの1分前まで海外ドラマへの期待感で幸せの極致にいたのに、いまや腫れ上がった小指を氷でぐるぐる巻きにして布団の上で目を閉じて耐えている急展開。こんな不幸があろうか。
深刻なフラッシュバック現象も現れだした。不眠不休レースの最中に起こる精神の異常が、日常生活においても同様の症状となって表れるのだ。
猛烈な便意に襲われトイレに駆け込み、便器を前にしてふと思う。パンツを下ろしてからウンコをすべきか、ウンコをしてからパンツを下ろすべきか。二者択一の簡単な答えが導き出せない。落ちつけ、論理的思考を取り戻すのだ。パンツを下ろさないとウンコがパンツに漏れる。ウンコを漏らさないとパンツがウンコにかかる。あー、やっぱしダメだ。そうやって平穏な平日の朝に、パンツを下ろさないまま暴発させること2度。うちの便座をウォッシュレットに換えといてよかった・・・。
ハーゲンダッツの角で小指を傷め、脱糞したお尻をウォシュレットでやさしく洗う。そんな些細な出来事がひたひたと降り積もり、チグハグな地層となって積み重なる。笑い話で済んでいたことが、済まなくなりつつある。
□
11月。「神宮外苑24時間チャレンジ」は1周約1.3kmの円周道路を昼の11時から翌昼11時まで24時間の間に走った距離を競う大会だ。走路は完全にフラットで曲がり角もない。淡々とペースを崩さず距離を刻んでいけばよい。その我慢強さが試される地味な世界は、現代に蘇りりし女工哀史かあゝ野麦峠か。
スタート直後から、9割方の選手に置き去りにされ、ビリ付近を走る。自分のペースはきっかりキロ6分だから速くはないけど、ゆっくり走ってるわけでもない。つまりぼくにはレベルの高すぎる大会であり、観念して自分の周りをATフィールドで囲って黙々と走るとする。
2周回ごとにエイドに立ち寄って水分補給していると、おじさんということもあってオシッコが近くなる。1時間に1回のペースでトイレに立ち寄る。最近は夜中も2時間置きに尿意で目覚めるのである。これが老化という哀れなのであろうか。
公衆トイレは走路から30メートルほど離れているため往復60メートルの距離ロスが生じるので、ホンネとしてはあまり立ち寄りたくないのだが、走っている間はずっと「漏れそう」との思いがあり、首都東京の美しい並木道の真ん中でおもらしするわけにはいかず、おトイレタイムはせめて1時間に1回にとどめておこうと尿意を耐えてぐるぐる走る。
ちょうど10回のトイレ休憩を経た頃に100km地点を通過、タイムは11時間18分。一般市民ランナーとして決して遅くないタイムなんだけど、トップを競っているアスリートたちは40kmも前方を走っている模様。
とうの昔に日は暮れ、街灯のオレンジが安らかに揺れる。疲れは感じないが、午前0時を過ぎると睡眠と覚醒の中間くらいの脳波状態になり、うつらうつらと夢を見ながら蛇行走。
朝5時。スタートから18時間たった頃に、寝落ちしてしまう。歩道上でやれやれと体育座りをし、目をいったん閉じて、また開くと時計が20分進んでいる。まばたきくらいの感覚しかないのにさ、タイムスリップだこりゃと驚いて走路に飛びだす。
相変わらずトップクラスの選手たちはキロ5分台のスピードで、ヒュンヒュン駆けていく。
24時間走にゴールはない。その場所まで行けばオシマイというゴールラインはない。人生に寿命という時間制限があるように、24時間走にも時間の終わりだけが決められている。
24時間走にはリタイアという概念もない。真夜中まで走って、潰れて、選手用テントで倒れていたとしても、それはリタイアではない。競技は継続している。ただ前に向かって進んでいないというだけで、人生は進んでいる。速くも走れず、凡庸で、それでいて今やってることをやめる踏ん切りもつかない人生の路上を、のろのろと走る。そう、こうやってマラソンを人生に例えたがるのも老化現象のひとつである。
朝10時30分、残り30分ともなると、たくさんの観客が走路脇を埋め尽くし、声援を投げかけてくれる。
人目もあることだし、最後くらいちゃんと走ろうかなと思いペースをあげる。ラスト2周を全力疾走すると、キロ4分台で走れる。まだぼくは完全にはヘバッてないようだ。なんせ一晩中、エイドで飯ばっかし食ってたしな。スタミナはあり余っている(レース後に体重を測ると2キロ増加していた。24時間も走ったのに太るなんてショックだよ)。
終了時刻である午前11時になると、合図とともにその場所で立ち止まる。係の方が近づいてきて足下に白いラインを引いてくれる。こんなヘボそうなランナーにも正確な距離測定をしてくれるのだなと思うと、ちょっとしたエリート感が湧き上がる。記録は173km939mであった。やっぱし1m単位まで計測してくれるのね。往復60メートルのトイレに25回も行かなきゃよかった。頻尿にも程がある。
今日はいい日なのだろうか。少なくとも悪い日ではない。体内にカロリーは残っているし、まだ何かやれる気がする。
世の中全体に清潔で明るくなりすぎたから、目映い光を浴びせかけられて、人の不幸がより強調されている。報道番組に生活保護受給者が登場して、毎日カップ麺かインスタントカレーだけで生活しているんですよ、お先真っ暗ですよとうなだれ、ニュースキャスターと美人女子アナが哀しみと同情と憂いを湛えた目を映像モニタからカメラに移す。いや、カップ麺とインスタントカレーで十分OKだと思うよ。日本製ならなおさら品質高いし・・・とテレビの前でボンカレーもぐもぐ頬張る。
世界が元々つげ義春の画風のようにモノクロで泥まみれでできていたら、誰もが不幸の基準を低く設定できるのに。きらびやかな街の下には、古くから流れる用水溝がコンクリートでフタされ閉じ込められている。地上の光が届かない暗渠の水面で、ブクブクと泡を立てて呼吸する地下生物のように生きていられたらよい。
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4年越しで挑んだスパルタスロンに4年連続でリタイアした。スパルタスロンとは、ギリシャ国内247kmを36時間リミットで走るレースだ。
直前8月の月間走行距離は1300km。和製スパルタ親父の星一徹に頭をなでなでされるくらい昭和スポ根漫画的な足づくりを行い、さらにはギリシャの高温乾燥した気候に慣れるため5日前から入国し調整に臨んだ。選手を決して褒めて伸ばそうとはしない宗猛監督にも、意識の高さをプロ並みだと称えられるかもしれない。
徹夜で走る大会に備え、前日に12時間以上眠るため、導眠副作用の強い花粉アレルギーの薬を激しく鼻吸引し昏倒。
整腸剤を用量の倍服用して、出せるウンコを全部出し切りすぎて脱腸寸前。
頼れるものなら神も仏も薬物も何でも頼る、それがオレのスパルタスロンなんだ!オーッ!と気勢を上げる。
やれることは全部やった。もはや完走を阻害する要素は何ひとつとしてない。ヒクソン・グレイシーに200%勝てると断言した安生洋二に匹敵する自信満々にあふれていた。
・・・そして、人生はうまくいかないことが9割の鉄則どおり、またもやリタイアという惨劇に至る。
□
スパルタスロンで大コケしてから、世界がチグハグな入れ籠でできているような不穏な心情に陥りだした。不幸への耐性が、異常に弱くなっている。
ある日、待ちに待った海外ドラマの新シーズンのDVDを入手し、万全なる精神状態でドラマ鑑賞すべく、ハーゲンダッツのホームサイズを帰宅前にスーパーで購入。深夜12時、いよいよ今宵は完徹で天才詐欺師とFBI捜査官の知的駆け引きを満喫しようかと立ち上がり、右手にスプーン、左手に冷凍庫から取りい出したハーゲンダッツを握りしめた瞬間、表面に付着した霜によってツルンと手のひらより滑り、そのまま重力定数のとおりに下方へと加速落下し、右足の小指の先にカップの角から落下した。叫び声すらあげられない衝撃に襲われる。小指が、小指がー。赤、紅、紫へと変色し、いちじく灌腸のように腫れていく。おい小指、折れてるんじゃないの? ほんの1分前まで海外ドラマへの期待感で幸せの極致にいたのに、いまや腫れ上がった小指を氷でぐるぐる巻きにして布団の上で目を閉じて耐えている急展開。こんな不幸があろうか。
深刻なフラッシュバック現象も現れだした。不眠不休レースの最中に起こる精神の異常が、日常生活においても同様の症状となって表れるのだ。
猛烈な便意に襲われトイレに駆け込み、便器を前にしてふと思う。パンツを下ろしてからウンコをすべきか、ウンコをしてからパンツを下ろすべきか。二者択一の簡単な答えが導き出せない。落ちつけ、論理的思考を取り戻すのだ。パンツを下ろさないとウンコがパンツに漏れる。ウンコを漏らさないとパンツがウンコにかかる。あー、やっぱしダメだ。そうやって平穏な平日の朝に、パンツを下ろさないまま暴発させること2度。うちの便座をウォッシュレットに換えといてよかった・・・。
ハーゲンダッツの角で小指を傷め、脱糞したお尻をウォシュレットでやさしく洗う。そんな些細な出来事がひたひたと降り積もり、チグハグな地層となって積み重なる。笑い話で済んでいたことが、済まなくなりつつある。
□
11月。「神宮外苑24時間チャレンジ」は1周約1.3kmの円周道路を昼の11時から翌昼11時まで24時間の間に走った距離を競う大会だ。走路は完全にフラットで曲がり角もない。淡々とペースを崩さず距離を刻んでいけばよい。その我慢強さが試される地味な世界は、現代に蘇りりし女工哀史かあゝ野麦峠か。
スタート直後から、9割方の選手に置き去りにされ、ビリ付近を走る。自分のペースはきっかりキロ6分だから速くはないけど、ゆっくり走ってるわけでもない。つまりぼくにはレベルの高すぎる大会であり、観念して自分の周りをATフィールドで囲って黙々と走るとする。
2周回ごとにエイドに立ち寄って水分補給していると、おじさんということもあってオシッコが近くなる。1時間に1回のペースでトイレに立ち寄る。最近は夜中も2時間置きに尿意で目覚めるのである。これが老化という哀れなのであろうか。
公衆トイレは走路から30メートルほど離れているため往復60メートルの距離ロスが生じるので、ホンネとしてはあまり立ち寄りたくないのだが、走っている間はずっと「漏れそう」との思いがあり、首都東京の美しい並木道の真ん中でおもらしするわけにはいかず、おトイレタイムはせめて1時間に1回にとどめておこうと尿意を耐えてぐるぐる走る。
ちょうど10回のトイレ休憩を経た頃に100km地点を通過、タイムは11時間18分。一般市民ランナーとして決して遅くないタイムなんだけど、トップを競っているアスリートたちは40kmも前方を走っている模様。
とうの昔に日は暮れ、街灯のオレンジが安らかに揺れる。疲れは感じないが、午前0時を過ぎると睡眠と覚醒の中間くらいの脳波状態になり、うつらうつらと夢を見ながら蛇行走。
