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2009年01月06日
月刊タウン情報CU*12月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*12月号の売部数は、
5966部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
2009年01月03日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
(前回まで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走るレース出場を決意したタウトク編集人。古本詰め込んだバックパックを背負って今日も砂浜をひた走る)
歳をとると1年がアッという間に過ぎ去る・・・と大人は語る。自分が若者と呼ばれる年齢の頃は、その意味がわからなかった。ひと夏ですら永遠のように感じた。地獄と呼ばれる野球部の夏練習がはじまると、心から夏の終わりが近づくことを願ったが、日めくりカレンダーの進行は遅々としていた。夏の盛りはどこまでも右上がりで、太陽は地面に黒々とした影を焼きつけつづる。
(前回まで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走るレース出場を決意したタウトク編集人。古本詰め込んだバックパックを背負って今日も砂浜をひた走る)
歳をとると1年がアッという間に過ぎ去る・・・と大人は語る。自分が若者と呼ばれる年齢の頃は、その意味がわからなかった。ひと夏ですら永遠のように感じた。地獄と呼ばれる野球部の夏練習がはじまると、心から夏の終わりが近づくことを願ったが、日めくりカレンダーの進行は遅々としていた。夏の盛りはどこまでも右上がりで、太陽は地面に黒々とした影を焼きつけつづる。
秋の先には冬が訪れ、その向こうに春という節目が設定されていて、自分にとって重要な人が遠くに去ってしまったり、二度と会えなくなるかも知れない。そんな先々のドラマを想像するのは無茶だ!と反論したくなるほど、季節の変化はゆったりとしていた。
いつから時間の流れに加速がつきはじめたのか。世の中の大半の人と価値観を共有できないと知ってからか。自分の能力を遙かに超えるようなチャレンジをしなくなってからか。何かを成し遂げるために生きているのではなく、生きていくために何をやるか選択するようになったからか。
三十路に突入すると、「1年はアッという間」をイヤってほど実感する。七草セットがスーパーに並ぶを見て正月の終わりを知り、桜舞う交差点に春のあはれを覚え、お盆には海にクラゲが出るから泳いではいかん!と若者を注意しているうちに、もう大みそか格闘技特番のカード発表なんだもんな。
今感じている1年という時間を帯グラフ化すれば、中学生の頃の夏休み分くらいの幅しかない。この分じゃあ、かりに平均寿命まで生きたとしても、残り数十年はジェットコースターに乗ってるみたいに猛然とつき進んでしまうのか。
・・・そんな思いがカンペキに覆された1年であった。アシックスのランニングシューズを買ってから季節がひとめぐりした。新品シューズの底をドタドタと鳴らし、わが身体は何と重力の影響をモロに受けるのかと絶望した1年前が、まるで5年くらい昔の出来事に思える。
「走る」ことが目的ではなかったのだ。
2年前、休暇を利用してヒマラヤ・トレッキングにでかけた。18歳のときにエベレスト・ベースキャンプを旅して以来、20年ぶりのヒマラヤだった。十代の記憶は時を経ても鮮明で、脳内イメージの自分自身・・・つまり身体に余分な脂肪がついてない冒険大好き少年が、飛ぶような勢いで山を駆け上がり、岩場をピョンピョンとトラバースして遊んでいた記憶とのギャップの激しさに打ちひしがれた。
現実世界にある肉体は、鉄球の足枷をはめられた罪人のごとく重く、標高差わずか数百メートルの峠を越えるのに心拍数はレッドゾーンに達し、汗が暴力的に吹き出す。現地の少年ポーター(荷運び)が50キログラムもある荷物を背負って口笛吹きながらサンダルで歩く背後を、ゼエゼエと青い息をはきながら追いすがる劣等感。縦走がダメならと、手頃な岩を見つけてフリークライミングを試みる。立派なホールドだらけの壁を2メートルも登れずズルズルずり落ちる。厚生労働省が流行らせた例の言葉が耳の奧でこだまする・・・「われメタボリックオヤジかな」。
心にメラメラと紅蓮の炎が燃える。キスリングに重りを詰め込んで六甲全山を風のように駆け抜けた孤高の登山家・加藤文太郎のように心身を研ぎ澄まし、再アタックしてやる! 薄めの酸素と淡い気圧の高山病アタマで、唇を青黒く腫らしながら、分をわきまえぬ決意をするに至ったのである。
帰国すると、基礎体力を回復させるために眉山を登りはじめた。1年間に100回以上登頂した(よくも飽きずに!)。やることのひとつにランニングを加えたのが1年前である。朝、眉山まで出かける時間がないときに、どちらかと言えば仕方なくである。あくまで登山のサブ練のつもりであった。
多くのビギナー・市民ランナーがそうであるように、最初は500メートルも走れなかった。血液は心臓からスムーズにポンピングされず、汗が轟の滝ほどもゴーゴーと流れ落ち、目まいと吐き気と便意が同時に襲ってくる。そんな生理現象にもがき苦しむぼくの横を、熟年ランナーの集団がキャッキャと黄色い声をあげながら駆け抜けていく。明らかに10歳、いや20歳以上は歳上である。圧倒的な力量差だが、不思議と嫌な気分はしない。あんな風に軽々と走れるようになりたいと願い、鈍重な脚に力を込めた。
走る距離を少しずつ伸ばし、やがて10キロを歩かず走り切れるようになった。タイム計測すると1時間21分かかった。一般的にはものすごくスローなタイムなのだが、まごうことなく全力疾走であった。完走できたのが嬉しく、そしてなんとなく誇らしかった。走り終えた吉野川グラウンドのラグビー場で大の字になり、すがすがしい気分で青空を長い間見ていた。
秋には、ハーフマラソンの大会に出場した。牟岐町の南阿波サンライン黒潮マラソンだ。ほとんどが登り坂のこのコースで、折り返しを過ぎたあたりで思考は停止し、残り5キロで距離感覚を失った。腕を振り、脚をいくら前に繰り出しても、身体はぜんぜん進まない。ゴール寸前まで70歳台のおじいさんとデッドヒートを繰り広げた。タイムは2時間22分。最後尾に近い位置だが、21キロも続けて走ったわが身を愛おしく思えた。
