NEW TOPIC
2007年07月19日
読者の方から寄せられた「子どもの自然な表情が撮りたい」「手ぶれをしてしまう」「小顔、スリムに写りたい」「記念写真を頼むときの秘訣って?」というお悩みや疑問について、
解決ワザをご紹介しています。ちょっとしたコツを駆使して、この夏思い出に残る写真を撮りましょう!
2007年07月17日
素敵な料理でお腹もココロも満たしたい!
創作料理店・ダイニング100menu
カフェ、居酒屋、日本料理店、ダイニングバー。
いろんなお店で生み出されるアートのような一皿。
創作料理は料理人が培った経験とアイデアの宝庫なのです。
乙女ゴコロを揺さぶる可愛い見た目と
「このお店でしか食べられない」という特別感で
お腹もココロも幸せに♪
さらに…
2007年07月09日
月刊タウン情報トクシマ6月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ6月号の売部数は、
10117部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
2007年07月05日
月刊タウン情報CU*6月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*6月号の売部数は、
8192部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
輝いていると噂されている徳島の素敵な既婚女性たちに編集スタッフが会いに行ってきました。お料理上手なやさしい雰囲気の大人の女性、夫婦で阿波おどりをしている人、バレーが大好きな新妻、仕事とサーフィンと家事・子育てをさらりとこなすママ…その魅力にせまりました。
家事ワザや、チャレンジしたいこと、キレイの秘訣など、参考にしたいこともたくさん教えていただきました。
2007年06月29日
バーベキュー&キャンプ完全ガイド!
夏だ! 肌を焼くなら肉を焼け!仲間が集まったら気軽に行けるバーベキュー場と、手ぶらで行ける初心者向けから、サバイバル能力が試されるツウ好みなトコロまで、徳島県内のキャンプ場&コテージが43件も載ってます。
☆特集2☆
わが店の五つ星メニュー
シェフ・板前・店長さんが、「絶対うまいけん!」と太鼓判の一品を紹介。
2007年06月23日
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
イランのあちこちの村で、ぼくは「アヒョー」と奇声を発しながら暴れ回っていた。といっても、どこかの悪漢と戦っているわけではない。子どもたちのリクエストに応じているのである。
砂嵐のなかから突如現れた黒髪の東洋人に大コーフンした子どもちは、必ず「ブルース・リーやってやって」と激しくせがむのだ。ならばと下段回し蹴りからハイキックの二段蹴り、そして旋風開脚ローリングソバットという大技を繰り出せば、おおいに盛り上がる。さらに野次馬客からひとり生けにえを選び、四の字固めや猪木ばりの卍固めをかける。金縛りにあったかのような東洋の神秘的魔術(プロレス技だけど)に見まわれると、「この男、ただ者ではない」と畏敬の視線が集まる。
このカラテショウはたいした盛況ぶりで、常に何十人もの村人に取り囲まれやんやの声援をおくられる。演武をしているうち観客の目に「もっと見たい、もっとすごい技はないのか」と期待の炎が点る。 ぼくは悩む。高校の格闘研究会でやってたタイガーマスクの真似事では、収拾がつかなくなってきたのだ。
カラテショウに新たなエッセンスを加えられないかと、思いをめぐらせ街をほっつき歩いていると、商店の軒先にぶら下がったヌンチャクが目に飛び込む。値段は100円ほど。「ちょっと試しに」と店の前でブンブン振り回していると、わんさか人が集まってきた。得意の「アチョ〜」の雄叫びを入れてみると、割れんばかりの歓声と拍手。これだこれだ、求めていたのわー!
それから村に着くたびに、ヌンチャク芸を披露することと。乾いた空気を切り裂き、宙に踊るこん棒。トドメの一発をお見舞いして、キメのポーズをとる。見物しているお客さんがどんどんお金をくれる。「お金いらない、ただ見せてるだけ! これはぼくの趣味でありサービスです!」と大声で断わっても、「おもしろかったよ、とっておけよ若者よ」と返却拒否なのである。
イランで放擲しまくるはずが、豊かさとは縁遠い村人たちからお金を集めてしまってどーすんだ!と自分自身を責める。
日々お金は集まるのに、使い道はない。旅の連れであるパキスタン人の巡礼者一行は、ぼくに一銭のお金も使わせようともしない。食事を分け与え、乗り物代を出してくれる。遠慮しても断っても、まったく受け入れようとしない。そしてイランの人びとも、若い旅人であるぼくに食物と寝る場所を寄進してくれる。彼らは、自分より貧しい(と思われる)相手には決して金を払わせない。分け与え、奉仕する、そういう精神が全身に染みついているのである。
この旅のハイライトが近づいている。
公定レートの20倍もの闇両替で手にしたイラン・リアルの札束で、首都テヘランで思いぞんぶん贅の限りを尽くすのだ。快楽、放蕩、堕落、デカダンス。そんな魅惑の言葉がアタマを駆けめぐる。五つ星ホテルの高層階、給仕が注ぐ豊潤なグラスワインとフルコース、そしてフカフカのベッドで大の字に寝っ転びながら、夜景を絨毯に絶世の美女と・・・生唾を飲み込む。
巡礼者を乗せた乗り合いバスは、騒音けたたましいテヘランのバスターミナルに滑り込む。タイミングだ、タイミングが重用なのだ。この街に何か重要な用件があるように匂わせて、親切なパキスタン人たちから一気に離脱するのだ。
バスがプラットホームに着くやいなや、ぼくはイの一番にザックを棚から下ろし、「じゃあこの辺で」と別れを告げる・・・告げるはずだったその寸前、巡礼者のリーダーはこう言い放つ。
「兄弟、テヘランは巨大な都会だけどアセる心配はないぜ。俺たちの知り合いの所で寝泊まりできる。オマエはついてくればいいだけだ」。そしてガッチリと腕を取られる。ああ、逃げ出せなかった。こんな貧しい旅をしている彼らにさんざお金を払わせて、今さら「ぜいたくな生活を満喫したいからテヘランまでやって来た。ここからは別行動でお願いします」なんて切り出せない。
長い距離を歩いて到着したのは、巡礼者が泊まる簡易宿泊所であった。建物の地下にある穴蔵のような場所に荷物をおろす。壁も床もむき出しの土。荒いワラで編んだムシロが敷かれている。ボーゼンと立ちつくすぼくに巡礼者たちは「お金の心配はご無用だ。ここは無料さ」と励ましの声をかける。高級リゾートホテルで豪遊計画は、何の因果か真っ暗闇の巡礼者宿。こそこそと抜け出そうとすると「兄弟、どこいくんだ? 食事ならいっしょに行くぜ」。そして、またもや施しを受ける。晩ごはんはフレンチ・フルコースではなく、むろん庶民食堂のシシカバブーである。
イランには桃源郷がある、そう信じて旅を続けてきた。しかし、今ぼくは首都テヘランのどこの場所にあるとも知れぬ安宿の、さらに地下にある土ムシロの上で、一滴のぶどう酒を口にすることもなく、爆発寸前の欲望を抱えてらんらんとしたマナコで天井を見上げているのだ。
三千キロもの長い距離を、こうやって巡礼者たちと旅した。
砂礫と、岩山と、道。どこまでいっても変わらない風景。太陽がぐるっと天空を半周するあいだ、空が砂が接する境界の方に向かって、彼らは1日5度の祈りを捧げる。
宿場町もない砂漠の真ん中で、ときおりバスが停まると、乗客たちが四方へと散っていく。そのさまは熱砂の風に吹かれるうぶ毛の生えた種子だ。民族衣装の上着のすそをそのままに、彼らは砂漠のアチコチにしゃがみこむ。最初は祈っているのかと思った。しかしその敬虔さは感じない。もっと人間的な、安堵の匂い。ふだんは対立している厳しい自然と人間がなんとなく調和しあった関係。つまり彼らは、しゃがんで用を足しているのだ。イスラムの男たちは夕陽に染まる紅色の世界を、タンポポの種のようにゆらゆらと歩き、乾いた砂にわずかな湿り気を与えるのだ。
イランの旅を終え、パキスタンに入り、ぼくは相変わらず街角で大道芸カラテショウをやって見せ、いくばくかの収入を得ながら、衣食住のすべてを巡礼者の財布に頼って旅をつづけた。パキスタンとインドの国境近くの大きな工業都市ラホールが、彼らとの別れの街だった、
巡礼者のリーダーであるチェ・ケバラ似の男前氏は、「オマエに見せたいものがある」と、迎えにきた欧州車に乗りこむ。ピカピカに磨かれたツヤのあるボディの高級輸入車・・・ん?