朝5時。スタートから18時間たった頃に、寝落ちしてしまう。歩道上でやれやれと体育座りをし、目をいったん閉じて、また開くと時計が20分進んでいる。まばたきくらいの感覚しかないのにさ、タイムスリップだこりゃと驚いて走路に飛びだす。
相変わらずトップクラスの選手たちはキロ5分台のスピードで、ヒュンヒュン駆けていく。
24時間走にゴールはない。その場所まで行けばオシマイというゴールラインはない。人生に寿命という時間制限があるように、24時間走にも時間の終わりだけが決められている。
24時間走にはリタイアという概念もない。真夜中まで走って、潰れて、選手用テントで倒れていたとしても、それはリタイアではない。競技は継続している。ただ前に向かって進んでいないというだけで、人生は進んでいる。速くも走れず、凡庸で、それでいて今やってることをやめる踏ん切りもつかない人生の路上を、のろのろと走る。そう、こうやってマラソンを人生に例えたがるのも老化現象のひとつである。
朝10時30分、残り30分ともなると、たくさんの観客が走路脇を埋め尽くし、声援を投げかけてくれる。
人目もあることだし、最後くらいちゃんと走ろうかなと思いペースをあげる。ラスト2周を全力疾走すると、キロ4分台で走れる。まだぼくは完全にはヘバッてないようだ。なんせ一晩中、エイドで飯ばっかし食ってたしな。スタミナはあり余っている(レース後に体重を測ると2キロ増加していた。24時間も走ったのに太るなんてショックだよ)。
終了時刻である午前11時になると、合図とともにその場所で立ち止まる。係の方が近づいてきて足下に白いラインを引いてくれる。こんなヘボそうなランナーにも正確な距離測定をしてくれるのだなと思うと、ちょっとしたエリート感が湧き上がる。記録は173km939mであった。やっぱし1m単位まで計測してくれるのね。往復60メートルのトイレに25回も行かなきゃよかった。頻尿にも程がある。
今日はいい日なのだろうか。少なくとも悪い日ではない。体内にカロリーは残っているし、まだ何かやれる気がする。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
早朝3時に目覚まし時計が鳴る。枕元に置いたメガネを手探りするが見つからない。
身体がべったり敷き布団にくっついている。磁石に拘束された鉄塊を無理やり引っぺがすように上体を起こす。
早朝3時に目覚まし時計が鳴る。枕元に置いたメガネを手探りするが見つからない。
身体がべったり敷き布団にくっついている。磁石に拘束された鉄塊を無理やり引っぺがすように上体を起こす。
夕べ手洗いして室内干ししてあったランニングシャツやパンツを生乾きのまま着る。独特の汗蒸れした臭いが鼻をつくが、他ならぬ自分の体臭ゆえ不平を漏らす相手はいない。
最少限に絞り込んだ持ち物を、小さなバックパックに詰めこむ。現金、地図、着替えの衣類、薬品、照明具などである。総重量700グラムほどだ。この荷物で2週間を過ごすのである。人間、生きていくのに大したモノは必要ないってことか。
起床から身支度を終えるまで10分もあれば事足りる。いつでも走りだせる恰好が整うと、もう一度布団に潜りこむ。スタート時間は午前4時。二度寝の末の寝坊はマズいが、20分でも10分でも活動エネルギーをゼロ状態にして体力を回復させたい。
3時50分、民宿前のスタートゲートの周辺には、ヘッドランプが照らす淡い円がいくつも揺れている。ランナーたちはサプリメントを飲んだり、地図を眺めたりと、各々が準備にいそしんでいる。カップラーメンをすすりオニギリにパクついてる人もいる。多くの人は快活な声量で会話を交わしているが、昨日のステージで極限まで体力をすり減らしたとおぼしき人は、地面にべったり腰を下ろし、会話のやり取りがままならなかったりする。
スタートの合図とともに、ランナーたちは夜明け前の街路へと歩きだす。ジャーニーランのスタートで走りだす人はめったにいない。まだ眠っている筋肉に「温まるまでは走らんからな」と納得させるように、傷んだ脚に「そのうち痛みは取れるよな?」と問いかけるように歩く。カップメンを食べ終わらなかったランナーは、麺とスープを掻き込みながら歩く。
何キロか進むとそれぞれのペースで走りだす。単独走になることもあれば集団をつくることもある。基本、他人のペースには合わせない。自分だけのリズムで、自分が潰れないペースで。そして、気の遠くなるような距離のほとんどを、1人ぼっちで過ごす。
□
「トランス・エゾ・ジャーニーラン」は、1997年の初開催以来17回の歴史を刻む、日本で定期開催されている数少ないジャニーラン大会のひとつである。北海道のえりも岬から日本最北端の地・宗谷岬へと、555キロの道のりを太平洋からオホーツク海へと7日間かけて走破する、と聞くだけでゾクゾクするスケールだ。2000年からは宗谷岬からえりも岬、ふたたび宗谷岬へと往復する14日間・1100キロの「アルティメイト」コースも設けられた。
毎朝のスタート時刻は朝5時を標準とし、その日の走行距離によって調整される。80キロを超える場合は4時30分、4時・・・と早められ、最も長い98キロの日は午前3時スタートとなる。
毎日、ゴールの最終時刻にあたる「節度時間」が設けられる。コース距離を時速5.5キロで割り、算出されたゴールタイムだ。一般の大会なら関門とか制限時間と呼ばれるところをトランス・エゾでは節度時間と呼ぶ。これは、ゴール地点まで自力走行できなくなったランナーへのメッセージでもある。「どんなに時間が遅くなってもゴールまでたどり着きたい」という自己陶酔の末に1人だけ深夜にゴールして、周囲に迷惑かけるようなマネはすべきではない、という「節度」である。ケガをしたり体調悪化してリタイアすると判断した時点で、列車やバスを使ってゴール地点へと向かう。その悔しさや、無念さ、思い出も含めてジャーニーランってことなんだろう。
この「節度時間」に象徴されるように、トランス・エゾではランナーが自分のエゴによって勝手な振る舞いをすることは暗黙の了解として許されない。550キロ〜1100キロという長い道のりを、見ず知らずの人間が集まり、キャラバンを組んで街々を巡っていく。ランナーもサポートも肉体的にも精神的にも限界ギリギリで越えていく場面もある。ほんの数人が「自分だけは特別だ」という行動を取り始めたら、キャラバンの雰囲気は悪い方へと向かってしまうだろう。
自己責任が徹底されたこの大会では、1〜2週間の間に使用するすべての荷物を自分で背負って走る。荷物預けはない。またエイドステーションもない。走行中に必要な飲み物、食べ物は、途中の街々にある商店や自販機で仕入れる。無人地帯が長い場合は、2リッター以上の水を背負うことになる。
あらかじめ指定された走破コースは、2万5千分の1地図上に破線でライン引きされており、途中、誰のチェックも受けることなく、自分自身の良心に従って忠実にコースをなぞる。
手厚いエイドや荷物配送サービスなど至れり尽くせりの今どきのマラソン大会に馴染んだ身には、いくぶん厳しく感じるかもしれない。だが、要は「1人ぽっちでふらっと走って旅に出た」と思えばいいのである。1人旅なら、給水サービスやら荷物配送なんてあるはずもなく、宿泊先の最終チェックイン時間を守らなければ部屋をキャンセルされる。予定より遅くなり、間に合わなそうなら路線バスに飛び乗るだろう。誰の力も借りず、自分1人の力と責任で、果てしなく遠い道を走りきる。それがジャーニーランの基本姿勢である。
こんな風にトランス・エゾは一見厳しい自己責任をランナーに求めていながらも、だけどホントのところは限りなくランナーの視点に立った、走ることが心から好きな人のために考えに考え抜かれた大会なのである。
□
【初日・宗谷岬〜幌延75.3km】
宗谷岬を出発する。海岸線を南下せず背後の丘陵へと駆け上がると、いきなり野生鹿の集団に遭遇する。大自然に突入するの早すぎ!
いったんオホーツク沿岸に戻ったのち、再びアップダウンのある牧場地帯をゆく。昨夜のミーティングで、「明日は20キロに1カ所の割合でしか自販機や水道がないよ」と経験者ランナーの方々が教えてくれたものの、半信半疑で聞いていた。「ない」といっても、それなりに民家は点在してるだろうし、集落には公民館や学校があり、水道栓があるに違いない。食料は補給できずとも、ここは日本なんだから水くらいはあるはずだ、とタカくくっていたら・・・本当に何もなかった。
酪農農家の家屋や牛舎は建っているが人影ひとつない。無人のお家に勝手に入れば不法侵入であり、さすがにそれはできない。住民の集会所や災害避難所と書かれた建物にも人の気配はない。ようやく水飲み場を見つけて蛇口をひねっても、1滴の水も出ない。
道路の下の方に小川らしきせせらぎが何本か現れるが、北海道の川水や沢水は絶対に飲んではならぬと注意されている。キタキツネの糞に混じったエキノコックスという寄生虫の卵が混入している可能性があり、その生水を飲めば人も感染してしまうからだ。エキノコックスは肝臓の中に寄生し、最後は子供の頭くらい巨大化して人間を死に誘う。ってことで枯れ死寸前あろうと、川水だけは飲めない。
真夏の直射日光の下では、ダラダラ吹き出す汗は止めようがない。10キロ前進するにつき水分が1リットル必要である、と嫌ってほど教えられた一日となった。
スタート地点から10キロ先にあるコンビニを最後に、ゴールの幌延の街に入るまで60キロ以上、ついに1軒の店にも遭遇しなかった(ラーメン店とコープがあったが2軒とも休んでいた)。2カ所の自販機と、酪農家の私設エイドに助けられ、カラカラに乾燥しきってゴールにたどりついた。
ゴールはJR幌延駅前の民宿・光栄荘。お宿名物のカツカレーは、ごはんもカレールウもおかわりし放題で、3皿分食べた。
布団に横になって氷のうで脚を冷やしまくる。カッカッと燃えるような脚の熱を取り、明日の朝までに元どおりに復旧させるのだ。フトモモに載っけた氷の塊を眺めながら「ジャーニーランの世界に戻ってきた」と少しうれしくなる。
【2日目・幌延〜羽幌82.8km】
内陸部の広いバイパス道を進み、20キロすぎからオホーツク海沿いの砂利道へと針路をとる。砂利道を行くことを「ジャーリーラン」というのだと教えられた。楽しい響きである。マメができた後なら地獄かもしれないが、今のところ楽しむ余裕がある。
しばらく進むとコース上にあるはずの橋が橋ゲタごと流失し、道が完全にチギれていた。対岸の道路を巨大なクレーン車が占拠し、作業員の方々が復旧工事に当たっている。大会指定のコースを守らないと「完走」の称号は得られないし、でも道はないし、海を泳ぐってわけにもいかんし・・・と悩んで道を行ったり来たりウロウロしたが、打開策見つからず2キロほど迂回することにした。こんなのはジャーニー・ランでは「よくあること」なのだろう。