初めてのフルマラソンは春の東京・荒川市民マラソン。30キロ過ぎから脚に痙攣が起こり、やがて腰から下全部の筋肉が岩石のように硬直し、包丁を突き立てられるような激痛に襲われた。こんな辛いこと二度としたくないし、早く終わってくれないかな・・・ばかり考えてゴールによろよろたどり着けば5時間25分。さっきまで半泣きだったのに、終わったとたん「これは納得いかない」と自分を許せない気持ちになった。「練習が足りなさすぎる。もっと練習すれば、もっと走れるはずだ」。
再起戦であるとくしまマラソンはやけに楽しかった。長い間生きてきて、こんなに「人に応援してもらった」のは初めてだ。よほどの人気プロスポーツ選手じゃなければ、ふつうに生きていて全身に声援を浴びる経験なんてめったにない。走っても走ってもその先には沿道の励ましが連なっていた。それまでぼくは「楽しいから走る」という多くの市民ランナーの気持ちがよくわからなかった。マラソンは鍛錬であり、鍛錬というからには苦しみを乗り越えてこそ価値があり、楽しむ余地などありはしないのである。だが、とくしまマラソンは掛け値なく楽しく、42キロが終わりに近づくほどに「もっと続けばいいのに」とさみしい気持ちが加速するのだった。
この間まで500メートルも続けて走れなかったメタボリックランナーが、100キロという気の遠くなる距離にも挑戦した。初夏の北海道で開かれたサロマ湖100キロウルトラマラソンだ。80キロ関門を越えると同時に心肺・筋肉すべての限界に達してしまい、意識を失ってしまった。よく「ぶっ倒れるまでやってやるぜ」と啖呵を切ることがあるが、本当にのびてしまったのは人生初の経験である。ゴール寸前で無念の涙を飲んだランナーたちを収容した救護バスでは、全員が身体のどこかを押さえ「痛タタタ!」と叫んでいる。ところが次の瞬間には「来年は絶対完走しよう!」と気勢をあげているのだ。ランナーという種族は、どこまでも前向きで明るいのだと知る。
そんな長い長い、少年時代の夏のような1年がすぎた。レースのたびに失敗し、がっかりしながらも、少しずつ強くなっている。10キロのタイムは初計測の半分にまで縮まり、超長距離の練習をこなしているうちに42.195キロを短いとすら感じるようになった。そしてまだまだ能力の限界にぶつかる瞬間は、だいぶ先にある気がしているのである。
生活もずいぶん変化した。生活っていうより心境か。限界ギリギリまで心拍数を上げたり、激痛をこらえて脚を引きずり走ったり、緊張のあまり朝まで眠れなかったり。こういうのって何十年も忘れていた感覚だ。野球を必死にやっていた十代の頃、ネクストバッターズサークルでひとり武者震いしてた上ずった興奮と集中。あるいは土埃舞うグラウンドのライトとレフトの間を何十回も、喉から心臓が飛び出しそうなくらい球を追いかけ走りまくったあの頃の「感じ」である。自分の中に、こんな素朴でストレートな緊張感やひたむきさが残っているなんて、驚きだったのだ。
ときおり飛ぶように走っている、と感じる時がある。周囲から見ればドタバタ走っている鈍重なジョガーなんだろうが、内的感覚ではまさに「羽根が生えて空を飛んでいる」感じ。たぶん10キロのタイムを1分ほど縮める程度の能力アップを果たしたときに、身体が軽くて浮くような感覚・・・恍惚感に近いものを得られるんだろう。
今は1000メートルのタイムを1秒でも縮めようと、あらゆる努力をしている。そうやって少しずつ自分の限界を超えていって、その先に何が見えるのかを知りたいと欲が出てきた。自己ベストタイムを出せる年齢的なピークは限られているのだろうけど、「ベストラン」は70歳代でも80歳代でもできる。キツいと感じた時に笑えって耐えられる余裕とか、暑い夏も寒い冬もコツコツ鍛錬を積み上げていく辛抱とか、病気になっても折れてしまわない心の強さとか。そういう総合的な人間の厚みをランニングは補強してくれる予感がする。
強い風に向かい、太陽に焼かれ、雨に打たれて走る。景色が流れていく。空と、雲と、草木と、アルファルトの道路と。
どこまでも走っていけそうな気がする。もっと実現困難なものにチャレンジしたい、という欲望で心がいっぱいになる。いまの自分ではとてもやれなさそうなモノ、そういう目標が脳裏をかすめると心にボッと火が灯り、やがて自分でも制御できないくらい熱い塊になって吹き上がる。
そんなこんなで北風に短パンをパタパタ揺らせながら、まだ見ぬサハラ砂漠めざして走り込み中なのだ。
いつから時間の流れに加速がつきはじめたのか。世の中の大半の人と価値観を共有できないと知ってからか。自分の能力を遙かに超えるようなチャレンジをしなくなってからか。何かを成し遂げるために生きているのではなく、生きていくために何をやるか選択するようになったからか。
三十路に突入すると、「1年はアッという間」をイヤってほど実感する。七草セットがスーパーに並ぶを見て正月の終わりを知り、桜舞う交差点に春のあはれを覚え、お盆には海にクラゲが出るから泳いではいかん!と若者を注意しているうちに、もう大みそか格闘技特番のカード発表なんだもんな。
今感じている1年という時間を帯グラフ化すれば、中学生の頃の夏休み分くらいの幅しかない。この分じゃあ、かりに平均寿命まで生きたとしても、残り数十年はジェットコースターに乗ってるみたいに猛然とつき進んでしまうのか。
・・・そんな思いがカンペキに覆された1年であった。アシックスのランニングシューズを買ってから季節がひとめぐりした。新品シューズの底をドタドタと鳴らし、わが身体は何と重力の影響をモロに受けるのかと絶望した1年前が、まるで5年くらい昔の出来事に思える。
「走る」ことが目的ではなかったのだ。
2年前、休暇を利用してヒマラヤ・トレッキングにでかけた。18歳のときにエベレスト・ベースキャンプを旅して以来、20年ぶりのヒマラヤだった。十代の記憶は時を経ても鮮明で、脳内イメージの自分自身・・・つまり身体に余分な脂肪がついてない冒険大好き少年が、飛ぶような勢いで山を駆け上がり、岩場をピョンピョンとトラバースして遊んでいた記憶とのギャップの激しさに打ちひしがれた。
現実世界にある肉体は、鉄球の足枷をはめられた罪人のごとく重く、標高差わずか数百メートルの峠を越えるのに心拍数はレッドゾーンに達し、汗が暴力的に吹き出す。現地の少年ポーター(荷運び)が50キログラムもある荷物を背負って口笛吹きながらサンダルで歩く背後を、ゼエゼエと青い息をはきながら追いすがる劣等感。縦走がダメならと、手頃な岩を見つけてフリークライミングを試みる。立派なホールドだらけの壁を2メートルも登れずズルズルずり落ちる。厚生労働省が流行らせた例の言葉が耳の奧でこだまする・・・「われメタボリックオヤジかな」。
心にメラメラと紅蓮の炎が燃える。キスリングに重りを詰め込んで六甲全山を風のように駆け抜けた孤高の登山家・加藤文太郎のように心身を研ぎ澄まし、再アタックしてやる! 薄めの酸素と淡い気圧の高山病アタマで、唇を青黒く腫らしながら、分をわきまえぬ決意をするに至ったのである。