野球場ほどの前庭を構える工場群を、車は猛スピードで進む。やがてひときわ立派な工場の門をくぐる。「私のファクトリーを見てくれたまえ」と述べる彼の顔はキリリと引き締まり、長く旅をともにしてきた土くれにまみれの巡礼者のものではない。油断のない笑顔をたたえたビジネスマンの顔である。工場に足を踏み入れると、巨大な印刷輪転機がうなりをあげ、制服をまとった従業員たちがキビキビと働いている。
(こりゃ、もしかして?)とアセる。
1カ月間、ともに砂漠で砂まみれになり、虫食いの毛布にくるまり、ムシロのうえで雑魚寝した巡礼男は、巨大な印刷設備をもつ印刷会社の御曹司だったのだ。彼は語りを止めない。「君はゆくゆくは本を出版する会社をしたいと言っていたね。君がいつか日本で大きな会社をつくったら、私の印刷所に発注してくれたまえ。もちろん安くしておくよ。日本に帰ったら安くインクを仕入れられる会社を調べてくれないか、日本のインクは品質がよくてね・・・」
そうなのだ。彼は大金持ちだったのだ。一生に一度のメッカへの巡礼を極めて質素に、そして貧しき者に施すことを務めとし、いっときの貧者を装っていたのだ。
「あひゃー!ほんなら気にせんとテヘランで豪遊したいってゆーたらよかった!!」というぼくの心の叫びは、印刷機の轟音にかき消されてゆくのだった。
砂嵐のなかから突如現れた黒髪の東洋人に大コーフンした子どもちは、必ず「ブルース・リーやってやって」と激しくせがむのだ。ならばと下段回し蹴りからハイキックの二段蹴り、そして旋風開脚ローリングソバットという大技を繰り出せば、おおいに盛り上がる。さらに野次馬客からひとり生けにえを選び、四の字固めや猪木ばりの卍固めをかける。金縛りにあったかのような東洋の神秘的魔術(プロレス技だけど)に見まわれると、「この男、ただ者ではない」と畏敬の視線が集まる。
このカラテショウはたいした盛況ぶりで、常に何十人もの村人に取り囲まれやんやの声援をおくられる。演武をしているうち観客の目に「もっと見たい、もっとすごい技はないのか」と期待の炎が点る。 ぼくは悩む。高校の格闘研究会でやってたタイガーマスクの真似事では、収拾がつかなくなってきたのだ。
カラテショウに新たなエッセンスを加えられないかと、思いをめぐらせ街をほっつき歩いていると、商店の軒先にぶら下がったヌンチャクが目に飛び込む。値段は100円ほど。「ちょっと試しに」と店の前でブンブン振り回していると、わんさか人が集まってきた。得意の「アチョ〜」の雄叫びを入れてみると、割れんばかりの歓声と拍手。これだこれだ、求めていたのわー!
それから村に着くたびに、ヌンチャク芸を披露することと。乾いた空気を切り裂き、宙に踊るこん棒。トドメの一発をお見舞いして、キメのポーズをとる。見物しているお客さんがどんどんお金をくれる。「お金いらない、ただ見せてるだけ! これはぼくの趣味でありサービスです!」と大声で断わっても、「おもしろかったよ、とっておけよ若者よ」と返却拒否なのである。
イランで放擲しまくるはずが、豊かさとは縁遠い村人たちからお金を集めてしまってどーすんだ!と自分自身を責める。
日々お金は集まるのに、使い道はない。旅の連れであるパキスタン人の巡礼者一行は、ぼくに一銭のお金も使わせようともしない。食事を分け与え、乗り物代を出してくれる。遠慮しても断っても、まったく受け入れようとしない。そしてイランの人びとも、若い旅人であるぼくに食物と寝る場所を寄進してくれる。彼らは、自分より貧しい(と思われる)相手には決して金を払わせない。分け与え、奉仕する、そういう精神が全身に染みついているのである。
この旅のハイライトが近づいている。
公定レートの20倍もの闇両替で手にしたイラン・リアルの札束で、首都テヘランで思いぞんぶん贅の限りを尽くすのだ。快楽、放蕩、堕落、デカダンス。そんな魅惑の言葉がアタマを駆けめぐる。五つ星ホテルの高層階、給仕が注ぐ豊潤なグラスワインとフルコース、そしてフカフカのベッドで大の字に寝っ転びながら、夜景を絨毯に絶世の美女と・・・生唾を飲み込む。
巡礼者を乗せた乗り合いバスは、騒音けたたましいテヘランのバスターミナルに滑り込む。タイミングだ、タイミングが重用なのだ。この街に何か重要な用件があるように匂わせて、親切なパキスタン人たちから一気に離脱するのだ。
バスがプラットホームに着くやいなや、ぼくはイの一番にザックを棚から下ろし、「じゃあこの辺で」と別れを告げる・・・告げるはずだったその寸前、巡礼者のリーダーはこう言い放つ。
「兄弟、テヘランは巨大な都会だけどアセる心配はないぜ。俺たちの知り合いの所で寝泊まりできる。オマエはついてくればいいだけだ」。そしてガッチリと腕を取られる。ああ、逃げ出せなかった。こんな貧しい旅をしている彼らにさんざお金を払わせて、今さら「ぜいたくな生活を満喫したいからテヘランまでやって来た。ここからは別行動でお願いします」なんて切り出せない。
長い距離を歩いて到着したのは、巡礼者が泊まる簡易宿泊所であった。建物の地下にある穴蔵のような場所に荷物をおろす。壁も床もむき出しの土。荒いワラで編んだムシロが敷かれている。ボーゼンと立ちつくすぼくに巡礼者たちは「お金の心配はご無用だ。ここは無料さ」と励ましの声をかける。高級リゾートホテルで豪遊計画は、何の因果か真っ暗闇の巡礼者宿。こそこそと抜け出そうとすると「兄弟、どこいくんだ? 食事ならいっしょに行くぜ」。そして、またもや施しを受ける。晩ごはんはフレンチ・フルコースではなく、むろん庶民食堂のシシカバブーである。
イランには桃源郷がある、そう信じて旅を続けてきた。しかし、今ぼくは首都テヘランのどこの場所にあるとも知れぬ安宿の、さらに地下にある土ムシロの上で、一滴のぶどう酒を口にすることもなく、爆発寸前の欲望を抱えてらんらんとしたマナコで天井を見上げているのだ。
三千キロもの長い距離を、こうやって巡礼者たちと旅した。
砂礫と、岩山と、道。どこまでいっても変わらない風景。太陽がぐるっと天空を半周するあいだ、空が砂が接する境界の方に向かって、彼らは1日5度の祈りを捧げる。
宿場町もない砂漠の真ん中で、ときおりバスが停まると、乗客たちが四方へと散っていく。そのさまは熱砂の風に吹かれるうぶ毛の生えた種子だ。民族衣装の上着のすそをそのままに、彼らは砂漠のアチコチにしゃがみこむ。最初は祈っているのかと思った。しかしその敬虔さは感じない。もっと人間的な、安堵の匂い。ふだんは対立している厳しい自然と人間がなんとなく調和しあった関係。つまり彼らは、しゃがんで用を足しているのだ。イスラムの男たちは夕陽に染まる紅色の世界を、タンポポの種のようにゆらゆらと歩き、乾いた砂にわずかな湿り気を与えるのだ。
イランの旅を終え、パキスタンに入り、ぼくは相変わらず街角で大道芸カラテショウをやって見せ、いくばくかの収入を得ながら、衣食住のすべてを巡礼者の財布に頼って旅をつづけた。パキスタンとインドの国境近くの大きな工業都市ラホールが、彼らとの別れの街だった、
巡礼者のリーダーであるチェ・ケバラ似の男前氏は、「オマエに見せたいものがある」と、迎えにきた欧州車に乗りこむ。ピカピカに磨かれたツヤのあるボディの高級輸入車・・・ん?