昼前から本格的に暑くなってきて、コンビニで買ったアイスの「パピコ」をタオルで包み、首に巻きつける。涼しくなったのは短時間で、直射日光にあたるとすぐ溶けてしまって、啜ろうと思った時には熱湯パピコになっていた。
水分の摂取量がハンパなく、50キロに達するまでに6リッター分のジュースを消費した。北海道内の公共施設にはゴミ箱がほとんど置かれていない。公園にも、トイレにも、道の駅にも。ジュースの自動販売機の横に当たり前にあるべきゴミ箱もない。かろうじてコンビニの前には分別ボックスがあるが、ここいらの地域でコンビニは20〜30キロに1軒あるかないか。トランス・エゾでは、ランナーの誰かがゴミを不法投棄した時点で大会を中止にする、という約束事がある。人知れずポイ捨てをしてしまえば、そっと良心を傷める程度の事態では済まされない。
大量に出る空ペットボトル。こいつらを捨てる場所はない。仕方なくバックパックに6本、ランニングパンツの両ポケットに2本、さらに両手に2本持って、ポットボトルの串刺し状態で走る。初山別という街でアイスを買いに立ち寄った商店の方に涙ながらに廃棄をお願いして、ようやく10本のペットボトルから解放される。
街のあちこちにゴミ箱があるってのは、本当にありがたいことなんですね。ジャーニーランは、何でもない日常にこそ幸せがあるのだとTHE虎舞竜的な教訓を得られる場でもある。
本日のゴールは「サンセットプラザほぼろ」という巨大な温泉宿泊施設。だけど大浴場に移動する余力なく、部屋でシャワーを浴びただけで布団にダイブし失神寝する。
最少限に絞り込んだ持ち物を、小さなバックパックに詰めこむ。現金、地図、着替えの衣類、薬品、照明具などである。総重量700グラムほどだ。この荷物で2週間を過ごすのである。人間、生きていくのに大したモノは必要ないってことか。
起床から身支度を終えるまで10分もあれば事足りる。いつでも走りだせる恰好が整うと、もう一度布団に潜りこむ。スタート時間は午前4時。二度寝の末の寝坊はマズいが、20分でも10分でも活動エネルギーをゼロ状態にして体力を回復させたい。
3時50分、民宿前のスタートゲートの周辺には、ヘッドランプが照らす淡い円がいくつも揺れている。ランナーたちはサプリメントを飲んだり、地図を眺めたりと、各々が準備にいそしんでいる。カップラーメンをすすりオニギリにパクついてる人もいる。多くの人は快活な声量で会話を交わしているが、昨日のステージで極限まで体力をすり減らしたとおぼしき人は、地面にべったり腰を下ろし、会話のやり取りがままならなかったりする。
スタートの合図とともに、ランナーたちは夜明け前の街路へと歩きだす。ジャーニーランのスタートで走りだす人はめったにいない。まだ眠っている筋肉に「温まるまでは走らんからな」と納得させるように、傷んだ脚に「そのうち痛みは取れるよな?」と問いかけるように歩く。カップメンを食べ終わらなかったランナーは、麺とスープを掻き込みながら歩く。
何キロか進むとそれぞれのペースで走りだす。単独走になることもあれば集団をつくることもある。基本、他人のペースには合わせない。自分だけのリズムで、自分が潰れないペースで。そして、気の遠くなるような距離のほとんどを、1人ぼっちで過ごす。
□
「トランス・エゾ・ジャーニーラン」は、1997年の初開催以来17回の歴史を刻む、日本で定期開催されている数少ないジャニーラン大会のひとつである。北海道のえりも岬から日本最北端の地・宗谷岬へと、555キロの道のりを太平洋からオホーツク海へと7日間かけて走破する、と聞くだけでゾクゾクするスケールだ。2000年からは宗谷岬からえりも岬、ふたたび宗谷岬へと往復する14日間・1100キロの「アルティメイト」コースも設けられた。
毎朝のスタート時刻は朝5時を標準とし、その日の走行距離によって調整される。80キロを超える場合は4時30分、4時・・・と早められ、最も長い98キロの日は午前3時スタートとなる。
毎日、ゴールの最終時刻にあたる「節度時間」が設けられる。コース距離を時速5.5キロで割り、算出されたゴールタイムだ。一般の大会なら関門とか制限時間と呼ばれるところをトランス・エゾでは節度時間と呼ぶ。これは、ゴール地点まで自力走行できなくなったランナーへのメッセージでもある。「どんなに時間が遅くなってもゴールまでたどり着きたい」という自己陶酔の末に1人だけ深夜にゴールして、周囲に迷惑かけるようなマネはすべきではない、という「節度」である。ケガをしたり体調悪化してリタイアすると判断した時点で、列車やバスを使ってゴール地点へと向かう。その悔しさや、無念さ、思い出も含めてジャーニーランってことなんだろう。
この「節度時間」に象徴されるように、トランス・エゾではランナーが自分のエゴによって勝手な振る舞いをすることは暗黙の了解として許されない。550キロ〜1100キロという長い道のりを、見ず知らずの人間が集まり、キャラバンを組んで街々を巡っていく。ランナーもサポートも肉体的にも精神的にも限界ギリギリで越えていく場面もある。ほんの数人が「自分だけは特別だ」という行動を取り始めたら、キャラバンの雰囲気は悪い方へと向かってしまうだろう。
自己責任が徹底されたこの大会では、1〜2週間の間に使用するすべての荷物を自分で背負って走る。荷物預けはない。またエイドステーションもない。走行中に必要な飲み物、食べ物は、途中の街々にある商店や自販機で仕入れる。無人地帯が長い場合は、2リッター以上の水を背負うことになる。
あらかじめ指定された走破コースは、2万5千分の1地図上に破線でライン引きされており、途中、誰のチェックも受けることなく、自分自身の良心に従って忠実にコースをなぞる。
手厚いエイドや荷物配送サービスなど至れり尽くせりの今どきのマラソン大会に馴染んだ身には、いくぶん厳しく感じるかもしれない。だが、要は「1人ぽっちでふらっと走って旅に出た」と思えばいいのである。1人旅なら、給水サービスやら荷物配送なんてあるはずもなく、宿泊先の最終チェックイン時間を守らなければ部屋をキャンセルされる。予定より遅くなり、間に合わなそうなら路線バスに飛び乗るだろう。誰の力も借りず、自分1人の力と責任で、果てしなく遠い道を走りきる。それがジャーニーランの基本姿勢である。
こんな風にトランス・エゾは一見厳しい自己責任をランナーに求めていながらも、だけどホントのところは限りなくランナーの視点に立った、走ることが心から好きな人のために考えに考え抜かれた大会なのである。
□
【初日・宗谷岬〜幌延75.3km】
宗谷岬を出発する。海岸線を南下せず背後の丘陵へと駆け上がると、いきなり野生鹿の集団に遭遇する。大自然に突入するの早すぎ!
いったんオホーツク沿岸に戻ったのち、再びアップダウンのある牧場地帯をゆく。昨夜のミーティングで、「明日は20キロに1カ所の割合でしか自販機や水道がないよ」と経験者ランナーの方々が教えてくれたものの、半信半疑で聞いていた。「ない」といっても、それなりに民家は点在してるだろうし、集落には公民館や学校があり、水道栓があるに違いない。食料は補給できずとも、ここは日本なんだから水くらいはあるはずだ、とタカくくっていたら・・・本当に何もなかった。
酪農農家の家屋や牛舎は建っているが人影ひとつない。無人のお家に勝手に入れば不法侵入であり、さすがにそれはできない。住民の集会所や災害避難所と書かれた建物にも人の気配はない。ようやく水飲み場を見つけて蛇口をひねっても、1滴の水も出ない。
道路の下の方に小川らしきせせらぎが何本か現れるが、北海道の川水や沢水は絶対に飲んではならぬと注意されている。キタキツネの糞に混じったエキノコックスという寄生虫の卵が混入している可能性があり、その生水を飲めば人も感染してしまうからだ。エキノコックスは肝臓の中に寄生し、最後は子供の頭くらい巨大化して人間を死に誘う。ってことで枯れ死寸前あろうと、川水だけは飲めない。
真夏の直射日光の下では、ダラダラ吹き出す汗は止めようがない。10キロ前進するにつき水分が1リットル必要である、と嫌ってほど教えられた一日となった。
スタート地点から10キロ先にあるコンビニを最後に、ゴールの幌延の街に入るまで60キロ以上、ついに1軒の店にも遭遇しなかった(ラーメン店とコープがあったが2軒とも休んでいた)。2カ所の自販機と、酪農家の私設エイドに助けられ、カラカラに乾燥しきってゴールにたどりついた。
ゴールはJR幌延駅前の民宿・光栄荘。お宿名物のカツカレーは、ごはんもカレールウもおかわりし放題で、3皿分食べた。
布団に横になって氷のうで脚を冷やしまくる。カッカッと燃えるような脚の熱を取り、明日の朝までに元どおりに復旧させるのだ。フトモモに載っけた氷の塊を眺めながら「ジャーニーランの世界に戻ってきた」と少しうれしくなる。
【2日目・幌延〜羽幌82.8km】
内陸部の広いバイパス道を進み、20キロすぎからオホーツク海沿いの砂利道へと針路をとる。砂利道を行くことを「ジャーリーラン」というのだと教えられた。楽しい響きである。マメができた後なら地獄かもしれないが、今のところ楽しむ余裕がある。
しばらく進むとコース上にあるはずの橋が橋ゲタごと流失し、道が完全にチギれていた。対岸の道路を巨大なクレーン車が占拠し、作業員の方々が復旧工事に当たっている。大会指定のコースを守らないと「完走」の称号は得られないし、でも道はないし、海を泳ぐってわけにもいかんし・・・と悩んで道を行ったり来たりウロウロしたが、打開策見つからず2キロほど迂回することにした。こんなのはジャーニー・ランでは「よくあること」なのだろう。
昼前から本格的に暑くなってきて、コンビニで買ったアイスの「パピコ」をタオルで包み、首に巻きつける。涼しくなったのは短時間で、直射日光にあたるとすぐ溶けてしまって、啜ろうと思った時には熱湯パピコになっていた。
水分の摂取量がハンパなく、50キロに達するまでに6リッター分のジュースを消費した。北海道内の公共施設にはゴミ箱がほとんど置かれていない。公園にも、トイレにも、道の駅にも。ジュースの自動販売機の横に当たり前にあるべきゴミ箱もない。かろうじてコンビニの前には分別ボックスがあるが、ここいらの地域でコンビニは20〜30キロに1軒あるかないか。トランス・エゾでは、ランナーの誰かがゴミを不法投棄した時点で大会を中止にする、という約束事がある。人知れずポイ捨てをしてしまえば、そっと良心を傷める程度の事態では済まされない。
大量に出る空ペットボトル。こいつらを捨てる場所はない。仕方なくバックパックに6本、ランニングパンツの両ポケットに2本、さらに両手に2本持って、ポットボトルの串刺し状態で走る。初山別という街でアイスを買いに立ち寄った商店の方に涙ながらに廃棄をお願いして、ようやく10本のペットボトルから解放される。
街のあちこちにゴミ箱があるってのは、本当にありがたいことなんですね。ジャーニーランは、何でもない日常にこそ幸せがあるのだとTHE虎舞竜的な教訓を得られる場でもある。