帰国すると、基礎体力を回復させるために眉山を登りはじめた。1年間に100回以上登頂した(よくも飽きずに!)。やることのひとつにランニングを加えたのが1年前である。朝、眉山まで出かける時間がないときに、どちらかと言えば仕方なくである。あくまで登山のサブ練のつもりであった。
多くのビギナー・市民ランナーがそうであるように、最初は500メートルも走れなかった。血液は心臓からスムーズにポンピングされず、汗が轟の滝ほどもゴーゴーと流れ落ち、目まいと吐き気と便意が同時に襲ってくる。そんな生理現象にもがき苦しむぼくの横を、熟年ランナーの集団がキャッキャと黄色い声をあげながら駆け抜けていく。明らかに10歳、いや20歳以上は歳上である。圧倒的な力量差だが、不思議と嫌な気分はしない。あんな風に軽々と走れるようになりたいと願い、鈍重な脚に力を込めた。
走る距離を少しずつ伸ばし、やがて10キロを歩かず走り切れるようになった。タイム計測すると1時間21分かかった。一般的にはものすごくスローなタイムなのだが、まごうことなく全力疾走であった。完走できたのが嬉しく、そしてなんとなく誇らしかった。走り終えた吉野川グラウンドのラグビー場で大の字になり、すがすがしい気分で青空を長い間見ていた。
秋には、ハーフマラソンの大会に出場した。牟岐町の南阿波サンライン黒潮マラソンだ。ほとんどが登り坂のこのコースで、折り返しを過ぎたあたりで思考は停止し、残り5キロで距離感覚を失った。腕を振り、脚をいくら前に繰り出しても、身体はぜんぜん進まない。ゴール寸前まで70歳台のおじいさんとデッドヒートを繰り広げた。タイムは2時間22分。最後尾に近い位置だが、21キロも続けて走ったわが身を愛おしく思えた。
初めてのフルマラソンは春の東京・荒川市民マラソン。30キロ過ぎから脚に痙攣が起こり、やがて腰から下全部の筋肉が岩石のように硬直し、包丁を突き立てられるような激痛に襲われた。こんな辛いこと二度としたくないし、早く終わってくれないかな・・・ばかり考えてゴールによろよろたどり着けば5時間25分。さっきまで半泣きだったのに、終わったとたん「これは納得いかない」と自分を許せない気持ちになった。「練習が足りなさすぎる。もっと練習すれば、もっと走れるはずだ」。
再起戦であるとくしまマラソンはやけに楽しかった。長い間生きてきて、こんなに「人に応援してもらった」のは初めてだ。よほどの人気プロスポーツ選手じゃなければ、ふつうに生きていて全身に声援を浴びる経験なんてめったにない。走っても走ってもその先には沿道の励ましが連なっていた。それまでぼくは「楽しいから走る」という多くの市民ランナーの気持ちがよくわからなかった。マラソンは鍛錬であり、鍛錬というからには苦しみを乗り越えてこそ価値があり、楽しむ余地などありはしないのである。だが、とくしまマラソンは掛け値なく楽しく、42キロが終わりに近づくほどに「もっと続けばいいのに」とさみしい気持ちが加速するのだった。
この間まで500メートルも続けて走れなかったメタボリックランナーが、100キロという気の遠くなる距離にも挑戦した。初夏の北海道で開かれたサロマ湖100キロウルトラマラソンだ。80キロ関門を越えると同時に心肺・筋肉すべての限界に達してしまい、意識を失ってしまった。よく「ぶっ倒れるまでやってやるぜ」と啖呵を切ることがあるが、本当にのびてしまったのは人生初の経験である。ゴール寸前で無念の涙を飲んだランナーたちを収容した救護バスでは、全員が身体のどこかを押さえ「痛タタタ!」と叫んでいる。ところが次の瞬間には「来年は絶対完走しよう!」と気勢をあげているのだ。ランナーという種族は、どこまでも前向きで明るいのだと知る。
そんな長い長い、少年時代の夏のような1年がすぎた。レースのたびに失敗し、がっかりしながらも、少しずつ強くなっている。10キロのタイムは初計測の半分にまで縮まり、超長距離の練習をこなしているうちに42.195キロを短いとすら感じるようになった。そしてまだまだ能力の限界にぶつかる瞬間は、だいぶ先にある気がしているのである。
生活もずいぶん変化した。生活っていうより心境か。限界ギリギリまで心拍数を上げたり、激痛をこらえて脚を引きずり走ったり、緊張のあまり朝まで眠れなかったり。こういうのって何十年も忘れていた感覚だ。野球を必死にやっていた十代の頃、ネクストバッターズサークルでひとり武者震いしてた上ずった興奮と集中。あるいは土埃舞うグラウンドのライトとレフトの間を何十回も、喉から心臓が飛び出しそうなくらい球を追いかけ走りまくったあの頃の「感じ」である。自分の中に、こんな素朴でストレートな緊張感やひたむきさが残っているなんて、驚きだったのだ。
ときおり飛ぶように走っている、と感じる時がある。周囲から見ればドタバタ走っている鈍重なジョガーなんだろうが、内的感覚ではまさに「羽根が生えて空を飛んでいる」感じ。たぶん10キロのタイムを1分ほど縮める程度の能力アップを果たしたときに、身体が軽くて浮くような感覚・・・恍惚感に近いものを得られるんだろう。
今は1000メートルのタイムを1秒でも縮めようと、あらゆる努力をしている。そうやって少しずつ自分の限界を超えていって、その先に何が見えるのかを知りたいと欲が出てきた。自己ベストタイムを出せる年齢的なピークは限られているのだろうけど、「ベストラン」は70歳代でも80歳代でもできる。キツいと感じた時に笑えって耐えられる余裕とか、暑い夏も寒い冬もコツコツ鍛錬を積み上げていく辛抱とか、病気になっても折れてしまわない心の強さとか。そういう総合的な人間の厚みをランニングは補強してくれる予感がする。
強い風に向かい、太陽に焼かれ、雨に打たれて走る。景色が流れていく。空と、雲と、草木と、アルファルトの道路と。
どこまでも走っていけそうな気がする。もっと実現困難なものにチャレンジしたい、という欲望で心がいっぱいになる。いまの自分ではとてもやれなさそうなモノ、そういう目標が脳裏をかすめると心にボッと火が灯り、やがて自分でも制御できないくらい熱い塊になって吹き上がる。
そんなこんなで北風に短パンをパタパタ揺らせながら、まだ見ぬサハラ砂漠めざして走り込み中なのだ。
2008年12月26日
「どっかいい店知らんのん?」、「今から何して遊ぶ〜?」なんてつぶやいている人必見!今月号のタウトクは建設途中から話題沸騰のあの施設、新たなブームの到来させる食べ放題スポット、お一人さま増殖中のハイソな新店カフェまで、最新スポットを徹底リサーチ。これを読めばいつもの口癖とも今日でおさらばです!
