編集者のあやふや人生(コラム)

  • 2006年11月10日ガキ戦争
    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    インドではガキがチャイを売り
    カンボジアではガキが赤土を耕し
    シエラレオネではガキが戦場に立つ
    どんな環境でもガキはしぶとく生きるのだ

    いろいろなところで、いろいろな人たちが崩壊している。
    ある小学校の校長先生と話をする機会があった。彼は渋面である。
    「テレビなんかでは学級崩壊とよく言われますが、今は子どもさんより保護者の方がねぇ。授業参観にいらしても、授業をじっと見ることができず、廊下で大声でしゃべったり携帯電話で話したりメールしたり。私は保護者の方に、(授業をちゃんと見てあげてください)と頼んで回る役目なんですよ」
    小1シンドロームなんてのも耳にするようになった。小学校に入学直後の子どもが、授業のある1時間ちゃんと座っていることができない。立ってウロウロしたり、机の上を跳ねまわったり・・・という例の現象である。
    幼稚園の自由保育がつるしあげられたり、親とのコミュニケーション不足や過保護が原因とされる。お決まりの論調だ。

    社会を揺るがす大問題のように語られる学校教育の今だが、ぼくたちそんなに秩序正しい学校社会を生きてきたっけ?
    ぼくが小学校に通っていたのは30年くらい前だ。
    授業中、きちんと座って先生の話を聞いてるヤツなんてそんなにたくさんいなかった。
    騒ぐヤツ、ヨダレたらして寝てるヤツ、鼻くそほじくってるヤツ、ちんこ出してるヤツ。そんなんばかりだ。
    ガキってのは基本バカなんである。
    バカに対して、礼儀正しい立ち居振る舞いを期待する方がおかしい。
    猛獣使いのような先生が、恐怖政治でもって一時的に生徒を着座させることができても、その反動が必ず別の場所で出てしまう。
    休み時間や放課後に、イタズラやいじめとなって噴き出す。
    ヘビを捕まえたら歩道橋の上から車の荷台に投げつけ、猫がいたらケツの穴にロケット花火を刺す。カマキリのカマをちぎり、トンボの頭をむしる。それが伝統的なニッポンのフリーダムなクソガキのあり方だ。
    動物本来がもっている残虐性は、人間にだってある。それを自由に吐き出せるのは、幼年期しかいない。
    しかし今じゃ、学校の周りをウロウロする頓馬なヘビやカマキリはいない。
    暴力性を吐き出す方向が、きわめて限定的になってしまっている。

    子どもという生き物のタチの悪さを、ぼくは身をもって体験した。
    小学校のころ、それはそれは大いなる悪意に何年間もさらされたのだ。
    ぼくは小さな商店街のある小さな町で生まれたのだが、小1のときさらに田舎の小学校に転校した。なだらかな山と、メダカが泳ぐ用水路と、稲穂揺れる田園にかこまれたのんびりとした町。都会生活に疲れた人が見たら、第二の人生の終の棲家に考えたくなるような場所。
    ところが、転校先のガキたちはとんでもない閉鎖性を秘めていた。
    何事にもきっかけというものがある。出だしからぼくは失敗をやらかしたのだ。
    ぼくと彼らとの間には、保育園のカリキュラムに差があった。
    ぼくには小1の教科書が簡単に思えた。自分が先に進んでいることをすぐに自覚した。
    先生の質問に一人手をあげ、答えた。おそらく自信満々に、そしてスノッブに。
    ぼくは気分をよくしたが、彼らにはスタンドプレーに映った。
    次の日から、変化が起こった。
    机に鼻クソがすりつけられている。
    新しい消しゴムが真っ二つ。
    筆バコの中でミミズがうごめく。
    だんだんエスカレートしてくる。
    机からは腐ったチーズが登場。
    イスにびっしょり小便がかけられている。
    ランドセルの中から腐った匂いの雑巾が出てくる。
    大便用のトイレの上からバケツの水が降りかかる。
    背後から野球ボールが顔面に投げつけられる。
    当時は「いじめ」という言葉がなかった。自分の身の上になにが起こったのかわからなかった。
    それまでの短い人生で、周囲からこのような圧力を受けたことはなかった。
    ぼくはこの場所では異物なのだと認識せざるをえなかった。
    田舎の人づきあいは狭い。学級全員が幼児の頃からの幼なじみなのである。
    そんな小さなコミューンに、自分ははじめて侵入してきた異物だったわけだ。
    異物は排除する、それは人間が得意とする所作である。
    幼い頃は運動能力が低く、まわれ右や足踏み行進すらできなかったぼくに、反撃の機会はなかった。
    だが、支配する側とされる側の仕組みを勉強するチャンスが与えられた。

    暴力はおさまることなく何年間かつづいたが、いろんなことに気がついた。
    このようなヒドい目にあっているのは、どうやら自分だけではない。
    知的に問題のある子ども、運動ができない子ども、家が裕福でなく学生服を洗ってない子ども、それらの「弱者」は、やはり同じような目にあわされている。
    ガキの集団は、単純な論理に支配されている。体力があるか、頭がいいか、金持ちか。その3つのうちのいずれかの要素を持てば、悪意には支配されないのである。
    いじめる側の中心人物は常にクラスのヒーローであり、先生のウケもいい。女子にもモテモテだ。
    彼らは智謀を駆使し、その正体を大人には見せない。とても賢いのである。
    いじめにはブームがあることにも気がついた。
    ある時期、誰かを集中的にいじめると、ターゲットは変更される。ぼくはそれを「嵐」と名づけた。耐え切れば、「嵐」はいつか弱風になる。いじめる方も飽きてくるのだ。カタルシスを感じないと、いじめている理由がない。
    ぼくはてっとり早く体を鍛えることにした。
    「月刊ゴング」という雑誌に、プロレスの神様カール・ゴッチの身体のトレーニング方法のレポートがあった。
    カール・ゴッチは、ウエイトトレーニングは行わない。自身の体重を利用して鍛錬するのだ、という記事。本当に強くなるためにマシンはいらない、自分の体を自由にあやつれるようになるべきだと神様は語る。
    それ以来、毎日ヒンズースクワットを300回した。木があれば枝に飛びつき、懸垂をした。
    上級生になると、腹筋が割れはじめ、上腕二等筋が盛り上がった。
    「2」だった通信簿の体育が「5」になった。リレーの選手になった。それだけのことで、いじめの対象から外れた。
    簡単な論理に気づき、それに対処した。それだけのことで地獄から脱出できる。貴重な学習であった。

    中学校になるといじめとは違うバイオレンスが待ちかまえていた。
    ぼくは野球部員だったが、野球部の部室は暴力の巣窟であった。
    相手は顔中に硬いヒゲを生やした男性ホルモン全開のヤンキーの先輩たちだ。
    暴力に理屈もへったくれもなかった。
    練習後は必ず呼び出しをくらい、先輩5人くらいに囲まれ、壁に押さえつけられる。
    陸上競技用のスパイクで顔面を殴られる。顔面に穴があく。
    空気銃で太ももや尻を撃たれる。撃たれたところは腫れ上がり、ドス黒く内出血する。
    野球のバットにまたがらされ、両方から持ち上げられる。股間を激しく打たれると、うめき声も出せない。
    拷問さながらの暴力であったが、小学生の悪意に比べると、大したことないと思えた。
    痛がると相手は悦ぶのである。だからぼくは、苦痛を表現しない。それは小学生の頃に学んだ防衛方法だ。
    どんな攻撃にも、涼しい顔をしていると相手はつまらなくなる。そして暴力は収まる。
    これは喧嘩をするときの鉄則でもある。
    苦しむほど、相手は悦ぶ。苦しまないと、相手はひるむ。この論理も単純だ。

    中学校でも、凶暴な先輩ほど人気があった。
    強い者は人望を集め、舎弟をひきつれる。強い者は、(外見が)いい女とつきあえる。単純だ。
    要するにヤクザ屋さんと同じ力の論理が、子どもの集団も支配しているのだ。
    極端に荒れた中学校ではなかったが、当時の世間標準並みには問題を抱えていた。
    マワしの噂は絶えず、タチの悪い大人の仲介で大阪の風俗店に働きにいく女子もいた。夏休み明けには、お決まりの売春、妊娠、中絶。平成の今のように、ガキは生きるのがうまくなかった。
    同級生の男子のうち何人かが、風俗通いをはじめた。
    最初は地元のチンピラの兄さんがつれていってくれる。そしてなじみの店をつくり、自分たちででかけていく。
    ちんげも生えそろっていないのに、小人料金を払って汽車に乗り、1時間かけて徳島市の風俗街に遠征にいくのだ。
    凱旋した彼らは、プロのおねえさんがいかに優しく素晴らしいサービスをしてくれたかという話を、滔々と吟じる。
    その講談を、田舎の童貞どもがコーフンキミに聞き入る。風俗軍団は最強ヒーローだ。
    中学生の分際でパンパン通りとやらに風俗通いするのも、それをもてはやすのもバカの極みである。
    だが仕方がない。ぼくたちガキは元からバカなんである。

    世の中ずいぶんスマートになった。
    このごろは暴走族もちゃんと左側走行し、交通ルールを7割くらいは守っている。
    路上で血まみれの殴り合いなどめったに見なくなった。
    女子高生の大半がミニスカートで街を歩き、強姦や殺人が頻発しない国はあまりないだろう。
    昔に比べたら、ホントみんなおとなしくなった。健全な社会になったのだ。
    「キレる子ども」なんてのが問題視されてるが、子どもってのは元からブチキレてるもんだ。
    ガキは、ガキたちの小さな世界で悪どいことも非人道的なこともやっている。
    そして傷ついたり傷つけたり、差別したりされたりしながら、社会に出る準備をする。
    学校のいじめっ子より遥かに頭が良くてタチの悪い連中が、社会にはウヨウヨしている。
    ガキのときに鍛えられてないと、社会に出て自力で渉りあっていけない。

    ぼくの脳みそは、今でもガキの頃と同じ宇宙にいる。
    お金もうけを考えたり、偽善を吐いたり、仮想敵を作ったり、人を裏切ったり、嘘で説得したりする。
    どうにか隙間をぬって生きる方法を探しながら、ゴキブリのように這いまわる。
    権力と多数意見を前にした人間の愚かさ、暴力的なプレッシャーへの対処、マイナスの局面をプラスに変える方法。
    ぜんぶガキの頃に学んだことが生きている。
    だれもが正義では生きていない。
    人間という利己的な個を組み合わせ、ポジティブな集団に変えるマジックがある。
    その難問の答えを出すのは、どんなロールプレイングゲームより楽しい。ガキの頃から解き続けてる最上級のクイズだ。
    ガキの時代、「嵐」にさらされなかったら、脳みそはぷるんぷるんのプリン化してるだろう。

