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2008年03月30日
結婚しちゃお!冬号の売部数は、
1193部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
2008年03月29日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
プロレスに感情移入できなくなったのはいつからだろう。
各団体が明るく楽しいプロレスを標榜するようになったからか。グレーゾーンだった様々なアングル(仕掛け)を、WWEに習って「すべてが演出です」と明示するようになったからか。レスラー自らがブログで、「レスラーといっても実は平凡な気のいい男なんです」と語り出したからか。
プロレスに感情移入できなくなったのはいつからだろう。
各団体が明るく楽しいプロレスを標榜するようになったからか。グレーゾーンだった様々なアングル(仕掛け)を、WWEに習って「すべてが演出です」と明示するようになったからか。レスラー自らがブログで、「レスラーといっても実は平凡な気のいい男なんです」と語り出したからか。
かつてプロレスは暗い世界だった。
会場自体も薄暗かった。体育館に支払う照明料をケチッていたのかどうかは知らない。非常出口の表示板が煌々と浮き上がる闇の中、マットとレスラーを照らすのは小さなトップライトのみ。頼りなげな白色光の下でレスラーたちは黙々と関節を取り合う。演出といえばリングアナのコールだけ、入場テーマソングのテープすら流さない。
70年代新日本プロレスの前座は、そのゴツゴツした肉のぶつかり合い、骨のきしみ合いがプロレスそのものであった。前田、魁、木戸、小林、浜田、高野、藤原、小鉄、星野、平田、荒川・・・。どのレスラーもいかつい顔とゴツい胸板と腹を持ち、現在のアンシンメトリーな髪型をした、ホストのような顔をしたスター選手とは程遠い。もちろん試合会場に若い女性の観客などいない。
試合は地味だ。組み合い、手四つの力比べからブリッジへ移行、ヘッドロックを外してボディスラムで叩きつけ、ストンピングを入れる。ロープに投げたらショルダースルーかアームホイップ。フィニッシュホールドはボストンクラブかキャメルクラッチ。
スクワットで鍛えられた発達した大腿筋が、美しい陰影を浮きあがらせる。マットから吹き出したホコリ漂う空中に、飛び散った汗がきらきらと光る。規則的なレスラーの息づかいを、観客は息を潜めて聴く。それがプロレスだった。
今のレスラーはみな明るい。そしてよくしゃべる。鶏のササミを食い、ウエイトトレーニング理論に則った負荷を筋肉にかけ、サンタンライトで全身を黒く焼く。腹回りの体脂肪を削り取り、僧帽筋や大胸筋をバンプアップさせる。
ドラゲー、ノア、DDTのトップレスラーたちは、その美しい筋肉美を見せつけながら、体操選手のように派手に舞い、マトリクスの主人公ばりに派手にかわす。マイクパフォーマンスは芸人はだしである。観客に伝わるようにゆっくりしゃべり、間も絶妙だ。シリーズの展開の説明を要領よく説明もする。エンタテイメントをなりわいとするプロとして十分に完成されている。
しかし何も感じられない。ぼくたちは、昔のようにレスラーに人生を投影したり、コンプレックスを共有したり、金言を得ることはない。吹き出さんばかりの情念を背景に、泥臭く戦っていたかつてのレスラーたちとは、何もかもが違う。
何もプロレスに限ったことではないのだ。ボクシングにしろ、総合にしろ、人生を背負って花道をリングに向かうような重苦しい選手がいなくなっただけのことだ。ロックにしろ、演歌にしろ、生命を削りながらステージに上がる歌い手がいなくなっただけのことだ。
3月6日、みちのくプロレス徳島大会は、ふいに目の前にポンっとさし出された。いつものみちのくプロレス、何度も目にしたみちプロの大団円を前提としたプロレス・・・心の準備はそれだけ。
1試合目の相澤孝之と清水義泰戦。3カ月前に阿南大会で見た清水の動きは重く、アンコ型の地味な選手という印象しかない。期待などしていなかったのである。相澤も同期のグリーンボーイである。だが試合は熱かった。練度の低い空中技は使わず、基本的な攻防の繰り返しでありながら、2人の必死さが伝わってくる。歴代の若手に比べれば身体能力は劣るのかもしれない。しかし、みちのくの前座でこんな感情直撃をする若手っていただろうか?
2試合目の景虎と日向寺塁は、さらに骨太な展開を見せた。派手な技の応酬はなく、ボディシザースやネックロックなど互いに絞め技をきめ合う。ふつうの試合なら「退屈」な部類だったはずだ。しかし気持ちの入りようが尋常ではない。痛みが伝わってくるのである。景虎は、試合時間の大半をボクシング出身の日向寺の打撃を吼えながら受けた。・バトラーツのバチバチを彷彿とさせる展開が続く。本当にこれがみちプロか、というドロ臭さなのである。
デルフィンや東郷、テリー、TAKAら、団体創設の頃からのメンバーがごそっと脱けた頃のみちのくは、観客としたどう観ていいのかわからなかった。前座では「MICHNOKUレンジャー」や「110.119隊員」あるいはスーパーカー・キャラなどの設定が不明なマスクマンが登場し、反応する術がない。それ以前とて、原人VSウェリントンの時代から、みちプロは前半おちゃらけで折り返し、後半ハイスパート・ルチャの速度をグイグイ上げ、客を温めていく団体ではなかったか。
そんな時代に比べると、この日のみちプロはまるで別団体のような空気が漂っている。
そして4試合目である。デビュー戦である拳王(中栄大輔) は、握手を求めたアレクサンダー大塚の手を張り、デビュー戦らしい好勝負を拒絶する意思を表明する。「オオツカーッ」と叫びながらこの世界13年のベテランの顔面に張り手を入れる。掌底、ボディ、ローキックのコンビネーションを幾度となく放つ。大塚の右瞼は大きく腫れ上がり血が一筋流れる。拳王の打撃技を大塚はすべて受け止める。そして、最後は市立体育館の二階席の空気まで鈍く揺らすほどの、重い重い頭突きとジャーマンで拳王を沈める。ドクドクと鮮血があふれる拳王の額に、大塚は白いタオルを巻いてやり、そして抱きしめる。拳王の日本拳法時代の恩師の中川雅文さんがリングに上がる。マイクを手に思いの丈を振り絞る中栄大輔の姿を、中川さんは何とも温かな、慈愛に満ちた表情で見つめる。本当に強い男だけが持つ優しさに溢れた表情である。
何だ何だこの漢(オトコ)の世界は!鳥肌立つじゃないか!