★スペシャルふろく 徳島ラーメン団★
超超ちょー保存版!この1冊にうまみが凝縮。徳島のうまいラーメンをひたすら探すのだ!
2008年12月13日
手足もかじかむ寒〜い季節となりました。そうなると温かいお湯にざぶんと浸かりたくなるというもの。そうだ、温泉に行こう。でも旅行に出かけるほどの時間はないんだよなぁ〜というCU読者のために、今回は徳島県内はもちろん、香川、愛媛、高知、さらには兵庫にまで足を伸ばして、思い立ったらすぐ行ける日帰り湯どころをたっぷり70軒ご紹介!温泉グルメ、見晴らしバツグンの露天風呂、プリンセス気分を盛り上げる姫スパ、エステ、圧巻の温泉建築、癒しの良湯、変りダネ風呂、テーマパークさながらの面白温泉などなど。とにかく語りだしたらキリがないほどどれもこれも魅力的でおすすめなんです!
2008年12月03日
月刊タウン情報トクシマ11月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ11月号の売部数は、
8282部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報CU*11月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*11月号の売部数は、
7054部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
2008年11月29日
店探し、予約はなかなか大変ですよね。
そこで月刊タウン情報トクシマ12月号には
特別ふろくとして「徳島宴本」がついています!
徳島の人気店のイチオシ料理やお店の雰囲気が
一目瞭然で分かるこのふろく本。
忘年会はもちろん新年会までずっと使える充実した内容です。
2008年11月27日
この1年タウトク編集部が徳島じゅうを歩き、ありがたく食したお店はざっと2000軒。ハンバーグや天津飯、ぶっかけうどんやシュークリームなど美味しかったものをあげればキリがない。悩みに悩みぬいてタウトク編集部が「こりゃウマイ!」と太鼓判を押した100のメニューを紹介します。あ〜、思い出したらまた食べたくなってキター!
★特別ふろく誘って誘われ忘年会・徳島宴本★
宴会のお店選びはコレ一冊でOK!宴会を盛り上げる技やグルメクーポンなど幹事さん必携の便利本。
2008年11月26日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
(前回まで=砂漠を230キロ走るサハラマラソン出場を決意したタウトク編集人は、大会説明書を取り寄せ熟読、レースの過酷さにびびりまくる。しかしやるしかないのだ!とデカ荷物背負って砂浜を走りはじめた)
バックパックにセットした重量を、8kgから1kgずつ増やしていく。1kgずつの重量調整が難しい。ビニル袋に米をつめこんだり、バーベルを放り込んでみたが背中でゴロゴロと動き、落ち着きが悪い。目についた物をあれこれヘルスメーターで計るうち、「図説世界の歴史(創元社刊)」シリーズが1冊あたり1kg弱だと判明。うむ、これを1巻からじょじょに積み増していけばよいのか。人類の誕生から文明の衝突まで、世界の歴史を知的に時にシニカルに見つめたこの名著を背に、人類発祥の地アフリカを目指すわけである。
(前回まで=砂漠を230キロ走るサハラマラソン出場を決意したタウトク編集人は、大会説明書を取り寄せ熟読、レースの過酷さにびびりまくる。しかしやるしかないのだ!とデカ荷物背負って砂浜を走りはじめた)
バックパックにセットした重量を、8kgから1kgずつ増やしていく。1kgずつの重量調整が難しい。ビニル袋に米をつめこんだり、バーベルを放り込んでみたが背中でゴロゴロと動き、落ち着きが悪い。目についた物をあれこれヘルスメーターで計るうち、「図説世界の歴史(創元社刊)」シリーズが1冊あたり1kg弱だと判明。うむ、これを1巻からじょじょに積み増していけばよいのか。人類の誕生から文明の衝突まで、世界の歴史を知的に時にシニカルに見つめたこの名著を背に、人類発祥の地アフリカを目指すわけである。
10月に入ると重しは12kgを超えた。登山の荷物としては軽々の部類だが、走るとなると上下動がそのまま縦方向の負荷となる。このワッサワッサ状態で5時間、10時間と砂漠を走り続けるのは困難だ。ランニングフォーム自体を見直さなくちゃいけない。試行錯誤をへて最も単純なアイデアに行き着いた。忍者のようにサッサッサッとスリ足気味に、水平方向に身体を移動するような意識で脚を運んでみる。加重のベクトルを、縦方向から前方向へ変えてやるのである。うん、これはサロマ湖で見た熟練のウルトラマラソンランナーの走り方だ。このフォームをサハラ1.0型と呼ぶことにしよう。
練習を開始した9月頃のように、100歩進んではゼイゼイあえぎ、1000歩前進してゲロゲロレベルは克服した。それでも10キロも走れば息も絶え絶えだ。マジで230キロも走れる日が来るのだろうか?
ランニングフォーム以上に気になるのがご近所の視線だ。平日の朝から大きな荷物を背負い、あらぬ方向へと小走りで駆けてゆく奇異な男を、ご近所の方々はどのような思いで見つめているのか。その外見、アスリートにはほど遠く、しょぼくれたメタボおやじ風情である。やがて2時間ほど経つと、生気のない表情でオエーッとえずきながら帰ってくる。「毎日荷物をかついだあやしい人が近所をウロウロしています、バラバラ死体を少しずつ海に捨てているのでは・・・」などと110番に通報されはしまいか。
荷物をかつぐ「重量対策」と平行し、週末には「長距離対策」に取り組みはじめた。7日間続けて毎日フルマラソン程度の距離を走るサハラマラソンに適応するため、50〜100キロの長距離を余裕で走りきる脚力と心肺能力を身につける修行である。
まずは50キロからはじめる。50キロといってもどこまで行けば50キロなんだろう? とりあえず遠くまで行ってみるかと、JR徳島駅から適当に汽車に乗り、降り立った駅から走ることを思い立つ。なぜそのような「片道走行」をするのか。家から出発して25キロ地点で折り返して帰ってくる往復コースを何度が走ろうとしたのだが、どうも自分にゆるい性格が災いして完走できない。20キロ地点で「今日はフルの距離を走るんでええか」と考えたり、10キロ地点で「今日はうんこまけそうだから帰ろうか」とか、何かと理由をつけて距離を短くしてしまう。片道コースなら、しかも最初から遠くまで行ってしまえば走って帰るしかないのだから、完走せざるを得ない。