    だから、いじめられ中の諸君、ヤツらに授業料を払ってやれ。仕返しはボチボチやるってことで!
  • 2006年10月21日カイシャってやつを見極めよう
    文=坂東良晃(タウトク編集人)

    「夢がないと生きていけない!」なんてコピーが踊る成功者の自伝があれこれベストセラーになってる。夢やビジョンを100個あげてノートに写したり、目標を達成する予定日をシステム手帳につけたりと、なにかとメモしなくちゃいけない。けっこう大変だ。真似しようとしても三日坊主で終わりそうな自己啓発本が売れる世相って何なんだ。
    成功者が成功の秘訣を語るのは勝手だが、それを真に受ける人が少なからずいるのが問題だ。
    特に冴えない経営者のたぐいは、ビジネス指南書を鵜呑みにする傾向がある。
    プレジデント、フォーブス、ダイヤモンド、日経ビジネス、東洋経済。
    デスク上に、こんなビジネス雑誌がずらり並び、仕事中に読みふけっている経営者がいたら、ちょいやばい。これら雑誌には、偉大なる経営者の金言や改革のストーリーが紹介されている。
    古くは松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、井深大、ウェルチにドラッガー。もっと古くは勝海舟、吉田松陰、紀伊国屋文左衛門、信長・秀吉、劉備に曹操、孔子の論語に孫子の兵法。
    最近では御手洗冨士夫、渡邉美樹、久多良木健、柳井正、ゲイツにジョブスにヤンさん・・・。
    新境地を切り開いてきた立派な人物たちの言葉を、ちょこちょこと引用したがる経営者の長い訓辞に付き合うのは、従業員は苦痛だろう。
    誰でも知ってるよな本田宗一郎氏の名言を、熱く感動的に語られるとゲンナリしてしまう。
    自分の方向性もはっきりしないのに、「君たちは、まずビジョンをもつことが大事だ!」なんてことを、突然言い出したりもする。ビジョンなんてねえ、普通はないんです。あるとしても、そりゃ後づけでムリヤリ考えたもんです。
    人間は、「好き」「嫌い」でしか生きられない。もしくは、食ってくためにしか生きられないんです。ビジョンとはイコール、自責の念から逃れるために本当の欲望を隠すための言いわけ、つまりは自己防衛の所作だ。
    ケーハク経営者の述べる「ビジョン」のウソを見抜かないといけない。ウソの典型はこうだ。
    ・世の中をこう変えよう!(世の中を自分の都合のよいように変えよう!)
    ・顧客に感動を与えたい。(感動はお金に換わるのだから)
    ・利益の一部は社会福祉に還元しよう。(節税できるし評判もあがるからね!)
    大きすぎてワケのわからくなったビジョン、抽象的なビジョンは経営者にとって都合がいい。
    「地球環境に貢献する」「誰もが夢を持てる世の中にする」くらいのスケールで語っておけば、細かいことは誤魔化せそうだ。
    さて、ここからは経営者たちがつくペテントークを、具体的に検証したい。わかりやすく事例をあげるために、創業経営者バージョンでお届けしよう。つまりウソつき初級編だ。

    経営者 「キミたち社員には給料を払う。オレは事業が軌道に乗るまで一文ももらわないからな!」
    従業員 「しゃ、社長ー! ご自分を犠牲にしてオレたちに給料出してくれて、感動です!」
    その感動はNG。オーナー経営者は、給料をとろうがとるまいが結果としては一緒なんです。
    自分がつくった会社から役員報酬としてお金を個人口座に移動させようがさせまいが、結局さいごは創業者(家族・親戚が名目株主のオーナー企業ね)のものになるのである。会社名義の口座にお金を置いているか、個人名義の口座に移動させたか、それだけの話である。お金をどこに置いておくかを決めるのは、どっちが税務上得なのかで判断される。
    「私は起業から1年間、1円の給料も取らなかったのだよ・・・」なんて思い出トークを平然とする経営者がいる。
    商売を初めた当初はまとまった収入があるはずないから、無給は当然である。また、無給といっても会社の口座にはお金は入ってきているから、それは資産となる。会社は存続すればいずれ他人に譲る。売却する際には会社資産に値段がつけられ、その代価は経営者のものとなる。
    当たり前の話を、さも大変なことのように語り、自らの清貧さをアピールしようとするのはエセ度☆☆だ。

    こんなトークもよく耳にする。
    経営者 「オレは数千万円の借金を背負ってボロボロになった。それでもチャレンジした」
    ブ〜イングである。現金をたっぷり相続してない人間なら、商売を始めるときに借金するのは当たり前である。てゆうか、初めて商売を興すときに何千万円も借金できるのは、元々担保価値のある土地家屋を所有していたから以外にない。銀行は、どんな立派な企画書を書いてもお金は貸してくれないからねぇ。儲けるために先行投資する。そんなのは商売も投機もギャンブルも同じだ。創業者が当然背負うべきリスクである借金をヤイノヤイノと語る経営者は、ペテン度☆☆☆だ。

    お次は古典的な武勇伝である。
    経営者 「周りの誰もが反対したが、オレはやってのけた! 皆がそんなことやってもダメだと馬鹿にしたけどよ、オレを」
    つまりこの経営者は、(誰も気づいていない市場に目をつけ、リスクをいとわず挑戦したオレはイケてる!)と自画自賛しているのである。しかしねえ、知り合いが商売をはじめると聞いて反対しない人はいないからね。だって失敗したら目も当てられないことを知っているから。
    反対してあげるのは思いやりである。何でも「やれやれ」なんて薦める人は信用のおけない人物だ。初めて店を出したり会社を作るときは、家族や友人は必ず反対するものであり、取引先に信用されるはずもなく、お客様には馬鹿にされるものである。 街に並ぶたくさんの店、会社、事業所は、みないろんな反対を押し切って立ち上げたものだ。そんな当たり前のことを武勇伝化する経営者は、ナルシスト度☆☆☆☆だ。

    とどめの苦労話はこれだ。
    経営者 「オレは事業が軌道に乗るまで不眠不休だった! フロも入らず事務所の床で30分仮眠を取るだけだったよ!」
    従業員 「しゃ、社長〜、俺も寝ないで頑張るっすぅ!」
    って共感してはいけません。経営者は労働者じゃないんだから、24時間働いてもいいのよ。株主経営者の自分の働き分は、ほかでもない自分の利益になるんだからね。仮に労働者が24時間働いて稼いでも、その労働が生み出す価値の大半は本人には還元されません。
    1人の労働者が、1000万円の価値(この場合は粗利益)を生み出しているとする。しかし実際の年間の給料は400万円だ。のこりの600万円は、会社の資産(モノやカネ)となり、最終的には株主経営者のモノになる。オーナー経営者はみなこのお金の構造を知っている。しかし従業員に説明はしない。じぶんの肉体を酷使した事実は語るが、その結果として生じる利益のありかについてはウヤムヤにしておきたい。そして、自らの苦労話を披露することで、従業員にも同様の苦労を求めようとする。こんな都合のよい状態に労働者を置こうとする経営者は、イリュージョニスト度☆☆☆☆☆だ。

    ダマされない労働者になるためには、決算書を読む力をつけよう。「金がない、金がない」と経営者がボヤく会社にホントに資産がないのか確かめてみよう。メイン銀行の口座には金がなくても、別の資産に化けてるかもしれん。そして、それがいつの間にか経営者の個人資産に付け替えられるイリュージョンを使っているかもしれん。
    だから決算書は過去にさかのぼって読まないといけない。早急に逃げ出した方がいい会社か、儲けている割に従業員に利益還元しない会社か、決算書を読みこめばわかる。
    決算書を理解するのは簡単とは言えないが、難しいというほどでもない。中学生のときに二次方程式を覚えた程度の努力を、今からもう一度すればいい。ただし、従業員の目の届く場所に大事な帳簿を置いてる脇の甘い会社は少ないだろう。多くは金庫の奥で社長と税理士と社長の奥さんだけが見えるようになっている。でもね、普段から立派なマネジメント論を述べている経営者・・・ディスクローズ、コンプライアンス、モチベーション、モラールサーベイ、インセンティブ、報・連・相などの用語を好んで口にする経営者には申し込む余地はある。だって、「でるだけ隠し事なくなんでも言いあって、従業員のやる気を高め、公平で公正な組織を作りたい」って人なんだからね。申し込んでも問題ないはずだ。(急にぶちキレられ村八分にあう可能性もあります。結果はどうなろうと責任は負わん!)
    経営者が自らの身を律した経営者なのかどうかは、以下の点で評価できる。
    □決算書を、従業員に対し閲覧可能な状態にしている。(つまり隠し事がないってこと)
    □会社の利益と、従業員の給与・賞与の関係を説明してくれる。(給料が適切かどうか従業員に判断させる余地を与えている)
    □自分の報酬を説明してくれる。(お手盛りでたくさん取ってないか従業員の評価をあおぐ姿勢がある)
    このような清廉な会社が、百鬼夜行の世の中でいいポジションにいる可能性は少ないが、少なくともウソつき経営者が君臨する会社よりはマトモである。不幸にもウソつきにしか巡り会えなかったら、自分でウソのない会社を作ってしまうって方法もある。
  • 2006年09月10日徳島で雑誌をつくろう そのシィ「いち編集者の思考の説明」
    文=坂東良晃(タウトク編集人)

    朝起きると、寝ぼけマナコで天井を見つめながら考える。「今日もぼくには仕事がある」。原付バイクにまたがり、吉野川を渡って編集部のあるカイシャに向かいながら考える。「今日も出勤できる職場がある」。バイク置き場から事務所までの道を歩きながら、アタマの中で今月の支払いのことを考え、入ってくるお金のことを考える。「まだ現金はある。カイシャを潰す心配はない」。社員の大半はすでに慌ただしく仕事をしている。「急がないといけないほど仕事がある、よかった・・・」
    自分のことをろくでもない人間だと思っている。だから自分が勤められる職場が存在していることを奇跡に感じる。朝起床すると、カイシャの存在を実感できないときがある。無職時代が長いので、それなりに社会に適合していることにも驚く。
    メシが食えないことに潜在的な恐怖がある。貧したら貧に慣れるという人もいるが、ぼくは貧乏が恐い。全財産が3000円を切れば、病気をしても病院に行く勇気がなくなる。部屋が借りられず寝泊まりする場所を探してほっつき歩いたり、知人の冷蔵庫の食べ物を求めてさ迷ったりと、貧乏は行動をあさましくする。
    立派な経営者や、創造的な仕事をする人は、「この仕事はカネなんか関係ない。夢のためにやる」なんて見得を切る場面もあるけど、ぼくはそんな気になったことがない。儲からない仕事をするのは恐怖である。儲からないとドン底まで突き落とされる。他人に働いてもらって、労働にふさわしい対価を払えないのは最悪な経営者の姿でもある。
    あちこちの経営コンサルタントや経営セミナー運営会社から、中期戦略の再構築とか中核的強みの見直しとか、色んなことをしてみなさいよと迫られる。外から見ると、ぼくの経営はよほど頼りなく映るのだろう。商売を発展させるためには、周囲を感心させるような重厚な理屈が必要なんだろうけど、さしあたって何かを変化させたいという意志がない。 雑誌づくりという好きなことをたまたま商売と連動させることができ、しかも給料までもらえている。
    これ以上のことを求めるとバチが当たりそうなので欲は出さんとこ、と思っている。