本日のゴールは「サンセットプラザほぼろ」という巨大な温泉宿泊施設。だけど大浴場に移動する余力なく、部屋でシャワーを浴びただけで布団にダイブし失神寝する。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
【3日目・羽幌〜北竜85.3km】
朝4時スタートというのに、夜明け前から蒸し蒸しと暑さが迫ってくる。
羽幌の市街地を抜けると、断崖が海へとなだれ込む荒々しい海岸線が視界を占拠する。遠く彼方に霞む緑色の岬が、走ってみると僅か5キロ先だったりして距離感がつかめない。
【3日目・羽幌〜北竜85.3km】
朝4時スタートというのに、夜明け前から蒸し蒸しと暑さが迫ってくる。
羽幌の市街地を抜けると、断崖が海へとなだれ込む荒々しい海岸線が視界を占拠する。遠く彼方に霞む緑色の岬が、走ってみると僅か5キロ先だったりして距離感がつかめない。
海辺の道に日陰はなく、太陽エネルギーの直撃を受ける。コンビニでクラッシュアイスを買い、頭やうなじに押し当てて頭骨内の体温を上げないようにする。脳内の温度が40度を超すと、人間は活動を自動停止すると聞いたからだ。「ガリガリ君」を3本一気食いして内臓まわりの深部体温も下げるよう努める。
50キロすぎの留萌あたりまで快調に走っていたが、ふいに異変がやってきた。立ち小便をしているとき、指先に触れた小便がアチチ!と指を引っ込めるほど熱い。気のせいかと思い、人さし指にジョロジョロ流してみるとやはり熱湯のようだ。いったい体温は何度まで上がっているのか。
やがてアゴの先からボトボトボトボトッと見たこともない量の汗がしたたり落ち、両の掌の10本の指先から10列の汗がゲリラ豪雨の軒先みたいにしずくを垂れる。体内に蓄えてある水分がすべて逃げだしていく。これだけ急速に脱水するとヤバい。ペットボトルの水を喉に流し込むと、一瞬の後に盛大な噴水となってゲロ戻しする。身体が水分を受けつけない。
干からびるほど汗をタレ流してるのに、悪寒激しく鳥肌が立っている。奥歯がカチカチと鳴りだす。あまりの急変ぶりに「これって、死に瀕してる状態?」と怖くなり、公衆トイレの床に大の字になり20分寝る。休めば復活するかととの淡い期待も虚しく、路上に戻るとヒザから力が脱けてしまって走れない。
残り10キロ。「節度時間」の夜8時まで2時間以上を残しているが、ここから先、時速4キロペースで進めるのだろうか。少し歩いては道ばたにしゃがみ、立ち上がっては畑のあぜ道に寝る、を繰り返す。1時間経っても3キロも進まない。そのうち全員のランナーに追い抜かされる。みな足取りも軽く、元気そうだ。
残り2キロ。さえぎる物のない直線道路の先に温泉施設「サンフラワーパーク」が見えるはずなのに、歩いても歩いても照明の光粒ひとつ飛び込んでこない。本当にぼくは正しい道を歩いているのだろうか? 行く手には何もないのではなかろうか? 残り時間はほとんどないはずだが、もう時間なんてどうでもいいや。自暴自棄になり、意識も飛び飛びになってきた頃、ようやく温泉の駐車場が現れた。ゴールゲートがうつろな感じで揺れて見えた。いつもなら湧き上がるはずの「ヤッター」も「もう走らなくていいんだ」も感じない。消耗しすぎて、人間としての感情に乏しい。心には暗くて深い穴ボコしか空いてない。よろけながらゴールゲートをくぐると体重を支えるだけの筋力が足になく、アスファルトの地面にうつぶせに崩れ落ちてしまった。
【4日目・北竜〜栗山87.7km】
昨晩遅く、へろへろでゴールした後、先着の方が気をきかせて注文してくれてた「いくら丼」を前にして米粒ひとつ喉を通らず、レストランのテーブルに顔を突っ伏したまま動けなくなった。夜の選手ミーティングでは、床に寝たまま吐き気を抑えるので精いっぱい。トランス・エゾ1100キロを2年連続完走を果たした伝説的ランナー「キング」こと田畠さんがそっと氷袋を頭に置いてくれた。ひと晩じゅう洗面所でカラゲロえづき、ろくに眠れないまま夜が明けてしまう。
朝4時。スタートゲートに立っているのもやっとこさで長丁場の87キロを迎える。絶対に完走はあきらめたくない。時速6キロペースを保ちながら、節度時間まぎわにゴールすべく集団の後方に位置する。だが頭は真っ白、今どこを走っているのかも定かでなく、コースが示された地図を正しく把握する力はない。本来進むべき道を逸れ。3キロ以上も正規ルートを外れてしまう。
完走ギリギリペースでしか前進する力が残ってないのに20分以上のタイムロス。挽回しようともがくが、ジタバタ焦るばかりで速くは走れない。
一点の雲もなく晴れわたる空。直射日光が皮膚を焼き尽くさんとばかり容赦なく襲ってくる。30キロつづく直線道路には陽炎が揺れている。やがて前日と同様の熱中症の症状が出てくる。千鳥足、蛇行、50メートル歩いては座り込み、狂犬病の犬みたいにハァハァあえぐ。1キロに15分かかり、20分かかり、1キロという距離が果てしなく遠い。コンビニで買った2リッターの冷水を頭からかぶり、氷を全身になすりつけ、破れかぶれで鎮痛剤を倍飲みする。
モーター音のうるさい自販機にもたれかかったまま20分が過ぎる。もう何をやっても回復しそうにない。制限時間にも間に合わない。あぁ、ここで自分は断念するのだな、と思う。悔しさや悲しさが押し寄せてくるのかと思えばそんなこともなく、思考力がないからぼーっとして感情の揺らぎがない。
かろうじて理解している事実。たったの3日で、ぼくはトランス・エゾにノックアウトされた。
今日の行程50キロ以上を残し、JR砂川駅から鈍行列車を乗り継いで、ゴール地点である栗山町に移動する。温泉施設「サンフラワーパーク」の水風呂につかって体温を下げ、布団にもぐりこんでたっぷり眠ったあと、ゴールゲート前で完走ランナーたちを迎える。夜8時数分前、節度時間ギリギリになって遠くにヘッドランプの光が揺れだす。完走を守っている4人のランナーの姿が見える。力なく笑う顔は日焼けと汗が乾いてこびりついた塩でボロボロなのに、輝いている。こんな風に頑張れなかった自分に地団駄踏むべきなんだろうが、ポカンと空虚な穴にいる。どういう感情なんだろ。野球で例えるなら、0対1で惜敗すれば悔し涙を流すだろうが、0対20の5回コールドで叩き潰されたらベンチの隅で泣くほどのアレもないよなーって感じ。
【5日目・栗山〜富川72.1km】
いったんリタイアすると、いっさいのプレッシャーから解放される。追いつめられた感は吹き飛び、鼻歌まじりで楽々走っている。昨日までの潰れっぷりは何だったのか。今や800キロ先のゴールという大目標を失い、今日という1日をせいいっぱい走るだけになった。明日に体力を残すことを考える余地はなく、怪我のリスクを回避するために自重する必要もない。制限時間を気にせず、ただ走るためだけに走る。何とお気楽なことか。リタイアしたくせに自戒の念に乏しく、すがすがしい気持ちでいることが不思議である。
「戦っている」という局面が1秒もないと、72キロという距離はやたらと短く、1日が楽々と過ぎ去る。
ゴール地点の宿「ペンション中村亭」は、女性向け風情のおしゃれ宿。夜食に豪勢な牛肉のバーベキューや、地元名産のししゃも料理を振る舞ってくれた。食べても食べてもまだ食い足りず、どんぶりメシを5杯おかわりする。すっかり体力回復してギンギンだ。
【6日目・富川〜浦河84.0km】
昼前から土砂降りの雨。路肩がほとんどない太平洋岸の産業道路は通行量が多く、行き交う自動車や大型ダンプカーのタイヤが跳ね上げる泥水をジャブジャブかぶる。シャツもパンツもドロまみれだが汗を洗い流してくれて気持ちよくてたまんね。天を仰いで口を開けてると雨が間断なく降り込んでくるから水分補給いらずで便利だ。
宿泊所のきれいなホテル「浦河イン」では、支配人さんがアイシング用の氷袋を大量に用意してくれていた。
夜、「のうみそジュニア陸上クラブ」の少年たち7人が合流する。今大会の「呼びかけ人」である御園生さんの主宰するジュニアランニングクラブの生徒たちだ。小中学生といっても、1500メートルや3000メートルをキロ3分ペースで走ってしまう立派なアスリート揃いである。彼らの目には、「歩いている方が速いだろう」ペースで朝から晩までよろよろ走っている大人たちはどう映るのだろうか。
【7日目・浦河〜えりも岬53.5km】
トランス・エゾにおいて「toえりも」と称される往路550キロはこの日でおしまいである。ズル休みした50キロを除外して500キロの距離を走ってきたが、進む時間のテンポが早く、「短いな」という印象が強い。「旅はもう半分も終わってしまった」と郷愁めいた心情に包まれる。
北海道の最南端、えりも岬に用意されたゴールゲートは、断崖の突端にある。荒々しい波が西側と東側から押し寄せては岩礁でぶつかり合っている。記念碑を背景に観光客が代わる代わる写真撮影している。吉田拓郎のメロディが鼻歌やらアカペラで、あちらこちらから聞こえてくる。日本人ならやっぱしあの唄を歌ってしまうよねえ。えりも岬に限らず「何もない」ということには豊かさがある、と思う。あの名曲は、何も持たない人間の強さや豊かさを歌っているのだろうか。
50キロすぎの留萌あたりまで快調に走っていたが、ふいに異変がやってきた。立ち小便をしているとき、指先に触れた小便がアチチ!と指を引っ込めるほど熱い。気のせいかと思い、人さし指にジョロジョロ流してみるとやはり熱湯のようだ。いったい体温は何度まで上がっているのか。
やがてアゴの先からボトボトボトボトッと見たこともない量の汗がしたたり落ち、両の掌の10本の指先から10列の汗がゲリラ豪雨の軒先みたいにしずくを垂れる。体内に蓄えてある水分がすべて逃げだしていく。これだけ急速に脱水するとヤバい。ペットボトルの水を喉に流し込むと、一瞬の後に盛大な噴水となってゲロ戻しする。身体が水分を受けつけない。
干からびるほど汗をタレ流してるのに、悪寒激しく鳥肌が立っている。奥歯がカチカチと鳴りだす。あまりの急変ぶりに「これって、死に瀕してる状態?」と怖くなり、公衆トイレの床に大の字になり20分寝る。休めば復活するかととの淡い期待も虚しく、路上に戻るとヒザから力が脱けてしまって走れない。
残り10キロ。「節度時間」の夜8時まで2時間以上を残しているが、ここから先、時速4キロペースで進めるのだろうか。少し歩いては道ばたにしゃがみ、立ち上がっては畑のあぜ道に寝る、を繰り返す。1時間経っても3キロも進まない。そのうち全員のランナーに追い抜かされる。みな足取りも軽く、元気そうだ。