プロレスは本来、こうやって感情をぶつけ合う世界だった。どこまでが予定調和でどこからがパプニングなのかはわからない。幾百のストーリーの中に観客は真実を見つけ、心を熱くした。
わずか20年ほどの間に、プロレスは競技として進化をしすぎた。かつてのフィニッシュホールドは単なるつなぎ技に、トップロープからのボティプレスは1回転半以上に、あらゆる技は雪崩式にアレンジされ、エプロンから場外に首から落とす。観客は、見栄えのいい大技が「いつ出るか」と期待している。レスラーは、頭部や頸椎や膝への大きなダメージを覚悟のうえで、危険な角度で跳ぶ。その覚悟の重さをファンが知り尽くしているわけではない。明るく楽しく、しかし生死や身体の不随に至る事故が表裏一体のアクロバティックな競技、行き着く先はどこなのか・・・。
こんな風に、時代遅れの古めかしいプロレスファンが郷愁と夢想にひたっている横で、当社の女性社員たちはいつになく興奮気味なのである。聞き耳を立てていると、コメントがいかしている。「景虎ってオトコマエ」「受けて立った大塚がカッコイイ」「野橋と名勝負をできるGAINAは成長した」「プロレスってホンマなんですね・・・」。
いやいやプロレス初観戦の人間まで解説者気取りでコメントを述べている。そして視点がなかなかシブいではないか。楽しいルチャもいいけど、餓えた男たちの張り裂けそうな思いをガツガツぶつけるような試合を、観客は本能的に待っているのではないか。
今、生き様を競技に叩きつけるようなスポーツって、ほとんどなくなってしまった。プロレスはいつまでもその頂点にいてほしいのだ。薄暗い田舎町の小さな体育館で、武骨な男たちがゼーゼーとあえぎながら身体を密着させて関節のとりっこをしているような、大人の世界を失いたくないのである。もうそんな世界にお目にかかることはないのかと諦めていたら、その対極に存在しているはずのみちのくプロレスの会場に、その懐かしい原プロレスの匂いを嗅ぐことができた。幸福感に包まれた日曜の午後だったのだ。
会場自体も薄暗かった。体育館に支払う照明料をケチッていたのかどうかは知らない。非常出口の表示板が煌々と浮き上がる闇の中、マットとレスラーを照らすのは小さなトップライトのみ。頼りなげな白色光の下でレスラーたちは黙々と関節を取り合う。演出といえばリングアナのコールだけ、入場テーマソングのテープすら流さない。
70年代新日本プロレスの前座は、そのゴツゴツした肉のぶつかり合い、骨のきしみ合いがプロレスそのものであった。前田、魁、木戸、小林、浜田、高野、藤原、小鉄、星野、平田、荒川・・・。どのレスラーもいかつい顔とゴツい胸板と腹を持ち、現在のアンシンメトリーな髪型をした、ホストのような顔をしたスター選手とは程遠い。もちろん試合会場に若い女性の観客などいない。
試合は地味だ。組み合い、手四つの力比べからブリッジへ移行、ヘッドロックを外してボディスラムで叩きつけ、ストンピングを入れる。ロープに投げたらショルダースルーかアームホイップ。フィニッシュホールドはボストンクラブかキャメルクラッチ。
スクワットで鍛えられた発達した大腿筋が、美しい陰影を浮きあがらせる。マットから吹き出したホコリ漂う空中に、飛び散った汗がきらきらと光る。規則的なレスラーの息づかいを、観客は息を潜めて聴く。それがプロレスだった。
今のレスラーはみな明るい。そしてよくしゃべる。鶏のササミを食い、ウエイトトレーニング理論に則った負荷を筋肉にかけ、サンタンライトで全身を黒く焼く。腹回りの体脂肪を削り取り、僧帽筋や大胸筋をバンプアップさせる。
ドラゲー、ノア、DDTのトップレスラーたちは、その美しい筋肉美を見せつけながら、体操選手のように派手に舞い、マトリクスの主人公ばりに派手にかわす。マイクパフォーマンスは芸人はだしである。観客に伝わるようにゆっくりしゃべり、間も絶妙だ。シリーズの展開の説明を要領よく説明もする。エンタテイメントをなりわいとするプロとして十分に完成されている。
しかし何も感じられない。ぼくたちは、昔のようにレスラーに人生を投影したり、コンプレックスを共有したり、金言を得ることはない。吹き出さんばかりの情念を背景に、泥臭く戦っていたかつてのレスラーたちとは、何もかもが違う。
何もプロレスに限ったことではないのだ。ボクシングにしろ、総合にしろ、人生を背負って花道をリングに向かうような重苦しい選手がいなくなっただけのことだ。ロックにしろ、演歌にしろ、生命を削りながらステージに上がる歌い手がいなくなっただけのことだ。
3月6日、みちのくプロレス徳島大会は、ふいに目の前にポンっとさし出された。いつものみちのくプロレス、何度も目にしたみちプロの大団円を前提としたプロレス・・・心の準備はそれだけ。
1試合目の相澤孝之と清水義泰戦。3カ月前に阿南大会で見た清水の動きは重く、アンコ型の地味な選手という印象しかない。期待などしていなかったのである。相澤も同期のグリーンボーイである。だが試合は熱かった。練度の低い空中技は使わず、基本的な攻防の繰り返しでありながら、2人の必死さが伝わってくる。歴代の若手に比べれば身体能力は劣るのかもしれない。しかし、みちのくの前座でこんな感情直撃をする若手っていただろうか?
2試合目の景虎と日向寺塁は、さらに骨太な展開を見せた。派手な技の応酬はなく、ボディシザースやネックロックなど互いに絞め技をきめ合う。ふつうの試合なら「退屈」な部類だったはずだ。しかし気持ちの入りようが尋常ではない。痛みが伝わってくるのである。景虎は、試合時間の大半をボクシング出身の日向寺の打撃を吼えながら受けた。・バトラーツのバチバチを彷彿とさせる展開が続く。本当にこれがみちプロか、というドロ臭さなのである。
デルフィンや東郷、テリー、TAKAら、団体創設の頃からのメンバーがごそっと脱けた頃のみちのくは、観客としたどう観ていいのかわからなかった。前座では「MICHNOKUレンジャー」や「110.119隊員」あるいはスーパーカー・キャラなどの設定が不明なマスクマンが登場し、反応する術がない。それ以前とて、原人VSウェリントンの時代から、みちプロは前半おちゃらけで折り返し、後半ハイスパート・ルチャの速度をグイグイ上げ、客を温めていく団体ではなかったか。
そんな時代に比べると、この日のみちプロはまるで別団体のような空気が漂っている。
そして4試合目である。デビュー戦である拳王(中栄大輔) は、握手を求めたアレクサンダー大塚の手を張り、デビュー戦らしい好勝負を拒絶する意思を表明する。「オオツカーッ」と叫びながらこの世界13年のベテランの顔面に張り手を入れる。掌底、ボディ、ローキックのコンビネーションを幾度となく放つ。大塚の右瞼は大きく腫れ上がり血が一筋流れる。拳王の打撃技を大塚はすべて受け止める。そして、最後は市立体育館の二階席の空気まで鈍く揺らすほどの、重い重い頭突きとジャーマンで拳王を沈める。ドクドクと鮮血があふれる拳王の額に、大塚は白いタオルを巻いてやり、そして抱きしめる。拳王の日本拳法時代の恩師の中川雅文さんがリングに上がる。マイクを手に思いの丈を振り絞る中栄大輔の姿を、中川さんは何とも温かな、慈愛に満ちた表情で見つめる。本当に強い男だけが持つ優しさに溢れた表情である。
何だ何だこの漢(オトコ)の世界は!鳥肌立つじゃないか!
プロレスは本来、こうやって感情をぶつけ合う世界だった。どこまでが予定調和でどこからがパプニングなのかはわからない。幾百のストーリーの中に観客は真実を見つけ、心を熱くした。
わずか20年ほどの間に、プロレスは競技として進化をしすぎた。かつてのフィニッシュホールドは単なるつなぎ技に、トップロープからのボティプレスは1回転半以上に、あらゆる技は雪崩式にアレンジされ、エプロンから場外に首から落とす。観客は、見栄えのいい大技が「いつ出るか」と期待している。レスラーは、頭部や頸椎や膝への大きなダメージを覚悟のうえで、危険な角度で跳ぶ。その覚悟の重さをファンが知り尽くしているわけではない。明るく楽しく、しかし生死や身体の不随に至る事故が表裏一体のアクロバティックな競技、行き着く先はどこなのか・・・。
こんな風に、時代遅れの古めかしいプロレスファンが郷愁と夢想にひたっている横で、当社の女性社員たちはいつになく興奮気味なのである。聞き耳を立てていると、コメントがいかしている。「景虎ってオトコマエ」「受けて立った大塚がカッコイイ」「野橋と名勝負をできるGAINAは成長した」「プロレスってホンマなんですね・・・」。
いやいやプロレス初観戦の人間まで解説者気取りでコメントを述べている。そして視点がなかなかシブいではないか。楽しいルチャもいいけど、餓えた男たちの張り裂けそうな思いをガツガツぶつけるような試合を、観客は本能的に待っているのではないか。
今、生き様を競技に叩きつけるようなスポーツって、ほとんどなくなってしまった。プロレスはいつまでもその頂点にいてほしいのだ。薄暗い田舎町の小さな体育館で、武骨な男たちがゼーゼーとあえぎながら身体を密着させて関節のとりっこをしているような、大人の世界を失いたくないのである。もうそんな世界にお目にかかることはないのかと諦めていたら、その対極に存在しているはずのみちのくプロレスの会場に、その懐かしい原プロレスの匂いを嗅ぐことができた。幸福感に包まれた日曜の午後だったのだ。
2008年03月27日
セレブな品数いっぱいの贅沢ランチから、ニューオープンしたお店の新作ランチ、安うまワンコインランチまで『今日食べたいお昼ごはん』の欲望を満たす最強のランチガイド、保存版!