汽車の出発時間も調べずに徳島駅に出かけたので、待ち時間が長い。ヒマをもてあまし「JR時刻表」を眺めていると、おおっ駅名の横に「営業キロ」という数字が並んでいるではないか。徳島駅を起点とした線路の延伸距離である。ならば、鉄道とほぼ平行して走る国道なら、この距離と変わりがないだろう。徳島線で西へゆくなら貞光駅、牟岐線で南に向かうなら日和佐駅がほぼ50キロ地点にあたる。また高徳線で北上する方法もある。ってなことで、3連チャンで国道50キロ走をやってみた。
【JR貞光駅→徳島駅/50キロ】
国道192号線を東へ向かうコース。大型トラックはじめ交通量が多く、歩道が激狭なとこも多くてランニングには向いていない。きっと国道を離れて吉野川の堤防上をコース取りすれば壮快なんだろう。今度やってみよっと。良い点であり同時に難点なのは、この国道沿い、自販機がめったやたらに多い。水分枯渇した状態で、コカコーラやダイドーのロゴが目に入ると、全身の毛が総立ちになる。が、欲に負けてはならない。これは砂漠耐久レースの練習なのである。脱水症状への耐性を身につけなくちゃいけないわけで、ブルブル禁断症状出しながら自販機をやりすごす。そんなときは、プラスティック・オノ・バンドの「冷たい七面鳥」を歌う。
【JR讃岐津田駅→徳島駅/50キロ】
讃岐津田から徳島方面へ向けて走りだすと、謎の数字が書かれた黄色いプラスチック性の物体が道ばたに連続して現れる。しばらくして気づくのだが、100メートルおきに徳島市への距離表示がなされているのだ。いや、こんな遠く離れた街からごくろうさまです。ラップタイムを取るのに非常に便利です。香川県内を20キロ走ると徳島との県境に達し、そこからは青い瀬戸内海を眺めながらの長〜い海沿いのシーサイトアベニュー。北灘のこのあたりは自転車のロードレーサーや長距離ランナーの練習場所になっているのか、何十人ものアスリートとすれ違う。うーむ、徳島に長いこと住んでいても知らない事って多いな。それにしても、北灘って1コの市町村くらい広大ですよね。
【JR日和佐駅→徳島駅/50キロ】
「道の駅日和佐」から国道55号線を北上する。くねくねアップダウンの峠道を20キロばかし進むと、橘町以降は市街地に。この地域・・・県南の人はやたらと話しかけてくる。「どこいっきょん?」「あれまーどしたん」「これ飲みだ〜、食べだ〜」と忙しい。子供はへんてこランナーの姿を肴に「どこいっきょんな、おっちゃーん! オッサーン!」などと下品に盛り上がっているし、野良犬は(多分ぼくが荷物を持っているという理由だけで)3キロも後をついてくるし、もはやフンイキ的に日本じゃないですね。県南はラテンです、いやインドです。で、ペースを上げることができないまま日はとっぷりと暮れ、眉山の灯火を案内にゴールを目指すのである。
それぞれのコースおもしろかったのだが、やっぱ国道はマラソン練習には向いてないね。そもそも日本の道は、歩行者や自転車のためには造られてないから、自動車との距離が近すぎて危ない。風圧直撃、タイヤが跳ねたドロ水直撃である。来月からは走りやすい田舎道を探そう。
【とくしまマラソンコース/42.195キロ】
バックパック8kg+アミノバリュー2000mlを背負って「とくしまマラソン」のコースを走ってみた。鷲の門までバイクで行き、数寄屋橋の隣にあるキレイめの公衆トイレで用を足し準備完了。吉野川堤防上の道路は歩道がないうえに背丈の高い雑草が生い茂っており、走るスペースなし。ジョガーが1人いるだけで車が対向できずノロノロ運転、渋滞の元。ランニングするなら、北岸だと堤防と平行した下の道、南岸なら堤防上に交通量ほぼゼロの道がある。そこなら自動車を気にしないでいい。西条大橋を越えると、アスファルト上に小さく「折り返し」の標しがペイントされているので見逃さずにUターン。
さてゴールは、感動のとくしまマラソン再現とばかりに田宮の陸上競技場内にさっそうと踊りこみたい所だが、トラックを走ると100円いるそうなので、正門玄関の前でフィニッシュってことにしよう。ここから鷲の門までは3キロほど距離があるが、しんどいときは徳島市営バスの「田宮運動公園口」から循環路線・右回りのバスを待てばよい。200円でスタート地点まで運んでくれる。下車停留所は「中徳島町二」か「公園前」だ。バスは休日の昼なら30分置きにやってくる。なかなか便利である。
このように週末ごとに汽車やバスに乗って遠方へ出かけ、トコトコと帰ってくる習慣がついた。9月頃は50キロという距離を前にすると気が遠くなっていたが、今では「ちょっと長め」にしか感じなくなってきた。これは基礎体力がついたのか、あるいは鈍感になったのか。
慣れというのは怖い。「追い込み」のつもりで練習してるのに、途中でウトウトと眠ってしまう。走りながら寝るクセは危険だってわかってるんだけど、入眠する魔の刻は自分では気づけないのである。車のクラクションなどの大きな物音で「わーっ」と目が覚めて、走りながら爆睡していた事実にア然としているのだ。これは一種の病気なのだろうか。病気なんだとしたら何科の先生に見てもらったらいいのだろう。茂木健一郎さんかな、茂木さんは医者ちゃうか・・・。本番の砂漠レースの途中で眠ってしまい道にはぐれて遭難しないだろうか、心配だ。
そんなこんなで、どうも自分を追い込めてない印象の10月を過ごす。想像するにサハラマラソンってのは走力・体力の戦いというより、精神力のタフさがポイントなんである。喉も皮膚もカラカラに乾いて、空腹の五臓六腑を慰めながら、ズルむけになった足裏と荷物が食い込んだ肩に激痛を走らせながら、どこまで心折れないかの勝負なのだ。だから月間何百キロ走ったという走行距離に意味があるのではなくて、今の自分が到達していないレベルの苦しい練習を、逃げたい気持ちを抑えて、身体と心にストレス与えて無理させられるか、なんだと思う。
特訓はじめて早くも慣れが生じてダレダレになっている。これではイカン!ってことで、曽田正人の漫画を続けざまに読む。「シャカリキ!」「め組の大吾」「昴」「capeta」。ううぬ、これでイメトレ完了、精神力充填完了である。漫画の主人公たちのように限界を突き破るのである。遠くにある何かの目標に向けて頑張るのではない。今という瞬間に、自分の出せる限界以上の力を、リミッター振り切って出せているかどうか。人生の価値はそこにあり、それを確かめるためのサハラなんである。
もっと追い込もう。心拍数の上限いっぱいで走るのは本番マラソンレースがいい。11月、12月にフルマラソンのレースに4本エントリーした。さらに100キロ走を何本か入れる。くたばるまで走ろう! 脚がイッてもたらハイそれまでよ! (つづく)
練習を開始した9月頃のように、100歩進んではゼイゼイあえぎ、1000歩前進してゲロゲロレベルは克服した。それでも10キロも走れば息も絶え絶えだ。マジで230キロも走れる日が来るのだろうか?