野球場ほどの前庭を構える工場群を、車は猛スピードで進む。やがてひときわ立派な工場の門をくぐる。「私のファクトリーを見てくれたまえ」と述べる彼の顔はキリリと引き締まり、長く旅をともにしてきた土くれにまみれの巡礼者のものではない。油断のない笑顔をたたえたビジネスマンの顔である。工場に足を踏み入れると、巨大な印刷輪転機がうなりをあげ、制服をまとった従業員たちがキビキビと働いている。
(こりゃ、もしかして?)とアセる。
1カ月間、ともに砂漠で砂まみれになり、虫食いの毛布にくるまり、ムシロのうえで雑魚寝した巡礼男は、巨大な印刷設備をもつ印刷会社の御曹司だったのだ。彼は語りを止めない。「君はゆくゆくは本を出版する会社をしたいと言っていたね。君がいつか日本で大きな会社をつくったら、私の印刷所に発注してくれたまえ。もちろん安くしておくよ。日本に帰ったら安くインクを仕入れられる会社を調べてくれないか、日本のインクは品質がよくてね・・・」
そうなのだ。彼は大金持ちだったのだ。一生に一度のメッカへの巡礼を極めて質素に、そして貧しき者に施すことを務めとし、いっときの貧者を装っていたのだ。
「あひゃー!ほんなら気にせんとテヘランで豪遊したいってゆーたらよかった!!」というぼくの心の叫びは、印刷機の轟音にかき消されてゆくのだった。
2007年06月17日
とくしま新入荷!夏のヒットアイテム500&
夏に食べたい!絶品夏グルメ
水着に浴衣、アクセサリー、アウトドア用品など
夏に欠かせない新アイテムを大公開!
そして、リゾート気分の多国籍料理や夏野菜を上手に活かしたヘルシーな一皿、ビールにスイーツなどなど、暑さも跳ね除けるおいし〜い夏グルメが大集合!
さらに…
2007年06月07日
2007年06月05日
月刊タウン情報CU*5月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*5月号の売部数は、
6565部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ5月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ5月号の売部数は、
8629部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
2007年05月30日
月刊タウン情報CU*4月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*4月号の売部数は、
8604部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
2年半前の創刊当時に比較し、2.4倍もの売れ行きにまで成長してきました。
ご購入いただいた読者の皆さま、誠にありがとうございました。
メディコムでは、「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
2007年05月28日
輝け! 2007年 徳島グルメランキング
おいしいお店に行ったなら、一番人気のメニューを食べなきゃ! そんなワケで、「人気店の人気メニューランキング」を教えてもらっちゃいました! 必食メニューばっかりです♪
ミス制服グランプリ第2弾、街一番の美女を探せ、美女数珠つなぎ・・・注目の美女企画もますますアツい!
2007年05月20日
イランと西側諸国との関係が危ういものとなりつつある。
何も起こらなければいいが、と念じる。
イランの人たちほど親切で、男気ある人たちをぼくは知らない。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
1989年冬はベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクが銃殺刑に処された動乱の年だ。揺れる東西ヨーロッパとはまったく無関係に、冬の深夜、ぼくはトルコとイランの国境にいた。
信じられないような大雪が降っていた。砂漠に雪が降ることを、ぼくは知らなかった。
何も起こらなければいいが、と念じる。
イランの人たちほど親切で、男気ある人たちをぼくは知らない。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
1989年冬はベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクが銃殺刑に処された動乱の年だ。揺れる東西ヨーロッパとはまったく無関係に、冬の深夜、ぼくはトルコとイランの国境にいた。
信じられないような大雪が降っていた。砂漠に雪が降ることを、ぼくは知らなかった。
1足100円の革靴は、ソールと革の部分の縫い合わせの糸がほどけ、足の指はみごとに露出していた。指先から凍った雪が侵入し、足を凍らせた。見たことのない巨大な結晶のぼたん雪が、頭や肩に重く降り積もる。
最後の街から国境までは、膝までのラッセルをしないとたどりつかないような悲惨な状況だ。「こんな思いがけない場所で凍死? ヒマラヤでもアフリカでもなく、単なる国境の街で遭難?」。そんな情けない気持ちで雪をかき分け歩く。
ぼくは、2年間もイランを目指していたのである。
80年代後半、あらゆる辺境の旅人がこう叫んでいたのである。「サンクチュアリってのはイランのことだ。すべての旅人はテヘランを目指すべきだ」。そして、突然フニャけたしまらない笑いを浮かべ、夢想の世界にひたりはじめる。よほどの忘れがたい思い出がイランにはあるというわけだ。
その頃、世界には「桃源郷」と呼ばれる街がいくつか存在した。
たとえばアフリカ中央部にあるザイールという国の巨大な大河・ザイール川沿いにあるキサンガニという街。そこには1泊100円で宿泊できる美しい西欧建築のホテルがあり、美人の給仕たちが最高のフランス料理を運んでくれ、そして旅人たちと恋に落ちるのだという。さらに。広大なザイール川の中に浮かぶ島には怪しくネオンサイン輝く魅惑の街があり、絶世のアフリカン美女たちが窓辺という窓辺から「こっちにおいで」と手招きをしている、とか。
あるいは中国とビルマの国境近くにあるガンランパという街。そこでは竹で組まれた高床式の旅籠に1泊50円で泊まれ、毎夜の南国の熟れた果実や、贅沢な肉・野菜料理が20皿も並び、酒は並々と器に注がれ、満足ゆくまで無限に飲食してもよい。エキゾチックなタイ族の美女が月夜に向かって琵琶を奏で、野生の動物たちが遠吠えで合唱する、とか。
