文=坂東良晃(タウトク編集人)
走るという行為には、それ自体に純粋な意味がある。振りだした脚で思いきり地面を叩き、これでもかと心臓を打ち鳴らし、呼吸を荒げ、苦しさに顔をゆがめる。その行為そのものに意味がある。
競技大会でいい成績を残すことや、特定の距離で自己ベストを出すといった目標・・・過去の自分よりもレベルアップした今の自分を数値で確認することは、マラソンに取り組むうえで大きな動機づけとなる。しかし、そういった知的な目標・・・ストップウォッチや心拍計、あるいはGPSやフットポッドを動員して綿密にレースペースや体調を管理するという、とても都会的で自己管理型の目標とは違う「走る動機」が、身体のどこかに宿されている気がする。
走るという行為には、それ自体に純粋な意味がある。振りだした脚で思いきり地面を叩き、これでもかと心臓を打ち鳴らし、呼吸を荒げ、苦しさに顔をゆがめる。その行為そのものに意味がある。
競技大会でいい成績を残すことや、特定の距離で自己ベストを出すといった目標・・・過去の自分よりもレベルアップした今の自分を数値で確認することは、マラソンに取り組むうえで大きな動機づけとなる。しかし、そういった知的な目標・・・ストップウォッチや心拍計、あるいはGPSやフットポッドを動員して綿密にレースペースや体調を管理するという、とても都会的で自己管理型の目標とは違う「走る動機」が、身体のどこかに宿されている気がする。
十代の頃、ぼくは走っていた。
陸上部員でもなく、市民ランナーでもないのに、毎日走っていた。「何キロ走った」「何分で走った」という数値目標はなく、ただ走っていた。漫才部と格闘技研究会と新聞部に所属していた高校生の頃も走っていたし、高校を卒業し今でいうフリーター、当時はプータローと呼ばれる生活に入ってからも走っていた。
早朝新聞配達をしていた頃は昼間に走り、夜勤の運送屋で稼ぎながら明け方に走り、昼に土建屋を手伝いつつ夜中に走った。肉体労働をし、同年代のサラリーマンよりたくさん金をもらいながら空き時間を見つけて走った。給料にほとんど手をつけないので何カ月か経つと金が貯まる。頃合いを見て銀行で全額下ろし、長い旅に出る。
十八歳。北海道から東京まで1400キロを走り、歩いた。
十九歳。北海道から鹿児島まで2500キロを走り、歩いた。
二十歳。ケニアからカメルーンまで5500キロを走り、歩いた。
今でいうところの超長距離走というジャンルなのだろうか。ぼくの場合は競技や記録づくりの意味合いはない。スポーツではなく、冒険旅行でもない。他人のやらないことをやってやろうとの野心もなく、ただ無我夢中で移動していた。自分がいったい何を目指し、何をやっていたのか、当時はよくわからなかった。とにかく自分の脚でどこまで行けるのかを知りたかった。アスファルトや土を踏みつけながら、何物にも頼らず遠くに行きたかった。率直に述べれば「他にやることがなかった」のであり、「処理に困るほどのエネルギーの持っていき場がそこだった」のである。
想像を絶するほど遠くまで行けば何か答えが見つかるのではないか、という確信・・・いや信仰めいた思いがあった。小田実や植村直己や藤原新也や沢木耕太郎がおこなった二十代の旅。旅という熱波が、無力で非生産的な青年期の若者の内面に語るべき言葉を溢れさせたように、ぼくにもそんなマジックが働くのではないかという希望的観測。
走り、移動し、旅を続けた4年間。答えは、長くさまよったアフリカの熱帯雨林地帯にあった。ジャングルの中でめぐり逢った人びとは、生まれてから一度も自分の集落やコミュニティを出ない。半径数キロの行動範囲の中で一生を終える。ところが、生まれて初めて遭遇する外国人・・・ぼくに対して警戒もせず、充分な施しを与えてくれる。皆おおらかで、親切で、心配性で、明るく、人間味に溢れている。生活に余分な装飾はなく、人生を揺るがすファンタジーもない。実直に生き、ふところ深く人を受け止める。