ランニングフォーム以上に気になるのがご近所の視線だ。平日の朝から大きな荷物を背負い、あらぬ方向へと小走りで駆けてゆく奇異な男を、ご近所の方々はどのような思いで見つめているのか。その外見、アスリートにはほど遠く、しょぼくれたメタボおやじ風情である。やがて2時間ほど経つと、生気のない表情でオエーッとえずきながら帰ってくる。「毎日荷物をかついだあやしい人が近所をウロウロしています、バラバラ死体を少しずつ海に捨てているのでは・・・」などと110番に通報されはしまいか。
荷物をかつぐ「重量対策」と平行し、週末には「長距離対策」に取り組みはじめた。7日間続けて毎日フルマラソン程度の距離を走るサハラマラソンに適応するため、50〜100キロの長距離を余裕で走りきる脚力と心肺能力を身につける修行である。
まずは50キロからはじめる。50キロといってもどこまで行けば50キロなんだろう? とりあえず遠くまで行ってみるかと、JR徳島駅から適当に汽車に乗り、降り立った駅から走ることを思い立つ。なぜそのような「片道走行」をするのか。家から出発して25キロ地点で折り返して帰ってくる往復コースを何度が走ろうとしたのだが、どうも自分にゆるい性格が災いして完走できない。20キロ地点で「今日はフルの距離を走るんでええか」と考えたり、10キロ地点で「今日はうんこまけそうだから帰ろうか」とか、何かと理由をつけて距離を短くしてしまう。片道コースなら、しかも最初から遠くまで行ってしまえば走って帰るしかないのだから、完走せざるを得ない。
汽車の出発時間も調べずに徳島駅に出かけたので、待ち時間が長い。ヒマをもてあまし「JR時刻表」を眺めていると、おおっ駅名の横に「営業キロ」という数字が並んでいるではないか。徳島駅を起点とした線路の延伸距離である。ならば、鉄道とほぼ平行して走る国道なら、この距離と変わりがないだろう。徳島線で西へゆくなら貞光駅、牟岐線で南に向かうなら日和佐駅がほぼ50キロ地点にあたる。また高徳線で北上する方法もある。ってなことで、3連チャンで国道50キロ走をやってみた。
【JR貞光駅→徳島駅/50キロ】
国道192号線を東へ向かうコース。大型トラックはじめ交通量が多く、歩道が激狭なとこも多くてランニングには向いていない。きっと国道を離れて吉野川の堤防上をコース取りすれば壮快なんだろう。今度やってみよっと。良い点であり同時に難点なのは、この国道沿い、自販機がめったやたらに多い。水分枯渇した状態で、コカコーラやダイドーのロゴが目に入ると、全身の毛が総立ちになる。が、欲に負けてはならない。これは砂漠耐久レースの練習なのである。脱水症状への耐性を身につけなくちゃいけないわけで、ブルブル禁断症状出しながら自販機をやりすごす。そんなときは、プラスティック・オノ・バンドの「冷たい七面鳥」を歌う。
【JR讃岐津田駅→徳島駅/50キロ】
讃岐津田から徳島方面へ向けて走りだすと、謎の数字が書かれた黄色いプラスチック性の物体が道ばたに連続して現れる。しばらくして気づくのだが、100メートルおきに徳島市への距離表示がなされているのだ。いや、こんな遠く離れた街からごくろうさまです。ラップタイムを取るのに非常に便利です。香川県内を20キロ走ると徳島との県境に達し、そこからは青い瀬戸内海を眺めながらの長〜い海沿いのシーサイトアベニュー。北灘のこのあたりは自転車のロードレーサーや長距離ランナーの練習場所になっているのか、何十人ものアスリートとすれ違う。うーむ、徳島に長いこと住んでいても知らない事って多いな。それにしても、北灘って1コの市町村くらい広大ですよね。
【JR日和佐駅→徳島駅/50キロ】
「道の駅日和佐」から国道55号線を北上する。くねくねアップダウンの峠道を20キロばかし進むと、橘町以降は市街地に。この地域・・・県南の人はやたらと話しかけてくる。「どこいっきょん?」「あれまーどしたん」「これ飲みだ〜、食べだ〜」と忙しい。子供はへんてこランナーの姿を肴に「どこいっきょんな、おっちゃーん! オッサーン!」などと下品に盛り上がっているし、野良犬は(多分ぼくが荷物を持っているという理由だけで)3キロも後をついてくるし、もはやフンイキ的に日本じゃないですね。県南はラテンです、いやインドです。で、ペースを上げることができないまま日はとっぷりと暮れ、眉山の灯火を案内にゴールを目指すのである。
それぞれのコースおもしろかったのだが、やっぱ国道はマラソン練習には向いてないね。そもそも日本の道は、歩行者や自転車のためには造られてないから、自動車との距離が近すぎて危ない。風圧直撃、タイヤが跳ねたドロ水直撃である。来月からは走りやすい田舎道を探そう。
【とくしまマラソンコース/42.195キロ】
バックパック8kg+アミノバリュー2000mlを背負って「とくしまマラソン」のコースを走ってみた。鷲の門までバイクで行き、数寄屋橋の隣にあるキレイめの公衆トイレで用を足し準備完了。吉野川堤防上の道路は歩道がないうえに背丈の高い雑草が生い茂っており、走るスペースなし。ジョガーが1人いるだけで車が対向できずノロノロ運転、渋滞の元。ランニングするなら、北岸だと堤防と平行した下の道、南岸なら堤防上に交通量ほぼゼロの道がある。そこなら自動車を気にしないでいい。西条大橋を越えると、アスファルト上に小さく「折り返し」の標しがペイントされているので見逃さずにUターン。
さてゴールは、感動のとくしまマラソン再現とばかりに田宮の陸上競技場内にさっそうと踊りこみたい所だが、トラックを走ると100円いるそうなので、正門玄関の前でフィニッシュってことにしよう。ここから鷲の門までは3キロほど距離があるが、しんどいときは徳島市営バスの「田宮運動公園口」から循環路線・右回りのバスを待てばよい。200円でスタート地点まで運んでくれる。下車停留所は「中徳島町二」か「公園前」だ。バスは休日の昼なら30分置きにやってくる。なかなか便利である。
このように週末ごとに汽車やバスに乗って遠方へ出かけ、トコトコと帰ってくる習慣がついた。9月頃は50キロという距離を前にすると気が遠くなっていたが、今では「ちょっと長め」にしか感じなくなってきた。これは基礎体力がついたのか、あるいは鈍感になったのか。
慣れというのは怖い。「追い込み」のつもりで練習してるのに、途中でウトウトと眠ってしまう。走りながら寝るクセは危険だってわかってるんだけど、入眠する魔の刻は自分では気づけないのである。車のクラクションなどの大きな物音で「わーっ」と目が覚めて、走りながら爆睡していた事実にア然としているのだ。これは一種の病気なのだろうか。病気なんだとしたら何科の先生に見てもらったらいいのだろう。茂木健一郎さんかな、茂木さんは医者ちゃうか・・・。本番の砂漠レースの途中で眠ってしまい道にはぐれて遭難しないだろうか、心配だ。
そんなこんなで、どうも自分を追い込めてない印象の10月を過ごす。想像するにサハラマラソンってのは走力・体力の戦いというより、精神力のタフさがポイントなんである。喉も皮膚もカラカラに乾いて、空腹の五臓六腑を慰めながら、ズルむけになった足裏と荷物が食い込んだ肩に激痛を走らせながら、どこまで心折れないかの勝負なのだ。だから月間何百キロ走ったという走行距離に意味があるのではなくて、今の自分が到達していないレベルの苦しい練習を、逃げたい気持ちを抑えて、身体と心にストレス与えて無理させられるか、なんだと思う。
特訓はじめて早くも慣れが生じてダレダレになっている。これではイカン!ってことで、曽田正人の漫画を続けざまに読む。「シャカリキ!」「め組の大吾」「昴」「capeta」。ううぬ、これでイメトレ完了、精神力充填完了である。漫画の主人公たちのように限界を突き破るのである。遠くにある何かの目標に向けて頑張るのではない。今という瞬間に、自分の出せる限界以上の力を、リミッター振り切って出せているかどうか。人生の価値はそこにあり、それを確かめるためのサハラなんである。
もっと追い込もう。心拍数の上限いっぱいで走るのは本番マラソンレースがいい。11月、12月にフルマラソンのレースに4本エントリーした。さらに100キロ走を何本か入れる。くたばるまで走ろう! 脚がイッてもたらハイそれまでよ! (つづく)
2008年11月25日
クリスマスを大特集した、ふろく本つきです!