美女を求める者はコスタリカ、モザンビーグ、ベトナムへ向かい、無法地帯を漂流したい者はパンガン、ゴア、カトマンズへ。そこにパラダイスがあると聞けば、貧乏旅行者たちは砂糖水に群がるアリのように、世界中からごそごそ集まるのだ。金はかけない。ヒッチハイクか、キセル(無賃乗車)か、自転車か、徒歩か。贅沢して三等列車の床か、トラックの荷台か・・・。どのような手段を使おうとその街に行きたい、その街に行けばどのような夢も現実となる・・・そんな憧憬の的であったのがイランの首都テヘランだったわけである。
理由は単純だった。闇両替・・・ブラックマーケットのレートが異常に高騰しているのだ。イラン・リヤルは、米ドルの公定レートに対して、15〜20倍の取引相場にまでなっていた。
つまり、こういうことだ。米ドルを持っていたら、市場価格の20分の1で値段でモノが買えるのである。しかも元々の物価が高くない国である。だから100円の定食が5円で食え、1000円の中級ホテルに50円で泊まれ、3000円のフルコース料理を150円で堪能でき、1万円のヒルトンホテルにたったの500円で泊まれる。
ボロ切れのような服をまとった貧乏旅行者といえど、数千円の軍資金さえあれば、王侯貴族のような生活ができる・・・という夢のようなお話。
「いつかテヘランに着いたら、ヒルトンに泊まって泡まみれのバスタブに浸かり、150円でフレンチ・フルコースを食べよう。そして中東一美しいと評判の国で、綺麗なお姉さんとデートしよう」
全身ダニ・南京虫に噛まれブツブツ、野生動物にも劣らぬ悪臭を放つ若者たちは、そうやって約束をし別れの時を惜しんだ。そして世界のいろんな場所から、中東の奇跡の街をえっちらおっちら目指したのだった。
風雪のトルコ・イラン国境に戻ろう。雪だるま状態になったぼくに、1人の男が声をかける。
「ヘイユー!国境はまだ遠いぞ、そのまま歩いていくつもりか? よかったら俺たちの車に乗れよ」
男が指をさす方向を見ると、幌もついていないトラックである。荷台には雪まみれになった雪だるま・・・いや人間が乗っている。そしてなぜかこっちを見て笑っている。女性も、子供も、老人もいる。男を見返す。濃いひげが顔中を覆っているが、瞳は街灯を映してキラキラ美しく輝いている。チェ・ゲバラ的美男子だと言える。 彼は再度ぼくに問う。「どこまで行くんだ?」。ぼくは返す「行く先は決めてないけど、インドまで行くつもりだ」。男は誘う「俺たちはパキスタン人だ。メッカに巡礼した帰りだ。いっしょにパキスタンまで行こう!さあ車に乗れ!」。ぼくには選択の余地もない。男に背を押され、トラックの荷台に詰め込まれる。
国境のイミグレーション、つまり出入国管理事務所は雪に覆われていた。たくさんの旅人が建物の中にいたが、イスラム系の商人や巡礼者はスムーズに通過しているようだった。パキスタン人の家族は、もちろん巡礼者のゲートに向かう。「出口で待ってるぞ」と肩を叩く。旅は道連れということなのか。
一方で、ヨーロッパからのツーリストは長い長い列を作っていた。ぼくはその最後尾に並ぶ。白人の若者たちがボヤく。「列に並んで1時間はたつけど、全然進まない。英国人なんてトルコ側に追い返されちまったぞ」。イランの国境役人は、旅行者のすべての荷物を開封し、1つ1つの物品について質問を繰り返している。ストーブの熱で全身につもった雪が溶けびしょ濡れになる。進まない列を1分に3歩ずつ前進する。国境を越えるのに一晩かかるか、と覚悟を決めかけたころ、突然ヒゲ面の役人がやってきて、ぼくに話しかける。
「お前はどこの国から来たのか?」と問う。「日本人です」と答えると、「こっちに来い」と強制的に列から引き離される。瞬時に、この数カ月の間で行った自分の悪事を振り返る。国境警備兵に拘束されるほどの犯罪はしていないはず、いやしている・・・あれがバレてるとヤバい。極度の不安に陥るが拒絶はできない。
いちばん奥の部屋に連行される。板張りのブタ箱行きを想像していたが、そこはきれいな絨毯がしかれた、いかにも上級役人の部屋であった。大きなテーブルの向こうに、仕立てのいい洋服を着た役人がおり、ぼくに目をやる。
「あなたは日本人か?」と彼も問う。工作員か何かと勘違いされてるのか? ぼくはパスポートをゴソゴソ取り出す。彼は、パスポートの表紙だけをチラリと一べつし、こう問いかける。
「あなたは『おしん』と関係はないのか? あなたの出身地は『おしん』が生まれた村とは近いのか、遠いのか?」
唐突なる質問ぼくは混乱する。「おしん」とは、あのNHK朝の連ドラのおしんのことか?
彼はやにわにズボンのすそをめくりあげる。ナイフか拳銃でも飛び出すのか?と身構えると、そこにはおしんのイラストがプリントされた「おしん靴下」が燦然と輝いている。どうやらこの国では、おしんがキャクターグッズ化されるほど流行しているのだ。イラン革命から10年、歴史は確かに転がる石のようだ。
靴下をめくりあげたままで、国境役人は語り続ける。「私は『おしん』を何度も見たよ。どんなに貧しくても、辛くても耐えるおしんの人生は素晴らしい。あのような苦労を日本人は乗り越えて現在にまで成長したのだから、日本という国も評価に値する。日本人はすばらしい民族であり、われわれと感性が似ている。イランへようこそ!」
少し涙ぐむほどの勢いで、どうやら歓迎をしてくれてるようなのだ。そして、がっちりと握手を求められる。写真を撮ろうじゃないか、なぜならお前の顔は「おしん」にそっくりじゃないか。みんなここに集まれよ。きみは真ん中に座ってくれよ。さあ撮るよ・・・。
国境役人との謎の記念撮影会が終わると、ぼくは荷物検査もフリーパスのVIP待遇で堂々イランに入国したのである。
背後から、何人もの役人が「おしーん」「おっしーん」「おすぃーん」と口々に叫んでいる。
国境の建物を出ると、パキスタン人の巡礼者家族が待ってくれていた。
「何時間もかかると思ってたのに早いな。いったいどんなテクニックを使ったんだ?」と、一目置いた表情でぼくを見る。おしんの話は内緒にしておこうと思う。
そして、大雪の中、またしても乗り合いトラックの荷台に詰め込まれ、移動が開始された。雪景色はやがて荒涼とした赤土の平原に変貌し、地平線まで続く砂漠になった。巡礼者たちの旅は過酷だった。無人の砂漠地帯は列車を使ったが、巡礼者同士でボロバスを借りることもあれば、トラックのヒッチをしそのまま荷台で毛布をかぶって寝る夜もある。皮膚という皮膚は、アカと砂が混じった泥質でおおわれた。巡礼者たちは親切で、ぼくを客人として丁重に扱いすべての食事をふるまった。モスリム(イスラム教徒)の人づきあいとは、こんなにも紳士然とし心優しきものなのだろうか。