☆とくしまマラソン1カ月直前大特集☆
地元徳島のランナーの皆さんに役立つ、レース1カ月前直前大特集をお届けっ。徳島大学の田中俊夫先生からのアドバイスや大会実行委員会への質問、コース徹底ガイドなど要チェックだ!!
☆タウトク版 高校卒アル☆
二度と戻らない、けれどずっとココロの中にある高校時代。そんな青春の輝きをタウトクに閉じ込めました。離れていても、すっとずっと友達。
2008年03月26日
例えば…メインになる食材を決めて作った「かぼちゃ畑のカレー」、隠し味に野菜ジュースを少し加えた「きのこづくしカレー」など、計13種類のアレンジカレーを紹介!
食材は冷蔵庫の扉を開ければあるようなものばかり。さあおうちカレーをアレンジしてみよう。
2008年03月14日
徳島の素敵なお店探しに、
家でゴロゴロしながらじっくり読みたくなるように、
今知りたい情報がたっぷり詰まったCUの最新4月号は…
みんな大好きカフェ特集
「とくしまカフェマップ」
ここ1年でオープンした最新カフェから
ランチ・スイーツ・ラテが美味しいカフェ、
夜カフェ情報など盛りだくさん!
徳島全域のカフェがまるわかりの
地域別カフェリスト&マップを使って、
今まで知らなかった素敵カフェに出会いに行こう。
2008年03月11日
たとえば…「旅行カバンなど使っていないカバンはどうすればいい?」「大切にしているピアスがなくならないようにするには?」「子どもが作ってきた作品溜まる一方だけど、どうすればいい?」…など。収納の達人に学んできた収納の方法。また、読者からいただいた「家族も一緒に片づけをしてもらうための工夫」アイディアも紹介!
2008年02月27日
あたたかい春の休日にお出かけしたい、動物園や水族館、美術館、フラワーパークなど、日帰りで楽しめる近県のレジャースポットをご紹介!
☆豪華!セットメニュー☆
和・洋・中・イタリアンなどジャンルを問わず、欲張りさん大満足のお得なセットメニューに注目しちゃいました♪
☆徳島女子高生制服大図鑑☆
徳島県内43校の制服美女が大集合! 歴史を重ねた制服から新しいデザインで登場した制服までを一挙大公開! 超保存版!
2008年02月22日
さらに、玉ねぎを切るときに涙が出ない方法あるのか?気になる自分の口臭をチェックできる方法はあるのか?などをテーマに真剣勝負で実験。さて、その結果とは・・・?
2008年02月13日
徳島の女性が知りたい情報がギュウギュウの
CU最新号は…
☆特集1☆
女ごころ満開のショッピング小旅行
「それゆけ! お買い物ツアー」
新しいワンピースにパンプス、バッグに小物、雑貨…
春になると、ますます欲しくなるアイテムがいっぱい!
徳島県内のショッピングニュースはもちろん、
徳島発→香川・神戸・大阪・高知・岡山の
新しい&注目のお買い物スポットを詳しくご紹介します!
2008年02月09日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
卒業旅行のシーズンである。ぼくはこの季節が好きだ。
何年もバックパッカーをやっていると、すべての出来事に無感動になる。血まみれの殴り合い、赤線の売春宿の前に立つ少女、道ばたに落ちている死体・・・それが日常となり何にも思わなくなる。世界への不感症状態だ。でも卒業旅行の学生たちは違う。見る物すべてがみずみずしく、いろんなことに悩み、怒り、世界の不平等を呪う。あるいは、恐がり、気勢を張り、自分の存在確認をする。そんな彼らと話をするのが楽しい。
卒業旅行のシーズンである。ぼくはこの季節が好きだ。
何年もバックパッカーをやっていると、すべての出来事に無感動になる。血まみれの殴り合い、赤線の売春宿の前に立つ少女、道ばたに落ちている死体・・・それが日常となり何にも思わなくなる。世界への不感症状態だ。でも卒業旅行の学生たちは違う。見る物すべてがみずみずしく、いろんなことに悩み、怒り、世界の不平等を呪う。あるいは、恐がり、気勢を張り、自分の存在確認をする。そんな彼らと話をするのが楽しい。
長逗留している宿には、次から次へと若い学生旅行者がやってくる。旅の予定をこなすために慌ただしく移動する人もおれば、その町を気に入りすぎて動けなくなる人もいる。街の若者と恋に落ちることもあれば失恋に涙もする。あるいは日本で気づかなかった自分の本質とやらに目覚める人もいる。まぁ、とにかく学生旅行者はいろいろなドラマを運んでくれるわけである。ぼくはその話を聞くのが好きなのだ。感じのいいカフェがあるなら、彼らにミルクティーをおごりながら1日に18時間くらい聞いていられる。
そんな大学生たちも、就職した会社の入社式も近い3月の終わり頃になると帰国の途につきはじめる。ところが中には日本に帰れなくなる人がいるのだ。
日本に帰るべきなのか、旅をつづけるべきなのか、彼らは例外なく悩む。そして、苦渋の決断をくだす。「旅を続ける」という決断だ。就職の内定をぶっちぎり、卒業証書も受け取らず、親や親戚の怒りを一心に浴びながら、それでも旅を選択する。
2カ月分ほどの滞在費しか持っていないわけだから、旅の延期を決めた時点で限りなく貧乏になる。いくら旅先の物価が安いといっても、2カ月の予算で1年間も放浪するのは大変である。しかし彼らは工夫をしはじめる。
デジタルカメラや服を売る。1泊50円のドミトリーベッドを借り、1食20円の屋台で飢えをしのぐ。最後はザックや帰国の片道航空券まで売りさばいて空身になる。
男ならたまに辺境地にやってくる日本の女子大生ツーリストにたかる方法を覚える(この方法は次号で教えよう)。女なら現地の男や西欧ツーリストに金を払わせる方法をマスターする。まさに現代に蘇ったルンペンプロレタリアートって感じだ。
日本を出てたった数カ月でこのような悟りの境地に突入できる彼らの変貌ぶりが愉快だ。豊かさに慣れたなまっちょろい日本の若者が、現代で出来うる最大限の「世捨て」じゃないかとぼくは思うのだ。
世界じゅうの悪名高き「沈没タウン(この情報も次号で教えよう)」には、こんな日本の若者が大量に存在する。そして晴れた日にふわふわと空気中を舞う綿毛のように、あてどなく流浪しているのである。
さて、今から旅に出る学生旅行者、あるいは若いバックパッカーに提案したいことがある。
空身で旅しよう。空身の旅ほど自由なことはない。
空身で旅するならば、いつどこへ行くのだってバックパックという重荷から解放され、きみを束縛するものは何もない。
旅先での荷づくりは憂ウツな作業だ。移動につぐ移動の旅ならば、毎晩のようにバックパックに詰め込んだ荷物をすべて引っ張り出し、翌朝には丁寧につめ直さなくてはならない。しかし考えてもみよう。15キロもあろうかというその荷物、毎日使っているものなんて何パーセントあるというのか? ほとんど使ってないんじゃないか?