お買い物やお出かけ、パーティなど、
これからの季節、さまざまなシーンで
大活躍するミニブックになってます!
2008年11月14日
今月は魅惑のスイーツ特集。
徳島県下のケーキ屋さん・和菓子屋さんにお願いして、お店のおすすめをたくさん教えてもらいました。その数なんと400個!ふわふわのスポンジに生クリームやカスタードクリーム、キラキラ輝くフルーツ、濃厚ショコラやサクサクの焼き菓子。匠の技と四季の美しさを感じさせる和の生菓子。ショーケースの中身がそのまま本の中に引っ越してきたのかと思うほど今までに無いたくさんのスイーツが大集合。パティシエ、職人の愛がたーっぷり詰まったお菓子たちを心ゆくまでどうぞ♪
2008年11月10日
08秋号_結婚しちゃお!部数推移.pdf
結婚しちゃお!秋号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!秋号の売部数は、
1319部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」の実売部数を発表しております。
2008年11月06日
徳島にあるスリルるあり、面白さ満点の公園をご紹介。
40種類ものアスレチック、傾斜がなんと90度にもなるすべり台。さまざまな罠(?)が待ちかまえる古城。総延長170mもあるローラーすべり台。たぬきのかわいらしい姿をした複合遊具など大人も子どもも楽しめる、魅力ある遊具がある公園とははたして…。
大好評の「嗚呼!さらら番付」、今回は…「にがてな時間帯」。買い物中に、ガソリンスタンドで、結婚披露宴のときなど、ふっと遭遇してしまう困った場面で徳島県民は果たしてどのようにその場をやりすごしているのか!
2008年11月05日
月刊タウン情報トクシマ10月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ10月号の売部数は、
9126部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」
「月刊タウン情報CU*」
「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報CU*10月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*10月号の売部数は、
4468部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
2008年10月29日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
砂漠を230キロ、7日間かけて走るレースがある。世界で最も過酷なマラソン、とも呼ばれる。
「過酷」といっても、無人の荒野を1人でゆく冒険の旅ではない。そこには主催者も医療スタッフもいてレースを管理している。食糧補給はないが、生きていくのに必要なミネラルウォーターは毎日支給される。脱水で失神して救護班の世話になったら失格にはなるけど、とりあえず救命処置はしてくれる。だから、生命の危機と戦うほどの過酷さではないのだ、そーだそれほど過酷じゃないんだ!と、我が身に言い聞かせながら、ペン先をぷるぷる震わせながら参加申込書にサインをした。
来年の春、アフリカのサハラ砂漠で行われる「サハラマラソン」に出場するのだ。
砂漠を230キロ、7日間かけて走るレースがある。世界で最も過酷なマラソン、とも呼ばれる。
「過酷」といっても、無人の荒野を1人でゆく冒険の旅ではない。そこには主催者も医療スタッフもいてレースを管理している。食糧補給はないが、生きていくのに必要なミネラルウォーターは毎日支給される。脱水で失神して救護班の世話になったら失格にはなるけど、とりあえず救命処置はしてくれる。だから、生命の危機と戦うほどの過酷さではないのだ、そーだそれほど過酷じゃないんだ!と、我が身に言い聞かせながら、ペン先をぷるぷる震わせながら参加申込書にサインをした。
来年の春、アフリカのサハラ砂漠で行われる「サハラマラソン」に出場するのだ。
ってことで当コラムは、今後半年にわたって、執筆者の私めがサハラマラソンに向けて準備をすすめていく模様を、ドキュメンタリータッチで連載してゆきます。今まで自分のことはさておき、他人の悪口ばっかり書いてきた当コラム欄ですが、そのような過去の悪行の数々を反省し、傷つけた人たちに深くコウベを垂れつつ、口と文字だけで生きてきた自分が「何ほざいても、どんな理屈も通らない世界」をめざし、肉体をひたすらムチ打ち、真人間になっていく過程をお見せします。
そして、どんな意味不明なことでもアホみたいに一生懸命やってみて、そんな人間でも生きていける余地を世の中は残してくれていて、なかなかどうして居心地の悪い場所じゃないってことを、十代、二十代の読者の皆さんに見てもらおうと思うのである。
ではまず基本説明から。「サハラマラソン」とはどんなもんなのか。
サハラマラソンは、モロッコの南部に広がるサハラ砂漠で開催される長距離マラソン大会だ。サハラ砂漠は北アフリカの面積の大半、東西6000キロメートルほどの広大な地域を占めているから、このマラソン大会はサハラの最北西端あたりで行われるイベントだと思っていい。
全行程は約230キロ。これを7つのステージに区切り、初日から3日目までは毎日30〜40キロ、4日目と5日目は夜通しで走る80キロ、6日目は42.195キロ、最終日に17キロを走ってゴールする。毎日のタイムが正確に計測され、その合計タイムで優勝者や順位が決まる。この複数日タイム合算方式は、自動車レースのパリ・ダカール・ラリーや自転車レースのツール・ド・フランスなんかと似ている。ヨーロッパ人って、こんなん好きよね(サハラマラソンの主催者はフランスの会社です)。
コースは毎年変更され、ランナーは事前に知ることはできない。大会の前々日に主催者から渡される「ロードブック」というコース地図を読んで、はじめて7日間の行程を知る。賞金マッチでもある同大会において、大会経験者と初出場者との有利不利の差を少なくするための工夫だ。ちなみに優勝賞金は5000ユーロだから、だいたい80万円くらい。ぼくには関係のないことですが。