    「仕事が楽しくないから、会社を辞めます」と申し出た二十歳の社員に、こんなことを言った。・・・世の中いったいどれだけの人が楽しさを求めて仕事していると思うのよ。みんな生活のためにやっている。家庭や子供を守ったり、信用してくれている人を裏切らんために働いている。楽しいかどうかなんて基準は、子供の発想だろーよ。
    二十歳の若者はすかさずこう反論する。「そんなこと言ったって、あなたは元もと雑誌が好きだからやっているんでしょう。いつもそう言ってるじゃないですか。仕事を続けられるかどうかは、最終的には好きかどうかじゃないんですか?」。
    確かにそうだ。ぼくはこの仕事が好きだからやっている。適当な建て前はでっち上げられるが、ホントの所は好きだから続けられてる。そんな単純人間が偉ぶって職業倫理を語るなんてね・・・ド反省。

    高校生のころ雑誌は世界の窓口だった。80年代、阿南の田んぼの真ん中で入手可能な新しいカルチャーは、雑誌にしか存在しなかった。20年前だからインターネットはない。初代ファミコンが登場した頃だが、金持ちしか所有できない。POPEYEと朝日ジャーナルと諸君!と写真時代をむさぼり読んでいた。ファッション誌と進歩的左翼誌と御用右翼誌と極エロ誌を同時に読む。これが田舎の高校生の理論武装だ。
    「オールナイトニッポン」2部以降の深夜放送を聴いているとか、民族音楽とかプログレッシブとかの未発売輸入レコード盤を密かに買い漁っている、そういう行動に近い。それが自分のアイデンティティを補完する方法であり、女のコにモテるための引き出しの一つである。
    宝島、ミュージックライフ、平凡パンチ、ホットドッグプレス、週刊プレイボーイ、週刊ファイト。どの雑誌でも、活字たちは憤懣やるかたない情熱をたぎらせ、ギラギラと脂ぎったエネルギーを放っていた。ヒッピーやドラッグや反戦や70年代ウエストコーストやサイケデリックやポストモダンやインド放浪やチベット密教やコーランや連合赤軍がカッコいいと思っていた。そんな時代をライブで生きた30代がつくるカウンターカルチャー雑誌と、その反動で軟派化したポップカルチャー誌の洗脳を、10代のぼくは受けた。 そういう雑誌にまみれて無為な時を過ごすのが幸せであった。だからぼくは雑誌づくりを職業にした。

    この職業につき、20年近くメシを食っている。恩のある雑誌だから嫌いになることはない。
    ぼくは雑誌の匂いが好きである。いや、雑誌の生産過程をとりまく匂いと環境が好きである。完成したばかりの雑誌が放つ独特の香りはいい。乾ききらないインク臭と、漂白された紙の匂い。匂いの質は変わった。むかしの本は、もっと有機溶剤臭がプンプンしていた。
    ぼくがこの世界に足を踏み入れた20年前は、まだ活版印刷が存在していた。活字職人が1字、1字ピンセットで活字を拾い、巨大な鉛合金の塊をつくりあげる。その重量感あふれる金属の表面を、インクのローラーが撫で、紙に転写する。紙には鉛の文字が深く刻印される。紙の表面にはその圧力により凹凸が生じる。紙のヘコミに染みこんだインクは今ほどすぐは乾かず、手触りと湿り気で印刷職人の仕事の名残を感じた。現在のハイテク印刷には、このような触感は薄れた。紙の表面はつるんとなめらか。それでも悪い匂いはしない。
    締切が近づいた編集部には、独特の匂いが充満する。編集の現場は、匂いの洪水だ。昼間取材の際にかいた汗が乾いて、微妙な臭気を漂わせる。風呂に入っていないヤツの足の悪臭がツーンと鼻をつく。撮影用の食品の匂いが入り混じった生暖かい空気、深夜にスタッフが食べるスタミナ食のニンニク臭。生ぐさい人間の匂いに、忠実に生産活動をつづける機械音が溶ける。スキャナーが画像を読み取る電子音、高速プリンタが激しく紙を飛ばす連続音、キンキン唸りをあげるサーバー群。
    匂いと音のはざまに、人間がいる。怒号があがるときもあれば、笑いに包まれるときもある。何かに絶望してる人もいれば、楽しいことだけ考えてる人もいる。プレッシャーに耐えられず失踪する者、机に突っ伏して豪快にいびきをかいて眠っている者、いろいろだ。
    雑誌づくりの現場は人間味あふれるモノづくりの工場であり、カイゼンもカンバン方式も効果を出せない、もっとも非効率な生産工場だ。

    入社希望の大学生に挑発的に問われた。「タウトクはフリーペーパー化しないんですか。雑誌はいずれ全てフリーペーパーになると思います」。
    確かにね、あらゆるコンテンツは無料で供給されるようになってるよね。テレビ=無料、ラジオ=無料、インターネット=無料、フリーペーパー=無料。新聞は有料だが、料金銀行振込なら毎日買ってる意識はない。ケータイサイトもパケ代は必要だが、定額設定してるなら無料感覚で使える。現金購入するメディアって、雑誌以外にはタブロイド夕刊紙やスポーツ新聞くらいしかない。電車通勤の人口が少ない徳島では、スポーツ新聞を買う人は虎ファンかプロレスオタク。現金で売り買いされるメディアはイコール雑誌ということになる。きわめて稀少な存在なのだ。各メディアが先を競ってコンテンツを無料で放出している時代に逆行し、お金で買ってもらえる物を必死になってつくる。その不格好な必死さが好きである。

    今のカイシャ、50人くらいの若い人が雑誌づくりに取り組んでいる。今年は1年で70本ちかく出版物を出す予定。5日に1日の発行ペースだ。時間はひたすら猛スピードで過ぎていき、未来を考察する余裕はない。ホンダみたいに産業の未来をちょっと考えてみよーかななんて思うときもあるが、すぐ飽きて寝てしまう。雑誌の未来がどうなるかなんてハナから興味がないのだ。半年先の運命を考えるのはスリリングだが、その先の未来を想像するのは退屈だ。戦略は必要だが、空想は無駄だ。
    今日おもしろい雑誌をつくり、明日もっとおもしろいものを考える。それをひたすら繰り返す。どこまで続くかわからない道を、バニシング・ポイントみたいに爆走するだけ。その先に何があるかなんて、行ってみないと分からない。
  • 2006年09月03日徳島で雑誌をつくろう そのサン「雑誌を創刊しよう!」
    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    今回は15歳から25歳までの人に向けて書きます。

    ぼくは雑誌をつくってメシを食っている。
    これ以外に生きていく方法を知らないし、これしかできない。フリーターを何年間かやっていたので、いろいろな職業は経験したが、やっぱし雑誌をつくることしか自分にはできない。そもそも本をつくって食べていくことなど、できるとは思っていなかった。好きなことを好き勝手にやっているうちに職業になってしまった。
    小さい頃から本と雑誌とマンガが大好きだった。友だちがプラモデルやテレビゲームに夢中になっているときに、本と雑誌とマンガばかり読んでいた。保育園に通っていたころから本屋の立ち読み常習犯であった。阿南市の富岡商店街にある、中富書店という本屋さんの前に居座り、新刊マンガが出るとすべて読みあさっていた。昔はコミックスにビニル封がされていなかったので、本屋さんは無料で遊べるパラダイスだった。1日に2時間も3時間も立ち読みし、足が疲れると店の前の道路に寝転がって立ち読み(寝読み)をしていた・・・らしい。
    日が暮れかけると川向こうの製パン工場に勤める祖母が帰ってくる。祖母はパン工場から出たパンくずをビニル袋いっぱいにつめて、桑野川に架かった橋を渡って帰ってくる。「今日は何のパンが食べれるんかなぁ」と餓えた腹をさすりながら、長い待ち時間を本屋ですごした。本を買った記憶はない。中富書店の方は、よくぞそんなガキを許してくださっていたものである。本当にすみませんでした。今さらながら反省しています。

    小学校5年生のとき雑誌のようなものを創刊した。ポルノ小説とポルノ漫画をふんだんに取り入れたポルノ雑誌である。表紙も目次も特集もある、雑誌の基本機能を備えた作品である。タイトルは「週刊エロトピア」だ。それを友だちに回して遊んでいた。貸本料として「当たりバー」という30円のアイスクリームをおごらせていた。次号を読みたいというリクエストにこたえ、何号か発行した。
    担任の先生にその一部始終がばれて、「おまえの血には毒液が流れている」と扇情的なお叱りを受けた。独特の言い回しで自分のことを評価されて、ぼくはとても嬉しくなった。デビルマンみたいでカッコイイと有頂天になった。先生はぼくの雑誌をしかめっ面で読んでいたが、後半はニヤニヤしていた。ぼくに観察されていることに気づき、襟を正したが、「ロクでもないが、よくできている」という高い評価をしてくれた。ものわかりのいい先生だったってことだ。
    モノを書いて金をもらうという習性は抜けず、中学生になってもポルノ小説を書きつづけた。とくに性的な興味が強かったわけではない。いろんなモノを書いてみたが、同級生が書いた純文学や冒険小説を読みたいという中学生は、どこにも存在しなかった。みんなが喜んで読んでくれるのはポルノ小説。50円ほどの購読料を払ってくれるのもポルノ小説である。読者が求めるものをつくれば読者は喜び、小遣いが増える。その原始体験である。