残り2キロ。さえぎる物のない直線道路の先に温泉施設「サンフラワーパーク」が見えるはずなのに、歩いても歩いても照明の光粒ひとつ飛び込んでこない。本当にぼくは正しい道を歩いているのだろうか? 行く手には何もないのではなかろうか? 残り時間はほとんどないはずだが、もう時間なんてどうでもいいや。自暴自棄になり、意識も飛び飛びになってきた頃、ようやく温泉の駐車場が現れた。ゴールゲートがうつろな感じで揺れて見えた。いつもなら湧き上がるはずの「ヤッター」も「もう走らなくていいんだ」も感じない。消耗しすぎて、人間としての感情に乏しい。心には暗くて深い穴ボコしか空いてない。よろけながらゴールゲートをくぐると体重を支えるだけの筋力が足になく、アスファルトの地面にうつぶせに崩れ落ちてしまった。
【4日目・北竜〜栗山87.7km】
昨晩遅く、へろへろでゴールした後、先着の方が気をきかせて注文してくれてた「いくら丼」を前にして米粒ひとつ喉を通らず、レストランのテーブルに顔を突っ伏したまま動けなくなった。夜の選手ミーティングでは、床に寝たまま吐き気を抑えるので精いっぱい。トランス・エゾ1100キロを2年連続完走を果たした伝説的ランナー「キング」こと田畠さんがそっと氷袋を頭に置いてくれた。ひと晩じゅう洗面所でカラゲロえづき、ろくに眠れないまま夜が明けてしまう。
朝4時。スタートゲートに立っているのもやっとこさで長丁場の87キロを迎える。絶対に完走はあきらめたくない。時速6キロペースを保ちながら、節度時間まぎわにゴールすべく集団の後方に位置する。だが頭は真っ白、今どこを走っているのかも定かでなく、コースが示された地図を正しく把握する力はない。本来進むべき道を逸れ。3キロ以上も正規ルートを外れてしまう。
完走ギリギリペースでしか前進する力が残ってないのに20分以上のタイムロス。挽回しようともがくが、ジタバタ焦るばかりで速くは走れない。
一点の雲もなく晴れわたる空。直射日光が皮膚を焼き尽くさんとばかり容赦なく襲ってくる。30キロつづく直線道路には陽炎が揺れている。やがて前日と同様の熱中症の症状が出てくる。千鳥足、蛇行、50メートル歩いては座り込み、狂犬病の犬みたいにハァハァあえぐ。1キロに15分かかり、20分かかり、1キロという距離が果てしなく遠い。コンビニで買った2リッターの冷水を頭からかぶり、氷を全身になすりつけ、破れかぶれで鎮痛剤を倍飲みする。
モーター音のうるさい自販機にもたれかかったまま20分が過ぎる。もう何をやっても回復しそうにない。制限時間にも間に合わない。あぁ、ここで自分は断念するのだな、と思う。悔しさや悲しさが押し寄せてくるのかと思えばそんなこともなく、思考力がないからぼーっとして感情の揺らぎがない。
かろうじて理解している事実。たったの3日で、ぼくはトランス・エゾにノックアウトされた。
今日の行程50キロ以上を残し、JR砂川駅から鈍行列車を乗り継いで、ゴール地点である栗山町に移動する。温泉施設「サンフラワーパーク」の水風呂につかって体温を下げ、布団にもぐりこんでたっぷり眠ったあと、ゴールゲート前で完走ランナーたちを迎える。夜8時数分前、節度時間ギリギリになって遠くにヘッドランプの光が揺れだす。完走を守っている4人のランナーの姿が見える。力なく笑う顔は日焼けと汗が乾いてこびりついた塩でボロボロなのに、輝いている。こんな風に頑張れなかった自分に地団駄踏むべきなんだろうが、ポカンと空虚な穴にいる。どういう感情なんだろ。野球で例えるなら、0対1で惜敗すれば悔し涙を流すだろうが、0対20の5回コールドで叩き潰されたらベンチの隅で泣くほどのアレもないよなーって感じ。
【5日目・栗山〜富川72.1km】
いったんリタイアすると、いっさいのプレッシャーから解放される。追いつめられた感は吹き飛び、鼻歌まじりで楽々走っている。昨日までの潰れっぷりは何だったのか。今や800キロ先のゴールという大目標を失い、今日という1日をせいいっぱい走るだけになった。明日に体力を残すことを考える余地はなく、怪我のリスクを回避するために自重する必要もない。制限時間を気にせず、ただ走るためだけに走る。何とお気楽なことか。リタイアしたくせに自戒の念に乏しく、すがすがしい気持ちでいることが不思議である。
「戦っている」という局面が1秒もないと、72キロという距離はやたらと短く、1日が楽々と過ぎ去る。
ゴール地点の宿「ペンション中村亭」は、女性向け風情のおしゃれ宿。夜食に豪勢な牛肉のバーベキューや、地元名産のししゃも料理を振る舞ってくれた。食べても食べてもまだ食い足りず、どんぶりメシを5杯おかわりする。すっかり体力回復してギンギンだ。
【6日目・富川〜浦河84.0km】
昼前から土砂降りの雨。路肩がほとんどない太平洋岸の産業道路は通行量が多く、行き交う自動車や大型ダンプカーのタイヤが跳ね上げる泥水をジャブジャブかぶる。シャツもパンツもドロまみれだが汗を洗い流してくれて気持ちよくてたまんね。天を仰いで口を開けてると雨が間断なく降り込んでくるから水分補給いらずで便利だ。
宿泊所のきれいなホテル「浦河イン」では、支配人さんがアイシング用の氷袋を大量に用意してくれていた。
夜、「のうみそジュニア陸上クラブ」の少年たち7人が合流する。今大会の「呼びかけ人」である御園生さんの主宰するジュニアランニングクラブの生徒たちだ。小中学生といっても、1500メートルや3000メートルをキロ3分ペースで走ってしまう立派なアスリート揃いである。彼らの目には、「歩いている方が速いだろう」ペースで朝から晩までよろよろ走っている大人たちはどう映るのだろうか。
【7日目・浦河〜えりも岬53.5km】
トランス・エゾにおいて「toえりも」と称される往路550キロはこの日でおしまいである。ズル休みした50キロを除外して500キロの距離を走ってきたが、進む時間のテンポが早く、「短いな」という印象が強い。「旅はもう半分も終わってしまった」と郷愁めいた心情に包まれる。
北海道の最南端、えりも岬に用意されたゴールゲートは、断崖の突端にある。荒々しい波が西側と東側から押し寄せては岩礁でぶつかり合っている。記念碑を背景に観光客が代わる代わる写真撮影している。吉田拓郎のメロディが鼻歌やらアカペラで、あちらこちらから聞こえてくる。日本人ならやっぱしあの唄を歌ってしまうよねえ。えりも岬に限らず「何もない」ということには豊かさがある、と思う。あの名曲は、何も持たない人間の強さや豊かさを歌っているのだろうか。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
【8日目・えりも岬〜忠類82.1km】
朝5時。えりも岬から宗谷岬までの「toそうや」550kmに新たに参加するランナー10人、中間点であるえりも岬を折り返して復路に挑むアルティメイト1100kmの8人、旅を終えた「toえりも」参加者の2人、そして「のうみそジュニア陸上クラブ」の小・中学生たちとコーチ陣9人、総勢29人の大所帯が岬の突端に集結する。
【8日目・えりも岬〜忠類82.1km】
朝5時。えりも岬から宗谷岬までの「toそうや」550kmに新たに参加するランナー10人、中間点であるえりも岬を折り返して復路に挑むアルティメイト1100kmの8人、旅を終えた「toえりも」参加者の2人、そして「のうみそジュニア陸上クラブ」の小・中学生たちとコーチ陣9人、総勢29人の大所帯が岬の突端に集結する。
キャラバンの人数が倍以上に増え、新喜劇ばりのマシンガントークを繰り広げる関西からの参加者比率が高まったため、テンションの高い賑やかな集団に一新された。
朝モヤに包まれた乳白色のえりも台地をタンタン駆け下り、荒波打ち寄せる断崖直下の「黄金道路」と呼ばれる海岸道をゆく。30km北上すると最初の大きな街・広尾町手前の道沿いに「フンベの滝」がある。裸足になって滝壺に突撃し、脳天から冷たい水をかぶる。
後半戦初日は、82kmを11時間と速いペースでカバーしたが、さすが新メンバーたちは元気で、日暮れ前には続々とゴールした。
コンクリート打ちっ放しのオシャレな宿泊施設「ナウマン温泉ホテル」では、全ランナーの洗濯物を宿の方が洗ってくれるという。野犬の匂い並みの異臭漂う洗濯物、申しわけなく思うがお言葉に甘える。畳敷きの大部屋でランナー全員が布団を並べて雑魚寝。修学旅行みたいで楽しい。
【9日目・忠類〜新得87.5km】
昨日、新メンバーに負けちゃいられないと気負って走りすぎたか、ガス欠気味で脚に力が入らない。60kmあたりからトランス・エゾ名物の砂利道走「ジャーリーラン」エリアに突入。砂利石のサイズが大きくて着地のたびに足首をくじきそうで苦戦する。
ゴール手前10kmは「ヒグマが出る可能性もあり」と説明されたオフロードに突入。道に迷っていた2人のランナーと合流でき助かる。3人でワーワーとかしましく喋りへっちゃら感を装うが、熊の出現を警戒して小さな物音にも過剰反応するへっぴり腰。大阪から参加の縣(あがた)さんは、放っておけば朝から晩まで喋りつづける関西文化の象徴たる人物だが、ゴールを間近にして気分アゲアゲとなり、るぅるーるるるるるぅー♪と「北の国から」を熱唱しはじめる。かつて別の大会で熱中症で潰れているぼくを助けてくれた恩人であり指摘しづらいが、富良野はだいぶ先であり田中邦衛ムードに浸るには早すぎる。「熊よけも兼ねて3人で行こうや!」と名乗り出たのは縣さんだが、1人熱唱しながら先に行ってしまった。森が開けゴールゲートが見えると、その手前で仁王立ちし「みんな集団行動せなあかんでー!」と待っていてくれた。やっぱり楽しい人だ。
今宵の宿、新得温泉は実業団陸上部の夏合宿の場として活用されているらしく、壁にはたくさんの著名ランナーの色紙が飾られている。温泉は小ぶりながら茶褐色の鉄鉱泉はいかにも身体に効きそう。洗濯物が終わるまで湯船で長々と寝そべっていた。
【10日目・新得〜富良野79.8km】
北海道を東西に分ける背骨にあたる山脈の鞍部を越えて、中央の盆地地帯に下る日。
午前に標高644mの狩勝峠、午後には485mの樹海峠と2つの峠を越える。霧に覆われた狩勝峠を登り切ると、青空が水蒸気のベールを引っぺがし、蒸し暑い夏が戻ってきた。いつ果てるとも知らぬ長い下り坂を、重力にまかせてツッタカ下る。腕のGPSを見ればキロ4分台の猛スピードだ。強く着地してもぜんぜん平気。毎日70〜80kmも走るジャーニーランという一種異常な世界に人体が適応していく様には驚かされる。常識的に考えれば怪我や体調不良がひどくなって、だんだん弱っていくよね。ところが走れば走るほどバカみたいに強くなっていく。
午後には畑作地帯の農道を行く。水分を補給する場所が見あたらず20kmほど無補給でフラフラになり、ようやく公衆トイレにたどり着いたら、手洗い場の蛇口に「循環水です。この水は飲めません」と貼り紙。「循環水」とは何だろう? 行き倒れるよりマシかと生ぬるい水をごくごく飲む。ウンチを流した水を循環させているのだろうか。まさかそれはないと思うけど。
【11日目・富良野〜旭川大学66.9km】