ランナーは1週間分の食料と寝床を自分で用意し、そのすべてをバックパックに背負って走る。スピードを優先させるため荷物は不要、という選択肢はない。最低6.5kgの荷物を持たなくてはならないのが規則。さらに1日につき最低2000キロカロリー分、7日間で1万4000キロカロリー分の食料を用意していないとペナルティーを課される。1日じゅう砂漠を走ってんだから2000キロカロリーでも少ないんだけどね。
また、砂漠で生活するための最低限の用具の携行が義務づけられている。自分自身で準備すべき物は以下だ。
バックパック
寝袋
懐中電灯・スペア電池
安全ピン10本
精度の高いコンパス
ライター
ナイフ
強力な消毒剤・液
解毒剤
毒素抽出用のスネークポンプ
警告用のホイッスル
シグナル用の鏡
アルミ製のサバイバルシート
こりゃマラソン大会の持ち物っていうよりも金鉱脈を探しにいく荒くれ者たちの革袋の中身じゃな。さらに主催者からは次のサバイバルセットが支給される。
緊急用の発煙筒
固形の塩
照明スティック
要するに砂漠ではいつでも道を失う可能性があるし、毒蛇に嚼まれたりもするけど、一次的には自分でどうにかしなさい、発煙筒を炊いて鏡をピカピカ空に反射させていたら、後で助けには行きます・・・って大会サイドからのメッセージである。これらを全部まとめると食料控えめにしても10kg前後の重量となり、さらに主催者がくれる水も持たなくてはならない。ミネラルウォーターは1日約12リットル分が提供される。
昨年の記録では、参加者は世界32カ国から801人。うち日本人は10人である。801人のうち95人が女性だ。選手たちは3月27日にフランス・パリに集合し、チャーター便でモロッコに向かう(ここまでは豪華)。そこからバスに乗り込み10時間近くかけて砂漠の中に設営されたビバーク・野営地点に向かう(いきなり貧しい感じ)。翌日には医療チェック・荷物チェックが行われ、合格する必要がある。3月29日にスタートし、ゴールにたどり着くのは7日後の4月4日だ。
砂漠といってもコースは平坦ではなく、瓦礫状の石に覆われた山や、巨大な砂丘が行く手をさえぎる。昼間は35度〜50度の灼熱、夜になると10度近くまで下がる。宿泊地、といっても主催者が用意しているのは壁のないふきさらしの天幕。そこに毎晩ザコ寝ってわけだ。
大まかな説明は以上。まあ細かなルールなど今から考えても仕方がない。灼熱の砂地を230キロ走り通す体力がなければお話にならない。コレ書いてる今は9月、レースまでわずか7カ月しかない。さっさと砂漠レースに耐えうる肉体づくりに取り組まなくてはならない。考えたトレーニング方法は主に2つ。
□その一・重量対策。10kg以上のバックパックを背負い、柔らかい砂地を走りまくる。
□その二.長距離対策。50〜100キロメートルの長距離を余裕こいて走りきる脚力と心肺能力を身につける。
まずは重量対策だ。50リットルの登山用のザックにテントやら米やら荷物を適当に詰め込んで10kgにし、ランニングを開始した。走りだしてわかったのは、体がすごく前傾になるってことだ。あたり前なんだけど、重量物を背中にくっつけているから後ろに反り返れば倒れてしまう。荷物とのバランスをはかるため、体が勝手に前傾のポジションを選択する。その姿勢では、空身で走っているより遙かに背面の筋肉を使うことがわかる。特に大腿部の後ろ、ハムストリングスと呼ばれる筋肉をモーレツに動員している。
肩にかかる負荷は、ウエストベルトをきつめに絞ることで軽減される。しかし、ウエストベルトを強く締めたまま、酷暑の砂漠を走り続けられるかどうか疑問がある。もっと重量全体を身体のあちこちに散らす方法があるのではないか。これは課題だ。
自宅の近くに海岸があるので、そのまま砂浜に走り出してみる。
乾燥した砂地では、足が10センチほど砂にめりこみ、アスファルト走の3倍以上のエネルギーを消耗する。波打ち際の硬く湿った砂の上なら道路を走る負荷と変わりないから、つい楽な方を走ろうとする誘惑にかられるが、それではトレーニングにならない。あえてアップダウンのある砂地をひたすら走る。3キロも走れば、道路を10キロ走ったくらいの消耗である。うー、やっぱしキツいな。
沖では南からの低気圧が運ぶ波に乗ってサーファーたちが気持ちよさそうにターンを切る。あるいは砂浜では季節外れのビキニパンツをケツに食い込ませた男女がキャッキャとじゃれあっている。嗚呼それに比べて、運ぶ理由もない荷物を肩に食い込ませて、砂塵を舞い上げながらゼエゼエあえぐ毎日ってどうよ。人生の選択を間違えたか、究極の自虐プレイか、いっそマゾヒスティック・ミカ・バンドでも結成するか!? (つづく)
2008年10月28日
この冬、一番のウエディング情報
「結婚しちゃお!」冬号が10月25日に発売されました。
することがたくさんある結婚準備もこの1冊があれば、
トントン拍子で進んで行くはず♪
地元徳島のウエディング情報を420店掲載している
結婚しちゃお!は、県内の書店、スーパー、コンビニで
280円で発売中です。
2008年10月25日
たこ焼き革命勃発!行列からまぼろしまで、徳島を代表する88店がここに集結。カリとろ系、ふわとろ系、塩レモン味やねぎポン、四川焼きなどなどたこ焼き旋風はとどまることを知らない。なんと今回はたこ焼き巡礼マップの裏にスタンプ用紙がついてます。掲載の88店のうち、80店のスタンプを集めた方には編集部から素敵な!?たこ焼きグッズをプレゼント!タウトク11月号を読めば、きっとたこ焼きのことしか考えられなくなる…。
2008年10月16日
たくさんの読者の方からいただいた応募の中から6名の方に登場していただき、お弁当アイディアを伝授。
うずらの卵で作る、ひよこやきのこ。かまぼこで簡単に作れちゃう、うさちゃん。ハムで作った体操服を着た男の子のおにぎり、ハロウィンのかぼちゃをかたどったおにぎりなど季節感あふれるお弁当やあけてビックリするようなお弁当がいっぱい。これからのお弁当作りにその技を取り入れてみては。
そして気になる「嗚呼!さらら番付」は…
「自分にやさしい生きざま・メタボ編」!
ときには自分に優しくすることも必要。甘いといわれようが、笑って気にしない!そんな毎日を楽しく生きていく知恵が明かされる!