    高校時代は、ラブレターの文面を考える仕事をした。モテない男子に声をかけては、かなわぬ恋に悩む彼の想いを聞き取り調査し、好きな女の子をいかにして彼に振り向かせるかという筋書きを考え、実行した。これは空想上の恋愛小説を書くよりも遥かにスリリングである。ぼくの企画と文章の向こうには生身の人間がいる。そして、恋愛感情という人間にとってもっとも大切な部分を動かせるかどうかという大チャレンジなわけである。自分の企画力と文章力が実戦で試されるのだ。REALな世界だ。ぼくの恋愛企画は勝率3割3分くらいの結果をたたき出したが、それが優秀な数字かイマイチな結果なのかは今でもわからない。

    高校を卒業して働き始めた出版社で、ぼくはプロフェッショナル中のプロフェッショナルと言える編集者に出会うことができた。それは本当に幸せなことだっだ。この話は長くなりそうなので、また今度しよう。



    ある情報を大量に他の人に伝える媒体(メディア)として、雑誌はとてもおもしろい。
    おもしろい理由はいろいろある。ぼくがいちばん気に入っているのは、創業するときに目ン玉飛び出すほどのお金はかからないという点だ。といっても数百万円は必要だけど、20坪くらいの服屋さんや雑貨屋さんやカフェなどのお店を出すことを考えると、同じくらいの金銭的リスクで雑誌は創刊できる。大金がかかるなら、いたずらに他人におすすめしてはいけないと思うが、「なんかおもっしょい店やらん?」くらいのノリでは、おすすめできる。もちろん失敗したら数百万円は失くなるけど。でも、それだってお店やるのと同じ。

    いわゆるメディア業と呼ばれる産業のなかで、このような格安の資金でスタートできるのはインターネット以外には雑誌しか見当たらない。たとえば新聞を作ろうとしたら、新聞輪転機という化け物級の印刷機が必要である。自前で購入すれば億の1ケタ単位ではすまない。報道記事を書ける優秀な記者を集めるためには、1年間で人数×1千万円程度の人件費を払えるメドを立てなければならない。大量の用紙の仕入先を確保し、朝3時から配達をしてくれる販売網を築き、収入源である広告代理店網を確立する。壮絶だ。
    テレビやラジオの放送局ならさらに巨大な資本が必要である。放送設備をゼロから整えようとするなら、田畑山林をいくら担保に入れても足りない。 それ以前に「放送法」の制限により、新たに地上波放送局を作るなんてことはほぼムリに等しい。

    一方で雑誌は、自前で設備をもつ必要がほとんどない。印刷機は外部の印刷所のものを使えばいいし、製本機は製本所に立派なのがある。料金を払って貸してもらえばいい。編集部内にも高額な機械類は必要がない。最低限そろえたいのは、パソコン、カメラ、電話、プリンタ、コピー機であるが、そこそこ動くものであれば問題ない。撮影機材なんか高いんじゃないの?と思われるかも知れないが、大衆雑誌を印刷する場合、3万円クラスのデジカメで撮った写真と、20万円クラスの一眼レフカメラで、印刷面のクオリティに大きな差がでるわけではない。
    美術書や企業パンフレットを作るのではなく、一般向けの大衆雑誌なら最低限の撮影機材でよいのである。だからお金はかからない。それでも、創刊から数回分の印刷・製本代金と人件費と設備費あわせて800万円くらい用意しておくに越したことはない。

    「コスト安のメディアだから」という理由ならば、そんなに自己資金が必要な雑誌じゃなくて、インターネット上にサイトを開き、そこにコンテンツを展開すればいいんじゃないか?という考え方もある。ぼくもそう思う。より金がかからずに、より表現の制限がない方が、大衆メディアとしては本筋だ。アイデアしだいでインターネットは、強力な大衆メディアに、商業メディアに、民主主義メディアになる。改めて説明の必要もないほどに、すでになっている。
    それでもぼくはインターネット上で何かを企てていこうという気にならない。
    速報性があり、低コストで運営でき、言論自由なインターネットの世界を選択せず、雑誌をつくって生きている理由は、要するに好きだから、という以外にないことに行き当たってしまう。雑誌というメディアの優位性を論拠だてようとしても、いずれも論が弱い。最終的には儲けようが儲けまいが、誉められようが貶されようが、けっきょく雑誌を作ること以外にやりたいことがないから雑誌をつくっている、としか言えない。

    雑誌は意外に簡単に作れる。ぼくはそのことを若いみんなに伝えて、できるだけたくさんの人にこの世界に入ってきてもらえないかと思っている。これから、ぼくなりの雑誌のつくり方についてボチボチ書いていこうと思う。一般教書にあるマニュアルではなくて、アナーキーでよりリアルな方法論だ。
    みんなが雑誌をつくりはじめると、商売ガタキをたくさん生んでしまい、ぼくたちのカイシャが潰れてしまったり、自分が職を失くしてしまうかもしれない。それでもぼくはみんなに「雑誌を作ろうぜ!」と言いたい。深い理由はない。「おもしろいのでやろうぜ!」だ。
  • 2006年08月20日徳島で若者を採用するお悩み その4「テキトーな労使関係」
    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    ひきつづき高校生の採用試験のお話。
    高校生たちは、進路指導の先生と面接の練習をだいぶこなしてきてる。面接のしょっぱな、必死で暗記してきた志望動機や自己紹介を、がんばって朗読しようとする。しかし、当社ではそのような必要はない。あらかじめ用意された立派な言葉にはあまり意味がない。前もって練習してきた内容以外の、その人本来の人間性を知りたいとぼくは思っている。だから、想定問答集どおりの質問はほとんどしない。
    ちかごろでは、普通科はおろか、商・工・農などの専門課程の高校生も、多くの人が大学や専門学校に進学するようだ。徳島労働局の報告では、平成3年度には1万1634人の高校卒業生のうち、4252人が就職希望していたが、昨年度は8528人の生徒のうち、就職を希望したのはわずか1529人である。たった15年の間に、「はたらきたい高卒者」は3000人近く減ってしまった。
    今年、当社を受けてくれた生徒も、普通科の場合、同級生で就職するのはほんの数人だと言う。
    学年でたった1人だけという事例もある。これほどまでに高卒就職は敬遠されているのだろうか。就職する高校生も少なくなったうえに、就職してもすぐ辞職してしまうのが常態となっている。この春に就職した人に聞くと、友達20人のうち19人が夏までに会社を辞めてしまったという。正社員に見切りをつけた彼らは、みなアルバイト、パートとして働くか、家事手伝い、無職のまま10代を過ごす。
    ある商業科の生徒に「高校に届いた求人票の中からどうやって企業を選んでんの?」と聞くと、こんな返事である。「できたらラクしたい、遊びたい、と思っているので、そういう会社がないか探します。具体的には、夕方にちゃんと終われる会社。残業があると聞かされたら最悪!って話になります。自分の趣味を仕事にしようという子は、私の周りにはほとんどいませんでした。初任給11万円〜15万円の会社が多いんで、バイトしよう方が儲かるでーと思ってしまう。それに職種もほとんどが事務職か販売職か工場勤務なんで、なんかやりたいと思っとっても仕事を選べんっていうんが現実」。話変わって、4年制の大学生の採用試験。年を追うごとに、学生の劣化ぶりが激しくなっている。
    まず基礎知識が大きく欠如している。三権分立とは何か、憲法九条の主旨、国連常任理事国名などなど、答えられないのがあたり前。都道府県の県庁所在地すら知らない。知識レベルで評価すれば中学生以下である。これが小中高大16年間のニッポン教育の成果かかと思えば、暗澹たる気持ちになる。
    基礎知識だけではない。対話する能力もない。論理的にモノを考えたり、説明する方法を知らない。自我が強いかわりに、独自の人生観、価値観が育っているのかと言えば、そうでもない。どうして○○学部に進んだんですか?というフツーの質問に答えられる人がほとんどいない。趣味は誰もが同じ金太郎飴。音楽、ダンスに映画鑑賞。まったくどいつもこいつも音楽好き。いやいや音楽なんて誰でも聴くだろう。他になんかおもろい話ないのか?

    就職活動するにあたって「覚悟」が感じられる高校生。一方で、進学の延長のような感じでフニャフニャと世間に出ようとしている大学生。70人ばかりが集まった入社試験会場を見渡して、つくづく思う。この会場にいるうち80%の大学生は、大学教育など受ける必要ないんだろうね。じゅうぶん働ける身体をもち、小中高と12年間も基礎教育を施されて、さらに4年間も受けるべき教育って何なんだ?実践的に社会に還元するに足る、医・法・経済・理工学はさておき、文化教養の範疇の大学教育は、もはや今必要ないんじゃないか。
    残念ながら、ぼくは大学教育を受けていないので大学教育の現場を見たことがない。したがって正しい批判はできない。しかし長い間働いているので、労働の価値はわかる。労働の価値を理解しようとしないテキトーな人間が、つぎつぎと大学から生産されていることは事実である。

    ちなみに当社の大卒向けの採用試験はこんなのです。
    □某国からミサイルが発射されたという情報が、ニュース速報で流されました。あと20分であなたの住んでいる街に着弾する、という空襲警報も発令されました。そのミサイルは、ひとつの街を焼け野原にする程度の威力があります。街じゅうのあらゆるサイレンが鳴り始めました。渋滞で道路は麻痺しています。あと20分であなたは何をしますか?
    □日本が他の国の武力侵攻を受け、占領されました。あなたの街では、土地や家は没収され、市民は難民キャンプに移動させられました。飢えや渇き・病気から、体力のない老人・子供が徐々に死んでいきます。今からあなたは何をしますか。
    □あなたが今、死に床についたと仮定します。自分の人生をふりかえって、満足のいく一生であったか、そうでなかったかを判断する基準は何であると思いますか? (これはトーマス・エジソンが考えた採用試験のパクり)
    □あなたは事故で脳を損傷し、目覚めたとき、植物状態となっていました。意識はクリアにありましたが、まばたきする以外、身体のどこも動かせません。枕もとで医師が「現在の医学では、これ以上回復させることはできない」と、家族に説明しています。あなたはどのようにして外部に自分の意思を伝え、そしてこれからの人生を生きていきますか。
    □自分の子供(娘)が中学生になり、援助交際をしていることを知りました。小遣いは十分に与え、学校の成績も悪くありません。あなたは、娘に対して、どのように声をかけますか。