しかし、ぼくは彼らと別れるスキを虎視眈々と狙っていたのである。このまま巡礼の旅に巻き込まれてるわけいかないのだ。首都テヘランでは、豪華なリゾートホテルの高層フロアにある、庶民の手の届かないフレンチレストランで、最高の女と最高の食事をする予定なのだ。そのためだけに3万キロ以上も移動しつづけてきたのだから。
(つづく)
最後の街から国境までは、膝までのラッセルをしないとたどりつかないような悲惨な状況だ。「こんな思いがけない場所で凍死? ヒマラヤでもアフリカでもなく、単なる国境の街で遭難?」。そんな情けない気持ちで雪をかき分け歩く。
ぼくは、2年間もイランを目指していたのである。
80年代後半、あらゆる辺境の旅人がこう叫んでいたのである。「サンクチュアリってのはイランのことだ。すべての旅人はテヘランを目指すべきだ」。そして、突然フニャけたしまらない笑いを浮かべ、夢想の世界にひたりはじめる。よほどの忘れがたい思い出がイランにはあるというわけだ。
その頃、世界には「桃源郷」と呼ばれる街がいくつか存在した。
たとえばアフリカ中央部にあるザイールという国の巨大な大河・ザイール川沿いにあるキサンガニという街。そこには1泊100円で宿泊できる美しい西欧建築のホテルがあり、美人の給仕たちが最高のフランス料理を運んでくれ、そして旅人たちと恋に落ちるのだという。さらに。広大なザイール川の中に浮かぶ島には怪しくネオンサイン輝く魅惑の街があり、絶世のアフリカン美女たちが窓辺という窓辺から「こっちにおいで」と手招きをしている、とか。
あるいは中国とビルマの国境近くにあるガンランパという街。そこでは竹で組まれた高床式の旅籠に1泊50円で泊まれ、毎夜の南国の熟れた果実や、贅沢な肉・野菜料理が20皿も並び、酒は並々と器に注がれ、満足ゆくまで無限に飲食してもよい。エキゾチックなタイ族の美女が月夜に向かって琵琶を奏で、野生の動物たちが遠吠えで合唱する、とか。
美女を求める者はコスタリカ、モザンビーグ、ベトナムへ向かい、無法地帯を漂流したい者はパンガン、ゴア、カトマンズへ。そこにパラダイスがあると聞けば、貧乏旅行者たちは砂糖水に群がるアリのように、世界中からごそごそ集まるのだ。金はかけない。ヒッチハイクか、キセル(無賃乗車)か、自転車か、徒歩か。贅沢して三等列車の床か、トラックの荷台か・・・。どのような手段を使おうとその街に行きたい、その街に行けばどのような夢も現実となる・・・そんな憧憬の的であったのがイランの首都テヘランだったわけである。
理由は単純だった。闇両替・・・ブラックマーケットのレートが異常に高騰しているのだ。イラン・リヤルは、米ドルの公定レートに対して、15〜20倍の取引相場にまでなっていた。
つまり、こういうことだ。米ドルを持っていたら、市場価格の20分の1で値段でモノが買えるのである。しかも元々の物価が高くない国である。だから100円の定食が5円で食え、1000円の中級ホテルに50円で泊まれ、3000円のフルコース料理を150円で堪能でき、1万円のヒルトンホテルにたったの500円で泊まれる。
ボロ切れのような服をまとった貧乏旅行者といえど、数千円の軍資金さえあれば、王侯貴族のような生活ができる・・・という夢のようなお話。
「いつかテヘランに着いたら、ヒルトンに泊まって泡まみれのバスタブに浸かり、150円でフレンチ・フルコースを食べよう。そして中東一美しいと評判の国で、綺麗なお姉さんとデートしよう」
全身ダニ・南京虫に噛まれブツブツ、野生動物にも劣らぬ悪臭を放つ若者たちは、そうやって約束をし別れの時を惜しんだ。そして世界のいろんな場所から、中東の奇跡の街をえっちらおっちら目指したのだった。
風雪のトルコ・イラン国境に戻ろう。雪だるま状態になったぼくに、1人の男が声をかける。
「ヘイユー!国境はまだ遠いぞ、そのまま歩いていくつもりか? よかったら俺たちの車に乗れよ」
男が指をさす方向を見ると、幌もついていないトラックである。荷台には雪まみれになった雪だるま・・・いや人間が乗っている。そしてなぜかこっちを見て笑っている。女性も、子供も、老人もいる。男を見返す。濃いひげが顔中を覆っているが、瞳は街灯を映してキラキラ美しく輝いている。チェ・ゲバラ的美男子だと言える。 彼は再度ぼくに問う。「どこまで行くんだ?」。ぼくは返す「行く先は決めてないけど、インドまで行くつもりだ」。男は誘う「俺たちはパキスタン人だ。メッカに巡礼した帰りだ。いっしょにパキスタンまで行こう!さあ車に乗れ!」。ぼくには選択の余地もない。男に背を押され、トラックの荷台に詰め込まれる。
国境のイミグレーション、つまり出入国管理事務所は雪に覆われていた。たくさんの旅人が建物の中にいたが、イスラム系の商人や巡礼者はスムーズに通過しているようだった。パキスタン人の家族は、もちろん巡礼者のゲートに向かう。「出口で待ってるぞ」と肩を叩く。旅は道連れということなのか。
一方で、ヨーロッパからのツーリストは長い長い列を作っていた。ぼくはその最後尾に並ぶ。白人の若者たちがボヤく。「列に並んで1時間はたつけど、全然進まない。英国人なんてトルコ側に追い返されちまったぞ」。イランの国境役人は、旅行者のすべての荷物を開封し、1つ1つの物品について質問を繰り返している。ストーブの熱で全身につもった雪が溶けびしょ濡れになる。進まない列を1分に3歩ずつ前進する。国境を越えるのに一晩かかるか、と覚悟を決めかけたころ、突然ヒゲ面の役人がやってきて、ぼくに話しかける。
「お前はどこの国から来たのか?」と問う。「日本人です」と答えると、「こっちに来い」と強制的に列から引き離される。瞬時に、この数カ月の間で行った自分の悪事を振り返る。国境警備兵に拘束されるほどの犯罪はしていないはず、いやしている・・・あれがバレてるとヤバい。極度の不安に陥るが拒絶はできない。
いちばん奥の部屋に連行される。板張りのブタ箱行きを想像していたが、そこはきれいな絨毯がしかれた、いかにも上級役人の部屋であった。大きなテーブルの向こうに、仕立てのいい洋服を着た役人がおり、ぼくに目をやる。
「あなたは日本人か?」と彼も問う。工作員か何かと勘違いされてるのか? ぼくはパスポートをゴソゴソ取り出す。彼は、パスポートの表紙だけをチラリと一べつし、こう問いかける。
「あなたは『おしん』と関係はないのか? あなたの出身地は『おしん』が生まれた村とは近いのか、遠いのか?」
唐突なる質問ぼくは混乱する。「おしん」とは、あのNHK朝の連ドラのおしんのことか?