行きの飛行機の中で一瞬使っただけのアイマスクと空気枕。読み返すことのない海外旅行者保険の説明書。服用せずとも匂いは存在感を放つ正露丸。現地でほぼ役に立たない「地球の歩き方」。繰り返し読めるからと友人に勧められた孟子や孔子の類いの古典文庫本。特定の時間帯しか日本語放送を拾わない短波ラジオ。
そけだけじゃない。
洗濯しても乾きが悪くザックの中で蒸れ蒸れになるジーンズ、撮影技術もないのに持ってきてしまった重量感溢れる一眼レフカメラ、貴重なザックの体積のうち25%をしめる寝袋なんて安宿のベッドの上にたまに広げるだけ。
日本を出国してから帰るまで1度も使わない物のなんと多いこと! そうやって1品1品検証していくと、「特に何もいらないんじゃないか?」という気持ちに至る。旅の生活を快適にするために持参した数々のアイテムが、大きな足カセになっていることに気づく。
旅の心配事の大半は荷物なのだ。
デイパックやザックの中に大切なモノが入っていたなら、きみは始終気にかけていなくてはならない。
観光地や街なかで、かっぱらいやスリを警戒して体の前に荷物を抱えこんでいる旅人は多い。「デイパックはこうやって胸の前で抱え込むのが旅の常識だよ」なんて、古株のツーリストがしたり顔で教えてくれたのかもしれない。
バスや列車に乗り込んだらイの一番に荷台にチェーンキーでザックをくくりつけ、それでも足りずに盗難されないかと横目でにらむ。寝台列車では眠ったスキにパクられないようザックを枕がわりにする。空港では置き引きに遭わないよう両足で荷物を挟む。ホテルの部屋に荷物を置いて外出するときは貴重品を貴重じゃないように見せかけるサポタージュに忙しい。
こんなことばかり日がな一日やってると、だんだん自分が小心者に思えてくる。始終誰かを疑っては目をキョロキョロさせる挙動不審者・・・猜疑心の塊のようである。
それではいけない。24時間リスクに備え緊張の糸を張りめぐらせたゴルゴ13的な旅よりも、ボーッと何も考えずに目に映るものすべてを受け入れたいではないか。それこそが旅というものだろう。
いっそ荷物を捨ててしまえばよいのだ。あるいは、日本の自宅を出発する時点で手ぶらであればよいのだ。
最低限持参すべきは3つだ。?お金、?パスポート、?航空券(あるいは乗船券)、この3つがあればいい。
必要なものがあれば旅先で買えばいいのだ。
洗剤や石けんにしろ歯みがき粉にしろ、日本の製品よりはるかにコンパクトな物が10円、20円で売られている。
身のまわりの小物が増えたら、お店でくれるビニル袋に入れておけばいい。旅の持ち物はこれだけ。金目の物が入ってないのは一目瞭然だから、絶対に引ったくりはやってこない。
病気になれば薬を買い、読書をしたくなれば本を買い、寒ければ服を買う。不必要になれば、古本屋や古着屋に売りにいく。つまり、日本で生活している状態と同じと考えればよい。日本では、何かが起こった時のためにすべての荷物を背負ってなんかいなかったはずだ。
それでも現金やパスポートを持っていたら不安かも知れない。大丈夫だ。現金・パスポート・航空券を「貴重品の座」から降ろせばよいのだ。
よくある話だが、日本人旅行者のパスポートへの思いは並々ならぬものがある、ありすぎて困る。大切にしすぎて緊急時に誤った判断をする要因になっている。
たとえばメキシコでの実話。メキシコの長距離バスは強盗がジャカジャカ乗ってくるので有名だが、あるとき強盗に襲われたバスの最前列に座っていた日本人が、ホールドアップがかかっているにも関わらずウエストポーチに入っている物を渡すのを拒み、そのまま撃たれて死んだ。強盗がポーチのなかをまさぐると、パスポートと航空券が出てきたという。そんな物を守るために命を失うとは、判断のバランスが悪すぎる。
パスポートなんてお役所が発行する単なる「旅券」である。失くしたら再発行してもらえばいいだけだ。1つしかない命を懸けて守るほどの価値はない。
現金だってそうだ。一般的な旅行ならカバンの中に20万円くらい持っているだろうか。20万円なら日本で一カ月間、一生懸命働けば稼げるのだから、必死に守る必要などない。強盗に出くわせば「どうぞ、どうぞ、みなさんの未来のためにお使いください」と、笑顔でプレゼントすればよい。
日本じゃなかなか体験できない、貴重な旅の思い出になる。どうせあなたは帰国後、その強盗体験をバーや居酒屋で100回は話をするだろう。ネタ代として元をとって十分に余りあるではないか。10万円、20万円をケチッて腕一本、目ひとつを失うのは割に合わない。
その辺の、とっさのデメリット計算が日本人は弱い。銃やナイフで武装した悪党に対して正義感など出してはいけない。よその国の世間はそれほど甘くない。
つまりだ。現金・パスポート・航空券という「旅の三種の神器」に対して執着心をなくすことで、旅の危険度は一気に減るのである。さらには荷物を持たない空身なら、山賊でも詐欺師でもいつでもいらっしゃいと心に羽が生えたように自由になるのだ。
あえて何かひとつ携行するとしたら、ナイフを1本持っていくといい。ナイフひとつあれば、ほとんどの身の回りの用が足りる。缶詰を開けることができる。スプーンの代わりになる。化膿した皮膚を焼くこともできる。ネジを締めたり、壊れた鍵をこじ開けたりし、ほとんどの工具の役割をナイフは代わって果たしてくれる。
ナイフは万能の道具である。ビクトリノックス社のアーミーナイフを持つ旅人は多い。あの赤くて可愛いヤツはオシャレで可愛く多機能だが、実際のところ複雑な機能は必要ない。アーミーナイフはアイテムが多ければ多いほどゴミや脂、果肉なんかが根本に詰まって汚れがひどくなってしまう。それよりも、開いたときに「カチッ」とロックのかかるナイフを選ぶのが肝心だ。ロックされないナイフは、包丁的な用途以外にあまり使えない。工具代わりにすると危険なのだ。しかし話ずれずれですね。
世界は広い。
水道水を飲める国、教育が義務化された国、戸籍があり万人に選挙権があり男女の権利が平等な国、人前でサイフを出しても大丈夫な国、女性が夜ひとりで歩いても何も起こらない国、自動販売機が道ばたに置かれている国。
ぼくたちが生まれたそんな国が、地球上で限りなくマレな存在であるのを知ることは、きみの人生にとって価値のある引き出しのひとつとなる。
若者よ、荷物を捨てて旅に出よう!
そんな大学生たちも、就職した会社の入社式も近い3月の終わり頃になると帰国の途につきはじめる。ところが中には日本に帰れなくなる人がいるのだ。
日本に帰るべきなのか、旅をつづけるべきなのか、彼らは例外なく悩む。そして、苦渋の決断をくだす。「旅を続ける」という決断だ。就職の内定をぶっちぎり、卒業証書も受け取らず、親や親戚の怒りを一心に浴びながら、それでも旅を選択する。
2カ月分ほどの滞在費しか持っていないわけだから、旅の延期を決めた時点で限りなく貧乏になる。いくら旅先の物価が安いといっても、2カ月の予算で1年間も放浪するのは大変である。しかし彼らは工夫をしはじめる。
デジタルカメラや服を売る。1泊50円のドミトリーベッドを借り、1食20円の屋台で飢えをしのぐ。最後はザックや帰国の片道航空券まで売りさばいて空身になる。
男ならたまに辺境地にやってくる日本の女子大生ツーリストにたかる方法を覚える(この方法は次号で教えよう)。女なら現地の男や西欧ツーリストに金を払わせる方法をマスターする。まさに現代に蘇ったルンペンプロレタリアートって感じだ。
日本を出てたった数カ月でこのような悟りの境地に突入できる彼らの変貌ぶりが愉快だ。豊かさに慣れたなまっちょろい日本の若者が、現代で出来うる最大限の「世捨て」じゃないかとぼくは思うのだ。
世界じゅうの悪名高き「沈没タウン(この情報も次号で教えよう)」には、こんな日本の若者が大量に存在する。そして晴れた日にふわふわと空気中を舞う綿毛のように、あてどなく流浪しているのである。
さて、今から旅に出る学生旅行者、あるいは若いバックパッカーに提案したいことがある。
空身で旅しよう。空身の旅ほど自由なことはない。
空身で旅するならば、いつどこへ行くのだってバックパックという重荷から解放され、きみを束縛するものは何もない。
旅先での荷づくりは憂ウツな作業だ。移動につぐ移動の旅ならば、毎晩のようにバックパックに詰め込んだ荷物をすべて引っ張り出し、翌朝には丁寧につめ直さなくてはならない。しかし考えてもみよう。15キロもあろうかというその荷物、毎日使っているものなんて何パーセントあるというのか? ほとんど使ってないんじゃないか?