    これら設問は、受験者の人生観を知るためのものである。平時ではその人間性はわからない。窮地に立ったときどう行動するかで、その人の生き方がわかる。(ま、ペーパーテストでわかることって限られてるけどね)
    一方、面接において「尊敬する人は誰?」かを聞くことを、厚生労働省や県行政は禁じている。なぜ聞いてはいけないかというと、「思想・信条、人生観などは、憲法で保障されている個人の自由権に属し、それを採用選考に持ち込むことは、基本的人権を侵す」からである。
    厚生労働省からの指導は以下である。
    □不適切な質問内容の例
    × あなたの信条としている言葉は何ですか。
    × 学生運動をどう思いますか。
    × あなたの家庭は、何党を支持していますか。
    × 労働組合をどう思いますか。
    × 政治や政党に関心がありますか。
    × 尊敬する人物を言ってください。
    × あなたは、自分の生き方についてどう考えていますか。
    × あなたは、今の社会をどう思いますか。
    × 将来、どんな人になりたいと思いますか。
    × あなたは、どんな本を愛読していますか。
    × 学校外での加入団体を言ってください。
    × あなたの家では、何新聞を読んでいますか。

    かつては、左翼思想や労働運動に興味のある学生をはじくために思想調査をする企業があり、また一時露骨に行われていた出生地による就職差別をなくすために、このようなルールが作られたのである。企業からすると、「うるさいサヨク野郎を入れてストライキを扇動したり、賃上げ交渉ばかりされたらかなわん」という意思が働いていたのだろう。
    しかしさー、いまどきの高卒学生がマルクスを敬愛し、赤旗を定期購読し「蟹工船」を愛読するわけもない。鎌田慧に憧れ自動車工場に潜入就職したり、秋田明大のアジテーションを研究などしない。(古いね〜)ま、今どきそんなヤツが現れたら、ぼくは三顧の礼をもって迎え入れたいと思う。
    お役所が書いた例文のうち半分はブシツケすぎる質問だと認めるが、「今の社会をどう思うか?」「愛読書は何か?」も聞けないんじゃ面接にならない。その人物を、いったいどこで判断するというのか。その人物の人生観に興味をもたず、学生時代の成績や技能、作業適正、身体条件を重視せよというのなら、それは逆に、労働者を「働くマシーン」としてしか見ていないということではないのか。
    ぼくは堂々と「尊敬する人は誰?」と聞きたい。それは、その人が目標とする生き方・考え方が、多くの言葉よりもはるかに分かりやすく伝わるためだ。この件について、労働局や教育委員会からご指導があるのだろうか。しょっちゅうご指導ばかりされている身なので、間違っているならまたご指導ください。

    若者は、早く働きはじめた方がいい。鉄は冷めてしまうと打ってもポンコツだ。勉強は、自ら学問に渇望したときにスタートすればいい。18歳で働きはじめても、「自分にとって学問が必要だ」と感じたら、そこからスムーズに大学入学できる。学生している間も、ある程度の給与保障はするのだ。あるいは、働きながら高度な教育を受けられるようなシステムをつくれないか。そのようなバラエティな人生を支援する体質のカイシャがあってもいいではないか。
    学問だけではない。1年くらいポンっと休めるようにし、その期間趣味に没頭したり、世界を放浪したり、ニュースの現場を見に行ったり、自分を見つめなおす時間を取れる・・・そんな仕組みができないか。労働者と趣味人と学生と旅人と家庭人をいったりきたりできるような、まあ言うたらテキトーなカイシャと労働者の関係だ。
    そういう「一時的に働かない」人員を抱え込むためには、カイシャを高収益体質にしなければならない。これが難しいのよね〜。日々、研究はつづく。
  • 2006年08月11日徳島で若者を採用するお悩み その3「不平等社会を生きろ!」
    「全共闘」って知ってるか? 70年代に吹き荒れた学生革命のことだ。
    あの時代に酔ったオッサンたちが作った社会が今のニッポン?
    それじゃあまりに思想と現実のギャップが激しすぎるよな。
    きっとオッサンたちはどっか地下深くに潜行し、虎視眈々と出番を待ってるのだ。
    あの時代、オッサンたちは何を否定し、何を生み出そうとしたのか。
    今となっては何もわからない。けどな、「全共闘」は悪くないと思う。
    主義のためにケンカするのはいいことだからな。

    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    こまった。
    またこの季節である。
    スギ花粉が舞い飛ぶ春先、あのオッサンたちがふわふわと地上に舞い降り、そして活発に動きはじめるのである。
    オッサンたちは元気である。いたるところに出没する。ふだんは迫力あるコワモテの人相も、このときばかりはとても柔和なお顔立ちになられる。
    オッサンたちの活躍の季節・・・コネ就職シーズンの開幕である。ニッポン列島を覆うコネの嵐は、就職戦線が活発化しようと氷河期に入ろうと、関係なく吹き荒れている。コネ、コネ、コネ、しつこい小バエのようにまとわりつく。
    毎年100人を超える学生が、小社の入社試験を受けにきてくれる。競争率は10倍から20倍。徳島には、同業種の就職口はそんなに多くはない。だからみな、真剣である。
    一方のわれわれは、わずかな接触時間で学生を「選択」しなくちゃいけない。だから自然と、試験内容はストイックなものとなる。大勢が注視する中で激しいディベートをしたり、自分自身のプレゼンテーションに挑むなど、短期決戦型であり、かつ本人の性格があらわになる手法をとる。
    創業して8年という若い当社に、大切な1日を預けてくれる学生たちに強い緊張と努力を強いているぼくたちは、必ず守らないといけないと思っていることがある。試験は、平等でなければならない。そして、不正があってはならない。あたりまえのことである。

    ところが、そこにメリメリと割り込んでくるオッサンたちがいる。
    4月も春の盛りの頃、オッサンたちは増殖をはじめる。あるオッサンは、「紹介したい人がいるんだけどね」と満面の笑顔で登場、「なかなかいい子なのだよ」と汗をふきふき説明をはじめる。あるいは、今まで何の接点もないオッサンから電話がある。
    「いやあ、キミはよく頑張っとるみたいだね。□□の議員さんからも聞いてるよ」
    (そんな議員など知らん! なおかつ議員なんて人種、好きなわけねぇ)
    何の用事かと不審がると、「ところで今、人の募集やってるんだってね?」とおずおずと切り出す。この程度のアプローチならまだマシな方だ。
    ある図々しいオッサンは、知人の子供を会社に連れてくるなり、「今から面接してくれるかな、私も同席するからね」と言いだす。またあるオッサンは、当社へ融資をしている銀行の行員を帯同してくる始末。んなことが効果でもあるとでも思っているのだろうか。だろうね。

    このオッサンたちは実にさまざまなルートを通じてアクセスしてくる。取引先、取引先の取引先、取引先の取引先の取引先、親戚、近所、関連会社、議員、役人・・・。まるでワールド・ワイド・ウェブ並みの蜘蛛の巣ネットワークをお持ちである。オッサンたちは自らの存在証明をしたいのだ。
    「就職の世話をした」というのは、ビジネスでいう貸し・借りの作りっこである。仲介するオッサンは、ぶじ就職を世話できた相手方に貸しをつくる。人を受け入れたカイシャは、仲介したオッサンに貸しをつくる。いい血筋の息子・娘さんなら、人質として機能する。天下りをあえて受けていれる各種団体や企業と同じ構図である。
    ぼくはオッサンたちに申し上げる。「当社はいつ誰にでも門戸を開いてますが、少なくとも就職を希望しているご本人から連絡をもらわないと、どうしようもありません。それに、採用試験は他の方と同じように受けていただきます」
    すると、オッサンたちはブ然とする。
    (おいおい誰が口をきいてやってると思ってるんだ? この世間知らずのバカヤロウ。 ワシだぞ、ワシ。ワシの紹介なんだけどな〜。ケツ青いのかテメエ)って感じだ。ま、丸カッコ内はぼくの想像だけど。要するに、自分の紹介する人物を他の学生ドモと同列の位として扱うなかれってことなんだろね。

    ところで、ぼくは「コネつき」の学生さんとも平等に接する。タチが悪いのは親や周囲であり、本人にたいした罪はないからである。彼ら学生さんと面接をしてみると、80%以上の確率で不本意ながら当社を訪問していることがわかる。
    「ボク、ホントは別の夢があるんですが、親が許してくれないんです。だから就職せざるを得なくなってしまい、ここを受けにきました」
    「実はわたし、他の会社に内定をもらっているんです。でも、県外なので親が反対しているんです。地元で就職してほしいって粘られて、やってきたんです」と、辛そうな表情を見せる。ぼくは同情の念に耐えない。
    「私はなぜこんなワケのわからないカイシャを受けないといけないのですか? 」
    と泣き出す学生もいる。不自由な環境にたいそうストレスがたまっとるようだ。こういう学生さんたちとお話をしていると、次第に採用面接が悩み相談会と化してゆく。

    「どうやったら親を説得できますか?」
    「なぜ私は好きなことをやらせてもらえないんでしょう」
    ぼくはぼくなりの答えを返す。答えのパターンは決まっている。
    「親が病気なら、親の言うことをきく」
    「親が健康なら、自分のやりたいことをやる」
    物事はシンプルに考えれば解決に近づく。

    いびつな社会である。小学生に平等観念を刷り込むために、運動会のかけっこで順番をつけるのをやめる。男女混合名簿やら、通信簿で相対評価しないやら、教育現場は現実社会を無視して、その場限りの桃源郷をつくろうとしている。ところが、役人と議員と商売人が作る大人の社会は、不平等主義の集大成ともいえる。

    不完全な競争社会、不完全な日本型なれあい資本主義。公のルールではなく、コネ、密約、根回し、裏取引、夜の接待などで勝敗を決めようとする。そんなつまらないことに、コストと時間をかける事がビジネスよとうそぶく。
    そして、就職という人生のスタートラインに立つ若者に、自らぬけがけを試みる生き方をしろと、大人たちがセッティングする。だからこの社会はダメだ、絶望的だ、とボヤきたいのではない。
    言いたいことはひとつ。若者だけがこの世の中を変えることができる。コネがあるヤツも、コネのないヤツも、自分の権限や境遇を利用するかしないかは、最後は自分の判断なのである。
    オッサンたちは選択肢をちらちら見せているだけだ。キミは試されているのだ。
    キミは自分の脳ミソがぐっちゃんぐっちゃんになるまで考えればいい。そしてサバンナの弱肉強食の生態系のなかに放り込まれたつもりで、この不平等社会を力強く生きろ!
    痛みに慣らされず、誰にも取り込まれず、この不平等社会をマシに変えていこう!
    それだけ!
  • 2006年07月23日徳島で雑誌をつくろう そのニィ「搾取する側される側ってぇ」
    従属してはいけない。
    誰かにコントロールされる必要はない。
    オリの中に閉じ込められても、
    脳みそは自由だ。