彼はやにわにズボンのすそをめくりあげる。ナイフか拳銃でも飛び出すのか?と身構えると、そこにはおしんのイラストがプリントされた「おしん靴下」が燦然と輝いている。どうやらこの国では、おしんがキャクターグッズ化されるほど流行しているのだ。イラン革命から10年、歴史は確かに転がる石のようだ。
靴下をめくりあげたままで、国境役人は語り続ける。「私は『おしん』を何度も見たよ。どんなに貧しくても、辛くても耐えるおしんの人生は素晴らしい。あのような苦労を日本人は乗り越えて現在にまで成長したのだから、日本という国も評価に値する。日本人はすばらしい民族であり、われわれと感性が似ている。イランへようこそ!」
少し涙ぐむほどの勢いで、どうやら歓迎をしてくれてるようなのだ。そして、がっちりと握手を求められる。写真を撮ろうじゃないか、なぜならお前の顔は「おしん」にそっくりじゃないか。みんなここに集まれよ。きみは真ん中に座ってくれよ。さあ撮るよ・・・。
国境役人との謎の記念撮影会が終わると、ぼくは荷物検査もフリーパスのVIP待遇で堂々イランに入国したのである。
背後から、何人もの役人が「おしーん」「おっしーん」「おすぃーん」と口々に叫んでいる。
国境の建物を出ると、パキスタン人の巡礼者家族が待ってくれていた。
「何時間もかかると思ってたのに早いな。いったいどんなテクニックを使ったんだ?」と、一目置いた表情でぼくを見る。おしんの話は内緒にしておこうと思う。
そして、大雪の中、またしても乗り合いトラックの荷台に詰め込まれ、移動が開始された。雪景色はやがて荒涼とした赤土の平原に変貌し、地平線まで続く砂漠になった。巡礼者たちの旅は過酷だった。無人の砂漠地帯は列車を使ったが、巡礼者同士でボロバスを借りることもあれば、トラックのヒッチをしそのまま荷台で毛布をかぶって寝る夜もある。皮膚という皮膚は、アカと砂が混じった泥質でおおわれた。巡礼者たちは親切で、ぼくを客人として丁重に扱いすべての食事をふるまった。モスリム(イスラム教徒)の人づきあいとは、こんなにも紳士然とし心優しきものなのだろうか。
しかし、ぼくは彼らと別れるスキを虎視眈々と狙っていたのである。このまま巡礼の旅に巻き込まれてるわけいかないのだ。首都テヘランでは、豪華なリゾートホテルの高層フロアにある、庶民の手の届かないフレンチレストランで、最高の女と最高の食事をする予定なのだ。そのためだけに3万キロ以上も移動しつづけてきたのだから。
(つづく)
2007年05月17日
著者であるフォトグラファー中野晃治さんが、毎日新聞に掲載されました。
体験して初めてわかるその奥深い魅力とは…。ぜひ、「鳴ちゅる」を読んで、癒し系の鳴門のおうどんをちゅるちゅるしてみてください!
*「鳴ちゅる」は、徳島県内の書店・コンビニ・スーパーなど、またアマゾンジャパンにてご購入いただけます
番外編として、家事以外のシーンでもできる方法も伝授しています。
2007年05月15日
結婚しちゃお!春号の売部数は、
1359部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
2007年05月12日
●愛され創作ランチとこだわり専門店ランチ100
料理人のアイデアと技の集大成である
創作料理のランチメニュー「創作ランチ」。
また、カレー・イタリアン・日本料理…と、
その道を極めた匠の技が織り成す「専門店ランチ」。
今日はどんなお昼ごはんをいただこう?
さらに…
2007年05月08日
月刊タウン情報トクシマ4月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ4月号の売部数は、
9599部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
2007年05月06日
「若く見られたい」と必死の形相の人たち。その必死さがすでに若くない。恐い。
若さにどれほどの価値があるってーのかね。
無知の痛み、我を知らぬ痛み。若いって痛々さ以外に何がある?
できれば早く老いたい。一刻も早く老境に達したい。ちょっとぜいたくな望みだね。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
春に就職した諸君、もうそろそろ仕事がイヤになった頃じゃない? いやはや世間の風は冷たいでしょう。今までキミの意見に何かと耳を傾けてくれた大人たちが、ぜんぜん何も聞いてくれないでしょ?
若さにどれほどの価値があるってーのかね。
無知の痛み、我を知らぬ痛み。若いって痛々さ以外に何がある?
できれば早く老いたい。一刻も早く老境に達したい。ちょっとぜいたくな望みだね。
文責=坂東良晃(タウトク編集人)
春に就職した諸君、もうそろそろ仕事がイヤになった頃じゃない? いやはや世間の風は冷たいでしょう。今までキミの意見に何かと耳を傾けてくれた大人たちが、ぜんぜん何も聞いてくれないでしょ?
1年前、会社説明会やインターンシップ(職業体験)で、「私たちの仕事はこんなに素晴らしいんですよ〜!」と満面の笑顔で話しかけてくれたオジサンたちが突如一変し、鬼のような表情で「売上だー!ノルマ達成だー!利益だー!突撃とっつげきぃー!」と叫んでいるのを聞いて、「ええっ全然ちがうやん〜、職業体験とかしても意味なくね〜?」なんて思ったりしてるでしょう。
さんざ苦労して就職活動して、なんでこんなつまんねー会社に入っちまったんだろう、説明会で夢を熱く語っていた社長は、こんなケツの穴の小さい人間だったのかヨ・・・。
「効率、効率」とスローガン叫ぶわりに、ムダなことを延々やらされてる周囲と自分。
「意見を述べろ」と言うので思ったことを述べると「方針に従えないのか?」と怒られる。
それなりに憧れた仕事だったはずなのに、自分じゃなくてもできる単純作業ばかりでうんざり。高校で勉強したことも、大学で研究したことも、自分の趣味も個性も特徴も、何も生かされない。
飲みニケーションと称して上司や先輩のおもしろくない話を深夜まで聞かされる。仕事のグチ、同僚の悪口、誰かもわからない取引先の噂話、程度の低いエロ話、果てなく続く自分の自慢話。
やっとお開きかと腰をあげたら「次いこう、次」と誘われ、ブサイクがまとわりつくスナックに連れていかれる。こんなサエない上司に管理され、評価され、査定される。いやはや社会ってまったく大変なトコだ。
あ〜あ、何もかも捨てて逃げ出したい、なんてふと考えてしまう。
そんなときに「逃げるな!誰しもそれを乗り越えてきた!困難に立ち向かえ!」なんて前向きに諭してくれるポジティブマインドな友だちや体育会系の先輩がいるかもしれない。でもぼくはこう思う。
「逃げたきゃ、逃げろ!」
「人生、一度や二度逃げたくらいは屁でもない」
「逃げるんなら、とことん逃げろ!」
目の前のモノから逃げてはいけない、なんてストイックに考える必要はない。昔の偉人たちだって、若い頃はもっともらしい理屈をつけて、世間という鋳型からドロップアウトしたもんである。
逃走するなら、できるだけ惨敗ムードが漂うような逃げ方をしたいものだ。おすすめなのが船で逃げる方法。大阪南港と神戸港から「新鑑真」という船が中国の上海まで出ている。
片道2万5千円となかなかリーズナブルなお値段だ。
1週間に1本出航していて、お昼の便で出発すると、翌々日の朝に上海の街の近くのフェリー乗り場に着く。この船は、古くから貧乏旅をする若者の定番脱出コースとして愛されている。
かつては魔物が跳梁跋扈する上海の街、港に下りたとたん身ぐるみはがされることもあったが、今はまあまあ安全だ。
上海からは、北方のシベリアか、西方のチベットか、南方のシンドシナか、コインでも投げて適当に目指せばよい。
つぎはもっと楽な方法。とりあえずタイの首都バンコクまで飛行機で逃げるお手軽コース。関空から往復チケットで3万円代だから、徳島・東京間の往復運賃より安い。
バンコクで有名なカオサンロードというエリアは、世界中から逃げ出してきたやる気のない人たちで溢れかえっている。その規模数千人、いや数万人である。ニッポン人の若いのもうじゃうじゃいる。
これだけ全体にやる気がない人たちを見ていたら、「困難から逃げるのは卑怯者では?」なんて葛藤していた昨日までの自分の誠実さにもらい泣きしそうになる。
このグータラどもの肩書きは「旅行者」「ツーリスト」「バックパッカー」などであるが、実際は、「親金をむしばむパラサイトくん」「無職が自由だとカン違いしているフーテン野郎」「短期バイトと放浪の繰り返しでも自立してると思い込んでる痛い人」たちである。
そんな不安定な人たちが、世界一お気楽な場所を求めて集まった、世界一ダレた街がカオサンロードである。昼間からビールを飲み、フーテンたちと会話を楽しみ、1人前50円の安飯を食らう。逃亡当初はそれなりにやる気もあり、いいビーチを探したり、遺跡を見学したりするが、やがてそれもしなくなり、カオサンに戻ってきてはぐだぐだに1日を過ごす。
観光ビザが切れかけると、隣国への一時出国が必要になり、だんだんアジア一帯の沈没タウンや沈没宿に詳しくなってくる。(「沈没」というのは浮き上がってこれない人たちが巣食う場所のこと)
日本人が恋しくなると、ピュアな学生旅行者や金持ちツーリストが集まるカオサンに戻り、ナンパしたり、無銭飲食(たかり)を謀ったりする。なんの生産性もない無駄な時間。この街では誰も文句は言わないし、温かく迎えてくれる。逃亡初心者にとってカオサンロードは世界最高の安住の地なのだ。
だがさすがに半年もいると飽きてくる。腰が落ち着かなくなってくるが、心配はご無用だ。この街には世界中の都市への格安航空券が出回っている。
便数が多いから空席待ちすることもなく、気が向いたら24時間以内に好きなところに再逃亡できる。行き先によって運命が変わるかもしれないが、旅行目的が「逃亡」であるかぎり、自分の人格に影響を与えるほどの出来事は起こらない。
□ヒマラヤ・・・トレッキングと称して、世界の尾根が眺められる山村に入れば、堂々とぐうたらできるぞ。
□インドシナ半島・・・飯がうまく物価も安く遊びの幅も多い。10年はたいくつしなさそう!