行きの飛行機の中で一瞬使っただけのアイマスクと空気枕。読み返すことのない海外旅行者保険の説明書。服用せずとも匂いは存在感を放つ正露丸。現地でほぼ役に立たない「地球の歩き方」。繰り返し読めるからと友人に勧められた孟子や孔子の類いの古典文庫本。特定の時間帯しか日本語放送を拾わない短波ラジオ。
そけだけじゃない。
洗濯しても乾きが悪くザックの中で蒸れ蒸れになるジーンズ、撮影技術もないのに持ってきてしまった重量感溢れる一眼レフカメラ、貴重なザックの体積のうち25%をしめる寝袋なんて安宿のベッドの上にたまに広げるだけ。
日本を出国してから帰るまで1度も使わない物のなんと多いこと! そうやって1品1品検証していくと、「特に何もいらないんじゃないか?」という気持ちに至る。旅の生活を快適にするために持参した数々のアイテムが、大きな足カセになっていることに気づく。
旅の心配事の大半は荷物なのだ。
デイパックやザックの中に大切なモノが入っていたなら、きみは始終気にかけていなくてはならない。
観光地や街なかで、かっぱらいやスリを警戒して体の前に荷物を抱えこんでいる旅人は多い。「デイパックはこうやって胸の前で抱え込むのが旅の常識だよ」なんて、古株のツーリストがしたり顔で教えてくれたのかもしれない。
バスや列車に乗り込んだらイの一番に荷台にチェーンキーでザックをくくりつけ、それでも足りずに盗難されないかと横目でにらむ。寝台列車では眠ったスキにパクられないようザックを枕がわりにする。空港では置き引きに遭わないよう両足で荷物を挟む。ホテルの部屋に荷物を置いて外出するときは貴重品を貴重じゃないように見せかけるサポタージュに忙しい。
こんなことばかり日がな一日やってると、だんだん自分が小心者に思えてくる。始終誰かを疑っては目をキョロキョロさせる挙動不審者・・・猜疑心の塊のようである。
それではいけない。24時間リスクに備え緊張の糸を張りめぐらせたゴルゴ13的な旅よりも、ボーッと何も考えずに目に映るものすべてを受け入れたいではないか。それこそが旅というものだろう。
いっそ荷物を捨ててしまえばよいのだ。あるいは、日本の自宅を出発する時点で手ぶらであればよいのだ。
最低限持参すべきは3つだ。?お金、?パスポート、?航空券(あるいは乗船券)、この3つがあればいい。
必要なものがあれば旅先で買えばいいのだ。
洗剤や石けんにしろ歯みがき粉にしろ、日本の製品よりはるかにコンパクトな物が10円、20円で売られている。
身のまわりの小物が増えたら、お店でくれるビニル袋に入れておけばいい。旅の持ち物はこれだけ。金目の物が入ってないのは一目瞭然だから、絶対に引ったくりはやってこない。
病気になれば薬を買い、読書をしたくなれば本を買い、寒ければ服を買う。不必要になれば、古本屋や古着屋に売りにいく。つまり、日本で生活している状態と同じと考えればよい。日本では、何かが起こった時のためにすべての荷物を背負ってなんかいなかったはずだ。
それでも現金やパスポートを持っていたら不安かも知れない。大丈夫だ。現金・パスポート・航空券を「貴重品の座」から降ろせばよいのだ。
よくある話だが、日本人旅行者のパスポートへの思いは並々ならぬものがある、ありすぎて困る。大切にしすぎて緊急時に誤った判断をする要因になっている。
たとえばメキシコでの実話。メキシコの長距離バスは強盗がジャカジャカ乗ってくるので有名だが、あるとき強盗に襲われたバスの最前列に座っていた日本人が、ホールドアップがかかっているにも関わらずウエストポーチに入っている物を渡すのを拒み、そのまま撃たれて死んだ。強盗がポーチのなかをまさぐると、パスポートと航空券が出てきたという。そんな物を守るために命を失うとは、判断のバランスが悪すぎる。
パスポートなんてお役所が発行する単なる「旅券」である。失くしたら再発行してもらえばいいだけだ。1つしかない命を懸けて守るほどの価値はない。
現金だってそうだ。一般的な旅行ならカバンの中に20万円くらい持っているだろうか。20万円なら日本で一カ月間、一生懸命働けば稼げるのだから、必死に守る必要などない。強盗に出くわせば「どうぞ、どうぞ、みなさんの未来のためにお使いください」と、笑顔でプレゼントすればよい。
日本じゃなかなか体験できない、貴重な旅の思い出になる。どうせあなたは帰国後、その強盗体験をバーや居酒屋で100回は話をするだろう。ネタ代として元をとって十分に余りあるではないか。10万円、20万円をケチッて腕一本、目ひとつを失うのは割に合わない。
その辺の、とっさのデメリット計算が日本人は弱い。銃やナイフで武装した悪党に対して正義感など出してはいけない。よその国の世間はそれほど甘くない。
つまりだ。現金・パスポート・航空券という「旅の三種の神器」に対して執着心をなくすことで、旅の危険度は一気に減るのである。さらには荷物を持たない空身なら、山賊でも詐欺師でもいつでもいらっしゃいと心に羽が生えたように自由になるのだ。
あえて何かひとつ携行するとしたら、ナイフを1本持っていくといい。ナイフひとつあれば、ほとんどの身の回りの用が足りる。缶詰を開けることができる。スプーンの代わりになる。化膿した皮膚を焼くこともできる。ネジを締めたり、壊れた鍵をこじ開けたりし、ほとんどの工具の役割をナイフは代わって果たしてくれる。
ナイフは万能の道具である。ビクトリノックス社のアーミーナイフを持つ旅人は多い。あの赤くて可愛いヤツはオシャレで可愛く多機能だが、実際のところ複雑な機能は必要ない。アーミーナイフはアイテムが多ければ多いほどゴミや脂、果肉なんかが根本に詰まって汚れがひどくなってしまう。それよりも、開いたときに「カチッ」とロックのかかるナイフを選ぶのが肝心だ。ロックされないナイフは、包丁的な用途以外にあまり使えない。工具代わりにすると危険なのだ。しかし話ずれずれですね。
世界は広い。
水道水を飲める国、教育が義務化された国、戸籍があり万人に選挙権があり男女の権利が平等な国、人前でサイフを出しても大丈夫な国、女性が夜ひとりで歩いても何も起こらない国、自動販売機が道ばたに置かれている国。
ぼくたちが生まれたそんな国が、地球上で限りなくマレな存在であるのを知ることは、きみの人生にとって価値のある引き出しのひとつとなる。
若者よ、荷物を捨てて旅に出よう!
2008年02月07日
2008年02月05日
月刊タウン情報トクシマ1月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ1月号の売部数は、
8466部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報CU*1月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*1月号の売部数は、
5703部でした。
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2008年01月27日
1月26日に発売されました。
地元徳島のウエディングまるわかりの春号は
役立つコーナー、おもしろい特集が目白押し。
結婚式場、写真館、衣装店、ブライダルエージェント、花嫁ヘアカタログ、演出、引出物、結納・顔合わせ会場など、徳島のウエディング情報が368店舗も掲載されています!