30kmほど走って毎年トランス・エゾを応援してくれている新田農園さんに到着。山のように用意された採れたての野菜や果物をいただく。冷えたスイカは舌を焼くほど甘く、10切、20切と手が止まらず、ゆうにまるまる1個分を胃に収める。
午後、一大観光地である富良野・美瑛のパッチワークの丘をゆく。といっても、さんざ北海道の大自然を眺めてきた身としては、農場やらお花畑の風景よりも、大型バスで続々乗りつける群衆が物珍しい。無数の観光客がよってたかってスマホで牧草地の撮影をしている。トラクターや牧草ロールが転がる風景がシャッターチャンスのようだ。ロール牧草をラップもせず、ほどよい間隔で放置してあるのは観光撮影用なのだろうか。何となく不自然な風景だが、気にしないでおこう。観光地とはそういうものだ。
夕刻に旭川大学構内のゴールに着くやいなや近くの銭湯に取って返し、浴槽にドボンと飛び込む。痺れるほどキンキンに冷たい水風呂はアイシングに最適で、続々やってくるトランス・エゾ軍団みなで代わり番こに浸かる。
夜は旭川大学の柔道場をお借りし、畳の上でゴロ寝する。こういった公共施設を借りて宿泊を重ねていくのはジャーニーランっぽくていい。あらかじめ宅配便で寝袋、エア枕などを送っておいたが、道場内は暑いくらいで寝袋にもぐり込む余地もなく、腹を出して爆睡する。
【12日目・旭川大学〜美深98.3km】
ほぼ100kmを走る最長日はスタート時間前倒しで早朝3時。ってことは起床は2時。いやザコ寝用の寝袋を500m離れたコンビニから発送するため更に早起きが必要。ってことで午前1時30分には活動を開始する。もはや翌日なんだか前日なんだかわからない。
朝から晩まで走ることだけ考えてられるのもあと3日。名残惜しさ高まり、午前3時から驟雨をついて全力で走りだす。ジャーニーランは不思議だ。最初は皆いったんヘロヘロになるのに、何十km、何百km走ってるうちに疲れない身体、傷まない脚ができあがってくる。
倒木が道をふさぐ塩狩峠の旧道や、荒れ果てた温泉の廃屋のなかを突き進む。本当にこんな場所が正式なコースなのか?という疑問は薄れてきている。トランス・エゾとはそういうものなのだ。
終盤10kmほどを「のうみそジュニア陸上クラブ」の少年2人が併走してくれる。陸上競技どっぷり漬けの日々を過ごしているのかと思いきや、AKB48ならぱるるの脚がたまらないとか、恋愛系のネトゲの方がリアル恋愛より良いとか、中学生の少年らしい話題は尽きない。大人になると「今どきの若者は」なんて言いがちだが、自分が中学生んときの30年前と考えてることあんまし変わらないのね、と嬉しくなる。
100kmの長丁場も楽しさあまって短く感じた。あさってには終わりか、あと2カ月くらい続けばいいのに、そしたらもっとランナーとして強くなれるのに、と適わぬ夢想を抱く。
【13日目・美深〜浜頓別80.8km】
20km地点の音威子府の街を抜け樹林帯の一本道に入ると、後方からバリバリッと下草を踏みしめる異音が迫ってくる。木々をかき分けて前進しているのか、枝がボキボキ折れている。小動物ではない、巨大獣である。明からにぼくの存在を意識して追いかけてきている。
牧歌的なお昼に訪れた突然の恐怖展開に悲鳴も出せぬまま、この旅いちばんの全力疾走をし、道の反対側にエスケープする。姿こそ見えないが、大型のエゾシカか、あるいはヒグマか。
後にサポートカーで現れた大会呼びかけ人の御園生さんに、「大きい動物に追いかけられました!ありゃヒグマじゃないですかね!危機一髪ですよね!」と大コーフンして報告したら、御園生さんは「ヒグマ出ますよ。この辺は、フフフ」とごく当然のごとく微笑む。あ、そうなのね。
午後、アブの総攻撃を受ける。素手やタオルでバチバチ振り払っても、編隊を組んで襲ってくる。刺されると生半可な痛さじゃない。アブの住みかに人間が足を踏み入れてるわけで、攻撃されるのは当然とも言え、アブ諸君には何の罪もない。だが無慈悲なジェットストリームアタックを浴び続け、30カ所ほども刺されまくればガンジー的無抵抗の精神は霧散し、「殺生やむなし!」と100匹以上はたいて殺す。殺戮につぐ殺戮。きっとどこかでバチが当たるだろうね。
【最終日・浜頓別〜宗谷岬60.7km】
10日ぶりに見るオホーツク海は、曇天の下で鈍色にたゆたっている。
ジャンジャン降りの雨と、身体ごと持っていかれそうな暴風をかき分け、峠道をゆく。のんびり走る旅もいいけれど、ガツガツ走るのは最高。登りは心臓打ち鳴らしてシャカリキに、下りは脚をぐるぐるギャグ漫画みたいに回して。
北海道の夏は一瞬で過ぎ去った。走れば走るほど時間は短く感じられた。たいくつな授業は長く感じるが、楽しい夏休みの時はすぐ終わる。その短さだ。
北海道は、太平洋上に居並ぶ日本列島のうちの1島とは信じがたく、大陸のような威厳を誇っていた。丘陵の奥の奥まで続く1本道や、地平線までさえぎるもののない農地。警戒心なく開けっぴろげに話しかけてくる北海道のオバチャンやオッチャンたち。すべてが大陸的なおおらかさをまとっていた。
走ることが大好きなランナーたちと昼夜をともにできた。一人ひとり、走りはじめたきっかけは違うし、いま走っている理由も違う。人生観や生き方が誰しも違うように。だがここに集まっている人は掛け値なしに走るのが大好きな人たちだ。そんなわれわれを思い存分、走らせてくれるのがトランス・エゾというひとつの明瞭な世界だ。
宗谷丘陵を駆け下りると、14日間めざしつづけたゴールゲートがある。呼びかけ人である御園生さんが、先頭ランナーの到着時間に先回りして、毎日組み立てたゲートである。2つの脚立と、3本の洗濯竿をタテヨコに配置して組み立てられたゴールは、トランス・エゾの持つプーンと匂い立つような人間くささに溢れている。あのゴールをくぐれば終わってしまうんだな、と寂しさが再びこみ上げる。もはや暴風の類に属する横風はいっそう強くなり、最北端の岬を吹き飛ばしそうな勢いで吹いている。
朝モヤに包まれた乳白色のえりも台地をタンタン駆け下り、荒波打ち寄せる断崖直下の「黄金道路」と呼ばれる海岸道をゆく。30km北上すると最初の大きな街・広尾町手前の道沿いに「フンベの滝」がある。裸足になって滝壺に突撃し、脳天から冷たい水をかぶる。
後半戦初日は、82kmを11時間と速いペースでカバーしたが、さすが新メンバーたちは元気で、日暮れ前には続々とゴールした。
コンクリート打ちっ放しのオシャレな宿泊施設「ナウマン温泉ホテル」では、全ランナーの洗濯物を宿の方が洗ってくれるという。野犬の匂い並みの異臭漂う洗濯物、申しわけなく思うがお言葉に甘える。畳敷きの大部屋でランナー全員が布団を並べて雑魚寝。修学旅行みたいで楽しい。
【9日目・忠類〜新得87.5km】
昨日、新メンバーに負けちゃいられないと気負って走りすぎたか、ガス欠気味で脚に力が入らない。60kmあたりからトランス・エゾ名物の砂利道走「ジャーリーラン」エリアに突入。砂利石のサイズが大きくて着地のたびに足首をくじきそうで苦戦する。
ゴール手前10kmは「ヒグマが出る可能性もあり」と説明されたオフロードに突入。道に迷っていた2人のランナーと合流でき助かる。3人でワーワーとかしましく喋りへっちゃら感を装うが、熊の出現を警戒して小さな物音にも過剰反応するへっぴり腰。大阪から参加の縣(あがた)さんは、放っておけば朝から晩まで喋りつづける関西文化の象徴たる人物だが、ゴールを間近にして気分アゲアゲとなり、るぅるーるるるるるぅー♪と「北の国から」を熱唱しはじめる。かつて別の大会で熱中症で潰れているぼくを助けてくれた恩人であり指摘しづらいが、富良野はだいぶ先であり田中邦衛ムードに浸るには早すぎる。「熊よけも兼ねて3人で行こうや!」と名乗り出たのは縣さんだが、1人熱唱しながら先に行ってしまった。森が開けゴールゲートが見えると、その手前で仁王立ちし「みんな集団行動せなあかんでー!」と待っていてくれた。やっぱり楽しい人だ。
今宵の宿、新得温泉は実業団陸上部の夏合宿の場として活用されているらしく、壁にはたくさんの著名ランナーの色紙が飾られている。温泉は小ぶりながら茶褐色の鉄鉱泉はいかにも身体に効きそう。洗濯物が終わるまで湯船で長々と寝そべっていた。
【10日目・新得〜富良野79.8km】
北海道を東西に分ける背骨にあたる山脈の鞍部を越えて、中央の盆地地帯に下る日。
午前に標高644mの狩勝峠、午後には485mの樹海峠と2つの峠を越える。霧に覆われた狩勝峠を登り切ると、青空が水蒸気のベールを引っぺがし、蒸し暑い夏が戻ってきた。いつ果てるとも知らぬ長い下り坂を、重力にまかせてツッタカ下る。腕のGPSを見ればキロ4分台の猛スピードだ。強く着地してもぜんぜん平気。毎日70〜80kmも走るジャーニーランという一種異常な世界に人体が適応していく様には驚かされる。常識的に考えれば怪我や体調不良がひどくなって、だんだん弱っていくよね。ところが走れば走るほどバカみたいに強くなっていく。
午後には畑作地帯の農道を行く。水分を補給する場所が見あたらず20kmほど無補給でフラフラになり、ようやく公衆トイレにたどり着いたら、手洗い場の蛇口に「循環水です。この水は飲めません」と貼り紙。「循環水」とは何だろう? 行き倒れるよりマシかと生ぬるい水をごくごく飲む。ウンチを流した水を循環させているのだろうか。まさかそれはないと思うけど。
【11日目・富良野〜旭川大学66.9km】
30kmほど走って毎年トランス・エゾを応援してくれている新田農園さんに到着。山のように用意された採れたての野菜や果物をいただく。冷えたスイカは舌を焼くほど甘く、10切、20切と手が止まらず、ゆうにまるまる1個分を胃に収める。
午後、一大観光地である富良野・美瑛のパッチワークの丘をゆく。といっても、さんざ北海道の大自然を眺めてきた身としては、農場やらお花畑の風景よりも、大型バスで続々乗りつける群衆が物珍しい。無数の観光客がよってたかってスマホで牧草地の撮影をしている。トラクターや牧草ロールが転がる風景がシャッターチャンスのようだ。ロール牧草をラップもせず、ほどよい間隔で放置してあるのは観光撮影用なのだろうか。何となく不自然な風景だが、気にしないでおこう。観光地とはそういうものだ。
夕刻に旭川大学構内のゴールに着くやいなや近くの銭湯に取って返し、浴槽にドボンと飛び込む。痺れるほどキンキンに冷たい水風呂はアイシングに最適で、続々やってくるトランス・エゾ軍団みなで代わり番こに浸かる。
夜は旭川大学の柔道場をお借りし、畳の上でゴロ寝する。こういった公共施設を借りて宿泊を重ねていくのはジャーニーランっぽくていい。あらかじめ宅配便で寝袋、エア枕などを送っておいたが、道場内は暑いくらいで寝袋にもぐり込む余地もなく、腹を出して爆睡する。
【12日目・旭川大学〜美深98.3km】