□中国・・・漢民族エリアは生存競争がきつくて落ち着かないが、国境周辺の少数民族エリアには桃源郷が点在している。
□南洋諸島・・・移動に金がかかるが移動しなければ問題ない。開発されてない島を探し、海辺で寝て地上天国を満喫しよう。
□南アジア・・・落伍者の殿堂ともいえるインド。1泊2食付で150円くらいの宿はザラ。1年5万円で生きられる。
□中東・・・紛争地域を除けば逃亡者天国。イスラム教徒は礼儀正しく義理人情にあふれ尊敬できる。反米感情を高めつつうだうだしよう。
□南米・・・ナンパ天国、出会いの聖地。ダンスとミュージックと格闘技とサッカー漬けで毎日がカルナバルだ!
□中米・・・世界一の美女の宝庫。北米から降りてきた真面目な旅行者をナンパしながら、スペイン語教室に通い、だらだら過ごそう。
□アフリカ・・・世界最強の逃亡先。都会はヤバいが田舎は楽園。1年に10万円もあれば充分やっていけるぞ。
これら行き先のなかから、気に入った街を探し出し、新たな沈没地を探せばいいのである。
□
何でも中途半端がいけない。
マジメに働くなら働く、逃げるなら逃げる。はっきりしよう。世の中の大人たちはみなリングにあがって戦っている。そこはタテマエもへったくれもない生存競争の場だ。戦うのがいやなら素直にリングを降りて、逃亡したほうがいい。リングの隅っこに安全圏を見つけ、ブツクサ文句を言っているのは格好悪い。
会社を辞めることを恐れる必要はない。ニートになったあとで「自分はいわゆる下流かよ」と気づいてもしょげることはない。そもそもニッポン自体が国家間格差の頂点にいる。
バングラディシュの首都ダッカでは、街じゅうにスラムが広がっていて、残飯を寄せ集めたぶっかけメシ屋さんや焼きめし屋さんが繁盛している。ほくもこの「残飯定食」を食していたが、さまざまなエキスが渾然一体となって美味なものだ。
どんな場所でも、どんなに貧しくても、人間はどうにかこうにかやっていくすべを見つけられる。日本の最下流なんていったって、南アジアなら中流の上くらいの生活水準だ。だから安心して下流に生きればいい。
昔はもっと金持ちと貧乏の差がはげしかった。持ってるヤツと、持ってないヤツの差は歴然としていた。着ている洋服も違うし、ランドセルから取り出すフデバコも違う。貧乏すぎてフロ入れないヤツだっていた。わずか20年前はそうだった。
ここ数十年でニッポン全体の生活水準が急上昇した。どいつもこいつもケータイもって、美容室でオシャレに髪切って、音楽やりたければギターなんてすぐ買えるし、走り屋やりたければ中古車買って改造できる。
白人の国以外でこんな国ほとんどない。みんな金持ちになったんだ。もういいじゃねえか、これ以上リッチになる必要はない。
この数十年ニッポン人は、子どもたちに対して社会教育をほどこさず「あなたの個性を生かしなさい」「好きなこと、やりたいことをやりなさい」「人はみな平等です」「人とのコミュニケーションが大事です」などという甘い幻想教育ばかりをやりすぎたのである。
戦争を経験したぼくの祖母・祖父の世代の人たちは、そんなことは言わなかった。「はやく働きに出なさい」「親方(上司)に逆らってはいけません」「お金は1円でも大事にしなさい」「世の中に出たら悪いヤツがいっぱいいるからダマされるな」。
このような教育をほどこしてくれた。こっちの方が世界標準な考え方だと思う。
人類の歴史上、職業選択の自由なんかほとんどなかったのである。世界の大半の人たちは、生まれたときから定められたレールの上を生きていく。家系で受けつがれた職業につき、生まれ育った街に住み、親が信仰する神に祈る、そうやって一所懸命生きる。
そして食っていくために朝から夜中まで働く。それが世界標準。
ニッポン社会の現実の姿にガッカリし、うんざりだ窮屈だと嫌気がさした人は、逃げて逃げて逃げまくればいい。
大陸の果てまでぐだぐだの旅をして、世界標準のルールを見物したらよい。地の果ての人びとは、自分が抱えた運命と、産まれた国や街の風土のなかで生きている。
そんな光景を見たら、逃亡者も少しは自分本来の居場所がどこか、考え直すかもしれない。
社会復帰はそれからでよい。
さんざ苦労して就職活動して、なんでこんなつまんねー会社に入っちまったんだろう、説明会で夢を熱く語っていた社長は、こんなケツの穴の小さい人間だったのかヨ・・・。
「効率、効率」とスローガン叫ぶわりに、ムダなことを延々やらされてる周囲と自分。
「意見を述べろ」と言うので思ったことを述べると「方針に従えないのか?」と怒られる。
それなりに憧れた仕事だったはずなのに、自分じゃなくてもできる単純作業ばかりでうんざり。高校で勉強したことも、大学で研究したことも、自分の趣味も個性も特徴も、何も生かされない。
飲みニケーションと称して上司や先輩のおもしろくない話を深夜まで聞かされる。仕事のグチ、同僚の悪口、誰かもわからない取引先の噂話、程度の低いエロ話、果てなく続く自分の自慢話。
やっとお開きかと腰をあげたら「次いこう、次」と誘われ、ブサイクがまとわりつくスナックに連れていかれる。こんなサエない上司に管理され、評価され、査定される。いやはや社会ってまったく大変なトコだ。
あ〜あ、何もかも捨てて逃げ出したい、なんてふと考えてしまう。
そんなときに「逃げるな!誰しもそれを乗り越えてきた!困難に立ち向かえ!」なんて前向きに諭してくれるポジティブマインドな友だちや体育会系の先輩がいるかもしれない。でもぼくはこう思う。
「逃げたきゃ、逃げろ!」
「人生、一度や二度逃げたくらいは屁でもない」
「逃げるんなら、とことん逃げろ!」
目の前のモノから逃げてはいけない、なんてストイックに考える必要はない。昔の偉人たちだって、若い頃はもっともらしい理屈をつけて、世間という鋳型からドロップアウトしたもんである。
逃走するなら、できるだけ惨敗ムードが漂うような逃げ方をしたいものだ。おすすめなのが船で逃げる方法。大阪南港と神戸港から「新鑑真」という船が中国の上海まで出ている。
片道2万5千円となかなかリーズナブルなお値段だ。
1週間に1本出航していて、お昼の便で出発すると、翌々日の朝に上海の街の近くのフェリー乗り場に着く。この船は、古くから貧乏旅をする若者の定番脱出コースとして愛されている。
かつては魔物が跳梁跋扈する上海の街、港に下りたとたん身ぐるみはがされることもあったが、今はまあまあ安全だ。
上海からは、北方のシベリアか、西方のチベットか、南方のシンドシナか、コインでも投げて適当に目指せばよい。