2008年01月26日
きっと何を食べてもおいしいはずの人気店。なかでも「いちゃんおいしいメニュー」が知りたい!食べたい! だからお店の人に聞きました。「一番売れてるメニューってなんですか??」
◎特集2 徳島マラソンライフ
最近「走る人」が増えたって知ってます? 「今さら走れない」、「いつか、と思いながらなかなか」という人。今こそ走り出そう!ダイエットにも最適らしいし、完走した後の充実感ったらないですよ!
2008年01月21日
日々進化し続ける、
徳島の女性ホルモン全開マガジンCU2月号の特集は…
☆目の前で仕上がる小粋メニュー☆
アツく仕上げるしかけがテーブルに登場し、
目の前で美味しく変身していく逸品たち。
エンターテイメントたっぷりなメニューは、
食べる前から盛り上がること間違いなし!
2008年01月09日
つづいて放浪者にとって何がベストな寝具であるかを検証したい。
(☆☆☆☆☆)段ボール
野宿者の最強アイテムである段ボール。ぼくはこれ以上の素材にめぐり会ったことがない。その保温力への評価は述べるまでもないが、他の素材にはない「吸湿性」が最大の利点である。いくら寒くとも、人間は呼吸をしたり肌から水分を放出するので、ビニル・ポリエチレン類は湿気が内側に溜まってしまうのである。湿気は不快さをともない、また外気が摂氏0度以下のマイナスであれば、パリパリに凍ってしまう。
(☆☆☆☆☆)段ボール
野宿者の最強アイテムである段ボール。ぼくはこれ以上の素材にめぐり会ったことがない。その保温力への評価は述べるまでもないが、他の素材にはない「吸湿性」が最大の利点である。いくら寒くとも、人間は呼吸をしたり肌から水分を放出するので、ビニル・ポリエチレン類は湿気が内側に溜まってしまうのである。湿気は不快さをともない、また外気が摂氏0度以下のマイナスであれば、パリパリに凍ってしまう。
紙製の段ボールにはその不安要素がない。また工作が簡単であり、筒状にして小部屋を作ったり、更にその筒を二重にして防寒性を高めることもできる。ぼくは野宿をする2時間ほど前から、適切な大きさの段ボールを探しはじめる。ショッピングセンターが建ち並ぶ幹線道路では苦労せず見つけられるが、山間部ではなかなか発見できないこともある。そんなときは迷わず村の人に話しかけてみよう。「野宿するので段ボールいただけませんか?」と。けっこう気やすく恵んでくれるし、時には「そんなことせず家に泊まって行きなさい」と招いてくれる親切な人にも出会う。
(☆☆☆)プチプチ
保温性は最高級なのだが、吸湿を一切しない。したがって眠りはじめてすぐに体がベトつきはじめるのを感じる。顔まで覆うと呼気の中に含まれる蒸気が全身にまわり不快だ。それ以上に問題なのが、プチプチに覆われた寝姿を誰かに見られたら、変死体だと勘違いされ、通報される恐れがある点。温かいからといって安易に体に巻きつけない方がよいだろう。
(☆☆☆☆)ブルーシート
段ボールが見つからないときに活用するのがブルーシートである。プチプチ同様に吸湿性はないが、ブルーシートなりのメリットがある。あの硬い生地のおかけで、簡単に住居スペースが作れるのである。シートを何枚か重ねて敷き布団とし、自分の身体が入るくらいの空間分を三角状にシートを持ち上げ、簡易テントを作ってしまえる。
(☆☆☆☆☆)古毛布、古布団
毛布なんてどこで調達できるのよ?と疑問に思われるだろうが、なぜか道ばたによく落ちている。おおかた不法投棄なのだろうが、放浪者にはありがたい。防寒具としてのレベルはもちろん最高クラス。ふつうの人って、こんな快適なものにくるまれて眠っているのかと羨ましくもあり、ふつうの生活が恋しくなり放浪生活を脱したいとのホームシックにも似た思いがよぎる。
(☆☆☆☆☆)発砲スチロール
敷き布団の代用品として最高の品質。弾力といい保温性といい非の打ち所なし。体全部をカバーできるほどの面積分を確保するのは難しいが、破片を集めてベッド作りにいそしもう。漁港のある海沿いの街なら集めやすいぞ。
(☆☆☆☆☆)干し草、ワラ
酪農が盛んな地域には、干し草が様々な形状で積み上げられている。ブロック状であったりロール状であったりするが、いずれにしてもそのすき間に体を潜りこませ、草の破片で空間を埋めれば、得も言われぬ温かさを確保できる。干し草は、冬場でもその内部で少しずつ発酵が進んでおり、かすかに熱も発生させている。草のコンディションにもよるが大変温かい干し草に遭遇することがある。
人はどのような状況に立っても、自分が現在置かれている環境が若干でも改善されれば幸福感を得られ、悪化すれば不幸を感じる。職場をうばわれ絶望する人もおれば、「就職しろ」と家族に迫られ親族を殺してしまう人もいる。人間という生物の心の中にはいろいろな不幸が存在するんだけど、「ワラの山を見つけるだけ」で星野ジャパンの選手並みの高揚感を得る幸せな人間もいる(ぼく)。
人間、もともと何も持っていないってことを前提にすれば、小さな所有で多幸感に満ち、何かを失ってもダメージがない。得ても失ってもこの身ひとつと思えば、無常の人生を生きられる。
(☆☆☆)プチプチ
保温性は最高級なのだが、吸湿を一切しない。したがって眠りはじめてすぐに体がベトつきはじめるのを感じる。顔まで覆うと呼気の中に含まれる蒸気が全身にまわり不快だ。それ以上に問題なのが、プチプチに覆われた寝姿を誰かに見られたら、変死体だと勘違いされ、通報される恐れがある点。温かいからといって安易に体に巻きつけない方がよいだろう。
(☆☆☆☆)ブルーシート
段ボールが見つからないときに活用するのがブルーシートである。プチプチ同様に吸湿性はないが、ブルーシートなりのメリットがある。あの硬い生地のおかけで、簡単に住居スペースが作れるのである。シートを何枚か重ねて敷き布団とし、自分の身体が入るくらいの空間分を三角状にシートを持ち上げ、簡易テントを作ってしまえる。
(☆☆☆☆☆)古毛布、古布団
毛布なんてどこで調達できるのよ?と疑問に思われるだろうが、なぜか道ばたによく落ちている。おおかた不法投棄なのだろうが、放浪者にはありがたい。防寒具としてのレベルはもちろん最高クラス。ふつうの人って、こんな快適なものにくるまれて眠っているのかと羨ましくもあり、ふつうの生活が恋しくなり放浪生活を脱したいとのホームシックにも似た思いがよぎる。
(☆☆☆☆☆)発砲スチロール
敷き布団の代用品として最高の品質。弾力といい保温性といい非の打ち所なし。体全部をカバーできるほどの面積分を確保するのは難しいが、破片を集めてベッド作りにいそしもう。漁港のある海沿いの街なら集めやすいぞ。
(☆☆☆☆☆)干し草、ワラ
酪農が盛んな地域には、干し草が様々な形状で積み上げられている。ブロック状であったりロール状であったりするが、いずれにしてもそのすき間に体を潜りこませ、草の破片で空間を埋めれば、得も言われぬ温かさを確保できる。干し草は、冬場でもその内部で少しずつ発酵が進んでおり、かすかに熱も発生させている。草のコンディションにもよるが大変温かい干し草に遭遇することがある。
人はどのような状況に立っても、自分が現在置かれている環境が若干でも改善されれば幸福感を得られ、悪化すれば不幸を感じる。職場をうばわれ絶望する人もおれば、「就職しろ」と家族に迫られ親族を殺してしまう人もいる。人間という生物の心の中にはいろいろな不幸が存在するんだけど、「ワラの山を見つけるだけ」で星野ジャパンの選手並みの高揚感を得る幸せな人間もいる(ぼく)。