ほぼ100kmを走る最長日はスタート時間前倒しで早朝3時。ってことは起床は2時。いやザコ寝用の寝袋を500m離れたコンビニから発送するため更に早起きが必要。ってことで午前1時30分には活動を開始する。もはや翌日なんだか前日なんだかわからない。
朝から晩まで走ることだけ考えてられるのもあと3日。名残惜しさ高まり、午前3時から驟雨をついて全力で走りだす。ジャーニーランは不思議だ。最初は皆いったんヘロヘロになるのに、何十km、何百km走ってるうちに疲れない身体、傷まない脚ができあがってくる。
倒木が道をふさぐ塩狩峠の旧道や、荒れ果てた温泉の廃屋のなかを突き進む。本当にこんな場所が正式なコースなのか?という疑問は薄れてきている。トランス・エゾとはそういうものなのだ。
終盤10kmほどを「のうみそジュニア陸上クラブ」の少年2人が併走してくれる。陸上競技どっぷり漬けの日々を過ごしているのかと思いきや、AKB48ならぱるるの脚がたまらないとか、恋愛系のネトゲの方がリアル恋愛より良いとか、中学生の少年らしい話題は尽きない。大人になると「今どきの若者は」なんて言いがちだが、自分が中学生んときの30年前と考えてることあんまし変わらないのね、と嬉しくなる。
100kmの長丁場も楽しさあまって短く感じた。あさってには終わりか、あと2カ月くらい続けばいいのに、そしたらもっとランナーとして強くなれるのに、と適わぬ夢想を抱く。
【13日目・美深〜浜頓別80.8km】
20km地点の音威子府の街を抜け樹林帯の一本道に入ると、後方からバリバリッと下草を踏みしめる異音が迫ってくる。木々をかき分けて前進しているのか、枝がボキボキ折れている。小動物ではない、巨大獣である。明からにぼくの存在を意識して追いかけてきている。
牧歌的なお昼に訪れた突然の恐怖展開に悲鳴も出せぬまま、この旅いちばんの全力疾走をし、道の反対側にエスケープする。姿こそ見えないが、大型のエゾシカか、あるいはヒグマか。
後にサポートカーで現れた大会呼びかけ人の御園生さんに、「大きい動物に追いかけられました!ありゃヒグマじゃないですかね!危機一髪ですよね!」と大コーフンして報告したら、御園生さんは「ヒグマ出ますよ。この辺は、フフフ」とごく当然のごとく微笑む。あ、そうなのね。
午後、アブの総攻撃を受ける。素手やタオルでバチバチ振り払っても、編隊を組んで襲ってくる。刺されると生半可な痛さじゃない。アブの住みかに人間が足を踏み入れてるわけで、攻撃されるのは当然とも言え、アブ諸君には何の罪もない。だが無慈悲なジェットストリームアタックを浴び続け、30カ所ほども刺されまくればガンジー的無抵抗の精神は霧散し、「殺生やむなし!」と100匹以上はたいて殺す。殺戮につぐ殺戮。きっとどこかでバチが当たるだろうね。
【最終日・浜頓別〜宗谷岬60.7km】
10日ぶりに見るオホーツク海は、曇天の下で鈍色にたゆたっている。
ジャンジャン降りの雨と、身体ごと持っていかれそうな暴風をかき分け、峠道をゆく。のんびり走る旅もいいけれど、ガツガツ走るのは最高。登りは心臓打ち鳴らしてシャカリキに、下りは脚をぐるぐるギャグ漫画みたいに回して。
北海道の夏は一瞬で過ぎ去った。走れば走るほど時間は短く感じられた。たいくつな授業は長く感じるが、楽しい夏休みの時はすぐ終わる。その短さだ。
北海道は、太平洋上に居並ぶ日本列島のうちの1島とは信じがたく、大陸のような威厳を誇っていた。丘陵の奥の奥まで続く1本道や、地平線までさえぎるもののない農地。警戒心なく開けっぴろげに話しかけてくる北海道のオバチャンやオッチャンたち。すべてが大陸的なおおらかさをまとっていた。
走ることが大好きなランナーたちと昼夜をともにできた。一人ひとり、走りはじめたきっかけは違うし、いま走っている理由も違う。人生観や生き方が誰しも違うように。だがここに集まっている人は掛け値なしに走るのが大好きな人たちだ。そんなわれわれを思い存分、走らせてくれるのがトランス・エゾというひとつの明瞭な世界だ。
宗谷丘陵を駆け下りると、14日間めざしつづけたゴールゲートがある。呼びかけ人である御園生さんが、先頭ランナーの到着時間に先回りして、毎日組み立てたゲートである。2つの脚立と、3本の洗濯竿をタテヨコに配置して組み立てられたゴールは、トランス・エゾの持つプーンと匂い立つような人間くささに溢れている。あのゴールをくぐれば終わってしまうんだな、と寂しさが再びこみ上げる。もはや暴風の類に属する横風はいっそう強くなり、最北端の岬を吹き飛ばしそうな勢いで吹いている。
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
夏も盛りの寝苦しい夜、女郎グモの罠にからみ捕られるように、逃れられない性にうなされる。クーラー設定19度、パンツを脱いでフリチンの股間に扇風機の強風をあてがっても、ギリシャの太陽に射すくめられた記憶をひっぺがすことができない。
夏も盛りの寝苦しい夜、女郎グモの罠にからみ捕られるように、逃れられない性にうなされる。クーラー設定19度、パンツを脱いでフリチンの股間に扇風機の強風をあてがっても、ギリシャの太陽に射すくめられた記憶をひっぺがすことができない。
「スパルタスロン」に出場しだして4年目である。3度挑戦して3連敗。1回目はハーフマラソンの自己ベストをマークするほどの突っ込みを敢行し91キロで玉砕。2回目は足の甲の疲労骨折を鎮痛剤ガブ飲みでごまかしきれず83キロから1歩も前に進めず。3度目は酷暑対策の未熟さをさらけだし、わずか39キロにて脱水症でアウト。いずれも100キロにすら到達できず、リタイア地点が毎年スタートラインに近づいているという将来展望のなさ。距離246.8キロのレースに参加する資格もない低次元な走りを繰り返しているわけである。果たしてこれほどの弱虫ランナーが、世界最高峰のウルトラレースに参加していいものかどうか。
難関であるから挑みたくなる。なぎ倒されても、はね返されても、挑みたくなる。簡単に受け入れてくれるレースならここまで取り憑かれない。昨年は悪コンディションの中、6度目のトライで初完走を成し遂げた人がいた。9回目にして初めてオリーブの冠を戴いた人もいる。12度つづけてリタイアしている人だっている。だからといって、自分の3度の失敗に免罪符を与える気はない。走力不足、準備不足。問題の核心は自分にあって、いくらでも改良できるんだから。
何としても完走したいのだ。もう収容バスはこりごりなのだ。惨敗した兵士たちを3キロのエイドごとに一晩じゅうかけて拾っていく地獄バス。車内はランナーたちのゲロの臭い、体臭が充満している。落ち込みすぎてうなだれひと言も発しない人、あるいはやけビールを食らってギャースカ騒ぐ空気読めない人。両者の気持ちは痛いほどわかる。だって全員、死ぬほどゴールに行きたかったんだから。葬祭場に運ばれるような気分の絶望バスには二度と乗りたくない。
今年は春に内臓疾患を患い、調整の遅れ甚だしかったが、5月からロング走を何本かこなすうちに「走れるかもな」という感触がつかめつつある。特に「川の道フットレース」の265キロと「東京湾一周ジャーニーラン」180キロは、100キロ以降の粘り脚を作るのに役立った。「思うように身体が動かない」「吐き気が収まらない」「足裏のダメージひどすぎて針の山」と感じた状態から、キロ9分以内で進みつづける泥くさ根性トレーニングになった。
スパルタスロンを完走するために、今やっているのはこんなのだ。
【走行距離とペース】 5月以降、月間走行500キロ以上はキープしている。去年はキロ6分のジョグを20〜30キロ走が中心だったが、今年は数日おきにキロ5分のペース走(10〜20キロ)を入れた。キロ6分のジョグは心肺機能の維持、フォームの改良、地足を固める、と課題をはっきりさせた。キロ5分のペース走を入れた理由は、スパルタスロン本番ではキロ5分30秒ペースで80キロまで押していく必要があるためだ。涼しくて平坦な道ならばそう難しくないのだが、真夏日和のなか登り下りの連続という条件下で、キロ5分ペースに慣れておくことが、本番でのキロ5分30秒に余裕度を持たせる。
【酷暑対策と水分摂取】 幸い今年の日本は気温が35度前後まで上がる日が多く、直射日光もカンカンで、絶好の酷暑対策ができている。スパルタスロンが行われる9月下旬、ギリシャは平均気温が35〜36度。暑くなる日は38度を越す。通常の完走率は30%程度だが、気温が上昇した年は20%まで落ちる。首都アテネでは7月現在で38度に達しているから今回も暑くなるのは確実とみておく。
脱水症に見舞われた去年と同じ轍は踏まない。脱水症状は突然現れる。直前まで何ごともなく走っていたのに、急にふらつき、目まいが起こり、真っ直ぐ走れなくなる。80キロまでは最低でもキロ6分を維持しないと関門に間に合わないから、脱水症にいったん陥るとアウトである。関門閉鎖は、体力の回復を待ってはくれない。
医学的には体重の3%が減少したら軽度の脱水、3〜6%の喪失で中度、10%以上なら重度とされている。重度になると寒け、意識混濁、痙攣などが起こるという。10%といえば体重60キロ台のぼくの場合6キログラムにあたるが、超長距離レースの直後にはふつうに落ちている範囲である。つまり日常的に重度脱水症のままで走っていることになり、そう特異な現象ではない。だからよほどじゃないと脱水症状など現れないはずだが、ごく短時間(2〜5時間)で6キロ以上汗が流れだし、水分補給が不十分だと、急性的な発症へと追い込まれるのだろう。
人体が吸収できる水分は主に小腸からで、1時間あたり600〜800mlとされている。走っている最中にはややこしい暗算ができなくなるので、1時間に1000mlは確実に摂取する、と決めておく。1時間はイコール距離10キロメートルに相当するから管理しやすい。しかし1000mlをガブ飲みすると胃が洗われ、逆に胃酸過多になる。エイドに用意されたスポーツドリンクをボトルに移し替え、ちょびちょびと摂取しなくてはならない。胃もたれによる脱力、むかつき、嘔吐を防ぐには、糖濃度の低いドリンクを摂取しなければならない。エイドのたびに濃ゆいコーラやオレンジジュースを飲むと、たちまち嘔吐につながる。
スパルタスロンでは、3〜5キロごとのエイドごとに関門時間が設定されていて、ぼくの走力だと残り5分〜10分でクリアしていくことになる。道端でゲロを吐くのに2〜3分取られていたら、稼いだ時間を浪費してしまう。嘔吐は避けられないが、回数を減らすために万策を尽くす。
【体重】 体重を1キロ落とせばゴールタイムが20分縮まる、とまで言う人もいる。あんまし信用してないけど。もちろんこの1キロとは筋肉や体液(汗)の1キロではなく、体脂肪分の1キロである。長距離走において体脂肪は足かせ以上の役割はなく、腹や尻についているだけでスピードを奪い、両脚へのダメージを深める。脂肪が最大のエネルギー貯蔵装置であるとしても、36時間走り続けるには体脂肪率6〜8%分もあれば十分なのであって、それ以上の脂肪はお荷物でしかない。