    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    本誌タウトクやCU、さららを作っているメディコムは、社員がたいへんに若い。制服姿の高校生のアルバイトもたくさん働いているから、たまに会社に出てくると「ここは予備校か?サマーキャンプか?野戦病院か?」という状態である。デスクで堂々と化粧を直しているヤツもおれば、ワキの下に8×4をふりかけているモノもいる。過食症並みに一日中食い続けている人、脱毛の跡を見せびらかす人、心療内科から出社する人、いろいろである。
    ヒマなときに社員の平均年齢を出してみたら、23・2歳だった。管理職らしき層もいるのだが、こっちも28・2歳と若い。あまりに若すぎて恐ろしくなる。

    何年か前のことだけど、会社に労働組合らしきものを作ることにした。作ってはみたが、うまく機能しない。当時は社員7〜8人の会社だったので、みんな自己責任で仕事をやっている。だから、「カイシャに文句を言おうぜ」とあおってみても、まず社の事情を考えてしまったり、「文句なんか言ってるヒマあったら仕事する」という姿勢なんである。だから、組合の会議といっても、ぜんぜん話が弾まない。というか、労働組合という立場・存在について、彼らは予備知識がぜんぜんないのである。仕方がないので、ぼくがありったけの知識で労働運動について教えることにした。ぼくはいちおう経営者なので、組合に口出すのは勇み足に決まっているのだが、だって誰も「組合」ってものを知らないんだから、そうするしかない。

    一番最初は、「儲けを出すとはどういうことか」からはじめた。次に黒板にマンガを描きながら「貨幣とはナニか」を伝えた。「資本家とはナニモノか」「労働者とはナニモノか」「投資とはナニか」「株式とはナニか」「資本主義とはナニか」「共産主義とはナニか」「革命とはナニか」。
    だんだんエスカレートしてきた。
    ま、自分でもよくわかってないことも多いので、一緒に考えたりした。あるときは資本家になりきり、利潤をあげるために、何をやったらいいか考えた。あるときは労働者になりきり、利潤をあげるために、何をさせられているかを考えた。このあたりをさらっと押さえておかないと、いきなり労働運動しようよ〜♪とはしゃいでみても、何をどうしていいかわかんないのである。70年代以降に生まれた人は、学生運動なんてやったことも見たことも読んだこともない。トロツキーといえば「虹色のトロツキー」、レーニンといえば「グッバイ、レーニン!」が限界である。

    何年かたって、社員が30人くらいに増えたときに、自分で組合運動の見本を見せるために、1日労働組合委員長というのをやってみた。まず赤いハチマキを買ってきた。会議室に社員を集め、頭にハチマキを巻くように指示した。そしておもむろに、「さあシュプレヒコール!」と雄たけびをあげてみた。それから、あらかじめ用意したアジビラ・・・そこには、経営批判(つまり自分批判)を延々と書き連ねてある。
    これを大胆にもカイシャのプリンタで出力してやり、社員に配った。それから、組合委員長と経営者の1人2役をやった。ま、フンイキ的には古典落語みたいな感じ。組合委員長としてのぼくは本気を出し、弱々しい経営者のぼくを打倒した。その会議では、出退勤時間を消滅させることに成功した。またコアタイムという名の拘束時間をなくさせた。
    労働法では、労使を兼任することは違法であると認識している。違法を承知で、社員に「このように徹底的に経営側と交渉したらいい。遠慮なく叩き潰せばいい」という例を示そうと思った。

    株主資本主義がうたわれて久しいが、ぼくは共鳴できない。会社は株主のもの。従業員や雇われ経営者は、株主利益のためにせっせと働きなさい。パフォーマンスの高い人材には1億円を、低い人間には100万円を。・・・・その先には何があるのだろうかと考える。
    株主資本主義を極めたアメリカ社会は、極端な富裕層と貧困層に二分化されている。豊かさと貧困は、どこかでバランスが取られている。どこかが富めば、どこかが病む。1人の富裕者を生み出すためには、100人の労働提供者が必要であり、1国を富ませるためには、1億人の犠牲が必要である。産業を繁栄させるために、自然は破壊しなくてはならない。肉を食うために、牛を殺す必要がある。ウンコを紙でふくために、熱帯雨林を切り出す。そのような幸福と不幸のバランスのうえに世界は成り立っている。

    一億総中流という「奇跡的なニッポン社会」を作ったのは、株主資本主義じゃない。現場に立ちつづけた経営者と、仕事と取っ組みあいっこしたサラリーマン・労働者が作った社会だ。
    この国では、カイシャは従業員のものだったのだ。それは悪い考え方じゃない。リスクをとる人間に権限というものが与えられるとするなら、余剰のキャッシュを投じる人間よりも、時間と労働を投じる従業員の方がハイリスクである。だからカイシャは投資家、株主のものではない。従業員のものだ・・・とぼくは決めている。

    現在の資本主義社会は、過渡期のものであると信じる。近代経済は、性悪的に考えれば為政者が資本を吸収するために作り上げたシステムである。アングロサクソンが作ったルールに、どんな民族も従い、いいようにコントロールされる時代は、あと100年以内に終わらせるべきである。できれば50年で終わらせたい。
    ニッポンの月給20万円、カンボジアの月給2000円。国によって労働の対価がまったく違う。これは異常である。ラインワーカーの月給15万円、ホワイトカラーの月給50万円、株主には多額の配当。生産する人間が、生産価値に等しい対価を受け取れない。これも異常である。人類は、長い時間をかけて、不条理をより正しい方向へと修正しつづけてきた。だから、いずれ世界は均質化すると信じる。そのときに、現在のいきすぎた搾取の構造は必ず崩壊する。

    さて、自分のようなちっぽけな存在でも、できることからはじめようと思う。労働側がパワーをもって組織運営するカイシャを作り上げてみよう。これからの労働組合は、経営側が立案したものを、赤旗立てて批判するような古臭い体質ではダメなのだ。
    マネジャー以上に財務に強く、事業戦略、雇用、教育、商品開発、利益分配まで、労働者サイドが組織をコントロールするのだ。
    「利益を得たい」株主による経営監視ではなく、「世の中に何かをもたらせたい」従業員による経営監視をおこなうのだ。狂った政府でもなく、腐った役人でもなく、利に餓えた資本家でもない。生産する人が絵を描く社会だ。ものを作り、流通させ、消費する。この大量の経済活動の中で、何者かが価値をネコババしてる。
    ニート、フリーター、ひきこもり・・・若い労働世代は、こんなバカげたシステムに取り込まれるのではなく、はっきりと世の中の矛盾に気づき、壊していかないといけない。経済という巨大装置の仕組みを知り、価値の受給体系を逆転させるのだ。
  • 2006年07月09日徳島で若者を採用するお悩み その2「ギャルに訴えてみた」
    正社員よりフリーターになりたい18歳と戦うの巻

    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    18歳のタウトク編集部員・西千晶(にしちあき)が、超まじめな編集会議をやっている最中に、突如としてとんでもないことを口にした。
    「あぁし、フリーターになりたい!」
    ななななな、ちょちょっと待ってくれ。こいつに辞められたら困る。ぼくはアセッた。なぜかって、この西千晶という女は、すさまじい能力をもっているからである。
    髪の毛はまっ赤っ赤、服装は社会人にあるまじき女子高生のふだん着平服、伝言メモは顔文字と絵文字だらけである。仕事中は、どこかの駄菓子問屋でで仕入れた1パック100個入りの「ちょこましゅまろ」をいうやつをひたすら食べている。話題といえば「KAT−TUN」の赤西クン、それに取材で出会った男子高校生がいかにキュートだったか。
    自分のことを「あぁし」と名乗るのは、阿南市出身だからだ。こいつはこの春、当社に就職するまで生まれてから一度も阿南を出たことがない。だから阿南弁しかわからない。徳島市の人たちの方言がわからずに、ときどきポカーンとしている。
    先輩の女性スタッフが今宵も秋田町に繰り出そうと化粧室で化けているのを見て、「あぁしも連れてって〜」と鳴きついている、が未成年のためトイレに置き去りにされる。
    そんな西千晶も、編集部ではすっかり主力である。同期入社である関西大学哲学科卒のナルシスト・栃谷(男・24歳)を完全に尻に敷いている。さらにあらんことか、彼女は入社わずか1カ月で400万円を超える契約を決めてしまったのである。
    まだ試用期間中で手取り賃金10万円チョイにも関わらずである。1カ月で自分の年収以上を稼いだ(最近まで)女子高生として、他部署からは「西千晶が欲しい」とひっぱりダコなのだ。
    そう、こいつはいわゆる大物なのである。 さて「あぁし、フリーターになりたい!」と叫んだ理由について、ぼくは慎重に話を聞くことにした。機嫌をそこねられたら困るからである。不機嫌な18歳など、大人の手に負えるものではない。
    なぜそんなことを言い出したかというと、どうやら土日の連休中にフリーターをやっている友達に会い、そのステキなライフスタイルに魅せられてしまったようなのだ。
    □働くのは週の半分くらい。
    □手取りのお給料は、自分と大して変わらない。
    □休みの日は彼氏とドライブやショッピングを満喫。
    □平日も、仕事が終われば街で遊んだり。
    なるほど。話を聞けば聞くほど、フリーターも悪くないなあ・・・と思わせる説得力がある。
    イヤイヤ、西千晶に説得されている場合ではない。フリーターなんてどうしよーもねえよ!とぼくは激しく叫んだ。西千晶がフリーター化することを必死の形相で食い止めようとした。こいつは一度言い出したらテコでも動かない難物であるからだ。他ならぬぼく自身がフリーターを6年もやっていたことは、この際だまっておくことにした。それからぼくは会議を中断し、60分間にわたって説得工作に入った。

    ぼくはまず、「彼らは搾取されていることに気づいていない」と述べた。西千晶は「さくしゅ?」と不思議そうな顔をした。初めて聞く言葉だったようだ。
    バブル崩壊以降、企業は正社員の雇用を躊躇するようになった。雇用リスクが高いからだ。
    社員には、ある程度の賃金保障と賞与、福利厚生を提供しなければならず、様々な休暇も確約しなければならない。解雇する場合も「ほな今月までで退職ね」と肩をポンッでは済まない。
    その点、派遣社員、パート、アルバイトに対しては、カイシャ側の都合と論理で、雇用期間や賃金を決めちまうことができる。あらかじめ雇用期間を決めた契約社員もそうである。経営側からすれば、正社員を雇うより「石が転がるように生きる」フリーターをアルバイトとして業務に組み込めば、本来かかるべき人的コストを大幅にカットできるのである。彼は気の向くままに辞めてくれる。
    パート・アルバイトは正社員と同じ労働者という立場であるが、実際上の権利は同等とは言いがたい。仮に経営に不信感があっても、帳簿の閲覧を求めたり、経営者との団体交渉はしにくい。法的には可能だとしても、実際はできない。正社員とほぼ同じ労働をしても、コスト安の存在。本来的に自分の労働が生み出す価値に対して、労賃を値切られている存在なのだ。