人間、もともと何も持っていないってことを前提にすれば、小さな所有で多幸感に満ち、何かを失ってもダメージがない。得ても失ってもこの身ひとつと思えば、無常の人生を生きられる。
人は座って半畳、寝て一畳のスペースがあれば生きていける。
それ以上の財産は、持つほどに苦しいだけのことだ。
何も所有しないのがいちばん身ぎれいであり、また気楽でよい。
文=坂東良晃(タウトク編集人)
ぼくはわけあって、あちこちを放浪していたことがある。荷物はない。着の身、着のままである。
晩秋から冬にかけて、放浪者は厳しい季節をむかえる。東南アジアやインドあたりの無宿生活とは天地の差。熱帯では寝床の心配がいらないが、日本の冬野宿はとにかく寒いのである。テントや寝袋を持っておれば、キャンプサイトを探せばよいし、なくても公園や駐車場の片隅を拝借すればよい。というよりもテントがあるなら野宿者ではない。キャンパーは「趣味で寒いところで泊まりたい人」であって、野外で寝るのが好きなだけだ。放浪者は、好きこのんで放浪しているのではない。お金がなく、泊まる場所がないだけなのだ。今回は、放浪時代のぼくの経験を元に、親愛なる徳島の次世代放浪者たちに野宿マニュアルを贈りたい。
それ以上の財産は、持つほどに苦しいだけのことだ。
何も所有しないのがいちばん身ぎれいであり、また気楽でよい。
文=坂東良晃(タウトク編集人)
ぼくはわけあって、あちこちを放浪していたことがある。荷物はない。着の身、着のままである。
晩秋から冬にかけて、放浪者は厳しい季節をむかえる。東南アジアやインドあたりの無宿生活とは天地の差。熱帯では寝床の心配がいらないが、日本の冬野宿はとにかく寒いのである。テントや寝袋を持っておれば、キャンプサイトを探せばよいし、なくても公園や駐車場の片隅を拝借すればよい。というよりもテントがあるなら野宿者ではない。キャンパーは「趣味で寒いところで泊まりたい人」であって、野外で寝るのが好きなだけだ。放浪者は、好きこのんで放浪しているのではない。お金がなく、泊まる場所がないだけなのだ。今回は、放浪時代のぼくの経験を元に、親愛なる徳島の次世代放浪者たちに野宿マニュアルを贈りたい。
日暮れから夜明けまでの約12時間を過ごす場所、これは放浪者にとって非常に重要である。
「そんなに寒さが厳しいのなら、温かい昼間に図書館で寝て、夜は身体を動かしていたらいいじゃないか」と、一般市民の方は考えるかもしれない。しかしそれは人間の摂理にもとる行動ではないか。放浪者だって御天道さまを拝みながら生きていたいのである。また昼間の公共施設で眠るというのは、まともな神経の持ち主はできかねる所行だ。暖房が効いた公共施設に無人というシチュエーションはあり得ない。人がざわざわいる場所は気持ちが落ち着かないし、そもそも放浪者を歓迎してくれる雰囲気ではない。図書館や公民館のソファーは快適なのだが、自分の体臭が悪臭となり、周囲の方に迷惑かけていないかと心配になって眠れない。デパートのトイレは眠りに落ちようとしたら「コンコン」と誰かがドアをノックするし、公園のベンチで寝ていると、子供が顔をのぞきに来たり、石を投げつけられたりとイタズラにあう。いやほんと、昼間に心やすらかに横になれる場所ってないんです。だからやはり睡眠をとるのは夜間ということになるのだ。
さて、野宿生活の基本中の基本とも言える寝床について解説を試みよう。それぞれに一長一短がある。
(☆)鉄道駅(無人駅、24時間営業の有人駅)で眠る
チャリダーやライダーの定宿とも言える無人駅だが、睡眠に適しているとは言いがたい。少なくとも入口と改札口の間口2カ所が大きく開いているために、風の通りが良すぎる。自分の体温で周囲の空気を暖めることは不可能であり、寒さに凍えるだろう。また床やベンチが睡眠に向いていない。床はたいていコンクリート造りであり体温を奪う。ベンチにも問題がある。古い駅舎には木製の平らな長椅子に座布団が添え付けられていたりするが、近来は大半の駅で曲面で構成されたプラスチックの1人がけ用の椅子が設けられている。この椅子、人間が横たわると3〜4人分の長さになるが、椅子と椅子の境目が背中や腰に食い込んで痛い。まるで無宿者の存在を拒むがごとき(あたりまえか)責め苦である。この椅子で一夜を過ごせる強者はそうはいない。
(☆)公園で眠る
ベストセラー自伝「ホームレス中学生」で紹介され、著名になった公園の遊具で眠る方法だが、おすすめするに値しない。大体において都市部の公園は治安が悪い。深夜を問わずたくさんの人がやってくるのである。犬の散歩、不良、性的倒錯者、酔っぱらい、そしてお巡りさんなどである。いずれも放浪者にとっては敵である。遊具の中に潜んでいても犬はワンワン吼えるし、お巡りさんに出くわせば職務質問にあう。一晩中、誰かに起こされ応対する覚悟がいる。また遊具に使われている素材はみな「冷たい」のだ。コンクリート、鉄、ステンレス、石など、遊具は雨ざらしでも劣化しない素材で作られている。これらはすべて体温を奪う材質である。遊具の定番であるタコ型すべり台や立体迷路は、一時的な雨はしのげるものの、冬の寒さから身を守ってくれくれるものではない。
(☆☆☆)バス停で眠る
徳島の人はピンと来ないだろう。しかし、北陸や東北、北海道などの豪雪地帯ではバス停は一軒家になっている。簡素なプレハブ小屋造りであったり、プチログハウス風であったりするが、いずれも風雪に耐える堅牢さがあり、入口にドアもついている。2畳ほどの狭いスペースを完全密閉できるため、大変温かいのである。バスが運行しない深夜に訪れる人はなく、まさに別荘地を訪れた気分。床材はおおむねベニヤ板などの合板材。天然木よりも保温力に優れている。野宿にうってつけの快適空間なのだ。
(☆☆☆☆)飯場(はんば)で眠る
ここで述べる飯場とは、土木建設現場などの跡地にある使われていないプレハブ小屋のことである。まず述べておくが、いくら使われていなくても他人さまの建造物に勝手にお邪魔するのは不法侵入という犯罪である。ちゃんと許可をいただきましょう(建て前です)。飯場は温かい。バス停以上に「人が休憩する場所」としての装置が整えられている。なかには寝具まで備えられている小屋もある。安眠をむさぼったら、早朝早々に旅立って誰の迷惑にもならないよう心がけよう。
(☆☆☆☆☆)廃車で眠る
まず述べておくが、他人さまの自動車に勝手にお邪魔するのは不法侵入たる犯罪であり、ヘタをすれば窃盗の容疑者として疑われる。だが、車ほど心地よく眠れる場所がないのも事実だ。シートはふかふかで体温を奪われるどころか保温効果は高いし、風よけとしてこれ以上の場所はない。郊外の山林地帯の道ばた、空き地には多くの廃車があり、そのなかから比較的新しく、窓ガラスが割れていない車を選べはよい。もちろん大型車ほど寝心地はよく、手足を伸ばして安眠をむさぼることができる。
(☆なし)その他、寝てはいけない場所
□橋の下
夏場には野宿の人気スポットとなる橋の下だが、冬場はブリザードが吹き荒れる。川べりはたいてい猛烈な風が吹いているものであり、橋脚の横は更に風が圧縮され、通り道になっている。雨や雪から逃れるために橋の下で寝ようとしても、風で体温はどんどん奪われ、凍死しかねない。
□拠点駅の駅前広場やコンコース