春に67キロあった体重は60キロまで落とした。あと2キロ絞れば体脂肪率も8%台になる。それでダイエットは完了だ。それ以上痩せると風邪ひき体質になってしまうし。
【食事】 ほぼ菜食に切り替えた。「ほぼ」というのは、厳密にではないということだ。人とめし食うときまで神経質に肉や魚を断ったりしない。無性に欲しくなれば我慢せず食べる。といっても月に1回くらい「シャウエッセン」を食べたくなるくらいだから苦労はない。つまり禁欲的かつ思想的なベジタリアンではなく、ただ消化・吸収効率をよくして、長丁場のレースのなかで運動エネルギーにちょろちょろと変換できる身体にしたいだけだ。1日1食は以前から変わらないが、摂取カロリーを減らしている。玄米・麦飯、漬け物、生野菜山盛り(何もかけない)で十分である。食塩も取らない。
疲労を除去するために、飲み物は果糖系のジュースはやめ、クエン酸飲料を常用している。「メダリスト」「アミノバイタル・クエン酸チャージ」などだ。また、膝の関節痛が出ないように気休めに「グルコサミン」を飲んでいるが、効いているかどうかはよくわからん。
たくさん走っているわりに、世間の人よりは少食だと思う。たくさん食べて、たくさん飲む、というのがタフネスなランナーの正しき姿みたいな気がするが、特にお腹は空かないし、無理して食べる必要もないと思うので、これでよい。
【フォーム】 フォームを変えた。スパルタスロンを完走するランナーの多く・・・といっても20時間台で走りきる特別な身体能力を持ったランナーではなく、30時間台後半で絶対にゴールまでたどり着くランナーたちは、下半身で走るのではなく、力強い腕振りで生じた振り子運動を下半身に伝えるような骨格の動きをしている。ちょっと説明が難しいが、上半身のパワーでもって、慣性の法則で全身をグイグイ前に持っていくイメージ。日本のランナーは細身の人が多いが、ヨーロッパの超長距離ランナーはガタイがデカい。胸板が厚く、腹回りもある。腕をたくさん振って、腿を高くあげず、競歩とマラソンの中間の走りをする。なかなかその域にまでは達しないが、今まで腕振りはリズムを取る程度の軽いスイングだったものを、「前へグイグイ」系に切り替えた。
□
4年もあれば、もっと違うことできたんじゃないかとも思う。これほどの労力と時間を別のことにかけたら、もっと世のため人のためになったのではないか、としみじみ思いを馳せたりもする。でもぼくは、具合のいいことに世のため人のために生きるほどの器はなく、誰のためにもならないことに時間と熱量を費やすのが得意なのである。そしてこのブ厚く、高い壁を突き破らなければ、一歩も先に進めない気もしているのである。
難関であるから挑みたくなる。なぎ倒されても、はね返されても、挑みたくなる。簡単に受け入れてくれるレースならここまで取り憑かれない。昨年は悪コンディションの中、6度目のトライで初完走を成し遂げた人がいた。9回目にして初めてオリーブの冠を戴いた人もいる。12度つづけてリタイアしている人だっている。だからといって、自分の3度の失敗に免罪符を与える気はない。走力不足、準備不足。問題の核心は自分にあって、いくらでも改良できるんだから。
何としても完走したいのだ。もう収容バスはこりごりなのだ。惨敗した兵士たちを3キロのエイドごとに一晩じゅうかけて拾っていく地獄バス。車内はランナーたちのゲロの臭い、体臭が充満している。落ち込みすぎてうなだれひと言も発しない人、あるいはやけビールを食らってギャースカ騒ぐ空気読めない人。両者の気持ちは痛いほどわかる。だって全員、死ぬほどゴールに行きたかったんだから。葬祭場に運ばれるような気分の絶望バスには二度と乗りたくない。
今年は春に内臓疾患を患い、調整の遅れ甚だしかったが、5月からロング走を何本かこなすうちに「走れるかもな」という感触がつかめつつある。特に「川の道フットレース」の265キロと「東京湾一周ジャーニーラン」180キロは、100キロ以降の粘り脚を作るのに役立った。「思うように身体が動かない」「吐き気が収まらない」「足裏のダメージひどすぎて針の山」と感じた状態から、キロ9分以内で進みつづける泥くさ根性トレーニングになった。
スパルタスロンを完走するために、今やっているのはこんなのだ。
【走行距離とペース】 5月以降、月間走行500キロ以上はキープしている。去年はキロ6分のジョグを20〜30キロ走が中心だったが、今年は数日おきにキロ5分のペース走(10〜20キロ)を入れた。キロ6分のジョグは心肺機能の維持、フォームの改良、地足を固める、と課題をはっきりさせた。キロ5分のペース走を入れた理由は、スパルタスロン本番ではキロ5分30秒ペースで80キロまで押していく必要があるためだ。涼しくて平坦な道ならばそう難しくないのだが、真夏日和のなか登り下りの連続という条件下で、キロ5分ペースに慣れておくことが、本番でのキロ5分30秒に余裕度を持たせる。
【酷暑対策と水分摂取】 幸い今年の日本は気温が35度前後まで上がる日が多く、直射日光もカンカンで、絶好の酷暑対策ができている。スパルタスロンが行われる9月下旬、ギリシャは平均気温が35〜36度。暑くなる日は38度を越す。通常の完走率は30%程度だが、気温が上昇した年は20%まで落ちる。首都アテネでは7月現在で38度に達しているから今回も暑くなるのは確実とみておく。
脱水症に見舞われた去年と同じ轍は踏まない。脱水症状は突然現れる。直前まで何ごともなく走っていたのに、急にふらつき、目まいが起こり、真っ直ぐ走れなくなる。80キロまでは最低でもキロ6分を維持しないと関門に間に合わないから、脱水症にいったん陥るとアウトである。関門閉鎖は、体力の回復を待ってはくれない。
医学的には体重の3%が減少したら軽度の脱水、3〜6%の喪失で中度、10%以上なら重度とされている。重度になると寒け、意識混濁、痙攣などが起こるという。10%といえば体重60キロ台のぼくの場合6キログラムにあたるが、超長距離レースの直後にはふつうに落ちている範囲である。つまり日常的に重度脱水症のままで走っていることになり、そう特異な現象ではない。だからよほどじゃないと脱水症状など現れないはずだが、ごく短時間(2〜5時間)で6キロ以上汗が流れだし、水分補給が不十分だと、急性的な発症へと追い込まれるのだろう。
人体が吸収できる水分は主に小腸からで、1時間あたり600〜800mlとされている。走っている最中にはややこしい暗算ができなくなるので、1時間に1000mlは確実に摂取する、と決めておく。1時間はイコール距離10キロメートルに相当するから管理しやすい。しかし1000mlをガブ飲みすると胃が洗われ、逆に胃酸過多になる。エイドに用意されたスポーツドリンクをボトルに移し替え、ちょびちょびと摂取しなくてはならない。胃もたれによる脱力、むかつき、嘔吐を防ぐには、糖濃度の低いドリンクを摂取しなければならない。エイドのたびに濃ゆいコーラやオレンジジュースを飲むと、たちまち嘔吐につながる。
スパルタスロンでは、3〜5キロごとのエイドごとに関門時間が設定されていて、ぼくの走力だと残り5分〜10分でクリアしていくことになる。道端でゲロを吐くのに2〜3分取られていたら、稼いだ時間を浪費してしまう。嘔吐は避けられないが、回数を減らすために万策を尽くす。
【体重】 体重を1キロ落とせばゴールタイムが20分縮まる、とまで言う人もいる。あんまし信用してないけど。もちろんこの1キロとは筋肉や体液(汗)の1キロではなく、体脂肪分の1キロである。長距離走において体脂肪は足かせ以上の役割はなく、腹や尻についているだけでスピードを奪い、両脚へのダメージを深める。脂肪が最大のエネルギー貯蔵装置であるとしても、36時間走り続けるには体脂肪率6〜8%分もあれば十分なのであって、それ以上の脂肪はお荷物でしかない。
春に67キロあった体重は60キロまで落とした。あと2キロ絞れば体脂肪率も8%台になる。それでダイエットは完了だ。それ以上痩せると風邪ひき体質になってしまうし。
【食事】 ほぼ菜食に切り替えた。「ほぼ」というのは、厳密にではないということだ。人とめし食うときまで神経質に肉や魚を断ったりしない。無性に欲しくなれば我慢せず食べる。といっても月に1回くらい「シャウエッセン」を食べたくなるくらいだから苦労はない。つまり禁欲的かつ思想的なベジタリアンではなく、ただ消化・吸収効率をよくして、長丁場のレースのなかで運動エネルギーにちょろちょろと変換できる身体にしたいだけだ。1日1食は以前から変わらないが、摂取カロリーを減らしている。玄米・麦飯、漬け物、生野菜山盛り(何もかけない)で十分である。食塩も取らない。
疲労を除去するために、飲み物は果糖系のジュースはやめ、クエン酸飲料を常用している。「メダリスト」「アミノバイタル・クエン酸チャージ」などだ。また、膝の関節痛が出ないように気休めに「グルコサミン」を飲んでいるが、効いているかどうかはよくわからん。
たくさん走っているわりに、世間の人よりは少食だと思う。たくさん食べて、たくさん飲む、というのがタフネスなランナーの正しき姿みたいな気がするが、特にお腹は空かないし、無理して食べる必要もないと思うので、これでよい。
【フォーム】 フォームを変えた。スパルタスロンを完走するランナーの多く・・・といっても20時間台で走りきる特別な身体能力を持ったランナーではなく、30時間台後半で絶対にゴールまでたどり着くランナーたちは、下半身で走るのではなく、力強い腕振りで生じた振り子運動を下半身に伝えるような骨格の動きをしている。ちょっと説明が難しいが、上半身のパワーでもって、慣性の法則で全身をグイグイ前に持っていくイメージ。日本のランナーは細身の人が多いが、ヨーロッパの超長距離ランナーはガタイがデカい。胸板が厚く、腹回りもある。腕をたくさん振って、腿を高くあげず、競歩とマラソンの中間の走りをする。なかなかその域にまでは達しないが、今まで腕振りはリズムを取る程度の軽いスイングだったものを、「前へグイグイ」系に切り替えた。
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4年もあれば、もっと違うことできたんじゃないかとも思う。これほどの労力と時間を別のことにかけたら、もっと世のため人のためになったのではないか、としみじみ思いを馳せたりもする。でもぼくは、具合のいいことに世のため人のために生きるほどの器はなく、誰のためにもならないことに時間と熱量を費やすのが得意なのである。そしてこのブ厚く、高い壁を突き破らなければ、一歩も先に進めない気もしているのである。
2014年02月08日
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