つぎはもっと楽な方法。とりあえずタイの首都バンコクまで飛行機で逃げるお手軽コース。関空から往復チケットで3万円代だから、徳島・東京間の往復運賃より安い。
バンコクで有名なカオサンロードというエリアは、世界中から逃げ出してきたやる気のない人たちで溢れかえっている。その規模数千人、いや数万人である。ニッポン人の若いのもうじゃうじゃいる。
これだけ全体にやる気がない人たちを見ていたら、「困難から逃げるのは卑怯者では?」なんて葛藤していた昨日までの自分の誠実さにもらい泣きしそうになる。
このグータラどもの肩書きは「旅行者」「ツーリスト」「バックパッカー」などであるが、実際は、「親金をむしばむパラサイトくん」「無職が自由だとカン違いしているフーテン野郎」「短期バイトと放浪の繰り返しでも自立してると思い込んでる痛い人」たちである。
そんな不安定な人たちが、世界一お気楽な場所を求めて集まった、世界一ダレた街がカオサンロードである。昼間からビールを飲み、フーテンたちと会話を楽しみ、1人前50円の安飯を食らう。逃亡当初はそれなりにやる気もあり、いいビーチを探したり、遺跡を見学したりするが、やがてそれもしなくなり、カオサンに戻ってきてはぐだぐだに1日を過ごす。
観光ビザが切れかけると、隣国への一時出国が必要になり、だんだんアジア一帯の沈没タウンや沈没宿に詳しくなってくる。(「沈没」というのは浮き上がってこれない人たちが巣食う場所のこと)
日本人が恋しくなると、ピュアな学生旅行者や金持ちツーリストが集まるカオサンに戻り、ナンパしたり、無銭飲食(たかり)を謀ったりする。なんの生産性もない無駄な時間。この街では誰も文句は言わないし、温かく迎えてくれる。逃亡初心者にとってカオサンロードは世界最高の安住の地なのだ。
だがさすがに半年もいると飽きてくる。腰が落ち着かなくなってくるが、心配はご無用だ。この街には世界中の都市への格安航空券が出回っている。
便数が多いから空席待ちすることもなく、気が向いたら24時間以内に好きなところに再逃亡できる。行き先によって運命が変わるかもしれないが、旅行目的が「逃亡」であるかぎり、自分の人格に影響を与えるほどの出来事は起こらない。
□ヒマラヤ・・・トレッキングと称して、世界の尾根が眺められる山村に入れば、堂々とぐうたらできるぞ。
□インドシナ半島・・・飯がうまく物価も安く遊びの幅も多い。10年はたいくつしなさそう!
□中国・・・漢民族エリアは生存競争がきつくて落ち着かないが、国境周辺の少数民族エリアには桃源郷が点在している。
□南洋諸島・・・移動に金がかかるが移動しなければ問題ない。開発されてない島を探し、海辺で寝て地上天国を満喫しよう。
□南アジア・・・落伍者の殿堂ともいえるインド。1泊2食付で150円くらいの宿はザラ。1年5万円で生きられる。
□中東・・・紛争地域を除けば逃亡者天国。イスラム教徒は礼儀正しく義理人情にあふれ尊敬できる。反米感情を高めつつうだうだしよう。
□南米・・・ナンパ天国、出会いの聖地。ダンスとミュージックと格闘技とサッカー漬けで毎日がカルナバルだ!
□中米・・・世界一の美女の宝庫。北米から降りてきた真面目な旅行者をナンパしながら、スペイン語教室に通い、だらだら過ごそう。
□アフリカ・・・世界最強の逃亡先。都会はヤバいが田舎は楽園。1年に10万円もあれば充分やっていけるぞ。
これら行き先のなかから、気に入った街を探し出し、新たな沈没地を探せばいいのである。
□
何でも中途半端がいけない。
マジメに働くなら働く、逃げるなら逃げる。はっきりしよう。世の中の大人たちはみなリングにあがって戦っている。そこはタテマエもへったくれもない生存競争の場だ。戦うのがいやなら素直にリングを降りて、逃亡したほうがいい。リングの隅っこに安全圏を見つけ、ブツクサ文句を言っているのは格好悪い。
会社を辞めることを恐れる必要はない。ニートになったあとで「自分はいわゆる下流かよ」と気づいてもしょげることはない。そもそもニッポン自体が国家間格差の頂点にいる。
バングラディシュの首都ダッカでは、街じゅうにスラムが広がっていて、残飯を寄せ集めたぶっかけメシ屋さんや焼きめし屋さんが繁盛している。ほくもこの「残飯定食」を食していたが、さまざまなエキスが渾然一体となって美味なものだ。
どんな場所でも、どんなに貧しくても、人間はどうにかこうにかやっていくすべを見つけられる。日本の最下流なんていったって、南アジアなら中流の上くらいの生活水準だ。だから安心して下流に生きればいい。
昔はもっと金持ちと貧乏の差がはげしかった。持ってるヤツと、持ってないヤツの差は歴然としていた。着ている洋服も違うし、ランドセルから取り出すフデバコも違う。貧乏すぎてフロ入れないヤツだっていた。わずか20年前はそうだった。
ここ数十年でニッポン全体の生活水準が急上昇した。どいつもこいつもケータイもって、美容室でオシャレに髪切って、音楽やりたければギターなんてすぐ買えるし、走り屋やりたければ中古車買って改造できる。
白人の国以外でこんな国ほとんどない。みんな金持ちになったんだ。もういいじゃねえか、これ以上リッチになる必要はない。
この数十年ニッポン人は、子どもたちに対して社会教育をほどこさず「あなたの個性を生かしなさい」「好きなこと、やりたいことをやりなさい」「人はみな平等です」「人とのコミュニケーションが大事です」などという甘い幻想教育ばかりをやりすぎたのである。
戦争を経験したぼくの祖母・祖父の世代の人たちは、そんなことは言わなかった。「はやく働きに出なさい」「親方(上司)に逆らってはいけません」「お金は1円でも大事にしなさい」「世の中に出たら悪いヤツがいっぱいいるからダマされるな」。
このような教育をほどこしてくれた。こっちの方が世界標準な考え方だと思う。
人類の歴史上、職業選択の自由なんかほとんどなかったのである。世界の大半の人たちは、生まれたときから定められたレールの上を生きていく。家系で受けつがれた職業につき、生まれ育った街に住み、親が信仰する神に祈る、そうやって一所懸命生きる。
そして食っていくために朝から夜中まで働く。それが世界標準。
ニッポン社会の現実の姿にガッカリし、うんざりだ窮屈だと嫌気がさした人は、逃げて逃げて逃げまくればいい。
大陸の果てまでぐだぐだの旅をして、世界標準のルールを見物したらよい。地の果ての人びとは、自分が抱えた運命と、産まれた国や街の風土のなかで生きている。
そんな光景を見たら、逃亡者も少しは自分本来の居場所がどこか、考え直すかもしれない。
社会復帰はそれからでよい。