「今ここに存在しない自分」を求めて旅してる自分は何だろか?と考え込む。シャングリラやらガンダーラやら「機械の身体をタダでもらえる星」なんてあるわけない。アフリカの人たちに比べて、ぼくはなんて陳腐なんだ、ああ陳腐な人生だね! そして走ることをやめた。生まれた場所に戻り、プータローを引退した。マジメに働いた。
四十歳を目前にして、再び走りはじめた。
社会に出て20年、ぼくは本をつくって生きてきた。「いっしょに本をつくろう」とたくさんの若者に声をかけた。若者たちは本をつくることで生活の糧を得、社会のしくみを学んだ。
「お前は何のために経営をしているのか?」と問われたら、昔は答えられなかったと思う。今は「若い人を雇うためだ」と断言できる。企業活動の本質は、職場づくりだ。いい職場があってはじめて世間に評価されるモノが作れ、誰かの役に立つサービスが提供できる。いい職場であるためには、そこに働く人たちが他者の意思ではなく自分自身の考え方によって行動する必要がある。自立した考えを持ち、揺るぎない意志をもとに行動する人である。
会社を創業したころ二十代だったメンバーがベテランとなり、本づくりの中心にある。ぼくに代わって彼らが若者の育成に汗を流し、問題や危機に即断対処している。前向きな提案は全員にメールで送り、否認がない限り実行できる。経営者や上司の承認など待つ必要はない。変えたい者がルールを変えられる。モノをつくる会社で最も尊重されるべきは現場である。働く時間も、休日も、商品企画も、すべて自分で決め、誰の指図も受けない。誰かにやらされるのではなく、自分の意思でやる。そのような考え方の基盤をつくった。安定経営よりも若者の採用を最優先し、若者がパワーを発揮できる場所を用意することに全力を注ぐ。そんなチームづくりが完成に近づいたのだ。
では次の20年は何をすべきか?と考えたとき、心象風景が一気に20年前へと遡る。高校を卒業して社会にポッと飛び出し、いったい何をやっていいかわからず、ただガムシャラに走っていた頃と何一つ変わらない心の地図が蘇るのだ。
あの頃考えていたこと・・・人として生まれ、社会的生物として生きていくには経済活動か、もしくは奉仕活動を行い、人のためになることをしなくちゃいけない。独立した一個人としては、他人に迷惑をかけない程度の最低限の収入を得て、目的をやり遂げるための原資を所有しなくてはならない。・・・そんな青二才でモラトリアムな高校生レベルの事しか頭に浮かばないのである、四十にもなって! 人の集団づくりに懸けてきた自分が、いつしか組織に頼り、1人では何もできない大人になっちまってんの?
「今から何をなすべきか?」と問うてもレーニンは答えてくれない。瞑想しても滝に打たれても解脱など起こらない。地上のどこにもその解答はなく、自分の内側に存在している。だから走ることを再開したのだ。走るという行為を通じて、身体の表面から余分な物を削り取っていき、その核心に近づく。実際のランニングだって、突き詰めれば無駄を削ぎ落とす作業なんである。前方への推進力を阻害する要因をフォームからなくし、最大酸素摂取量を向上させるため脂肪を落とす。速くなればなるほどランニングシューズのソールを薄く、ウエアを軽くして、裸に近づいていく。
同じことを脳みその中でやってみる。走りながら考える。それは静止した状態の思考とは明らかに違う。オフィスで頭をひねっていても決してたどり着かない結論に、ランニング中に一瞬で到達するときがある。太古から何万年間も獲物を追っかけ回していた人類の子孫なんだから、走るという動的状態において脳みそがベストエフォートを得ようと活発化するに違いない。獲物追っかけている途中に、10コもの選択肢があってアレコレと迷っている狩人なら、たちまち敵に食い殺されてしまう。走り出したら、頭に浮かぶ選択肢は2つか3つ。そして判断は速攻。人の中の野性がそうさせるのだ。
ぼくはきっと、これからの20年に対して、とてもシンプルな答えを導き出すために走っている。イーブンペースは大無視して、ハンガーノックよ枯渇よこんにちは。チギられ、もだえ苦しみ、自分の核にたどりつけ!