    つぎに、フリーターたちの「時間を切り売りする感覚」がよくない、という説明に入った。アルバイト経験豊富な学生を正社員として採用すると、ある決まった仕事はちゃんとこなすが、指示なしの状態で仕事を作るのを苦手とする傾向があることに気づく。
    また、彼らは仕事に対して純粋な夢を抱きにくい傾向がある。「これだけの賃金に対して、これだけの労働を提供すればいい」という観念をぬぐい去るのに、けっこう時間がかかる。いまどきのバイトの時給800円、日当7000円。だから1000円なんてたいした金じゃない。そう考える若者がたくさんいる。自分の時間を切り売りしてもらう時給だと、どうしてもそんな感覚に陥ってしまう。
    社会に出て金を稼ぐということは、簡単なことじゃない。
    たとえば自分で商売を興そうとする。「これを自分の手でやってみたい」と決意してから、収入ゼロ円の日々が何百日も続く。最初にお客さんからもらった100円、1000円のお金に、指先が震えるほど感激する。お金のありがたさを嫌というほど教えられるのだ。
    そんな体験をすれば、「お金なんていらないから、仕事させてください」という若者が現れたら、「君はぼくの若い頃のようだね」と誉めたあとで、「でも君は甘ちゃんだね」なんてチクリと刺したくもなる。
    脳みそをフル回転させ、街を歩き回って足を棒にして、自分の手で稼ぎ出した1000円は、他人の指示どおり動いて手にした1000円、親からもらった小遣いの1000円とは別の価値がある。
    だからね、若い時こそフリーターじゃなくて、頭をこづかれて働く下積みをした方がいい!と、熱弁をふるうぼくの顔を見る西千晶の目は、トロ〜ンと睡魔に襲われつつある。しまった! 話がつまらなかったのか!? 起きてる?と聞くと、「なんとか」と西千晶は言う。

    ぼくは気合いがメルトダウンしないよう話をつづける。
    いままでたくさんのフリーターと面接をしてきた。彼らは「自分には、いずれやりたいことがある」と言う。ぼくはいつも問い返してきた。「なぜそれを今やらんのん?」。
    「東京に出るための準備資金が必要なので、アルバイトをしてお金を貯めようと思います」
    いくらお金を貯めたら、東京に行くの?
    「それはちょっとわかりませんけど・・・」
    20万円もあれば部屋はどうにかなるから、誰かからお金を借りたらすぐ行けるよ。
    「人から借りるのは嫌いなんです」
    でも、いま親と同居してるんでしょ? 税金も保険も電気代ガス代水道代も親持ちじゃないの? それは平気なの?
    「はあ、あんましよくわからないです」
    こういう会話、なんどもしてきた。あるいはまた、
    「いつかカフェをやりたいと思ってまして。いろんな店を見てみたいので雑誌編集の仕事をしようかと思いまして」
    カフェ出すのにいくらお金かかるか調べたの?
    「いまんとこ、調べてないです」
    じゃあ仮に800万円かかるとして、うちで何年バイトして貯めるつもりなの? 10年以上かかるけどいい?銀行からお金借りたら、すぐできるんじゃないの?
    「今すぐやるつもりはありません。やっぱ人脈とかつくったりしたいし、ノウハウの蓄積も必要だと思うし・・・」
    そう、フリーターとの話し合いは、果てしない「今やれば?」「今はできません」トークの応酬なのである。「いまはアルバイトでいい」という理屈は、以下の心情の合理化である。
    「いずれ何かやるつもりだけど、お金も必要だし、いろいろな知り合いも作っていきたい。親元で貯金をしながら、いつか自分がやりたいって思ったときにやったらいいか。自分をサポートしてくれる仲間といっしょに、自分の好きなことをやりたい。いつかはほんとにやりたいことが見つかるだろうし、それまではあせる必要もないし、いろんなことやりたい自分ってサイコー!」
    これが典型的フリーター思想。多弁だけど、何もやるつもりがない人の論理。本気の人は、自分に「準備期間」などという執行猶予の時間を与えないもんだ!

    そんなぼくの弁舌を、西千晶は夏の海辺に立ったような遠い目で見つめる。その先には白い壁しかない。ぼくはやや傷つきながらも、なんとかこの場をシメなきゃと思い、うめき声のように言葉を発する。
    10代から20代中盤まにでに積み上げた経験が、それからの人生を自由にする。能力があれば自由になり、社会に通用する能力がなければ不自由になる。いろんな職業を経験したり、いろんな職場に勤めても、たいへんな局面から逃げ、その場その場の気楽さだけを求めていたら、何の経験も積みあがらない。仕事との距離を遠くに置けば、どんなこともつまらなくなる。他人から見てどんなにバカげて見えることでも、無我夢中でやっていたら、ぜったいおもしろくなる。

    さて、ぼくの言葉は西千晶に届いたのだろうか?
    同級生の大半が大学に進学し、おもしろおかしくキャンパスライフを過ごしている。就職した多くの同世代が、新人研修期間中にあっけなく会社を辞めたりしている18歳である。そんななかで真夜中までひたすら頑張る自分と周囲との距離を、彼女はどう計っているのだろうか。
    電気のついてない独り暮らしの部屋にトボトボたどり着いて、阿南からやってきたお母さんが昼間に置いといてくれた机の上のクリームパンを見て、なにを思うのか。彼女がいまだ「フリーターになりたい!」と思い続けているのかどうかはわからないけど、今日もぼくは西千晶にカイシャにいてもらうために、外出のついでにコンビニの10円菓子コーナーをまさぐり、「ちょこましゅまろ」の大箱を探しもとめる。
    西千晶、世の中はこんな風にホントにおもしろいよ。稼ぐ18歳の方が、稼がない経営者より立場がはるかに上なんだからね〜。
  • 2006年07月05日徳島で若者を採用するお悩み その1「へんやって!高卒採用」
    ふつうの就職制度にしてくれ!の巻

    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    「採用しにくい!」
    高卒の若者を採用しようとして実感した。思ったように採用活動ができないのだ。
    小社では、4年前から高卒の新卒採用をはじめた。といっても、もともと何歳でも入社して構わなかったんだけどね。16歳のフリーターでもやる気があれば、採用する。
    学校に行ってない子を採用するのは未成年でも問題ない。保護者の許可をもらえばよいだけだ。
    しかし「現役の高校3年生」を採用するのが、こんなにややこしいことだとは当初は想像していなかった。高卒採用をややこしくしている代表的な2つの制度について説明を試みたい(これがけっこう説明むずかしいんです)。
    ■「指定校制度」という制度
    高校生を採用したいとき、企業はまず高校名を指定しなければならない、というルールである。意味わかるだろうか。つまり「高卒者3名募集」とし、全高校に声がけするのではなく、
    「徳島商業高校に2名」「富岡西高校に1名」などと、学校を指定しなくてはならないのだ。どこの高校にどんな生徒がいて、自分とこの会社のビジネス・職種に向いている子がいるのかどうかなんて、最初からわかるはすがないのにである。
    もし、別の高校にたまたま当社に就職希望してくれる生徒がいたとしよう。しかし、偶然か必然かその子の情報が入らない限り、企業と生徒をつなぐルートはない。仮にこの生徒が希望の会社に就職するためには、以下のような手続きをするしかないと想像する。生徒は事前に企業にアポを入れ、訪問し、人事担当者か経営者に面会しなくてはならない。そしてこう述べる。強く述べる。
    「オレのいる高校を指定校にしてください。そうしたら就職担当の先生に、《オレあの会社の人事とハナシつけてきた。オレを推薦してほしい》と頼みますから。よろしく!」。
    こんな根回しをしなくてはならないのだ。現実問題、そんなことするごっつい高校生はいないだろう。だから高校生に職業選択の自由って、あんましないのである。

    ■「一人一社制度」という制度
    さらに理解に苦しむのがこの制度である。
    先に述べた「指定校制度」のもと、企業が学校に「1名ほしい」とお願いする。すると学校側が、その企業にふさわしいと思われる生徒を1人選び、企業に推薦することになる。ぶじ推薦を受けた生徒だけが、その企業を受験する権利をもつ。推薦されなかった生徒は、企業に出かけていって自己PRすることも許されない。また推薦を受けた生徒は、いったん推薦を受けると、その会社の合否が出るまで、ほかの会社を受けることはできなくなる。ハアーッ、ため息つづきである。

    「一人一社制度」の問題点は大きく2つある。
    1.その企業にあった人材を、企業が決めるのではなく学校が決める、という点。企業というものは生き物である。毎年、いや月刻みでほしい人材の条件は変わる。優等生がほしい場合もあれば、スポ根なヤツがほしい場合もある。先生に反抗しまくってるアウトローがほしい場合だってある。しかし、こんな企業側の希望は学校には届かない。(だってこんな希望を書く欄は申請書にないのです)
    また、推薦された生徒は、成績順で選ばれたのか、性格の向き不向きか、企業側は知るよしもない。
    2.(生徒から見て)タイムロスが多い点。
    生徒は1社に願書(履歴書など)を提出し、会社から採用試験の案内が来て、試験を受け、合否判定が出るまで、ほかの会社は受けられない。あれやこれやですぐ1カ月たってしまう。年末までが採用のピークだとしたら、高卒採用が解禁される9月からだと勝負は4カ月〜半年。どんどん時間がなくなっていく。高校生の立場からすると、すごくリスクが高いと思う。

    指定校制度や一人一社制度は、高度成長時代のなごりだと思う。つまり、大量生産の時代に、勤勉で一定以上の能力のある高校生を10人、100人とまとめて雇用したかった企業と、毎年安定して企業に生徒を送り込める学校側の意思が一致していたのだ。
    しかし、時代は変わったのである。どのような職種も、アイデアや人間力が求められる。現場から組織を変えてくれるような人材を、企業は血まなこで探している。そんな時代に制度がついてきていないのだ。あるいは就職時に何社も受けては落ちする生徒を傷つけたくないという先生方の優しさが制度として残されている源なのかもしれない。しかし、その優しさは社会では通用しない。生徒は、数カ月後には競争社会に放り込まれるのだから。