かつては若い旅行者たちの野宿場として、また情報交換の場として人気だったが、近来はどの駅前も美しく整備されすぎた。大理石張りの磨き込まれた床では、落ち着いてオチオチ横にもなることができない。駅前でフォークギターを囲み、肩を組んで「若者よ」を歌った時代は今は昔、いとおかしだ(そんなんしたことないけど)。
□学校
人の気配が失せひっそりとした体育倉庫や運動部の部室は、放浪者には魅惑的に映るだろう。しかし今どきの学校には宿直の方もいるし、警備員さんが巡回していたりする。あらぬ疑いをかけられ、しょっぴかれたりしないためにも公共のハコ物への無断侵入は控えよう。
□道ばた、軒先
天井のない場所で眠るのは避けるべきだ。温かい夏場ならば満点の星空をサカナに眠りにつくのはダイナミックこの上なく、若い諸君にもお勧めする。しかし、冬場に防寒具なしで道ばたで眠るのは、死と隣り合わせの所行である。疲労困憊して道ばたで寝ようとしたこともあるが、レム睡眠にも入れない。脳が眠ってはいけないと指示を出す。ビバーク(非常時の露営)慣れしたトップクライマー以外は、挑戦しない方がよいだろう。
「そんなに寒さが厳しいのなら、温かい昼間に図書館で寝て、夜は身体を動かしていたらいいじゃないか」と、一般市民の方は考えるかもしれない。しかしそれは人間の摂理にもとる行動ではないか。放浪者だって御天道さまを拝みながら生きていたいのである。また昼間の公共施設で眠るというのは、まともな神経の持ち主はできかねる所行だ。暖房が効いた公共施設に無人というシチュエーションはあり得ない。人がざわざわいる場所は気持ちが落ち着かないし、そもそも放浪者を歓迎してくれる雰囲気ではない。図書館や公民館のソファーは快適なのだが、自分の体臭が悪臭となり、周囲の方に迷惑かけていないかと心配になって眠れない。デパートのトイレは眠りに落ちようとしたら「コンコン」と誰かがドアをノックするし、公園のベンチで寝ていると、子供が顔をのぞきに来たり、石を投げつけられたりとイタズラにあう。いやほんと、昼間に心やすらかに横になれる場所ってないんです。だからやはり睡眠をとるのは夜間ということになるのだ。
さて、野宿生活の基本中の基本とも言える寝床について解説を試みよう。それぞれに一長一短がある。
(☆)鉄道駅(無人駅、24時間営業の有人駅)で眠る
チャリダーやライダーの定宿とも言える無人駅だが、睡眠に適しているとは言いがたい。少なくとも入口と改札口の間口2カ所が大きく開いているために、風の通りが良すぎる。自分の体温で周囲の空気を暖めることは不可能であり、寒さに凍えるだろう。また床やベンチが睡眠に向いていない。床はたいていコンクリート造りであり体温を奪う。ベンチにも問題がある。古い駅舎には木製の平らな長椅子に座布団が添え付けられていたりするが、近来は大半の駅で曲面で構成されたプラスチックの1人がけ用の椅子が設けられている。この椅子、人間が横たわると3〜4人分の長さになるが、椅子と椅子の境目が背中や腰に食い込んで痛い。まるで無宿者の存在を拒むがごとき(あたりまえか)責め苦である。この椅子で一夜を過ごせる強者はそうはいない。
(☆)公園で眠る
ベストセラー自伝「ホームレス中学生」で紹介され、著名になった公園の遊具で眠る方法だが、おすすめするに値しない。大体において都市部の公園は治安が悪い。深夜を問わずたくさんの人がやってくるのである。犬の散歩、不良、性的倒錯者、酔っぱらい、そしてお巡りさんなどである。いずれも放浪者にとっては敵である。遊具の中に潜んでいても犬はワンワン吼えるし、お巡りさんに出くわせば職務質問にあう。一晩中、誰かに起こされ応対する覚悟がいる。また遊具に使われている素材はみな「冷たい」のだ。コンクリート、鉄、ステンレス、石など、遊具は雨ざらしでも劣化しない素材で作られている。これらはすべて体温を奪う材質である。遊具の定番であるタコ型すべり台や立体迷路は、一時的な雨はしのげるものの、冬の寒さから身を守ってくれくれるものではない。
(☆☆☆)バス停で眠る
徳島の人はピンと来ないだろう。しかし、北陸や東北、北海道などの豪雪地帯ではバス停は一軒家になっている。簡素なプレハブ小屋造りであったり、プチログハウス風であったりするが、いずれも風雪に耐える堅牢さがあり、入口にドアもついている。2畳ほどの狭いスペースを完全密閉できるため、大変温かいのである。バスが運行しない深夜に訪れる人はなく、まさに別荘地を訪れた気分。床材はおおむねベニヤ板などの合板材。天然木よりも保温力に優れている。野宿にうってつけの快適空間なのだ。
(☆☆☆☆)飯場(はんば)で眠る
ここで述べる飯場とは、土木建設現場などの跡地にある使われていないプレハブ小屋のことである。まず述べておくが、いくら使われていなくても他人さまの建造物に勝手にお邪魔するのは不法侵入という犯罪である。ちゃんと許可をいただきましょう(建て前です)。飯場は温かい。バス停以上に「人が休憩する場所」としての装置が整えられている。なかには寝具まで備えられている小屋もある。安眠をむさぼったら、早朝早々に旅立って誰の迷惑にもならないよう心がけよう。
(☆☆☆☆☆)廃車で眠る
まず述べておくが、他人さまの自動車に勝手にお邪魔するのは不法侵入たる犯罪であり、ヘタをすれば窃盗の容疑者として疑われる。だが、車ほど心地よく眠れる場所がないのも事実だ。シートはふかふかで体温を奪われるどころか保温効果は高いし、風よけとしてこれ以上の場所はない。郊外の山林地帯の道ばた、空き地には多くの廃車があり、そのなかから比較的新しく、窓ガラスが割れていない車を選べはよい。もちろん大型車ほど寝心地はよく、手足を伸ばして安眠をむさぼることができる。
(☆なし)その他、寝てはいけない場所
□橋の下
夏場には野宿の人気スポットとなる橋の下だが、冬場はブリザードが吹き荒れる。川べりはたいてい猛烈な風が吹いているものであり、橋脚の横は更に風が圧縮され、通り道になっている。雨や雪から逃れるために橋の下で寝ようとしても、風で体温はどんどん奪われ、凍死しかねない。
□拠点駅の駅前広場やコンコース
かつては若い旅行者たちの野宿場として、また情報交換の場として人気だったが、近来はどの駅前も美しく整備されすぎた。大理石張りの磨き込まれた床では、落ち着いてオチオチ横にもなることができない。駅前でフォークギターを囲み、肩を組んで「若者よ」を歌った時代は今は昔、いとおかしだ(そんなんしたことないけど)。
□学校
人の気配が失せひっそりとした体育倉庫や運動部の部室は、放浪者には魅惑的に映るだろう。しかし今どきの学校には宿直の方もいるし、警備員さんが巡回していたりする。あらぬ疑いをかけられ、しょっぴかれたりしないためにも公共のハコ物への無断侵入は控えよう。
□道ばた、軒先
天井のない場所で眠るのは避けるべきだ。温かい夏場ならば満点の星空をサカナに眠りにつくのはダイナミックこの上なく、若い諸君にもお勧めする。しかし、冬場に防寒具なしで道ばたで眠るのは、死と隣り合わせの所行である。疲労困憊して道ばたで寝ようとしたこともあるが、レム睡眠にも入れない。脳が眠ってはいけないと指示を出す。ビバーク(非常時の露営)慣れしたトップクライマー以外は、挑戦しない方がよいだろう。
2008年01月08日
月刊タウン情報トクシマ12月号 実売部数報告です。
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