    企業は、とくに中小・零細企業は、求人数をきっちり決めているわけではない。その時々の受注の具合、経営状態によって採用数が変化する。あるいは、よい人材がいれば将来稼いでくれると見込んで採用するし、何人に受けてもらっても、欲しい人材がいなければ採用できないってこともある。
    学歴はさほど重要な要素ではなくなった。バイテリティがあり、やる気があり、おもしろい人物なら、大卒であろうと高卒であろうと関係ない。ボクは、今の日本なら、あるいは徳島なら、大卒よりも高卒の方がはるかによい人材がいると考える。
    目的もなく大学に進んで4年間で「ダレてしまった」人間を軌道修正するのは難しい。ちゃらちゃらした22歳の大学生よりも、生き方に迷い、夢を語る18歳の高校生にはるかにシンパシーを感じる。文部科学省も、厚生労働省も、そんな高校生の就職活動の規制緩和をすすめ、より自由に就職活動できる環境をつくるべきだ。つくってちょーだい。新卒高校生が思いっくそ能力を発揮できる就職環境に早く近づけようぜ、お役人さん!
  • 2006年06月22日徳島で雑誌をつくろう そのイチ「実売部数を公開するのだ」
    ついてはいけないウソ

    文責=坂東良晃(タウトク編集人)

    世の中はウソのホンネの多層構造からできている。ウソという皮をむけばがホンネが顔を出し、ホンネの薄皮をむけば、またウソがまた見える。
    分厚いウソの皮膜で塗り固められたケーハクな人生を送っている人にも正義の顔はどこかにあるだろうし、したり顔で正義をとなえる人も、裏側では札束勘定に精を出していたりもする。
    「正義を唱える者こそ疑え」との思想家・宮崎学の言葉を実感するニュースが足れ流しにされ、受け取るぼくたちの心も、壊疽を起こしている。
    何があっても、あまり驚かなくなった。出張旅費をネコババした改革派知事、セクハラを繰り返した企業再生の第一人者、震災募金をわがものにした新聞社、北朝鮮政策を反省しない左翼政党、銀行家、市民運動家、裁判官、検事、教師たちのオネテの顔とウラの顔・・・。
    「虚実あるのが人間のおもしろいとこさ」と明るくあきらめることもできるが、
    そんなもんじゃないでしょ、とネバってみることもしなくちゃいけない。
    ちいさなネバりのひとつを見せよう。ぼくが起こすアクションとしては小さいが、ウソのスケールは大きい。

    新聞に発行部数があり、テレビに視聴率があるのと同様に、雑誌にも「発行部数」というものがある。雑誌業界が一丸となって、この「発行部数」のウソをついているという話だ。

    その前に、雑誌を発行するビジネスの中身について、さらっと紹介しておこう。雑誌の収入源は2つである。本を売って稼ぐ方法と広告を売って稼ぐ方法だ。さて、本屋さんでフツーに売っている一般的な雑誌の収入源は、本を売って稼いだお金よりも、「広告」頼りだと言っていい。
    たとえば雑誌を5万部印刷したとすると、だいたい600万円くらい印刷代がかかる。そのうち3万部が売れたとしよう。1冊につき200円が入ってくるなら、600万円が売上高だ。
    600万円の印刷代に、600万円の売上高。
    なんだ、もうかってないけどトントンじゃないか、と思われるかもしれない。しかし、3万部も売れる本を作ろうと思えば、10人くらいの編集部員が必要である。事務所も借りたり、パソコンやカメラも買わなくちゃいけない。もちろん取材にもお金がかかる。で、なんやかんやで1冊つくるのに1200万円くらいかかる。これじゃあ差し引き600万円の大赤字である。
    そこで広告の収入が必要となってくるのである。600万円の赤字分を上回る広告があれば、その雑誌は利益を出すことができる。600万円分入らなければ、赤字である。しばらくの間、赤字がつづけは、その雑誌は休刊か廃刊になる。単純な構造だ。

    そう、広告は雑誌が生きていくための生命線なのである。
    その広告を、企業からもらうために、出版社側は「雑誌データ」を企業に提示する。テレビ局が、企業に視聴率を報告するのと同じ理由だ。
    「視聴率10%だから、約1千万人が見る時間帯ですよ。だから15秒につき、これだけの広告代金をいただきますよ」という話。
    テレビの視聴率はシビアである。単純に人口比にしてしまえば、1%が100万人に相当する、0.1%でも10万人だ。これは絶対ズルはできない。
    日本テレビのディレクターが視聴率調査モニターにお金を払って、視聴率を操作した事件があった。一社員の不祥事に、ふだんは強面の日本テレビの首脳が居並び、ふかぶかと頭をたれ謝罪した。
    どうして、視聴率をいじるのがいけないのかというと、視聴率と広告料金が密接に関係しているからだ。視聴率が高くなれば、企業はそれに応じて高い広告料金を払う。だから絶対ウソがあってはいけない。

    雑誌において、この視聴率に相当するのが「発行部数」である。ところがこの「発行部数」というもの、まったく得体が知れない。
    雑誌の広告を企業にセールスするときに、よくある場面。
    セールスマン「発行部数5万部です。カフェやショップに置いたり、読者が回し読みしたりするので、1冊につき3人くらいが目を通すという調査ずみです。だから15万人くらいが当社の雑誌を読むことになります。で・・・広告料金はコレコレです」
    企業担当者 「15万人か。そのうち1%の読者が反応してくれたら、1500人か。悪くないな」
    雑誌の部数は、広告を出そうかどうか迷っている企業の広報担当者の判断を決定づける大きな要因のひとつなのである。

    ところが、この契約の大前提となっている「発行部数」が大ウソだったとしたら、どうなのだろうか。車をセールスするときに、1000ccのエンジンを3000ccだと言って売りつけたら、
    それは詐欺行為にあたるだろう。それと同様のことが、雑誌の世界では堂々と行われている。

    2004年11月、835誌が加盟する日本雑誌協会は、毎年発表していた雑誌の部数について、今までに公表していた発行部数の多くは水増し部数であると認め、今後は3年間かけて徐々にやめていくことにしたらしい。そこで「自称発行部数」の代わりに用意されたのが、「印刷部数」データである。これは、実際に印刷所から雑誌協会に何部刷ったかという伝票がまわり、「ウソじゃないよ」と証明する方法である。
    このルールに変わったとたん、とんでもないことが起こった。去年まで25万部と言っていた雑誌が、突然「印刷部数は2万部です」とゲロってしまったのである。つまり10倍ほどもサバを読んで、過去何年間も報告していたことになる。特定企業がやっているのではなく、業界全体の行為だから、公正取引委員会も立ち上がらない。ある雑誌は、政治家の賄賂を糾弾する。またある雑誌は、テレビの視聴率操作を批判する。しかし、その雑誌業界全体が、その事業の根幹をささえている広告のセールス時に、完全なウソをついているのである。

    こういった雑誌の「発行部数のウソ」は、世界中で行われているようだ。日本とは違いアメリカでは、広告主が出版社を相手取り訴訟を起こしている。つまり「今までウソついて、高い広告料金払わされていた分、ぜんぶ詐欺なんだからおカネ返してよ」という理屈だ。いたって正当な主張だと思う。

    さて先ほどの「印刷部数」だか、これもまやかしであることを説明する。雑誌は印刷したからといって、全部が読者の元に届くわけではない。平均30〜40%が書店やコンビニで売れ残る。さえない雑誌はもっと売れ残る。売れ残りは回収され、断裁され、東南アジアに売られたり、再生紙になったりする。つまり、読者がお金を出して買い読んでくれるのは、「印刷部数」の60%〜70%なのだ。だから「印刷部数」2万部、といっても実際に売れているのは1万部ちょっとということになる。これを出版業界では「実売部数」と読んでいる。実売部数が少なくても、たくさん印刷して廃棄しておれば、「印刷部数」は保てるのである。まるで意味ない。

    ここにおもしろい図式が浮かび上がる。
    発行部数10万部(出版社が広告を売るためのでっち上げ)

    実は印刷部数2万部(印刷所にこれだけ刷ってと頼んだ部数)

    ホントは実売部数1万部(これが真実の部数。ただし公的に認定する機関・団体は存在しない。

    ABC協会というのもあるが加盟誌が少なく、毎号調査しているわけでもない)

    ひどい話である。ぼくは、長らくこの体質の出版業界に住んでいるが、普段はすばらしい人格者だと思う立派な紳士でも、こと「発行部数」になると悪らつな商売人の顔を見せる。業界において「実売部数」はアンタッチャブルな話題であり、これを公にすべきなどと言っている人間は、皆無に近い。

    月刊タウン情報トクシマは、創刊以来、毎月「実売部数」を発表している。創刊号の頃は8549部だった。さる8月号で部数の新記録を達成し1万5591部だった。自我自賛してはいけないが、創刊から3年少々でほんとにたくさんの方に本を買っていただいていると、心から喜んでいる。下1ケタまで報告しているのは、ウソでないことを証明するためだ。
    タウトクはこの実売部数のほか、地域別に何部売れたか、書店・コンビニ別に何部売れたかまで、すべて公開している。また、発売完了から10日以内というスピードで、数字もアップしている。ウェブサイトに公開しているので、ぜひご覧いただきたい。

    ところがぼくたちがこのデータをもって企業や商店を訪問し「実売平均が1万2000部です。人口81万人の徳島で、なかなかよく売れてるんですよ」と説明すると、こんなこと言われたりする。
    「はーん、たった1万部か・・・。やっぱりまだダメねえ〜。5万部くらい売れたら広告も考えるわ。あんたんとこのライバル誌は4万部も出てるのよ、ぜんぜん勝負になってないじゃない」。
    とバカにされ、ナミダの数だけ強くなって帰ってくるだけである。でもまあいいとしよう。正しいと思ってやってるのだから、それでダメなら仕方がない。

    小さな抵抗かもしれない。しかし、他の地域の出版社数社から問い合わせをいただいている。
    「本当に実売部数なんか出して大丈夫なの? それで広告売れるの? データを出す理由は? ウチもやろうかなと検討中なのよ」
    あるいは、こんなお話もいただいている。「キミキミ、そんなことしてどうなるかわかってるの。キミなんか潰すのわけないんだからね〜」
    おお、こわっ! そんなときは「ぼ、ぼくが悪ければ、訴訟お待ちしてます」と命からがら答える。

    当社の取り組みをもっと全国に広げたいなあと思っている。ぼくは、このコラムに実売部数報告書をつけてあちこちに配布しようと思っている。ぼくたちの真っ当な提案を拒否する出版社には、拒否する理由も聞いてみたいと思う。そして聞き取りした各種非難、嫌味などを、実名つきでコラムにまとめたいと思いまーす!